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二 責任分担と蕩減

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1 蕩減と復帰

 今日、統一教会の信徒たちは蕩減の道を好まないのです。それは何かといえば、復帰を好まないということです。「あーっ、私は復帰することは好きだが、蕩減は嫌だ」などという話はないのです。(笑い) それでは、どちらが先なのですか? 復帰が先ですか、蕩減が先ですか? (蕩減)。それはまた、どうして蕩減だというのですか? そうだけれど、皆さんが好むものは何ですか? (笑い) 皆さんが好むものを率直に話しましょう。(復帰)。皆さんは、復帰は好きだけれど蕩減は嫌がるというのです。神様の側から見てみればどうですか? 反対です。皆さんはどちらの側ですか? 神様の側ですか、サタンの側ですか? (神様の側です)。これを確実に知らなければなりません。皆さんは復帰を好むというのです。しかし、神様の側では復帰を好むことができないのです。蕩減をしたのち、通したのちに復帰を……。

 それでは、復帰を好む側はどっちの側だというのですか? サタン側だというのです。そして、蕩減を嫌う側はどちらの側ですか? (サタン側)。サタンの側です。そして、蕩減を好む側はどちらの側だといいますか? (神様の側)。これで分かったのです。この統一教会も、その側なのです。それを知らなかったでしょう? これで分かりましたね。それでは、自分自身を静かに反省してごらんなさい。私は神様の側ですか、サタンの側ですか? それは、皆さんがよく知っていることです。皆さん自身に問いかけてみなさい。○(マル)が天の側で、×がサタンの側です。どういうのが天の側だというのですか? (マル)。答えた人は一人しかいなくて、全員黙っていて……。これを知らなければなりません。今まで皆さんはみ旨に従ってきましたが、復帰を好むことがサタンの側で、蕩減を好むのが神様の側だということを確実に分かれば、これからはどちらの道を行きますか? (蕩減の道です)。(一一六―一二七)

 アダムの堕落はどのようにして起こったのですか? 不信から堕落したというのです。不信が一番の原因です。その次は何かといえば、自己主張から堕落したというのです。自己主張、自分を中心とすることだというのです。自分を中心とする立場から堕落したのです。その次には、自分を中心とする愛の圏を要求したということです。これが堕落の三大要素です。不信、その次は? 自己主張、自分を中心とすること、その次には自分中心の愛の圏を夢見てきたということ、これがサタンの足場だというのです。堕落した天使がこのようになったというのです。

 それでは、これを蕩減復帰しようとすれば、これを否定しようとすれば、どのようにしなければならないのですか? 反対にしなければならないのです。絶対信仰! それで、絶対信仰が出てくるのです。私の人類の先祖が不信によって堕落したので、これを踏んで上がっていかなければならないのです。私たちの祖先が堕落したその線以上に上がっていかなければなりません。絶対信仰をしなければならないのです。絶対信仰とは何をいうのですか? 死ぬまで、死んだあとも、死にながらも行こうとするのです。皆さんは絶対信仰を知らないでしょう? 絶対信仰の限界がどこかというのです……。それを、私たちの実感的な生命体をもった私自身と比較していえば、死にながらも行くというのです。死にながらも、その道を行くというのです。死にながらもその道を行こうとするのです。私は死ぬ時に横に倒れるのではなく、前に倒れるというのです。そのような意味で、私の信仰を否定するのであれば、死の道を選ぶのです。

 二つ目は何ですか? 自己否定です。一〇〇パーセントこの目を否定しなければなりません。自己否定です。私の見たい目、私の食べたい口! 三十歳まで腹が満たされた日がなかったのです。私がこれを知っていても、私自身を否定するのだというのです。

 三つ目は何ですか? 絶対の愛です。絶対の愛はこれです。怨讐を消化すればこそ……。仇を討つことは許されないのです。怨讐自体が全力を尽くして、自分の国と自分のすべての権限、長子権までもすべて引き渡さなければならないのです。譲り渡さなければならないのです。(一二六―三五)

 蕩減という言葉を知ってみれば、誰もが一番好むようになるのです。蕩減がなければ福もないのです。

 統一教会の無限な黄金の塊とは何かといえば、蕩減です。死を冒して、すべてのことを犠牲にしてすべての困難を克服する、驚くべき言葉です。(一九七八・二・二六)

 復帰歴史とは説明してあげてやるものではありません。なして、勝利して、収拾するようになっているのです。説明してあげてから行くのであれば、聖書は新約・旧約六十六巻必要ないのです。十ページあればすべて記録できるのです。分かりますか? 六十六巻もどうして必要ですか? 馬鹿らしいのです。十ページも必要ないのです。三ページあれば全部記録できるのです。(六二―一二六)。

2 責任分担

 人間の責任分担がなければ、どうなったでしょうか? 人間の責任分担は何ゆえに与えたのですか? (……)。講義する人間がこれも知らないのですか? 人間の責任分担をどうして定めたのですか? (地上にお父様のみ旨を実現するために)。それは創造目的に対することでしょう? 本来、人間の責任分担をなぜ与えたのですか? 創造偉業に加担させるためであり、その次には何だといいますか? (万物を主管するために)。その次には? (創造性を似せるようにし、万物を主管することのできる資格を与えるためにです)。その次は? (原理の絶対性と完全無欠性のために)。この三つの内容です。

 皆さんは神様の創造偉業に加担しなければならないのです。本来、堕落しなかったとしても、そのような責任はあるのです。堕落して人間の責任分担が設定されたのではなく、堕落しなくても、人間の責任分担を背負っているというのです。人として完成できる神様の九五パーセントの創造理想的形態をすべて持ち合わせたといっても、自分の五パーセントの責任を完遂しなければならないのです。人間自体の完成を神様だけがさせるのではなく、自分がそこに付け加えて完成しなければならない責任があるというのです。堕落しなかったとしてもです。

 また、原理の絶対性というものがあります。原理というものは許すことができないものです。どうしても行かなければならないのです。死んでも行かなければならないというのです。永遠をかけて行かなければなりません。神様自身がこれを思いどおりにできるのであれば、神様が今まで復帰摂理の路程で受難の道を行く必要もなかったというのです。それをそのように制定しておいたので、責任分担的限界線があるので、神様は、その鼻に引っかかって今まで人間を復帰するための数多くの受難の道を歩いてきたのです。その責任というものは神様にだけあるものではないということを知らなければなりません。人間と共同的に責任を負っているというのです。堕落しなくても、そうだというのです。そのようになっていませんか?

 このように見るときに、今日、堕落人間はどのようになっていますか? 堕落した人間は人間の責任分担だけではないのです。創造全体の九七パーセントをすべて蹂躙してしまったのです。そのために再創造しなければならないのですが、再創造とは何ですか? 責任分担の限界線に行くことができる、限界線に立つことができる、そういうものではないのです。創造過程全部が崩れたのです。それゆえに、それがどれほど難しいかというのです。それゆえ、人間が九七パーセントに該当する責任を果たさなければ、責任分担を完成することのできる道が永遠にないというのです。再創造しなければなりません。そのため、復帰摂理というものは再創造歴史なのですが、再創造がなぜ必ず必要なのですか? 人間の責任分担のゆえにです。人間の責任分担をして、その位置まで出ていくためにも、必ず再創造の過程を経なければなりません。再創造の過程を経ようとすれば、どのようにしなければならないかといえば、必ず蕩減しなければなりません。蕩減条件を立てなければなりません。受難の道を行かなければならないというのです。

 神様は今まで人間の責任分担圏以上の位置で人間世界に対しているのです。しかし、それ以下に落ちた人間は、どうにかして橋をかけて上がっていかなければなりません。その圏内にすべての人類が引っかかっているのです。すべての世界が引っかかっており、歴史が引っかかっており、過去に霊界に行った人、現在のこの世界人類、今後現れる後孫全体が、この運命圏を逃れることができないでいるのです。これが怨恨の堕落圏です。

 そうですから、再創造していくのにどのようにしなければならないのですか? 必ず闘争過程を経なければなりません。誰とですか? サタンとです。このすべてのものは何ですか? すなわち、再創造過程に必要な圏は誰が支配しているのですか? サタンが支配しているのです。九七パーセントの圏をサタンが支配しており、九七パーセント圏以上から神様が支配するのです。そのように見なければならないのです。(一一五―六六)

 責任分担にも個人的責任分担圏があり、家庭的責任分担圏、氏族的責任分担圏、民族的責任分担圏、国家的責任分担圏、世界的責任分担圏、宇宙的責任分担圏、天宙的責任分担圏があるのです。なぜですか? 堕落した世界ではないかというのです。堕落した世界だから、その門がないのです。その門は責任分担を中心とした愛の圏でなければならないのです。個人から反対して、家庭、氏族もこれに反対するのです。そして、民族も……。(一六二―九二)

 人間の責任分担を完成したのちには何が成し遂げられるのですか? その話は何かといえば、人間の責任完成と共に神様の直接主管圏内に入っていくのだというのです(黒板に書かれながら語られる)。これを知らなければなりません。原理がそのようになっているでしょう? (はい)。

 ところで、直接主管圏内に入っていけば、神様は何を中心として直接主管するのかというのです。お金を中心としてですか? 顔がいいことを中心としてですか? 何を中心として主管するのですか? (愛です)。当たりです。愛、愛なのです。その時にアダムとエバは神様の祝福を受けて、神様の愛の圏内に入っていくのです。アダムとエバが愛の圏内に入って、その愛の圏内で一致したのちに神様の愛を平面のこの世に代行することのできる時代が、地上天国基盤だということを知らなければなりません。(一二四―三〇六)

 神様の愛を中心として、完全な神様の愛が現れるようになる時、サタンが現れることはできないのです。それが責任分担の完成なのです。責任分担を完成していたならば、間接主管圏と直接主管圏において愛の因縁が結ばれるのです。そこで縦的愛と横的愛が連結されるのです。(一七三―二八六)

 今日、統一教会で人間の責任分担ということを見つけ出したという事実は、宇宙的な発見だということを知らなければなりません。原子爆弾を発明したこと、アインシュタインが相対性原理を発見したこととは比較にもなりません。それを知らなければ歴史のすべてのことを解決することができないのです。神様と人間との関係、歴史のすべてのことは雑多なものなのです。何も解決できないというのです。義を貫く人々が歴史時代において、なぜ犠牲になってきたのかというのです。過ぎ去ったのちに、なぜ、その人たちの名前が現れてくるのかというのです。このような問題は歴史学者も哲学者も解決する方法がないのです。

 皆さんが人間の責任分担というこの真理を知ったという事実は、偉大な所有をしたということです。ところで今、ムーニーたちは人間の責任分担を一番嫌がるのです。一番好まなければいけない人々がムーニーであるにもかかわらず、ムーニーたちは人間の責任分担を一番嫌がっているのです。どうですか? 好きですか? 嫌いですか? (好きです)。「皆さん、人間の責任分担を果たしなさい」と言ったのですが、果たしましたか? (果たすことができませんでした)。(一二四―三〇三)

 この宇宙のすべての矛盾した事実と歴史のすべての非運の曲折、このすべてが、今日、歴史上の責任分担ということを知らなかったために生じたものです。そのような事実を知らなければならないのです。責任分担がどれほど重要なことなのかを、皆さんは知らなければなりません。責任分担を皆さんは勝手に考えているのです。「責任分担は原理で教えているのであって、私とは関係がない。この世の中は自分の思いどおりに生きることができるのだ」、このように考えているというのです。

 そのように見るとき、レバレンド・ムーンが責任分担という言葉を発見したということは、偉大な発見だということを知らなければなりません。皆さんは、責任分担をどれほど重要なこととして理解しましたか? どれだけ重要なこととして理解したかというのです。この責任分担には宇宙が引っかかっているのです。神様も解放を受けられず、宇宙も解放されず、地獄の門もこのために解放されず、社会の矛盾するすべての不義の歴史が責任分担という垣根に、責任分担という塀に引っかかってあえいでいるというのです。(一二四―九四)

 さあ、これで責任分担ということが分かりましたか? (はい)。 そうです。皆さんは責任分担を一日に何回ほど考えてみましたか? 食事をする時に責任分担、はしを持つ時に責任分担、はしと茶わんを洗う時も責任分担、トイレに行き大便をしながら、小便をしながらも責任分担、歩きながらも責任分担を記憶せよというのです。アダムとエバは、責任分担ということを考えることができなかったので滅びたのです。皆さんも責任分担を行わないならば滅びます。分かりましたか? 私たちはアダム、エバのように責任を果たせず堕落した人間になってはならないのです。復帰して勝利した人間になるためには二十四時間、責任分担を尊重して考えなければなりません。

 さあ、今後、統一教会の信徒たちはあいさつをする時、この言葉を言わなければなりません。ヒューマン(human:人間)のHとレスポンスィビリティー(responsibility:責任)のRをもって、HRと言わなければなりません。「HR」と言うようになれば、「はっ(HR)!」と言うのですよ。「はっ(HR)!」。そのようにして歴史は、文化は創造されるというのです。すべての歴史の源泉だというのです。きょうここから「はっ(HR)!」とあいさつしたといって、「やい、この野郎! はっが何だ!」と言えば、「あなたたちは知らないでしょう。私の話をちょっと聞きなさい」と話をするのです。朝も「はっ!」、夕方も「はっ!」、こういうふうにやるのです。これが一番便利だというのです。(笑い)「はっ!」良いですか? (はい)。それは先生も好むし、神様も好むし、宇宙も好むというのです。分かりましたか? ですから、統一教会の皆さんは統一教会の責任分担を忘れてはならないのです。それが重要なことなのです。(一二四―一〇三)

3 内的蕩減条件と外的蕩減条件

 皆さんが復帰摂理の基盤を築いていくにあたって、統一教会を中心として見るとき、蕩減の路程を経て基盤を築くのであって、そのままでは基盤は築けないのです。

 それでは、蕩減という条件を何をもって立てるのですか。また、蕩減条件を立てて何をするのですか? これが確実ではないというのです。蕩減という言葉はありますが、その蕩減条件を立てて何をしようというのですか? 目的が不確実であったというのです。蕩減しようという目的は何ですか? 蕩減しようという目的が何かを確実に知らなければなりません。

 復帰路程において、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰、天宙復帰、神様の愛復帰まで八段階を経ていかなければならないのですが、そのまま一遍には……。アダムとエバが堕落していなかったならば、そのまま一遍に完成するわけですが、これが歴史時代に僕の僕まで落ちていってしまったので、一遍に上がっていくことができないでいるのです。

 それで、段階を開拓しながら継いでくるこの過程では、必ず蕩減条件が必要だったというのです。蕩減条件を立てることにより何が成されるのかといえば、サタンが分立されるのです。サタンのゆえに、蕩減条件が必要なのであって、サタンがいなければ蕩減条件は必要ないのです。それは分かりますか? (はい)。

 今まで、この歴史を誰が動かしてきましたか? サタンが動かしてきました。ですからサタンを分別しなければなりません。サタンを除去させなければ、神様は入ってくることができないのです。神様の領土ではないのです。サタンの領土であるがゆえに、堕落した圏内において蕩減条件を立ててサタンを分別させなければ、追放することのできる蕩減条件を立てなければ、神様の領域が拡大され、神様が活動することのできる基盤を築くことはできないのです。ですから、分別して追放してしまわなければならないのです。

 それでは、サタンが決定的に投入するようになったのは、何ゆえにですか? 一番目にアダムが堕落したことによるのであり、その次にはカインがアベルを殺したことによるのです。この二つの条件のために、縦的支配と横的支配を完全にサタンがするようになったというのです。霊界までもサタンが支配しているというのです。皆さんはこれを知らなければなりません。

 蕩減条件を立てようとすれば、アダム的な代身の存在、アベル的な代身の存在がなければなりません。これらが何を蕩減するのですか? アダム的代身の存在を通して蕩減復帰することは、アダムが堕落した縦的基盤です。このようにアダムの位置を復帰することのできる位置ができてからは、その次にカイン・アベルを蕩減復帰しなければなりません。カインがアベルを屈伏させたので、アベルがカインを屈伏させなければなりません。ところでアダム自身には直系の息子、娘がいないので、自身がこれを代身しなければならないのです。この二つの使命を果たさなければならないのです。(一六一―二〇四)

 サタンを縦横に分別するときに、内的蕩減条件と外的蕩減条件があります。外的蕩減条件は、カイン・アベル蕩減条件であり、内的蕩減条件は責任分担を中心としたアダム蕩減条件です。このようにして、迫害を受けるすべての環境のサタン支配圏を中心として、サタンの情的環境を完全に克服してそれを除去するようになった時、天の側が始まるのです。これが原則です。(一六一―二〇七)

 それでは、アダムがなぜ堕落したのかということが問題です。アダムの堕落は何かといえば、責任分担を完成できなかったことにより、神様との愛の関係が切れたことなのです。責任分担を連結させることができず、その次には神様の愛に連結させることができなかったのです。堕落することにより、責任分担の喪失と神様の愛の圏を喪失したのです。

 それでは、サタンをどのようにして分別させるのですか? 蕩減条件を立てることのできる立場に立った、アダムの代身的存在にならなければなりません。堕落したアダムではありません。また、堕落したアダムが愛を失ってサタン圏的愛をつくりました。そうですから、天国圏的愛をもったアダム代身存在の立場で、サタンと対決してサタンを分立しなければなりません。責任分担を完成した位置に立って、神様の愛の圏を占領しなければなりません。

 ところで、サタンは自分の責任分担未完成と、神様のサタン圏内の愛の基盤を中心として、この世界を全部占領した局面になっているのです。そのために、本然の基準において神様を中心とした責任分担を完成した資格者になったアダムの立場で、結果主管圏と直接主管圏において、愛を中心としてサタンと対決し、サタン側に対している人々よりも、より天の側寄りであり、サタン的愛に接するよりも、天の側でより愛したという条件を立てることによって、分別が起こってくるのです。ここで蕩減条件が成立するのだということを知らなければなりません。

 しかし、サタンは自分が環境を支配しているので、あらゆる謀略、中傷を、あらゆる手段をすべて使ってでも、これを切ってしまおうとするのです。けれども、その環境を克服して、どんな業があろうとも神様を身代わりしてアダムが喪失した責任分担を探すならば間違いありません。永遠なるものなのです。そして、神様を愛するということにおいて、絶対、誰が何と言っても間違いないということのできる基準を立てなければ蕩減は成されていかないのです。それは何の話か分かりますか? (はい)。

 それゆえに、アダムの立場で責任分担を絶対に完遂しなければなりません。どのような誘惑であれ何であれ、目的とするところに動揺があってはならないのです。神様に対する息子としての権威を築いて、サタン圏内の愛、すべての環境を支配する情的力でどんなに誘導し、また、どんな力をもって反対しても、神様を愛することにおいて不動でなければなりません。絶対的です。このように迫害を一度受け、二度受け、三度受ければ、三度以上はできないというのです。このようにしながら、すべて峠を越えなければなりません。反対を受けてからは必ず二つに分かれるのです。アベル側の世界を収拾することのできる業が起こってくるのですが、その環境に勝利してだけ蕩減条件を立て、その環境でサタン分別をすることができるのです。サタン分別をすることができないならば、それはそのままサタン世界です。

 蕩減条件は何を分別させるのですか? 責任分担を完遂して、その次に神様を愛するのです。サタンがどんなに迫害し攻撃しても、それを除去して、そこに動揺がなくなるようになる時、サタンが打っても打っても、それが退かなければ、その時はサタンが退かなければならないのです。このようにして、サタンを分別するのです。これが決定されなければ、カイン・アベルを蕩減する道はないのです。(一六一―二〇五)

 縦的な蕩減条件とは何ですか? なぜ立てなければなりませんか? 責任分担完成と、神様に対する絶対的な愛の復帰完成、この二つの条件です。こういう基準があるので、イエス様も、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)という言葉を語ったのです。この原則からそういう言葉が出たのです。こう見れば、聖書がすべて解けるのです。そうでしょう? 同じように、皆さんが先生をそういうふうに愛しますか? (はい)。はっきり分かりますか? 雑然として今まで生きてきたでしょう? 蕩減条件は言葉だけではないと壇上で話しましたが、それが現在どのように適用するのか分からない立場で今まで使っていました。先生がいたからそうなのであって、そうでなければみなばらばらに分かれてしまったのです。分かりましたか? この韓国の連中? (はい)。内的蕩減条件が何ですか? (責任分担完成と神様の愛……)。それで何をしようというのですか? サタン世界が迫害してみよ、というのです。打ってみよ、というのです。私が皆さんを占領するのです。何でですか? 愛の力で、神様の創造の能力で……。そうすれば神様が共にあるのです。ここには神様が共にあります。やってごらんなさい、共にあるかどうか。先生は監獄の中にあっても、どんな拷問を受ける場へ行っても、これを忘れないで闘ってきた人なのです。そうしてこそ分別されるのではありませんか?

 教会長! (はい)。これは理論的ですか、科学的ですか? 正しいのです。内的八段階、外的八段階というように、内的蕩減条件、外的蕩減条件を立てていくのです。それを知らなければなりません。よく分かりましたか? (はい)。

 外的蕩減条件をどうしなければならないのですか? アベル一人で送るのがいいですか、自分の家族全部に代わって、父母の立場にいる人が代わりに行って、二人が一つになって開拓するのがいいですか? (二人が一つになって……)。誰が先に行かなければなりませんか? アベルが先に行かなければなりませんか? 責任者が先に行かなければなりませんか? (責任者が……)。責任者が先に行かなければならないのです。ですからアメリカにも、責任者である私がまずここへ来たのです。統一教会を誰が開拓しましたか? 誰がしましたか? 先生が原理をもってしたのです。このとおりになってきたのです。(一六一―二一三)

4 責任分担と蕩減

 人間が責任分担を果たすことができなかったゆえに、蕩減復帰という怨恨の言葉が出てきたのだということを知らなければなりません。怨恨の言葉が。一番嫌いな怨恨の言葉が出てきたということを知らなければならないというのです。その蕩減復帰路程の時は、絶対に神様も後援はせず、本部も後援せず、一人でなさなければなりません。一人でしなければなりません。助けてあげるようになる時には蕩減にならないというのです。いけないというのです。どうしてですか? 人間の責任分担という原則があるので、その原則において助けてあげることは蕩減にならないというのです。それを助けてあげることができたならば、人間が堕落する時、神様が干渉して堕落しないようにするでしょう? 責任分担があるので、干渉することができなかったのです。人間の責任分担があるために。分かりましたか、何の話か。(はい)。

 レバレンド・ムーンがどんなにどう言っても、神様は愛しているけれども、人間の責任分担を果たす過程において蕩減条件を行う時には、神様は協助することができないのです。私自身がサタンに勝ち抜いていかなければならないのです。サタンとサタン世界に勝っていかなければならないのは、本来のアダムに許された理想圏であったのですが、その理想圏を私が凌駕しなければならないというのです。何の話か分かりますか? (はい)。

(一二四―三〇四)

 責任分担と蕩減は、一つは右側の立場であり、一つは左側の立場ですが、一つは右足のようであり、一つは左足のようですが、それを忘れてしまったのです。一つは左足で一つは右足なのに、ムーニーたちは責任分担も分からず蕩減も分からないのです。それで、どのようにして行こうというのですか? どのように行くのですか? こんなようでは行くことができないのです。責任分担と蕩減復帰を連結しておかなければ、前進は不可能だということを知らなければなりません。それを考えてみましたか? 蕩減は嫌でしょう? 女性たちは蕩減が嫌でしょう? 神様も摂理も嫌いでしょう? (違います)。

 きょうからは新しく、食事することを忘れたとしても、眠ることを忘れたとしても、自分が愛する人を考えることを忘れたとしても、これを忘れてはならないのだということを知らなければなりません。そのように深刻なことなのです。神様もこれを通じなければ行けないし、レバレンド・ムーンも生きてこれを通じなければ行けないし、すべての統一教会の信徒たちもこれを通じなければ行けないし、全世界もこれを通じなければ行けないというのです。通じないというのです。全員、そのまま通過したいでしょう? 博士や教授の立場を無償で手に入れることができますか? そのコースを通過して博士になればこそ、博士をやっていけるのでしょう? そのままで、やっていけますか? 通過しなければ、それは偽者です。これからは、分かったでしょう? (はい)。

(一二四―一〇五)













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