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四 聖地祈祷

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1 聖地祈祷をせよ

 統一教会の全食口が聖地祈祷をしなければなりません。(二二―一五三)

 今後、皆さんは統一を中心にして祈祷しなければなりません。分かりますね? (はい)。また、聖地を中心に祈祷をするのですが、先生が帰ってくる時まで、男性も女性も関係なく、時間があるたびに聖地で祈祷せよというのです。早朝に行けないならば、昼や夕方にでも行って祈祷せよというのです。

 先生が草創期にこの聖地で涙を流し、祈祷したことを考えてください。今まで、聖地を選んで「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を選定する時まで、どれほど苦労の道を歩いてきたか、考えてください。それを中心にして、「神の日」である一九六八年正月、元旦が来るまで、どれほど苦労したか、皆さんは知らなければなりません。神様もかわいそうだったし、先生もかわいそうだったし、統一教会信徒たちもかわいそうでした。

 今、統一の起源を全世界に発展すべき責任が皆さんにあるので、たとえ硬い石の上に座って祈祷するとしても、二人が涙を流し、山、川が頭を下げるような祈祷をしなければなりません。

 したがって、私が今回巡回する時、皆さんが昼食を食べられないようにしなければならないでしょうが、そうしたくありません。その代わり聖地祈祷を熱心にせよということです。分かりますか? (はい)。「統一の歌」を一生懸命に歌い、その心が民族の感情と、あるいは人類と神様の復帰摂理に統一的な感情をもたせるようにし、万民が見習うことができるように、聖地を中心に精誠を込めて祈祷せよということです。(二二―一五八)

聖地祈祷を通じ、先祖に協助するよう要求しなければなりません。(一三―一六一)

 聖地巡礼は、そこへ行って祈祷することだけが重要ではありません。行って来る時間が、すべて精誠をささげる時間なのです。(一八―一八七)

 そう、統一教会の信徒たちは、今聖地へ行って涙を流し大変でしょう? 聖地へ行って涙を流せない人は食口ではありません。聖地を訪ねて精誠をささげなければなりません。イスラエル民族はエルサレムの聖殿を失いましたが、それが聖殿になるのではなく、この地球が聖殿にならなければなりません。この地球という星が聖殿にならなければなりません。この地が聖殿になれない時は、この地にすがって皆さんが涙を流さなければなりません。聖殿の実体基盤に代わる聖地に対し、涙を流すことができる因縁を整えてこそ、皆さんがこの地の主人となれるのです。

 それが全部私たちの……。こうしてつくっておいたので、献貢式が始まるのです。涙とともに闘って、そこに聖別されたその地域のすべての価値が、いくら一つの所でも、そこに表れた聖地の価値が、サタン世界のすべての地域の価値よりも高く、天に記憶されるような因縁で積まれないなら、この献貢式をすることはできません。民族的で、世界的な献貢式をすることはできないことを知らなければなりません。皆さんが涙を流し、血の汗を流し、そこへ行って悲しみを訴え、怨讐に対して天の勝利の日を訴えた、その基準を天が記憶するという時は、その地がサタン世界から高く持ち上げられるのです。霊界から見ればそういうことです。

 ですから雑霊が通ずる人々が、私たちの聖地に来て祈祷するのです。そういううわさを知っていますか? 雑霊が通ずる人々が、私たちが聖地に選択したそこへ来て祈祷するというのです。「そこが天地が接する地だ」と、「天地が接する焦点だ」と言って、そこへ来て祈祷するようなことが起こるのです。もう既にそれを知っているということです。そのくらい高く持ち上げられているということです。高く持ち上げられたこの基準を中心にして、神様の心情を中心にして操り、全部ひったくるようになる時に、この江山がサタンの讒訴できない聖なる勝利の祭物としてささげられることができるのです。こういう時を用意しておいてこそ、献貢式が始まるということです。(一五二―二八〇)

2 聖地と私たち

 神様は、私たちを通じて善の理想世界、すなわち心情の園を歌うことができるようになりました。さて、皆さんは神様が願われる聖なる地の主人として、心情の世界を望むことができるでしょうか?

 聖地を条件として三千里(注:韓半島)を愛さなければなりません。この地で生きたいと思い、この地で汗を流したいと思わなければなりません。この地に血の出るような歴史の伝統があることを知り、父を記憶しなければなりません。

 聖地と聖物を守ることができなければなりません。これらを守るのに総力を傾けなければなりません。皆さんは、祝福を受けた家庭を貴いものと感じられないようです。祝福家庭は皆さんが守らなければなりません。気高く生き、死ぬことができる気高い地を求めなければなりません。聖地、聖民を早く復帰しなければなりません。(三―一四)

 聖地を愛し、万物を愛し、祝福を受けた家庭を愛しなさい。(一三―一二七)

 皆さんが地方の聖地を眺めてみた時……。皆さんが帰って聖地へ行く人もいるでしょう。聖地を守ることのできる皆さんにならなければなりません。天の祝福、天の約束のもとで、天命を奉って、歴史になかった新しい聖地を準備しておいたのに、その聖地を守れる人がいないというのです。患難と迫害が激しいといって、数多くの同士たちが覚悟を決め、誓ったけれど、その誓いをすべて忘れた私たちの前に……。

 十名が決意したのに九名が落ちれば、九名の精誠を加え、十名の決意に代わって聖地を守ってあげられる、こういう人を天はつくろうとするのです。天はそういう人をこの民族の前に立てて、万民を愛したかったのです。これが今まで師が整えてきた歴史的な因縁だったし、また皆さんを残して行く時、そういう因縁によって今後新しい運勢がこの韓民族を通して近づいてくる時にあるので、これを皆さんが足の下に敷き、素早く越えられる責任と使命を果たし、天と地の前に恥ずかしくない姿で越えていける、そういう人になることを先生は願っていることを、皆さんは肝に銘じなければなりません。肝に銘じてくれるよう願います。(一五五―一〇五)

 私たちは聖地を既に選定したので、世界的運勢を取り込めるようにしなければなりません。(一六一―七七)

 この朝、聖地を守りながら父の前に祈祷するあなたの子女たちを記憶してくださり、世界に散らばり、ここに向かって祈祷し、父のみ旨が成されることを願い、苦労する数多くのあなたの子女たちの上にも、栄光のみ手で、長く長く共にいてくださいませ。(四五―二〇六)











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