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伝道ハンドブック
み言に学ぶ伝道の姿勢

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六、父母の心情

  父母の心情

 自分の信仰の子女に対して、自分の生んだ子供より以上の心情的関係をもたずしては、サタンの心情圏を絶対越えることはできない。

 あなたたちは神の身代わりになり、イエス様の身代わりになるんだね。だから、父母の身代わりだね。父母の心情をもって僕の体をもって、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流していく。それが我々の世界を復帰するための鉄則である。自分の伝道した人が、イエス様が十字架にはりつけになる前に逃げてしまった弟子たちの基準を越えなければならない。

 それは何かというと、自分のためにその伝道した人が自らの命をささげて死んでいくような人をつくらなければ復帰できない。先生はそういう人を大勢もっている。世界の隅々にまでいる。これはサタンの世界には絶対ないよ。あなたたちは伝道してくれた人に対して、この道を教えてくれた信仰の親として感謝するだろう。

 もし死ぬ立場になったら、親の苦しみを自分の苦しみとして、自分が先立って死ぬような三人の弟子をイエス様も求めた。その基準を復帰した条件を立てなければ、伝道した人を復帰することはできない。それはたやすいことではありません。自分の子供を育てるのはむしろ簡単だよ。しかし、霊の子供にはその三倍以上の苦労を費やさなければならない。先生はそういう基台を築くために、七年以上、二時間以上は寝なかったよ。着るのも忘れ、食うのも忘れて心を尽くした。

  伝道してくれた人が忘れられない

 自分がいなければ、彼はどうなるか。寝るにも寝れないような心持ちで対してやる。すると、自分を頼ってきた場合には、それ以上、うれしいことはない。労働をどうしようが問題ではない。寝るのが問題でない。そうするのが問題でないような心持ちにならなければ、彼は真の天の息子、娘になれない。それが親心だ。今まで六〇〇〇年間も別れた親子同士の落ち合う喜びの心情圏である。そこにおいて、神に抱かれて関係を結ぶと信仰の子女関係が生まれる。その伝道された人にとって一生涯、伝道してくれた人が忘れられない。

 だから、神に感謝することがあれば、統一教会に入って感謝する。真面目に自分のために労を惜しまずに力を尽くしてくれる人があったら、まずその人に感謝する。子供は自分が成功した場合には、親と共に、その喜びを分かち合いたいというのが、真の心でしょう。伝道された人も、そういう心をもってこそ、心情的嫡子だね。伝道もこのように原理的にやる。

  人が恋しい

 子供みたいに、お母さんみたいに、自分の姉さん、兄さんみたいに食口たちを慕うようになるんだよ。皆さんそういう体験をしないだろう。だから食口たちが来た場合、立って帰るのが一番悲しい。そういう体験を皆さんはしなければならないよ。もう少しいればよいのだがなあ、帰る姿を見た時にはたまり切れない。何かもう少し話したらよいのに、というような思いに皆さんはいつも燃えあがっていなければならない。そうすれば帰っていってから、すぐだよ。じっとしてはおれないよ。「のこのこやって来るな」と言っても、やって来ますよ。

 人が恋しい、人が恋しい。父母の心情が通じる人が恋しい。その人と会った時、先生は夜を明かすのが問題ではありません。アメリカで、いつも夕食後に食堂で座っていると、一人去り、二人去り、一番最後には先生だけが一人……。ある者が先生とつきあって、命の世界に召される。それを見た場合には、先生は夜も忘れて酔ってしまう。自分が教育したその子供が薬を飲んで、病を治そうとする境地を眺めてどう思うの。これは実に尊い、その立場だ。一人のために夜明かしをする。自分のすべての精力を尽くして、夜通し何十時間と話してやる。その結果はね、それは万金を得た以上の喜びだね。

  教会長

 教会長の使命をもっている人たちは、人にほれなければならない。教会の食口が十人あったら十人を、みんな見たい気持ちが毎日続かなければ、彼らは毎日自分に引っ張られてこないよ。そういう心情の持ち主にならなければならない。そうだろう。動機なくして結果が現れないというんだね。

 だから自分を中心として周囲の食口たちが十人、一〇〇人になっても、その中の一人が来なければ誰か人を遣わして、その事情を知らなければ眠れない。たまり切れない。

 自分が愛する人と約束したにもかかわらず、約束の時間が過ぎ去っても何の姿も現れない。そういう場合には、何の方法、方便、手段かまわずして何とかして、事情が分かるような処置をするのと同じような心持ちを教会長がもたなければ、食口たちを心情の世界に導くことができない。

  手紙を書く

 それから伝道から帰ってきては手紙を書く。必ず書く。手紙一本というのは簡単だけど、その手紙で真実なるつき合いを残していくのですよ。手紙一本で、それを忘れていると思うのですよ。今まで考えて、人間は基準があるから、知能をもっているから、「初めて会ったあの人が自分に対してあれだけの親切さ、責任感をもっている。今までこのようにつき合ってきた人はない。自分に一番近い人々にはたまに会う。しかしあたかも共に酒を飲んだり、何かした仲のように自分に親切にしてくれる。そのような骨身にしみるような気持ちで自分はつき合っていなかった。ああ、やっぱり違うな」と思う。だから手紙を出す。

  伝道した人に侍る

 だからイエス様も言っているだろう。自分は世の中に救い主として来たんだけれど、それは主人として侍られるために来たんじゃない! 侍るために来たんだとね。だから自然屈伏三人以上なさなければ、個人完成の道には行けません。三家庭以上なさなければ、家庭完成には行けません。イエス様もこのための三年の公的路程があったことを忘れてはなりません。

 カインというものはサタンの立場だから、自然と頭を下げてくるものは一人もいません。そこを統一教会の青年たちは、先に入ったのだからアベルだとか、そうはいきません。これまでにアベルがそういうことをなせる歴史性はなかった。犠牲になるのがアベルの立場だよ。誰のために。カインのために、カインの自然屈伏のために。そういう道を開くのがアベルの使命だ。逆に考える統一教会の青年が多い。これまでの、そういう思いをもつ責任者は絶対に発展しません。

  自分の秘密を打ち明けられる人

 自分の事実のことを言わないと、真剣にならない。真剣にならないと、相手も真剣にならない。聞く人も真剣にならないことは事実である。だから自分のことを言うんですよ。かわいそうだった、乞食みたいだった先生は、よくそうしますよ。寒い時、新聞の一枚が絹の蒲団より以上の価値があることをしみじみ感じる。それを感じなければ分からない。事実を言うから、事実に通じるのです。それが必要です。だから我々統一青年にはそういう訓練をさせよう。だから味のある人間を、青年を育てよう。どこに行っても、ひざを交えて話し合えば、自分の胸の底にみんなを引き寄せなければ済まないという、そういう男になれ。皆の秘密を我が胸に収めて、彼を休ませるそういう男になろうというわけです。自分の胸に置くより、彼の胸の中に置いたほうが楽だというようになれば、その人には、そういう人が必要である。統一教会の皆さんはそうでしょう。

  夜通し話を聞く

「私は統一教会の絶対的権限をもった先生である」。そうは思わない。もっともっと遠く離れた、失った友達を捜してきた、そういう気持ちだね。だからじーっと座ると、その人が良い人だったらその人を抱き締めて親しい気持ちで話したい、そういう気持ちになるんですね。話すことはたくさんある。一から十まで昼夜通して話してもあきない。実におもしろい。いい気になって自分の本当にやった経験を先生はよく聞いてやるんですよ。年取ったおばあさんが夜通し話しても額を向けて、先生の生涯の使命がこれしかないように聞いてやるよ。ああそうだったのか、と。神様はそうなんですよ。そういう人を好むんですよ。




















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