本 郷
真の愛による交差祝福と国境撤廃
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国境を超えた真の愛の因縁

日時:1988年10月23日 場所:龍仁メッコール工場
六五〇〇家庭の約婚式の時に語られたみ言


 全部で何人ですか? (「二千人です」)。この人たちは皆、責任を果たし、原理の道をすべて行った人たちですか? 全部、開拓などはしなかったのではないですか? (「皆、三年以上で、信仰の子女が三人いて、二十一日修練を皆出た……」)。二千人? (「はい」)。平均年齢はどのくらいですか、平均年齢は? (「三十歳以上が……」)。平均年齢? (「平均年齢は二十五歳、二十五、六歳です」)。平均を出しませんでしたか? (「二十三歳から……」)。(「男性は満二十三歳からです」)


「一和」という名が持つ意味

 この場所は一和工場の食堂ですか、この場所が? (「講堂です」)。講堂ですか、食堂ですか? 講堂にすれば講堂になるのであり、食堂にすれば食堂になるのであり、それから、このように私たちが約婚すれば約婚の会合場所にもなるのであり、また祝福をすれば祝福の場にもなるのです。総合的な意味があるのです。一和という意味は、そのような意味です。すべてのものを和するようにする、和(ファ)するというとき、化(ファ)ということは、自分の本質が変わって、和するというのです。しかし、一和というときの和するの和(ファ)の字は、自分の姿だとか本質をそのまま持って、和するのです。

 それゆえ、どちらが難しいかといえば、本質が変わって、皆、このようにするのよりも、本質がそのままあって、一つになるのが難しいのです。ですから、人というのは、本質が変わって一つになることはできないのです。それゆえ、皆さんが各自の天性に従って、人格を中心として合わせなければならないのです。一つにならなければならないのです。

 一つになる所はどのような所でしょうか? 高い所でも一つになり、低い所でも一つにならなければなりません。また真ん中でも一つにならなければならず、左右、それから前後関係どこでも、一つにならなければならない、このような話が成立するのです。

 では、韓国がどこかというと、このアジアにおいて東北地方の一つの半島です。そのような地域的な関係を中心として見るとき、韓国という言葉は成立しますが、一和、一つの統一というこのような目的を中心として見るときは、韓国全体が南方に、南ア連邦に行っても、和しなければならないというのです。また、北極に行っても、和さなければならない、あるいは白人社会に行っても和さなければならない、黒人社会に行っても和さなければならない……。

 それから、韓国と日本は怨讐の間柄です。歴史的な怨讐になっているというのです。このような民族的歴史を知る人においては、心情を、心を開いて議論することができない、そのような立場にあるのです。けれども、一和という「和」を考えるときには、怨讐まで和合しなければならない、このような話が成立します。分かりましたか? (「はい」)


今の時は、一つにならなければならない時

 では、私たちが復帰摂理を推進させてきた神様の摂理的観点から見るとき、今の時はどのような時でしょうか? 一つにならなければならない時だというのです。アメリカはアメリカを中心として一つにしようという、このような自由世界の主導国家として、国連をつくり、自分の民主主義体制を中心として、世界化運動をしてきましたが、失敗に終わったというのです。

 共産主義は七十年余りの歴史を持ってきましたが、彼らが絶対的ユートピア世界、一つの世界を標榜し、民主世界というものを打倒しながら、独裁的プロレタリア世界を形成するために、今まで闘争してきました。しかし、そのすべての実践基盤も、すでに皆、失敗に帰してしまったというのです。今は前進も後退もできない、跳躍しようとしても跳躍する力もない、困難な立場にあるのが、現世界で私たちが見ている代表的共産圏主導国家のソ連や中共なのです。

 中共は、すでに体制的な変化を起こし、昔の共産主義の見本、自分たちが主張したその世界に帰れないのです。いくら身もだえしても、帰ることのできない現状にあり、ソ連を中心として見ても、経済的にこのような混乱状態に陥って、自分自身を収拾できない悲惨な段階に落ちているのをわたしはよく知っているのです。

 それゆえ、ゴルバチョフの今後の政策の方向も、中共より早く変化しうる、そのような内容も持ちうるのです。なぜでしょうか? 共産主義世界はソ連が主導しましたが、体制変更をするにおいては、中共の前に負けることはできないというようになるのです。急進的な変化をもたらしうる、そのような立場に立っているということを知らなければなりません。


何によって一つになるべきか

 では、何を中心として一つになるのでしょうか? 民主世界を中心として一つになりうる時代も過ぎ去り、共産世界を中心として一つになりうる時代も過ぎ去ったと見るのです。では、その周辺国家、日本なら日本を中心として見るとき、日本は世界的な主導的思想体系を持つことができなかったので、世界に主張できる立場に立てなかったので、日本はそこから外れるのです。

 さあ、このように見るとき、韓国を囲む周辺国家を中心として見るとき、今からは何でもって一つにならなければならないでしょうか? これが問題です。今まで共産主義や民主主義は神様を除けていたのです。現在、アメリカの民主主義は、皆さんがご存じのように世俗的民主主義です。その世俗的民主主義とは何でしょうか? それは動物的ヒューマニズム、人間第一主義に、人間の享楽を標榜した民主主義です。

 このような観点において、アメリカが今後、進むことのできる希望的基盤は、すでになくなったのです。それゆえ、退廃思想の一路を行くことによって、若い層が世界的な問題を提示する、このような難関にぶつかる実情を、私たちは直視しているのです。それゆえ、アメリカ自体の若者が、今後、希望を持てない若者として残ったということは、アメリカ、あるいは自由世界それ自体に希望を失わせたと言えるのです。未来世界への実践方案を喪失したと結論づけても妥当なのです。

 このように見るとき、人本主義を中心としたアメリカの世俗的民主主義をもってしては、世界を収拾できないのです。共産主義はなおさら……。共産主義唯物論を中心として、物質が根本であると見るとき、ここで欠如したものは何かというと、神様を中心としていないのです。

 本来、私たち人間は第一存在ではありません。いくら民主世界の指導者や共産世界の指導者であるといっても、その人は自分自身がつくり、自分自身が生まれたのではないのです。ある動機によって生まれた立場なので、これは、どこまでも第二存在の立場に置かれているのであって、第一存在ではありません。

 このように見るとき、根本を見いだすべき今の時点においては、その根本を明らかにしなければならないのです。根本とは何でしょうか? 私たちが言うところの神様です。その神様に対してよく知らないのです。数多くの宗教を信じてきたすべての人たちが、今まで神様を信じてきたにもかかわらず、神様を失った段階に……。

 アメリカはキリスト教国家であるにもかかわらず、イエス様を中心とする世界的宗教的背景を中心としたキリスト教文化圏の国家であるにもかかわらず、その人たちがどうして人本主義に陥ったのでしょうか? それは、神様をよく知らなかったからだということです。

 また、共産主義もやはり同じです。中世において人本主義の勃発とともに、人と力の万能を主張しながら、神様を否定し、人が一番だと言いました。これが中世の封建社会を超えながら、そのような主張を中心として、人間第一主義を中心とするようになるとき、根本問題が問題となるのであって、神様が根本かという問題を中心として見るときは、物質が根本だという主張を中心とした共産主義体制も、すでに結末を見るようになったというのです。

 私たちの歴史を見れば、神様も失ったし、人間も失ったし、物質も失ったというのです。このような立場に立って、この世界は混乱の中、明日の希望を喪失したまま、方向を失い、現在、壁にぶつかるという実情に直面しているのです。

 ここで一つの主張が統一教会の主張だというのです。統一教会の主張は、何をしようというのでしょうか? 神様を中心として一つになろうというのです。分かりますか? 人間を中心として一つになることを主張するのではありません。神様を中心として、また物質を中心として、一つになることを主張するのではありません。神様から一つになって、人間を経て一つになり、物質まで主管しなければならない、このように見るのです。

 では、第一がどこかというと、神様です。第二がどこですか? 人間です。第三は何でしょうか? 万物、物質だというのです。このように見るとき、創造的根源を中心として見るとき、根源がだれかというと、神様であり、その次に被造万物です。被造物が何かというと、人であり、万物です。人と万物と神様がいかに一つになるかという問題、これが深刻な問題です。


結婚とは根本に帰るためのもの

 どのように一つにならなければならないのでしょうか? このように見るとき、神様と人間が一つになるためには、そこに神様が必要とする絶対的内容がなければなりません。神様は何を絶対的に必要とするのでしょうか? 神様には物質は必要ありません。物質はいつでもつくることができます。そうではないですか? 全知全能であられる神様としては、物質をいつでもつくることができるのです。また、知識を必要とするのではありません。神様は全知全能であられるおかたです。知識の王です。また、能力の王です。人間世界において、人間の生活で必要とする物質を神様は重要視されません。きょうもそうでしょうね。未婚の男女が今、何、どこの大学を出たのか、そう言うことでしょう、今。分かりましたか? そういうことが問題になるのです。

 現在、皆さんの目からみていい夫といえば、第一にお金のある夫です。特に女性たちは。それから、二つ目は? その次は? 勉強できる人、知識のある夫。それから三つ目は? 出世した夫、権力を持ちうる夫。このように思っていること、これは、神様の体制圏内では受け入れることができません。そのような思考方式を持った人は、ここに、きょう参席できないということを知らなければなりません。

 ここは何をする所でしょうか? 未婚の男女を集めて、結婚させてあげる所ではありません。それを知らなければなりません。分かりましたか? 先生という人は、結婚させてあげるために現れた人ではありません。何の話か、分かりましたか? (「はい」)。未婚の男女を集めて、約婚なんかをしてあげ、結婚させてあげるのが先生の責任ではありません。

 結婚はなぜするのでしょうか? これは問題が大きいのです。私たち統一教会は、結婚観が違います。結婚というものは、根本に帰るためのものです。それが何のことか、分かりますか?

 では、今日、神様と人間と万物がどうして全部分かれ、神様は神様として、人間は人間として、万物は万物として、このように混乱した姿を現しているのでしょうか? そのような根本的内容がこの世界の中、歴史、文化世界の中になぜ提示されたのかという問題が深刻なのです。それは、だれが提示したかといえば、神様が提示したのでもなく、物質が提示したのでもなく、人が提示したのです。人々がやったのです、人々が。

 それゆえ、人がやったその中、人が家をつくり、理想とするその中……。人は千年万年生きられません。永遠には生きられません。この地球星で七、八十年生きる人たちが、構想したその住まい、家の中で天地の大主宰たる神様が住めるかというのです。

自分勝手にはなっていない膨大な宇宙

 皆さんが考えるとき、この宇宙はどれほど大きいですか? この宇宙はどれほど大きいでしょうか? 今日、科学者たちが語れば……。ここに尹博士が来ていたでしょう、さっき。博士の話を聞けば……。尹博士行きましたか? (「下にいます」)。下にいますか? いなければ、しかたがありません。博士たちの話を聞いてみれば、わたしが博士たちをたくさん知っているのです。(笑い)知っていますが、その人たちが語るこの宇宙の生成、この宇宙がどれほど大きいかといえば、その生成はもちろん、原則の力によってなったと見ますが、どれほど大きいかというと、その宇宙の構成体がどれほど大きいかというとですね。

 果てから果てまで距離がどれほど大きな距離かというと、二百十億光年です。そのような話は初めて聞くでしょう? 何億光年ですって? (「二百十億光年」)。二百十億光年です、二百十億。二百十億光年です。億でも多いでしょう。皆さんが百ウォンを一生の間数えても、億を数えられません。百ウォンなら億は数えられるでしょうね。いずれにせよ、そのように多いのです。(笑い)だれか数えてみた人たちがいないので、そうでしょう。

 さあ、ところで、果てから果てに行くにおいて……。光の速度がどれほどかというと、一秒間に三億メートルです。三億メートルなら、地球の七回り半になるのです。速いのです。カチカチいう瞬間に地球を七回り以上回るのです。そのように速い光が一日だと言いましたか、一秒間だと言いましたか? (「一秒間と言いました」)。一秒間にそのような速い光が一日行く距離がどれくらい遠いでしょうか? 皆さんが一度、ついていくといえば、そこにくっついて残ると思いますか? 皆、飛んでいってしまうことでしょう。焼けて燃えてしまうことでしょう。それはすごいのです。

 一日でもそれくらいなのに、これが一年でもありません。十年でもありません。一生の間、あの光が出発していくのに、百年間暮らしながら行っても、まだ終わりにならないのです。これが何億光年かというと、二百十億光年です。二百十光年ではなく、二百十億光年です。億が二百十個入っているのです。(笑い)

 では、神様はそのように大きくつくって、どうするのですか? 神様は何をしようというのでしょうか? そうなれば、これを管理しようとすれば神様の速度はどのくらい速くなければならないでしょうか? 考えてごらんなさい。その主人となるおかたがこのようなものをつくったなら、その主人がそれを管理する能力があるでしょうか、ないでしょうか? (「あります」)。あるなら、その世界の大宇宙を見詰めて計算し、これを管理すると考えるとき、神様はどれほど速く行き来するでしょうか? そのようなことを考えたことがありますか? 考えたことがありますか? そのように膨大な宇宙です。

 そのような宇宙がただそのまま、勝手には生じませんでした。皆さんは勝手に生まれたでしょうか? うん? 皆さん。勝手に生まれましたか、勝手にの反対は何ですか? (「ありのまま、原則的に」)。原則的に? 似ています。勝手に、原則的に、うん、少し似ています。そう、原則的に生まれましたか? 非原則的に生まれた人たちが多いことでしょう、ここに。

 皆さん、お母さんとお父さんを持っているでしょう? お母さんとお父さんが原則的父母ですか、非原則的父母ですか? 分からないでしょう? (「非原則的です」)。堕落したとするなら、非原則的ですが、この世的に見ると、全部、未婚の男女同士で結婚したお母さんとお父さんだと思いますか、ぼろのひさごをかぶって覆って束ねたお母さんとお父さんだと思いますか? 分からないでしょう? しかし、思いでは清い父母、一番いい父母だと思うのです。間違っていますか、合っていますか? (「合っています」)。間違っていますか、合っていますか? (「合っています」)

 合っているって、何ですか、この者たち、話をよく理解しなければなりません。ふろしきをかぶっておいて、いいというお母さんとお父さんが本物だとは何ですか? 偽物か本物か分からないではないですか? そのような連中の息子、娘たちが来て、「自分が一番だ」というのです。きょう、ここに来て、「おお、自分の顔がこの程度なら、どんな男にも思いどおり対して問題ないだろう」と言いながら、顔を見て、小ぎれいにして来たでしょう? (笑い)そうでない女性たちはいますか?


宇宙と似た人間

 さあ、皆さんは勝手に生まれたでしょうか? 皆さんが生まれるときは、だれに似ましたか? だれに似ましたか? 宇宙に似たのです。何が宇宙に似たのでしょうか? 宇宙の中にはあらゆる生物がいるのです。神経器官に皆、似ています。では、動物世界、昆虫世界まで合わせて、それはだれに似たかというと、自分に似たというのです。動物世界に目があるでしょう。目がありますか、ありませんか? (「あります」)。では、皆さんのお母さんとお父さんの目が先に生じたでしょうか、動物世界の目が先に生じたでしょうか? 考えてみなさい。それも分かりませんか?

 アダムとエバを先につくりましたか、昆虫世界と動物世界を先につくりましたか? (「動物世界です」)。では、目の先祖はだれですか? アダムとエバですか、アダムとエバよりも小さい昆虫たちですか? (「昆虫です」)。昆虫です、低いものから上がってくるからです。それゆえ、目の先祖は皆さんのお母さんよりも、万物なのです。

 鼻がありますか、ありませんか? (「あります」)。鼻があります。口がありますか、ありませんか? (「あります」)。耳がありますか、ありませんか? (「あります」)。耳だけでなく、角まであります。皆さんは角はないでしょう? 角を何というか知っていますか? アンテナです。(笑い)それから、手がありますか、ありませんか? (「あります」)。手のようなものはあるでしょう。蝿はお膳にとまれば、こすって、これ……。それが皆、手の役をするでしょう。それから羽もあるのです。皆さん羽はありますか? そうしてみると、動物にも及ばないものがたくさんあります。

 また歌がうまいのは、せみが歌がうまいですか、皆さんが歌がうまいですか? 皆さんはせみに及ばないでしょう? 走るのは子犬がよく走りますか、皆さんがよく走りますか? (笑い)皆、及ばないでしょう。さあ、だれに似ましたか? (「宇宙です」)。万物、宇宙に似ましたが、そのうち、人が一番優れているのでもありません。それを知らなければなりません。及ばないことがたくさんあります。牛がよく走りますか、馬がよく走りますか? (「馬です」)。では、皆さんは馬に乗りたいですか、牛に乗りたいですか? (「馬に乗りたいです」)。分かるには分かっていますね? (笑い)いいことを皆、求めようとします。

 このように見ると、動物世界も皆、同じです。動物世界もそれは知っているのです。いいことを知っています。へびもいくらはい回っているとしても、親戚、姻戚の八寸まで自分の同僚たちを皆、知っているというのです。知っていると思いますか、知らないと思いますか? うん? 知っていると思いますか、知らないと思いますか? うん? (「知っています」)。あそこの後ろ、聞こえますか、聞こえませんか? (「聞こえます」)。よく聞こえるでしょう? (「はい」)。顔が見えなくておぼろげですね。(笑い)目のようなものが見えたり、顔のようなものが見えるだけです。(笑い)気分がいいですか、悪いですか? (「いいです」)。あの後ろは気分が悪いでしょう? はっきり見えてこそ、気分がいいはずですが……。(笑い)

 それはそうです。それはなぜですか? 比較してすべてのものがはっきりしなければなりません。よくなければなりません。よいものは、はっきりしなければなりません。はっきりして私と密接な関係を結ばなければなりません。それでこそいいというのです。ぼんやりとしたこと、いくらいいといっても、それはぼんやりとしたことにしかならないのです。

 さあ、それゆえ、人はいいことについていくようになっていますが、動物世界や植物世界、あるいは鉱物世界はどうでしょうか? すべて同じだというのです。皆さんが感じることのできるこのセンス、感覚、精神ならば精神、活動分野の次元が違うだけであって、等差において違うだけであって、低い動物、すべての鉱物世界もすべて運動しているのです。


婚約式場に参加したのは宇宙の形態に合格するため

 鉱物世界は結婚するでしょうか、しないでしょうか? (「します」)。見ましたか? (笑い)鉱物世界は結婚すると思いますか、しないと思いますか? (「すると思います」)。そうです。結婚するというのです。それゆえ、電子なら電子が、陽子を中心として回るのが結婚です。中性子が飛び交うのがこのように、すべて一つの体系、一つの球形をつくって生きなければなりません。

 それゆえ、皆さんがここになぜ来たかといえば、男性だけでもだめだし、女性だけでもだめなので、ある形態に合格させるために、合格するためなのではありませんか? ある宇宙の模型形態に合格するために来たのです。

 それでは、宇宙のある形態が皆さんに入ってきて合格しなければなりませんか、皆さんがあの形態に入っていって合格しなければなりませんか? ですから、皆さんは、第二存在です。主体ではありません。対象的存在だということを知らなければなりません。対象的な存在は、主体環境圏内に補助と内容として吸収しうる作用をしなくては、対象的存在基台が形成されません。先生が言うことが皆、分かりますか? (「はい」)。理解できなかった者たちは荷物をまとめて行きなさい。

 それで、女性でもだめな人をもらおうというのが男性たちの欲望である。(笑い)なぜ笑いますか? だめな男性をもらおうとするのが女性の欲望である。皆さん、なぜ黙っていますか? 先生が間違いましたか、皆さん、考え違いしていますか。(笑い)合っていないのです。そうでしょう? そうです、前後が合っていないのです、皆さんが答弁をする前には。

 では、今まで言ったことを中心として、答えをどうしなければならないでしょうか? 女性たるものは優秀な男性を求めなければだめでなくはない。(笑い)それはどういう話ですか? 求めるという話ですか、求めないという話ですか? わたしはそれは分かりません、皆さんが求めなさい。(笑い)ですから、言葉にならない言葉ですが、話は「求めなければだめでなくはない」と言いましたが、「だめでなくない」という言葉は使いましたが、求めなければならないという話です。それだけは、間違いないというのです。ですから、いくら否定が多くとも、いいというようになるときは、それは残される、関係を結びたいというのが人間であり、この万宇宙の欲望です。分かりましたか?

 では、この大宇宙が大きいのは一人で生きるために生まれましたか、一緒に生きるために生まれましたか? (「一緒に生きるためです」)。では人は? 人は? 動物のために生まれて……。そうすれば話が道理に合うのです。人は、あの馬追虫のために生まれた。馬追虫、知っていますか? 馬追虫。人は、蟻のために生まれた。それは話が道理に合うというのです、蟻。そうなれば、蟻たちが気分いいでしょうか、悪いでしょうか? (「いいです」)

 例を挙げれば、皆さん、きょう、なぜこのように会ったかと言えば、「全体のために、二千人のためにわたしが集まったのではなく、きょうは、わたしのために集まった」と言えば、気分がどうですか? わたしの相対を決定するのに付属品として千九百九十九人が集まるというとき、気分がいいのです。それを願いますか、二千分の一の目的を達成するために集まったというのを願いますか? (「前者〔チョンヂャ〕です」)。電子〔チョンヂャ〕、電子工学? (笑い)前者です。

 さあ、それはどういうことでしょうか? 皆が笑うところを見ると、皆、理解したのですね。ですから、いいことは皆、願うというのです。それがいいといっても、どれほどいいのかというときは、問題が大きいのです。どれほどいいかというときは、この中でもどれほど、それからまたどれほどいいのでしょうか? 大韓民国中でもどれほど? 世界の中でもどれほど? 宇宙の中でも? この太陽系を経ってみれば、これが一つの星と同じではないですか? 太陽系の中でどれほど? どれほどというときは、これは問題が大きいのです。

 どれほど大きな宇宙ですか? 大宇宙です。さっき言ったように、複雑多端にこれが二百十億光年の大きさであるこれが、運動しながら回っており、一つの目的に向かって行幸していらっしゃるというのです。うろうろと。大宇宙中で一番になることができるならば、これは夜に生きるものや昼に生きるものや、すべて願うというのです。


結婚は、天地が引っ繰り返り一家の興亡盛衰がかかる重大事

 また人間として生まれたとするなら、地上に行った人や永遠の後に生まれる子孫がいても、このような存在は、すべて願うのです。皆さん、願いますか? (「アーメン」)。何の話ですか? アーメンの返事をわたしが知っていますか? 皆さん願いますか? (「はい」)。(一人だけ答える)願いますか? なぜ返事をしませんか? 願いますか、願いませんか? (「願います」)

 エバに、堕落したエバに何をするのかというとき、黙っていたのと同じです。何をするって、何をしますか? 「ここですべていちじくの木の葉を取って堕落し、このようにひざまずきました」と答弁できなかったでしょう。その後孫たちそのものです。それなのに、なぜ返事をしませんか? どれほどじれったいかというのです、この者たち。返事をしないので、今から返事しないので、どうやって使いますか?

 尋ねるのを明らかに皆、聞いて、理解できるように話して尋ねているのに、返事しないから、この人たち、どうして働きますか? うん? もどかしい者たち。もどかしいでしょうか、もどかしくないでしょうか、この者たち? うん? (「もどかしいです」)。もどかしい、もどかしくない? (「もどかしいです」)。もどかしいのは皆、けってしまわなければならないでしょう。わたしもいいものを取らなければなりません。悪いものは皆、放り出し、追い出してしまわなければなりません。

 きょうの昼食は食べさせません。(笑い)昼食一つで蕩減できれば、それは安いでしょう? そうでしょう? そういえば、このように集まれば、昼食一食、二食、昼食を考える人は、それは結婚する資格がありません。(笑い)昼食を何度か抜きながら、夜寝れずに目がくぼみ、鼻が乾いて、逆にならなければなりません。(笑い)耳がだらりと垂れ、目が……。(笑い)人のいとこのようになってこそ、それは深刻な人なのです。

 結婚がどれほど深刻ですか? 結婚がのらくら調ですか? 深刻ですか、深刻ではないですか? (「深刻です」)。天地が引っ繰り返るのであり、一家の興亡盛衰がかかるのです。天地がうまく回るか、回らないか? それは油を与えるのと同じであり、一家の成敗がかかるのです。あの女性をもらうことによって、今はだめだが、その女性の子孫を通して何代目の子孫には、天下を治めることのできる両班が出てくるかもしれません……。

 皆さんには、分からないではないですか? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりません」)。さあ、うちの父母は、わたしがこのように世界的な人になるとは思っていたでしょうか、思っていなかったでしょうか? 生んでみると、そのように生まれたのです。そうです、知らない父母は、生んでみるとそのように生んだといいますが、宇宙は、そのまま生んでみると、生まれたと見ますか? (「違います」)

 神様の復帰摂理は、道に従って、千態万象の姿と山谷を超えて大洋を渡って荒野を渡って、谷間、洞窟も通過し、一つに合わせて、このようにすべての背後に連結されたものは分かりませんが、そうして、生まれたのに、特別に生まれても生んだのは同じです。目二つ、鼻二つ、鼻? 鼻の穴二つ。(笑い)口一つ、耳二つ、このようにして……。その四肢五体は、全く同じです。

 平面的に見れば何でもないのに、その背後と立体的な歴史、縦的に見るときは、相当な内縁がつづられているので、私たちのような人がこのような大変なこともするのでないかというのです。大変なことですか? 大変なことですか、悪いことですか? (「大変なことです」)。大変なことですか? きょうは、皆、……。わたしがぽんびきでもないのにです。ぽんびきがどういう意味か知っていますか? うん? ぽんびき知りませんか? (「知っています」)。知らない人は、学んでもかまわないです。(笑い)男性たち、ぽんびきが何か知っていますか? 「ぽーん」として「びーき」するのがぽんびきでしょう。(笑われる)

 さあ、そのように考えるのです。この中に先生がうまく結んであげると、今後、さまざまな息子、娘が生まれるかもしれません。そのようなことを考えたことがありますか? 目のない男性に会ったならばどうですか? 不幸ですか、幸福ですか? (笑い)霊界に行っても、このような目があるでしょうか、ないでしょうか? 霊界に行ったそのときは、神様いわく「おまえの目は、百年間見ることができなかったので、千年万年の世界では億千万里を見ることのできる目にしてあげる」というとき、(笑い)そのような目を持って暮らす夫と生きるとき、地上で生きたように、「ああ、わが夫は不具だ」と考えられますか? そのときは、威張ることでしょう。一方の足を持ち上げて威張ることでしょう。倒れないから。それをだれが知っていますか? 先生が、そうすることのできる内容があるのです。そうですか、そうではありませんか? (「そうです」)。そうですか、そうではありませんか? (「そうです」)。うそでないなら雷が落ちる内容になるのかもしれません。女の体一つ売ってそうできる恩恵を受けることができるならばという、女性という怪物たちはいくらでもいます。


嫁ぎ先は、遠くてこそいい

 さあ、嫁ついでいこうとするなら、わたしのような人に決めてもらえば、どこに損することがありますか? わたしが決めるなら、自分の友人たちに嫁がせるのであって、盗賊に嫁がせますか? 違いますか? 先生の友人の中には学者も多いでしょう? ノーベル賞受賞者も多いし、世界の著名な友人も多いではないですか? そのような友人に嫁がせればいいではないですか? うん? 悪いですか、いいですか? (「いいです」)

 さあ、では、遠くに嫁いでいきますか、近くに嫁いでいきますか? (「遠ーくです」)。(笑い、拍手)飛行機に乗って、ここ済州島……。ああ! 最初に乗る飛行機のときは、済州島……。飛ぶ途中でやめて落ちるというのです。それはどれほど気分が悪いですか? 大洋を渡り、ブーン、一晩寝ても、「ああ、日が昇ったな。また飛ぶか? また飛んでみろ」と、二日飛んでも「また飛んでみろ」、「やあ! これはすてきだ。考えてみると、遥かな天地が……。」このように。(笑い)

 そうです、詩を詠んでも、遥かな内容の詩を詠んでこそ刺激的であって、横切って園があるのを見て話せば、詩になりますか? 「あそこに木がある、花が咲いた。赤い。ああ、黄色い。においがする」それが詩になりますか? 遥かな煙幕の中でそれを幻想的に考えるときに、その味を感じて事実を体験できるところで、それがすてきなのです。それ、遥かな遠くの故郷の道がいいですか、近い故郷の道がいいですか? (「遥かな遠くの故郷の道がいいです」)。(笑い)昔から言うことに、「遠くの遥かな、それもまた遥かな昔の中の昔」と言ってこそ味があるのであって、「遥かな昔」と言っても味がないのです。かんでこそおいしいのです。そうではないですか? ですから遥かな昔の話。それで、遠いほどよくなくはない。(笑い)

 さあ、そこ合格! 笑う人は合格で、笑わなかった人は落第です。笑わなかった人、手を挙げてみなさい。(笑い)今日は、皆、わたしの話を聞かなければいけなくなっているのです。この女たち! この女たち! 先生に非難されるから気分がいいですか、悪いですか? (「いいです」)。きょう初めて来た人たちは、「あの何々先生はりっぱだと思っていたのに、悪口だけ言うので何がりっぱですか」と言うかもしれませんが、(笑い)わたしは悪口を言うのに一等です。悪口を言う場合は王の子にも悪口を言い、王にも悪口を言えば十分でしょう。それは神様しかできないことなのに、わたしは神様の弟になるのに。そのように考えればいいのです。分かりますか? (笑い、拍手)

 そうです、このように話してみると、言葉とは本当におもしろいでしょう? (「はい」)。上がっていけば、上がっていきながらも拍子が合い、下りていけば、下りていきながらも拍子が合い、横に行けば横に行きながらも、やってみると、拍子がすべて合います。ぐるぐると回しても拍子が合うのです。ですから悪くなくないというのです。「よかった」と言うので、口を開き、踊って「ああ! わたしの日が来たな。調子を合わせて、音調に合わせて踊るべし!」。アー。(「メン!」)。わたしは「メン」と言いませんでした、あなたたちが言ったでしょう。(笑い、拍手)

 さあ、こうなればもう、三分の一くらいは整理できました。交通事故がもう起こらないでしょう。わたしが目をつぶって運転するのですが、きょう、ここに対立する人、手を挙げてみなさい。(笑い、拍手)どう、無事通過ですか? (「はい」)。ああ、気分いい! (歓呼。拍手)

 さあ、それでは、きょう、ここから「ひゅっと飛んで大宇宙を一度旅行したい」ですか、「ひゅっと飛んで、ああ、前庭から裏庭に旅行する」ですか? どちらですか? 大宇宙ですか? 小……。小宇宙もだめでしょう。それは何ですか? 小さな庭です。(笑い)(「大宇宙です」)。大宇宙でしょう? (「はい」)。かと言って、大宇宙だといって大宇(グループ)の宇宙ではないのです。大宇宙があるのです。


幸福の道は一人では行くことのできない道

 さあ、ではだれと? だれと? 一人で行きますか、だれといきますか? (「真のご父母様」)。旅行するのに、だれと旅行しますか? (「神様です」)。神様は皆、喜ぶのです。皆さんの後ろに行きますか? だれとしますか? だれと旅行しますか? (「お父様」)。この者たち! (笑い)はっきり分からずにいますね。女性一人で旅行しますか、男性一人で旅行しますか? (「男性と一緒にです」)。うん? (「一緒にです」)。一緒にって、独り者たちが何を一緒にです? (笑い)一緒にすることのできる方法は、だれが決定するのですか? (「神様です」)。皆さんが決定すれば、どれほどいいですか? 運転手を選び損ないます。(笑い)飛行機を選び損ないます。そうです。

 それゆえ、女性は、絶対的に幸福の道を一人で行くことはできないのです。女性は、女性だけは絶対一人で行く道に幸福はないのです。男性は、どうですか? (「同じです」)。それは女性がいう話でしょう。(「違います」)。(笑われる)わたしは男性の話を聞きませんでした。男性たち、どうですか? 男性だけは一人で行くのが幸福でしょう? (「違います」)。この者たち! (笑い)先生の理論に反対していいですか? (拍手)ああ、それはわたしも学びました。わたしも学んだので、一人で来てはいけないので、お母様に仕えてきたでしょう。(笑い、拍手)

 そうです、それは先生から始まったのですか? 歴史が生じる前から始まったのです。それを知らなければなりません。結婚というものは歴史が始まった以後から生じ始めたのではなく、歴史が生じる前から結婚の伝統の根は、ぱっと打ち込まれてあったのです。その伝統がそのようになっていなくて、女性と男性と、一つは男性の脚、一つは女性の脚、おっぱい一つあり、男性はここにあり、さっと片方の手で二つを触れば、どれほどいいですか? (行動で表現してみせられる。笑い)男性と女性が近いところにいればどれほど便利ですか? ああ、そのようにさせることもできるでしょう、神様がしようとするならです。(笑われる)

 皆さん、もし……。皆、物心がついたので、このようなおかしな話を一つしましょうか、そのまま退屈な話だけしましょうか? (「やってください」)。ああ、皆さんがしろと言ったので、わたしの罪ではありません。(笑い)下品な話をしようが、何の……。さあ、男性にぶら下がっているものがここの額にくっついたならばどうですか? (笑われる。笑い)女性が見て気分悪くて逃げますか、逃げませんか? それゆえ、それは見えないところに、奥まったところに持っていって、宴をしなければならないので、よく見えないところに持っていって、ぴたっと埋めておいたのです。(笑い)

 では、手の端っこにぶら下げておけばどうでしょうか? 考えてみなさい、わたしの話がどうなのか? それも考えなくて話しますか、原理を捜し出した人が? そこしかくっつけるところがありません。そのようにくっつけてみると、男性も女性も一番薄暗い所です。家にも薄暗い所、においがする所があるでしょう? 父母が、お客さんが来るようになれば、いいものを皆、薄暗くてにおいがする所に持っていって、しわくちゃにして埋めるでしょう? 見るとその後ろやそばにはにおいがするラッパ穴がありました。(笑い)

 一番いいというものと一番悪いというものは額を合わせます。皆さん、肛門は嫌いですか? 肛門がなぜこのようにくっついていますか? 便利にこのようになっていないでです。ここらへんにあればどれほどいいですか? (笑われる)それ、考えてみてください。どこにくっつけるか、いくら研究してみてもそこしかありません。そうして、そこに肉がついて埋められてあるからそうなのであって、これが開いて手の端っこのように出てくれば、どこに行って座りますか? においがするでしょうか、しないでしょうか? いくら水でよくふいても、最近は水たわしが出てきてちょっといいけれどもです。いくらふいてもにおいがするでしょうか、しないでしょうか? (「します」)。かいでみましたか? (笑い)かいでみても、見なくても、それはにおいがするようになっているのです。


自分を絶対視するところでは和合がなされない

 さあ、このように見ると、生命の源泉は、においがするところから始まる、それはどういうことでしょうか? すべての草木の生命の源泉は、肥料であるので、肥料というものは、においのしないものがない。合っていますか、合っていませんか? (「合っています」)。そうです、統一教会の食口たちを生命ある王子にするためには、においがする所で生きるようにしてあげなければならないのである、どうですか? (「いいです」)。それが道理に合うのです。ですから苦労しなさい! 男性の汗のにおい、それがどういうにおいだと言いますか? 韓国語を皆、忘れてしまいました。パルコラク(足のくさい)のにおいと言いますか、パルクリン(足のくさい)のにおいと言いますか? パルクリンのにおいは、何かのカスが多くて出るにおいであり、パルコラクのにおいは何もなくてもにおいがすることをいうのでしょう? それがいいですか、悪いですか? 女性は、そのような男性を嫌うのです。「ああ、においする、洗ってこい」と言うのです。

 お母様はどうだと思いますか? お母様は、女性ですか、男性ですか? (「女性です」)。女性はそうだというから、お母様もそうでしょうか、そうではないでしょうか? お母様は抜かして? (「いいえ」)。それを願いますか、願いませんか? 願わないならば道理に合いません。お母様も間違いなくそうなのです。今晩帰ってそうかもしれないでしょう。そうでないならです。(ピイー!)(スピーカーから騷音が出る)ああ! ああ、そうだということですね(笑い、拍手)

 ティッシュをこのように濡らして持って歩き回る女性は、運勢がありません。そのような女性が幸せかどうか見てごらんなさい。一人で生きるか、さもなければ未亡人になって寂しく暮らすというのです。史吉子が代表的な女性でしょう。洗え、洗え! 一日に手を何度洗いますか? 史吉子! (「はい」)。一日に手を何度洗いますか? トイレのそばを行き過ぎて、手を洗ってです。田舎道を行けば、犬の糞、牛の糞、鶏の糞がどれほど多いでしょうか。毎日のように手を洗わなければならないというのです。牛の糞をつまんで食べ、鶏の糞をつまんで食べればどれほどすてきですか。ああ、それはどうですか? それが万病に効く薬になることを知っていますか? それは薬になるか、ならないか、やってみましたか? 薬は、皆、反対のものでなされるのです。それは味見することが万病に効く薬になることもあるというのです。それを信じれば治るというのです。ですから世の中万事が面白いというのです。優秀な人も自分の趣に生き、だめな人も……。

 さあ、木が言うことには「おい、おい、青い光を持って生まれた世の中のすべての植物たちはわたしに似ろ」と言ったとするなら、どのようになりますか? かぼちゃのようなものが蔓のないものになればいいですか? 笑いますか? ヒヒヒとこいつと、悪口を言うのではないですか? またすいかも「こいつ、世の中を知らないやつ、わたしがなければ、夏が訪れるとき、大変なことになるだろうに」と、悪口を言うでしょうか、言わないでしょうか? (「言います」)。これは、ポプラのように背丈だけ趣もなく大きくなって、わたしに似なさいだって? 「おまえがわたしに似ろ」と、そういうことが言えますか? 違いますか? 優れているという人は、優秀だとふんぞり返りますが、「おい、こいつ! 優秀だとふんぞり返るな。わたしの足もとにきて押し込められろ」と言うのです。世の中万事が平等でないようですが、皆、平等だというのです。意地を張って上がっていく者がいるかと思えば、むやみに伸びていくやつがいないかというのです。

 またあるものは、「わたしのように香りを漂わせて、実が開くべきであって。ナシのようにリンゴのように開くのであって、これは何だ? なぜ、地中に隠れて実になるか?」。そうすると、地中にあるものが、「こいつ、おまえ一人生きるって? 昆虫だとか地中で暮らすものは、わたしたちのようなものを食い荒らして生きなければならないではないか? おまえのようなものをどうして食べて生きるか?」と言うというのです。そのようにすべてのものは、和して一つになるのです。そうです、一和だと言ったでしょう? (「はい」)。自分自体を絶対視するところにおいては和合というものはありません。自分自身を四方化させるところに和合というものがあります。分かりましたか? (「はい」)


趣の真の意味

 皆さん家に入るとき、広い家がいいですか、狭い家がいいですか? (「広い家です」)。それゆえ、女性は、いくら高くても自分を低くして、広い、何と言うか、ざぶとんを敷いて床をつくらなければならないのです。そうするためには、どれほど細くなければならないですか? 薄いのではないですか? 薄くてもいいというのです。女性は軽薄ですか、ぶ厚いですか? (「軽薄です」)。それゆえ、すぐ中身が透けて見えます。三時間、静かに見れば、もう分かるというのです。三時間が何ですか。十分だけ額を合わせて見れば、「こいつなぜ見るか。行け」というのです。「ああ、母に似ているので見詰めるのであって、わが国の皇后に似ているので見詰めているのであって、いい考えを持って見詰めているのに、やたらに気分を害しますか?」と言えるではないですか? 「神様の顔を見たのに、あなたの顔が神様の顔のようで、わたしが見詰めているのに、なぜ気分を害しますか? 神様を見詰めれば気分を害されるでしょうか? そうではないと思いますが、なぜですか?」と言えば……。そうです、薄っぺらだというのです。

 男性は見詰めれば、雄牛、知っているでしょう? (「はい」)。暑い日、尾を揺さぶりながら床にぴたっと立ち、日が照りつけても……。(まねをされる)声を張り上げようが、飛行機が飛んで行こうが、こくりともせず、こうしているのです。カササギの子が来て背中に乗ってじっとしているのに、女性はそうではありえません。軽薄なのが女性だというのです。気分が悪いですか? (「いいえ」)。気分が悪ければ、わたしに言いなさい。(笑い)

 では、男性は、軽薄ですか、厚みがありますか? (「厚みがあります」)。どれほど厚みがありますか? どれほど分厚いのか、女性が小さい手でこのように殴っても……。(頬をなぐるまねをされる)それでもだめなら、このように乗ってこのように力いっぱい押しても、じっとしている君子のような夫をもらおうというのです。そのような人を探すのです。軽薄な夫を願いますか、悠然とした夫を願いますか? (「悠然とした夫です」)。ああ、気分がいい。(拍手)

 さあ、ごらんなさい。東洋の女性たちが悠然とした夫を願うのに、あのアフリカの太った黒人男性たちはどれほど悠然としていますか? (笑い)なぜ? 悠然としているでしょう。彼らも男性です。ここには西洋の男性たちも来ましたね。西洋の食口たちも来たのです。韓国の男性たちと西洋の男性たちと、どちらが大きいですか? (「西洋の男性です」)。西洋の男性が悠然としているでしょう? 目まで大きいです。それから鼻まで大きいのです。西洋の人たちで一つ驚くべきことは、西洋の女性たちの口はまたどれほど細くて大きいか、笑うのにわたしのげんこつが出たり入ったりできます。このように、話をするのに、どれほど複雑で、かっこいいか驚きました。口を見ても何を見ても、すべてのことが図体が大きくて、歩くこともてくてく……。「てくてくてくてく」と「てっく、てっく」とどちらがいいですか? 「てっく、てっく」がいいではないですか?

 さあ、年寄った雄牛に乗って行きますか、年の幼い雌牛に乗って行きますか? 答えてみなさい。(「雄牛です」)。年を取って経験が多い雄牛? (「はい」)。それなら年を取った新郎をもらいますか? (笑い)(「年を取った新郎をもらいます」)。知ることは、知っているのですね。苦労してひげがくねくねとし、どれほど苦労すればひげがくねくねするでしょうか? 事情が多いでしょう。すなわち、ひげの新郎をもらいますか、くねくねしたひげの新郎をもらっていきますか? すなわち、髪の毛よりくねくねとした髪の毛、どれほど気が焦ればくねくねとするでしょうか? それは考え方によるのです。人は、考えるにおいて、天下を友達とし、生きるようになっているのです。考えが偉大なのです。

 人は神様に似たといいますが、神様に似たものは、ほかのところにありません。顔も神様に似たかもしれませんが、神様のような心を持つことができるというのです。皇后の心、王の心。その広い心の中においては、腹が減った男性が入ってきてご飯も恵んでもらうことができるというのです。ご飯を食べなくてもいいというのです。そこに入ってきて、スカートのすそを握って、スーッといびきをかきながら寝る男性を見詰める広い心の女性の視線には、どれほど詩的な情緒が宿っていますか? 考えてごらんなさい。それが趣です。

 韓国人がもった言葉の中に一番貴い言葉があります。モ(趣、味わい、味)! 日本語にもなく、英語にもありません。趣というものは韓国の独特な言葉です。モッチダ(すてきだ、素晴らしい)と言えば、いいことをいうのではありません。大小のものが釣り合うことをすてきだというのです。相対にならないようですが、釣り合う趣がもっと大きいというのです。


博物館に置いておくことのできる人

 それで、韓国民族は、文を書くにも彫刻をするにも特定の民族の趣を持っているので、小さい国である韓民族を神様が惜しんで、今まで滅びないように保管なさったのです。今後、博物館に置いておこうと……。中国人を博物館に置いておくのがいいですか、韓国人を博物館に置いておくのがいいですか? (「韓国人」)。毎日のように千人、万人ががやがやする博物館とは違います。十年に一人ずつ来ては行く博物館と、毎日のように超満員である博物館とどちらがもっといいと思いますか?

 神様が博物館に入っているなら、神様を見ようと毎日のように世界の人々が皆、行くでしょう? (「はい」)。世界の人々が皆、喜ぶそのような神様になりますか? そうなれば、神様の生活が世界の人々よりも劣るでしょうか。だめなのです。神様が博物館に現れようとすれば、一番人々が来ない薄暗い日、何万年ぶりに……。神様の価値がそうです。そのように訪ねてくる人に会うことができるように訪ねてこられるのです。それは何の話か分かりますか? (「はい」)

 同じです。皆さん、大きくてりっぱな夫をもらいたいでしょう? それは侍りやすいでしょうか? 拍子を合わせる自信がありますか? (「はい」)。どういたしまして。わたしがお母様にいつも気合いを入れられるのが何かというと、「ああ、あなたは、よく分かっていない。自分の夫人が一時、二時まで待っているとは思っていない。それでどうして夫か?」。そのように、くされをたくさん聞きます。(笑い)聞いても聞かないふりをして、さっと、それでもお母様のそばにさっと行って寝そべれば、足でけりません。(笑い)言葉とは違います。それは何がそのようにしたのでしょうか? お母様の心よりも、母の愛がそのようにしたというとき、気分がいいです。母の心はそれほど広くないけれど、愛は広いです。分かりますか?

 女性の心は、皆、同じではないですか? しかし、そこに染まれば、五色に染まるので、だれも見ることができません。無事通過です。あるにはあるのですが知らないのです。塀も超えることができ、紅海のようなものがあっても、それを渡ることができるそのような調和の橋が愛だというのです。ですから、愛が偉大なのです。ですから、愛を捜していってみたいですか? (「はい」)。本当に? (「はい」)。どれほど本当にですか? (「本当にです」)。死ぬくらいに本当にですか、神様が来られてわたしを見ないくらいに本当にですか? どちらの本当にですか? 本当に皆さん、その限界は無限なのですか?

 さあ、では、便利な夫をもらいますか、りっぱな夫をもらいますか? (「りっぱな夫です」)。不便でも? (「はい」)。それならいいです。どのようなものが順理ですか? 愛国者の中で一番りっぱな愛国者、最近で言えば、「毎日のように先生が乗ってきたリンカーン・コンチネンタルのようなものに乗って、万民が歓送する愛国者、どこに行っても十分に食べて着て暮らすことのできる立場の愛国者と、やつれて締め付けられて、ゴムひもを乳首と思って吸う貧乏人の愛国者と、その心情の幅においてどの愛国者の心情が深くて広くて高いか?」と聞くようになるとき、どの愛国者ですか? (「後者です」)。それがいいですか? (「はい」)。本当に? (「本当にです」)

 それ、病身で手の不自由な人、国を愛する途中で目が片目になり、足が一つなくなり、下肢がなくなったそのような愛国者、展覧会があるならばです。同じ級ならば四肢が完全な人を博物館に置いておきますか、国を愛する途中で手が不自由になった人を博物館に置いておきますか? 同じ級ならば? 指をもう一つ切られたものが、傷が一つ余計にあるのがより愛国者です。そのような夫をもらっていきますか? そのような夫でもいいですか? (「はい」)。ご飯は、あなたがもうけて食べさせて? その返事は悪くないですね。無条件に「はい」と言いましたね。

 このようなとき、わたしが一言言えば……。恥さらしになるので、話せないですね。お話を一つしましょうか? (「はい」)。先生に対して悪口を言おうと? (「いいえ」)。女性は信じられません。その反面男性は、女性よりちょっとよいです。その代わり、どろぼう根性があります。(笑い)いいものがあれば、先生のものでも奪って財布に入れようとします。強奪の勲章がいつも付いてまわるのです。ですから、皆、信じられないのです。

 皆さんは、皆さんを信じることができますか? 皆さんが皆さんを信じることができるかというのです。信じることができる人、手を挙げてみなさい? 「おお、億千万年過ぎてもわたしを信じ、神様がわたしを信じざるをえないくらいに信じる」と言う人、手を挙げてみなさい。目を見ると、そうではないようですね、この者たち! (「そうです」)。スムニダ(そうです)というのに、マッ(そのとおり)という文字がないですね。スムニダがどういう意味ですか? マッスムニダ(そのとおりです)と言わなければなりません。スムニダというので、そのとおりでないという意味です。それで、あなたを信じることができますか? (「はい」)。あなた、このごろ、何をしていますか? (「はい」)。何をしているのかと尋ねているではないですか? (笑い)(「経済の一翼を担当しています」)。経済? (「一和に勤めています」)。一和に勤めるのが経済ですか、あなたが生きるためにするのでしょう? (笑い)月給をもらっていますか、もらっていませんか? (「もらっています」)。それが何の経済ですか? もらえば教会にすべて献金しますか? (「十一条をしています」)。十一条が何ですか、こいつ! それは国のためにするのですか、自分のためにするのですか? 自分の体を売ってしても、負債を負いながらしても不足であるはずなのに……。


神様の御名で愛の根を下ろすようになるとき、真の息子、娘になる

 さあ、お嬢さんたち! 「お嬢さんたち」と言うので気分がいいでしょう? (「はい」)。「この女たち」と言うよりもです。(笑い)どちらがいいですか? お嬢さんがいいですか、この女がいいですか? この女という言葉は、将来、魔法性があって高くもなり、低くもなります。王女にもなることができ、皇后にもなることができるのです。お嬢さんは、一つの道しかないのです。「お嬢さん」と言えば、あの官吏の「お嬢さん」と言えば、天民と結婚できますか、できませんか?

 私たち統一教会で「女たち」と言うときは、高い人としてもかまわないし、低い人としてもかまわないでしょう? 女たちがいいですか、お嬢さんがいいですか? (「女たちがいいです」)。(笑い)あなたは年を取っているみたいですね、何歳ですか? 嫁げなければ、ここに来て先生が尋ねるのにうまく答えて、先生が記憶するようにして自分を忘れないように、そのように教育しようとするでしょう? (「いいえ」)。分からないですね、何歳ですか? (「二十七です」)。それくらいにはなっているはずです。(笑い)

 さあ、飛行機は乗って遠くに飛んで行かなければならないし、嫁ぎ先は近くに行かなければならない。嫁ぎ先は? (「遠く行かなければなりません」)。韓国人に嫁ぎますか、中国人に嫁ぎますか? (「韓国人」)。どうせなら大きな家に嫁に行かなければならないでしょう。韓国が大きな家ですか、小さな家ですか? (「小さな家」)。小さな家ではありません、わら家! みすぼらしいから、わら家。それは大きな家の中国人がいいでしょう? 中国よりより大きい大きな家がどこですか? (「大韓民国です」)。えい! (笑い、拍手)アメリカ人は、どうですか?

 このように考えるとき、わたしは愛のいかり綱をこの町内に架けて生きる、太平洋にかけて往来しながら生きる、どちらが素晴らしいですか? (「太平洋です」)。考えてもみるなというのです、太平洋でしょう。どうせ橋を架けようとするなら、すてきに架けてこそ、世界万民が訪れて、後日に称賛するのではないですか? 「偉大な女性よ、見栄えはわたしより良くないが、心は偉大です」と言うので、偉大だという言葉が、そこから出てくるのです。いくら優秀だといって、そのようになるのではありません。

 それで、先生は優秀な人ですか、だめな人ですか? (「優秀な人です」)。わたし、先生、優秀な人は、息子、娘になろうという人にまだなっていません。皆さんが先生の息子、娘ですか? (「違います」)。こいつらめ、先生の息子、娘ですか、違いますか? (「違います」)。違います! 皆さんを今、何かの息子、娘たちにしようと、ここに座らせるのですか? 皆さんが結婚しなくては、息子、娘になれません。堕落とは何でしょうか? サタンの息子、娘が結婚することによって始まりましたか? これを踏み超えて神様の御名で、真のご父母様の御名で、愛の根を下ろすようになるときに、天国を相続し、真の父母の所有権を相続されうる真の息子、娘になるのです。何の話か分かりましたか? (「はい」)

 それゆえ、統一教会の結婚式は、最大に神聖なのです。この神聖な式典を汚したり染めるなというのです。これをきれいにするために、先生は一生を使い果たしたし、一生を投入しました。神様は、数百数万年を投入しました。数多くの宗教人たちが行く道を探せないまま、今まで犠牲になってきました。人類歴史の背後で徘徊して、曲折の犠牲の垣根を高めて、サタンを防ぐために闘争をしてきたのです。この背後でどれくらいの犠牲の代価を払ったでしょうか? その値段というものは形容できないというのです。高さにすればエベレスト山が低いです。神の宝座にまで入って引っ繰り返すくらい高いというのです。

 皆さんが自分勝手に生きないで三年……。先生もですね、先生が何歳のとき結婚したでしょうか? 昔、結婚したのに、またしたでしょう? 結婚して反対しなかったなら、私たちのお母様が異なっていたでしょう? 聖進の母親がお母様になっていたのではないですか? この者たち、えんえん泣いて、夫が行く道に反対して、哀れなことになったでしょう。それが、よく考えてみると、統一教会の食口たちが聖進の母親にお母様として侍ったとするなら、ちょっとひどい目に遭ったことでしょう。門前を好きなように出入りすることもできなくて……。すべて、それは天地の度数によく合わない行動をしたがゆえに、天が作戦上追い出すために反対させましたね。このごろ、わたしはそのように思っているのです。何の話か分かりますか?

 皆さんも作戦上その家庭にふさわしくない女性になるときは、心がよじれて、この人と生きたくなくて、逃げたいというのです。そのようなときは、その夫が偉大な先祖になるのか、そうでなければ、悪党の先祖になるのか、二つのうちの一つになるのです。

 聖進の母親の心がなぜそのように、わたしに対して、悪く考えたのでしょうか? ですから、その心の中には二種類あります。一つは偉大な未来があり、一つは悪党ですが、その二つのうちの一つだというのです。しかし先生が悪党になることはできません。先生は善良な人です。善なのと善良なのとどちらがいいですか? 善なる人になりますか、善良な人になりますか? (「善なる人になります」)。善良な人には、いつでも会えますが、善なる人にはいつでも会うことはできません。それで、先生が善良な人だという話は、失礼な言葉ではありません。善なる人は、国を代表でき、世界を代表できます。皆さんに善良な人だといっても、気分を害するなという話です。分かりますか? (「はい」)


神様の息子、娘になることは容易ではない

 皆さん、神様の息子、娘になることは容易ではありません。真の父母の息子、娘になることは容易ではありません。そうなるためには皆さんの背後にサタンがついてきて讒訴できる歴史的な内容があってはならないのです。またこのように統一教会で宗教を中心として祝福をさせますが、今まで高次的な宗教では若い男女たちが結婚してはいけないと言いました。仏教もそうだし、キリスト教のパウロが教えていたのも宦官になれと言ったのです。宦官として生きろと言ったのです。そういうことを知っていますか? この前、何の道天人なのか、その人は、生殖器を切って捨てたと言っていました。原理を知っていれば、うんうんうなりながら、はい回りながら、泣いて回ることでしょう。結婚してはいけない、悪い種を繁殖してはいけないというのです。

 統一教会では、わたしが結婚をしてくれるのですか、してくれないのですか? 宗教団体がこのように若い青年男女を集めて、合同結婚式をしてくれる歴史がありましたか、ありませんでしたか? (「ありませんでした」)。このような歴史は、宗教史の中で統一教会が最初です。それは驚くべきことです。先生はだめな人ではありません。偉大な人であり、優秀な人であり、すてきな人なのです。歴史上ですてきな仕事をしたのです。このように入ってきて、さらに霊界に行ってみれば……。これがどれくらいの価値があるか皆さんは、分からないことでしょう。この者たち、堕落して自分勝手に引きずって回る者たちを皆、……。そのどん底まで骨まですべて、がん細胞が繁殖して穴をあけてしまう悪い行動をし、あらゆることをします。糞犬のようなものたち、そのような連中は、こここの町内十里の外に見え隠れすることもできないのです。ここに正々堂々と座って先生の祝福を受けようと言うことはできないというのです。

 ですから、かわいそうな人々は、天国に行く道がないのです。それゆえ、先生が皆さんの代わりにそのようなことをして道を開けるのです。まったく、踏まれ継ぎはぎのふろしき包みになり、においのする道を皆、出たり入ったりして、ふいてあげて、皆さんがここに来て座っているのであって、皆さんの個体としては到底望めないのです。

 考えてごらんなさい。エデンの園でもこのように糞犬のような者を皆、集めて……。神様がエデンの園に堕落しないアダムとエバをつくっておいたのに、そのように結婚することを願うのが神様の理想でしょうか? サタン世界で五万種類の垢がついて汚された者たちではないですか? 皆さんの父母の中に殺人強盗がいないでしょうか、どろぼうがいないでしょうか? 何代か見れば皆、同じです。そうでありませんか?

 君、お母さんとお父さんいますか? (「はい」)。おじいさんとおばあさんいますか? (「はい」)。それから、そのおじいさんとおばあさんもいるでしょう? (「はい」)。皆、善良だと思いますか? 善良だと思いますか、悪いと思いますか? 善良な人が多いと思いますか、悪い人が多いと思いますか? 善良な人が多いと思いますか? (「善良な人々が多いと思います」)。この女たち! 皆、同じです。

 皆さん、一日でも心が行ったり来たりするでしょう? (「はい」)。過去の聖賢たちは「人心は、朝晩変わり、山の色は、古今同じである」と言ったのです。人は、朝晩で変わる心を持っているけれど、山の色は、変わることがありません。それを人が知らなくそうなのでしょうか? 皆さん、そうではないですか? 心がそうではないですか? 今いいといっても十年後に悪いということができ、今悪いといっても十年後にいいということができるというのです。ですから、それをどうして信じますか?

 そして、生まれがですね、韓国の歴史の中に、僕と両班の制度があるのですが、それが合わないのではありません。韓国はものすごかったのです。それは合うというのです。僕の何がそうですか? 堕落した血を受けたのです。血統が違うと、このように見るのです。両班は血統が違います。天道から、太初からこの宇宙が始まるとき、正統的純潔の血統を受け継いだ主流がなければなりません。そのような観点から、その主流を中心として、その傍系は、中央に入れないというのです。

 それから、十代以内のおじいさんとおばあさんを皆、写真を撮ってみるならば、大したものではないというのです。皆、つまみ投げるべきものなのです。そこからつまんで使うに値する先祖たちがいないということを知らなければなりません。

 では、先生の時代にもそのようなものを残したいでしょうか、なくしてしまいたいでしょうか、考えてごらんなさい。神様がそのようなものを残したいでしょうか、なくしてしまいたいでしょうか? どうですか? (「なくして……」)。なくしたいはずです。なくしたいのに、そのようになっています。ですからどうしますか? 神様もやむなく自らの血肉を削って洗う運動をしなければならないというのです。これが蕩減復帰です。分かりましたか?


家庭が行くことのできる世界的道を開くために経た苦難

 それで、先生が今まで家庭が行くことのできる世界的な道を開くために、あらゆる主権者たちから迫害を受けながらも、国を超えて世界へ行くのです。世界へ行っても、監獄生活をしながら、このことをして回るのです。愚かでそうなのではないのです。分かりましたか? 米国へ行っても監獄生活をしたでしょう? レーガン行政府で「文総裁に特赦を下す運動をしよう」と言いながら大騒ぎをするのです。そのようにしなければ、今後、千年万年、白色人種が黒人種にひざまずいて僕になるのです。それをその人々は知っているのです。賢いのです。

 それで皆さんの根源は何ですか? 僕の子供たちですか、何ですか? 種が何ですか? 僕たちですか、両班たちですか? (「僕たちです」)。こいつ、日本の者たちも悪口を言えば分かるではないですか? それは何の話か分かりますか? 日本食口たち、先生の話が理解できる人、手を挙げてみなさい。ここに来て今、大学に通っている人、手を挙げてみなさい。大学生たちが多いのに、先生の話を理解できなければ、皆、成績は零点もらいそうですね。

 皆さん、結婚がどれほど難しいかということを知らなければなりません。聖進の母親が先生の尻さえぴたっと捕まえて、絶対服従していたならどうなったでしょうか? 今日、統一教会が迫害されるでしょうか、されないでしょうか? 四十年間に世界を皆、平らげたはずです。先生は優秀な男性でしょうか、だめな男性でしょうか? (「優秀な男性です」)。何を見て優秀だと言いますか? 鼻を見てそうですか? 違います。何を見て分かりますか? 思想、その思想を中心として、神様にまでも慰安を与えることができるのです。顔で慰安を与えるのではありません。考えが偉大なのです。

 それで、皆さん、ここに来て座っている資格がありますか、ありませんか? (「ありません」)。あるという者たち、手を挙げてごらんなさい。聖進の母親が反対したので、始めるには十四年間蕩減しなければならないのです。それで、解放後十四年目にお母様を迎えたのです。そうでしょう? 一九六〇年度、十四年間……。それ、皆、知らないでしょう? その期間には先生が一人の男性として、サタン世界を代表した国の反対を受けなければならないのです。反対するのです。女性も反対し、男性も反対し、先祖も反対してすべてが反対です。その矢を受けて倒れてはならないのです。倒れてはならないのです。

 それゆえ、監獄です。以北に行くようになれば、以北の監獄に入るのです。以北のすべての民たちがあざ笑い、嘲弄するのです。皆さんが行く終着点と先生が行く終着点は違います。大韓民国のすべての主権者たちと第五共和国までわたしを利用し、反対したでしょう? 米国を救いに行ったのに、米国が反対して監獄にほうり込みました。行く所ごとに監獄です。皆さん、監獄に行ってみましたか? 先生は、監獄に何度行ってきましたか? (「六回です」)。皆さん、一回でも行ってみましたか? (「行きませんでした」)。この者たち、一回も行ってみなかった者たちが、何をしにここに来ましたか? 監獄の友達が来なければならないはずなのに……。

 それで、先生がだめでそうだったのですか、優秀でそうだったのですか? (「優秀で、そうでした」)。いくら優秀でもじっとしていれば、監獄に行かないでしょう。じっとしていれば行かないはずなのに、口を開き、激しくののしって「この者たち、滅びる」と呪詛するから、それはだれが喜ぶでしょうか? 嫌います。騒々しいから、処断するでしょう。それが先生の伝統です。個人的に文総裁が語るのを聞くことが嫌です。サタン世界が歴史以来、一番嫌わなければなりません。家庭的にそうでなくてはなりません。サタンが代表的個人を立てて一番嫌うのです。それで、主権者たちがそのことをしました。

 それから家庭を前面に立て、氏族を前面に立て、民族を前面に立て、国家を前面に立て、世界を立て、世界にまで行って闘って、だれが勝ったでしょうか? 個人的にだれが勝ちましたか? サタン世界が勝ちましたか、先生が勝ちましたか? (「先生です」)。先生が個人的にも勝ち、家庭的にも勝ち、氏族的にも勝ち、民族的にも勝ち、国家的にも勝ち、世界的にも勝ちました。米国と闘ってだれが負けましたか? (「米国です」)。法廷に立つようになったとき、原告はアメリカ合衆国、被告は文鮮明。自由世界を代表した二億四千万アメリカ合衆国がわたし一人、大韓民国の民族でもありません。文鮮明一人だったのです。ぶつかりなさいというのです。(拍手)


すべての先祖の軸は一つ

 さあ、それでだれが勝ちましたか? (「お父様が勝利されました」)。お父様が勝ったのです。勝ってわたしがいいと誇りましたか? 死にそうになった米国を生かしてあげるのです。今回、ブッシュ副大統領も先生ゆえに大統領になるのです。わたしが手を着ける前には二七パーセントの差がありました、デュカキスとブッシュと。しかし、わたしが引っ繰り返しました。キーック。ここに来て、先生が引っ繰り返したのです。ここに来ていながらも世界の仕事をするでしょうか、できないでしょうか? (「します」)。皆さんもできますか? (「できません」)。なぜできません? しかし、欲深い皆さんは、欲深いので先生よりもっとりっぱにしたいでしょう? やりたくないですか、やりたいですか? (「やりたいです」)。やりなさいというのです。

 では、皆さんは、祝福の位置がどれほど怖いか、一つ知らなければなりません。蕩減復帰の原則において、アダムの失敗はイエス様が蕩減復帰しなければなりません。イエス様の失敗は、再臨主が来てしなければならないし、再臨主の一族は皆、イエス様が失敗した基準以上に立たなければなりません。分かりましたか、何の話か?

 ところが、イエス様が結婚したでしょうか? (「いいえ」)。皆さんは、ここに何をしに来ましたか? 神様の摂理的なみ旨から見るとき、アダム、イエス様、再臨時代、三時代を見るとき、皆さんの位置はイエス様よりりっぱでなければなりません。ところで、皆さんは国を持っていますか? イエス様が国を持っていたでしょうか、持てなかったでしょうか? イエス様が故郷を持ったでしょうか、持てなかったでしょうか? イエス様が何と言いましたか? 「空の鳥には巣がある。しかし、人の子には……」。それは家があるという、故郷があるという話ですか? 国があるという話ですか? (「ないという話です」)。文総裁も同じです。空を飛ぶ鳥には巣があり、きつねにも穴がありますが、先生にはありません。しかし、すべてを復帰してくるのです。その穴のくぼみを崩し、鳥の巣を崩し、その穴のくぼみの代わりをすることができ、鳥の巣の代わりをすることができる安息の場をつくるのです。それゆえ、安息の場、基盤を築いてきたのです。統一教会の行く道を、永遠に行くことのできる故郷の道を用意するのです。分かりましたか? (「はい」)

 イエス様が何と言いましたか? 預言者は、故郷で大切にされないと言ったでしょう? ところが、統一教会の文先生は、皆さんにどこへ行けと言いましたか? (「故郷です」)。反対なのです。故郷に行って先祖になれというのです。そのような歴史はありません。聖書にそのような教えはありません。故郷で大切にされないと言いましたが、今はもう、故郷で大切にされるときが来たというのです。それは聖書にはないでしょう? それは先生のみ言であり、間違いなく天の経綸中に現れなければならない言葉です。それゆえ、故郷に行きなさいというのです。

 皆さん、祝福を受ければどこに行きますか? 考えてごらんなさい。故郷がある前に国があったでしょうか、国がある前に故郷があったでしょうか? どちらが先ですか? (「国です」)。(「故郷です」)。堕落しなければ、自分の故郷と国と世界が連結されるのです。故郷の家は、そのときの国を代表した家です。分かりますか? アダムとエバの故郷、私たちの先祖が本来出発した家は、その国の中心です。その世界の中心です。その宇宙の中心です。それゆえ、故郷がある前に、神様はすでに宇宙をつくっておき、環境をつくったのです。

 国をつくり、国の中に氏族をつくり、氏族の中に家庭ができるようになるのです。逆さまになっているのです。このように来て、これがくぼみになりましたが、国の基盤の上にこのように代表者を立てたのです。堕落することによって、くぼみに落ちたのです。それで、すべてを失ってしまいました。分かりますか? (「はい」)。皆、失ってしまったのです。それゆえ、復帰なのです。それで、国、世界的に……。世界的な基準を蕩減し、国家的基準を蕩減し、それから氏族基準を蕩減し、その次は家庭的に蕩減してこそ、本来の家庭の位置に上がるのです。皆さん、それを全部やりましたか? 世界的な蕩減をしましたか? 国家的蕩減をしましたか、しませんでしたか? 氏族的蕩減をしましたか? だれがしましたか? 先生がしました、先生。

 アダムが失敗することによって、すべてのものが誤ったので、アダムの身代わりとして来た先生は、父母の位置ですべての後代の後孫たちの行く道で、受難の道を残さないために、自分が犠牲になりながらこの道を乗り超え、今では世界の蕩減基準の上にすーっと……。世界の中には国家があるでしょう、国家基準。個人、家庭、氏族、民族、国家、こうして世界がこれくらいなったとするなら、国家はこのくらいです。それから氏族はこのくらいで。このようにするのです。

 しかし世界の中心も、国家の中心も、氏族の中心も、家庭を離れてはなりません。これが直系です、直系。分かりましたか? (「はい」)。それは何かと言えば、そのようにすべての先祖の軸は一つです。血統の軸は一つです。二つではありません。堕落することで、これがないのです。これが生まれなかったというのです。ですから、軸がないから、数多くの国家があるでしょう。


血統転換式をしてこそ心情圏が連結される

 九月二十七日は、何を語ったかといえば、「摂理的統一式」をし、十月三日は何かというと、「統一天国開天節」を宣布しました。それはどういうことかといえば、統一教会での心情圏をいいます。

 心情圏というものがどこから来るかといえば、皆さんが蕩減してもできません。いくら蕩減の道を行き、死んでまた息を吹き返しても、心情圏を連結させられる道はありません。心情圏はどこを通じるかといえば、血統を通じてのみ伝授されるのです。原理のみ言をはっきり知らなければなりません。(「はい」)。分かりましたか? (「はい」)

 心情圏の接触をするためには、血統的な転換過程をたどることなくしては、結婚しなくては……。それで、そのためには血統転換式をしてこそ心情圏が連結されます。分かりましたか、何の話か? (「はい」)

 この者たち、サタンが後ろからあなたたちを讒訴しうる内容がないでしょうか? 絹織物の巻きひもをどれほど付けていますか、この者たち? ここに来れば、昔愛した恋人も父母もありません。自分の根を考えてはいけないのです。根はただ一つ、真の父母しかありません。

 堕落の血統を受けたものを割いて、血を出し、苦労をさせなくてはなりません。統一教会で苦労しなければならないのです。三年間苦労しなければなりません。七年路程を行かなければならないのです。結婚してふたりでこの汚された血統を清くするために……。

 純種を残すことのできる自信があるときは、愛し合って子女を生みます。清い血統を汚しかねない行動をすれば、繁殖してはいけないのです。何の話か分かりましたか? (「はい」)。結婚の後に三年路程が残っているのです。このような観点から見れば、今までに統一教会の祝福を受けた家庭、ブルドーザーで崖に運んで、け落とすべき家庭が多いのです。はっきり知らなければなりません。分かりましたか? (「はい」)

 イエス様が二千年間果たせなかった新郎新婦の理念を、初めて地上に真の父母が現れて蕩減し、それを連結させてイエス様がこの位置で解放的権限を持って、先祖の前に恥ずかしくない血統的交差式を経て、皆さんを祝福の位置に立てることによって、その愛が本然の位置で根を下ろし、すべて新しい木として育つことができると見るのが、統一教会の結婚です。

 これを抜けばサタンの根が出てきてはなりません。自分を考え、一族を考え、サタン世界の習慣的な、自分が豊かに生きようとする、このような者たちは、今後、皆、ブルドーザーで押し出すのです。はっきりと知らなければなりません。分かりましたか? (「はい」)

 それゆえ、蕩減が必要です、蕩減。死なんとする者は生き、生きんとする者は死にます。生死の境をかけてこの道を超えなければならない運命の道が、堕落した人間が行くべき道です。必然的な道になっています、これが。堕落した人間が行かなければなりません。あの世に行けないのです。

 この原則は、永遠に生きています。それゆえ、祝福を受け、皆さんが皆、あの世に行っても天国に入れません。煉獄のように、家庭的な煉獄圏が生じるのを知らなければなりません。

 「父と母は、わたしたちをなぜこのようにしたのか? 生まなかったらよかったのに」と息子、娘が言うように、サタンはするというのです。先祖が「こいつ、おまえがうまくすればわたしたち一家が、七十二代がすべて解放されるところを、何だ? こいつ」と言いながら……。下のサタンが、上のサタンが、先祖たちが讒訴し、息子、娘が讒訴する恐ろしい世界が、誤れば直行する道の上に芽生えるということを知らなければなりません。分かりましたか? (はい)。それを知っているので、先生は一人でこの道を開拓するのです。途方もない背後に避けることのできない運命の道を、人類を代表した立場に立つ人が、責任を負わなければならない人が、開拓すべき責任があるからです。

 その開拓が簡単なことがありません。世界の矢をすでに超えたにもかかわらず、皆さんは、個人的矢、環境的な難しさを避けて回りながら、天の願いに従いませんか? こんな人はありえないということを知らなければなりません。はっきり知らなければなりません。分かりましたか、何の話か? (はい)。この時間にも、そのような面ではっきりとした考えを持たなければなりません。


国境と怨讐をなくすことが世界平準化の絶対的条件

 先生が思いのままに、でたらめにしたとするならどうなりますか? 世界が滅びるのです。こうして故郷に帰ってくるのです。世界まで行ってサタンと闘い、帰ってくるのです。帰ってくるとき、サタンがついてくることはできません。ですから還故郷を宣布するのです。南北統一を宣布するのです。

 金日成、ソ連共産主義、いくら大きい国でも、民主世界、共産世界もわたしの前にあっては大口をたたけません。そのようなときなのです。全権をもって激しく押せば、すべて押されるようになっているのです。何の話か分かりますか? (「はい」)。そのような力があるのです。

 今、皆さんが地方の長官たち、何かの党首たち、四党の代表たち、あのごちゃごちゃしたその人々の前に恥ずかしい生活をしてはいけないのです。堂々としていなければなりません。わたしを見習いなさいと言って、わたしに従えば生きられるという教材になるのです。

 ところが、この世の出世とか、世の中の学閥だとか、世の中の何か金の力だとかいうものを所有しようという連中がいてはならないのです。何の話か分かりますか? (「はい」)。私たちは、天運に従わなくてはなりません。

 これは交差時代に太平洋と大西洋が一つになって、皆、一つになって、私たちが行く道には国境がありません。世界的蕩減基準を立て、水平線をつくらなければならないので、一番近い国境と国境、怨讐と怨讐が兄弟にならなければならないし、夫にならなければならないし、妻にならなければなりません。その因縁を結ぶことが、世界平準化運動で絶対的起源であるので、先生がそのような行事のためにこれを始めたことを知らなければなりません。何の話か分かりましたか? (「はい」)

 韓国人が韓国人と結婚すると言えば、統一教会の先生が実践していく、立てておいたその理想的基盤に反対するのです。厳粛に世界の先祖を取り戻している天の前に、ひざを正して、一身をささげて順応できる美しいバラの花になり、ユリの花になれというのです。何の話か分かりましたか? (「はい」)。韓国人が怨讐です。皆さんの親戚が怨讐です。今残っているのが怨讐です。私たち同士、怨讐の前に……。

 なぜですか? 今、ときは、世界統一国開天節を宣布したがゆえに、私たちのために国境を論ずる人は、サタン側です。サタンは、国境をつくろうというでしょう? うん? 国境をつくろうというのではないですか? 「日本と韓国と国境をつくって」というのは大怨讐です。それは、そのままいればサタンが生きることのできる道が生じるのです。日本も生き、韓国も生きます。「キーック」けりつぶさなければなりません。三八度線撤廃です。それゆえ、緩衝地帯のような所を先生は認めません。

 さあ、サタン側を女性が処理しなければなりませんか、男性が処理しなければなりませんか? (「女性がです」)。韓国に女性軍をつくり、金日成の徒党を「キーック」。きれいに清算できる力がなければなりません。天の前に威信を保つことのできる神様の娘になり、真の父母の娘になるべきことを知らなければなりません。軍隊の訓練を受けなさい。受けなさい。婚約した人が皆、帰れば、生活し始める前に軍隊の訓練をしなければなりません。女性軍訓練、女性軍訓練。女性軍訓練に行って出てくることはできませんか? どうですか? 出てくることができるでしょう? 女性軍の訓練をしなければなりません、今回の時期に皆、それくらいの気概を持つのです。

 それで、全世界の統一教会の女性たちはすべて……。一つの国です。天の願いならば地の果てに着くのです。それは便利でしょう? それで、手続きを踏んであげられる人々が必要なので、先発隊を派遣しなければならないのです。これは愛の先発隊です。

 地球の塊の半分が分かれて、これがずれています。水平線が合いません。水平線がぴたっと合わなかったので、皆、分かれたのです。がらくただとか、国だとか、何だとか、ぱっと支えておけば、これがすべて四方に引かれていって、転がり落ちるというのです、地球が丸いから。分かりましたか?

 それで、怨讐と怨讐同士、神様の御名で心情的統一圏を……。自分の国の兄弟を愛する以上に怨讐を愛することのできる基盤でのみ、天国のスタートが可能なのです。分かりましたか? (はい)。それで、先生が米国へ行ってしたことが何かというと、日本人を連れ、米国人を連れ、ドイツ人を連れて……。彼らは、第二次大戦のとき、大怨讐たちです。怨讐の国を中心として集まり、米国人以上に自由世界を愛し、米国を愛することができるように……。迫害を受けながら働いたがゆえに、天国のスタートが始まるのです。分かりましたか?

 ですから怨讐たちが結んだすべての垣根、すべての障壁は、皆、先生の前に来て崩れます。今、このようなことをしていく先生の道の前には、怨讐サタンが力を使えないのです。使ったなら追い出されるのです。そのようなときが来たのです。そのような自負心を持たなければなりません。分かりましたか? (「はい」)


血統を伝授されるためには、反対される道を行ってこそ

 それで、何をするのでしょうか? 神様の心情圏を所有するために、相続を受けなければなりません。神様の心情圏を所有するために相続を受けるには、神様の血統的因縁を連結させなければなりません。血統的因縁が連結されないことは、心情的……。お父様の心情が子女に、子女の心情が千年、万年伝授されません。分かりましたか? そのような心情圏を伝授され、血統を伝授されたその基盤の上で、初めて所有権が生成するのです。所有権が発生することを知らなければなりません。それは原理にすべて……。

 郭錠煥、何をしていますか? 寝ていますか? 何の話をしましたか? 話してみなさい、わたしが話したことを! (何と答えたか聞こえない)そのようにしようとするので、私たちは蕩減の道を行かなければなりません。血統を、血統を……。この目から出る涙が四方で皆、出なければなりません。汗と涙の出るすべてのものは、サタン世界から反対されながら、その道を行かなければなりません。それが蕩減です。

 血統を伝授されようとするなら、サタンが讒訴するその基盤ではだめなので、私たちは反対される道を行くのです。それゆえ、「あなたたちの母や父や娘や子女よりも、わたしをもっと愛さなければわたしにふさわしくない」とイエス様が言ったように、自分の家庭を捨て、国を捨て、先生を愛し、神様を愛そうとしているのです。そうでしょう? (「はい」)

 それゆえ、統一教会は、蕩減の道を行かなければなりません。蕩減をなぜしなければならないのですか? 蕩減の道をなぜ行かなければならないのですか? 蕩減の道をなぜ行かなければならないのでしょうか? サタンが付いて回るので、サタンを切ってしまわなければなりません。サタンを切ってしまうことなしには、血統圏内に、真の父母の血統圏内に接触できません。真の父母の血統と接触しなければ、神様とサタンと和合し、そこから皆、チャンポンになるのではないですか。何の話か分かりますか? (「はい」)

 それで、蕩減をしなければなりません。皆さんの父母が、皆さんの兄弟が皆さんを殺そうとし、反対しなければなりません。考えただけでもうんざりするくらい反対されなければなりません。さっと切ってしまわなければなりません。それが生きる道です。それゆえ、聖書に「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という言葉があるように、逆説的な論理が形成されるのです。このような曲折の内容について述べた言葉ですが、それを解くことができませんでした。分かりましたか? (「はい」)

 蕩減の道を行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? (「行かなければなりません」)。何年間、行かなければなりませんか? (「七年間です」)。七年間行かなければならないのです。七〇〇〇年歴史を中心とした七年間、七〇〇年歴史を中心とした七年間を行かなければなりません。それゆえ、皆さんは祝福を受け、自分勝手には生きられません。三年路程を行かなければなりません。三年路程を行って、「間違いなくわたしたちは、サタン世界の血縁的な因縁を超越して、天の心情圏に一致しているので、今からは神様の心情を伝授させる息子、娘を生んでもいい」という立場で生むべきであって、そうでなくて息子、娘を生めば、霊界に行って父と母を讒訴するサタンになります、サタン。アダムとエバを讒訴したのと同じように「お母さんとお父さん、なぜ、この立場でわたしを生みましたか? きれいに清算して生むべきであって、こんな子をなぜ生みましたか?」と言うのです。サタンとの境界線が天ではありません。このように中間に来て暮らすのです。そのような子を生みますか、生みませんか? (「生みません」)


種を植え損なえればサタン扱いされる

 この時間に皆さん、昔、恋愛して何か愛の関係があったものはすべて、関係したそのような瞬間は、夢にもなかったと考えなければなりません。そのようなことを考えてはだめなのです。この者たち、分かりましたか?

 ここの協会長は、そのような面で、皆、はっきりしなければなりません。(「はい」)。朴普煕もそうだし、郭錠煥も皆……。適当にではいけないのです。原則は、千年万年、あの世に行っても適用されるのです。皆さん、ここにごまかして座っていてごらんなさい。皆さんがごまかして祝福を容認してごらんなさい。一族の範囲で引っかかります。皆さんの父母まで、皆さんの先祖まで、皆さんの子孫まで、逆賊の子孫になるのです。逃れるのが難しいのです。ですから、ここは厳しい位置です。分かりましたか? (「はい」)

 イエス様が二千年間国家を求めていき、蕩減させておいたその国家に、イエス様が行く道に反対する人が一人もいないようにしておいて、行って結婚できるその立場なのです。分かりましたか? (「はい」)。種を植え損なえば大変なことになるというのです。先生も同じです。先生も無責任な種を残しません。分かりましたか、この者たち? (「はい」)

 統一教会は、このような血統的結婚を結ばなければなりません。このような婚約祝福式が皆、その式です。

 男性は一人です。女性は一人です。二人はありえません。離婚はありえません。

 このような歴史を見るとき、これをどのように避けるか? 先生は、今も心配なのです。心配なのです。それは幸せになるか見ましょう。祝福受けて、出ていって、自分勝手に行って、どこかに行って……。世界が皆、わたしたちの天地です。追っていってくぼみに掃き入れて、出来損ないまでも見えないように火で燃やしてしまうのです。その父母が火で燃やしてしまうのです、父母が。わたしは手をつけないのです。父母が、兄弟が燃やすことが起こるかもしれないというのです。邪悪なサタンがばらまいた、この悪魔の根本がすべて結実したこの淫乱の世界を清算しなければなりません。それは先生の使命であり、皆さんの使命です。分かりましたか? (「はい」)

 それにもかかわらず、皆、それをぶら下げて回りながら、そのような行動をできるかというのです。わたしがじっとしていても、霊界に行き……。霊界に行ってみなさいというのです。悪魔が張り飛ばすのです、悪魔が。サタンが「こいつめ、わたしは長成期完成級で堕落したが、おまえは完成期完成級で、ご父母様の血統まで蹂躙した者ではないか、こいつめ」と言いながら……。何の話か分かりましたか? (「はい」)

 サタンが悪魔扱いします。恐ろしい立場です。分かりましたか? (「はい」)。祝福してもらうことを希望したでしょう? 願いましたか、願いませんでしたか? 願う前に自分自身が不足なことを清算するためにせかなければならないはずなのに、この者たち、祝福ですって? 先生がそれで、深刻なのです。この野良犬のような者たち、この女たちが汚したものを、東西南北に道を先生が開いてあげないと生きる道がないのです。先生を皆さんが絶対信じ、絶対服従し、絶対愛し、絶対行動するところにおいてのみ、皆さんの行く道が生まれるのです。ここに異議がありえません。これをはっきり知らなければなりません。(「はい」)。そのような意味で、そのようになった位置で和するのです。そのようになった天の人を中心として和する、偽りのサタン世界、それ自体を中心としては和しはしません。

 では、サタンと神様と、あの妻一人を中心として、昼にはサタンが愛し、夜には神様が愛することができますか? エバは体の父母です。外的な母です。神様の夫人です。アダムは何でしょうか? アダムは神様の体です。ところが、これを犯したというのです、これを。

 今まで未完成だったがゆえに、それを皆、切ってしまい、えぐって、付けるのです。肉が残っているというのです、肉が。肉は何かというと、真の父母の肉です。真の父母の愛が残っているので、それが復帰できるのであって、それがなければできません。到達する道理がありません、すべてぺちゃんこで。何の話か分かりましたか?


蕩減の道を行く理由

 蕩減の道をなぜ行かなければなりませんか? (「……」)。蕩減の道をなぜ行かなければなりませんか? (「サタン分立をするためです」)。サタン分立をして何をしようというのですか? (「神様の血統を受け継ぐためです」)。真のご父母様の血統圏に加入しなければなりません。皆さん、今、ある堕落圏が何ですか? サタンの血統圏です。それを超えるのがそのように難しいのです。その峠で数多くの聖人、数多くの民族、数多くの義人が皆、虐殺されました。先生もそのうちの一人です。サタンが行く道とサタンを包囲できる方法を知っていたがゆえに、今まで生き残ったのであって、その道を知らなければ死にます、死ぬ。先生は何を残しておきたいでしょうか? 殺したいけれど、殺せないように、先生がうまく抜け出すので生き残ったのです。

 蕩減の道をなぜ行かなければなりませんか? (「サタン分立……」)。サタン分立をして何をするですって? (「真のご父母様の血統を受け継がなければ……」)。血統を受け継いで、何をするですって? (「心情圏……」)。心情圏、神様の愛を相続し、千年万年神様とともに暮らすことのできる位置に安着するのです。サタンを分立し、血統を転換しなければなりません。百八十度転換しなければなりません。皆さん、ここ入って、今後は、父母、お兄さんたちも訪ねてくることもできません。先生は、そのように生きました、先生も。分かりましたか?

 そのようなときは、わたしの肌や何も、サタン世界に見せはしませんでした、先生も。先生を腕以上に見た人はいません。このごろは皆、脱いでいるでしょう? 膝以上を見た人はいません。監獄生活をしながら汗を流したり、皆、しましたが、自分の肌を見せはしませんでした。節制があり、節操がなければならないというのです。

 それで、お母様に対してわたしが解放してあげないと、お母様も今、思いのままにできないのです。女性は、まだらなものを着てみたいでしょう? クジャクは、クジャクの姿を備えなければならないのであって、クジャクがコウノトリのようになってどうしますか? それはクジャクでもありません。それゆえ、すべて自分が置かれた立場に立つことのできる格位を備えることができなければなりません。分かりましたか?

 統一教会は、皆さんの堕落圏的な思いのままに生きられません。やー! 君、名前は何ですか? 眠気が来ますか? 君、いつ入ってきましたか? えい、君、いつ入ってきましたか? 君? ああ、白いネクタイ。その横、どこから来ましたか? 君です。君! どこから来ましたか? うん? どこから来たか尋ねているではないですか? (「大邱から……」)。大邱から来たので、うとうとするのですね。(笑い)わたしが何の話をしたのか分かりますか? うん? 何の話をしたか分かるかと言っているのです。(「……」)。これ、深刻です。深刻だというのです。先生が話しているのは、深刻な話をしているのです。先生がこのようなことを知ったので、どれほど気がふさがりますか?

 これを知ったので、聖進の母親も皆、一つの峠を超えながら再び訪ねてこなければなりません。七年路程を歩まなければならないというのです。赤ん坊とともに母子協助し、この地上において、エバの運命がすべて縦的基準立てられなかった夫を訪ねていく、この地球星においてそのような七年間、赤ん坊を抱いてその赤ん坊をこの地上のいかなる王子よりも大切に育てなければならないというのです。自分が死ぬとしても、残してあげなければならないというのです。皆、超えていかなくてはなりません、険山峻嶺を。国家を代表し、世界を代表して超えていくべき七年路程が残っているということを、自分の婚約段階で皆、話したのです。このようなわたしなので、このような公的な道を行く人なので、この道を行けるかと、そのとき、すべて話しました。それが実際そのようになるとは思わなかったでしょう。ぴたっとそのままするのです。


男の行く道と女性の行く道

 皆さんも同じです。夫が七年間け飛ばせば、不平を言えないのです。赤ん坊を父母のいる子女以上に育てなければならないし、そのようなことをしなければならないのです。何の話か分かりますか? (「はい」)

 この男性たちを動員し、皆、以北に七年間派遣すれば、派遣するのであって、中国大陸に派遣すればするのであって、嫌だと言えますか? (「言えません」)。では、皆さん(女性)は赤ん坊を皆、家もなく、食べるものもなくても、もうけて食べさせなくてはなりません。

 聖進の母親もそれはしました。聖進を背負って回りながら、リンゴ売りもしたしですね、警察に追い回されたり、皆、しました。そのような話を聞きながらも、わたしは心が動きませんでした。男が行く道と女性の行く道は違います。「国を選んで行かなければならないのが男の道であり、家庭を選んで行くべきなのが妻の道なので、あなたは妻の道を行きなさい。わたしは国を選ぶことのできるそのときのために行って、選ぶことができれば会おう。七年路程には会うとは考えるな」と言ったのです。何の話か分かりますか? (「はい」)

 それで、深刻なのです。先生は、そのようなことをするのがよかったでしょうか、悪かったでしょうか? 明らかに知っていながらもしかたないのです。公人はそういうものです。公人が私人と、私的な人と異なるのはそれです。公的な責任を優先させて行こうとするのが公人です。公的な人です。分かりましたか? (「はい」)

 皆さんも今、家庭を中心として、結婚するには、昔には皆さん同士で結婚しましたが、今は国家と国家が額を合わせなくてはなりません。日本と韓国と額を合わせなければなりませんか、合わせてはなりませんか? (「合わせなければなりません」)。それ、額を合わせれば、女性と女性の額を合わせなければなりませんか、女性と男性と額を合わせなければなりませんか? (「女性と男性です」)。またそのようにしておいて、女性と女性、それから男性と男性、このように合わせてもかまわないというのです。そのようなときが来たのです。

 皆さん、頭がどこに触れなければならないですって? 米国、ソ連、中共、四大強国に頭を合わせなければなりません。ソ連のゴルバチョフの息子が結婚すると言えば、韓国の女性とかちんと結婚させてあげるのです。(笑い)祝福さえ受ければ、共産世界は一朝一夕に統一教会の食口になるのです。

 それをなぜしませんか? それはしたいですか、したくないですか? (「したいです」)。ソ連の言葉も知らないのに? ソ連のやつら、共産党のやつが乗ってきて愛そうとしても、それは愛することができますか? ああ、怖いというでしょう。見ることもできない、目が真っ青な北極熊がですね、熊が来て乗って座ろうとするのに、歓迎できますか? 神様の御名によってオーケーするのです。いつでも歓迎です。そうでなければなりません。(拍手)

 お母様もですね、わたしが年上ですか、お母様が年上ですか? (「お父様が年上です」)。何歳上ですか? (「二十三歳です」)。二十三歳上より、四十歳ほどなら、ぴたっといいのです。四十年がぴたっと違って一度結婚すればいいはずですが、二十三歳はあまりにも惜しいです。(笑い)四十年の差だというとき、お母様が十六歳、十七歳くらいになって、結婚するとき、オーケーするでしょうか? どうですか?

 皆さんは、どうですか? 皆さん、どうですか? 皆さんできますか、できませんか? 幼くてしませんか? (「します」)。幼くてもしなければならないでしょう。では、すると思いますか、しないと思いますか? (「します」)。先生でなく、世の中の男性なら? (笑い)いや、統一教会の男性なら? (「しません」)。(笑い)なぜしませんか? 同じではないですか、先生の息子、娘なのに。しなければなりませんか、してはなりませんか? (「しなければなりません」)。年齢が問題ではありません、年齢が。


蕩減は同じ立地条件を立てておいてする

 年齢がなぜ問題ではないかといえば、私たちは母も失ってしまったし、姉も失ってしまったし、妻も失ってしまった人です。私たちはお父さんを失ってしまったし、それから兄さんを失ってしまったし、新郎を失ってしまった人々です。男性がいれば兄さんのように、夫のように、お父さんのように愛せというのです。それを提唱する人です。それ、何の話か分かりますか? 蕩減をしなければならないのに、蕩減のような環境において、同じ立地的条件を立てておいて蕩減する法が蕩減法です。分かりましたか?

 では、エバが堕落することによって、いくつ心情を失ってしまいましたか? お父さんの心情を失ってしまいました。それを知らなければなりません。兄さんの心情を蹂躙しました。夫の心情を蹂躙しました。

 この三大心情をどこで蕩減しなければならないでしょうか? 木石を立てておいてこれを蕩減できる道ならば、千秋の願いをかけていくべきエバの身を考えると、年齢が問題ですか? かかしのような男がいても、その心情が復帰されるという、恨を解くことができる道があるなら、どんなことでもできないでしょうか、このような心を持たなければなりません。何の話か分かりましたか? (「はい」)

 ところが、しませんか? (「します」)。この女たち、股を裂いて皆、焼いて、はげわしの餌に……。深刻な話です。分かりましたか、この統一教会の女たち? 「女(カンナ)」というのは嫁に行ったか(シーチブ カンナ)という言葉なのです。(笑い)嫁に行ったか(シーチブ カゲンナ)のいとこが、行ったか(カンナ)です。嫁に行ったか(シーチブ カゲンナ)、行ったか(カンナ)、どちらがいいですか? (「嫁に行ったか〔シーチブ カゲンナ〕です」)。皆さんは嫁に行ったか(シーチブ カゲンナ)ですか、嫁に行ったか? 嫁に行ったかも偽物です。

 三大心情圏を蕩減復帰すべきこれは三人種を中心として、三大人種を超えなければなりません。三大国境を行き来しなければならないし、三大道を行き来しなければならないし、三つの郡を行き来しなければなりません、この七年路程では。それで、愛を中心としては、四大人種を超えなければなりません。

 ところが、皆さんがそれをできないので、皆さんは、今後、韓国人と結婚すれば、娘婿は、白人をもらわなければなりません。それからスパニッシュ系、それから黒人……。一戸の中にそのように五色人種を率いて暮らせることが、神様の心情圏に新しく勃発する氏族になるのであり、民族になるのだというのです。

 ところが、日本人同士、韓国人同士、中国人同士、何同士? とんでもないことです。分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました」)。「分かりました」という人、どれ、目をつぶって、いや、目を真っすぐに見開いて、両手を挙げなさい! それ、手を見ると、手がとてもかわいいので、手を皆、切ってわたしが財布に入れて下げていけばよさそうですね。(笑い、拍手)

 小山田や日本食口にすでに、わたしが米国から来るときから、今回韓国に行けば、結婚は、韓国男性は日本女性をもらわざるをえないし、(笑い)また日本男性は韓国女性をもらわざるをえないとしたのに、皆さんは、彼らにどう対しましたか? 母として対さなくてはなりません、母として。


復帰世界が正しくなることならば犠牲の場でも行ってこそ

 堕落は何かというと、神様の母を犯したのです。ですから、母のように尊敬し、姉のように尊敬してから妻のように愛さなければならないのです。それ、何の話か分かりますか?

 さあ、「私を嫁がせてくれ」という人、手を挙げてみなさい。(笑い)下ろしなさい、下ろしなさい! (笑い)挙げなかった人、手を挙げなさい。この女たち、それは冗談ではありません。挙げなかった人、手を挙げなさい! これ、もう一度しますか? (「はい」〔女性〕)。しません。(笑い)

 さあ、男性たちはどうですか、男性たちは。男性たちはどうしますか? 今、わたしが何かを尋ねているではないですか? うん? (「結婚させてください……」)。(「結婚させてください」)。(笑い)それ、「結婚させてください」という人、手を挙げてみなさい。下ろしなさい。挙げなかった人、手を挙げなさい。だれのために挙げませんでしたか、だれのために? 女性が挙げなかったがゆえに、叱責受けてはだめなので、叱責を受けないように、女性ゆえに挙げませんでしたか? (「違います」)

 ですから、女性に同情してどこにでも婿に行きますか? うん? この者たち! 女性に同情しても婿に行きますか? この者たち、どうですか、行きますか、行きませんか! 結婚させてあげれば結婚するかと尋ねたのに、なぜ返事をしませんか? 結婚すると言ったでしょう? (「はい」)。女性を同情する立場で結婚しますか、結婚しませんか? (「結婚します」〔小さな声で〕)。結婚しますか、結婚しませんか? (「結婚します!」)

 では、結婚しないという人、手を挙げてみなさい。(笑い)では、結婚するという人、手を挙げてみなさい。この者たち、手を挙げてみなさい。(笑い)その話は何かというと、女性を同情し始めるときは、男性は二十二歳であり、女性は四十二歳でも婿に行くという話なのです。(笑い)なぜ、なぜ……。この者たち、なぜ大騒ぎしますか?

 先生もですね、先生が四十歳になって十七歳のお母様を連れてきたので、それはどろぼうでしょう? それを先生は知らなかったでしょうか、分かっていたでしょうか? ああ、花嫁がどれほど多いですか? おてんばな女博士がいないでしょうか、ただ列をつくって「わたしは宇宙の母だ」と、けんかをしながら、三代が束になってありとあらゆる大騒ぎをするのですが、何も知らない純真な乙女を、嫁ぎ先も知らない乙女に「君、わたしに嫁ぎなさい」というなら、それがどれほど失礼で、どれほどたちの悪い男性ですか? うん? その女性が気分悪いでしょうか、気分いいでしょうか? そのとき「いいえ」と一言言ったとするなら、どうなるでしょうか? ここに来て座っているでしょうか、座っていられないでしょうか? (笑い)座っているか、考えてごらんなさい。(拍手)一言で天下が行ったり来たりします。

 わたしが、もし四十を超えて結婚するきょうこの日に、「ああ、それは年を取っていてだめだ」という女性がいてです。それからとてもハンサムな男性がいるから、しかたなくしてやったとすれば、先生の心が気分いいでしょうか、気分悪いでしょうか? (「いいです」)。それでは、どうでしょうか? 祝福を手厚くしてあげるのです。「この息子、娘たちが一人娘を生んだり、一人息子を生むようになれば、この国で皇族になるべし」と祝福をしてあげる心の囲いがあるということを知らなければなりません、この者たち! 何の話か分かりましたか? (「はい」)

 このような話を聞けば「ああ、わたしも年を取った新婦をもらわなければならない」と、どろぼうたちは考えるでしょう。うん? (「違います」)。違うという人は、もらってあげます。どうしますか。ああ、十年くらい―元弼、元弼兄さんが何歳上ですか? 鄭達玉が? 何歳上ですか? (「八歳上です」)。八歳上です、八年上。

 私たち統一教会の先生とお母様と何歳上ですか? (「二十三歳上です」)。二十三歳くらいの差は、こちらへ行っても大丈夫だし、あっちへ行っても大丈夫なのではないですか? 違いますか? こいつ、君、何歳ですか、なぜ笑いますか? あのお母さんのような人と結婚できる役事が展開してこそ、復帰世界が正しくなるなら、どうしますか? (「しなければなりません」)。しなければならないのに、なぜするのを尋ねますか?

 それは、「おばあさんのような人と結婚しなさい」と言えば、どうするつもりですか? (「しなければなりません」)。(笑い)三代です。三代をつづらなければなりません、三代。復帰歴史は、三段階を切ってするからです。皆さんがおばあさん復帰歴史。その次には、お母さん復帰歴史、それから娘復帰歴史、このように三代歴史、三時代を分けてするといいながら、皆さんにおばあさん圏蕩減新婦をもらえといえば、どうしますか? 嫌ですか? 嫌なら追放されるのです。

 多くのひよこの中で、祭物が何羽になりますか? 多くの鳥のひなの中で祭物が何羽になりますか? (「一羽です」)。ひなは? (「一羽です」)。「その一羽の中に、何かの罪が多くて、何かの罰をわたしが受けるだろうか」このような話をすれば、罰を受けるのです、本当に。「一羽中でわたしを選べばどれほどいいだろうか」そのように考えたくないでしょう? かわいらしい女性であるほど、ごたごたと色とりどりな色合いを持つほど、そのような心を持ちたくないのが女性の心だというのです。そうですか、そうではありませんか?

 一羽のひよこになりますか、千羽のひよこになりますか? 千羽の中の一羽になりますか、千羽を代表した一羽になりますか? どちらですか? (「代表した一羽です」)。目ん玉を抜いて、鼻を切って、これをすべて切って血が流れるはずですが、いいですか? (「いいです」)。そのような心が必要です。そのような心を持たなければならないのです。心の姿勢が。心の姿勢が。体がそのような犠牲の位置に行っても、わたしの心の姿勢は、そのような犠牲の位置に行かなければなりません。


心情圏が作られれば環境の基盤は、自然に生じる

 それで、国を収拾しなければなりません。日本の国と韓国の国と怨讐になれば、これどうなりますか? 日本人は韓国と根が同じですか、同じではないですか? 最近ではすべて知らされたでしょう? (「はい」)。小山田、何古墳? (藤ノ木古墳)。藤ノ木? (「はい」)

 それで、皆さんは、日本の男性をだれのように考えなければならないですって? お父さんのように、兄さんのように、新郎のように考えなければなりません。統一国宣布をしたこの基台の上において、国家と国家、大韓民国と日本が怨讐ですが、このような国々が愛で神様の心情圏を溶かし出すことができる伝統的根を下ろしておくことによって、日本は自然についてきます。分かりましたか? (「はい」)。愛する人を打つことはできません。それをここでするのです。

 それから、エバ国家である日本についていくべき米国は、日本を逃すことができません。ぴたっとそのようになっているのです。貿易逆調になってこれがすべて……。エバ国家の所有権を失ってしまったでしょう? 世界的にこの世界の物質的なすべてを持ってきました。これが、今、どこへ行くかと言えば、カイン、アベルを通して、アベルを通し、カインを通し、エバを通じて、母を通じて父を通じて神様の前へ帰るのです。

 それゆえ、相対的基準でアダム国家の前に、日本は日本の基盤を持って帰ってこなければなりません。分かりましたか? それで、先生が日本の基盤を持ってきて、韓国に植えるのです。そうだというのです。心情に従って、すべてのものは動いていかなければなりません。ですから、この心情圏をつくることによって、これからアジアに一つの定着地になって、男性と女性が東西南北で回るのです。そうなれば、ここに環境の基盤は、自然に生まれます。

 大韓民国が十二年間、このように発展した恩賜は、その環境的基盤を準備するためです。日本の国とアダム国家が出会うことのできる環境を準備するために、ソ連と中共までも、米国と日本までもすべてこの版図に弄ばれているのです。それで、ソウルオリンピック大会を中心として、それが内外にぴったり合って、世界統一国を宣布したのが、今回の先生の宣布なのです。分かりましたか? (「はい」)。具体的な内容はよく分からないが、とにかくそのように信じますか。(「はい」)。時間がないのです。今から、何時間後に二千人をあっという間に結んであげ、日が沈む前に夕食をわたしが食べなければなりません。(拍手)

 さあ、それで、日本ではですね。それで、ここに集まった男性たち、ここに集まった女性たち、先に結んであげましょうか? 韓国語だいたい理解できるでしょう? うん? (「はい」)。理解できるでしょう? (「はい」)。韓国がもっといいですか? (「はい、いいです」)。(笑い)韓国は、ちょっと違うのです。日本と違うのです。違うでしょう? 韓国は男性です。男性的なのです。日本人より男性的だというのです。

 それゆえ、日本の女性は、韓国の男性をもらうことことによって、思いどおりできません。これがちょっと違うのです。また韓国の女性は、日本の男性たちに対して思いどおりできません。また違うのです。ですから、異変が生じます。その代わり、だれについて行かなければならないかと言えば、韓国の男性が日本の女性について行ってはだめです。また、韓国の女性が日本の男性について行ってはだめです。(笑い、拍手)違います、それは。考えてみなさい。

 それはわたしの話ではなく、原理のみ言です、原理。(笑い)日本人といえば二人の人です。日本の国がエバならば、二人がエバではないですか? この二人の男性と女性が、一人は右側であり、一人は左側ではないですか? 縦的に見れば、上下であり、そうだというのです。

 男性世界に来て女性世界の男性でも、女性と一緒に暮らさなければなりません。男性と一緒に暮らせば反発するのです。プラスとプラスは反発するではないですか? (笑い)それが原理観なのになぜ笑いますか? ですから日本の男性でも、韓国の女性はアダム国家の女性なので、そこに来てくっつくためには、そのマイナスの前に絶対服従しなければなりません。こわばって立ったなら反発するのです。(笑い)プラス、マイナスの道理がそうではないですか? (拍手)また、日本の女性たちは、韓国の伝統的なアダム文化圏を繁殖させなければなりません。分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました」)

 きょう、韓国語と日本語を話すので、わたしが変になりました。(笑い)よく分からないといいながら七十パーセント分かるというので、はっきりと分からせるために、わたしが日本語も話し、韓国語も話すので時間がたくさん過ぎました。どこに行きましたか、ハンカチ。そこにわたしが置きましたか、お母様が置きましたか? わたしがここに置いたのに、そこに行っていたから、捜せませんでしたか? (笑い)

 さあ、皆さんの心の状態に複雑なすべての環境は、すべて消えてしまって、今み旨を行く道だけが残っているというのです。分かりましたか? (「はい」)。そうでしょう。そこに順応しようという人、手を挙げてみなさい。はい、ありがとうございます。ありがとうございます。(笑い、拍手)

 昼食食べよう、やめよう? (笑い)昼食、食べさせてください、食べよう? (「食べさせてください」)。(笑い)「食べさせてください」と言うより「食べよう」と言うのがもっと近くないですか? 「愛してください」がいいですか、「愛します」がいいですか? どちらがいいですか? (「します」)。(笑い)結婚すれば、自分の夫に「愛します」と言えば、もう分かるのです。それは何の話か分かりますか? 女性が「愛します」と言うときは、「私を完全に占領してください」ということです。

 そうなれば、男性は目を真っ赤にして、「そうか」といって理解するのです。それで、女性もだれかが占領してくれることを願うでしょう? 何が? 愛の親分が。これは男性も同じです。愛の前に占領されたいのです。女性は、横になっていても男性を占領しているというのです。それは愛だけが可能だというのです。分かりましたか? ときには男性が上に上がってもかまわないでしょう? そのようなことを知っていますか? なぜ笑いますか?

 それで、女性は胸が分厚いですか、平たいですか? (「分厚いです」)。分厚いのに月経のとき、このように適期になれば、これがむずむずするでしょう? 「ああ……」面白い話をするのに、何です、この者たちは! (笑い)

 さあ、女性は胸が真ん丸いですか、真ん丸くないですか? (「真ん丸いです」)。丸いですか、丸くないですか? (「丸いです」)。丸いです。ですから、月のものが来るときは、ここがむずむずするでしょう? (「はい」)。そうですか、そうではありませんか? これが、真っ黒になり。うん? (「はい」)。それはどういうことかと言えば、花で言えば、つぼみが生じて、ぱーっと咲くようになれば、ちょうちょや蜂を迎えることができる徴兆が現れた。「君、注意しなさい」という言葉なのです。

 ところで、むずむずするその胸を男のような手が行って、ぱっと握ってあげるのがいいですか、握ってあげないのがいいですか? (笑い)ああ、これ、露骨に話すのです。(笑い)今まではこちんこちんの唐変木のようにしましたがです。これが、今さっとークリも旬になれば、クリのいがが開き、「中に隠れている宝物を奪って食べてください」というように、広げてくれるのと同じように、女性がボタンをいくつかかけ、ピンをいくつかつけたものを皆、外すのです。

 こうしておいて、寝るときはです。嫁に行きたいときは、ボタンをすべて外しておき、自分の手でもみながら、このように寝るのです。そうでない女性は、事故の女性です。そうでない女性は、おかしな女性なのです。(笑い)そのようなものです、生理的に。ああ、この雌牛も春の季節になれば、大きくなれば、もうにおいをかぐのです。さっと、雄牛のにおいを「ふうーん」と。においは、女性がかぐようになっています。

 そして、雄牛のにおいがすれば、小便くさいにおいなのかわたしは知りません、何のにおいなのか。においがすれば、頭が割れても、垣根を乗り超えて直行するのです。そのようにさっと行って、こすりつけます。こすりつけるのです。(笑い)世の中万事がそうなのに、万物の霊長がそうではないでしょうか? ですから、「私の胸をだれが触ってくれるか?」と言いながら、恋しがりませんか? 恋しいですか、恋しくないですか? (「恋しいです」)。(笑い)それは、恋しいという女性は、純真な女性ではありません。(笑い)「恥ずかしくて、恥ずかしくて、口がすでに恋しいですが、どうして答えますか?」と言うべきでしょう。そうなのです。そのようなものなのです。

 それゆえ、あの盗賊のような人々が待っているのです。(笑われる)愛に占領されるのは幸福なのです。

 そのように思って……。愛が貴いのです。完全に男性や女性やその共同世界につまみ入れて、低くてもいいし、高くてもいいし、これくらいの女性が……。大学を卒業してこそ男性なのかという言葉があるではないですか? 愛ならばそれでいいという韓国の歌もあるではないですか? そのように思って、口を開いてはだめです、乙女たち! そのように思ってよく準備しなさい。(拍手)(昼食)


植えたとおり結実するようになっている世の中

 皆さん、韓国語ができない人がいますか? 韓国語は皆、できますか? (「はい」)。どれくらいになりましたか? 最近来た人たちは、何か月になりましたか? (「一か月以上になりました」)。一か月以上になったですって? (「はい」)。君も一か月前に来ましたか? (「はい」)。一か月なら分からないでしょう、一か月なら分からないではないですか?

 皆さん、韓国の男性たち連れていこうと韓国に来ましたか? 韓国に何をしに来ましたか? ここの女性たち、二列ですか? 二列ですか? (「はい」)。何人ですか、二百人になりますか? (「それほどにはならないと思います」)。ならないですって? (「日本の女性が九十一人です」)。日本の女性が九十一人ですか? (「はい、それから日本の男性が百七十一人です」)。それで、全部で何人ですか? (「二百六十二人です」)。二百六十二人? (「はい」)

 この人たちは、皆、年が幼いではないですか? 君、何歳ですか? (「二十六歳です」)。年齢が一番幼い人は何歳ですか? 君、何歳ですか? (「二十四歳です」)。君も婿に行きますか? (笑い)何の話か分かりませんか? 男性と女性と何が違いますか? (「……」)

 それで、よく見てみると皆、女性のようです。(「違います」)。女性みたいです。ところで、統一教会の女性は皆、美人です。(拍手)違います、違います! 統一教会の女性は、皆、美人だったのです。統一教会に入れば、神様のように思えるくらい、顔が大きかったものも小さくなり、また余りにも小さければふつうによくなり、皆、そうです。皆さんは知りません。一日、二日、心がそのように円満になれば,自然に棟梁の垂木のように似ていくのです。

 この世を見詰めれば、さっきも少し話しましたが、世の中すべてのものは、植えたとおりに刈り取るのです。植えたとおり世の中は実を結ぶようになっています。エデンの園でアダムとエバが物陰で堕落したでしょう? 今、そのようなことが全世界的に露出するときです。世界の青少年たちが皆、アダムとエバのように、堕落したそのような段階の世界的な実を結ばせたのです。

 今日、これがむやみにこのようになったのではありません。秋になったので、悪い実は抜き取ってしまわなければなりません。秋になったので、悪い実は皆、刈り取って、火に放り込まなければなりません。そして、いい実は、主人の食卓に上がらなければならないのです。

 それと同じように蒔いたとおりに刈り取るのです。それで、秋の季節になったがゆえに、今日の世界の青少年たちが問題です。若者たち、十代、ティーンエージャー時代が問題なのです。それがむやみにそうなのではありません。それが最近、ストリーキングといって、丸裸になって走るのです。いくらか前にも、米国で丸裸になって走ったりしたのです。そのような運動が今からは過ぎ去ります。そのような期間が二十年行きます。二十年ほど続きます。

 それから今、米国も見れば、今、学生たちが保守世界に帰りつつあります。七十年代、八十年代、今九十年代が近づくので、保守世界に立ち入っています。それだけ昔、旧時代に反対し、すべて新しい何かを追求していくと大騒ぎした自由主義型大学の学生たちが、今では旧時代に帰らなければならないというのです。それで、今、保守世界に帰りつつあるのです。

 それが何かというと、摂理のみ旨に従うことのできる神様の準備であり、混乱したこの世を審判してしまうためのものだというのです。そのようなものを刈り取ってしまって、新しく今、新しいものを植えるための天の作戦だということを知らなければなりません。何の話か分かりましたか? (「はい」)

 そうなれば、実を植えるにあって韓国は韓国に植え、日本は日本に植えたといって、それがあたかも韓国のものだと考えてはいけないのです。それは世界的でなければなりません。


国際平和高速道路が置かれれば

 これから世界は、どんどんどんどんと交流するようになります。先生がそれで、今まで国際平和高速道路を施設することを提唱しました。すでに一九八一年度に提唱しました。それはどういうことかといえば、国境なく往来することです。国境がないのです。四車線の道路を中心として、左右側の四キロメートルずつ、八キロメートル外には干渉できますが、日本なら日本が平和高速道路に通じるその左右側八キロメートルの外は干渉できますが、それ以内には絶対に干渉できないようにするのです。その地帯をどこでも絶対不可侵地域として設定させ、世界のすべての人々が往来できるようにするのです。そこにさえ入れば国境がないというのです。いくら走ってもだれも反対しません。

 このごろ、交通事故ゆえに反対するといいますが、ドイツに行ってみれば、ドイツは速度制限がありません。それゆえ、どれほど速力を出すかしれません。速力を出すといえば、自動車に乗った四人、五人が皆、緊張します。注意を喚起して「さあ、最高速力!」と、そのようなときは、皆がつかまって、こうしています。それゆえ、運転手が少しだけ目をうっかり誤ればくたばるのです。分かりましたか? (笑い)そのようにすべてが一つになって乗るので、事故がもっと起こらないというのです。事故がもっと起こらないということです。

 そして、そのようないい車、ベンツのようないい車に乗ってぱっと踏み始めれば百二十から百二十五マイル、百七十五マイルまで出ます。ですから飛行機のようです。飛行機が百マイルなら飛びますから。ですから道端に小さな、よくない車は三車線なら、その車線には入れません。入ってくれば、すぐ出なければなりません。そのように各自が皆、注意するので、事故がないというのです。それと同じように、今後、平和高速道路さえ生じるようになれば、勝手に走りなさいというのです。ありのままに走りなさいというのです。そこは黄色も青色も、白人も黒人も区別なくです。あなたたちは黒人なのであちらへ行って、あなたたちは白人なのでこちらへ行って、それがありません。ですから、その話は何かというと、人種もなくなるというのです。

 皆さん、一時間に二百マイル走れば、日本には数時間以内に行くようになります。どこでも一日あれば行きます。ここからどこへでも行くことができるのです。ですから、時間を制約する環境時代は過ぎ去るというのです。それで、その高速道路を通過するところは文化の差がなくなります。皆、そこに入れば同じ同族です。

 そのように見るときに、ここから中国にも一日で行ったり来たりし、ここからロンドンまでも二日ならば行くことができるはずです。二日ならば行くでしょう。そうでしょう? そのような時代が来るはずです。飛行機のチケットがないといって、行けないのがありません。お金をたくさん出して行く必要がないのです。ガス時代においては行ってなくなれば、入れればいいのです。そのように走ればいいのです。そのような時代が来るのです。

 ですから国境に制限されるそのような時代は過ぎるというのです。それは世界が皆、願います。しかも私たちのみ旨から見れば、これは絶対的にそうでなければなりません。先生がこのように始めましたが、あえてだれかが止めるでしょうか?


今からは国が互いに一つになるべきとき

 先生が一番初めに合同結婚をさせるとき、ドイツ人と英国人の未婚の男女がいました。ドイツの女性と英国の男性ですが、英国の男性は慎ましく、ドイツの女性は強いのです。一番最初、互いに話をすることができなくて通訳をつけなければなりませんでした。通訳をつけて話をするのですが、「愛しています」というのも、通訳をつけてしなければならないのであって、そうでなければ、何の話か分からないのです。「愛しています」と言っても、目だけぱちぱちしています。(笑い)いくら手でつついても、信号が行きません。果てには、実際は、怨讐ではないですか? ですから、極から極を合わせていくのです。

 これ、日本と韓国は色も皆、同じではないですか? このように座っていれば、横の人がどの国人なのか分かりますか? どれ、韓国人、君、韓国人でしょう? (「はい」)。君、日本人区分できますか? あなたが日本人のようだし、この人が韓国の人のようです。(笑い)ですから、韓国人や日本人は、皆、兄弟と同じです。

 摂理的に見ても、そのようなときが来たということが分かるでしょう? (「はい」)。なぜこのようなことをしなければならないのか、分かるはずです。互いが額を合わせるときが、男性と女性が額を合わせるときが来たと言ったでしょう? (「はい」)。国が互いに一つになるときです。国が早く一つになってこそ、世界が統一されるのではないですか? ですから、国境を超えて国が一つになるようになるときは……。

 このようなことをするときに日本の人たちもどれほど大騒ぎだったでしょうか? 今まで合同結婚式するとき、七七七組だとか一八〇〇組だとかいうときは、どれほど日本が大騒ぎしましたか? 何でどうでこうでと大騒ぎしました。それで、あなたたち、大騒ぎするなら、してみなさい! わたしはわたしがすべきことをするのであって、そのように大騒ぎするといって、わたしがしないと思いますか? わたしがこれをしないようなら、一生の間、非難されることはなかったでしょう……。違いますか?  ですから、するなといってもわたしはするようになっています。

 それで、韓国にいる統一教会の人たちは皆、わたしに似ました。そうでしょう? 韓国の人、わたしに似たでしょう? (「はい」)。倍達民族ならば、だれに似たでしょうか? わたしに似たでしょう……。(笑い)倍達民族の中でわたしが親分ではないですか? わたしはそのように考えます、倍達民族の精髄をわたしが守っているがゆえに。(拍手)わたしがこのようなことを主張するぐらいにはなったのです。

 わたしがなぜお母様がいないなら、婿入りをもう一度すればいいと言ったと思いますか? わたしが日本の新婦と結婚すると言えば、どうなると思いますか? どれほど易しいでしょうか? そうでしょう? 違いますか? 私たちの先生もしたのに、それから英国人とも結婚すればどれほど易しいでしょうか? それで、実際にわたしはそのようなことができないから、このような説明が必要なのです。違いますか? (「はい」)

 そのように思って、最近、あの自民党、民民党、デモする声を皆、聞いたでしょう? (「はい」)。旧時代、退けというのです。わたしたちも好きなように掻き回してそうなのに、若者たちが好きなようにするのに、だれが何というのですか? 豚の子と結婚するといってもするのであって、しかたがありますか? 豚の子とは結婚できないけれど、そうすることのできないことが起こったとしても、父母が反対できないのです。

 ですから、韓国男性たち、父母が何がどうだこうだというといって、日本の女性をもらって気分が悪いと言ってはならないのです。「分かりました」(笑い)それで、死んでもだめだというなら、共同墓地に生き埋めにしますか? どうしますか? 男性がもう三十代が近づけば、二十五歳を過ぎれば、自らを処理できなければなりません。小言を言うなというのです。「よく調べてすることなので、わたしたちにいいことがあるはずなのに、何ですって?」と言いながら、闘うのです。すべてわが家がうまくいくためにこのようにするのであり、一族がうまくいき、国がうまくいくためにするのだといって。

 皆さん、ごらんなさい。世界はソウルに、ソウルはどこに? (「世界に」)。聞こえませんでしたか? (「聞こえました」)。身動きできないのです。聞こえましたか、聞こえませんでしたか? (「聞こえました」)。父母が歓迎しますか、歓迎しませんか? (「歓迎します」)。それゆえ、このことをするのです。身動きできないので……。何、「手に手を取って、壁を超えよう」と言ったでしょう? (「はい」)。日本の垣根を壊そうというのです。(拍手)

 しかし男性たちは、本来、盗賊のようなものなのでよく分かりませんが、女性たちが慎ましいのに……。本来、この女性たちがですね……。韓国の女性は、特別ではないですか? そうでしょう? 韓国の女性は、特別だというのです。日帝のとき、そのように激しい日帝四十年間、日本人たちが韓国の女性がよくて、結婚しようといってもしませんでした。一族が皆、一丸となって反対したりしました。接近すれば、兄さん、甥が刀で刺そうとしたりしました。


道義天国は女性が立ててこそ

 皆さん、そのようなこと知っていますか? そのように外国の占領を受けて寂しい支配を受けましたが、日本人と結婚した人は多くないというのです。韓国の女性の独特の節操性は尊重視したというのです。それゆえ、道義之国という話は、韓国の男性たちゆえに生まれたのではありません。女性たちが道義之国という名を立てたということを知らなければなりません。それはそうでしょう? (「はい」)

 今は道義之国ではなく、道義之天です。国ではありません。天です、天。道義之天国です、道義之世界なのです。それをだれが立てなければなりませんか? (「女性が立てなければなりません」)。女性が立てるべきです、女性です、女性。

 それゆえ、天が誇ろうとするなら、男性も誇らなければなりませんが、「きれいな人」と言えば、男性を先に指しますか、女子を指しますか? 皆さんが女性なので、わたしが尋ねたのではありません。それでは、「きれいな人、美しい人、かわいい人」と言えば、どちら側がもっと多いですか? (「女性!」)。女ー性! (拍手)

 女性(ヨヂャ)という言葉は、少し誤れば、「開こう(ヨルヂャ)」という言葉になります。(笑い)ですから「女性」と言えば「ここに来てください」という人です。「もしもし」いうのではないですか? そのような意味です。女(ヨ)という言葉は与(ヨ)えることを言います。“与”えるの「与(ヨ)」の字、“者”の「者(ヂャ)」の字、女性は与える人です。そうではないですか? “与える”与の字であり、受ける与の字ですか? (「“与える”与」)。受ける与、“受ける”受(ス)! (笑い)わたしはよく分かりません。どちらですか? (「“与える”与」)。“与える”与、そうでしたか! ですから、女性は与える人だというのです。そうではないですか? 何を? 一番よいものを……。

 韓国の女性がそうです。それゆえ、わたしがここ大韓民国を訪れて一番誇るべきことは何でしょうか? 韓国の贈り物が何かというと、人ですが、人の中で一番いい祭物は何でしょうか? 女性です、女性。韓国女性を世界の人々の前に供えようというのです。すみません。(笑い)ああ! そうではないですか? その家がりっぱになれば……。その家に娘たちが生まれれば、すでに町内八方その有名な官吏の男性たちが、耳を垂らし、目を鉄砲玉のようにしてのぞきみて、その女性を連れて行こうとしますが、そのような家がりっぱな家ではないかというのです。皆さん、何の話か分かりますか? (「はい」)

 そのように見るとき、今日の全世界の統一教会の群れたちは、皆、「先生ー、私を知っているでしょう」と、そう言います。(笑い)皆が、この次に先生のような夫を一度もらってみたいというのです。それは嫌がることができますか? 懇切に懇切に願うのに、このように懇切に懇切に願うのに……。(笑い)それで、よせ、インド人、君も食べて退きなさい、よせ、黒人の人、君も食べて、白人の人、君も食べて退きなさいというのです。そうでなければ家の中が安らかではありません。

 さあ、そうしておけば、どうなるでしょうか? 東西南北四方に、女性にずうーっといかり綱を結んでおいて、船に乗って座っていれば、どうなるでしょうか? 台風が吹いても、そのいかり綱が切れなければ、先生は安全ではないかというのです。それで、いい贈り物をたくさん分け与えようと考えるのに、皆さん自分自身を贈り物として考えますか? 気分悪いでしょう? (「いいえ」)。気分悪くてもしかたありません。(笑い)


愛の調和は、並ぶものがない

 それで、一番最初は気分が悪いけれど、わたしが本当にみっともないことをたくさん見たのです。何が一番みっともないでしょうか? 死んでもその男性に嫁がないというのです。わたしはそのような女性を見ました。ところが、その女性が最近では自分の夫でなければ、死んでもやりきれないと言っています。何がそうさせたのでしょうか? (「愛」)。その男性には死んでも行かないと言う、そのような女性が死んでもその男性でなければだめだというのを、何がそのようにしたのでしょうか? 先生がそのようにさせたでしょうか? (「愛です」)。そうです。愛という将軍がそうさせたのです。

 皆さん、愛の将軍見ましたか? 愛を見ましたか? 愛は放浪しますか、じっとしていますか? ぐるぐる回りますか? どちらですか? (「回ります」)。回るのを見ましたか? (「いいえ」)。(笑い)皆さん、愛がじいっとしてるとするなら、味が出ません。ふわふわさまよわなければならないのです。飛んで回っても見……。それで、愛の調和は、並ぶものがないのです。

 それで、愛の心を持って気合いを与えれば、その気合いを受けるすべてのものが降参しないものがないというのです。それゆえ、皆さん、恋煩い知っているでしょう? (「はい」)。恋煩いは女性に多く起こりますか、男性に多く起こりますか? (「男性です」)。理解していませんね。歴史的な統計を見れば女性に多いというのです。(笑い)いいえ。女性は一方通行です。男性はこのようにうとうとしながら行っても、走ることができるのに、女性は「おおおおおお」といって一方通行です。(笑い)男性はびっこをひきながらも、尻、乳、ほかの所も見ながら行きますが、女性は一方通行なので、恋煩いの患者は、女性が多いのです。このような話は初めて聞いたでしょう? 行って歴史の先生に尋ねてごらんなさい。(笑い)何の話か分かりましたか? (「はい」)

 その恋煩いは何がそうさせましたか? (「愛です」)。愛、愛を知っているでしょう? 男性の恋煩いが激しいでしょうか、女性の恋煩いがもっと激しいでしょうか? (「男性です」)。(笑い)見ましたか、あなた! (笑い)ああ、そのように考えないのに話してはだめです。男性の恋煩いがぶり返せば、虎のように「おー! おー!」と言いますが、女性の恋煩いは、ふとんの中に入って、ただひれ伏しているのです。(笑い)それが違うのです。それが違います。

 それゆえ、愛は、男性と女性では違います。女性は、愛を受けるときまでは喜びますが、受けてからは「さっ」と冷静になればだめです。愛を受けてから愛することのできる心を持たなければなりません。そうしてこそ、虎のような男性を、垣根の中から飛び出さないようにすることができるのです。皆さんは、垣根一つを巡らせますか、二つを巡らせますか? (「一つ」)。一つ巡らせば、ぱっと超えていくのではないですか? いくつ巡らせますか? (「たくさん……」)。十くらい巡らせなさい。十回愛を受けても、百回愛することのできる度胸を持たなければならないというのです。そうなれば、無事通過なのです。

 わたしがこのような話をなぜするのでしょうか? ありとあらゆる人をたくさん見ました。ある人は、ここ、柳鐘泳が来ましたか? (「来ていません」)。来なかったので話さなければなりません。(笑い)その柳鐘泳を知っている人は知っているし、知らない人は知らないことでしょう。その息子、娘はここに来ましたか? その息子は来ているでしょうね。息子、来ましたか? (「来ていません」)。ああ、祝福家庭だからここには来ていないでしょうね……。

 男性は、男性です。見た目はこの口がこのように分厚くて、ぽっと出て、目はカエルの目のようです。目もやぶにらみのカエルのようです。まるでさなぎのように自分勝手になったのか、格好がこのようにして歩き回るのです。(笑い)男性としては不格好です。ああ、そうかと言って本当に不格好であればだめですが。そうなれば、それを愛する目で見れば、並ぶもののない調和の美しさかもしれないというのです。これを触ってみても面白いし、これをこのように見ても面白いというのです。他人と違うのでどれほど面白いですか? (笑い)そうなのです! そうだというのです。それで、初愛で結ばれた人は、醜い人はいないし、美人でない人はいないし、ハンサムでない人はいないというのです。そのような話を聞いたことがありますか? (「はい」)

 それで、皆さんのお母さんとお父さんたち、皆、容姿が整っていますか? (笑い)静かに分析してみなさい。お母さんを見れば粗暴な女性みたいですが、お父さんはツンとすまして、賢くて、お粥からにおいだけ集めて食べようとするお父さんなのですが、それでもお母さんをつかんで暮らすことを見れば、おかしなことです。どうしようもない点が多い父母たちもいます。皆さん、お母さんとお父さんもそうだと思いますか? 分からないはずです。けれども、くっついて落ちないのです。落ちられない、落ちられないのです。

 その何がそうさせるのでしょうか? 初愛です、初愛。初愛が行く道は、直行ですが、すべての目、鼻、耳、細胞まで感じる感情まで、その綱に乗って回ろうとするのであって、ほかの綱に乗って回ろうとはしないというのです。脱線がないのです。それが偉大なのです。初愛の相手を夫として、妻として迎える人たちは、不幸な人ではなく幸福な人です。

 君、もう眠気は去りましたか? (笑い)ちょうどその場に座っていますね。グループを組みましたか? (「さっきのまま座っています」)。ああ、えーと、そのまま座っているのか、違うのか、わたしは皆、忘れてしまったのですが、そのまま行って座っていますか? 君を見てみると、その綱が分かりますが。


男女の生活が紊乱であれば滅びる

 このごろ、韓国でも若い青年男女たちが問題です。お母さんとお父さんたちは、息子はちょっとかまわないけれど、娘たちをもった家は、心配が山のようではないですか? お母さんやお父さんは、娘がデートする男性がいなければ心配して大騒ぎして回るのです。このような亡国之輩。米国の者たち…。米国に対して「ヤンキー・ゴー・ホーム」と、そう言うのではないですか? ついていってはならないのです。

 皆さんは、先生がなぜこのような話をしているか分かるでしょう? (「はい」)。それで、皆さんにデートしろとわたしがそう言いましたか? (「いいえ」)。聞いたことがありますか、ありませんか? (「聞いたことがありません」)。男性たちは聞いたことがありますか、ありませんか? (「聞いたことがありません」)。デートが何ですか、デートが? (「会うことです」)。うん、デートが何ですか? (「会うことです」)。男性と女性が会うことですか? 手首を握って引っ張って、このようにして、前に行ったり、後に行ったりしながら歩くというのです。

 それが亡国之風です。亡国之風です。そのような国は必ず滅びるのです。ローマが滅びたのは、文化背景が悪くて滅びたのではありません。男女の生活が紊乱だったからです。米国が亡びていくのも、ほかのところにあるのではありません。米国にお金がなく、能力がなく、技術がなくて、そうなのではないのです。世界で先進国としての堂々とした権威を備えましたが、滅ばざるをえないのは何かというと、未来の希望を提示し、その国を担うことのできる人がいません。なぜですか? 自分の生活を担うことのできる能力がないというのです。自分の家庭を率いることのできる能力がない人々が、どうやって国を導けるでしょうか? それは理論が合わないのです。それゆえ、米国は、滅びるとという結論を下すことができます。何の話か、分かりましたか? (「はい」)

 今まで統一教会となって行くすべての道を、ふさぎました。この邪悪な世の中を分別するのに、どれほど騒々しいですか? 先生がそれをよく知っています。どれほど苦衷が多いのかというのです。

 娘たちが慎ましく統一教会員になって、黙々と歩き回るようになれば、お化けのような男性たちがひっきりなしにくっつくようになっています。それが夜にも現れ、昼にも現れて、やりきれない境地になった人がたくさんいます。そうなのです。それは情操的にそうです。完全な天のみ旨の中で見れば、その人が天の側に立っているために、サタン側は、必ず引っ張られて入ってくるようになっています。

 それで、私たち統一教会が開拓伝道を皆、娘たちがしました。十代の娘たちが出ていって伝道をすれば、皆、その子が見たくて来るのです。それが魅力です。大きなマグロ釣りをするときの餌のように、においのする餌を探しにくるのと同じです。そのようなある魅力があるのです。けれども、いくらそうでも、気にかけません。東西南北に転がしても、いかなる男性もその子たちを好きなようにできないというのです。先生もそうです、先生も。お母様がいますか、いませんか? すみません。(笑い)


愛がこの上なければ糞の味もみる

 先生が外国に行けば、先生に対して、皆、キス禁止を命令しました。もし先生にキスしろと命令を下せば、たぶんこれを噛みちぎったはずです。(笑い)ああ、この男性はいつかまたキスするかといって……。血でも、血を出し、噛みちぎっていこうとしたはずです。キスの命令をすれば、危険千万です。それだけいいというのです。キスしろといえば、つかんで三十分ではなく、二十四時間でもつかんで、じっとしていようとするはずです、この女性は。ですから、それはどれほど縁起が悪いですか! (笑い)

 そうでなくても、世の中にもそのようなことがあります。わたしがこの前、フロリダに行ったところ、男性と女性が立って額をお互いにぴたっとくっつけていました。それで、立っているのがちょっと難しいから、一人はコーナーにぐっとこのように寄りかかっており、一人はぐっとこのようにしています。額を合わせてこのようにして、口を合わせて、三十分そのようにしていました。それを待つことができなくてそうなのであって、三十分ではなく、三時間もしたかしれません。

 それだけ彼らは情熱的です。皆さんは三十分ではなく、三十年、三百年でもできるでしょう? (笑い)できますか、できませんか? (「できます」)。三十分できるでしょうか、三百年できるでしょうか? (笑い)「三千年でもできます」といってこそ、わたしが結婚させてあげます。三十分内で離れるなら、それは何でもありません。

 ところで、日本人のにおいと韓国人のにおいは違うと思いますか、同じだと思いますか? (「同じです」)。うん? ああ、日本人は、日本人のにおいがするでしょう。それでも、愛の炎は、そのにおいを知らないのです。愛する夫、さっき足のくさいにおいの話をしましたが、愛し合えば、つま先を舌で吸うとしてもいいというのです。だれが? 新婦が……。(笑い)この女! なぜ「うえっ」と言いますか? (笑い)そのような愛がいいというのです。

 さあ、男性たち、くさいにおいのする足を吸うそのような新婦をもらいますか、吸わない新婦をもらいますか? (「吸う新婦をもらいます」)。(笑い)吸う新婦もらうですって? (「はい」)。(笑い)ああ、わたしの母がどういうことをしたか知っていますか? 弟が幼いときに病気になりました。天然痘あるでしょう? それは熱が出るのです。ですから、その熱をすべて発散しなければなりませんが、発散できずにいて、死んだのです。そのとき、母が弟のうんちの味が苦ければ生きるし、苦くなければ死ぬと言って……。うんちの味を見たのです。

 皆さん、何の話か分からないでしょう? 皆さん、お母さんの心情分からないでしょう? 女性でも分からないでしょう? そのような話を聞けば、口をしかめますか? 違います。それが当然なのです。愛は、それですべてカバーするのです。それが生きるということです。

 実際、考えてごらんなさい。女性が優れているといっても、目二つ、鼻一つ、これとこれとこれしかありません。この四種類を見詰めながら一生の間生きようとするので、それがどれほど地獄ですか? 美しいという女性でも考えてごらんなさい。どれほど失礼ですか? わたしを見て生きてくれといいながら、別のところに行けば、だだをこねて、脱線すれば大きい事故が起こるという、そのような話をする女性たちを見れば、どれほど男性は哀れですか? そうではありませんか? しかし、それが見詰めてみても嫌わないで喜ぶので、それでいいのではないですか? 違いますか? それが嫌だといって、どうしますか?

 考えてごらんなさい。二度だけ見ても、嫌なのは嫌なはずなのに、一生の間それだけ見て生きろですって? それも静かに優しくいるのではなく、えんえん泣き、愚痴までこぼします。女性たち、愚痴をこぼしませんか? こうしてもつんつん、ああしてもつんつん、つんつんして、どれほど事故が多いですか? (笑い)

 さあ、ですから男性に同情しなければならないでしょう? (「はい」)。分かったでしょう、今から嫁に行くからには、同情することができるはずです。昔、嫁に行くことを考える前には、自分の同情だけしますが、もう嫁に行くときになれば、人を同情することができ、垣根を超えて、さっと見るのです。垣根を超えて見れば、目がぱちぱちしているのです。皆さん、それ、見たことがありますか? 見たことのない人はここに参加しますか。見たことがありませんか? それ、見た人、手を挙げてごらんなさい。恥ずかしくて聞けないでしょう……。

 見なさい! わたしを見なさい。馬のような未婚の男女が三、四人がばたばたと来れば、女性が楽しく戯れながら、行きながらも、おとなしくさっと姿態をこのようにして行きますが、すでにいつ皆、測定したのか、だれがどうで、だれがどうだということを、女性は評するのです。けれども、男性たちは、ぐずぐずしていて、どんな女性が過ぎたのかも知らないのです。何の話か分かりますか? 女性は、測定感覚が早いのです。何食わぬ顔をし、いつキャッチしたのか、「三人のうち、真ん中のやつが一番ましだな」といいながら、ぱっと選ぶのです。(笑い)

 皆さんも、そうではありませんか? そうですか、そうではないですか? この者たち、返事をちょっと率直にしなさい! (「そうです」)。率直な話をしてこそ、結婚を真剣にしてあげたくなるのであって、そうでなければ、すべてむやみに、いいかげんにしてやります。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)


復帰の道を行くには理性の誘惑に打ち勝ってこそ

 先生は、恋愛したと思いますか、しなかったと思いますか? (「しなかったと思います」)。(「したと思います」)。(笑い)当ててみなさい。恋愛したと思いますか、しなかったと思いますか? (「しませんでした」)。わたしは恋愛のしかたを知りませんでした。知りませんでしたが、恋愛しようという人はたくさんいました。その人たちは女性でしょうか、男性でしょうか? (「女性です」)。男性でしょう、男性! (笑い)男性でしょう! それで、先生がその女性を好きになったなら、どうなったでしょうか? 復帰歴史をすべて売り飛ばしていたことでしょう。

 先生がこの道を行くときまでは、女性が怨讐です。女性が怨讐です。女性が怨讐です。女性が怨讐なのです。ですから、女性に対したものを完全に無為の世界へ返すことができる資格者でなければなりません。霊界に対する祈祷をしても、女性が出てきて誘惑します。どれほど美人たちかしれません。美人たちによって成された軍隊がさっと拍子を合わせて歌う美しい歌、花を持って華麗な歌を歌うのです。そのようにがやがやしながら来るのです。多くの人が来ながら、だんだんだんだん一列になって、後になれば、ぴたっと一人として現れます。ところが、その人が相当な美人として現れるのです。そのままそこで丸裸になって、さっときて抱かれようとするのです。抱かれなければ、後ろに、背中に乗って上がります。それが嫌でしょうか、いいでしょうか? どれ、いいでしょうか、嫌でしょうか? 男性たちならば? (「いいです」)。あなたたちは、男性になったことがないでしょう? 先生は、そのとき喜んだでしょうか、気分悪かったでしょうか? (「悪かったです」)。それは、喜んだなら大変なことになるのです。「この女め、股を裂いてしまわなければならない」と言いながら、ありとあらゆる闘いをします。

 それから実際にそのように現れます。そのようなことがあるというときは、もう何日後には実際にそのような女性がぴたっと現れます。本当の女性が現れるのです。現れては、ただ依頼をします。ああ、先生が一人で暮らす部屋に、女性が脱いで入ってくるのです。そこで超えてはならないのです。そのような道を経ていかなければなりません。そうでなくては、復帰の道を見いだせません。美人百人の中で自分が真っ裸になって、一人横になっていても、男性の生殖器が動いてはならないのです。そのような立場までも修養をしなければなりません。何の話か分かりますか? (「はい」)


「怨讐を愛せ」という言葉が宗教世界に出てきた理由

 それで、神様にあって一番難しいのが何でしょうか? 神様がどれくらいのおかたかということを、皆さんは知らないでしょう? 神様が怨讐を愛するにおいて、どの程度まで愛するのでしょうか? 愛する妻を怨讐の懐に渡してやり、手をつかんでやり、愛しなさいと祝福をしてあげることのできる心をもったおかたが神様です。神様が分かりますか? (「はい」)

 その相手はだれでしょうか? サタンです。サタンはエバの姦夫です。違いますか? ですから神様の愛の怨讐です。その愛の怨讐が、数千年間来て讒訴しても、それを少しも嫌な表情をせず、今まで真の主人の役割をしてきました。それで、神様がこの地に一人の中心を育て切るときまでは、だれでも、不平を言おうが、それに反対してはなりません。なぜかというと、天使長だったからです。

 天使長、罪を犯した天使長がいう話が「わたしは堕落して悪魔という悪名をもった存在になったが、神様と神様の息子の名前をもった人がわたしと同じでありうるか? それは天理原則の本然の世界の元亨利貞の位置、原理原則の位置にいるべきではないか?」と言うというのです。ですから「アダムが完成して神様と一体になるときまでは、わたしを愛さなければなりません。アダムと神様がわたしを愛すべき原理がないだろうか? わたしを愛さなくては、神様の国を成し遂げることはできず、天国の息子、娘を入れることができないのではないか」と言うのが原理です。それを神様が「違う」とは言えないのです。「そうだ」と言うからには、そのまま行わなくてはなりません。そこに今、引っ掛かっているのです。何の話か分かりますか? うん? (「はい」)。それを知らなければなりません。

 その話は何かというと、先生自身がアダムの位置に、神様の息子の位置にいるとすれば、そのアダムを愛さなければなりません。神様を愛し、もちろんエバも愛さなければなりませんが、それからだれまで愛さなければならないかといえば、堕落した天使長まで愛さなければなりません。そうでなくては、あの世に入れないというのです。それで、怨讐を愛せという言葉が宗教世界に出てきたことを知らなければなりません。分かりましたか? (「はい」)

 それはアダムだけではありません。とりわけ神様は、自分の愛する妻を怨讐に渡してやり、福を祈ってあげることのできる雅量をもったがゆえに、悪魔までも復帰できる、このように見るのです。愛を中心として、すべてのものを復帰できる、このように見るのです。愛を中心として、すべてのものを復帰できるというのです。ムチを持って復帰するのではないのです。分かりましたか? (「はい」)

 さあ、このように考えるとき、皆さんが結婚して愛する夫がいるというときに、その夫を怨讐に抱かせてやり、「愛しなさい」と言いながら、福を祈ってあげることができますか? その門前に座って守り、「おお、天のお父様、福を下さい」と、そうすることができるのかというのです。そうでなくては、天国に入れません。何の話か分かりましたか? (「はい」)

 それで、終わりの日の女性は、二人の男性に対するようになっています。最近、それで、悪い女性が自分の本当の夫を置いて、東西南北四方で浮気をしながら、二人の男性以上に対するようになっているのです。それがなぜそうでしょうか? 堕落した世界から天国に帰らなければならないからです。帰るには帰らなければならないのに、彼らは空回りするのです。それゆえ、本当の夫を捨ててでも、天の新郎を訪ねていくことがメシヤに会う道です。分かりましたか? (「はい」)

 メシヤが何ですか? メシヤに会うためには、自分の夫をどうしなければなりませんか? キリスト教で見れば、花婿たる主といいます。そうでありませんか? 新郎である主だというではないのですか? それで、主が来るようになれば、そのとき、夫に仕えて行くといいますか? 夫を離れて行かなければならないというのです。自分の夫が愛する妻に祝福をしてあげなければなりません。同じです。神様のような心をもった息子、娘になることなしには天国に入れないという事実を知らなければなりません。分かりましたか? (「はい」)。分かりましたか、何の話か? (「はい」)

 皆さんが今後、国を備えて、ご父母様を中心として、世界が一つになることのできる時代が来るようになれば、そのような時代は過ぎるのです。そのときには悪魔に対し、赦す必要はありません。それは法が赦しません。しかし蕩減時代が終わる前までは、怨讐を愛さなければなりません。そうでなくては、天国に入れません。


祝福を受けた人々が行くべき運命の道

 キリスト教は、怨讐個人を考えるでしょう? しかしそれは違います。統一教会では怨讐国を考えます。さっきも話しましたが、米国へ行って闘うようになるとき、どうしたと思いますか? 韓国人と日本人が怨讐の間柄です。米国人とドイツ人がそうです。その四大国の人々が先発隊となり、滅びる米国を生かしたのです。米国が怨讐の国なのに、米国国民が米国を愛する以上に愛したのです。怨讐の国の人々が行って再建されるそこに、初めて悪魔がいなくなり、天国の門が開き始めるというのです。何の話か分かりましたか? (「はい」)。分かりましたか? (「はい」)

 その話は何ですか? 皆さんが日本に嫁ぐなら、日本の人以上に日本を愛さなければならないという話です。日本の姑、舅、または小姑、弟、姻戚の八寸、そのだれよりも日本をもっと愛さなければならないのです。その文化をもっと愛するという心、それが重要です。それとともに「日本の人々は自分の国だけを導くが、わたしは世界と天国まで導いていく」と考えろというのです。ですから、受難の種は、もっと深く伸びていくのです。それで、掘りに掘って、道理を知って、彼らが誤っていたことを教えてあげることができなければならないという話なのです。分かりましたか? (「はい」)。わたしは嫁がせる娘たちを教育するかのように、今教育しているのです。よく聞きなさい。

 また男性たちは、男性たちは反対です。日本の男性たちは反対だというのです。韓国に来て、怨讐の国の人を自分の国の天皇以上に愛さなければなりません。もちろんそうでしょう……。それ以上の愛国心を持って、互いに交代した相対的基盤の根を分別しなくては、二つの生命体がここで新しい種を受けることができないのです。何の話か分かりましたか? (「はい」)。それでこそ皆さんの息子、娘が日本人にならずに、滅びる日本人、滅びる韓国人として残されないで、永遠に残りうる息子、娘がその根の深いところから生じるのです。

 合わないといって嫌がりますか、嫌がりませんか? ああ、義理の祖父、義理の祖母、姑、舅、小姑ということなく、皆、心に受け入れますか、受け入れませんか? 心に受け入れるって何ですか、言葉も知らないのに。言葉も知らないから、どれほど冷遇されるでしょうか? それでも冷遇されることがいいのです。冷遇されるにおいては、讒訴する人以上にしたというときは、そこに深い根が打ち込まれるというのです。そうして、その家がぐるっと一周回るようになるときには、皆さんが根となり回るようになります。ぐるっと家の中が振り返れば、皆さんを中心として、彼らが回るに回らなければなりません。それで、日本が新しい日本として生まれ、滅びる韓国が新しい韓国として生まれることのできる道が生じるのです。分かりましたか? (「はい」)

 それで、嫁に行く家がほかの家ではありません。酸っぱく辛く塩辛くて味が少し酸っぱくて渋いので、嫁ぎ先(注:読み方が酸っぱい家と同じ発音)といったのです。(笑い)何の家? (「嫁ぎ先です」)。嫁ぎ先、酸っぱいというのです。酸っぱければ、もう顔がこうでしょう? 歯は、食べなければならないので、前に行こうとして、頭は、酸っぱいからこうしているのです。歯は、差し出すのに……。食べるには食べなければなりませんから。(笑い)それはすべて拍子に合うのです。そうでしょう? 歯まで引っ込めば、生きられないのでしょう? 前に行こうとするので……。それはすべてそのようになるのです。

 それで、嫁ぎ先という話は、今日このような娘の怨讐国です。娘として生まれたのですが、その怨讐国の大将の息子に嫁ぐその心がどれほど混乱するでしょうか! それを超えて世界のための神様のみ旨を中心として、消化しなければならないのです。そうして、その二つの畑を土台として、自分の愛の根を下ろし、吸収発展しなければならないというのが統一家の希望であり、国家を超えて祝福を受けた人々が行くべき運命の道です。

 皆さん、運命が何か知っていますか? (「はい」)。運勢とは違います。運命の道は行かざるをえません。しかし運勢は、直すことができます。違いますか? 運命の道は、直すことができないというのです。さらには、宿命の道です。宿命は、絶対的です。たとえば、なにがしの娘が「私はなにがしの娘はしないか」と言えますか? それは宿命です。絶対直せないのです。

 それで、運命の道をたどって宿命の道理を植えようとする天のみ旨がこのようなものだと知って、ぜひこのようなことをよく……。生涯の裏山前に、事情多いそのような木々の中で誇ることができる大木として残し、その国において尊敬される鬼神になるべし! (「アーメン!」)。(拍手)


今は交差する時代

 さあ、それでは、今、先生のみ言を聞いて蕩減法によって、いい男性をもらわなければなりませんか、悪い男性をもらわなければなりませんか? (「いい男性です」)。(笑い)

 今の時は、交差しなければなりません。交差しなければなりません。それで、交差するときには、左側にいた人が右側に行かなければならず、右側にいた人が左側に行かなければならないのです。交差時代です。これをもしだれかが防いで交差させておかないと、右側は生まれません。サタン世界の一方通行で進めば、日本に正しい国が生まれません。だれかが防がなければなりません。ブレーキをかけなければなりません。強くさっとかけるときに、この将来の世界には右側の国の世界が生まれますが、この左側の世界は、終わりになるのです。それだけ超えていけば、全体がこの国に行くのです。それは分かりましたか? (「はい」)

 今までわたしたちは、愛のブレーキをかけて、左側の端を防ぐことによって、右側の世界が生まれるための作戦をしたというのです。ですからそれを防がなければならないでしょう? 交差させなければなりませんか、してはなりませんか? 交差させなければこれは一方通行です。永遠ではありません。ですから世界を代表して、世界の流れに匕首を当て、愛の伝統としてさっと分別します。これは先生だけが可能なのです。

 それで、この道を行くわたしたちの世界から新しいオリンピックの世界が生じるのです。それをつくらなければなりませんか、つくってはなりませんか? (「つくらなければなりません」)。交差させなければなりません。交差しなければ、今後大変なことになります。先後が交差しなければなりません。交差時期です。

 日本が韓国を支配した反対に、西洋社会がそうであるように、韓国の経済問題に日本が今、大変なことになりました。日本人の中で分かっている人たちは韓国に負けるといっているのですが、負けるようになっています。韓国人はやられません。貿易でも何でも、外交問題にやられないのです。やられません。番号が違います。洗いざらいしようとするのであって、少しはしようとしません。先生に似て。(笑い)

 さあ、ですからこれを交差させなければなりませんか、させてはなりませんか? (「交差させなければなりません」)。させない日には永遠に天国が現れません。ですから反対をします。反対しようと、火事が起こるでしょう。生きるか死ぬかのことが展開するのです。「この女め、家の中を壊す!」ということでしょう。家の中を壊そうと来たでしょう。交差されなければならないのです。そのときは、交差しなければなりません。神様のことを考えなければなりません。

 先生も交差するために、その韓国が追い出すので、米国にまで行って交差してこなかったですか? そうでしょう? そうでしたか、そうではなかったですか? 西欧文明を交差させました。西欧文明が先に立ちませんでした。アジア文明が先んじなければならないのです。

 皆さんも同じです。結婚から堕落によって反対に交差させたものを、正常な愛を立てて交差させ、制御させ、これを否定として否認してしまうことのできる版図をつくらなければなりません。そのような新しい出動が展開するために、世界統一国のスタートとともにその内容を発表したので、「今このような日本の国をだれがもっと愛するか見よう」と、日本の国民を韓国の嫁、娘たちが来て「あなたの嫁と娘がわたし以上に愛するか見よう」と、また「日本の怨讐たちが韓国に来て、韓国の息子、娘、嫁、娘婿がわたし以上に愛するか見よう」というところでは、わたしたち日本人が勝ち、韓国人が勝たなくてはなりません。そうなることによって完全に交差するのです。それによって神様が主管することのできる新しい統一の国が生まれるというのです。日本と韓国が一つです、二つではありません。そこから統一の国が出てくるのです。分かりましたか? (「はい」)。そうして、中国にブレーキをかけ、ソ連にブレーキをかければ、すべて終わるのです。世界は、わたしたちの世界になる時点が目の前に近づいたのです。ですから交差させなければなりませんか、させてはなりませんか? (「させなければなりません」)

 それで、国を標準として交差させなければなりませんか、個人を標準として交差させなければなりませんか? (「国です」)。個人を標準として交差させたなら、家庭的標準が残り、氏族、民族、国家、世界的標準が残るようになります。天地を代身して天の縦的な標準を中心として、国々をすべて交差させれば、最後になるのです。これからは、わたしたちの世界が訪ねてくるのです。分かりましたか? (「はい!」)


夜も昼も争わず、怨讐視するな

 私たちの世界で生きますか、私たちの世界で働きますか? どちらですか? (「働きます」)。生きて働きますか、仕事をして生きますか? (「働きながら生きます」)。働きながら暮らすのです。一つです、一つ。働くのですが、この地が歓迎しなければなりません。空気が歓迎しなければなりません。日月星辰が歓迎しなければなりません。神様が歓迎し、真の父母が歓迎し、統一教会全体が歓迎しなければならないのです。

 さあ、交代時代歓迎しますか? (「はい」)。交代時代歓迎する人、両手を挙げなさい。

 それでは、韓国の女性は、どの国の人と結婚しますか? 答えてみなさい。(「日本人です」)。日本の何? (「男性」)。どのような男性? わたしのように日本を捨てようという男性。日本を捨ててどこへ行こうとそうですか? 韓国に来ようとする男性。そのようになっているでしょう? (「はい」)。そのようになれば、韓国人よりいいでしょう。考えてごらんなさい。いいのです。あれはいつ交差しますか? うんちのくぼみのようなものを考えてごらんなさい。交差するようにぴたっと持たせて「私をつかんでください」と言えば、神様がさっと受ければ、空中に浮き上がり一周ぴたっと引っ繰り返るはずですが、この地に根を下ろしていては、いつ抜いて引っ繰り返しますか?

 ですから韓国の女性は、どのような人と結婚しますか? (「日本の男性です」)。日本のどのような男性? (「日本を捨てて来る男性です」)。見栄えは良くなくとも、統一教会の者たち? (「そうです」)。(笑い)それから、韓国の男性たちは、どのような女性たちと結婚しますか? (「日本の女性です」)。なぜですか? どうしてですか? (「きれいだからです」)。韓国女性は、どうして? (「互いに交代します」)。交換するのです。互いに交代するのです。自分が合う女性は日本に与えて、日本の男性が合う日本の女性は、自分が代身するのです。ですから、どれほど近いですか! どれほど近いかというのです。分かりましたか? (「はい」)

 それで、今皆さん家の中でけんかをするようになるとき「ああ、気に障る!」というかもしれませんが、日本人が皆さんの代わりに福を受けろと祈祷する人たちが、統一教会側に多いことを知らなければなりません。これを汚してはなりません。夜も昼も天地にひざまずいて、「どうかどうかけんかをせず、怨讐視するな」と祈祷している先祖がいて、日本の国があり、韓国の国があることを忘れてはなりません。(「アーメン」)

 この者たち、後でそのような言葉だけあってみなさい。今後そのような言葉を残す人は、ここ長竿のようなもの多いでしょう? ここに毎月一人ずつ逆に刺し通す記念行事をしてはどうでしょうか? 定めればやるのでしょう。それで、定めますか? (「はい」)。定めれば本当にやるのですよ。(笑い)それはそのときになって考えることにしてですね。まだ相対も決定しなかったのに、それを定めておけば皆、逃げるではないですか? (「いいえ」)

 韓国は、何国家ですって? (「アダム国家です」)。日本は、何国家ですって? (「エバ国家です」)。「アダム」とはですね。「あー、垣根(ダム)が高い」という意味です。(笑い)それで、韓国では垣根が高くて超えられないのです。今からは垣根を壊さなければなりません。今からは垣根をなくさなければなりません。中国共産党主席の名前が小平でしょう? 小平ではなく、大平にならなければなりません。小平ならばどうなりますか? 大平にならなければならないでしょう。(笑い)高く上がっていき、大きくなって平らになれば一つになるのです。ですから中国のようなところで……。「やあ、天使長がそれを知っていますね。アダムが行くことのできる大平をまねて、小平としたことを見れば、それでなければならないでしょう! 下にあるから小平でしょう。小平は、大平が出てくるときは、侍らなくてはなりません。それはメシヤが来れば侍れということなのです。中国がそうすることのできる可能性が多いのです。(拍手)


結婚相手を迎えるのをメシヤを迎えるように行いなさい

 さあ、これから写真で結婚させてあげようと思いますが、きょうは、記録を破るのです。男性は女性を見ることができないし、女性は男性を見ることができません。なぜですか? 先生は、男性にもなり、女性にもなります。先生信じて……。復帰時代においてその主人がだれかというと、女性の主人もわたしであり、男性の主人もわたしです。ですから、女性は、わたししか男性を見ることができないし、男性たちはわたししか女性を見ることができないのです。女性だって、何、それは霊的です。あなたたちは、実体的なので見えていいですか? 相対たちは霊的です、一段階高いために。そのように思って写真で会ったことを、この地上にメシヤを迎えるために六千年間準備して「ああ、主よ、来たりませ。切に切に……」と思いなさい。皆さんスンドおばあさんが懇切に祈祷する声を聞いたことがありますか? 腰が切れるぐらい「懇ー」。これ十年も行きます。「切」の字が五百年後に聞こえるかもしれません。そのように懇切に祈祷する、そのように願った願いのときを迎えるかのように考えなければなりません。そうでなければ、脱線します。事故が起きるのです。そうなれば、一族が滅びるのです。

 これを脅迫だと考えないでください。霊界に行ってみなさい。霊界を知らないからそうなのであって、これよりもっと恐ろしい背後が待っているのです。そのようなことをすべて知っているので、先生が孤独単身、今まで闘ってきたのです。そのような意味では先生を尊敬しなくてはならないでしょう? (「はい」)。それは皆、わたしのためなのではありません。皆さんのためなのです。関係もないこの者たち。ああ、鳥のひなたちは、触ればかわいくもあるでしょう。ぎゅっとやれば、ぎゃっといって、そのようにするなとかするのであって、これはそれでも目をこのようにしてですね。みっともない連中です。そのように思って、これから始めましょう。うん? (「はい」)。(拍手)

 この灯を消しなさい。ビデオの照明だとか、灯をちょっと消しなさい。もう写真は皆、撮ったでしょう? 皆、消しなさい。もう消してもかまいません。

 年齢の行った人を先に決定しましょうか、年齢の若い人を先に決定しましょうか? (「年齢の行った人です」)。年齢の行った人? (「はい」)。何歳から? (いろいろと答える)それでは、男性の年齢の行った人は、女性の若い人として。(笑い)そのようにすれば一番公平なのではないですか? (爆笑)また、女性の年齢の行った人は、男性の若い人と……。年齢の行った女性は、老いたことだけでも哀れでもの悲しいのに、夫まで老いた人を迎えなくてはなりませんか? (笑い)年齢の行った女性は、若い男性。(笑い)ああ、皆さんが願えばそのようにすれば一番いいではないですか? 男性は、年齢のいった順番どおりに四十歳、三十九歳、三十八歳……。このように二十二歳までずーっと立って、女性は、逆にここから、四十歳からずーっと立つのです。そうして、「さあ、前に行って捕まえて!」といえば、いいでしょう。(笑い、拍手)

 それでも先生がしていることに調和がついて回るのです。何の話か分かりますか? (「はい」)。先生が話すことは、話すとおりになるのです。そういうことが分かるでしょう? (「はい」)。今回、統一国開天日を宣布して「統一教会復帰摂理の転換期が来た!」と言えば、回るのです、見ていてごらんなさい。

 いいときを迎えたから、このようになることによって皆さんの先祖を解怨するのです。感謝する心と怨讐を愛する心を持って……。神様がいかなるおかたなのか分かるでしょう? 怨讐を愛する神様の深い心情と同化できる立場に立てば、願うことで成されないことがありません。

 同じです。先生もそのような境地で、神様の心情圏を持って生きるので、わたしが願うことを神様があまりにもよく知っています、わたしよりもっと。願うことを祈祷する必要もありません。わたしは願うことは一言の祈祷もしません。しませんが、すでにときが知っています。何かのときが来たといえば「きょう、私が祈祷します。神様、私はここをさっと走り渡ります。私はこのように行きます」と言えば、その一言で超えて立つのです。平面的に成していきます。このように深いゴールをおいてするのではありません。一歩ずつ間に行く……。ですから祈祷をしません。

 そこ、門ちょっと開けましょう。開きましたか? (「はい」)。横の門を皆、開き、横にある荷物すべて頭にあります。(笑い)そうでなくするなら、下ろしておいてお尻に敷いて座りなさい。自分の祝福を受けるとき、便利に。それこそ顔がよく見えるから、よい相対を選んであげるから尻に敷きなさい。ここはなぜまだ開きません? 外は皆、開きました。人々が多くて暑いのか、部屋が悪くて暑いのか? 「人が多くてです」日が暑くて暑いのですか? 下半身は涼しいのに、汗が出ます。

 さあ、静かに! きょう誕生日の人、手を挙げてごらんなさい。(拍手)このように多くの人の中で一人もいないのですか? (「ここにいます」)。(拍手)座りなさい。座って。だれがだれなのか分かりますか? だれですか? 手を挙げてごらんなさい。君、日本人ですか、韓国人ですか? (「日本人です」〔男性〕)。君は? (「韓国人です」〔女性〕)。出てきなさい。(歓呼。拍手)なぜ笑いますか? お母様とお父様も誕生日が同じではないですか? (「ここにまたいます」)。その者は、偽物かもしれません。今、出てきた者は、偽物かもしれないので信じません。わたしは見ませんでした。君、何歳ですか? (「三十二歳です」)。出てきなさい。出てきなさい。

 なぜこのように騒ぎますか? (笑い)騒げばわたしが下りていきます。下っていって、ソウルに行って中国料理でも食べて、何日後に来たいときに来るのです。どれ、見ましょう。めがね外しなさい。ああ、美人ですね! 何歳ですか? (「二十八です」)。君は、何歳? (「三十二」)。さあ! (歓呼。拍手)よく合いそうです。

 これからは、決まった人は、二人であそこに行って、先生がどこにいようが、後ろ姿を見ようが、どのようにしようが、あいさつするのです、ここに出てこずに。妨害になります。何の話か、分かりましたか? (「はい」)。そのように定めればまたそのようにするのではないですか? 分かりますか?

 ああ! 美人たちが多い。(笑い)見なさい。美人たちが多いではないですか? どれほどどれほど美しいですか! やあ、この者たち。あなたたちが日本に行って、妻をめとるといって、あらゆることをして全国回っても一人の女性も捕まえてくることができません。何の話か分かりましたか? 先生が皆、捕まえておいて結んであげるので、かぼちゃがようやく転がってきましたか? 根っこごと転がってきたというのです。生活水準で見ても何で見ても、韓国よりよくないですか? 先生が韓国に生まれたからであって、日本人が韓国を考えたりすると思いますか? そうでしょう? (「はい」)

 きょう、ここに初めて来た人、手を挙げてごらんなさい。きょう、ここの一和に初めて来た人たち。ここが何をする所ですか? (「メッコールをつくる所です」)。メッコールを売ってみましたか? (「はい」)。今、皆さんは、結婚すれば三年、三年半の間は、家にも入れません。メッコールだけ食べて、メッコールを着て、メッコールの枕をして、メッコールを敷いて寝なければなりません。(笑い、拍手)そのようにしますか? (「はい」)。(以後日本語で七分余り語られる)


過ぎし過誤はすべて忘れ、十倍百倍愛そうという心を持つ

 今、わたしが何の話をしましたか? ここには、童男(童貞の男)、童女(童貞の女)、純情をもった男性と女性たちが集まっているというのです。彼らを中心として考えれば、彼らは、彼ら同士で結んであげなければなりません。違いますか? ところが、それ以外に、がらくたのようなものたちが多いのです。サタンが全部……。がらくたたちが多いというのです。これを論じ始めたら……。(だれか が扇風機をつけてさしあげる)それは。だめです。遠くに持っていって、全体に扇風機を回しなさい。それを論じ始めたら結婚という表題を掲げることができないというのです。原理を知っている先生として、することができないというのです。けれども、天国の憲法がどうだということを知っているけれど、天国を中心として、憲法が宣布されなかったというのです。それゆえ、それをよく知っていても、それが発表され絶対的基準が成立しないときには、それを黙認することも可能だということです。そのような条件があるので祝福が可能ですが、それをどうのこうのと話そうという立場に立つときには、結婚という、祝福という話をすることができないということを知らなければなりません。分かりましたか? (「はい」)。うん? (「はい」)

 ですから今日から過ぎしすべてのことを忘れてしまえというのです。忘れてしまわないけれど、赦してあげるのです。赦してあげる雅量を持つのです。その代わり、そのような過去があるとするなら、今後、自分の夫を三倍、五倍愛するという心、さらには、十倍、百倍愛するという心を持たなければなりません。

 男性たちに引きずられてやられた人など、あらゆる事情が皆、あるはずです。しかしそれを聞かないことにしましょう。その代わりそのような経験がある人たち……。そして男性たちもいることでしょう。歩き回りながら、においかいだ者たちがいることでしょう。サタンの僕になって、死亡の糞の棒になって汚すことをしましたが、今み旨の前における祝福を受けるには、自分自らその何千倍愛する心を持って妻を愛し、父になろうといって、天が尋ねて賞を与え、称賛できる標本を残そうと、忠誠ある夫の道理を果たそうと考えなければなりません。分かりましたか? (「はい」)

 これは大変なことなのです。これを清算することが大変なのです。これを清算する前には、一双も結婚できません。さっき先生が言ったように。先生がこの道を守るのがどれほど難しいかしれないのです。先生も過去に付いてまわる女性が本当に多かったのです。わたしはそのような道を行かないようにしたのに、そうなのです。あるときは映画館のようなところに行けば、おばさんたちが先生の手を握るのです。われ知らず握ったというのです。ですから、それをどうしますか? 「これは何ですか? おばさんがなぜ他人の若者の手を握りますか?」と言うと、「われ知らずに握りました」と言うのです。大概そうなのです。そのようなことが多いのです。日本に行っているときにもそうだったのです。けれども、自分の節操を尊重視する男です。歴史的に……。それを知らなければなりません。

 そのような基台の上に天が立てることができる新しい伝統的血統的基本を定着させたという事実を知って、そこから流れ出てくる生命の血統を汚す群れになってはいけないというのです。それは悪党よりひどい人だというのです。サタンの後継者になってはいけないのです。分かりましたか? (「はい」)。サタンは、長成級の父母の体を捨てましたが、この時代に完成級の父母の体を捨てれば、サタンがサタン視する恐ろしい永遠の世界の原則が待っているという事実を知って、自ら自重しながら自分の行く道を妻とともに躊躇なく協力して分別していかなければなりません。分かりましたか? (「はい」)


縦的な真の愛の父母、横的な真の愛の父母

 そして、今後皆さんが夫婦になれば、夫婦になったその男性なら男性、女性なら女性が自分のものではありません。自分のものである前に真の父母のものです。真の父母のものである前に神様のものです。なぜですか? そのように始まったのです。

 わたしが今回入って話しましたが、ここに初めて来た人もいるようなので話します。神様がだれかというとき、神様は縦的な真の父母です。真の愛を中心とした縦的な真の父母の位置に立っているおかたが神様です。

 これ少しどけなさい、回しなさい、行ったり来たりするように。(扇風機を指されながら)わたしはそれが嫌いです、頭が痛くなります。前には暑くて、そうなれば頭が痛いのです。それをもっと行ったり来たりさせなさい。分かりましたか? 回転するようにしなさい。

 神様は、何ですって? 「縦的な真の父母」真の愛を中心とした縦的な真の父母の位置にいるおかたが創造主です。既成神学では創造主は神聖であり、被造物は、俗なるものだといいます。被造物を罪人扱いしました。しかしそれは誤って考えているのです。神様が創造をなぜしたかと言えば、愛のためにしたのです。分かりましたか? (「はい」)。神様が縦的な愛の主人ならば、縦的な愛だけではこれは一点にしかなりません。一点しかないことになるのです。縦的な神様の愛をもったそのおかたが子を生んでも、長く一筋にしかならないというのです。

 これをいかに横的に展開させるか? それゆえ、赤ん坊を生むのは、神様が生むのではありません。真の父母を通じて生むのです。横的な真の愛の父母の位置に立ったそのおかたがだれかと言えば、今日の統一教会で言う真の父母です。神様の前に、縦的な愛を中心とした真の父母の前に、九十度を備えた横的な愛をもったおかたが真の父母なのです。それゆえ、二人の父母の愛が必要なのです。一人のおかたは創造主である父母であり、一人のおかたは被造物の、神様の対象として理想を描きながらつくられた体的な父母です。それゆえ、神様は心的な父母の位置にいて、真の父母は何の父母の位置に? (「体的な位置です」)。体的な父母の位置にいます。このように縦的な愛と横的な愛を中心として、生まれるべきなのが人間でした。

 皆さんもこれに似なければならないので、縦的な愛に自由に似るようにするために「縦的な私」があります。それが心です。分かりましたか? (「はい」)。心が何ですか? 今まで心を知りませんでした。仏教でも心を知りません。しかし統一教会では心を知っています。神様の創造理想を通して縦的な愛の前に横的な愛を中心として、それから前後の愛、球形的な理想を描いてこそ、東西南北に通じる力の消耗がなく、いつ作動してもよく、悪いことがないというのです。相反がないというのです。


永遠な夫妻になろうとするなら

 この道は皆、同じです。このように行こうが、このように行こうが、相反がないというのです。ここ、この核の位置が中央点なのです。それゆえ、神様は、アダムとエバの真ん中に入っているようになっています。それで、原理でいう主体と対象が完全に授け受けするところには、中心部が生まれるようになっているというのです。その中心部は、核です。核が長く行くことができる永遠な核になれば、夫妻は、永遠の夫妻になるのです。それと同じように、真の愛を中心として見れば、神様は絶対的なおかたですが、その絶対的な神様が最高に喜ぶ真の愛を中心として、その核の位置に立っているその愛は、永遠なものであることは言うまでもないのです。その永遠な愛の対象の位置につくられるので、その真の愛を中心として、永生の概念を理論化させることができるのです。何の話か分かりましたか、皆さん? (「はい」)。何の話か分かりますか、先生の話すことを? (「はい!」)

 永生ということがどのようにして永生するのでしょうか? 神様の愛の対象を引き継いだので、これが縦的、横的に切ることのできない二つの……。これが、結ばれたその核の位置において愛が定着すべき内容をおいてみるとき、神様が永生するので、その愛を中心としてつくられたアダムとエバも永生しなければならないということは、理論的だというのです。分かりましたか、何の話か? 私たち人間は、それだけの価値があるのです。それを皆さんが分からなければなりません。うん? (「はい」)

 皆さんの心は、すでに本来の神様の真の愛が垂直になっていて、堕落しなければこの横的な真の父母の愛は、水平線でいつも角度が合うようになっています。これをぴたっと付けておけば、分かつ者がありません。そうではないですか? これを離す者がないのです。神様の愛を中心として、理想的な立場に結託して一つになったものを、だれが離すことができますか? 神様でさえもその愛を崇拝するのです。真の父母でさえもその愛に支配を受けようとするのです。愛を支配しようとはしません。それを知らなければなりません。神様も愛のために創造したのです。分かったでしょう? (「はい」)

 その愛は、どのような愛でしょうか? その愛を創造したところにおいては、神様を中心としてつくったのではありません。神様がもし愛を九十パーセントだけ投入したとするなら、十パーセントは残っているので、十パーセントが残されたその愛に、人間は感謝しません。分かりましたか? 皆さん心もそうでしょう? 結婚して生きるようになれば、夫に一言だけ聞いても、「もう」と言いたいのです。「本当にわたしを愛していないのだな」と言うときは、天下が引っ繰り返るのです。

 私たち堕落した人間でもそうなのに、堕落していない本然の世界において、人間がそうではないでしょうか? 神様がそれをよくご存じだったので、ご自身にある貴い生命、財産すべてのものを皆、投入したのです。アダムとエバをつくるのに百パーセント投入したというのです。それゆえ、神様が創造を始めたその日から「わたしは今までわたしのために生きたが、今からはあなたたちのために生きる。わたしが存在するのは、あなたたちを喜ばせるためにある」と言われるのです。父母の立場はそれです。ですから、父母がいいのです。分かりましたか? (「はい」)。それゆえ、百パーセント投入するところから……。(録音が少しの間中断)


完全投入で創造が始まった

 それゆえ、私たち人間もその世界に入っていくためには、出発と過程と目的点を通さなくてはなりません。目的がここに反対に行けば、目的を通して過程を通して、経ていかなければならなくて、ここから出てこようとするなら、ここに出てきて出発し、結実になり回って入っていかなければならず、このようになるようになっているのです。道が一つしかないために、私たち人間は真の愛の結実を成さなければならないのです。

 その結実を成し遂げたその位置が何かというと、神様が創造したスタートの位置です。そのような位置に立った者にならなければなりません。それゆえ、すべての神様のエキスを完全に受けて、もった完全な結実になり、未来の存在としてささげられなければならないというのです。それが神様の願いです、分かりましたか? (「はい」)

 それゆえ、人を創造したのは、神様のためにつくらなかった、アダムとエバのためにつくったというのです。驚くべき事実なのです。なぜですか? 愛は、私からは来ません。相対から来るので、愛を中心として、絶対的な神様、絶対的な真の父母がその愛の前に主管を受けようとした、その位置だということは、より高い絶対的位置に立っているので、それより高い愛の理想的絶対価値基準を欽慕しながら、自分を百パーセント、ゼロの位置に立てながら、相対的立場に百パーセント投入し、第二対象をつくったというのです。

 例を挙げて話せば、空気は一定ですが、神様の愛を中心としてここにあった愛を向こうに投入したということ、この百パーセント投入したということは何かというと、ここが完全に真空状態になったということです。すべて真空状態になって投入するので、完全に高気圧状態になったので、高気圧圏は自動的に低気圧を通して回って入ってこなければならないというのです。

 それはなぜそのような原理的理論を立てたのかといえば、循環法度を長久化させるために、運動を長久化させるために、投入的な思想の概念を先にしたということを知らなければなりません。分かりましたか? (「はい」)。違いますか?

 ここにもし九十五パーセント……。九十五パーセント残っているために、ここに回って入って来れば、九十パーセントに削減します、また一周回って入って来れば八十パーセントに削減します。それで、真の愛を投入すれば投入するほど、それが出力よりも……。出力と入力を見るとき、入力が出力より大きいのが、今日、科学世界の理論ですが、愛の世界の理論は、入力よりも出力が大きいというのです。

 世の中は、均衡を取っているので、消耗する生活圏内にわたしたちが必要とするものは愛です。これがなくては均衡を取れないので、幼くとも愛、大きくなっても愛、愛で生まれて愛で食べ、愛で生きながら愛の道を行って、愛の世界へ逝くのです、もう何の話か分かりましたか? まあ、このような話が分かるかどうかは分かりませんね。

 それで、統一教会の「ために生きろ」という哲学、「ために生きる」哲学の論理というものは、現れた現象ではありません。根本を暴いたのです。では、統一原理をどこから導き出したのでしょうか、統一の原理を? この世が統一されるためには、どのように統一されるでしょうか? 自分を中心として、「ために生きろ」という概念が始まるところには絶対統一がありません。相手のために動くようにつくられたこの世で、自分を中心として動かそうと主張するのが悪魔です。

 悪魔のその血統を受けて、そのような世界を捨てて個人主義に落ち、享楽から永遠な天国理想を埋葬してしまうことが現実、二十世紀の終端文化圏世界です。これをけ飛ばし、愛することのできる復活の道は神様のように再創造の世界に向かって能力を投入できる……。

 愛の理想世界を私に与えないで、世界を超えて無限な価値の相対圏に完全に投入し、その投入した相対的価値が私に向かって自然に循環するようになるとき、私の価値も平準になり永遠に存続するという、その理論のもとでのみ統一理論の勃発が、スタートが可能なのです、分かりましたか? (「はい」)

 このような論理を立ててあげてこそ……。皆さん結婚するでしょう? 結婚すれば男性も女性も、一番訪ねていくものが何かと言えば神様の愛です。真のご父母様を愛することです。どちらの面を通じて?

 真のプラスは、真のマイナスを創造すると言うでしょう、原理に? 真のプラスは、真のマイナスを創造します。それはどのように創造するでしょうか? 完全投入して。完全投入すれば相対が現れるようになっています。そのような原則で、皆さん夫婦が結婚生活を今からしながら、考えるに……。神様を、先生をだれが先に、先生の愛をだれが先に受けるかという闘いが起きるのです。女性は、自分が先に受けようと、自分を考えたなら大変なことになります、男性は自分が先に受けなければならないと、このような概念をもったら大変なことになるのです。

 神側は、それが違います。二人の創造的理想は神様が投入するのを、互いにために生きることができる概念で出発したのですが……。皆さんが自分のために生きる概念を持てば、それは相反するのです。プラスとプラス同士は反発するのです。分かりましたか? (「はい」)。何の話か分かりましたか?

 それで、問題になります。神様自身がアダムとエバに対するのに、自分のために対するのではありません。あなたのために対する。愛するにおいては自分のためにするのではありません。「あなたたちを完成させるために、あなたたちのためにする」というのです。その表題が、出発がそれです。

 それゆえ、「アダムとエバが神様のために愛することは罪ではない、いつでも愛し合いなさい」というのです。ところが、人々は、自分を主張すれば問題が大きくなるのに、夫が考えるに「ああ、エバが神様の愛を先に受けてはいけない」と言い、エバは、「ああ、アダムが神様の愛を先に受けてはいけない」と言うのです。違います。

 そうであっては問題が起こるので、ために生きる論理において、私が神様の愛を先に受けようとするのは、あなたを完成させるためである、これです、出発点が。私を満足させるためではありません。「私がこのように先に神様の愛を占領したいのは、あなたを早く完成させるためです」と言わなければならないのです。何の話か分かりましたか? 自分ではありません。この「ために生きる」哲学が、神様がアダムとエバを一番価値的な存在として先に立てたという概念とぴたっと同じなのです。

 それゆえ、私が先に貴いものを持とうというのは、エバを喜ばせるためであり、エバを満足させるためです。それによって、私は私自身も取り戻し、私も完成して……。愛で完成するでしょう? エバも完成させ、神様まで完成させることができるというのです。自分を主張したなら、自分自身も失い、エバも失い、神様とも永遠の別れになるのです。統一原理の理論的根拠をここから知らなければなりません。分かりましたか? (「はい」)

 では、既成教会、反対するその教会をどのように統一するのでしょうか? 反対するのよりも、もっと大きくために生きよ! 結論は、簡単なのです。分かりましたか? もっと大きくために生きる者の前に、天地は屈伏しなければ、屈伏しなければしないほど、天は地に強く打ち込むのです。損害賠償を何倍も支払わせ、何倍も強く打ち込むというのです。


怨讐を赦してあげ、愛で対しなさい

 それゆえ、既成教会が二千年の間に基盤を築いたものを、統一教会が十五年間、世界的に二十年間築いてきたものを反対し、二千年間、これを完全に地に埋葬してしまいました。それで、先生は? 天の側です。ために生きるほうを神様が擁護するので、この思想を信奉して万世に権威ある思想を超え、国家体制を超えて最高の位置にまで前進すべし。(「アーメン」)。本然の万物が願う……。(拍手)

 その日本が、日本の国もわたしと怨讐でしょう。日本がどれほど怨讐ですか。昔、日本の天皇を捕まえて殺そうと、それを皆、謀議していたのに、わたしは、「やいやい、そんなことはするな。自然に死ぬ時が来る。皆さん、焦るな」と言ったのです。それで、日本人以上にアジアのために生きなさいというのです。分かりましたか? 分かりましたか? 大東亜圏を語っていたでしょう? 日本人以上にアジアのために生きなさいというのです。そうなれば、日本は失ってしまっても、アジアを取り戻すというのです、日本の人はアジアのためには生きないから。日本のために生きろといいます。二つの世界に分かれるのです。何の話か分かりましたか? すてきな理論です。

 このような相克した面においての二つ、その内部で一つは強制的に屈伏させようとしますが、一つは彼らのために、未来のために行こうというのです。日本人よりもっと努力しなさい、もっとために生きなさいと。彼らが夜に寝るなら、私たちは夜に寝ずにするなら、アジア世界は私を訪ねてくるのです。

 それで、この論理をもって世界平和ができるでしょう。それ以外にはありません。捜してごらんなさい。皆さんが捜し出せるなら、わたしが先に捜したでしょう。これ以外にありません。そのような「ために生きる」哲学、完全投入の起源を創造の出発として、その出発の理想的モットーになったそのモットーは、愛の対象圏であり、愛の前には神様も屈伏するという驚くべき理論的根拠をもったがゆえに、世界統一平和の論理をここから発掘できるのです。分かりましたか? はっきり知らなければなりません。ですからこれ以上にすてきな思想がないのです。

 それで、先生がこのように打たれて奪ってきました。神様の作戦は、打たれて奪ってくるものですか? うん? 皆さん、家でもそうではないですか? 父母の前において、兄弟の間で兄さんが、やたらにかわいい弟を父母が特別に愛しもしないのに、同じ愛で愛するのに、これをねたむならば、その父母が「こいつめ、おまえにある財産まで取って、弟にやる」となるでしょう? うん? 蕩減法が適用されるのです。分かりましたか? 同じです。

 公的な位置に立ち、公的な立場で打たれる人は、その環境を支配するようになっています。それで、統一教会は、サタン世界に公的な立場で非難されろ、反対されろというのです。それで、反対されることは、サタン世界の所有物を伝授できる作戦法です。それゆえ、迫害は知ってみると、その場では損害のようですが、十年、数十年後には、何十倍、何百倍の贈り物として帰ってくるというのです。それが統一教会の先生を中心として、世界史的な基準で、如実に証したものであることを、否定する道理がない理想論理になっているのです。お分かりですか? (「はい」)。分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました」)

 それで、日本人は、韓国人よりもっと愛さなければなりません。もっと愛したのです。わたしが監獄に入って、出てくるとき、日本の人たち、その刑事たちは皆、……。そのとき、日本のその何の姓ですか? 馬何々というそのような姓があるでしょう? それは、まれな姓です。この刑事部長のやつになり、わたしを煩わし、ばかげたことをするのです。わたしがほうっておいたなら、それは皆、死ぬのです、それは。その課長たち、それはわたしが皆、防御し、措置をしてあげたのです。

 怨讐を愛で、彼らを赦してあげ、愛で彼らを解放させたので、その一族は、先生にその代価を返さなければなりません。それで、先生のために首を差し出して、死のうと……。こうすることのできる日本の国民が生まれたのも、そこからです。何の話か分かりましたか? (「はい」)。わたしが言えば、A級戦犯として完全に死ぬのです。それを皆、送ってあげ、日本に送り返したのです。それが偉大なのです。分かりましたか? (「はい」)

 それが、皆さんが今、日本の人たちがここに来て、韓国になぜ来ますか、韓国に? 返してあげるのです。分かりましたか? 四十年を過ぎて、これがこのように国家的に返すことができる、日本民族を代表した若者たちが国を背景として、韓国を訪ねてきて、血を皆、受け継ごうと言うことのできる、このような時代にまでなったのですが、何がこのようにしたのかと言えば、神様の愛です。

 先生が教えてあげた理論的思想体制内において、それが正道に従う結果によって、このようなことが起こるのです。それで、植えなければなりません。それで、刈り取るのです。

 日本でも先生が……。日本もよく知っています。先生は字もうまいし、あらゆることがうまいです。してみなかったことがありません、日本で。門下生もしてみたし、先生もしてみたし、ご飯も恵んでもらったり、だだをこねてみたし、わざと。日本の人たちのお金持ちの家に行って、下宿してだだをこねてみたり、わざと。家の中はどうか、根本を探り出してみよう、嫌だというのも、皆、……。日本がこのような国だなあと。


先に打てば滅びるようになっている

 そのとき、日本人たちが先生をたくさん冷遇したのです。韓国人といえば門前に入るようになると、韓国人がここから出て行きもしなかったのに、中のふしどの門を閉めて、あいさつもせずに、行ってしまうのです。そのような国を愛さなければならないというのです。その貧民群、日本の政府が皆、犬のように、犬の糞のように捨てた者たちを、皆、抱いて愛さなければならないというのです。

 皆さんがそれを、今韓国に来てしなければなりません、分かりましたか? 道に立つ女、乞食のような連中、かわいそうな、ごみ箱のような者を皆愛し、天に連れていくべき同族として愛することのできる日本人が……。天国に入ることのできる国家的基盤が日本国には開きません。それで、そのことを今、始めるのです。分かりましたか? 分かりましたか、何の話か? (「はい」)

 難しいと不平は言えません。二十四時間寝られないといって、出て行って……。離れることはできないという事実を知らなければなりません。先生が家を離れればどうなるでしょうか? それゆえ、神様の作戦は、打たれて何ですって? (「奪ってくるのです」)。悪魔は? 打って失うのです。それゆえ、一次大戦も打ったやつ、二次大戦も打ったやつ、三次も思想的に打ったやつ、共産党が滅びて……。既成教会と統一教会をおいてみるとき、だれが打ちましたか? 統一教会が打ちましたか、既成教会が打ちましたか? (「既成教会です」)。それで、この前にときが皆、来たので、「やあ、こいつら、打つな!」というのです。今から打ったら、雷が起こるというのです。

 今からは潮水が張り合ったので、このように流れません。反対に流れるのです。分かりましたか? 水平が反対に流れるときに来たというのです。このようなときを中心として……。ですから西洋、今まで日本の人々が西洋を追求してきたでしょう? 西洋といえば、言葉も皆、なっていない発音をして、英語で……。ああ、そうしてあらゆる言葉を皆、使うではないですか? 西洋崇拝の怪物が日本の人たちです。その代わり一番近い国である韓国を一番嫌いました。それは知っていますか?

 それで、この前にもそうではないですか? 一八〇〇組の結婚のときにも、「ああ、あなたたち、行って黒人と結婚するならしていいが、絶対に韓国人とはするな」と言ったのです。うん? 父母たちが訓示したそのような話をわたしが皆、報告を聞いています。(以後日本語で少し語られる)

 ああ、何もしなくて、わたしは休めばいいです。(笑い、拍手)なぜそうなのかというと、先生の心が、先生の心がぷうっと浮かなければならないのです。何の話か分かりましたか? 無理にすればよくありません。心がぷうっと浮かんでこそ、ここにさっと見ればすでに光が来て、あそこにだれがいるなということが、すっと見えます。あの遠くのところでくるくるくるくるして、ここに来てさっと現れるのです。ここにいる悪い人は、くるくるっと振り返り、いなくなります。それ、いなくなるのは、悪いものです。

 先生、目がおかしいでしょう? 気分がそうです、さっと見れば。「あの女はだめだな……」というのです。それゆえ、無駄口をたたかずについて行けというのです。分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました」)。もうこれ以上話さなくてもいいですか? (「はい」)。百二十点ですか? (「はい」)。女性たち? (「はい」)。(拍手)

 ああ、わたしが女性たちにどれほどたくさんだまされたかしりません。(笑い)ただ女性、女性は本当に恐ろしいです。女性にたくさんだまされました。今でも信じることができません。わたしがあの興南監獄に入っていくとき、ついて来る女性も多かったのです。先生のためなら、天上で、死ぬとすれば、また再臨復活し、蘇生し、何代を生きても、先生のために所願成就をする女性だと、花ならば百合の花になり、花ならばバラの花であってかぼちゃの花ではありません、とどれほど……。そのような女性がいたでしょうか、いなかったでしょうか? 純真な先生は、それを百パーセント信じました、信じてみたら国が亡びるようになったというのです。

 信じるのが罪ですか、信じないのが罪ですか? (「信じないのが罪です」)。信じないのが罪です。そうなのです。その人たちは皆、統一教会を利用し、先生を利用しようとしましたが、皆、亡くなってしまい、利用された文先生は、依然として残って、天下に対して号令できる高い位置に上がっているのです。そうでしょう? ですからわたしの話を聞かなければなりませんか、聞いてはなりませんか? (「聞かなければなりません」)


自分の欲望で相対を探してはいけない

 わたしが今から結婚させるときは、どのようにするでしょうか? 顔がお金のように平たくて小判のような女性は、平たくてお金のような男性に出会えばそれは何になるでしょうか? お金のような男性、平たい女性が生まれるのでそれは使い物になりません、使い物になりません。そのようなときは反対です、後ろが出て、前が出て、見た目が忌まわしい斧の頭で、ハンマーの頭のように忌まわしい人……。鼻もにょきっとしなければならないし、その代わり口も目立たなければなりません。

 では、自分たちとしては理想であった男性格ではありません。八十パーセントが違うはずです。がっかりするでしょう? がっかりしてもしかたありません。皆さんもいいというものは、八十パーセントは滅びるのです。友人と間違ってつき合ったら、車に乗って行くようになれば、監獄に行くようになれば、その監獄の初めから同伴者になり、連累者になり、同じ型で生きるでしょう? 同じ道理であることを知らなければなりません。結婚を誤れば一家が滅びます、一家が。

 見れば、人は衰運にある人、下降運にある人がいます。女性も男性も同じです。男性も女性も上がっていく運勢に……。それは同じです。それゆえ、世界は、水平線を中心として、高く上がっていくときと下りていくときがあります。それでは、これをどうしなければならないかと言えば、これは高いものは置いておき、低いものを持ってきてこのように合わせなければなりません。これで一つにして、これが長く延長されなければならないのです。未来に下りていくことのできる道をつくってあげなければならないのです。

 その未来というものは、統一教会で言うなら、復帰摂理の限界線を超えるのです。それゆえ、わたしたちは関係ないと見るのです。先生はそのように見るのです。何の話か分かりましたか? (「はい」)。ですから先生がやれというとおりにしないで結婚した三十六家庭、七十二家庭、百二十家庭、四百三十家庭を皆、わたしが見てみると、全部悪いのです。病身にならなかったなら……。息子、娘を見れば顔がゆがんでいます。病身、皆、みっともないです。それは恐ろしいのです。

 因果原則は、厳然たる法則です。それを原因と結果を円満にさせようというのが先生のみ旨です。それで、統一教会の後孫が顔形が整っていなければなりませんか、優秀でなければなりませんか、劣らなければなりませんか? (「優秀でなければなりません」)。今の時代は、これ、劣っていますが、後代だけは優秀でなければなりません。それが先祖が願う願いであって、一家を率いる責任者とその父母たちが願う願いです。ここに来て結婚し……。滅びるために送った人はいないのです。わたしがよく知っています。

 そうなれば、十年後、二十年後に、何十年後に繁栄するはずです。ある人は、五年後に繁栄する人もいるでしょうが、五年後に繁栄する人は、一つの面を支配する人……。十年後に、百年後に発展するようになれば、一国を支配するとすれば、どちらを我慢して待ちますか? 一つの面を先に見いだしますか、一国を先に見いだしますか? これが問題です。どちらですか? 一国です、一国。もっといいものは、長く待たなければなりません。

 それで、先生は今現在、祈祷をしません。この複雑な皆さん、数千人の生命にわたしが責任を負ったのです。そうではないですか? この後孫が誤るようになれば……。先生の意図、計略によってしたなら、霊界に行って黙っているでしょうか? 先祖がただたいまつを持ってデモするのです。後孫が千秋をかけて……。皆、分かります。

 ですから、原則をもって対するのです。原則をもって対するにもかかわらず、原則どおりにしないものは、わたしは責任を負いません。責任を負えといっても、負えないのです。原則でやったときは、終わりまで……。皆さんが死んで皆さんの子孫もその原則に従うときは、永遠をおいて責任を負うことのできる立場で立ちますが、そうでないときは、それで終わるのです。

 それで、前例から見て……。自分の欲望を求めていった人は、皆、滅びます。三十六家庭もそのような連中が多いです。わたしは話しませんが。うん? 自分の欲だけ張っていれば……。先生は、すでに過去にだれが何をしたかということが皆、分かります。絶対忘れません。間違えば間違ったことを清算し、このような問題に、息子、娘すべて祝福当時に見るとき、皆、比較するのです。選別するのです。

 この先生がそのように頭が悪くないのです。一度記憶をすればコンピューターのようです。先生に記憶されるこのようなこと、原理原則に外れるこのような……。記憶されるようになれば、それはそれで終わるということでしょう。そのように思って、過ぎ去ったこととする場合には、先生の気分を良くしてください、はい? (「はい」)。(拍手)

 それで、わたしが昨夜から、昨夜からわたしがこれを、何日間か、ずーっと一週間前からすでに準備してきたのです。深刻だというのです。皆さんよりもっと深刻です。父母が子女たちの配偶者を結んであげるのに、どれほど深刻かというのです。もしかしたら誤るかもしれないと思って、深刻だというのです。それゆえ、天の前にすべてゆだねて……。

 さあ、目をつぶってやりますから……。それ、考えてみてください、目をつぶって。それでも、皆、りっぱにしっくり合うと思うのが先生だというのです、目をつぶってしても。それは目、手ならば手が、先生の手が先生の手ではありません。天が直接役事するのです。(日本語で少しの間み言を語られる)(婚約準備しながら整頓なさる)


先輩たちの精神を投入し、後輩たちの基盤を築いてあげ

 やあ、これ、本当に男性たちはハンサムですね。(笑い)違いますか? 日本で一番優秀な、優れた男性たちです。統一教会にいる人々は、家庭に運がなければなりません。韓国に行って合う運を持たなくては……。ほとんど韓国人です、これが。先生はそのように思っているのです。八十パーセントが皆、韓国人です。わたしたちの尊属を捜さなければならないでしょう。そうなのです。今はもう日本……。わたしたちの先祖は、韓国なのです。

 しゃべっている人たちは、横でハンカチを取り出して口をふさぎなさい! 皆さんがおしゃべりするようにはなっていないではないですか。じっとしていなさい、死んだように。ハンカチを皆、取り出していなさい。取り出して、横でおしゃべりしたらやめさせなさい。なぜ騒ぎますか?

 事務処理が……。今、八時ですが、夕方も食べずに片づけてしまわなければなりません。命懸けなのです。祝宴の日には、お客さんが訪れれば、皆、夜を明かして、その翌日をすべて使って祝宴しなければなりません。わたしがメッコール一本ずつ皆、分けてあげましょうか? (「はい」)。かまいません。二千ボックス分け与えましょう。分けてあげて、私たちの先生が婚約の贈り物としてこれを一つくれたのですが、婚約対象者は、霊界にいる人なので、来ないで、写真で代わりに訪ねてきたので、りっぱな男性だと……。

 皆、日本の大学出身です。日本のその東大出身だとか日本の国立大学出身は、日本政府が皆、掌管できるそのネームバリューがすべてくっついているのです。

 そしてまた、わたしが中国語……。ここに来ては五年間韓国に来ています。二年間皆さんの家に行って暮らしながら……。食べさせてあげなければなりませんか? 妻がもうけて食べさせなければなりません。その品目は何でしょうか? メッコールを売ります。その次は新聞配達、その次は消費組合、それで、その生活基盤を築いてあげようと思います。

 これさえ築く日には、今後、何十万の日本の人々が結婚して来ても、生活問題は問題ないのです。この基盤をどんなことをしてでも築かなければなりません。先輩たちの精神を投入し、私たち後輩たちの基盤を築くことのできる責任を負い……。わたしたちの一生を投入しなければならないのです。それは三年だけすれば、十分、三年だけすれば十分に築かれるようになると見るのです。

 新聞社は、一年半内に東亜日報、朝鮮日報を撃破できなければだめです。(「アーメン」)。(拍手)それで、韓日合同です、韓日。韓日合同して神様の御名で……。(「アーメン」)。日本の先祖を動員し、日本人を動員して、ソウルでたいまつを掲げて、日本が皆、感嘆し、韓国が感嘆できる問題を起こさなければならないのです。善意の問題なのです。

 それで、金日成に南北三八度線を開いて……。それで、希望を持って一度やってみるのです。それゆえ、わたしが静かに見ると、皆さんが見ると、ああ、これ、ねたみが生じるのです。この者たち、わたしが苦労し、あの見たくないものを集めて、福のふろしきを分け与えることを考えると、胸がずきずきするのです。皆さん、日本の男性たち、あの大学を卒業し、そのような男性をどこに行って捕まえると思いますか?

 どれ、君、名前は何ですか? (姜ヨンファです)。姜ヨンファ、だれの娘です? お父さんとお母さん、教会に来ますか? (「来ません」)。兄さんも来なくて? (「姉さんが来ます」)。姉さん? (「はい」)。そのお姉さん、祝福を受けたこと、そのお姉さんの夫に対して、皆、喜びますか? (「はい」)。皆、喜ぶでしょう、統一教会の食口のような男性がどこにいますか? いないでしょう? それを知っていますか? 統一教会の男性食口のような男性はいないのです。


平和の世界は、五色人種が一つになってこそ

 そうなれば、君は追い出されないでしょうね? (「はい、許可をもらいました」)。日本の男性でもかまわないと? (「はい」)。では、黒人を一つもらってあげましょう。黒人はどうです、黒人? 黒人も兄弟ではないですか? (「お父様がしてくださるなら……」)。六千年間別れてアフリカで暮らしてみると黒人になったのであって。宗旨が違いますか? アジア人、あなたたちよりもっとりっぱな男性が多いのに……。皆、そうなのです。黒人は悪いのではありません。情を寄せれば、黒人と暮らす面白みはもっと刺激的なのです。もっとために生きて、そうなのです。

 この日本の女性たちを黒人とこの前、五十組ほどしてあげたのですが、皆、わたしに感謝すると言っています。女王のように迎えてくれるというのです、一家が。そうではないですか? 馬のようなものも黒毛があるでしょう? 黒毛が褐色よりももっとすてきなのです。太陽の光が出るときは、きらきらとどれほど……。つやが出て、そこに眉毛も真っ黒く、白目だけ白くて、そのぱちぱちするのが、とても芸術的です。そして、女性が黒人と暮らせば、幸福でくたびれてへとへとになります。そのようなこと知らないでしょう、何の話か? ですから統一教会女性たちは……。

 神様は色盲です、神様は。それは何の話か分かりますか? 色を見ようとはしません。真の愛の目は色盲です、色盲。知っていますか? 色盲、知っているでしょう、色盲? (「はい」)。色盲が何ですか? (「色を区別できない……」)。色を見分けられない、神様の目は色盲です。神様は、かえって黒人たちを愛するのです。今、それゆえ、今までこの体育の外的なすべての力の権威をもった人は皆、黒人です。米国選手たちの三分の二が皆、黒人です、金メダルを受けた人。知っていますか? (「はい」)。白人たちは何人にもなりません。これはすでに奪われたことを意味します。

 クレネ人のシモンがイエス様の十字架を背負ったでしょう? それで再臨時代、終わりの日の時代においては黒人たちが体力的には、祝福されるときが来るのです。これをよく指導して、精神的に祝福される道さえ開いておけば、白人が問題ではありません。白人を十人使うのよりも、黒人一人使うほうがましなのです。

 黒人は、絶対従順です。白人たちは驕慢です。今、本然の国を創建できるあらゆる重要な責任は、黒人たちが負わなければならないとわたしは見るのです。分かりましたか? (「はい」)。イエス様が十字架で亡くなるとき、クレネ人のシモンが十字架を背負い、黒人が行く道を手助けしませんでしたか? その福を受けるのです、主が来るときになったがゆえに。

 それで、なぜ黒人世界が……。ボクシングや何かの運動では、陸上やあらゆる面で黒人がなぜ先んじるかと言えば、天国の祝福を体として受けるときであるからです。イエス様を手助けしたように人類の真の父母の受難の道を初めて協助した人は、その人しかないのです。それで、アフリカ時代が今……。すべての運動では今、チャンピオンになります。

 これをうまく教えてあげたら、白人よりも黄色人種よりももっと忠誠を尽くす人が多く現れます。涙を流して忠誠を尽くすことのできる人々が黒人たちです。これが、イスラム圏内に入っているのに、これをわたしが垣根を壊すためには、イスラム司祭たちと有名な世界的な大家たちと今、連絡し、この統合運動をしているのです。

 それで、平和の世界というものは、黄色人種だけではできないのです。違いますか? 五色人種が一つにならなければならないのです。今、わたしが世界平和の旗手として来たからには、これを祝福という、結婚という問題を中心として、平準化させなくては、世界は谷間に行くようになるでしょう。平地が生まれてこないのです。水平線が現れません。そこには涙の跡が残されるので、そこには水が流れないために腐ります。それは世の中のがんのような基盤になるというのです。

 もっと、(写真)持ってきなさい、もっと、これをもっと持ってきなさい。(「はい、分けているところです」)。皆、持ってきなさい。それでこそさっさと早くできるのです。わたしがしろと言うとおりにだけしなさい。


後代を思いながらペアを組んであげる

 それで、君は、なぜ今まで……。一九六二年度に入って、今までなぜですか? どこかに行っていたのですね、統一教会を捨てて。(「いいえ、終始ポムネッコルにいました」)。うん? (「釜山のポムネッコルにいました」)。ポムネッコルにいましたか? ポムネッコルにいても、皆、嫁に行くときは行かなければならないのではないですか? ポムネッコルを守っていましたか? (「いいえ」)。うん? 君も星回りが悪い女性と思っていますか? うん? 君は、東西南北を歩き回らなければなりません。それを知らなければなりません、東西南北。君が定着して暮らせば、周辺にいる人が病気になります。まひ病、小児まひ。まひ病になる人が多く生じるのです、それはどういう話か、おかしくないですか? 君、そのような経験をしませんでしたか、家で? (「はい」)。そのようになるのです。見ていなさい。

 それゆえ、君の新郎は、やんちゃな新郎、一日に一、二度ずつ頬をなぐることができる夫をもらわなければなりません。そのような、統一教会の食口の中にそのような男性はいないけれど、そうすることのできる性格、火のような性格……。激しくけったり、つばを吐くことができる男性、そのような男性をもらってこそ、生活の道を探し求めて息子、娘を生み、それでも死ぬとき、うちのお母さんはりっぱなお母さんだと称賛できる息子、娘が残されるのです、これが。それゆえ、いい夫をもらおうと考えてはいけません! わたしが話をしてあげるのです。君もそのように考えますか? それが君の運勢なのでそうなのです、その男性が。

 その男性もハンサムではなかったでしょう? げんこつがこのような男性でしょう? そうでしたか、違いましたか、話してみなさい? 気に入らなかったでしょう? げんこつが大きくて、やんちゃのようだったでしょう? (「あまりにも小さくて嫌でした」)。小さくて、小さくて? そうでしょう、小さくてもふつう以上に小さくなければならないのです。君が首以下、ここに来なければならないのです。そうでなければだめなのです。あなたが幸せだというと、だめなのです。

 皆、そのような何かがあるのです。どうして分かるのか知りませんが、先生は生まれつきです。先生は八歳のときから仲人の役をしました。近所の姻戚の八寸までです。わが家は五山の家なのです。わたしは五山の家の小さな子供であり、次男です。五山の家の小さな子供です、わたしたち一族の……。今後、わたしたち門中を生かすことができ、わたしたち門中で誇らしい天のかわいい子として生まれたと言われました。尋ねれば皆、分かります。

 写真を持ってきてみて、置いた写真でそのまま結婚した人は、皆、息子、娘をよく生んで、よく生きるのです、しばらくは悪いかもしれませんが。そのときから、八歳からやったので、今は八十歳近いからさぞやこの専門家になったでしょうか? わたしは見て分かります。離してみるって、何を離してみますか? においをかいで皆、分かるのです。さっとみれば、すでに皆、分かります。さっと座るのを見て、笑うのを見て皆、分かるのです、はっきりと。さっと見て「あの女性、かわいそうだなあ……」というのです。

 それで、一生の間に七人まで食い殺す女性がいます。食い殺します。カマキリがいるでしょう? 愛し合ってから男を食べるでしょう? そのような性格の女性。愛し合ってから、男性を食い殺します。そのような女性がいるのです。そのような女性は、屠殺できる牛を毎日のように打ち殺すことができる、このような男性をもらわなければなりません。あまりにもひどいでしょう? うん? あまりにもひどいでしょう? しかしそうでなければだめです。そうでなければ子女ができません。それで、先生が結婚させてあげるのは、後代を考えて結婚させてあげるのです。三分の二が後代のためにです。

 先生もお母様に侍ってきたのはですね。お母様すみません。お母様に侍ってきたのも息子、娘を考えて……。それで、わたしたち息子、娘は皆、優れていますか、劣っていますか? (「優れています」)。あまりにもハンサムでわたしが心配です。(笑い)女性は、あまりにも闊達です。どこか男性世界に行って外交をさっと……。

 恩進だけでも、今あのコロンビア大学を出て、教授世界に行き、皆、説得してぴたっと……。説得するのです。このようにして、「だれだれこのような学生が、コロンビア大学の私たち政治科のために、政治外交科のために入学させるのが誇りなので、やらなければいけない」と説得するのです。このようにして……。

 それで、お母様によく侍ってきましたか、侍ってこれませんでしたか? (「よく侍ってきました」)。ああ、この小さいお母様……。お母様お一人に侍り損なえば、どれほど版図が変わったでしょうか? そうでしょう? (「はい」)。どれほど変わったかというのです。お母様が小さくて、百五十未満ならば、その子たちがひなのようで、どう使えるでしょうか? あのガチョウの子は、空中を飛ぶのです、いくら大きくても。それで、空中を飛びます。空中を闊歩するときは、天地が震動しながら、悠々と飛んで行くことのできる、このような勇者のような息子、娘を生まなければならないのではないですか? それは女性として願いますか、願いませんか? (「願います」)

 君もそうです、小さい女性? そうですか? 小さいほどもっと切実でしょう。そうではないですか? 優秀なほど切実でなく、小さいほど切実でしょう?

 このように見れば皆、美人のようです、今晩には? 美人のようですか、美人ですか? きょう婚約しようと集まった人々、その乙女の心は、美人、乙女に近いのです。それゆえ、きょうは、際立って顔がさっとこのようにあかりに反射して見えるから、反射の色が出て、とてもかげろうが立ちこめた中で仙女が笑う顔のようです、皆。

 それ、一枚だけ下さい、一枚だけ。一枚だけ下さい、お母様。お母様が。(「一枚下さいですって? 何とおっしゃいましたか?」)一枚だけ下さい、そこから。それはお母様が協助したという条件を立てないと。(笑い)(以後からは継続してペアを組んでくださる)*






















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