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2 召命に対する姿勢

P132
 天は私に対して要求しておられます。「新しい世界を建設せよ」というのです。既にほつれて乱れてしまった事件を、解決せよという責任を与えてくださったのです。

 それでは私はどんな立場にいるのでしょうか? 私の一つの個体は、なくてはならない存在です。人類のものであり、世界のものであり、お父様のものであるからです。

 不足な民族であり、不足な私たちですが、召命を受けた私たちは、おそれ多い心情をもたなければなりません。国家、民族のために全力を尽くしていった人々も許されなかったのに、私たちを呼び出して息子としてくださったという事実を考える時、感謝する心と、おそれ多い心情をもたなければなりません。(九・三四四)

 先生が二十歳前の幼い時期に、この大変な天のみ旨を知り、天的な大命を受けたその日から……。このとてつもなく大きなことを、神様が約束すると同時に、それを感じて、それを希望にしていかなければならない自分は、その大きなことをそのまま受け入れ、そのまま自分のものとすることができずにいることを知りました。持ちこたえるのにあまりにも大きく、それを受け入れるためには、内外にすべてのものを備えなければならない自分自身の責任が、どれほど大きいかということを切実に感じざるを得ませんでした。

 前に置かれている大きな目的を見つめて、喜ぶことよりも、その目的に対して責任をどうやって果たすか。その責任を果たすためには、自分自らに任せられた生活過程において、私が受け持たなければならない義務感と責任感が、どれほど大切であるかということを感じざるを得ませんでした。その感じる分野が、個人を越えて、家庭を越えて、氏族を越えて、民族、国家、世界まで伸びていくのです。(一五六・一〇七)

 皆さん、ここにダイヤモンド鉱があったとしましょう。自分だけ知っているそのような所があれば、どうしますか? 他人に知られないように許可を出してもらいますか、もらいませんか? そのためには、自分の家、財産も売らなくてはならない場合も生じるでしょう。自分の妻を売って多くの家庭を救うのであれば、それは罪ではありません。自分の息子を売って、その国の多くの息子、娘を救うのであれば、それも罪ではありません。しかし、自分の欲心のために売ってはいけないのです。したがって、その鉱山がこの国、この民族を生かす道であり、世界万邦の人間たちが生きることのできる道であるというときは、その許可を得るために、妻と息子を売ったとしても歴史の罪になることはないのです。私たちが国を生かすために、世界を生かすために、妻や息子を売ることは、いけないようですが、そこにはむしろ世界が褒めたたえることのできる宝物の根源が宿ることができるのです。

 皆さん考えてみましょう。今現在、私たちが行く道はどんな道ですか? 「最後の道だ」と言いました。ですから、その生きがいを無限に感じることができなければなりません。もう一度新しい自覚をもたなければなりません。(二一・三一四)

 私がアメリカに来て闘うのは、誰かが脅かすからですか? 自ら願ってこの闘争をするのです。どんなに迫害を受けてもはね返して進んでいくのです。それで皆さん方は、どのようにしなければなりませんか? 自ら願って、それ以上しなければなりません。強制によってそれ以上しなければなりませんか? 強制によってでも、それ以上できないのなら、滅んでしまうのです。簡単だというのです。理論的に簡単だというのです。

 それで皆さん、自願教会ですか、何ですか? (自願教会です)。自願でなければ、ここからみんな出ていって、稼いで食べて生活していくほうがましだというのです。ここに来て伏せている必要はないというのです。御飯が恋しくて、出世が恋しくてここにいますか? 成功が恋しくて? (必要ありません)。ないのです。皆さんはムーニーです。迫害を受けたりするのは、召命を受けたからです。人類を身代わりし、歴史の代身となり、天地の代身となって召命を受けたので、それは不可避的です。

 召命の責任を果たせない限り、死があるのみです。どんな価値もないということを知らなければなりません。御飯を食べて生活すること自体が恥ずかしいことです。女房を連れて生きるということが恥ずかしいことです。先生は、そのようなことをすべてはね返して、この仕事をしているのです、それをすべて否定して。それは深刻な場面です。違いますか? どんな場面ですか? 皆さんはどうですか? 皆さん、先生の顔を見にここに来ましたか? (いいえ)。使命があるからです。私が言うことは、皆さん方に何か朝のあいさつをするためのものではありません。使命をもって話をするのだということを知らなければなりません。(一二八・四六)

 いつも時代の責任者は、自分が優れていて選ばれたと考えてはいけません。多くの先祖の功績を通して、多くの犠牲の代価を支払って、その立場にいるという事実を……。私が優れていて、私が立派で大衆から搾取するのではなく、より大衆のために行くことができる主権者の姿勢をもたなければならないというのです。統一教会でいえば、統一教会を主とする国家ではなく、国家を救うための統一教会です。世界を自分のものとして造るための統一教会ではなく、世界を生かすための統一教会にならなければならないのです。このようになる時は、いつも天が共にいるのです。分かりますか?

 ですから、この伝統を知って、責任者となった人たちは、仕事をしなければなりません。責任者となった人たちは、自分が優れていてこの立場に上がってきたと考えるなというのです。(一三〇・三〇四)

 信仰の道では、召命を受けるのも難しいのですが、その召命を受けてから、それに従っていくことも極めて困難だということを感じるようになるのです。

 ですから、皆さんが信仰の道を行くのにおいて、どのような心の姿勢をもたなければならないかといえば、いつも円満に心の門を開けておかなければなりません。空気をパンパンに入れたゴム球のように、心を丸くして、誰にも偏らずに対することができなければなりません。そのような立場をとって進んでいかなければ、信仰の道において必ず冒険が起こり、ひっくり返る路程が起こるのです。私たちは、このようなことを往々にして感じることができるのです。

 心がいつもくぼむことなく、主体的な立場に立つと同時に、円満な立場に立っているためには、いつも自分自身を磨いていかなければなりません。そうでないまま激越なる立場に立つようになれば、その激しさによって心が傾いてしまうようになるのです。悲しい立場に立てば、衝撃を受けるようになって、自分の本性からずれて、心がめげてしまうようになるのです。ですから、いつも自分の心性を中央に位置するようにしながら、自分の心性がどのようにならなければいけないかということを知って、それを調整することができる生活態度が必要だということです。

 ちょっと考えてみれば、心を気球のように思うことができます。心が気球のように高く浮かび上がっているようになる時は、すべてのことが貫徹されます。しかし、この気球が、低気圧になれば、スーッと降りてくるように、心も下がってくる気分になる時があります。そのような時には、その基準でそのまま前のような姿勢でいれば、これは必ずめげてしまうのです。

 下がってくる立場に立つようになれば、必ずもっと下がっていくし、その後、反対に押して上がっていかなければならないのです。それでは下がってくる時には、どの程度まで下がってこなければならないのでしょうか? どん底まで下がっていかなければなりません。一番下まで下がっていくようになれば、反作用によって再び上がっていくようになるのです。気圧がしきりに下がっていく立場で、ある基準まで下がっていけば、逆に反作用によって上がっていく立場に立つというのです。

 したがって、皆さんは下がっていく立場を守るのか、でなければ現在の立場で押して上がっていく作用をするかして、心の基準を調整することができる信仰態度が必要だということです。(四〇・六九)













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