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第四節 蕩減復帰と公式路程

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一 歴史的蕩減復帰路程と私たち

1 歴史的蕩減復帰路程

 歴史は縦的な歴史を横的に蕩減復帰するものであることを皆さんは知っています。旧約時代、新約時代、成約時代と移ってきたのです。旧約時代は物を祭物としてささげる時代、新約時代は体を祭物として、すなわち実体を祭物としてささげる時代、成約時代は心を祭物としてささげる時代です。

 なぜこのようになるのでしょうか? 天地創造の法度に従ったからです。人が堕落したので、落ちたそのものは土の塊にも及ばないのですが、これに水を塗り油を注いで再び造って、再創造の役事をするのです。神様は、人を一人造るために万物を造り、その次に人の体を造り、神様の心情を吹き入れたのです。こうして人間は総合体になったのです。宇宙の総合体になっているのです。原理でいっているとおり小宇宙だというのです。神様の性相的実体であり、形状的実体だというのです。皆さんが習ったことはすべて、このような意味なのです。

 ですから、私たちが蕩減復帰するためには、どのようにしなければならないのでしょうか? まずは万物を復帰しなければなりません。人間が堕落して、神様のものだった万物が、サタンのものになってしまったので、神様のものとして取り扱われなければならないのですが、そうしようとすればここで再び造り直されなければなりません。造り直すのですが、何をもって造るのでしょうか? み言でもって創造したのですから……。それは理想、構想をいうのです。原理原則を中心としてみ言を実現させるためにつくったので、そのような業をするのです。それゆえ、旧約時代はみ言をもって信じる時代であり、その次には、み言をもって実践する時代であり、その次はみ言を中心として生活する時代なのです。生活時代に入っていくのです。天国は、これがすべて一致しなければなりません。信仰の時代、実践の時代、生活の時代、このように発展するのです。これは何なのですか? 一人が堕落したために……。本来はアダムとエバが一挙に……。(黒板に書かれながら話される)物質圏、その次は体の圏、心の圏、その次には霊の圏。統一教会では、これを生命視するのです。

 このようにして、これをすべて成せば創造するので、物質は体と一つになり、体は心と一つとなり、心は霊と一つになります。(黒板に書かれながら語られる)これが蘇生(体)、長成(心)、完成(霊)圏だというのです。同様なのです。ですから、一度にもっているのです。七日間で成就するはずだったのです。ところが、それが七千年歴史を経て展開されながら三段階に分かれて発展してきたのです。

 ですから旧約時代には、神様に帰っていくために蕩減条件として血を流さなければならなかったのです。必ず血を流さなければならなかったのです。なぜですか? サタンの血を受けたからです。サタンの血を抜かなければならないからです。それで、祭物は必ず、血を流す業が展開されたのです。

 旧約時代は動物を中心とした祭物時代であり、その次の新約時代はイエス様を中心とした体、すなわち息子の祭物時代です。これは、信仰がなくてこのようになったのです。その次は成約時代ですが、この時代は心の祭物時代です。心情問題を中心とする祭物時代なのです。

ですから、皆さんが統一教会に入ってきて、心の苦労をたくさんするのです。このように復帰はなされていくのです。(七四―三一八)

 物質をもって祭物をささげるのが旧約時代を蕩減する道であり、肉身をもって犠牲にするのが新約時代を蕩減させるのであり、心情をもって涙でみ旨を奉っていくのが成約時代を復帰することなのです。

 @旧約時代は信仰基台を蕩減復帰する時代として、象徴献祭を通して万物を復帰する。

 A新約時代は実体基台蕩減復帰時代として、実体献祭を通して人間の肉身を復帰する。

 B成約時代は心情基台復帰時代として、心情献祭を通して人間の心情(心)を復帰する。

 さあ、これは何ですか? これを蕩減復帰した時、この世の終わりの日にはどうなるのですか? 終わりの日には、これがすべて分立された立場で蕩減するのではありません。これは時代上には横的に現れるのです。これは(黒板に書かれながら語られる)旧約時代でしょう? この時代は万物時代なのです。物質時代です。私たちは私自体が、神様の前に再創造されたということのできる位置に行かなければなりません。神様の前に、すべて一度に統一されなければならないのです。これが何かといえば、私たち人間の所有権です。その次には、私の体です。その次には心です。このようなことが一遍に……。これがいつも失敗したのです。すべて失敗して上がってきたのですから、この時代に来て一度に統一して勝利しなければならないのです。何に失敗したのですか? 神様に失敗したのでなくサタンに失敗したのです。人間がサタンに失敗したのですから、結果的に神様が失敗したのです。

 それではここで、人がサタンに勝利することにより誰が勝利しますか? 結局神様が勝利するのです。それゆえ、勝利は誰がするのかといえば、神様がするのではないのです。人がするのです。人がするには、どのようにしなければならないのでしょうか。原理原則に一致するようにしなければなりません。(七四―三二〇)

2 八段階蕩減復帰路程

 今まで六千年の歴史は個人から家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に拡大してきた歴史なのです。統一教会では個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰、天宙復帰、神様の愛復帰、この八段階を経るのです。

 祈祷をする時は、この八段階を中心としてするでしょう? お父様、個人復帰を完成し家庭復帰を完成し……。それが、個人復帰完成は家庭の中にあり、家庭復帰完成は氏族の中にあり、氏族復帰の完成は民族の中にあり、民族復帰完成は国家の中にあり、国家復帰の完成は世界の中にあり、世界復帰の完成は天宙の中にあり、天宙復帰の完成は神様の愛の中にあるのです。すべて、神様の愛を中心として、天宙的に一つになろうというのです。

 それで、統一教会は心情歴史観を中心として天宙主義を叫ぶのです。そのような統一教会の信徒は、でくの坊ではないのです。ある人は「きょう生活するのでさえ大変なのに天宙主義? ふん、きょう死ぬとも生きるとも分からないのに永遠無窮な理想主義? この狂った野郎ども」と言うかもしれません。狂っていると思えば狂っているのです。(六一―七五)

 それでは、その段階はどれほど大きいのでしょうか? 段階がどれだけ多いのでしょうか? 個人的段階を皆さんはパスしなければなりません。また、個人のパスだけでは駄目なのです。その試験というものは、平安で、よく寝てよく食べて、休みながら受けられるものですか? 試験は必ずパスしなければなりません。それをなぜパスしなければならないのですか? そうすることによって一段階を……。夜、昼が交差するのです。変わっていくのです。夜の時代から昼の時代へと行くことができるのです。春から夏に行くことができるのです。そのようになっているのです。発展することができるのです。一つのけじめをつけるためには必ず試験があるのと同様に、私たちの復帰路程も、そのような八段階が残っているというのです。個人蕩減路程、家庭蕩減路程、氏族蕩減路程、民族蕩減路程、国家蕩減路程、世界蕩減路程、天宙蕩減路程、その次は何ですか? 神様まで八段階なのです。これを過程で見れば七段階になります。ここまで、これは堕落人間が行かなければならない運命になっているのです。これは永遠をかけて行かなければならないのです。

 私個人は、どんなことをしても家庭基準まで連結しなければなりません。これを連結するためには、これをもっと愛さなければなりません。これを愛して、ここに一致するために集中攻勢を取らなければなりません。自分を主張してはいけないのです。(一二五―二五〇)

 今日、統一教会の原理は何をするのですか? ただ一つの道ですが、その道が原理の道だといって、そのまま入っていくことはできません。八段階を経ていかなければならない運命の道になっているのです。分かりましたか? 個人・家庭・氏族・民族・国家・世界・天宙・神様までの八段階です。八数は再出発の数ですから、その次には再出発はないというのです。分かりましたか? (はい)。(一三五―三〇四)

 神様の愛をもつならば、何も必要ないのです。欲心も必要ないのです。その愛の中にすべてあるのです。何の話か分かりますか? (はい)。私たちがすることは責任分担です。責任分担によって蕩減復帰という言葉が成立するのだということを確実に知らなければなりません。

 蕩減するには、個人的な蕩減、家庭的な蕩減、氏族的な蕩減、民族的な蕩減、国家的な蕩減、世界的な蕩減、天宙的な蕩減、その次には神様にまでの八段階なのです。段階で見れば七段階でしょう? 私が今、何の話をしましたか? 何が八段階ですか? (個人完成、その次は家庭完成、その次は氏族完成……。八段階を経ていかなければなりません)。経ていくにおいて、それは何ですか? 何のゆえにこれを経るのですか? 聞いたならば答えなければならないでしょう? (神様の立場に行けば、神様がすべてのことの主管者になるのですが……)。簡単なのです。蕩減復帰のために話したのです。今まで何を話しましたか? 少し、居眠りをしたのですね? このように、少し恥をかかせれば、目がひっくり返って聞くのです。何のために八段階を経るのですか? 私が教えてあげたではないですか? 何のために八段階を経るのですか? 蕩減復帰のためにです。分かりましたか? (はい)。蕩減復帰のために八段階を経ていくのです。

 皆さんは、いつこのような八段階を経ましたか? (いいえ)。「その八段階はレバレンド・ムーンがつくり出したでしょう? 私には蕩減は必要ない」、そう思うかもしれないですが、人間の責任分担が事実ならば、人間の責任分担によってこのような形態の過程があるのです。堕落しなかったとするならば、二十一年の間に一度に自動的に越えてくるのですが、このように垣がふさがっているので一つずつ処理しなければなりません。サタンがまとめているので一度には処理できないのです。ですから、一つ一つ処理し代置させていく作業をしないわけにはいかないのです。(黒板に書かれながら語られる)そのようにすれば、サタンはいないのです。蕩減条件はないのです。堕落したのでサタンが生じたし、蕩減条件が生じたのです。その蕩減条件は人間の責任分担があるので、不可避的な過程なのです。

 それで、個人蕩減路程を皆さんは知っていましたか、知りませんでしたか? 個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様へと帰っていくのです。帰るのですが、それがどのように行くのですか? 上がっていく時も、これが伸びて上がって八段階まで上がろうとすれば、どのように行かなければならないのですか? 上がることはできません。どこでこの中心の幹を探してくるのかといえば、横に出ていき個人勝利をしなければならないのですが、心を中心として横に上がりカインと戦って勝たなければなりません。そうすればこそ、上がっていくのです。なぜですか? 私にはサタンが付いているから、そうだというのです。これを知らなければなりません。何の話か分かりましたね? (はい)。

 堕落しなかったならば、個人・家庭・氏族・民族・国家・世界まですべてが、私個人を中心として、家庭も、氏族も、全部が一つの中心として神様まで一つの軸になるのです。しかし、堕落したことにより、この全体、軸がねじれているのです。堕落して、人々の角度がすべて違っているので、軸がねじれているのです。それで、ねじれている軸に乗って、サタンが私を操縦するのです。

 そういうわけですから、ねじれた軸をたどり正しく立て直してから、上がらなければなりません。連続はないのです。氏族復帰だというようになれば、家庭を中心とした勝利的基盤をつくってから氏族圏内に出て戦って、氏族が反対する所を中心として自然屈伏させればよいのです。そのようにして、ずーっときて、こっちから回って入ってきて上がるようになっているのです。何の話か分かりますか? (はい)。

 堕落しなかったならば、一遍に、二十代ですべて上がるはずだったのですが、二千年かかって行くというのです。アブラハムからイエス様まで二千年、イエス様以後二千年かかって来たというのです。それを知らなければなりません。そのままでは、上がることができないというのです。そのままただで上がることができればどれほど良いでしょうか? 堕落がなかったならば、そのまま一遍に上がるのです。個人完成が家庭完成になるのであり、家庭完成が氏族完成になり……。その時は氏族というものはなかったのです。自然に広がっていくようになっていたのです。ところが堕落したのちには、個人からして、家庭・氏族・民族・国家・世界までが引っかかっているのです。サタンの王国ができているからです。サタンの王権、天宙世界ができているからです。この世界をどのように復帰するのですか? 個人を中心として、ここに別々に植えるのです。反対になって引っ張っていかなければならないのです。脱出しなければならないのです。それで仏教のような宗教は出家をするのです。お母さん、お父さんを愛しては駄目で、お兄さん、お姉さんを愛しても駄目なのです。「その母や父を私よりも愛する者は、私の弟子になれない」という聖書のみ言は逆説的な論理であるけれど、それは天の道を探していく順理的論理として受け入れなければなりません。分かりましたか? (はい)。

 そのため先生は、この世、この天地の間にこのような蕩減法を知って、個人から愛に焦点を合わせて、家庭的愛、氏族的愛、民族的愛、国家的愛の焦点を合わせてやってきたのです。そのようにして見るとき、そのつど、サタンがこれを撃破しようとして全力を尽くしてくるのです。それで宗教は迫害の道を行くのです。涙と血を流さなければならないのです。てっぺんに上ってはいけないのです。陰にめり込まなければなりません。そこが安全地帯なのです。サタンは傲慢なので、困難な所を嫌うのです。ですから、一番悲惨な所が安全地帯なのです。

 僕の僕から、これも八段階でしょう? 僕の僕から、僕から、その次は何ですか? 養子から、庶子から、その次は直系の子女から、その次はお母さんから、お父さんから、神様まで八段階です。同様だというのです。八段階が残っているというのです。はっきりと知らなければなりません。統一教会の責任者になる前にその国の僕にならなければなりません。そうでなければ解放の道がありません。僕の僕を通過してから養子の扱いを受けなければなりません。庶子の扱いを受けなければなりません。そして、直系の子女として……。

 統一教会が今までどれほど、さげすまれてきましたか? こうして行って、上がるのです。この段階に上がる時には必ず蕩減がなければなりません。それでは蕩減の道を行きましたか、行きませんでしたか? 個人の蕩減の道を行きましたか、行きませんでしたか? 分からないでしょう? サタンと決闘して神様の公判による勝敗の決定を受けましたか? しましたか、しませんでしたか? できなかったならば、家庭はすべて蕩減路程を行くことはできません。家庭蕩減路程を行くことができずに、氏族蕩減路程を行くことができますか? 到底、望めないことなのです。氏族蕩減路程を行くことができずに民族蕩減路程を行くことができ、民族蕩減路程を行くことができずに国家蕩減路程を行くことができ、国家蕩減路程を行くことができずに世界蕩減路程を行くことができ、世界蕩減路程を行くことができずに天宙蕩減路程を行くことができますか? はっきりと知らなければなりません。

 統一教会でいう蕩減法は真理ですが、その真理を実践しなければならないのに、皆さんはいつ神様を中心としてその深刻な時代にサタンと激闘してサタンを打ち破り、神様を迎えたのかというのです。ただの戦いではありません、自然屈伏をしなければなりません。

 歴史始まって以来、神様をどの先祖よりも愛し、歴史時代に数多い民族がサタンのために忠誠を尽くしたすべての忠誠を合わせた以上の心をもって、神様の前に忠誠を尽くさなければならないという、こういう道理が残っていることを知らなければなりません。それをはっきりと知らなければならないというのです。蕩減しなければいけないというのです。

 蕩減復帰、蕩減がなぜ必要ですか? 蕩減をしなければ、サタンを屈伏させる道理がないのです。本来、神様の愛の焦点が個人であったとしたら、そこにはサタンがいますか、いませんか? 原理的に見てサタンがいますか、いませんか? (一九八八・一〇・三)

 歴史始まって以来、数多くの苦難の道がありましたが、先生が歩いてきたこの八段階の苦難の道というものは、歴史時代にサタン世界とか神様の歴史になかった道だという事実を知らなければなりません。そのような難しさのために「神様! 私はこの位置を忍耐することができません」と言って、涙を流してはいけない蕩減の道であったことをよく知らなければなりません。天国に行く者においては、涙を流しながら、涙をぬぐいながら、その道を行ってはいけないのです。涙を流すところを喜びで行くことができる基盤ができなければ、天国の足場が地上世界に残らないという天理原則があるというのです。

 そのためにすべてが、僕の僕の王の位置の苦難の道、僕の王の位置の苦難の道、養子の王の位置の苦難の道、庶子の王の位置の苦難の道、息子の王の位置の苦難の道、お母さんの王の位置の苦難の道、その次にはお父さんの王の位置の苦難の道を、すべて行かなければならないのです。自分が苦労する道のゆえに涙を流すのではなく、人類にすがって人類の解放のために涙を流さなければならないというのです。これを解放しなければならないというのです。人類のために悔い改めをしなければならないのです。

 神様の前に、神様は私をこの世の誰よりも失うことのできない代表者として知っているのですが、私も「この養子たちや悲惨な奴隷の子供たちをほうっておくわけにはいかないので、私と引き換えにしても彼らを救ってあげなければならない」という行動をしたというのです。そうするたびごとに、神様はサタンに対し、「このレバレンド・ムーンの話を聞いてあげなければならないのか、聞いてあげなくてもいいのか?」と尋ねてみれば、サタンは「聞いてあげなければなりません」と答えざるを得ないというのです。「あのような悲惨な位置でも、神様を愛し人類を愛することにおいて私が及ぶことのできない所にいるので、彼のような人に反対することのできる天理原則はありません。それで反対する何ものもございません。彼が行く道は解放圏です」と、こう言うのです。

 私は四十カ国に聖地を選び定めながら、富裕な国、悲惨な国、それは僕のような国を訪ね回りながら悲惨な人に会う時、「あなたたちが行く以上の所も行ってきた私が、あなたたちの所に来て祈祷するのだから、私が祈祷することが、あなたたちが生きていくことのできる盾になることであろう。生命の道に導くことのできる道が、この土地から天の国へと導くことができる」と、自信をもって彼らを慰労することのできる心をもったというのです。それが復帰の道です。この場において栄光の中から出発できるはずだったのが、受難の道、苦痛の道から始まったのです。

 このような内容があったとしても、今、歴史時代にこのようなことをすべて成し遂げておいて話すから、みんな信じるのであって、四十年前に誰が信じますか? そのような話をするようになれば、どれほど狂人扱いされたことでしょうか? 「おい、気の狂ったやつ、精神病になった。何、天地が動いて、世界を料理して、悪世界をひっくり返し善なる世界につくり上げるだと?」と言いながら。どれほどあきれ返ることでしょうか? 私はその道を四十年の間歩いてきたのです。ですからここに集まったムーニーたちよ、皆さんが受難の道を避けて行こうと言うならば、それはどろぼうだというのです。

 これを縮小させて、蕩減のための期間は七年です。この段階も七です、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、段階は七つだというのです。七年の期間に……。これがホーム・チャーチ(Home Church:家庭教会)です。ホーム・チャーチ。

 ヤコブが行った道はイスラエル民族が行かなければならず、モーセが行った道はイスラエルの国が行かなければならず、イエスが行った道はキリスト教が行かなければならず、先生が行った道はムーニーが行かなければならないのです。それは原理でしょう? (はい)。ここに行って迫害を受けなければならないのです。迫害を受けなければいけません。迫害を受けなければならないというのです。私が父母の立場にいて、子供たちを苦痛の立場に立たせているのですから、私一代にすべての受難をふさいでおいて、歓迎される世界の舞台で蕩減する期間を制定してあげたのです。それがホーム・チャーチなのです。これからは、もう、ダンベリーののちには、迫害時代がすべて過ぎていったのです。

 ここに該当することが、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代、天の時代、これも八段階です。(黒板に書かれながら語られる)八段階だというのです。同様に復帰路程もそうだというのです。受難路程もそうですが、復帰路程もそうだというのです。個人から、家庭、氏族……。それで、皆さん、国が必要でしょう? 家庭が必要でしょう? これも同様なのです。同様の段階だというのです。すべて合わせて……。それでホーム・チャーチを中心として……。(一六一―一九五)

3 七年路程

 神様は七千年苦労して、キリスト教は七百年苦労をし、その次には私たち個人個人は七十年をかけていくのです。七十年間奉仕して生きていこうとするのですから、七十年奉仕してお嫁さんをもらえますか? 統一教会は七年です。神様は七千年、キリスト教は七百年、キリスト教を信じる者たちは七十年、今日、統一教会を信じる者たちは七年なのです。だんだんと短縮されてきているのです。七十年をもって天国に行き、完全に老いぼれているのに何をするのかというのです。その時になって結婚しようとしたら、結婚できますか? おばあさんではないですか? 子供を生むことができますか? (笑い) それで、統一教会は七年という期間ですから、地上に天国を築くことができるのだというのです。(九六―一一九)

 神様は七千年間苦労なさり、先生は七十年間苦労すればよいというのです。そして皆さんは七年間苦労すればよいのです。分かりましたか、何の話か。(はい)。神様は先生の何千倍も苦労をされ、皆さんよりも先生は何千倍、何百倍苦労したのです。そのように蕩減をし、そのように苦労をしたように見えますか? (はい)。(八〇―一一二)

 ゴルゴタを越えるにあたっては、イエス様のように死んで越えるのではなく、生きて越えなければなりません。そうして、縦的な歴史を横的に蕩減復帰しなければならないのです。六千年の歴史が、この七年路程に該当するのです。六千年を七年に蕩減するというのです。六千年に千年を合わせた七千年を七年間に蕩減するのです。これが公式なので、堕落人間は誰でも七年路程を経ていかなければならないのです。この期間を越えれば、どんなことであっても収拾が可能になっていくのです。そのため、霊妙な復興集団も七年ばかり過ぎれば、底が見えて荷物をまとめるというのです。その七年が縦的な歴史を横的に蕩減するためにかかる期間なのです。(二一―二一一)

 皆さん、七年路程とは僕の僕の立場から直系の立場までの段階を復帰する道です。それゆえ、七年路程の間にカインを愛するために僕の立場から入っていかなければなりません。そうであるので、私たちは部落ならば部落に出ていって伝道しなければならないのです。心情的に原理を中心として愛してみようというのです。誰かの血統を中心とした息子、娘としてではなく、天情に通ずることのできる、神様の心情的一致点を探して愛してみようというのです。また、生活的一致点と希望的一致点を探して愛してみようというのです。神様を中心として、心情の一致、行動の一致、希望の一致をもって、一度やってみようというのです。(三四―六〇)

 七年路程が何ですか? 何をしなければならないのでしょうか? 人間が堕落することにより、万物世界を堕落させました。それで、万物の嘆息圏が生まれたのです。人間世界の嘆息圏と万物世界の嘆息圏、二つの嘆息圏が生まれたのです。創造された被造世界においては、人間を中心として、すべての被造世界の環境的要件が成されます。言葉を換えていえば、人間が堕落することによって、万物が嘆息圏に存在するようになり、また、堕落した後孫たちを中心として、人間たちが嘆息圏に存在するようになったのです。

 そのため、万物が先に解放されなければなりません。神様は、創造する時、万物を先に造りました。その次に人間を造ったので、再創造の過程でもそうでなければなりません。復帰路程の蕩減路程、すなわち再創造路程を行かなければならないのです。復帰路程は再創造原理によって行かなければならないというのです。万物嘆息圏を解放しなければなりません。万物圏、その基盤の上に神様は人を造ったのです。そうではありませんか? 万物を通して人間を造りました。その時には堕落はなかったはずです。嘆息圏はないというのです。(一七二―四九)

 この世で万物条件をすべて探して神様の前にささげるのです。その期間は三年半です。七年間、七数を通して神様が万物を創造されたのですが、この万物を探し求めるためには三年半を要するのです。三年半の間、体と心をすべて尽くし、精誠を尽くさなければなりません。

 これが七年路程ですが、三年半を基準にして、二つに分けて行かなければなりません。三年を過ごして、息子、娘を中心として合わせて、家庭的に堕ちたものを復帰して、家庭的に天国に入っていかなければならないのです。三年半は家庭のために歩んでいく十字架の期間だったということを知らなければなりません。

 ところで、皆さんが一つ知っておかなければならないことは、本来これは十四年かからなければならないということです。ここに七年かかり、ここまで上がっていくのに七年かかり、すべて合わせて十四年です。また、ここに七年かかって二十一年かかるものを、七年ですべて終わらせるのです。(黒板に書かれながら説明される)分かりましたか、何の話か。統一教会の二十一年路程はこれなのです。それは誰がするのですか? 先生がするのです。分かりましたか、何の話か。(一三三―一六〇)

4 必ず公式を通過しなければならない

 科学が発達したのは、すべて公式によって、公式を適用して、その結果に従って発展したのです。今日の現代文明がその基盤の上にあるのです。それと同様に人間も、ある公式的な原則を適用することができる理想はないかということを考えざるを得ないというのです。結局、人格者は過去・現在・未来を通じることのできる、ある公式的な人物でなければなりません。(八七―一一)

 皆さん、数学とか物理の公式とか、定理というものが二つ存在することができますか? 二つですか、一つですか? 現代文明は科学文明とも言いますが、この科学的発達は公式発達と同様です。それは全部、原則的公式に実績が連結されて今日の現代文明が形成されたのです。それを知っていますか、何の話か。それは思いどおりに、自分勝手にできたものではないのです。すべて公式的過程を経て発展してきたのです。それゆえ、伝統を尊重し、過去の良い公式的原則があれば、それをそのまま残し、その上に生きて、また、それよりももっと貴く発展した公式を……。このようにして文化世界は発展してきたというのです。(九七―一一九)

 皆さんが教会長として、これから地方教会に行き伝道をするにあたって、しっかりと知らなければならないことは、一人を伝道するたびに必ずこの公式を経なければならないということです。必ずこの公式を経るというのです。(四七―二九三)

 数学の公式を解くのに、年取った人であろうが王様であろうが、もう誰であろうが同じだというのです。それが原理です。堕落した人間たちが天国を探していくためには、統一教会のこの原則を外れては絶対に行くことができないのです。朴長老の伝道館にしても何にしても、あの人たちは全部おかしくなった人たちです。朴長老が私から学んだ教理をもって、人々を食いものにしたのです。三分の二も。背信者たちですよ。私がソウルに伝道のために送ったおばあさん弟子が、背信者になって……。ですから、末路がよくないのです。(一二七―六五)















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