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伝道ハンドブック
み言に学ぶ伝道の姿勢

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七、韓国での伝道

  1967年7月1日 五日市 城山山頂

 そのために、いろいろ作戦をしたわけだが、いわゆるその動きにおいてはそれこそ惨めな、苦しい中での活動をしてきたわけなんだ。惨めといえば何かというと、その生活圏において非常に不利な立場に立っている。日本と違うところはそこなんだね。大抵の兄弟たちは伝道に行くというと、一〇〇人をその単位として考えて、八十人以上は衣食住の問題にぶつからなければならない。例えば赴任しているその地区、地域なら地域、またその場所において教会であったら、その教会長自身がすべての問題を解決しなければならない。教会長を中心として、そこに兄弟たちがいるとしても、兄弟たち自身の生活問題としてかかってくる。だから責任をもっている人たちはもちろん、自分自身ながらの生活の問題がかかる。それから伝道しなければならない。そして生活の過程を通して彼らに模範を示さなければならない。こういう立場に立ってその責任を果たすということは、実に惨めな苦しい闘いをしなければならない。

 その地区の地区長とか、地域長、あるいは教会長を中心として考えたなら、彼らは生活の問題の解決のために、どうしてもひと月に十日か半月を消費しなければならないというんだね。そうしてあと十五日でもって、いわゆるみ旨のために闘う伝道をしなければならないという立場にある。端的に言うと、どうしても商売などの物的条件を中心として活動しなければならない。しかしそういう活動は町だったら町を中心としては活動することができないというんだね。もしも商売とかそういうものをしたとすれば、その所では伝道することができないという関係に陥るというのだね。だから、そこには君たちの想像つかないことが多いんだね。

 この点、日本は恵まれているんだね。一週間くらい働けば生活の問題は解決する。韓国ではそういう基準は一般に認められないのだね。だからそういうギャップをいかにして越えるかということが何よりも難しい問題なんだね。さらに全国的活動となると、何としても経済が一番問題になる。そうなると全国的に対策を立て、ある地区とか、地域とか、教会長に分担させるというのだね。それは自分自身の生活に困っている立場においても、そういう二重の働きを背負って、それを全うしなければならない。それは限界の立場に立つことが多いんだね。この時はいよいよ覚悟してするわけだ。

 それこそ言うに言えないような活動を続けて、今までずーっと発展してきたんだね。それで周囲に関係している人々は統一教会といえば、「それは恐ろしいものだ」という印象をもったんだね。しかし真理は通じるんだね。一つの時期を通過すると「統一教会の彼らがああいう働きをするのは、自分個人の利益のためじゃない。国家のために、将来を憂えながらやっている。ああいう青年たちでなければ、国を救うことはできない。共産党に対して闘える者たちは統一教会の人たちだ」というふうに見られるようになったんだね。

 例えば、官庁とかいう方面の人たちも初めは全然反対の立場だったが、ある時期を過ごすにしたがって、彼らのほうから次第に認めるようになり、そういう段階に入っていくと彼らが我々の生活問題も解決し始めたんだね。また、地方あるいは町とか、村とか、そういう所に行くと、不良少年とか非行少年とかたくさんいる。そういう者を連れてきては、いろいろ訓練したりした。そういうことがあって、彼らは原理の感化力が強い、偉大であると認めるようになり、地方の人々から、統一教会の青年には協力しなければならないと、その地域全体が立ち上がって生活問題も解決してくれるというところまできた。

 日本の村、町に当たるものを「面」というが、その下には十以上の「里」があるんだね。そして一カ月に一回ずつの里長が集合しての会と、面長会議が開かれる。その時に各々面内の主だったことが報告されるが、いつでも統一教会のやっていることが問題になっていくんだね。「統一教会の人たちがこういう働きをして地域のために協力した。そのおかげで話にならないような青年たちが、真の青年になっていった。こういう働きを我々は真心をもって助けなければならない」。そういった報告が面長会議においてなされるようになった。

 この面長会議から、のちには郡守を中心とした会議があるんだね。その時、面に特別なことがあれば報告せよというと、必ずその郡において統一教会が問題になったというのだね。面において特別に報告すべきものは郡に行って報告する。すると各面長たちがね、自分たちの部落にも統一教会の人たちが来ているのだが、そういうことをやっているとは知らなかったとうなずいて、急いで帰り、統一教会の人たちの生活ぶりを研究、調査し始める。結局は面長さんがね、その会議において話したとおりに、そういうことをやっているということ、そうしてその次の会においては他の誰かが言う。「そのとおりに統一教会の青年たちはうちの面において、そういう活動をしている」と話し合うような傾向が動き出したというのだね。すると郡において「全体に対して犠牲的に活動する者は、統一教会の兄弟たちをおいてはどこにもいない」と言うんだね。

 だからその郡守は「道」に行くんだ。ここでは道知事を中心として「道」の会議があるんだね。そこに行くと、その報告はもう面でもって報告されたのが郡守を通し、そこから道知事の前まで報告されるというのだね。するとそれを聞いた郡守たちは「ああそういえば自分の郡にも統一教会の青年たちが来ていたけれど、分からなかった」と早速調べてみる。すると郡守さんの報告した内容の活動をしているというのだね。そういうふうにして、統一教会の問題が知事の前まで毎月の会議において引き上げられるようになった。だから一番末端の里でもって働いたその結果が面長を通し、郡守を通し、知事を通してついに中央まで来るんだね。中央においてはまたこの首長の会合が毎月あるんだね。そこで自分の「道」において特別な報告、全国的模範となるべき報告があれば報告せよ、というと結局統一教会の青年がまた中央会議において問題になる。

 こういうふうにして一人の功績を最高に生かす。そこにおいて全部が影響される。つまり一つの面でもって、功績を上げたそのことが報告、作用をもって郡守に分かる。道知事にも分かる。中央にも問題になってくる、という具合で先生はこうなってくるのを待っていたんだね。動き出して四年目からこういうふうになった。そして「この理念でもっていかなければ国も助かることができない。また共産主義の恐怖から逃れることができない。これを防ぐには、ああいう青年たちでなければならない」と誰もが認めるようになった。しかしそういうふうにするには、いかなる惨めな状況に立ってもそれを克服しなければならない。並々ならぬ覚悟をもって、君たちには想像もつかない涙ぐましい、いろんなことをして、その惨めな環境を打破してきたわけなんだ。

 卑近な例を一つ挙げると、ある所の教会長がその村に一人伝道に来た。彼は食うものがない。商売でもしなければどうにもならない。そういう立場に立ったんですね。しかし商売するとしても田舎ではできないから、町まで出てやらなければならない。町でやると伝道する道がふさがってしまう。そういう事情に立っていた。その時その教会長を中心として集まっていた中学、高校の学生二十人余りが、彼を中心として活動し始めたんだね。まず食事の問題をいかに解決するかということで、十四、五歳から二十歳未満の若者たちが会議を開いて「我々は心情的に、こうして信仰の親の立場にある人に商売させてはいけない。自分たちが苦労しても、生活問題は我々が解決しなければならない」と、そういう決意をしたわけだね。そうしてどうしたかというと、毎日弁当を持ってくるんだね。一日に三つ弁当があったら足りるわけだ。だから毎日順番に学生たちが朝、学校に行く時に、弁当を三つ置いていくんだね。

 こういうことをやって開拓したんだね。そうなると教会長がその弁当を食べる時には泣かざるを得ない。その子供は弁当の時が来ると、心情的に神に対して真剣にならざるを得ない。だからここにおいて、先生とその中学、高校生との間には心情的連帯が非常に強固になされてくる。こういう例はたくさんあったんだね。それはとても惨めなようであるのだけれど、それこそ心情的にはそれ以上のことがないことをつくづく感じるんだね。そういう働きをして、そういう関係をもって育てられた学生たちは一人も後退しないというんだね。それがその地方において、強固なる後継者として働くというんだね。こういう開拓伝道をしたところは多い。

 初めは学校のほうでも反対したのだけれど、結局は公のために犠牲心をもってああいうことをやったということを、校長やら先生たちがみな分かるようになり、全校的にうわさになって、それから官庁の人にまでみな分かるようになりました。その一事が大いなる衝撃を与える宣伝となったというんだね。そうなると部落の人たちも黙ってはいられない。こういう恥ずかしいことはないじゃないかというふうにして大衆が動き出し、あるいは教会を建ててやったり、あるいはそのすべてを解決するような、そういう所が多く生まれてきたというのだね。

 こういうふうに開拓してきて、それが方々だから、やがて全国的にブームを起こして動き出した。子供に関係ある父母とかそれから先生たち、学校あるいはその地方の有志は、感じざるを得ない。こういう若者が公的な立場で犠牲心をもってやっているということが分かった時には、知らず知らずの中にもその感化を受けざるを得ないというのだね。統一教会に今まで反対する立場に立ってきたけれども、そういう態度は続けたらいけないという。自分ながら後悔し始めて援助するようになった。そして同時に統一教会の真理は何か、若者をあそこまで決心させ行動させた思想、内容は何かと心ある者は訪問し始めるようになってきたというのだね。

 そこで心ある人たちは何としてもあの統一教会の青年のような精神の持ち主でなければ、国家的危機あるいは共産党に対しての恐怖や、その思想を打開することはできないと、そう思うようになったんだね。つまりこの三年の働きにおいて、我々の目標とした統一教会の思想に対して、全国民が関心をもって、「ああいうふうにならなければならない」という、一つの方向を示すようになったというんだね。




















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