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告 白



 私たちは、全くそのお方を推し量ることができません。知っているようでも知らないのは、そのお方の心情世界があまりに深く、広く、大きいためです。人間は絶対者ではなく相対者であり、無限者の前に有限者であることを徹底して告白するようになるのは、そのお方をどんなに推し量ってみても、どんなに近づいてみても私たちの限界を痛感するからです。

 神様が人間の親であられるのを、そのお方を通して知りました。神様の本体は愛であり、子女を失ったかわいそうな親になられ、蕩児を探して苦難を被られたことも、そのお方を通して知りました。父母の心情で僕の体として投入されるそのお方の人生の中から、真の愛の価値を悟るようになりました。

 そのお方は私たちの祖父として、父として、時には兄のように、友達のように近づいてこられました。親が失ってしまった子女を探し、千万里を走ってきた燃える喉の渇く姿で、この世のすべての罪を一人で蕩減する重大な立場として、時には視線さえも合わせるのが恐ろしいほど厳粛で敬虔な姿で語られながらも、また、まぶたが合わさるほど大笑いされるお方です。

 童謡の「春が来れば」を好まれ、大衆歌謡の「虚空」も聖歌のように愛されるお方です。過ちがあっても、ただ抱くことのできる安らかなお方です。そばから離れていっても、再び帰ってくれば裸足で走ってきて迎えてくださるそのお方を、私たちは何と呼ぶことができるでしょうか。神様の解放のために、人類の救援のために一生涯、昼夜を忘れて生きられるお方です。私たちはそのお方を「お父様」と告白します。




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