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四 講師が留意すべき点

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 天が個性真理体を必要としていることを切実に知っています。「あー自分自身が完成を見ないならば、天は動いてくれない!」。自分自身が完成することができる位置に入っていくことができないならば、心情をもって内外が一つにならずしては、天が動かないということは天理の原則です。私たちの原理の教えは、間違いない事実です。私たちの統一教会の教会長たちは原理講義をすることを、ただ習慣的にぶーぶーぶーぶー、(鳴らすように)話してしまうのです。生命が一緒に働かない所においては、動くようにはなりません。寝ても覚めてもその講演時間になります。「寝ても覚めても? 二十四時間、全中心をそこに結びつけなければなりません。御飯を食べても、寝ても、起きても、水を飲んでも、どこへ行っても、皆さんがどこへ行ってどんな自然を見ても、考えはその自然にあるのではなく、全部その講演時間に集中しなければなりません。甚だしくは寝る時間までも、寝ても覚めても、夢の中でもそのことが展開するのです。あるいは、祈祷の中、回想の中でもそうなのです。そのようになれば、あすの聴衆がみな現れてきます。

 このようになれば、その中で、ある人は「あー、どのようにしたらこのようにもぴったり合うのか」と、その聴衆は完全に参っていくのです。分かりますか、何のことか。(はい)。完全に参っても、自分のために、自分の権威と自らの実力に自信をもって人の前に立つような時は、失敗なのです。

 このようなことを見る時、講義をして出てきたら悔い改めなければなりません。「父よ、生きた祭物というものが、こんなことを指して言うことだということを知りました」というのです。そのように寝ても覚めてもするところには、天が共に働くのです。寝ても覚めても、二十四時間天のためという精誠、こんな心情が宿る所には、天が共に働きますが、そうでない所には天は虫(注:かつお節虫)のように共に働くのが難しいということを、皆さんが信仰生活をしてみれば分かるのです。(七一―一四二)

 統一教会の講師たちも原理のみ言を伝える時、聴衆が良いと拍手を打って歓迎するならば、「ああ、私が講義を上手にして良く思っているんだな」と考える者たちはみんな、盗賊の心根をもっているのです。それを良く思っていると考える前に、「天の恩徳によって私がこのようになった。この良いことを神様が喜んで受けてくださいますように」。このように祈らなければならないのです。それが孝子の心なのです。分かりますか? (はい)。「私は三年間教会のために働いたのですが、先生は私を分からないでいる」。(笑い)そんな人は誰のために働いたのですか? そんな者は忘れてあげるのが、根本の原理(元亨利貞)です。当然のことです。それならば、誰のために働くことが良いのですか? 自分のために働いてはいけません。自分のために働くことは自分が既にみな受けていたのですね。天のために働いてこそ、同情を受けるのです。道理はそのようになっているのです。(五七―一二八)

 皆さんが講義する時に、初めは上手ですが、あとになると自分を誇って出てきます。神様を誇りとして出てこなければなりません。私自身も同じだというのです。私が優れていると誇るのではありません。私がこれくらいの影響力を及ぼすことができる基盤を用意したと誇るのではなく、大きくなれば大きくなるほど、高い所から眺めておられる神様がいらっしゃるということを考えなければなりません。小さければ小さいほど、高い所を眺めて、遠い所を眺めなければなりませんが、大きくなれば大きくなるほど、自分の身のほどを知らなければならないのです。(四三―八八)

 皆さんが壇上に立って、大衆を教育するようになる時、自分は言葉が上手であり、だから人々が感動を受けると誇ってはいけません。十回正しく、百回良くすることができるとしても、百回以上でもその仕事をやろうという心をもたなければなりません。先生はそんな一念をもっているのです。(四九―一六〇)

 皆さんが今育っている過程にあって、誰かが皆さんのする講義を批判しても、そこで絶対恐れてはならないのです。「誰が批判するのか? そのように批判するのは何だ」。そのようにしてはならないのです。それを一〇〇パーセント受け入れなさい。そうする人は発展するのです。「私がそれぐらいしたならば上手にしたはずだ」という人は、それ以上発展できないのです。それが限界点なのです。関係を結べなくなってしまうのです。(六六―一一〇)

 皆さんがみ言を伝えてから、物足りなさを感じる時があるはずです。それはみ言を通して私に得るようになったことがないのです。ただ、そのまま前にした方式のとおりに講義をするのですが、何を感じ、何を得るのでしょうか? しかしみ言を伝えてから自分が心温まるようになり、自分が発展するということを感じ、自分に利益が増えることを感じなければなりません。そうしてこそ、継続的な活動をすることができるのです。ですから、「三年後には私がこんな水準になるはずだ。五年後には間違いなくこんな水準にまで行くことができる」という確信が生じなければならないのです。(二九―一八八)













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