E-listBBSSearchRankingMusicHallGo to Top



第四章 教会発展と伝道

P581
第一節 教会の成長と発展

一 発展に対する根本理論

1 発展しようとするならば作用しなければならない

 発展しようとするならば、どのようにしなければならないのでしょうか。作用しなければなりません。作用するには、目的がなければ、作用できないようになっているというのです。プラスがあれば、必ずマイナスがなければなりません。ですから創造原理から見るとき、皆さんは、どのような観点で見なければならないのでしょうか? 一番問題になることは、目的観です。宇宙には目的がなければならないというのです。この目的を成すためには、相対的要件がなければなりません。(黒板に書かれたものを指しながら語られる)相対的要件があれば、それを連結させる力がなければならないのです。力を通じなければ、存在が出てこれないというのです。そのようになっています。

 それゆえ、存在するようになれば力が必要となり、力が必要となれば何が必要でしょうか? 相対的要件が必要です。このようになるのです。相対的要件が必要なので、神様はどのようになっているのでしょうか。神様はいらっしゃるけれど、独りでいることができないというのです。主体と対象、二性性相が出てくるというのです。

 発展は、独りではできません。それゆえ、今後新しい理想世界を展開するのも、人間だけではできません。対象的存在だけでは、できないというのです。(二七―二二三)

 主体と対象が完全に授け受けるならば、繁殖が起こります。ここでの主体は、皆さんではありません。神様であられます。(六〇―三四九)

2 発展の形成

 発展は、どこで形成されるのでしょうか。相対的要件の環境が整えられ、お互いがよりプラスされ得る、マイナスもプラスも、プラスされ得る、二体が、より良い次元に到達し得るところにだけ、発展が可能なのです。これが今日統一教会で提唱する論理です。

 存在の起源問題を見るときに、存在があるためには、運動をしなければなりません。運動をしようとすれば力がなければなりません。力はどこから出てくるのでしょうか。一人では力が出てくる法がありません。主体と対象の関係がなければなりません。存在しようとすれば作用が必要なのであり、作用しようとすれば必ず主体と対象がなければなりません。主体と対象がなくては作用できません。

 国家ならば国家間において、親交するということにおいても、お互い、より良くあり得る共同的な目的の追求においてのみ可能なのです。共産世界と民主世界が激烈な闘争をしてきて、近世になって、和解のムードが出てきています。ここにおいて二つの世界が、より良くあり得る目的観を設定して出発したとすれば、間違いなく二つの世界は統一されるのです。ところがそのような観がありません。

 ここで必要なのは何でしょうか。よりプラスとなる内容を確保し、マイナスとなり得る、まだ及ばない、未完成な分野を充当させても余力を備えるようにして、自分についてくることのできる新しい目的形態を提示すれば、世界は一つとなるのです。一つとなります。すべての存在物は、より良いものを追求するようになっています。なぜより良いものを追求して、作用することができるようになっているのでしょうか。最高の絶対者がいれば、最高の絶対者である主体の前に、相対的な全体性を与えようとするため、そのような創造観で造らざるを得ません。(五九―七八)

 すべてのものは、一つから多くのものに分かれて、結局一つの大きなものに統合されます。このように発展するのです。一つからいろいろに分かれてから、一つに統合されるのです。ここからまた分かれて、より大きなものとなるのです。より大きな一つの世界の中に、すべて入るというのです。(二六―一八九)

 現存するものより、大きなものが出てくるためには、主体と対象が作用しなければなりません。そうでなくして、現存するものより大きなものが出てくることができません。それで、人間やすべての万物は、より大きく、より価値のあるものに向かって、すべて相対的関係をもとうとするのです。このように宇宙は、連続的段階の因縁をもつようになっているというのです。(一三二―六七)

 主体と対象が完全に授け受けすれば、そこには必ず新しい繁殖、すなわち第三の結果をもたらすようになるのです。この第三の結果というのは、主体の目的だけでなく、対象の目的、すなわち、二重目的をもった結果として現れるのです。ところで結果として現れたものが、主体と対象の因縁を結ぶ以前よりも価値があるものとなってこそ、より刺激を感ずることができ、より大きい喜びを感ずることができるということを私たちは知らなければなりません。(四〇―二七六)

3 発展の原則

 大きくなろうとすれば、自分自身を投入しなければなりません。「大きくなろうとすれば、自分自身を投入しなければならない」ということは、真理です。これがすべての現象世界における、発展原則だということを知らなければなりません。皆さんは拡張し、発展することを願うでしょう? (はい)。そうしようとするならば、投入しなければなりません。純粋な投入は、純粋な発展と、純粋な拡大を可能とするのです。軽率に投入すれば、軽率になされた結果が出てくるのであり、深刻かつ純粋に投入すれば、深刻かつ純粋な結果が出てくるのです。これは、合っていますか、間違っていますか。(合っています)。本当にそうですか? (はい)。

 このようなことを統一教会では、簡単に表現して、「真なる犠牲となれ」という言葉で置き替えるのであり、これは真に犠牲になる道においてのみ可能であると見るのです。商売をしようとすれば、お金を放棄しなければなりません。

心から愛着をもちながら、もうけたお金を放棄しなければなりません。投資するのも同じことです。分かりましたか? (はい)。「真なる犠牲となれ」という言葉は投資しろということと同じです。真なる投資、真なる投資をしろということなのです。(一二九―六〇)

 発展するためには、そこに比例する何かを代わりに、補わなければならないのです。それを補わなければ、発展が不可能です。

 私たちの「生」を、維持するための呼吸や、すべてのものがそうだというのです。おなかがすけば、なぜ御飯を食べますか。私が、生を維持するためには、供給してあげなければなりません。供給するだけでも駄目です。消耗されるように、新陳代謝させなければなりません。必ず回らなければなりません。(一六五―六七)

 発展の原則は何か、これが一つにならなければなりません。ついていかなければならないのです。ここで、このように従っていけば、亡びないというのです(黒板に書かれたものを示しながら語られる)。この時は新しい出発の時であることを知らなければなりません。それで神様はどのようにするのでしょうか。個人のために生きる人と、他人と家庭のために生きる人の中で、どちらがここに残らなければならないかといえば、こちら(他人と家庭のために生きる人)が残らなければなりません。ですから神様は、ここ(他人と家庭のために生きる人)を祝福して、より良く生きていけるようにするのです。ですからこの(個人のための)人たちは、見習って、自然についていくというのです。分かりましたか。(九六―八一)

 完全なプラスは、完全なマイナスを生むようになるのです。それゆえに、完全に心情が一致すれば、完全な心情の対象者が現れ、新郎・新婦の慕う心情をつなげて、縦的にそのような関係を結べなければ、横的に同志、あるいは家族、あるいは同胞の関係を結び、繁殖していくのです。(一七―二九五)

4 発展の要素

 神様の愛なくして、発展もなされず、神様の愛のないところには、存在自体も壊れてしまいます。(二七―三四二)

 愛の核心は、必ず本性に共鳴されるようになっているので、本心が感動する日には、対象は必ずそこに一体化しようとします。このようになって、対象が主体の前に実体として再び造られようとする時、初めて発展があるのです。そこから、神様を中心とした発展が可能となるのです。(二九―三二一)

 私たちの生命の発源は、親と子の因縁です。神様は父であり、自分は息子といえる立場です。これしかありません。父なくして私は栄えることができないのです。(二六―二二一)

5 発展の形態

 発展するとき、直線で発展するのですか。違います。皆さんはそれを知らなければなりません。銃の弾が飛ぶときも、直線では進みません。斜めに回りながら行くのです。それはなぜですか? 必ず授け受けする作用をするということです。呼吸作用のように。何のことか分かりますか?(はい)。(一四一―四四)

 発展は、らせん形を描き、回転作用をしながら進むのです。(二八―二四七)













SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送