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南北統一と世界平和への道
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第九回科学の統一に関する国際会議(ICUS)

世界平和はいかにして達成されるか
                  1980年11月28日  米国・マイアミ

 「科学の統一に関する国際会議」は一九九二年現在で第十九回目を迎えました。一九七二年の第一回会議以来、回を重ねるごとに、世界各国の著名な科学者らの親睦も深まり、より有意義なものとなっています。
 この会議には世界八十四か国から六五〇名の学者が集い、「絶対的価値と人類平和の探求」のテーマで開かれました。文師はここで「神の愛を知ることなくしては絶対的真・善・美は実現不可能であり、真の人類平和のためには、絶対的愛が実践されなければなりません」と語られました。


 尊敬する議長ならびに科学者の方々、そして会場におられる皆様。私は「第九回科学の統一に関する国際会議」にこうして皆様をお迎えできましたことを、心から感謝したいと思います。過去数年間にわたって本会議は「科学と絶対的価値」というテーマを繰り返し取り扱ってきました。その過程で多大な成果を収めてまいりましたが、この国際科学者会議はかような成果にとどまるものではありません。それらを含めつつ、さらに人類平和のための長期的かつ広範な探求に対しても多くの貢献をなしてきた、と私は信じております。

 さて、今年の会議のテーマは「絶対的価値と人類平和の探求」であります。このテーマに関連して「世界平和はいかにして達成されるか」という問題を提起し、私の見解を述べてみたいと思います。


 愛の実践による秩序の回復

 すでに皆様がご存じのように、世界が日ごとに混乱すればするほど、人類はますます平和を渇望するようになります。では、平和はいかにして達成されるのでしょうか。今日の世界において、秩序性はすでに破壊されて久しいのです。したがって、平和の確立とはその秩序を回復することを意味します。秩序を回復するためには、主体と対象が各自の位置を見いだし、さらに相互間の統一された関係を樹立しなければなりません。平和が望まれているのは世界的次元だけではありません。そうではなく、平和は国家、社会、家庭といった次元でも望まれています。人間一人ひとりも同様に、自己の精神と肉体との間における平和を切望するではありませんか。

 平和に関するこれらの次元のうち、どの次元の平和が最初に確立されるべきでしょうか。「もし世界平和が最初に確立されたならば、その基盤の上に諸国家から社会、家庭、個人に至るまで、おのずと平和が確立するだろう」と考えるのは容易です。しかし、これは間違った見解です。実際のところ、平和を確立するために必要な経過は全く逆なのです。「個人における平和」が最初に実現されなければなりません。そうすれば直ちに家庭の平和がそのあとに続くはずです。そして個人と家庭の平和の基盤の上にのみ、社会と国家と世界の平和が期待され得るのです。なぜなら、個人は家庭という単位の基盤であり、家庭は社会および国家の基盤となる単位だからです。

 指導者たちは「社会と世界の平和、秩序を回復することは、素晴らしい機構と優秀な思想を通して可能となる」と信じています。しかしながら人類平和は、これらの手段だけでは決して実現されません。国際連合という機構や、共産主義、民主主義などの思想体系は、それぞれ独自の方法で世界平和の実現を図ってきました。しかし平和は依然として、私たちの及びもつかないところにあり、今や世界はますます混乱の中に陥りつつあるのです。個人における平和から始まらなければ、その実現はどれほど時間を費やしても、必ず失敗するようになっているのです。

 では、個人の平和はいかにして達成されるのでしょうか。それは、各個人が絶対的な愛を持ち、その愛を実践することによって達成されるのです。これは真実です。というのも、愛はすべての統一の前提条件であるからです。統一は愛という基盤の上にこそ可能であるし、平和は統一という基盤の上に確立されるのです。愛には、相対的愛と絶対的愛とが存在します。相対的愛は、所与の時間と空間に応じて変化しますが、絶対的愛は不変であり普遍的です。相対的愛は自己を中心としているので、その時の利害に応じて変化します。一方、絶対的愛はいつも他人の利益のために存在し全体に奉仕しますから、それは不変です。


 絶対的愛と絶対的価値

 絶対的愛は絶対者の愛にほかなりません。したがって、その愛は神の愛であるに違いないのです。相対的愛によっては統一は決して達成されません。統一が可能となるのは絶対的愛によってのみなのです。一個人の精神と肉体は、絶対的愛によってのみ統一が可能なのです。その時に、平穏、喜び、満足といった感情や「自分は価値あり」との自覚が体験できるのです。平和のための標準は以上のような個人からのみ抽出されます。

 ある家庭の親子、夫婦、兄弟姉妹が各自の立場で絶対的愛を実践するならば、その家庭の統一が達成されます。その家庭は幸福と調和、そして何よりも平和に満ちあふれるでしょう。このような平和な家庭によって構成される社会は、平和な社会であるでしょう。社会の中の家庭に調和があり、社会の構成員が互いに助け合うなら、社会は間違いなく明るくかつ平和であるでしょう。そこには秩序が確立され統一が獲得されるでしょう。

 このような平和な社会によって構成される国家はどうでしょうか。確実に平和国家となるでしょう。ただ、国家は単に社会の集合体ではありません。国家は愛の個人と愛の家庭に基づき構成された有機的組織なのです。その内部では完全な秩序と統一が確立されていなければなりません。それでこそ真の国家的平和が実現するのです。

 言葉を換えると、「国家であっても、平和を実現し維持するためには、神の愛を必要とする」と言えるでしょう。国家の基礎である家庭が絶対的愛=神の愛を中心として結ばれていたとしても、有機体としての国家も、国民的次元における絶対的愛を実践することができなければ、国家の平和は成り立ちません。政府と国民は内的に一体化し、外的には隣接諸国家との一体化を成すべきです。そうすることによって、真の平和が実現されるのです。

 言うまでもなく、世界平和はすべての国家の平和の上に訪れるものです。いわゆる国家利益を確保する方向に貿易や他の手段の照準を合わせるといったことをやめる時、あるいは各国が他の国々に対して絶対的愛によって奉仕し始める時、さらに各国がこのような国際的雰囲気を一貫して維持する時、このような時には、人類の恒久平和は保障されることでしょう。したがって、世界平和は個人の平和から始まり、家族、社会、国家に広がり、究極的には世界平和となることは明らかです。

 ここで私は、絶対的愛と絶対的価値について述べたいと思います。真・善・美の価値が形成されるのは、愛という基礎の上においてです。例えば、愛の実践は善として評価されます。すなわち、愛が実践される時、それは善となります。したがって神の愛である絶対的愛を実践する時、絶対的善が現れるということになります。平和のために絶対的愛を実践する個人の行為は善(絶対的善)です。同様に、平和のための家庭での愛の実践行為も善です。同じことが、社会、国家、世界にもあてはまります。

 言い換えると、平和を実現するためには、個人や家庭、社会、国家および世界は、絶対的真・善・美としての絶対的価値をすべて実現しなければなりません。絶対的善の実現は、最も緊急に要請されています。なぜなら、絶対的善が実践されたら、いかなる自己中心的な要素も秩序を乱し破壊することはありえないからです。

 真・善・美の精神的価値は愛という基盤の上にのみ形成されるので、神の愛を知ることなくしては絶対的真・善・美は実現不可能です。これらの絶対的価値が実現されないところには、真の平和は存在しえないのです。真の人類平和のためには、絶対的愛が実践されなければなりません。


 絶対的な存在の証明

 しかし、実践される以前に、絶対的愛とは何であるかを理解する必要があります。「絶対的愛とは、他人の利益のために行動し、他人に奉仕する愛であり、それは永遠かつ普遍的である」と説明することができます。ではなぜ、絶対的愛は全体に奉仕し不変のまま維持されるのでしょうか。そして、何ゆえに「平和は愛を通じてのみ実現される」と言えるのでしょうか。

 その答えが必要です。しかし、これらの疑問が完全に解かれるためには、絶対者の存在と、絶対者が宇宙と人類を創造した動機と目的、この二つがまず明らかにされなければなりません。いかなる計画といえどもそれが実行に移される前には、明確な目的がまず存在しなければなりません。目的のないいかなる行為も無意味です。

 もし、人類が絶対者によって創造され、絶対者の愛の実践を予定されているとするなら、人間の創造に対して何らかの動機と目的が存在していることは確実です。その動機と目的が明確にされるためには、絶対者すなわち神に関する正確な概念が確立されなければなりません。正確な神概念のもとで、創造をめぐる神の動機と目的が明確にされるでしょう。そして当然のことながら「平和を実現するためには、なぜ絶対者の愛が実践されなければならないのか」という理由も明らかにされるはずです。

 以上のように私は「真実の意味における人類平和のために、すなわち私たちが絶対者の愛を実践し、最終的には絶対者の絶対的価値を実践するために、絶対者を正確に理解することが必要である」という意見を述べました。これらのことが、皆様と分かち合いたい内容です。本会議が偉大な成功を収め、皆様が人類平和の探求に多大な貢献をなされることを、私は心より念願しております。ご静聴ありがとうございました。



















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