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第二節 伝道

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一 伝道をしなければならない理由

1 伝道とは何か

 伝道とは何でしょうか。伝道とは、サタン世界を捨てて、笑いながら天の道についてくるようにすることです。天の国に導くことです。これを知らなければなりません。分かりますか? 皆さんを見ていると、伝道するとき、その人が好きでも嫌いでも、強制的に「来なさい、来なさい」と言いますが、そんなことでは駄目なのです。人は霊物なので、皆さんがある人のために祈祷して、一度実験してみなさい。ある一人を非常に愛し、その人をみ旨の前に立てるため、心痛い心情をもって、涙を流してみなさい。そして研究してみなければなりません。(五〇―二七九)

 伝道というのは何でしょうか。アベルがプラスなら、カインはマイナスです。サタン世界です。サタン世界について、私がプラス、アベルの位置にいるのです。そのサタン世界のプラスをマイナスになるように、服従するようにするのです。創造するのです。私と一つになれるようにつくるのです。再創造です。再創造、分かりますか?

 ですから嫌いでは駄目です。うれしくて成さなければなりません。神様が天地を創造される時、喜んで造ったのであって、悲しくて、造りましたか。ですから、自分が難しいことより、この大変なことより、より驚くべき愛を与えなければならないのです。(一〇八・八四)

 創造というのは投入です。ゆえに人のために、天使長のために投入した者ほど、自分が復帰されているのです。同じ道理です。

 こういう公式があるために、先生が公式に現れれば、皆さんに「投入しろ、犠牲になって投入しろ」と言うのです。それは正しい教育ですか、悪い教育ですか? (正しい教育です)。統一教会は、世界で天使長圏を復帰して、世界を復帰するための運動をしなければなりません。これは復帰されるまで続けなければなりません。神様が創造の主人であられるのに、神様が創造される時、「誰かせよ」と言ってしたのですか? 自動的にしたのです。ですから誰かが「せよ」と言って、しなければなりませんか。自分が望んでしなければなりませんか? (自分が望んでしなければなりません)。同じなのです。

 ゆえに、伝道しに行けというのは何ですか。完成して早く帰ってこいということです。天の国に早く帰れということなのです。それゆえ、「行かない、嫌だ」と言うのは、この場で滅びるということなのです。ですから、滅びないように追い出さなければなりません。これが理論的です。それゆえに、皆さんはこれを知ってからは、行かざるを得ないのです。ドイツ人も行かなければならず、アメリカ人も行かなければならず、黒人も行かなければならず、日本人もみな行かなければなりません。「私は、それは必要ない。やってみても、こうであり、こうだ」そのようになっていないのです。みなこのようなことが引っかかっているのです。(八一―一五四)

 伝道することは、皆さんが、国家的伝道圏をつくることです。国家的伝道基準をつくるなら、国家的解放圏がつくられ、世界的伝道圏をつくるなら、世界的解放圏がつくられる。これが地上においての神様の戦法なのです。(五五―二八)

 皆さん、外に出て伝道しなさい。ところで伝道とは何ですか? 道を示してあげることなのです。皆さんが世界のために、神様に帰る道を教えてあげるのは、どれほど偉大なことでしょう。本性の人間を見て、「お前、どこに行くのか」と聞けば、「アイゴー、世界を通じて、天の国に帰らなければならない」そう言うのです。その道を開拓してあげるのはどれほどいいだろうか、というのです。迫害を受け、また何を受け……。いつも世界を通じて、天に帰るのです。(一一七―一〇二)

 証拠がなければ、証拠を探さなければなりません。讃美歌に、「イエス、イエス信じるところには、受けた証拠が多いのだ」という箇所があります。皆さんに、受けた証拠がありますか。証拠を受けたと、威張って伝道に出るのですが、そういうものが証拠といえますか。それを証拠にして何をしますか。残っている人もいないのに、何の関係もないというのです。

 皆さんは天国に行く時に、礼物として持っていくものがありますか。霊界に行けば、殉教した功臣たちが、前にずらっと立っているのですが、彼らの前に皆さんが、包んで、持っていくふろしきを広げることができるでしょうか? 皆さん一度考えてみてください。こじきの包みのようなものを、広げることができますか。統一教会が、どんな苦労をし、皆さんが、どんな苦労をしましたか? 「国のために、世界のために」と言いながら、それほどの苦労もしないで、どうやって「国のため、世界のため」と言えますか。「苦労をすることはしたが、苦労したとは考えません」そうしてこそ当然なのです。まだ行く道が残っています。霊界に行ってふろしきをほどいて、「これは一生涯私が準備した贈り物なので、受け取ってください」と言えるようでなければなりません。女性たちが、嫁に行く時には一包みずつ持っていくのに、天国に行く時には、体だけぶらぶらと行くのですか。(三二―三七一)

2 伝道をしなければならない理由

 今まで宗教は何を目的にしてきたのでしょうか? 自分の救いという問題を中心にしてきました。そういう宗教は必ず滅亡します。終わりが来ます。今はいくら世界的に成されているといっても、それは必ず、もう一度復活しなければなりません。自分一人の生命を救うための宗教と、キリスト教を信じる信徒たちの目的がどこにあるのでしょうか? 「自分が救いを受け、天国に行く」と言います。そう言ってはいけません。天国に行くのに、一人で行って何をしますか。万民を連れていくために信仰をしなければならないのです。

 ゆえに、「伝道するな」と言っても、伝道しないわけにはいかないのです。「善を行うな」と言っても、行わないわけにはいかないのです。(三五―二〇五)

 天国は、絶対一人では行くことができません。二つを備えていかなければならないのです。それゆえ、夫婦と兄弟をもち、四位基台を復帰して行かなければなりません。統一教会、文先生が、このように必要なことだけ発見して発表したために、若い男性たちの中には、文先生が嫌いな人が多いのです。考えてみれば、そういうような必要なものだけ、全部くっつけて売り飛ばしたのです。そう言ったとしても、私が、宗教詐欺師というわけではありません。

 このような点から見るとき、皆さんが生きていくためには、伝道しなければなりませんか、伝道しないほうがいいですか? (しなければなりません)。天国とは誰の天国ですか? 統一教会の文先生の天国ですか? もし天国が文先生の天国ならば、皆さんは、先生から借りた天国に行って暮らすのですか? (三四―二九三)

 伝道に行くことは、私も生き、カインも生かすためです。言い換えれば、伝道は神様とサタンの前に認証書を受けて、実践するために行く道です。私が戦うのは、認証書を受けるために、立てておいた条件のとおりに実践するためのものなのです。分かりますか。皆さんはそれを知って、道を行かなければなりませんが、今までそのように行った人がいますか? 何も知らず、行ったり来たりしたでしょう。(四〇―二五二)

 さあ、もし皆さんが州に行って、三年間伝道ができなかったとしたなら、この間に死んだ人たちが「やあ、こいつ! お前が伝道をしなければ、サタンになるのを知っているのか。なぜ私を伝道しなかったのか。天がお前を送ってくれたのに、なぜ伝道しなかった。お前のために、私が死んで、地獄に来た」と言えば、どうするつもりですか? 「お前が伝道しなかったので、私が地獄に来ている。サタンに送った。だから、私はお前を讒訴する」と言うのです。また私も同じく、皆さんに讒訴するというのです。(一二五―一八)

 今、統一教会で、伝道しに行くというのですが、行くというのは後退ですか、前進ですか? 「伝道に行く!」というのは、前に進むということです。「進む」ということは、発展するということをいうのです。前進するということをいいます。ゆえに伝道しないと、発展もなく、前進もないのです。

 伝道に出て、仕事をする人をあざ笑い、座っている人は滅びます。そのようにあざ笑っては、こじきになり、手を挙げるようになるでしょう。そうなるか、そうならないか、今に見ていなさい……というのです。(三六―一二七)

 伝道しなければ滅びます。滅びたければ、伝道しなくてもいいです。カインを探せない人は、立つ場がないのです。いくら神様の愛を訴えても、カインがいなければ天国に行けないのです。(三四―二九二)

 伝道しなければならないのです。私の体と心と、精誠を尽くして……。

 伝道をするのに、私の精誠が不足して、私の精誠をすべてささげても不足で、私たちの母、私たちの兄弟にまでも、「協助してくれ」と言わなければなりません。父母まで、兄弟まで、娘までも協助させようとしなければならないのです。そうしなければなりません。そうしてこそ、霊界にいる人たちが恩恵を受けるのです。

 皆さんに、今、「外に出て伝道せよ」と言えば、「伝道に出たくないのに……アイゴー、私は伝道には出ない」と逃げようとするでしょう。そんなことで天国に入れますか? さあ、外に出て、その町内の誰よりも精誠を尽くしなさい。アメリカなら、アメリカの開拓者以上に精誠を尽くしても、不足で、自分の弟、自分の兄さん、自分の父母、自分の家の財産、全部投入しても不足なのに、行って、寝るだけ寝て、遊んでばかりいるではないですか。それなら、むしろ行かないほうがましでしょう。

 皆さんは今、何の活動をしようと、その活動にパスしましたか、第一次旧約時代の活動にパスしましたか? 誰かが少しお金を使っても、「アイゴー、あの人はああいう服を買って着ているから、私も少しいい服を買わなくては」こういう考えをもちますか。もちませんか? 皆さんはどうですか?

 さあ、伝道しなさいというのです。皆さん、伝道しましたか? (はい)。聞くと、時間がなくてできなかったというのですが、時間がないですか? 精誠が足りなかったというふうに考えませんでしたか。そうですか、そうではないですか? (そうです)。それを知らなければなりません。

 みなやくざのように……。皆さん、統一教会は、やくざとは通じないのです。それが通じるなら、私は苦労はしませんでした。一生が短いのに……です。何のためにこういうことをするのですか、なぜですか、なぜ? これを知らなければなりません。この原則を知らなければなりません。(九五―二九八)

 私たちが不平を言うことができますか。疲れることができますか。そういう心情が必要です。「私が、このようにすべての精誠を尽くすことによって、神様の息子、偉大な息子になる」このように考えなければならないのです。分かりますか? 父の代わりに、母の代わりに外に出て伝道せよというのです。愛してこいというのです。それを皆さんは成さなければならないのです。

 一度に、これほどの金の塊を掘り出すことのように、一番地、一番地、他の所を探して回るのです。多くの家を探して回れというのです。それをしなければなりません。伝道しなければなりません。そうしなければ神様の事情が分からず、イエス様の事情が分からず、先生の事情が分からないのです。先生は今でも伝道するでしょう? 同じではないですか。これは原理の道です。(九五―三〇三)

 今、皆さんにおいて、伝道が怨讐ですか、体が怨讐ですか? (体が怨讐です)。伝道も皆さんが好き勝手に行うのではないのです。伝道しに行く人は、サタンの前に公認を受けに行くのです。神様から公認を受けるため、伝道に行くのです。ゆえに神様の認証書を受けて、またサタンの認証書を受けておいて、戦わなければならないのです。分かりますか? (はい)。

 皆さんが伝道しに行くのは、救ってあげるためではありません。救われるために行くのです。分かりますか? 現在の私が、そういう立場だというのです。私が先に救いを受けてこそ、他の人の救いをなせるのです。先にアベルになってこそ、カインを救うことができるのです。皆さんはアベルになりましたか? まだなっていないでしょう。

 アベルになるには、どのようにしなければいけないのでしょうか。まずは、神様の愛を受けなければならず、二番目には、生命がなければなりません。そして三番目には教えなければなりません。これが公式です。

 それならまず、神様の愛を受けなければならないのですが、今皆さんは、神様の愛を受けられますか、受けられませんか? 愛はどのように受けるのですか? サタンを追い出すほど、そこに比例して、愛を受けるようになるのです。悪を除去した分量に該当する愛を、神様から自動的に受けるようになるのです。そうしなければならないのではありませんか。私が悪を除去する分量ほど、神様の愛が私に下りてくるのです。

 私が生命をささげて、悪を屈伏するようになれば、生命を探すことのできる神様の愛が私に来るのです。これは公式的です。おもりと同じです。一方が下りていけば、他のほうが上がるようになるのです。悪を多く除去すれば、善が上がり、悪を多くもつようになれば、善が下りていくのです。これと同じだというのです。悪を除去するほど、愛を与えるのです。それゆえ、誰よりも神をより愛せというのです。神様をより愛せということは、神様を愛するほど、神様の愛を受けるというのです。すなわち、神様を愛したので、神様の愛を受けることができるというのです。(四〇―二四三)

 プラスとマイナスが一つになったなら、また他のプラスになり、マイナスを探し出すのです。これは一つつくれば、また違うプラスになって、マイナスを探し出すのです。大きなものが、相対的なものを取り扱うようになれば、これがまた一つのプラスになり、またマイナスを探して発展するのです。これと同じように統一教会も、二つに分かれているのです。分かりますか? 個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に分かれたのですが、アベルが何をしなければならないかというと、サタン側に対してマイナスの立場にならなければなりません。これがプラスですが、プラス型だけであれば、世界統一は成されないのです。ゆえにアベルがマイナスになり、プラスであるカインを吸収し、新しいアベル側より大きなプラスをつくろうというのです。

 それゆえに、伝道をしなければならないというのです。分かりますか。伝道をして、より大きなプラスをつくらなければなりません。このようにプラスをつくって、家庭を成すのです。カインを復帰したアベルは、家庭の祝福を受けるのです。そうでしょう。家庭的アベル圏を中心にして、家庭的カインを吸収し、二つが一つになって、より大きなプラスになって、氏族的中心になるのです。(五六―二〇九)

 上中下関係に、上下があるでしょう。上下を通じなければなりません。三段階ではないですか。左右を通じなければなりません。前後、左右、上下があるのが、天地の道理だというのです。先生を通じて、皆さんがあるのは、後孫のためにあるのではないですか。それゆえに伝道をしなければなりません。他のためでなければならないのです。これが天理です。そうでしょう? 左右のためでなければならないのです。父母は左右になるのです。兄弟があり、国があるでしょう。これが前後だというのです。ですから「ために」生きなければならないのです。(六八―一〇四)

 皆さんが春を迎えるのに、伝道するのが何ですか、伝道して何をしようというのですか? 夏の日を迎えようというのです。より良い日において、枝を伸ばすようにし、葉を伸ばすようにして、花が咲き、実を結ぶようにしよう。これなのです。では統一教会はどうですか? 「アイゴー、私は三年間伝道したから、今は家に帰って静かにしていてもいいだろう」そう言ったなら、どうなりますか? それが実を結んでも、その実を越えることのできる生命の余力をもたなければ、北風寒雪が吹くようになるとき、乾いてしなびてしまうというのです。(一九六八・三・一)

3 伝道する目的

 伝道は第二の私をつくるためです。(一八―一八六)

 旧約時代は、物質の祭物時代です。そうですか、そうではないですか? (そうです)。その次に、新約時代は何ですか? 息子の祭物時代です。実際に、イエス様がそうだったでしょう? 新約時代のイエス様がそうだったでしょう? この時は、祭物を体でささげるのです。体は、神様が願う最高の祭物です。それが経済復帰です。ファンダレイジングです。ファンダレイジングをするのです。世の中の人が、一般の人についてこれず、世間のキリスト教徒がついてこれないほどして、その次には息子として立てられたので、み言をもって、神様の代わりに愛さなければなりません。伝道しなければなりません。イエス様の使命を成さなければならないでしょう。(九五―二九四)

 伝道とは何か。息子の位置に立って、すなわち、言うなれば新約時代を蕩減するのです。サタンに勝たなければならないのです。サタンに勝たなければならないのです。(一一九―四九)

 伝道に出る目的とは何ですか? イエス様以上に優れることです。イエス様以上に優れなければ、祝福は受けられないのです。そうでしょう? イエス様より優れたならどのようになりますか? イエス様はゲッセマネの園に行って、生かしてくださいと三回も祈祷したのですが、私は死ぬようなところでも祈祷せず、死んでいくというのです。(笑われる) 私はしないのです。私は絶対にしないのです。死ぬなら死んだでしょう。そうすれば、イエス様より優れているのです。そのように行くのです。私が死ぬ場に行っても、私は祈祷しないのです。私が生きるために祈祷しないのです。分かりますか? (はい)。

 さあ、伝道する目的とは何ですか? イエス様より優れているので、イエス様の弟子のように、反対する弟子でなく、死ぬにも、一緒に死ねる弟子を私がつくるのです。死ぬ場に共に行かなければならないのです。その人が死のうとする時、その息子が死のうとする時、私がまず死ねる場に行かなければならないのです。

 すべての十字架は、私が責任をもち、村で石を投げられても、私がまず受けようとし、悪口を言われても、私がまず言われようとし、鞭打ちを受けても、私が先に受けようとしなければならないのです。分かりますか、何のことか。(はい)。伝道する目的とは何ですか? (イエス様より優れるため)。(九六―一二二)

 では、伝道はどのようにするのですか。それより一生懸命やれ! それより一生懸命せよというのです。物質を復帰するよりも、旧約時代を越えていくよりも、新約時代を越えて息子を復帰することは、それ以上一生懸命しなければなりません。それが原則です。それ以上一生懸命せよというのです。そうしなければ、原理に合わないというのです。

 そうしてこそ、新約時代を通過するのです。イエス様の代わりに、責任を完成するのです。アダムが万物を失い、人を失い、愛を失いました。この三つを失ったのです。ゆえにアダムの代わりになり、神様の息子、娘になるためには、万物を探して、人を探して、愛を探してこなければならないのです。そうしてこそ、復帰されるのです。それが原理です。それは、レバレンド・ムーンの言葉ではないのです。そうでしょう。分かりますか? (はい)。ゆえに、せざるを得ないのです。

 ですから、先生が、万物を探すため、お金をもうけるため、どれほど泣いて、歩き回りながら苦労をしたか分かりません。伝道をするために夜を明かし、どれほど涙を流したか分からないというのです。神様が願う家庭を探すため、どれほど十字架を背負って、迫害を受けたか分かりません。(九六―一五一)

 私たちが原理で伝道するのは、愛を探す運動をすることなのです。心情の世界は時空を超越します。み言も祈祷も、究極には愛のためのものです。完成は、愛の理想を成すことです。(三三―六九)

4 伝道の価値

 いくら時代的な一日の生活でも、伝道するその一日は、永遠と関係を結ぶのです。そのような秩序のころ合いの上に、私たちの一つ一つの行動というのは全体、あるいは永遠と関係を結んで、それがなくならず、残るというのです。

 それゆえに皆さんが、伝道するその一日の血と涙を流し苦労したすべてのことは、永遠と関係を結ぶのです。「秩序の土台の上に真を立て、永遠を約束する不変の価値」、その次には、皆さんが一人ずつ全部、三千里半島(注:韓半島)に出て伝道する時、その価値が初めて立てられることによって、どうなるのですか? 「高く立てられる真理の立て札」、このようになった真の基準が、このように人間が行かなければならないというその真の基準が、だんだん現れるというのです。

 個人的に現れ、家庭的に現れ、国家的に現れて、統一教会が進むこの真理の立て札、これが初めて人間が行かなければならない立て札となって、どのようになるというのですか? (ようようたる……)。「ようようたる善なる日を美しく飾れ」初めて恒久に継続される善なる日々、一日一日の生活を迎えるのです。(一五二―二一九)

 伝道すればうれしい。反面伝道しなければ喜びがこない。先生もこのことを成さなければ苦しいのです。伝道すれば、悪口を言われても、うれしい。(一九―二二)

 開拓伝道をするようになれば、生きておられる神様が、いつでも私たちの周囲で共に守ってくださっていることを体験できます。神様を背信し、反対の方向に行ってしまう場合には、その後の道は長くありません。(三五―一九三)

 神様が生きておられるということを体験するようになれば、「伝道するな」と言っても、必ず伝道するようになります。伝道することが、一番衝撃的であり、新しいことをつくってくれるからです。十人いれば、彼らに心から対したなら、十人が新しい人となるというのです。そうしてから教会に来て、祈祷してみろというのです。そうすれば、彼らが発展する時、必ず私自身も発展するようになっているというのです。私自身が上っていくのです。(三〇―一五四)

 霊界に行けば、誇ることは伝道しかないというのです。霊界では、お金をたくさんもうけたということは、誇る内容になりません。また、世間で権力をもったといって誇ることもできません。生命をどれほど生かしてあげたのか、これが誇りです。甲なら甲、乙なら乙、あるいは氏族を超越して、数多くの民族を新しい生命と関連させて、どれほど生かしてあげたのですか? これが財産です。財産はそれしかありません。

 霊界には、ないものがなく、慕わしい物もないけれど、一番慕わしいものがあるとすれば、真の人です。それゆえ、真の人を養育するために功をささげたその功臣は、天上世界で、当然、栄光の息子、娘になることができます。ゆえに誇ることは、それしかないというのです。(三〇―一四八)

 皆さんは、早く伝道して、あの下に行かなければなりません。常に走っていって、心のままに上って、心のままに下って……そうできる人をつくっておけというのです。ゆえに、私が下ったなら、しきりに押し上げてくれる人がいなければなりません。何のことか分かりますか? 皆さん、先生に困ったこと、難しいことがあれば、皆さんみんな、先生の代わりに行こうとするでしょう? 先生に難しいことをさせようと考えますか? 同じ道理です。ゆえに、そういう基盤をつくらなければならないのです。(一〇四―一八四)












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