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四 誇らしきその名前

P999
1 金元弼氏

 先生は北で女性三人(池承道、玉世賢、鄭達玉)と、男性一人(金元弼)を復帰(伝道)しました。こういう基台がなければ復帰摂理は成されません。(一九―二七三)

 皆さん、経理部長(金元弼氏)を知っているでしょう? 私が経理部長に会った時、その人は髪ぼうぼうの独身で十九歳でした。その後四年過ぎ二十三歳になったのですが、「何かやることでもありますか?」と言うので食堂のボーイもさせ、ありとあらゆることをさせました。もらった御飯も食べさせ、昼食の代わりにお焦げも食べさせました。だからといって、私が御飯のためにそうしたのではありません。こうしてありとあらゆることを味わってみたというのです。とても劇的で印象的で、おもしろかったのです。(二六―六八)

 私たちが釜山で避難生活をする時、元弼が絵を描く時、枠だ何だと線まで私が引いてあげたのです。私の意見がたくさん入ったのです。顔に鼻さえ描けば、服のようなものは私が塗ったのです。夜を一緒に明かしながらそうしたのです。十二時から始めて、一日の夕方には肖像画を四十枚まで描いたのです。分かりますか、どういうことか? (はい)

 それを全部描くには、線を整え、ラインをぴしっと引かないといけないのです。四十枚ずつ持ってくれば、ラインを引いて、ラインに従ってまねて描くのです。全部ラインを引いてあげるのです。一枚でいくらかといえば、三ドルでした。一枚で三ドル。帰国するアメリカ軍のキャンプへ行って……。帰国する時、奥さんに贈り物するものがありますか? 自分の奥さんの肖像画をあげるのが一番良い贈り物であることを知ったので、そのアイデアを出して、そういうことをしたのです。今なら三十ドル、四十ドル、いや約三百ドル受け取るのです。ここがアメリカだったならです。

 ですから、一人平均二十枚以上を一日の夕方に描かないといけないというのです。それを描けるかというのです。仕方なく私が全部やったのです。夜を一緒に明かしたのです。そして会社へ行って夕方遅く帰ってくると、途中まで出て私が元弼を待っていて、連れて入ってくるのです。その時は、私が「原理原本」の草稿を書く時なのです。

 ですからその時、その印象を今でも忘れません。そのミスター・キムも忘れられないし、先生に対して良くしてくれたこと、避難してきて寂しく、悲しくて、一緒に月を見上げて思いつつ暮らしたこと、その印象が引きはがせないぐらい残っているのです。

 その時ミスター・キムは、会社へ行って家に帰ってくることを、自分の恋人が訪ねてくるよりももっと楽しみにしていたのです。そうならないといけないのです。「お前、少し家で休んでいなさい」と言っても、「ああ! 私は嫌です」と、先生にばかりくっついて歩いたのです。便所へ行って三十分だけ座っていると、便所の戸をたたいたのです。居眠りすることが多かったのです。(笑い) それぐらい心情的に近くなっていたのです。

 ですから避難してくる時も、自分のお母さんと家を全部捨ててきたのです。「そこにいなさい」と言っても、みな投げ捨てて先生についてきたのです。そういうふうに心情的に因縁づけられていたので、韓国食口たちは今先生が来ないといって、先生を思って涙を流す人が多いということを知らなければならないのです。息子がいて、孫がいて、おじいさんもみないるのですが、涙をポトポト……。何のことか分かりますか? (はい)。

 皆さんにはそういう責任があるのです。夜歩いて食べる物があれば置いておいて一緒に分けて食べようとするし、ひたすら、和同して全部解いてあげようとするし、難しいことがあれば自分が開拓してあげようとするのです。ですからいいのです。ですからついてくるのです。迫害されながら、村の中、町内で大騒ぎなのにです。国で全部追放しようとするのにです。

 昔私たちはそういう雰囲気でした。そして伝道に出て人が伝道されれば、伝道した人がひたすら会いたくて毎日来る、そういう雰囲気だったのです。(九六―一四三)

 ここにいるミスター・キム、知っているでしょう? おい、金元弼! 私たちが避難してきて、避難民生活をしながら就職した時、あなたが出かける時、ついていって連れていき、来る時、出て待っていたりしたものですが、自分の息子、娘に対しては私はそうできないのです。その時、米軍兵士たちの肖像画を描いたのですが、一枚につき三ドルずつ受け取って描いたのです。一日の夕方までに三十五枚、四十枚までも描きました。そうするには、全部私が準備してあげないといけないのです。夜を明かしつつ、全部やってあげたのです。私がもっと一生懸命やったのです。自分が熱心にするより。(笑われる) 髪のようなのと、服は私がすべてさっさと描いたのです。顔だけ残しておいて。そうしてお金を稼いで伝道経費にし、全部こうして開拓したのです。(九七―二二二)

 統一教会で見ると、三十六家庭を立てるためにはイエス様の三弟子、天使長家庭を代表した三数を解決しなければならないのです。その三数が決定されたので、アダムの家庭、ノアの家庭、ヤコブの家庭型の三十六家庭が現れるのです。

 三十六家庭で代表されるこの三家庭の中で、第一家庭が金元弼です。歴史は、誰でもその位置に立てることはできません。誰でもその位置に立てることができません。これこれのプログラムによる、これこれの背後の内容が霊的な世界でできていないと、長子の位置に立てられないのです。そういう人が金元弼なのです。その次に二番目が誰かといえば劉孝元です。劉孝元。そして三番目が金榮輝です。(一六九―一一〇)

2 劉孝元氏

 劉孝元協会長に初めて会う時は深刻でした。追われ追われて釜山から大邱に、三段階でソウルに上り、場所を定めて会う時は復帰なのです。釜山の一番端っこへ行き、影島へ行き……。影島が一番端っこではありませんか? 残ったふんのようなものが影島です。私はそう思います。そこで一番深刻な人は、天下に私一人しかいませんでした。ですから神様は役事なさるのです。その劉協会長も愚鈍な人です。亡くなった人ですが……。武士道のような精神が強く、一つしか知らない人です。その人がそこへ座って解けてしまったのです。(四七―三一六)

 皆さん見たでしょう? 昔劉協会長にも、先生が公席で悪口をよく言ったのです。その人はそれが誇りでした。悪口を言ってもよく受け止め乗り越えたというのです。ぷんとして、「先生が責任者をそのように問責するなら責任者がどうやって責任者の仕事をできるのか、威信と体面も立てられず」と言うかもしれませんが、先生も威信と体面を立てられない局面なのに、こういう局面に皆さんが威信を立てるようになっていますか? うじ虫の袋でも探し回る局面で威信が何ですか? 今は先生が威信を立てる時が来ているのです。(五一―二八五)

 昔は、本部にいる教会長が公席に現れさえすれば、私がそれこそ犬か豚を扱うごとく悪口を言うのです。「この男は!」と言って……。そして、先生と一番近いが、部屋へ入ってこようとすると、門の外に立って考えるというのです。そうしてから、「また悪口を言われよう」という決心をして入ってきたのです。(笑い) そうしてこそこれが……。先生が高ければこれが高くて、こうならなければなりません。(黒板に書かれたものを示して話される)これがなければなりません。こういうことが、これを消化できる消化圏になるというのです。消化圏。消化できる道が開かれるのです。

 ですから、学校では恐ろしい先生が良い先生です。分かりますか? 悪口を言い、何と言ったとしても、従順にその悪口をすべて消化する人は、その場所に同参するのです。同参して、その先生の直系の弟子になるというのです。それが原則です。そうでしょう? それはそうですか? (はい)。(一二五―八二)

 また、ある人は、「劉協会長は統一教会の忠臣であるにもかかわらずいつもこき使われて、死んだあとは賞はやれないが、せめて悪口を言う」と言うのです。そういう人々は、私と劉協会長との間を知らないのでそう言うのです。長年一緒に仕事をしてきたのだから、すべてのものが百点であり得ますか? ですからできなかったことを清算してあげるために、公席で悪口を言うのです。(四五―二六三)

 先生が劉協会長について深刻に考えたこととは何かといえば、そうできる内容をもっていったのかということです。その人は先生についてくるにあたって、私のためにたくさん苦労をしました。その中でも、先生が監獄にいる時、先生を多く思ってくれました。ですから先生が劉協会長を思うと、「彼はこういう人だった」と考えるようになるのです。監房に寝そべっていては、明け方になると会いたいその情に引かれて、伝え受けたメモ一つまでも生命の価値として受け入れられるほど、内縁の支えが彼にありました。そういう協会長だったことが思い出されます。(三三―八三)

 生命と死について見る時、どちらが強いですか? 死より生命がもっと強いですか、生命より死がもっと強いですか? サタン世界では、生命より死がもっと強いのです。ですからみ旨を知ったのちには、死すべき場所で死ぬことを嫌がってはならないのです。

 今回劉孝元協会長が亡くなる時、「先生に出会って今までこうしてきたが、最後をどうやって結ぶのか?」と私が尋ねました。そうしたところ、劉協会長は、「永遠に変わらない」という言葉を残して逝きました。そうでなければならないのです。サタン世界では、いずれにせよ死ななければなりません。死ななくては復活できません。一時代を過ごさなくては別の時代を迎えることはできないのです。分かりますか? (三四―四七)

 孝元が忠誠を尽くしたように忠誠を尽くそうと掲げて、救いを受ける人がいなければなりません。(一〇―二六三)

 今後の韓国社会では、統一教会は問題にならざるを得ません。見ていてください。先生について研究する人が多くなるのです。そうすれば、先生の名前とともに、先生について歴史が残るでしょう? 統一教会、文なにがしの伝記が残りますか、残りませんか? (残ります)。今後日本の歴史がなくなり、アメリカの歴史がなくなるとしても、統一教会の文先生の歴史は残るのです。残るようになっています。ここにも文先生と書きましたね。よくやりました。

 その歴史の本の第一ページには、「統一教会の文氏は……」と始まるのです。(笑い) その次に、「釜山影島に行ったが」と言いつつ、劉孝元というびっこをひいた病身の協会長が出てくるのです。(笑い) そうではありませんか? そして、三十六家庭がどうしてこうして結婚したが争いが起こった、私のお父さんを出してくれと大騒ぎしたということが全部出るのです。そこに登場する人物たちは歴史的な人物たちです。(二七―二五八)

 私がきょう特に話すことは、伝統を尊重視しなければならないということです。統一教会において、劉協会長の功労は大きいのです。そう、珍勝に対しても先生はたくさん考えてきたのです。お母様に対してもそういう話をしましたが、功労は功労として報いてあげることを知る指導者にならなければなりません。ですから譽進の時にもそうだったし、仁進の時もそうだったし、劉協会長のことを思ったというのです。それは劉協会長がよく知っているのです。

 統一教会の今の弊害は何ですか? 幹部の皆さんは、私たちの宗教財団における劉協会長の功労をよく記憶しなければなりません。それが日がたてばたつほどだんだん希薄になるよりも、その日を記憶して……。先生が彼を追悼する日をやめよというまでは、全国的な記念日として追悼し、教訓としなければならないのです。

 彼は国家的時代の活動ができなかったのです。世界舞台の時代まではできなかったのですが、教会を創建した時代から国家と連絡できるその期間(十三年前)において、教会を開門することにおいては第一の功労者であることに間違いありません。そういう立場で見る時、その伝統的中心思想を残したその功労を私が分かってあげるのです。また、彼が不具の体なのに、私は三年八カ月の間、一日に十八時間以上毎日講義せよと責め立てたのです。なぜですか? 彼によって原理を教育させる一つの伝統を天地の前に残しておくためです。全世界のすべての講師たちが毎日のように三年以上このことを継続しても、十何時間以上の講義をしても、疲れたと不平を言える人をなくすためにそうしたのです。天地の前にそういう伝統を残すために、不具の身なのにそうさせたのです。

 今も思い出すのが……。その時は私たちが麦飯を食べる時なのです。その人は本当に肉が好きでした。魚が好きで、肉が好きでそうしたのに、その時は本当に難しい時でした。修練会をしても御飯を食べられず暮らしているのに、こじきが入ってきて御飯を少しくれといって麦飯をあげると、そのこじきはその御飯をごみ箱へ投げ捨てていく、そういう時代を過ごしたのです。

 そのように食べられず、栄養もよく取れない中で、講義し、疲れて横になると……。ある時には、痛くて午後は講義できないというのです。それで彼を責め立てたことが思い出されます。「お前がそんなでいいのか? 原理を命を懸けて伝えないといけない。お前が命のある限り、一人もいなければ空中を見てでも話をしないといけない」と言いながら気合いを入れる時、横に伏して目をまん丸くして「先生のおっしゃることが正しいです」と言って、ぱっと立ち上がるのです。起き上がる時、足の股関節がくっついていたので、手で突っ張ってようやく起き上がったのが目にはっきり映りました。それを私がよく知っているのです。ですから過ぎ去ったこと、私という人が死後を思うなら、そういう観点から思わなければならないのです。(一三〇―三二二)

3 金榮輝氏

 今回金榮輝を立てたのは何かといえば、金榮輝は三十六家庭で三人の息子の内の代表です。三人の息子の代表なのです。金榮輝が三人の息子の中でも三番目です。三時代が来ることができる、新しい時代に門を開くべき立場にいるのです。ですから鍵をよく管理していて、今後天に入って天国を建設できなければならないのです。

 ところが年が六十歳ではないですか? 年が多くみな誤ってはならないので、ここで引き継がすことができる業をなさなければなりません。それはどういうことですか? 新しい教育をせよということです。何のことか分かりますか? 新しい伝統を立てなければならないというのです。今までやった、そういうことでは駄目なのです。正義に先頭に立ち、事理に明晰で、サタンが好む痕跡についていく環境を整備し、天がどこへ行こうと四つの羽を広げ、喜びで安息所にとどまることができる環境の天国をつくらなければならないのです。何のことか分かりますか?

 ですから金榮輝は今そうなのです。愛の心をもって、すべて何でも愛さなければなりません。神様を先生ほど愛せず、国を先生ほど愛せず、教会を先生ほど愛せなかったというのです。ですから先生を中心にして、その伝統を手本としなければなりません。(一四九―一七三)

 ここに教会長がいますが、この教会長は先生を身代わりした人です。この人が責任を果たそうと果たせまいと、最後まで引っ張っていくのです。民族的な蕩減というこの膨大な仕事を果たすまでは、教会長を前に立てて闘っていくのです。この人は人格的な面で欠陥があるかもしれませんが、欠陥があったとしてもそれは本人が責任を負うのではなく、先生が責任を負うのです。彼を誰が立てましたか? 先生が立てました。ですから責任も先生が負うのです。先生が滅ぶなら滅ぶのであって、彼が滅ぶのではありません。(二四―一四一)

 金榮輝は今何をしなければなりませんか? 金榮輝が今、統一教会と勝共連合の会長になっているので、その名前どおりになったのです。金榮輝。栄光を輝かせられるその位置にしっかり立っています。天下に号令できる位置です。鄭大和が偽の大和でなく、本当の大和ならどれほどいいでしょうか。(笑い) その名前は、和睦です。ですから教会長が絶対必要なのです、鄭大和! そうなのです。このごろはもう奥さんしか知らないといううわさが立ちましたが、そうですか? 金榮輝! (笑い) 奥さん崇拝主義者になったといううわさが立ったのですが? やあ、どうなのか尋ねているのです。(そこまでは行きませんでした)。(笑われる) そこまでは行かなかったが行こうと……。約七分の稜線は越えたのですね。(笑い) いいです、いいです。(一四八―二五二)

 金榮輝! 二つの長でしょう? 金榮輝、今漢字を使おうと思って言っているのです。榮輝、輝く輝の字に栄華の栄の字。とても名前がいいです。こういう時に一度使ってみましょう。(一六六―二六九)

 皆さんは、若いころから統一教会に入り、今中年となり、老年となっています。金榮輝、六十歳になるのではありませんか? 五十九歳ですか? (六十一歳です)。もう六十一歳ですか? (笑い) 大尉の階級章をつけて歩いていたのがきのうのことのようなのに、もうそんなになりましたか? 六十一歳なら老人になったのです。青年時代に入ってきて、壮年時代を経て、今老年時代に入りました。(一七二―八九)

 金榮輝協会長を中心にして見る時、彼が主体で皆さんは対象です。主体と対象の関係で皆さんが対象なら、絶対的な対象の位置で主体を補強してあげなければなりません。主体に何かの欠陥があれば、対象はそれを補強して、絶対的な対象である自分と自然に一体となれるように、主体をもう一度創造する業をなせというのです。そういう完全な対象の前には、その主体が不完全でも、必ず完全な主体として登場するようになります。そして主体が絶対的である時は、主体がその絶対的な位置さえ守っていけば、対象も絶対的な位置へ出るようになるのです。これが原理観です。教会と対社会問題においては、公私問題をいつも考えなければなりませんが、我々自体内ではいつも主体と対象の観念を忘却するなというのです。分かりますか? (三三―一七五)

 韓国は、今から金榮輝協会長を中心にして完全に一つとなり、先生を身代わりして皆さんが韓国に責任を負わなければなりません。(はい)。先生が今はもうどうか心配しなくてもいいように……。榮輝、分かりますか? (はい)。重大な責任です。全部分かりますね? (はい)。














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