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第二節 現代の祭司長、責任者の行く道

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1 牧会者の起源はレビ族の祭司長

 我々統一教会の信徒たちは、アベル的立場で国家的祭壇を設けなければなりません。分かりますか、どういう意味か。国家的です。民族を代表する国家的祭壇を設けなければならないというのです。

 祭壇を設けるためには、祭司長の責任を果たさなければなりません。祭司長の責任を果たそうとすれば、祭司長がいなければなりません。ですから祭司長がいないのに祭壇を設けてはいけません。祭司長がいなければなりません。祭司長になろうとすれば、どうしなければならないのでしょうか? 全世界にあって、神様が愛する祝福を受ける一族にならなければなりません。そうでなければ駄目だというのです。それはレビ族です。分かりますか? レビ族でなければ駄目なのです。

 今日、統一教会の教会員たちは、どのような立場に立てられたのかというと、レビ族と同じ立場に立てられました。それではレビ族とは、どんな一族だったのでしょうか? それは、所有するものがない一族です。十二支派たちが支派を編成して、土地を分配される時、レビ族は分け前を受けましたか? (受けませんでした)。受けなかったというのです。体しかありませんでした。体しかなかったのです。自分の所有物というものは、何一つなかったのです。

 レビ族という一族は、自分の所有の分け前がないというのです。彼らの所有するものといえば、どんなものでしょうか? 聖殿です。彼らの所有は、聖殿しかないのです。聖殿の中には、祭壇があります。そして、祭壇があると同時に、祭壇の上に祭物があります。祭物を祭事にささげて、贖罪の恵沢を民に与えたのちに、祭物を自分の取り分として取るしかないのです。そうでしょう?

 そのようなことを考えるとき、我々統一教会は、どのようにしなければならないのでしょうか? 我々統一教会自体は、レビ族のような立場に立たなければならないというのです。そうしようとすれば、私たちは、所有するものをなくさなければなりません。所有するものが多いですか、皆さんは? 自然にそのようになっていなければなりません。

 ところで、一つ心配になるのは何でしょうか? そのような立場に立ったならば、祭司長にならなければなりません。祭司長となって聖殿をもたなければなりません。そして、聖殿をもったのちには、祭壇を設けなければなりません。また、祭壇を準備したなら、祭物をささげなければなりません。祭物をささげなければならないというのです。祭物をささげようとすれば、神様がこの地上の人類を救うために、昔は、羊と牛をつぶして祭物としてささげさせましたが、一番最後には、自分の一番愛する息子を祭物としてささげさせたのです。一番愛するもの、一番大切なものを、祭物としてささげよというのです。一番大切な祭物とは何ですか? 自分です。ですから、自分を祭物としてささげよというのです。

 ですから、イエス様がこの地上に来て、もし祭物をささげて勝利していたならば、大祭司長になっていたのです。ところが、大祭司長になれずに、祭物になって亡くなってしまったのです。それゆえに、今日私たちは、大祭司長になる前に何をしなければならないのでしょうか? 祭物をささげなければなりません。祭物をささげようと思えば、どのようにしなければなりませんか? 血を流さなければなりません。裂かなければならないし、犠牲にならなければならないのです。それが原則です。犠牲にならなければなりません。

 このようにして、私たちがある基準をなして、この民族が私たちによって、天の前に立てられるようになる時に、イスラエル十二支派は、ユダヤ民族は、このレビ族が正しくなせるか、なせないかによって、その民族の興亡が左右されたというのです。祭司長たちが腐敗すれば、その国も滅びるのです。祭司長が忠誠を尽くせば、その国も栄えるというのです。過去の歴史がそうだったというのです。(一五五・二七六)













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