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第五節 草創期にあったこと ――錚々たる方々――

P974
一 お父様にあったこと

1 野牧(地名)修練会であったこと

 野牧修練会での話を一つします。貯水池に蓮があったのですが、とげがあって恐ろしい姿をしていました。その真っ青なとげに毒があり、ちょっと刺しても全部膿むのです。こういう所に、男性、女性を問わず全部入って魚捕りをするのですが、先生が先頭に立って全部引っ張って入りました。ところが、「やあ、あそこにどうやって入るのか。風邪を引いたらどうする」と言う人がいます。ですから、「お前の好きなようにしろ」と言いました。そう言った人を、今も記憶しています。名前は言いません。その人に野牧でのことが思い出されるかと尋ねると、「もう一度そういう時があればいい」と言います。

 しかし既に時は過ぎ去りました。もう十回でなく、百回やって蕩減すると言っても、本物にはなりません。本物は一つです。二つではありません。いくら気勢のいい人も、野牧修練会の話さえすれば、良心があって恥ずかしがります。良心は本当に良く、素晴らしいものです。恥ずかしいことをすべて知っているからです。その恥ずかしさが救いです。(三六―三六)

2 地方巡回時にあったこと

 今回の期間にずっと巡回したので、声も大いにかれました。行く先々で約三時間、四時間以上み言を語り、初めて会った食口たちと夜が更けるのも忘れて話をしたからです。

 一度はこういうことがありました。夜九時に三陟(江原道にある地名)に到着するようになっていたのに、途中で車が故障し、その日の夜が過ぎ、次の日の明け方の四時四十分に到着しました。ですから参席した食口たちがどれほど待ったでしょうか? とても疲れてしまったのです。明け方に集まりをもったのですが、東海岸なので警備が厳しく、長く話もできませんでした。一時間ほど話し、原州を経て春川に行き、きょうの朝皆さんに会うようになったのです。

 そういうことがある時、先生が何を考え、どういう祈祷をしたと思いますか? 今年は青年食口たちが、先生の命令を受けて伝道に出ているし、神様のみ旨を共同の使命として感じ、成し遂げるために苦労しています。事実は本当に難しいこともありました。そういうことをおもんぱかりながら、「皆さんの困難を身代わりするために祈祷するので、これを知ってほしい」という祈祷をしました。ですから外地へ出て、一晩も眠れませんでした。(一一―一七九)

3 先生の監獄の同僚

 私が統一教会を中心にして出会った人々は、全部難しい位置で育ててきました。一番難しい位置で育ててきました。それが貴いというのです。自分たちがパンのかけら一つでもおいしいものがあると、それを食べないで先生にあげようと包んできて待つことができる、こういう環境まで越えてこなければならないのです。涙をためて慰労できる、そういう場の因縁がなければなりません。そういう友達がいなければならないのです。

 皆さんも、牧師を中心にして一回そうやってみなさいというのです。自分の教会の教会員が千名いれば、その千名の教会員の中で、牧師のために最も忠誠を尽くし、最もよく侍る人の三倍せよというのです。それを研究せよというのです。先生はどの監獄でもそういう友達をもっていました。ですから監獄から出る時、自分の妻がいて、母がいて、親戚がいたけれど、あいさつだけして、その家庭に残っていないで私についてきたのです。私についてきたというのです。

4 道で出会った病にかかった人

 皆さんは人を選んで伝道してはなりません。できの悪い人に対しても、世界にないような同情をすることによって心情的に高い場に上るのです。私が今も忘れられないことが何かといえば、鷺梁津(ソウル市内の地名)駅へ行けば記憶が鮮やかです。私は黒石洞で暮らしたのですが、上道洞を越えた所に松がうっそうと茂り、その向こうに草花を育てる日本式の家がありました。そちらにずっと回っていくと田があって、その向こうに村があったのですが、そこに開拓伝道に通った家がありました。私が一度は会った人ですが、その道で病にかかっていました。その時が三月末ごろでした。新学期で開校し学費を持ってくる時でしたが、見るとその人は息子もいないかわいそうな人でした。天安に自分の娘の家があるといって、学費を全部はたいて、旅費と病気を治療することまですべてしてあげました。それを見れば、その人の先祖は悪い人ではありません。私はその時、その場を離れられませんでした。背を向けられないのです。(五六―三九)













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