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二 一日十八時間講義した劉孝元協会長

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 全部で何人ですか? 八十四名? (はい、八十四名ですが、今ソウルに五人出て七十九名です)。ソウルでも今講義しますか? (はい)。統一教会で講義する人が、ここにいる者たちしかいないということは非常に悲惨な事実です。このように勉強しても講義できなければ大変なことになります。講義だけうまければ出世をすると、先生が耳に穴が開くほど話したのに、講義する人がこれだけしかいないということは問題です。(教域長たちも上手です)。教域長たちもうまいの、どう? (はい、上手です)。教域長たちは何人ですか? (約二百名になります)。

 統一教会の歴史がどれくらいになりますか? 昔、劉協会長は三年八カ月を講壇で一日十八時間ずつ、一日も休まずに講義をしました。そのような歴史があります。その人は不具の身でそうしたのですが、それを考えれば私は無慈悲な人間です。今のように食口が多いわけではありません。新しい人が一人来れば一人を座らせておき、新しい人が来なければ、そのまま食口たちをおいて毎日続けてしました。それを知っていますか? (はい)。聞いて知っていますか、見て知っていますか? (見て知っています)。見た人も多いでしょう。見た人、手を挙げてみなさい。知ってはいるのですね。

 その時は麦御飯も十分に食べられませんでした。近所のこじきたちが御飯をもらいに歩いてみれば、統一教会に行けば一番よくくれるのですが、麦御飯だというのです。こじきたちが「麦御飯を与える」と出ていって、ごみ箱に投げ捨てていくのです。そのころは麦御飯も食べられなかった時ですね。

 その人は塩辛が好きでした。えびの塩辛だったか……。いや、子魚の塩辛だったでしょう? 全羅道の人はえいの塩辛をよく食べますか? それ、えいですかね? (カオリです)。カオリといいますか? カオリもえいですね? (はい)。その腐った臭い、そのきつい臭いがするものをよく食べました。劉協会長もその塩辛が好きでした。私は横に行って……、私はその臭いも嫌いでした。(笑い) おかずがないと、それをうまいとくちゃくちゃしゃぶって食べていたのがきのうのようですが……。「劉協会長が今生きていればどれほどよいことか」と考える時があります。そうしながらも一日十八時間以上講義をしました。原理講義をしました。(一七二―四六)

 私の話を聞きなさい。私の家や先生がいる所では、いつも雰囲気が消えてしまっては駄目なのです。いつでも……。それを知らなければなりません。ですから先生がいるときは、誰かがここに来て徹夜祈祷をするのです。雰囲気が消えては駄目だというのです。じっと見ればそんな考えをする人が一人もいないのです、私以外。私は雰囲気ができるにしたがい、十二時が過ぎて寝るまで引っ張って圧縮させようとそうするのですが、皆さんはそんな考えをしないのです。お母様もそんな考えをしません。ですから……。

 霊界と地の雰囲気が春の園のようにならなければなりません。いつも春の園にならなければなりません。春が来ればすべてのものが蘇生するのと同じように、そうなればここの雰囲気、ここのすべての環境が聖化されるのです。復活した歴史を聞いて、そんな雰囲気をいつも持ち合わせてください。そうすれば見えない電波が全宇宙に広がっていくというのです。そのように考えるのです。

 ですから私が劉協会長――劉孝元協会長がいるではないですか?――に青坡洞にいた時いつも十八時間講義を続けさせたのです。人がいなくてもさせたのです。人がいようがいまいが……。それを見れば、その人に対して先生は本当に厳しい先生だったでしょうね? きつくても、それに講義を聞く人がいなくて休もうとしても、叱ったのです。

 放送局で放送するとき一人だけ相手にしますか? 放送局で仕事をする人は一人だけですが、それを聞く人は天下にぎっしり詰まっているというのです。同じだというのです。私たちは放送を続けなければなりません。それでそうさせたのです(一四〇―一七一)

 二十四時間講義しなければなりません。十八時間講義しなさいというのです。劉協会長は死にましたが、講義時間になっても寝たままで……。それがどれほどきついでしょうか。それでも、「こいつ、天のみ旨のラッパ吹きなのに、十八時間吹けと言ったならば、吹かなければならないのです。今、霊界では吹く準備をしているのにお前がこれでいいのか、直ちにしなさい!」とこう言ったのです。そのように三年八カ月やったのです。それが記録です。皆さんもそのようにしなければなりません。皆さんの両手両足は完全なのです……。

 ですから食口が三人、四人いれば自分の責任者が二十四時間、十八時間朝から講義するのに、人を連れてこないわけにいきますか? 伝道しないわけにいきますか? 一人を連れてきてそれほど努力して講義するのに、一人来て行ってしまうかと思って、その人が行かないようにどれほど精誠をささげたかというのです。ですから人がいなくても講義してみなさいというのです。講義してみなければなりません。ところがこの者たちは人を連れてきて、初めて講義し始めるというのです。(一〇七―二四五)

 劉協会長に講義させる時、私が寝ていたと思いますか? 屋根裏部屋に座ってみな聞いていました。誰が来たという報告をみな受けていました。夕方講義をしに降りてきて、話をして一分もたたないうちに寝てしまう姿を見て、先生は祈祷しました。そんな涙の交わりがあったのです。涙の祈祷をしてあげるのです。そのような内容があったということを知らなければなりません。そのように統一教会の歴史はとても悲惨でした。さあ、何人のために私がそうしなければならず、何のためにその人がそうしなければならなかったのでしょうか。私が何のためにまたそうしたのであり、その人は何のためにそうだったのでしょうか? 神様のためです。それでも霊界が役事しなければ霊界がないのと同じです。神様がいないのと同じです。何のことか分かりますか? (一〇七―二四九)

 皆さんも同じです。誰かがひっきりなしに訪ねてくれば面倒くさく思いますが、その人を誰が送ったのか知っているのかというのです。神様が送ったのか他の誰かが送ったのか、知っているのかというのです。その人以上に実践した実績をもつことができずしては、その人に対して面倒くさく疲れるということはできないのです。ですから劉協会長も三年八カ月の間講義しながら苦労をたくさんしました。私自身もそうです。私が指導するにも文なにがしの主観をもって、文なにがしの欲望どおりにしようとはしません。皆さんはそのようなことを知らなければなりません。(三三―一〇一)













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