男性訪韓修練会
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真の自分を探しましょう!!!

1995年1月17日 韓国・水沢里中央研修院

三十二万人修練会の開始にあたって

 「こんばんは!」(こんばんは!)。これで三回目ですね。この修練会は三回で終わりです。三十二万人修練会開始の三回目が終わるということです。これから日本で三十二万人の教育をするということは大変なことです。三十二万人を教育するということは、三十二万世帯に十六万を足して四十八万です。日本の統一教会は五十万以上の世帯でしょう。それで一世帯が四人とすれば、いくらですか? 四掛ける五は二十で、二〇〇万です。その二〇〇万を二〇〇〇万にするのです。二年でやるのです。問題ありません。そうなれば、日本は世界の関心の国になるでしょう。悪い意味においてではなく良い意味において、関心の的になるのです。

 今の日本は、経済的な復興において世界の関心事になっているけれど、そのような経済にのみ関心を持つ日本に対して、経済動物というあだ名がついているのです。それは何の意味かというと、動物は親子関係を知らないのです。親が食べているものを引っ張り合って、子供が取って食べるというのが動物的なやり方なのです。世界は、日本をそう見ているのです。初めて会ったのにこんなことを言って、すみませんね。男たちはみんな気持ちのいい顔をしていないのですが、それは先生が気持ちが悪くなるような話をしているからですね。なぜこういう話をするかというと、これは文先生との戦争なのです。誰が勝つかということです。みんながそうなのです。

 前回は、三八〇〇名の人々が集まりましたが、この中にもいろんな人がいるでしょう。自分だけが偉そうにして日本中を、いろんな問題で駆け回ってきた人もいるでしょうし、いろんな名門の家の出身もいるでしょう。それから、国家の重要な職にいて、自分なりに国家の重鎮だと思う人もいるでしょう。あるいは学者など、いろんなタイプの人々が一億二千万の日本人全体を代表して集まったのですね。

 では、集まった者がみんな文先生を歓迎するのでしょうか? 歓迎するために来たのではないのですね。統一教会は良くないという噂があり、また「一九九三年の八月までには、日本列島の統一教会を撲滅する」という宣言も受けてきました。そのことは知っていますね。そのような言論界のまっただ中において、文先生はそれをきれいに収めてしまいました。

 先生の奥さんを中心として、日本全国に新しい風を吹き入れたのです。それは、経済的問題でもなく、政治的問題、あるいは外交的問題でもなく、思想的問題においてです。思想でも最高の思想です。神様を中心としての思想によってです。人間を中心としての思想ではなく、神様を中心とした思想を発表することによって、全日本の若者たち、特に女性たちが興奮のあまりに、お母様をたたえて、「世界的な希望です」と、みんなが集まって歓迎したのです。

 それは、日本の地において良いことでしょうか、悪いことでしょうか? どう思いますか? ある統一教会のメンバーは、「良いことです」と言いますが、また「悪いことです」と言う者もいるのです。二流があるのです。日本に二流があってはいけないのです。一流だけです。どんな団体も、二流があったら争いが絶えないのです。そういう意味で、この聴衆すべてが二流の立場に立っているのです。一流は反対する者であり、一流は歓迎する者たちです。

 もともと歓迎する者も、みんな文先生に対して歓迎する者は一匹もいないのです。公的な大衆の前で、一匹という言葉を使うのは失礼であることはよく分かっていますが、そんな者はいないから、一匹もいないから怒ることもないのです。また悪い相対もいないから、何を言われても失礼ではないのです。

 みんな、そういう者たちでも、先生の話を聞くことによって、だんだんだん色を染められていくのです。そして統一流の色になってしまうのです。それも日本人ばかりではなく、統一流の色は全世界、人種を超えて、一八二か国以上の人々がみんな文先生に影響されて、色を染められたのです。白というか、黒というか、赤というか。しかし反対する者は、「黒は黒で、赤は赤で、白は白でいいだろう」と言っているのです。

 そういう意味において、文先生という男は世界的にも有名なのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。そんなに渋い顔をしないでください。(笑い)みんな、悪いほうにおいて有名ですか、良いほうにおいて有名ですか? (良いほうです)。いやー、そうではないのです。率直に言わないといけないのです。(笑い)率直は正義に通じるのです。

 それで、世界中において、レバレンド・ムーンという名前を知らない者はいないのです。おなかの中であすの誕生を願う者までも、「いやー、外で騒がれているレバレンド・ムーンという人に、早く生まれて会いたい。その話を聞きたい」と、飛び出してくるようなことも起きるのです。まあ、そんなことはなかなかないだろうけれどもね。(笑い)分かりましたか? (はい)。


迫害されるこの道

 まあ、どうであれ、嫌でも何でも、歓迎する者は今からでも、文先生のやることに対して関心を持たざるを得ないのです。反対する者もそうです。あまりにも反対してきたので、「あの人が亡くなれば無事通過できるのに、成功したら大変だ」と関心を持たざるを得ないのです。そうなっているのです。良い者も関心を持つし、悪い者も関心を持つのです。みんな、そういう現状なのです。ここに集まっている聴衆も例外ではないと思いますが、どうですか? (そうです)。

 修練は厳しいほど素晴らしいのです。修練させる者が強く強固なほど結果がいいのです。それを否定する者はいないのです。ですから、この修練の中心者として立っている者は、顔がどうであれ、過去がどうであれ、先生として立った場合には、問われたら答えられなければなりません。どうですか? (はい)。気持ちが悪いでしょう? 気持ちが悪いように言っているのです。

 最初から、多くの人々の前で、こんな無礼なことを言う人は世の中にいないはずなのに、なぜ、こんなことを言うのでしょうか? ここには、感化されるために来た者はいないのです。最初からそんな人はいないのです。「反対して、何とか文先生をやっつけて帰るのだ」と思って、その肚をもって来ているのです。それで、そういう決意を固めて来ているのですから、その決心が「ムー」と落ちて固まるように刺激するのが、今の先生の言葉なのです。(笑い)本当なのです。それで文先生に会って目を合わせた場合には、「ワー、ブレーン・ウォッシュされる」と思うのです。だから目を合わせないように注意しなさい。(笑い)本当です。世界でも、日本でも、そんな話をあなたたちも聞いたのでしょう? 先生が知っている以上に、日本では聞いていると思います。なぜかというと、日本の言論界がたくさん嘘を言っているので、先生の知らないことまで聞いているはずです。その中で、どちらが正しいか悪いか、それを見分ける力がなく、ただ丸のみにしているので、おなかの中で下痢しやすいのだということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。気をつけて、洗脳されないようにお願いいたします。(笑い)

 まあ、そういうことで、戦えと言ったのですから、一騎打ちの戦いをするのです。共に背後を名乗って、「自分は、何々の地に住む、何々県の何々である」と名乗ってやるべきです。それと同じように、今あなたたちに名乗っているのが文先生なのです。どうぞ、負けないようにお願いいたします。分かりましたか? (はい)。分かれば、気持ちがいいでしょう。(はい)。

 あの光(注・ビデオ撮影用の照明)があるので、向こう(修練会場の前方)はいつも暗いし、後ろは明るいので、先生はこっちに来るのです。本当に、聴衆の中で一番後ろに座る者で良い人はいないのです。(笑い)本当のことです。どうもすみません。みんなは、そうでもないのですね。全体の中で自分は最高の位置にある者だと思ってプライドを持っている者にも、先生が無礼なことを言うので迫害されるのです。黙っていれば、迫害されないのです。

 アメリカに行っても、「このアメリカの白人は、泥棒たちだ! レバレンド・ムーンは、そういう者を放っておかない。この者たち!」と、け飛ばすのです。アメリカ式の言葉を借りれば、「インディアンは病気で死んだ」ですって、そんな馬鹿なことがありますか! 何千、何万年の歴史を経て生き残ってきた原住民なのに、四〇〇年以内にみんな亡くなったのが病気のせいだと言うのですか! そんな馬鹿なことはありません。自分たちが殺しておいて、そういう弁解は通じません。そのようにぶっかけるのです。

 そうなると、アメリカ人たちは気持ちが良いですか、悪いですか、どうですか? 「日本は侵略国家である。歴史が証明しているので間違いない」と言ったら、気持ちが良いですか、悪いですか? (悪いです)。侵略国家でなかったとしても、そんなことを言われると気持ちが悪いですね。隠しておきたいことを明らかに公開されると気持ちが悪いのです。

 (先生が)そんなことを言うので騒がれるのです。分かりましたか? 騒がれる理由が分かりましたね。知られないようにすればいいのに、こんなことを言って、自分個人に何の利益になるのでしょうか? 迫害ばかりを受けて、どこに行っても「ワー、ワー」追い出されて問題になったのです。日本でも相当、文先生のことを、「ワー、ワー」言ったのでしょう。電車の広告も、「文鮮明のやつ」という言葉から始まるのです。「ワー、文鮮明みたいなやつは、やくざよりも悪い!!」と。(笑い)「極端な一匹狼が包丁で人を刺し殺すけれど、そういう者よりも悪いやつだ!」と豪語しているのです。そういう実物に、みんなは会っているのです。

 日本がどんな悪いことをしたのかというと、たくさんの秘密を重ねているので、「そうではない」ということは言えないのです。本当だからです。それが少したつと「文鮮明のやつ」がなくなってしまったのです。「文鮮明は悪い!」と言う日本人が変わっていくのでしょうか、文先生が変わっていくのでしょうか? 文先生は初めから少しも、何一つ変わっていません。なぜ変わったりするのですか? それでは、どちらが悪いですか? 変わる者が悪いですか、自分で下がったり上がったりして変わる者が悪いですか? どちらが悪いですか? 聞かなくてもみんな分かることですね。日本人はみな利口者ばかりです。

 それで、アメリカ人は何を言っているのかというのです。「この者め! コロンブスがアメリカを発見してから、もう五〇〇年たったと言うのですか。この者め! 原住民は人ではないと言うのですか。この者め!」。破船して生命を助けてもらった者が、救ってくれた者を迫害するなどと馬鹿なことです。気持ちの悪いことばかりをしているから腹が立つのです。分かりましたか? (はい)。日本でも、そうですよ。


統一教会の理論は完全に正しい

 先生にはそういう経歴があるので、威張らないで正直に分別して、正義をわきまえて、変わるか変わらないかを、自分なりに決めなければならないのです。普通は宣伝するものです。宣伝する時、困った場合は嘘も言うのです。分かりましたか? (はい)。先生は率直です。

 「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」と。そんな馬鹿なことはありません。「キリスト教を中心として、アメリカは世界指導者、第一番だ!」と。何を言っているのですか! 世界キリスト教の最高指導者のチャンピオンは文先生です。(拍手)ですから、神学者や有名な牧師は、みんな嫌がらせをするのです。みんなそうです。有名人も、先生に一回も会ってもみないで、そんなことをするのです。君たちは田舎っぽいので何にも知らないのですが、一九七九年に七十三か国の世界的大神学者を中心として、「統一教会の理論は完全に正しい!」と決定を下したのです。そんなことも知らないのですね。

 先生はあまり率直なことを言うので、そのために悪く思われるのです。あなたたちもそうでしょう? みんな知っているのです。一回で、それをやめればいいのに、二回も三回も、その部落に行って、また他の部落にも行って、どこに行ってもやるので、気持ちが悪くなるのです。どんどん、どんどん、気持ちが悪くなるのです。そして国を動かして、「文鮮明を追い出せ!」「レバレンド・ムーン、ゴーホーム!」ということになるのです。それは、我々の生活途上に見られることです。黙っていれば迫害されないのです。

 もし、初めて会う皆さんに対して失礼だということも分からないで語っているとすれば、それは馬鹿か阿呆です。馬鹿は何にならなければならないのですか? 日本語で何ですか? (死ななきゃ直らない!)。ああ、そうですか。そう習いましたか? ありがとうございます。(笑い)

 正義を正義として認めない者は、馬鹿か不馬鹿か、無馬鹿か非馬鹿です。単語を見いだすのは大変です。今から先生の話は、「不」だったら「反」と覚えてください。無馬鹿、非馬鹿、有馬鹿です。有馬鹿はそのままで、馬鹿は死ななきゃ直らないと言うのです。そう気持ちを悪くしないでください。相撲を取って勝敗を決めてから、気持ちが悪いか、気持ちが良いかとなるのです。

 それなのに、その途上で「私がチャンピオンだ! 天下の何人も私に勝つ者はいない」と、ワー、ワー騒いでいても、小さい者にやられて恥ずかしそうに壇を下りるということは、面子どころではありません。死ぬよりも辛いことなのです。それに驚かないでください。帰る日になって、気持ちを悪くして帰るか、気持ち良くなって帰るかです。帰る時に、「永遠に再び振り返って見たくもない」と思うようになるかです。振り返りつつ、「再び来たい」と思うことがなきにしもあるということになるのです。分かりましたか? (はい)。

 おじいさん、そんなにみっともない顔をしないでください。年を取ったお父さん! (笑い)もう随分親しくなりましたね? (はい)。たくさんの壁がめちゃくちゃに、みんな倒れたので、「いやー、何かありそうだ。今まで悪く思っていたのだが、何かありそうだ。いやー、(先生の)言うこと聞けば、無関心では駄目だ。有関心にならなければならない」と、思いつつあるのが間違いない事実です。そうですか? (はい)。「ハイ、ノー、ハイ、ノー、ハイ?」。「ノー」と言うのは英語で何か分かりますね? 「ハイ」の反対は「ノー」です。「ハイ、ノー、ハイ?」。どちらですか? (ハイ)。ありがとうございます。


真剣でもって真剣に生きる

 これで、随分と近くなりましたね。言葉というものは、有能です。泣いている者も慰めて笑わせることができるし、笑っている者も泣かせることができるし、死のうとする者も生かすことができるのです。また、生きようとする者を殺すこともできるのです。立派な内容を語れば、立派な人を生きかえらせることができるのです。何で笑うのですか? (笑い)若い者がそんなに笑っていたら、相対者がいなくなります。笑うのにも正式に、さーっと、ウィンクとともに調子を合わせて笑うのです。(笑い)運命が良いか悪いか分からなくても、もう会ったのですから、挨拶はしなくても今ここに立った人が文鮮明という男です。

 ここに集まった者は、日本では有名な青年ですか、壮年ですか、老年ですか? それが分からなければ、大衆を指導するにも中心を定めて話しかけなければならないので、失礼であっても皆さんが何歳か調べてみたいのです。いいですか? (はい)。

 二十五歳以下は手を挙げてください。(はい)。まあ、きっぱりしてるね。三十五歳から二十五歳まで?(はい)。うーん、統一教会は未来があるね。こんなに青年が多いからです。本当ですか? 青年はその国の未来を表徴するものです。日本は統一教会の滅亡を願っているのに、日本の中の若者たちが統一教会に集まってくるので、「日本の将来は大変です、文鮮明先生の将来は素晴らしく大変です」と言うのです。では、下ろしてください。四十五歳から三十五歳? (はい)。これは、半分もいないね。五十五歳から四十五歳? (はい)。まあ、これはさらに半分もいないね。六十五歳から五十五歳? (はい)。これは、もう姿も形も見えないね。大変なことです。もう六十五歳以上は、先生も要らなくなるのです。(笑い)七十五歳から六十五歳? (はい)。もう、何人もいないじゃないですか。(笑い)それでは七十五歳以上? (はい)。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ。(八人です)。九人(先生を加えて)です。(笑い)

 これは、かわいそうじゃないですか。四〇〇〇名近い者のうちで、一番年長メンバーの八人に加えられることは寂しいことです。寂しいことを超えて失望的です。あなたたちもそうでしょう。八十歳代の男に頼るような人がいますか、いませんか? 率直に、自分の知っているとおりに答えてください。八十歳代のおじいさんに希望があり、未来があり、何か模範的なことがあると思いますか、思いませんか? はっきりと言わなければ分からないのです。「せん」か、「す」か? はっきりしてください。せん? す? (せん!)。 はい、ありがとうございます。

 もう、先生は要らなくなったのだから、帰ります。(笑い)いらないと言ったでしょう。(先生は青年です)。気持ちは青年だけどね。(拍手)今まで青年になろうとして、一生懸命に運動をやってきたから、さーっとやれば、みんなこのようにくっつくのです。(先生が足を上げて額にくっつける)運動をしているので、相撲を取っても三分の二は転がしてしまうのです。(笑い)本当です。革命家は健康でなければなりません。牢屋にとじ込められても、一週間や四十日の断食をしても生き残れるような準備をしなければ、世界的革命はなせません。

 先生は牢屋に引っ張りだこにされたのです。ですから、何回入獄したことになりますか? (六回です)。そのような者が世界をなぜこのように、かき回してしまったんだろうかと、世界で有名にならざるを得ないのです。悪いほうか、良いほうか分からないけれどね。しかし、先生を牢屋に入れた国も、人も、みなぺちゃんこになるのです。みんなそうです。先生を打って勝った者は見たことがありません。その証拠がたくさんあるのです。

 先生の生涯の歴史を知れば大変ですが、そんなことを紹介する時間はないのです。これから膨大な内容を二日間で、十三時間か、十二時間圏内で教えなければならないのです。ですから、「真剣」という日本の素晴らしい言葉のように、真剣でもって真剣に生きることです。真剣なる将来を真剣にもらうのです。日本ではみな、真剣を喜ぶのですね。分かりましたか? (はい)。

 気を引き締めて、約束してくれますか?(はい)。この二日間は、君たちの耳と目は自分たちのものではなく、文先生のものとするようにしてください。(はい)。先生に貸してください。必ず返しますから。それで、もし悪い耳であっても、悪い目であっても、返す時にはぴかぴかにしてあげます。「いやー、こんな耳、こんな目であったとは知らなかった」と、感謝するようになるかもしれないので、先生に貸してください。それを約束しますか? (はい)。では、先生は、見ていないから手を挙げてください。(はい)。下ろしてください。みんな自分で約束したのですね。先生は見なかったのですが、ちゃんと神様が知っているから、その約束を破らないようにお願いいたします。(はい)。もう気持ちよくなりましたか? (はい)。


忠臣の伝統精神とは

 では今から、そろそろ本題に入りましょう。本題では難しい言葉を聞かなければならないのです。初めて聞く言葉をよく吟味しながら、自分と何のかかわりがあるかどうか、それを肯定するか、否認するかを決定するのは、皆さんなのです。自分たちでするのです。強制はしません。文先生が決めたことよりも、自分たちが決めたほうが良かったとすれば、それを自分の生命とともに誓って、生涯の梯子として渡れるようになることを先生は望むだけです。

 それでは、題目を決めましょうか? (はい)。東洋で一番喧嘩の好きなのが日本人です。チャンバラをやるのは日本人でしょう? (笑い)何が悪いのですか? それは別に悪いことではありません。そうでしょう? だから、喧嘩の好きな日本人に対して、何を話したらいいかということです。(笑い)

 では、題目を書きます。大きく書かないと見えないから、仕方がないのです。(先生が板書される。最後に「!」を三つ付ける)これ(!!!)は蘇生、長成、完成です。この題目は何ですか? (「真の自分を探しましょう」)。「真の目分を探しましょう」ではありませんよ。(笑い)そんなことでは駄目です。「目分」ではありません。真の何ですか? (自分を探しましょう!)。こんなことを言うので、初めから「文先生はろくな者ではない、真ではない」と公認して、駄目な者として扱ったので、ああいう表題を掲げてしまったと不満に思ってもいいのです。

 この話は、真の自分をどこかで失ってしまったということです。今の自分は真ではないのです。それは、もうはっきりしているのです。それを知りたいですか、知りたくないですか? (知りたいです)。知って何をするのですか? (真の自分を探します)。世界を占領するのですか? (笑い)それは馬鹿です。そんな者がいれば、教えると大変なことになるのです。だから大変問題なのです。勝つのがいいですか、負けるのがいいですか? (勝つのがいいです)。悪い立場に立っても勝つのがいいですか? (良い立場です)。良い立場にいても、自分が良いと承認された立場に立っていることも知らないのですから問題です。真剣なことです。

 向こう(前方)へ行ったり来たりするのも大変です。(笑い)七十五メートルはあるのです。何時間も行ったり来たりすることは大変です。君たちも座っていて大変だと思うのに、先生は立ったままで何の利益になるのですか。先生に授業料を出しているのですか? 献金するのは、日本救済のためです。先生は見たこともなければ、タッチすることもできないのです。なぜ献金するのかということが分かった場合には、「あー、ちょっと安くしてもらったらよかった」と、そんなことは言えません。忠臣の伝統精神は、すべてを献げて、一身を献げて残った骨も献げていくのが、本当の忠臣精神です。駆け回って、駆け回って、かき集めて献げるのが本当の忠臣です。先生はそう思います。その理論が最も高くて、最も貴いと思います。

 さあ今から、あなたたちの中で立派な人になりたくない者は手を挙げてみなさい。(笑い)本当に立派な人になれる道があった場合には、死に物狂いで熱心になりますか、不熱心になりますか? (熱心になります)。みんな同じです。同じです。過去、現在、未来、人間たるものは同じ答えをするのです。だから、いい方法があった場合には、それで統一することができるのです。

 それで最も、天上の神様もいいと言うものがあった場合には、地上の過去、現在、未来を超えて、最もいいということが分かった場合には、その両方の天地を代表した最もいいものを中心として、天と地を統一することができるのです。違いますか、合っていると思いますか? (合っていると思います)。合うと思いますか、合ったと思いますか? (合ったと思います)。合うと思うのは永遠につながるのであり、合ったと思うのは結末です。今、すべてを片付けてしまったことになるのです。

 それで、一つになる群れを教える所が統一教会です。赤も白もです。赤にしたければ赤にするし、白にしたければ白にするのです。赤白にしたければ赤白にするのです。そんな話はないことです。赤が男で白が女だとすれば、女を赤にして男を白に変えることができれば、赤も白も一つにすることができるのです。それは悪いことですか、良いですか? (良いことです)。それは、良いことになるのです。赤でも白でも一つになれば、それは赤よりも優るし、白よりも優るからです。そうでしょう? 二つが一つになった場合には、自分の主張した以上に、白の最高も赤の最高も、それらが一つになって、もっと喜ぶのですから、すべてが昇華して統一されてしまうのです。そういう理論になるのです。

 ですから統一教会には黒人も、黄色人も、白人もいるのです。みんな黒は無視するのですが、黄色人も黒人になってみなさい。白人も黒人になって統一するのです。それで、どこかで統一するのですが、一番下で統一するのがいいですか、上に登って統一するのがいいですか? (上です)。どっちが易しいですか、どっちが難しいですか? (上です)。上に上がるのは難しいのです。だから、下がるのが大切です。文先生のそういう理論の結果、下に下がって統一するのが一番いいので、黒人、黄色人、白人と言うのです。これは失礼ですか? 百礼ですか? (笑い)

 では、みんな立派な人になりたいのですね? (はい)。立派な人になるには、みんなを多くに分割して、ばらばらにさせるのがいいですか、ばらばらのものを一つにさせるのがいいですか? (一つにさせるほうです)。分かっているのですね。(笑い)今晩、これをばらばらにしましょうか、このばらばらな者を嫌でも、け飛ばしてでも一つにしましょうか? (一つにするほうです)。け飛ばしてでもですか? (一つにするほうです)。け飛ばしたとしても、永遠に一つになって、死んでも離れないように一つになるとすれば、それは、け飛ばして一つにしてもいいことになるのです。け飛ばさないで、そのまま置いて一つになれば、もっといいことなのです。

 さあ、「一つになりましょう」という表題に決まりました。それに反対する者は手を挙げてください、手を挙げてください? 誰もいないですね。一つになる、そういう意味において統一教会を歓迎しますか、不歓迎しますか? (歓迎します)。よく話も聞かないのにですか? (笑い)


聖子の行く道

 それで、この問題に入る時「この者め! 文先生のやつは自分の息子をみんな誘って、だまして大変なことやらせて、親不孝者にさせた」「私の娘もそうだ! 娘盗みの泥棒だ。私の奥さん盗みの泥棒だ!」と、あなたたちの奥さんも統一教会に入ったので、泣きずった男もたくさん来ていると思います。殺すこともできないし、てんぷらにして食べることもできないのです。(笑い)すき焼きにして食べることもできないし、煮ても焼いても困ってしまうという話なのです。大変なことです。

 昔は、絶対に旦那さんの話を聞いたのに、統一教会に入って水一杯でも飲んでしまえば、みんな聞かなくなるというのです。父母もそうです。統一教会に入ってしまうと、今までは自分の子供たちを愛していたのに、そのお父さんお母さんが変わってしまうというのです。「子供よりも国を愛するのだ!」となるのです。気違いになったとしても程度があるのです。それも、国はさておいて「国どころではなく、世界を愛するのだ! アメリカを救うのだ!」となるし、「五十年前の怨讐の日本の国を救おう」と言うのだから、反対せざるを得ないのです。そうなると、子供の主張することも悪いと言えないのです。「自分の一家のために親孝行する以上に、世界のために生きるのが忠臣の行くべき道である」というのです。

 聖人の行く道は世界のためです。世界のために生き死んでいった者が聖人になるのです。天地のために、地上天国、天上天国の建設の勇士として神の命令に従って、それをなし得て成功した者を、神様の何と言うのですか? (聖子です)。聖子と言うのです。聖子、ホーリー・サンと言うのです。聖子とは、天と地と神と永遠の歴史のために生きようとする人です。そのような人が聖子の列に就くのです。

 あなたたちは、自分の子供をどういう子供に育てたいですか? 親孝行者ですか、忠臣の愛国者ですか?、どっちですか? (愛国者です)。親孝行者です! 君たちは間違っています。忠臣になるとすれば、親を捨て、妻を捨て、子供を捨て、一家族を捨てるばかりではなく、滅亡させていくのです。どのようなことがあっても、その道を行った場合には、本当の忠臣になるのです。忠臣の王様になるのです。どうですか? そこの眼鏡のおじさん、本当ですか? 文先生の言うことは本当ですか? (そのとおりです)。そうですか、ありがとうございます。

 それでは、忠臣を願いますか、聖人を願いますか、どうですか? (聖人です)。聖人になるには、自分の国まで犠牲にして、世界を救おうとする道を行かなければ聖人の列に同参することができないのです。文先生の話は間違っていますか、間違っていないですか? (間違っていません)。いつも間違ったことを言うといって、文先生は迫害されているのですが、この世の中は良い世の中ですか、悪い世の中ですか? (悪い世の中です)。本当ですか? そうだとすれば文先生一人が良くて、世界が悪いという結論になるので、問題になるのです。

 悪なる世界は、良い者が反対の立場に立って悪なる世界を砕いて消化しようとするので、悪なる者としては真正面から反対するのです。一八〇度違うのです。ですから悪なる世界においては、聖子になると言う者の、一国を尊重する者の過去、現在、未来、永遠の世界まで救おうとして生死をかけたその心には、反対するというのです。どうですか? そうではないと言う人はいないでしょう? (はい)。

 そんな者のことを馬鹿と言うのです。馬鹿は何ですか? (死ななきゃ直らない)。(笑い)もし死ななかったならば、どのようにしなければならないのですか。それは無用の者です。寄生虫です。負債して損害を天地に残す者は、どこに行っても歓迎されないのです。たとえ死んでも、歓迎する村もなければ、個人もないし、国もなければ世界もないです。無効なる者として、真ん丸になって消えていくのです。

 それで、文先生が「日本列島を超えて、地上天国、天上天国をつくって神様の聖子になれ」と教えたとすれば、その者は悪い者になるのですね? (いいえ)。本当ですか? 先生は、みんな世界中が「悪い、悪い」と言うので、先生も悪い人間だと思ってきたのですが、あなたたちが「本当はそうではない」と言うので、今晩から改めて覚醒して、ありがたくあなたたちの言葉を信じて、今から堂々と逆に攻めなければならないと思いました。(拍手)


悪い世界の中の日本の国

 では、皆さんの結論を聞きましょう。先生は、この世界は良い世界、善なる世界だと思っていたのですが、君たちはどういう世界だと思いますか? (悪い世界です)。反対ですね。文先生は「良い世界だ」と言うのに、あなたたちは「悪い世界だ」と言うのです。だから、文先生がナンバーワンの悪者になったというのです。そうでしょう。それは間違っていますか、そうですか? (そうです)。そうなのです。ですから、反対に立つ者は、先生を悪く思うのです。

 文先生が、神様のほうの善なる代表の立場に立ったとするならば、悪の世界は全部歓迎しますか、反対しますか? (反対します)。間違いなく反対するのです。そう考えれば、問題は大変です。先生は一生涯かけて迫害を受けながらも、一回も後退するような考えを持ったことがないのです。牢屋に引っ張られていっても、そこで正義の牢屋の記録を刻み込むことを考えるのです。それは悪い男ですか、良い男ですか? (良い男です)。

 先生は今晩、悪い男として結論するのです。そうすると君たちは、「そうなったら困ります」と言いますか? (はい)。おじさんたちは、「そうしたら困ります。先生、そうしないでください」。「そのままでいてください」。どちらを取りますか? すました顔をした偉そうな方たち、どうですか? (笑い)笑わないでください。同じ年代で先生の弟みたいな年齢だから、「この者」と言っても失礼ではないのですね。(笑い)男として何が失礼ですか? 風呂に入って体を触ったとしても、笑いながらそれを許すのが男同士のきまりではないでしょうか。(笑い)

 面白い先生ですか? (はい)。面白いですか? (はい)。君たちが面白かったら、文先生は面黒(おもくろ)いということを考えなければならないのです。(笑い)みんな反対する者たちを面白くさせるのは大変なことです。(笑い)これまで、いかに辛いことがあっただろうかと同情してあげなければなりません。流してしまってはいけないということを忠告しておきます。心に止めておきますか、流してしまいますか? (心に止めておきます)。本当ですか? (はい)。

 この世の中は誰に聞いても、「悪い世の中だ」と言うのです。先生が世界中を回ってみて、どこへ行っても、小学生に聞いても、「みんな悪い世界だ」と言うのです。老若男女を問わず、みんなが言っているのです。悪い世界なのです。その悪い世界の中にある日本の国は良い国ですか、悪い国ですか? (悪い国です)。何ですか! その目玉はなぜ下がるのですか? 純日本人であれば、「悪い」と言ったならば「ブー!」と、ぶっかけてくるのです。日本刀を引き抜いて、一騎打ちをやるような気概を持って、「そんなこと言ったら駄目ではないか!」と言っても、仕方がないのです。世界がそうなっているから、みんなもそうなっているのです。世界が悪いから、世界の中の日本の国も、「悪くない」と言ったら、それは、ぼんくらです。馬鹿です。馬鹿は死ななきゃ直らないのですね。いくら気持ち悪くても、我慢しないといけないのです。分かりましたか? (はい)。良いことがあるかもしれないので、我慢して待っていてください。(はい)。

 日本が悪いとすれば、日本が悪かった場合には、日本人はどうですか? (悪いです)。悪いのです。それで、日本人が悪かったら自分はどうですか? (悪いです)。(笑い)みんなの考えは、自分をさておいて、他が悪いと言うから、駄目なのです。これが問題です。「自分は良いのに、日本が悪い、周辺が悪い、父親が悪い、兄弟が悪い、先生が悪い」と言うのですが、共に悪いことを忘れているのです。それを忘れているのです。自分と毎日関係圏でもってつながっているのに、その関係圏を無視するような立場に立っているということを自覚したことがありますか、ないですか? (ないです)。それがないので、本当の自分を失ったということになるのです。

 世界は悪いけれども、自分がもっと悪いとすれば、悪い世界から同情されますか、排斥されますか? (同情されます)。はっきり答えてください! 夜だからといって、ぼやけていたら駄目です。大きな世界の全部が悪い。その中で誰よりも一番悪い王様が自分だと考えてみた場合に、周辺の悪い者が、国の悪い者が、世界の悪い者が同情するでしょうか?「この世の馬鹿」と言うべきでしょうか? (同情します)。そのように同情させるのです。いやー、えらいことが起きましたね。間違いなく、良心があった場合には同情せざるを得ないのです。

 そうだとしても、それはさておいて、世界はなぜ悪いのですか? 君、答えてください。(自分です)。自分が悪いのですか? 今、自分と世界を聞いているのです。世界が悪いために、引き続いて自分も悪いようになったのだから、世界という頭から自分というしっぽが生まれてきたので、頭を解決することによってしっぽも収拾できるのです。世界がなぜ悪いのですか? はっきり言ってください? (金儲けに走っているからです)。金儲けが悪いと先生は言っていません。(笑い)神様の子供が一番困っている時に、金儲けをして助けてあげることは悪くないのです。(堕落の血統だからです)。堕落といっても、見たこともないのです。そんなことを誰に聞くのですか? それが信じられるのですか? そうはいかないのです。理論的に通じないといけないのです。なぜ悪いのですか? (……さまざまに答える)まあ、個人主義も、何々主義もいいけれど、個人主義も、全体主義もみんな争い戦うのです。

 世界を見ると、世界史は戦いの歴史の記録です。そうですか、そうではないですか? (そうです)。すべての国が、韓国も日本も例外ではないのです。歴史はみんな戦いと争いの記録です。日本の新聞なんかも、大事件はみんな記載するのですが、それは、すべてがぶつかり合いの記録、戦争の記録なのです。あなたたちも毎日、それを見て驚いて、逃げたりしているのです。だから恐怖圏に包囲されているのです。これをいかに脱出するかというのです。分かりましたか? (はい)。

 そうだとすれば、世界も自分もなぜ悪いのかというのです。これが問題です。あなたも禿頭になるほどたくさんの子供や妻を愛し、金を儲けることに苦労してきたのでしょう。そんなこともなければ、なぜ禿げるようになりますか? (笑い)みんな自分自身を中心として考えるようになるからです。


心身紛争する自分

 さあ、世界が戦い、歴史が戦い、今も日本も戦っているのです。紛争しているのです。あなたはどうですか? あなた自身も心身紛争していることは、否認できません。これが問題です。ここに、心と体の戦わない者がいますか、いないですか? (いないです)。このような歴史的、公的、批判でもって、自分を悪い間違いの実証物として、指摘して教えてくれるのが文先生なのです。心身紛争する自分だから、悪いというのです。

 心身紛争! このことが問題です。戦争歴史をたどっていけば、世界戦争から国家戦争へと流れてきたのではありません。分かりますか? 反対の方向へ、個人の戦争から家庭戦争へ、氏族戦争、民族、国家、世界、天宙の戦争へと拡大してきたということは、理論的にも否定できません。その元たるものは、一体何かというと、人間の第一先祖から戦争は始まったのです。その戦争は何千万年の人類歴史を連綿としてつないで、今の自分に定着しているのです。

 今や、自分を起点として永遠の後孫にまで、この戦争をつなげざるを得ないような事実を我々は発見しなければならないのです。第一次世界大戦、第二次世界大戦においては、休戦も停戦もできたのですが、また、たくさんの戦争の歴史は、休戦や停戦をしてきたのですが、我々の心身紛争は一度も停戦をしたこともなければ、休戦をしたこともないのです。この大戦争を、一体誰が責任を持って解決できるのでしょうか? 悲劇といっても、これ以上の悲劇はないし、悲惨といっても、これ以上の悲惨なことはないのです。

 我々は歴史の代表者となりたいのです。世界一の絶頂の立場に立ちたいという欲望をみんな持っているのです。しかし、その欲望を果たせないでいるのです。なぜかというと、自分が戦争しているからです。これを正した場合には、無限に良心を中心として上がる道があるというのです。今まで、そういうことを知りませんでしたね。知っていましたか、知りませんでしたか? (知りませんでした)。過去においては、思いもしなかったことですね。

 そうすると世界万民、五十億の人類がみんな一つになって願うべきことは、「我々の中の心身紛争を停戦、休戦させてください」ということです。これ以上の願いはないのです。国家が統一され、世界が統一されても、根本的根源である人間の心身紛争を正さなければ、歴史的にも駄目になっていくのです。

 永遠に先祖と一体になって、無限の後孫まで変わることのない戦場を抱えていながらも、その恐ろしさを知らないで生きてきたということは悲惨なものです。だから、世界も悪いし、私も悪いのですが、誰がもっと悪いかというと、戦争歴史の伝統をすべて、出発点から過程を経て、その結実体である自分の心身が何よりも恐ろしい戦場であったということを知らなかったのです。

 歴史は、そのように見るべきです。神様がいたとするならば、神様もそう見ています。もし神様の反対の悪魔がいたとすれば、その悪魔もそう見ているのです。そのような心身紛争をやめない以上、世界は平和とか統一とか理想とか自由とか幸福とか言っても、みな嘘になるのです。

 あなたたちが夫婦喧嘩をしたその一日は、平和な一日ですか、喜びの一日ですか、自由の一日ですか、幸福の一日ですか? (いいえ)。家庭があっても、めちゃくちゃなのです。めちゃくちゃです。それで、会社から家に帰る時には、お母さんがどう思うか妻がどう思うかと、みんな心が縮まって大変です。帰ろうかどうしようかと、酒屋で酔っぱらって、半分知らないふりをして帰ろうとしているのです。それは、かわいそうですか、不かわいそうですか? (かわいそうです)。

 あなたたちの家庭で、奥さんのためにも平和でないとすると、子供のためにも平和でないとすると、親のためにも平和でないとすると、親戚のためにも平和でないとすると、会社の社長のためにも、課長のためにも、局長のためにもみんな平和でないと、その環境は地獄です。地獄なのです。「そのような環境こそが地獄だ」と感じたことがないというのは馬鹿です。こういうことを先生がはっきりと話すことによって、それがそのとおりに公認されるようになったことは、偉大な発見です。そういうことで、世界的に悪の世界と相撲を取って勝敗を決めることよりも、まず自分と戦って勝敗を決することが、世界の根本の戦いの勝敗を決めることであるという結論を下すことができるのです。分かりましたか? (はい)。

 ですから、「天下一品になる前に、自分一品になれ!」と言うのです。先生の話を聞いて、そう思いますか、そう思わないですか? (思います)。思うのだったら、今から正していきたいですか、そうじゃないですか? (正していきたいです)。「いやー、聞くところによると、一番悪い文先生の話だと思っていたのに、来てしまったのだから気持ちが悪くても仕方がない」と言いながらも、従っていかないとぺちゃんこになるのです。一億がぺちゃんこ、一国がぺちゃんこになるのです。みんな相対的世界がなくなってしまうのです。

 争う者の相対に立とうとする者は一人もいないのです。悪魔しかいないのです。悪魔です。善なる良心的な人は、争う境地から逃げていくのです。あなたたちもそうでしょう? (はい)。一人ひとりが戦い、自分の心身も戦う中で、それを知らなければ、「自分は良い者であり、戦う者が悪い」と言って、逃げていこうとするのですが、最も悪い者が自分だということを知らないのです。


歴史の動機と結実体である人間

 歴史の動機は人間です。先祖です。君たちは先祖の結実体です。男という一個の実を植えました。それがアダムです。そして女という一個の実を植えて、こんなにたくさんの男女になりました。一つ植えた実が大きく育って、たくさんの枝と葉をつけて、そして花が咲いてたくさんの実がなったのと同じです。男の実の本来の価値と、収穫したたくさんの実の価値とはイコールなのです。

 ですから、たくさんの種をまた植えても、たくさんの種が繁殖していくのです。アダム一つを植えて、二十五億のたくさんの男が生まれたように、エバを一つ植えて二十五億のたくさんの女が生まれたように、君たちから収穫した実を東西南北に何百個植えても、一つのアダムとエバと同じような傑作が世界に拡大していくのです。同じ味だし、同じ価値なのです。価値が同じなので植えれば同じ木になるし、同じ実を結ぶのです。そうですね? (はい)。

 そういう意味において、同じ実だから人間は平等なのです。そして、その実には数千万年の先祖の要素が、みんなつながっているのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。それを否定する者は頭が悪いのです。それは、計算外れの者であり、無用に近い者です。ですから、そういう意味で、神様がアダムとエバをつくった時、二組ずつをつくったのですか、一組ずつをつくったのですか? (一組ずつです)。男一人、女二人でもいいのではないでしょうか? 男はみんな、そういう放蕩なことを考えてきたのでしょう。自分の奥さん以外の女とつき合ってきた者が、九九パーセントはいるのです。統一教会の祝福家庭は例外ですが、自分の奥さんをさておいて、他の女の尻をつけ回るのが男のくせではないですか? あなたもそういう傾向のある男です。(笑い)悪いことをたくさんやってきたでしょう、正直に言ってください? (笑い)恥ずかしいのですか。ちゃんと顔に書いてあるのです。嘘はつけないのです。いくら弁明しても、そうはいきません。良心が知っているのです。良心を見れば分かるのです。

 文先生は、それが分かる高いアンテナを持っているので、世界的に問題を起こす男なのです。問題を起こすといっても、悪い問題ではないのです。その国が良くなるような問題を起こすのです。アメリカでもそうです。十五年前に先生がワシントン大会で宣言した時は、気違い男の言葉だと思われたことも十五年後の今になってみると、天の宣布の言葉であったことが分かるのです。福音の福音だったのです。そのような先生の言葉がたくさんあるのです。

 それでは、孔子様はその戦争を止めることができたのですか、できなかったのですか? (できなかったのです)。仏教の仏様はどうですか? (できなかったのです)。マホメットは? (できなかったのです)。イエス様は? (できなかったのです)。では誰がやるのですか! (文先生です)。この者! 一番文先生の嫌っていることを言うのではありません。(笑い)

 なぜ、こういうことになったのかということを知らなければなりません。何かが間違っているし、誤っているのです。このことが根本的に分からないと、その病原をはっきり知らないと、それを取り除くことはできません。その病気の原因と過程と結果をはっきりさせることによって、解決の方法も生まれてくるのです。世界では、今や理論的に可能なものは何でもつくることのできる時代になってきたのです。何のことか分かりますか?

 理論的に解明できれば、何でもつくれるような時代になってきたのです。宗教も理論的にその公式内容がはっきりと明示できた場合には、何でも成就できるようになるのです。そういうことを知りたいですか、知りたくないですか? (知りたいです)。時間が遅くなっても、聞きたいですか、聞きたくないですか? (聞きたいです)。何時までですか? (何時まででもいいです)。

 飛行機に乗って来る途中は何とか言ってごたごたしながらも四方八方から、日本の津々浦々からみんな集まってきたのですが、これから帰っていくようになれば、日本は大変です。大地震とか何とか、その噂を聞いていますか? それで、先生も心配しているのです。それは、日本が六〇〇〇メートルの崖の上に立っている列島だからです。みんな(地震が)縦的であればいいのですが、もし横的になれば、みんな六〇〇〇メートルの暗くて深い底に引っ込まれてしまう日本列島なのです。本当です。神様が守ってくれないと、日本人には守ることができないのです。日本の責任者も、日本の金も、日本の知識も守ることはできないのです。もし守ってくれる方があるとするならば、神様以外にはあり得ません。それを知っていますか? (はい)。

 そこのおじさん、立派な顔をしているけれど、役所の長でもやっているのですか? あなたは何をしていたのですか? 会社をやっていたのですか? 今、何歳ですか? (六十九歳です)。六十九歳で、マスコミなどの批判する中で、文先生のことを相当悪く見ていたでしょう? 統一なんて当てにしたくないという肚でもって一方通行ですましていこうと思っていたのに、何かの条件に引っかかって、ここまでやって来たのですね。文先生に会って気持ち悪いですか、気持ちがいいですか? 男としては美男子のタイプですか、ぶ男のタイプですか? 率直に言って、美男子のタイプなのです。四柱推命をする人も先生の顔を見て、みんな立って敬礼するのです。そして、「天下を治めて余りあるような王様になれる相です」と言うのです。それで、先生もびっくりして「そんな嘘のようなことを言わないように」と言ったのですが、しかし今になってみると、「あの何だか泥棒みたいな詐欺師みたいな男の言ったことが、いやー、嘘のように思っていたことが本当のことでした」と、なるのです。

 そうなると、王様は、先生よりも頭を低くするのです。天下に影響を及ぼす王様も、歴史の方向を転換することはできないからです。文先生はそれをなし得たのです。共産主義を滅亡させたのは誰だと思いますか? 計算的に公式的にやって倒してしまったのです。それを信じますか? 「ワシントン・タイムズ」を見たでしょう。「あれは真っ赤な嘘ですよ。嘘です。嘘です。ニクソンとか、レーガンとか、ブッシュとか有名な人々が、みんな気違いになってあんなことをしたのです」。(違います)。何が違うのですか? 何も、見たこともないじゃないですか。この者! (笑い)(先生が)嘘だと言えば、「嘘だ」と信じればいいではないですか。それが最後になって、嘘ではないかもしれないと思えば、「嘘ではない」と信じればいいのです。今は分からなくても仕方がないのです。おじさん、そうではないですか? (そうです)。


一人ひとりが一億二千万人を代表した日本人

 統一教会の男は、みんないい顔しているのです。先祖がいいから、運がいいから、みんなここに入ってきているのです。運のいい者、因縁のある者は、どんなことがあっても入ってくるのです。みんな因縁があって、このように集まったのだから、それぞれに注意して終わりを飾るようにしないと、先祖に打たれるのです。自分は、独りぼっちではないのです。歴史をつないだ代表なのです。

 自分一人が、ぽーんとヘリコプターから降ろされて、生まれてきたのではないのです。ずーっと数千代の血統をつないだ遺伝的観点から見た場合に、あなたたちの六十兆の細胞の中には、先祖の細胞がみんな入っているのです。それは否定できないのです。先祖が自分の中に生きているのです。私が喜び、私が幸福になり、私が天的祝福の恩恵につがれることによって、先祖たちもそれにつながれていくのです。そのように、歴史的な連体形として存続していることを忘れてはなりません。独りぼっちでは、存在圏が世界圏まで続かないのです。分かりましたか? (はい)。

 家庭は、日本を代表した家庭であり、日本とつなぐ家庭なのです。日本人とつなぐ家庭になるのです。独りぼっちではないのです。そうなれば君たちもみんな、日本を代表した男になりたいのですね? (はい)。万民が共々に、みんな代表的な者になるように神様は願っているのです。分かりましたか? (はい)。みんな日本人として、一人ひとりが一億二千万人を代表した日本人になるのです。そうなれば、その国は最高の国になるのです。素晴らしいことです。

 あなたたちの欲望は、ぺちゃんこになりたくないのです。みんな王様になりたいし、それから女王様を奥さんとして愛したいのです。そうではないですか? (そうです)。そうです。そして、その場所を知らなければならないのです。それが、いかに幸福なる場所かを知らないので、みんな大変なのです。もともとそういう根源を持っているし、その動機と原因につながっている自分だから、そうならざるを得ないのに、そうならなかったので、苦悶し合い、ぶつかり合い、争いの世界になってしまったのです。それを平定すれば、ずーっとそのまま自動的に帰ることができるようになるのです。

 その道を、どんなに難しいことがあっても、たどって行きたいですか、無関心で放棄したいですか? (たどって行きたいです)。たどって行って、自分が探し出していくのです。そういうふうにたどって行って教える先生があった場合には、先生の後に絶対くっついて行くべきですか、行かないべきですか? (行くべきです)。文先生が、もしそうなったらどうしますか? おじさん、くっついて行きますか、行かないですか? 行かなかったら大変です。自分の子供が大変です。奥さんが大変です。先祖が大変です。後孫が大変です。日本の国が大変です。世界が大変だというのです。

 あなたは初めて来たのですか? (はい)。そうらしいね。先生は心が広いタイプです。男としても、きちんとした男です。本当ですよ。中流以上の生活をする権限をもって、社会に影響を及ぼす男です。聞いてみなさい。そうか、そうじゃないか自分がよく知っているのです。

 世界が悪いのは当然のことですが、世界よりも誰が悪いかというと、私がもっと悪いのです。私が先祖の原因につながれており、結果につながれていることを忘れてはなりません。この私自体を解決することが、すべての悪の世界を解決する近道であると結論づけても、無理なことではないのです。分かりましたか? (はい)。

 この世の中にはたくさんの事件があります。たくさんのことがあります。日本にもたくさんの問題が山積して、富士山よりも高く、エベレスト山より高くなっているのです。そういう問題点を分析すれば大変なことですが、大変な問題も簡単な内容によって解決されるのです。それが何かというと、人間というものによってです。


すべての問題の解決は男と女

 それでは、猿によって悪い動機が生じたのでしょうか、人間によって悪い動機が生じたのでしょうか? (人間です)。それは間違いありません。人間といえば、男と女がいるのです。その男と女の絡みが順調にいかずにぶつかり合った結果が、こういうような問題を引き起こしているのですから、この男と女をきれいに解決する公式を発見した場合には、天下すべての問題が解決されるのです。一〇〇パーセントでなくても、八〇パーセント以上は解決されるのです。

 そうなれば平和の世界、理想の世界へ、目前からジャンピングして乗り越えることができるのです。私自身が問題なのです。私というのは、男と女です。日本にはたくさんの問題があるけれども、みんな男と女につながる問題なのです。家庭の問題も、社会の問題も、みんな動機は男と女です。それをまた分析してみれば、なぜ私の心と体が戦うのかということです。それを知りたいですか? (はい)。

 これは、先生が生命をかけて発見してきたものです。あなたたちは生命をかけて、そんなことを考えたことがありますか? ないのではないですか。何もしないで、先生が苦労しているのに酒を飲んだり、踊ったり、チャンバラをしながら、好きなことをやってきた者ばかりです。公的に宗教を立てて、万民を救うために、どんなに迫害を受けても、それを超えて万民救済の道を開拓して、山を越え谷を越えて、世界を抱えて駆け回ったことはないではないですか! こんなにたくさんの者が、このように一部屋に入って、こんなに詰められて、どうにもできない辛い立場に立ったのは、生涯で初めてかもしれませんが、それは喜ばしいことなのです。

 お嫁さんが旦那さんの部屋をのぞくということは、一大事件なのです。天下に思いもしなかったことが起きたのです。女が男の布団の中に入るということは、どう考えても大変な事件です。それは、そのまま通行できないことです。一身に大変な被害を被っても、犠牲にしても、その道を行かなければ大変なことになるのです。もし、その場を逃げ出したらどうしますか? 「あー!」と声を張りあげて、逃げていったら大変です。希望も何もありません。女の本来の目的がみんなぺちゃんこになってしまうのです。それと同じことです。

 こんなに大変なことが、自分の生涯すべてを砕いてしまうようなことが、なきにしにもあるということが分かった場合には真剣なのです。語る者も真剣であり、聞く者も真剣です。どちらも、もっと真剣になるべきです。聞く者が語る者よりも、もっと真剣にならなければ、君たちは復活の道がないのです。理論的にもそうなのです。どうですか、真剣になりましたか? (はい)。なりつつあるのですか、なったのですか? (なりました)。なりましたか、なりつつありますか、どちらですか? (なりました)。

 男だったら、「た」と決めるのです。女だったら、「つつ」かもしれません。女は、お父さんに聞いてみて、旦那さんに聞いてみて、家族に相談してみるのですが、男は相談も何もないのです。国会で法案が無事通過するのと同じように、君たちも、ぱんぱんと決めればいいのです。そういう権限もないのですか? 男のくせに何ですか。死んでしまいなさい! (笑い)家に帰っても、そんな権限が一つもなかった場合には、何の勢いもないし、面子もないし、意志も何もないのです。

 さあ、そういう意味において、「決めた」と言うのです。「いい夜だった」と言うのです。分かりましたか? (はい)。しーんとしますか、ふーとしますか? 縦的にしーんとしないで、ふーとすれば倒れてしまうのです。しーんとしますか、ふーとしますか? (しーんとします)。しーんとする者は手を挙げてみなさい! 「ワー、ワー、ワー、万歳!」。先生は何と言いましたか? 先生は漫才と言いましたね。(笑い)これでは漫才をしているみたいです。君たちは万歳で、先生は漫才でも何でもいいのです。恥ずかしくても、万歳をやったに違いないのですね。そうですね? (はい)。ありがとう。

 「ありがとう」と言うのは、蟻が十匹だと言うことであり、日本人に対して言う言葉なのです。日本人は「ありがとう」と毎日、何百も、何千も、何万もの蟻を持っていて「ありがとう」と言うのだから、十匹どころではありません。ありがとう。蟻の王様は、日本の男、女たちです。ですから、日本人は頭が大きくて首が細く、腰が細くて足が強いのです。働かなければ死んでしまうのです。そういうふうにして金を稼いでも、その使い方を知らない蟻みたいな日本人なのです。蟻はみんな巣の中に隠して蓄えるのです。外に出すことを知らないのです。先祖を尊敬し伝統を尊敬する民族は、そうならざるを得ないということを説明することによって、「あー、日本民族は金を使わない蟻の従兄弟みたいだ」と解釈して安心しているのです。

 本当に日本人は、金の使い方が分からないのです。文先生はポケットに金が一銭もなくても、いくらでも金を使えます。(笑い)そういう公式があるから、不思議な男なのです。文先生を見た時に、いつもこういう服なのです。これは安っぽいものです。ナイロンです。しわの寄るのが大嫌いだからです。汗がついたら、さーっと洗濯するのです。このように大衆を指導するには、このやり方が一番便利だからです。ネクタイすると大変です。すましてネクタイなどをして王様みたいにしていたら、泥棒を見つけても調査できないのです。先生はそんなことはしないのです。ネクタイはしないのです。

 できれば、どこに行っても、何か一つ欠けたことをするのです。市場などにも、時には裸足で行くのです。ですから、文先生だと思う人は誰もいないのです。それで、今まで統一教会の教祖の文先生を本当に見た人がいないのです。あなたたちは今、会っているのですけどね。


すべては世界のため、天宙のため、神様解放のため

 先生は、二十年間船に乗りました。船頭をしました。二十年間、私の横で働きながらも、あるおじいさんは私が文先生だということを知りませんでした。なぜでしょうか? 着ているものを見ても、自分のものよりも悪いからです。働く姿を見ても、乞食みたいに働いているのです。魚を捕る時にも、一番暑い所で一生懸命に捕るのです。

 ですから、「統一教会の文先生は頭がいい。ああいうような働き好きな船頭さんを立てて、青年たちを指導するんだから、いやー、実に天才的頭を持ってる」と、そういうことを言っているのです。そして、先生に対して、こう聞くのです。「レバレンド・ムーンはいつ来られますか?」と。「こんな飛行場もない所に、どうして来られますか? 飛行機に乗って往来すべきお方なのに、ここには飛行場もないではないですか。立派な飛行場で偉くなって働けば会うことができるのですが、船頭さんや船乗りなどに誰が会うというのでしょうか」と。私が文先生だとは夢にも思わないのです。そのような境遇ですから、本当に文先生だと思う人は一人もいないのです。

 ヨーロッパなどに行っても同じです。先生はどこへでも行くし、国境も無事通行です。どんな工作もできるのです。日本においても、いろんなことを計画したのです。しかし何でも悪いことと分かれば、教訓にしなければいいのです。それが、統一教会の文先生でありました。神様が本当に分かったので、そんなことはやめたのですが、先生はやると思えば何でもやるのです。今でもそうです。

 大学を卒業した日本の女性たちが一六〇か国に十名ずつ、一六〇〇名が行きました。歴史上に、こんなことをなし得た団体はないのです。日本の国も、それはできないのです。日本の国が外国に大使館員として出している数よりも、外国に出ている日本の統一教会員の数のほうが多いのです。ですから日本は将来、統一教会によって助けられるようになるのです。

 これからの日本の国策を考えた場合には、五千万人以上が移民しないといけないのです。日本人が世界の首都に定着しても、その国に影響を及ぼすようなものは何も持っていません。分かりますか? しかし、文先生と統一教会はそうではありません。迫害されながらも、世界の首都の中心部に行って、その国の指導者層に影響を与えて、ちゃんと定着しているのです。そういう姿を見た時、日本人が集まった場合には、「日本の将来は文先生と共に歩調を合わせることにより、世界的な最高クラスの人々を指導して余りある道がある」と言うのです。

 あなたたちはみんな、日本ではそれなりに相当なものだと自分のことを思ってきたのでしょう? みんなの顔を見れば、みんな素晴らしい顔立ちをしています。いい顔をしています。そういう人は、先生の話を聞いていけないなどとは思わないようになっているのですよ。

 東大を卒業した人は手を挙げてください? 灯台は夜に必要なものであって、昼間は必要ないのです。(笑い)東大を卒業して、何をするのですか? 統一教会の責任者になるために東大を卒業したのですか? 東大卒の博士も、今からファンダレイジングをするのです。路傍でもやりますか? 「はい。かしこまりました」と、平気にやるのです。何のためかというと、自分の家のため、日本のためではありません。世界のため、天宙のため、神様の解放のためにやるのです。

 そういう徹底した思想を神様解放までつなぐのです。分かりましたか? (はい)。それが話しだけではなく、機動して走る者に全世界が注目して「ワー、これは大変だ! (文先生が、その)国を通れば、国がみんなぺちゃんこになるし、世界に行けば、世界がぺちゃんこになってしまう」と、全世界が共同作戦を組んで「文先生打倒!」と言っているのですが、先生は打倒されましたか? (いいえ)。ですから、五十年間迫害の最中にあっても、発展して、歴史を変える成功の道を築いてきたのは、文先生以外にいないのです。

 経済界のトップは、文先生が金を持っていることを知っているでしょうか? それを知らないでしょう。経済的においても、誰にも負債のある生涯を残してはならないのです。もし、そういうことがあれば、「ワー、ワー、ワー、みんなをだまして、略奪して。ワー、独裁者だ!」と言うのです。

 先生は誰よりも世界に投入してきたし、誰よりも世界の先頭を切って犠牲になってきたし、その影響力も、国を超えて大陸を超えているのです。日々、今でも続けているのです。善なることにおいて苦しい道、十字架の道、迫害の道を歩み始めた以上は、方向もその道であり、終結もその道で先生は一生を終わらせていくのです。平安で安楽な場でもって病死するようなことはしません。監獄に入ってもそうです。戦いながら倒れていくことを宣言しているのです。

 今や八十歳代のおじいさんですが、みんなは座っているのに堂々と立ったまま何時間も話していても倒れないし、びくともしないのです。先生は日本の帝政時代に、日本人に牢獄で責められたことがあるのです。その拷問の場において、四つのテーブルの脚がみんな折れてしまっても、「打て! 君たちが敗れるか、レバレンド・ムーンが敗れるか!」と決意して口を閉じていたのです。友達を守るために、国を守るために、そういうことをやってきた男なのです。血を吐くような立場でも、血をかき分けて「神様、安心してください。まだ生きています。私には同情しなくてもいいです。一人であっても日本に対決して、屈伏させていきます」と。それが今、そういう状態になりました。みんな、そうでしょう? (はい)。

 先生に屈伏する心情なのですね。そうですか、そうではないですか? 気持ち悪くてもそうなのですね。話を聞いているうちに、その方向に回っていくのだからそうなのです。ですから気持ちが悪くても、気持ち悪くないようにしてください。分かりましたか? (はい)。


神様が宇宙の唯一の根である

 最も悪い本拠地はどこですか? 文先生ではないのです。君たちです。君たち自身です。ですから、自身を確認、承認、自覚した場合には、滅亡ということがないのです。今よりは良くなるし、希望の発展圏に立つということは理論的なのです。

 「こんなに悪い者を、天下は助けてくれるな! 天下は攻撃せよ!」。そう言うと、天下すべてが自分を攻撃してきても、「私を悪者と決めてくるのであれば、それもよろしゅうございます」と、そういう肚を持ってやるのです。文先生は、そこから出発しているのです。牢屋に引き込まれて、長い間牢屋の生活をしても、神様に向かって「こういう苦しみから救ってください」と一言も祈ったことはないのです。「神様、心配しないでください。私が神様について知ったすべてのことを、完全に解放してあげます」と、四十年間ぶっかけられ(注:迫害される)ても倒れなかったのです。

 今からは、日本も捨てられるのです。日本は本当に、滅亡するかもしれないのです。神様において、世の中で最も憎い者は文先生ではないのです。分かりますか? 世の中で最も愛すべき男が文先生かもしれないのです。そうなった場合には、それを憎んだ者が最も悪くなるのです。最も早く滅亡するのです。そういう理論も、当然のこととして受け入れなければならないのです。人間であれば、誰でもがそう考えるのです。

 先生は日本の政権を預言しました。三か月続くのも大変です。そういう日本なのです。伝統精神も滅亡です。日本は島国の王国なのです。イギリスも西洋の島国の王国です。これでは、両方とも落第です。これではサタン的なエバ国家です。女の王様の国がなくなった場合には、女を率いて王権を踏みにじってきたサタンの世界は終わるのです。それは原理を聞けば分かることです。いやー、歴史は素晴らしい、生きた歴史なのです。文先生の解説によって、今まで死んでいたような歴史も、みんな理論的になっているのです。そういうことが分かった場合には、東大も何もあったものではないのです。灯台は夜の海に必要なのです。孤独で何も光らない海に必要なのです。分かりましたか? (はい)。

 一番恐ろしいものは、文先生でもなければ、日本史の中の敵討ちの怨讐の代表者でもありません。それよりも、もっと恐ろしいのが自分なのです。これをいかに倒すか、いかに生かすか? どうですか、倒したいですか、生かしたいですか? はっきりと答えてください。(生かしたいです)。生かしたいのですね。生かしたいとすれば、どういうふうにして生かしますか? それを、文先生によって教えてもらわなければならないのです。教えてもらいたいですか? (はい)。こんなに憎んできたのに、敵討ちもせずに、「今から弟子になります。お願いします」と言うのですか? それと同じです。先生の話が本当であり、天下を治めて、一族を解放する秘訣があるとすれば、そうする者は偉い男です。

 最も恐ろしいものは自分なのです。その恐ろしいものを自分の意のままに、どういうことをしてきたのですか? いいことですか、悪いことですか? あなたたちは男として、美人の女をみんな誘おうと思ってきたのでしょう? あなたもそうですか、みんなそうですか? そうでない者は手を挙げてみなさい。 みんな、そんな悪いことをやってきたのです。その女性が君たちの姉さんであり、妹だということを知らなかったのです。神様を父母として、みな兄弟姉妹だと考えてみれば、自分の妹や姉さんを犯してしまったのです。でなければ、自分の叔母さんを犯してしまったのです。そのような、でたらめなことをやってきたということになるのです。分かりましたか、何の話か? (はい)。

 神様が宇宙の唯一の根なのです。中心の根からどんなにたくさん生まれても、幹も一つ、枝も一つ、穂先も一つなのです。それが何千万年の歴史を経て、大きな人類という木になっているのです。それは否定できないのです。みんな兄弟姉妹です。一家族なのです。

 それでは、ここで問題です。空気は、高気圧が低気圧を訪問するのですか、低気圧が高気圧を訪問するのですか? (高気圧が低気圧を訪問します)。本当ですか? それでは、水は高い所から低い所へ流れるのですか、低い所から高い所へ流れるのですか? (高い所から低い所へです)。低い所へ流れてどうするかというと、水平にするのです。水の流れは、くぼんだ所をみんな水平にしなければ通行できないのです。だから、流れて、流れて、海に入って、水平線の大洋をつくっているのです。

 愛も同じ性質を持っているのです。愛というものはどういうものですか? 固定したものだと思いますか、流れるものだと思いますか? (流れるものです)。へこんだ所を高いものが埋めるようになっているので、愛を持った者は低い者に注入するのが愛の本性なのです。ですから父母は、子供のために一生を死ぬまで投入していきたいと思うのです。分かりますか? (はい)。「兄弟同士で喧嘩するように」と言う父母はいないのです。お母さん、お父さんが褒めてあげて、平等に平行になるようにコントロールしたいのが親心なのです。愛の運動も同じです。

 それから、愛というものも、空気というものも、水というものも、毛細管現象なのです。毛細管は、隙があった場合には開くのです。愛も、水も、空気も、隙があった場合には流れていくのです。だから、人間の生命の要素になっているのです。この肉体はみんな呼吸するのです。水も、空気も共につながるようになっているのです。そして、へこんだ所を埋めていくのです。分かりますか? (はい)。そのような同じ運動を無限に行っているのです。

 太陽の光もそうです。隙があったらどこへでも通じるのです。そういう素質を持っているので、生命体の要素になるのです。太陽がなければ大変です。水がなければ大変です。空気がなければ大変です。それから何がなければ大変ですか? 愛がなければ大変です。これ以上話した場合には、もうほかの所を回る時間がないから、これだけで話をやめておきます。

 問題は何が一番いいか、何が一番悪いかということです。そういうことを考えてみた場合には、誰でもみんな一番いい者になりたいという思いを持っているのですね? (はい)。それで、一番いい者になろうとして、一番悪い者であったという自分をみんなが制圧すれば、一番いい者になるのです。そうでしょう? 自分が一番悪い者であるから制圧してもらって、「あー、よかった」となるならば、一番いい立場になったということになるのです。あなたたちは、無限大の欲望を持っているのですね? (はい)。

 十二時までには、もう三十分しかありませんね。お母様と約束したのです。「十二時の十分前までには帰ります」と。もう今から帰っても約束破りです。(笑い)もう約束を破っているので、お詫びしなければならないのです。仕方がないですね。


心身紛争の出発点は何か

 そうなると、なぜこういう者になったのかということです。あなたたちの生命、心身紛争の出発点はどこかというと、それはお母さん、お父さん、その先祖の先祖の先祖であり、一代目の先祖のアダムとエバまで上がるのです。それからアダムとエバをつくった神様まで上がるのですが、神様は心身紛争すると思いますか? (しません)。なぜしないのですか、なぜですか? 絶対なる神様だからですか? 絶対という概念は、二つとないということです。たった一つであり、唯一の神様なのです。絶対なるということは、完全に一つになっているということです。二つの概念はないのです。神様は心身一体になっているのです。

 では、神様は何を中心として心身一体になっているのでしょうか? (愛です)。金でもなければ、知識でもなければ、権力でもないし、全能なる力でもないのです。愛を求めて、性相と形状があるのです。相対関係は愛を求めていくのです。あなたたちも知っているように、「この宇宙の構成は、力によってなっている」と学者たち、科学者たちは言っているのです。

 これから、前のほうに行きます。みんなが寝ぼけないようにです。みんな寝ているのですね。(笑い)前のほうの人は、先生の顔も見えないので、むくれてしまっているのです。みんな後ろのほうで先生が話をするので、前のほうの人は「困った」と言って寝ぼけてしまうのです。寝ぼけていませんか? (はい)。そうであれば、先生よりも偉い人たちですね。平等ではなく、後ろのほうばかりで話をしているなんて、そんな失礼なことはないのです。すみませんね。「すみません」を分析すれば、住まないか、よく住むかということです。それは、よく生きるかということだから、「すみません」と言うのは、死んでしまうという話にもなるのです。いろんな新しい日本語を習っているのですね。

 日本人は、一日に「すみません」を何回言いますか? 「すみません」は、死んでしまうということですから、火山が爆発しておしまいです。それで地震があるのです。ですから日本人が「すみません」と言う言葉は、「生きません」と言うことであり、「生きません」は死ぬことです。ではどうすればいいのかというと、それを変えないといけないのです。

 (あなたは)寝ていなかったですか? (はい)。寝たような顔をしているのに、寝なかったのですか? 本当ですか? それは、先生よりも偉いです。いやー、傑作な男ばかりです。先生の顔を見たかったですか、見たくなかったですか? (見たかったです)。では、よく見てください。もう見ましたか? アンコールですか? ここ(壇上)に座って話せばいいのですね。(はい)。座るとおなかの力が抜けて、言葉に迫力がなくなってしまうのです。

 さあ、根本に戻っていかなければいけません。君たちの出発と違って、神様は心身分割していないのです。神様の相対として、神様によってつくられた人間は、一体、神様の前にいかなる立場であるかというのです。あなたたちは結婚前に、自分の愛の相対が自分よりも優れる人を願ったのですか、劣る人を願ったのですか? (優れる人です)。十倍ですか、百倍ですか? (百倍です)。百倍ですか、千倍ですか? (千倍です)。千倍ですか、万倍ですか? (万倍です)。万倍ですか、億倍ですか? (億倍です)。億倍ですか、無限億倍ですか? (無限億倍です)。泥棒のような者たちですね。(笑い)考えてみると、みんな誰でもそういう欲望があるのです。そのような愛の相対者は、自分の奥さん以外にはいないのです。子供ではないのです。

 それでは、その質問を神様にしてみた場合、「神様、あなたは人格を持った私のお父様だから、あなたの子供がこういう欲望を持っているのと同じように、神様におかれても相対になる者は、神様よりも無限億倍優れることを願いましたか?」と聞くと、笑うのです。「そんな馬鹿なことを聞くな」と。それはなぜかというと、人間と同じだというのです。ありがたいですね。いやー、それはそうならざるを得ないのです。原因があって、結果が生まれてくるのです。動機があって、そういう状況の自分が現れるようになるのであり、動機がなかった場合には、そんなことは絶対ないのです。分かりましたか? (はい)。神様がそうだから、人間もそうならざるを得ないのです。

 それでは、「神様の前に相対となる者で、何億万倍価値ある者は誰か?」と聞いた場合、それは誰ですか? お猿さんですか? (人間です)。人間といっても、あなたたちみたいな人間ですか? 人間にも種類があるのです。それは、あなたみたいな人間ではなく、神様みたいな人間をいうのです。答えは神様みたいな人間です。あなたたちは今、どんな人間ですか?  悪の王者は「悪魔」と言うのです。悪魔の人間なのです。

 それで、紛争というものは、二つのものが戦う以前には一つになっていたのです。何のかかわりもなかったのです。しかし、戦いを始めたその日から、上がっていくのですか、下がっていくのですか? (下がっていきます)。それで、戦いが激しく続いた場合にはだんだん下がるのだから、一番深い所に落ちる者にならざるを得ないのです。そのように落ちた所を地獄というのです。これは、理論的なのです。


愛によって所有権が決定される

 平和というのは、栄えていくし、上がっていくのです。上がって、上がって、平和、平和、大きな平和になれば天国に入って、神様の上まで上がっていくことができるのです。無限に上がっていくことができるのです。そのような素性を人間は持っていなければならないのです。神様より優れる何億倍の無限大の神様みたいに、無限倍になるような本性を神様が人間に注入してやらなかったとすれば、神様は大変な神様です。人間を破壊するための神様であるという結論になるのです。

 神様は、自分の何千倍も優れるようになる良心の欲望を注入してあげないといけないのです。ですから、良心の欲望は無限大なのです。もし、それがなかったとすれば、神様に向かって上がっていく梯子がなくなってしまうのです。アンテナがなくなってしまうのです。

 良心の欲望は無限小ですか、無限大ですか? (無限大です)。「無無無無、限限限限、大大大大!」です。無限大でも、どんなに大きいか分かりますか? あなたたちの良心は、もし神様がおられるとしたら、神様に会ってみたいのですね。会ってみて神様が素晴らしかった場合には、会っても別れますか、奪ってしまいたいですか? (奪ってしまいたいです)。奪ってしまって食べたいですか、遊びたいですか、どういうふうにしたいですか? (笑い)一つになりたいのですね。

 では、何で一つになるのかというと、愛でもってです。一つになるには、愛以外にはあり得ないのです。父子一体、それは父子関係が愛を中心としているということです。夫婦一体という言葉もあるのです。すべて、一体化なしにはあり得ないのです。愛を中心として一つになるということです。また兄弟一体というのは、(兄弟が)愛を中心として一つになることをいうのです。愛というもので一つになった場合には、そこに所有権が決定されるのです。これは天的な定義なのです。

 愛の関係を結んだ場合には、何が決定されるのですか? (所有権です)。神様と共に愛した場合には、神様の愛が自分のものになるのです。分かりますか? 男と女が愛の関係を持った場合には、愛を中心として一体になるのだから、すべてが自分のものになってしまうのです。

 日本に、ある貴族のひとり娘がいたとします。部落みんなの話題になって、「あの娘と結ばれる旦那さんになりたい」と思う者がたくさんいる中で、一人の腕白でいたずら好きの男がいて、それが、やくざの親分の子供であり、そのやくざの子供に引っ張られて、ひとり娘が肉体関係を持ったとすれば、やくざの親分のその子供が貴族の父母に向かって、「この娘は自分のものだ」と言った場合に、親は「そうではない」と言えますか、どうですか? 日本の習慣では、どうですか? 仕方なしに「そうですか」と言うのです。愛というものが所有権を決定するのだから、娘を渡してやらなければならないのです。

 万物の霊長たる人間のために、すべての万物はアダムとエバのために生まれてきたのです。その娘のために準備した家具やすべての設置物など、どんなに貴いものであっても、娘がお嫁に行く時には持っていくのですね。そうですか、そうではないですか? (そうです)。ですから、その娘と一つになった場合には、その娘の所有権はすべて男のものになるのです。分かりますか? (はい)。「ワー!ワー! お嫁に行く時に持っていった物には、旦那さんはタッチしたら駄目です! 使ったら駄目です! 一つ一つ娘の許可をもらってからにしなさい!」と、その娘のお父さんやお母さんは言うでしょうか? そのように言ったら、駄目と言いますか? (駄目と言います)。本当ですか。いやー、先生より素晴らしいです。みな先生が言う前に、駄目と答えるからです。そういうことがあるから、希望があるのです。

 座って話すのは、気持ち悪くないのですが大変です。みんな前のほうは喜んでいるのに、後ろのほうはちょっと違うのです。こういう具合に、少し立ちましょうか、座りましょうか? 座るほうがよく見えますか、立つほうがよく見えますか? 先生は立つほうがよく見えると考えますが、君たちはどうですか? (そう思います)。仕方がありません。立ってあげましょう。(拍手)

 (先生がコップの水を飲まれる)おいしいですね。飲みたいですか? 飲みたい人は手を挙げてください。みんな手を挙げなければなりません。統一教会には蕩減ということがあるのです。覚えておきなさい。代表として(先生が)水をおいしく飲めば、みんなもおいしくなるのです。蕩減の水を上げますので、手を挙げてください。子供みたいにならないと、天国には入れないのです。八十歳代のおじいさんの先生が子供みたいにしているのに、君たちは先生よりもみんな年下だから子供になるのは当然のことです。「いやー、おいしいこと。あまりにもおいしくて、今晩は眠れません」。このことは、「十二時過ぎても寝かせません」という話です。(笑いと拍手)

 このように座っていても、よく見えるでしょう。これでいいですか? (はい)。みんながいいと言うのに、おじいさんたちが横目で見ていたら困ります。(笑い)


神様に反発する愛の動機

 自分とは、こんなにも真剣なものであるということが分かりました。そうなると、心身紛争の戦場になった自分の出発の基地を求めていかなければなりません。それは一体誰かというと、第一先祖であるアダム・エバであることは間違いありません。分かりますか? (はい)。あなたたちの子供が生まれてくる本場はどこですか? キスをする本場から生まれてくるのですか? 男、女の凹凸を交じり合わせるところから生まれてくるのですか? (凹凸を交じり合わせるところです)。凹凸を交じり合わせることを何と言うのですか? (愛すると言います)。

 本当ですか? 凹凸を合わせることを愛すると言うのですか? (はい)。先生は初めて聞く話ですが、向こうの年寄りのおじいさんはどうですか? 先生も、おじいさんたちも分からないから、専門家のおじいさんがいるのです、眼鏡をかけたおじいさん、どうですか? (そのとおりです)。そのとおりですか。いやー、かしこまりました。そのとおりですよ。そうなるというと、凹凸を交じり合わせるところに戦う要素があったということは否定できないのです。

 お母さんとお父さんの愛によって、血が交わるのです。激動させて、その渦巻きの真ん中に生命がつながって、血統を受け継いで生まれてくるのです。分かりますか? その動機となった父母の愛の中に争いの内容があったので、結果として生まれた自分は親の心と血統を受け継いだのだから、心身が争わざるを得ないのです。それは否定できません。分かりましたか? (はい)。

 あなたたち夫婦も、結婚して愛する時に喧嘩しながら愛するのですか、喜びながら愛するのですか? (喜びながらです)。本当にそうだとしたら、抱き合う時、交じり合うように力いっぱいに抱き合うのですか? それとも、「もう近づくな、近づくな」と言って抱き合うのですか? 一つになるのです。絶対に一つになろうと思うのです。しかし、君たちがいくら絶対に一つになろうとしても、心身紛争をする夫婦の争いの場は、その愛の中で避けていくのではなく、そのまま止まっているのだから、その血統を受け継いだ者は自動的に、心身紛争の結果物として生まれざるを得ないのです。

 堕落して過った、間違った心身紛争している夫婦がいくら一つになったとしても、一つになって凹凸を通して愛し合ったとしても、その子供たちは、心身紛争をする者にならざるを得ないのです。それが歴史を通して、今まで連綿として続いているのです。それを終わらせることのできる希望は、永遠にないというのです。先祖たちがそれを願わなかったのだから、自分を通して続けてきたのだから、後孫もそれにつながっていることを否定することができないのです。大変なことになりました。

 では、この病原はいったいどこからきたのかというと、第一先祖の愛の方法の過ちでそうなったのです。そういうことを知って聖書を読んでみれば、「いやー、まさしくそうである」と言うのです。ですから堕落は、天使長がエバを誘引し、エバがアダムを強引に「善悪を知る木の果を取って食べよ、取って食べよ」と強制したことによるのです。そこで、堕落した後にエバは、自分が神様から離れたことを知ったのです。そして、こういう夫婦関係、男女関係は本来のアダムと行うべきことだと分かっていたのに、間違ってサタン圏に引かれていったのだから、元の所に帰ろうとして強引にアダムを誘ったのです。それで結局、アダムも拒否する立場において、嫌がる環境において、エバに強制されていったのだから、それは反発する愛の動機からであったというのです。分かりましたか? (はい)。

 先生が追求する理論と、聖書に書かれた堕落の理論を考えてみれば、大元の先祖の愛は、順調なる愛ではなく、神様を中心とする永遠の愛によって一体となるというような立場からではなく、神の愛の反対の悪魔からです。ですから、神の愛の怨讐が悪魔なのです。その悪魔の強制的、反対の愛に迫られて愛し合った動機によるので、愛された者も反発せざるを得ないし、その後孫の血統をつないだ者たちも反発せざるを得ないので、心身紛争は当然なことなのです。分かりましたか? (はい)。こうなった結果は、人類先祖が悪かったからであり、神様とは関係ありません。争う所に神様はいません。

 そのような結果を総括的に結論づけた場合に、偽りの泥棒のサタンによって、偽りの愛と、偽りの生命と、偽りの血統と、偽りの良心圏を相続するようになったのです。分かりましたか? (はい)。もともとは神様の実体として、神様を中心として、神様の愛を中心とした真の愛、真の血統、真の良心を受け継いで、神様と同参し、同居し、永遠に分割できないような理想的存在となるべき者が、神様との関係を切って、反対の怨讐圏のめちゃくちゃな血統を表すような後孫になってしまったのです。その結果は、当然なことで、生き延びることはできません。分かりましたか? (はい)。

 そうなると、この一身を蠢動する血液というものは、悪魔の血統を相続したものであるということを知らなかったのですから、大変なことです。自分は人間だと思っていたのに、国賊どころではないのです。この宇宙を破壊した天宙賊の後孫として、親子関係でもってつながってきているのです。親子関係は切り離すことができないのです。宿命的な立場です。変えることはできません。誰も変えることができないのです。宿命は、死んでもなさなければならないのです。

 親子関係とは、お父さんが負債を残したならば、その負債は子供が弁済しなければならないのです。一体だからです。また、旦那さんが死んだ場合には、奥さんがその負債を弁済するのです。一体だからです。兄弟関係も本当に一体圏に立っているとすれば、兄さんが負債した場合には、弟が弁済するのです。一体だからそうなるのです。大変なことが分かりました。

 それでは、これらをいかにして、革命を起こしてでも切断してしまうかというのです。いかに分割して永遠に葬ってしまうかというのです。大変なことです。それをなすべきですか、なさないべきですか? (なすべきです)。

 このような心身紛争の永続する戦場を除去するには、それを絶滅させるには、革命的な、どちらか一つを犠牲にする運動をしなければなりません。良心を犠牲にする者か、肉身を犠牲にする者か、二人のうちで勝ち残った者が神の立場に近いほうです。勝った者を残して、その反対の者は切って撲滅させてしまわなければなりません。これは絶体絶命の宿命です。それは避けることができません。


宇宙は相対理想の組み合わせから

 ここで心身紛争をしていない者は手を挙げてみなさい。一人もいないということは、誰も避けることはできません。それを認めますか? (はい)。先生は方便がうまいから、何かをくっつけて語るとでも思っていたら、間違いです。自分自身で実証するのです。観念ではなく、実体で証明するのです。それは、誰も否定できません! そういう理論でもって、愛の元が、愛の根拠が、生命体が、紛争の内容を持って出発したのだから、結果はそうならざるを得ないのです。これは理論的です。

 ここにおいて我々は、銘記しなければならない重大な問題があります。人間が堕落したということを決断した上で、堕落した者であるという自覚を明確にすることによって、その解決の方法をはっきり知ることです。絶対に自覚することで、それは絶対、除去することが可能なのです。中間で、どうでもいいのではありません。行ってもいいし、行かなくてもいいし、飲んでもいいし、飲まなくてもいいのではありません。飲まなければならないのです。一方向だけです。行ったり来たりはできないのです。

 このように、自分は堕落の後孫であり、すべての先祖は、そのような堕落の血統を相続して犠牲的な恨みをもって地上で生きて死んでいったのです。そのような恐ろしい戦場となっていることを知らずに生きてきた自分を責めながら、これが分かった以上は自ら処罰をしないといけないのです。除去運動をして、根っこを取ってしまわなければならないのです。そうしなければ大変です。永遠の地獄に落ちていくのです。地獄とは何かというと、それは破壊物である半品を捨てる所です。完成品ではありません。

 ここで君たちは、はっきりと銘記しなければなりません。堕落した人間は、先祖からの堕落の鎖の手錠を切り離すことができないのです。虜になっているのです。そのことが身にしみて、生命よりも強く感じないと争いの病原から上がっていくことはできないのです。これは重大な話です。分かりますか? (はい)。

 真の神、創造主、絶対、唯一の神の絶対なる愛と一つになるべき相対たる人間が、めちゃくちゃになって、神を離れてサタンの世界に転んでしまったのです。サタンとは何かというと、神様の敵です。姦夫です。女を三つ書く「姦夫」です。姦夫を知っていますか? おじさんは姦夫を知っているのですね? 姦夫です。姦夫とは、日本の幹部ではないのです。一番悪い男なのです。明日には結婚しようとする娘を奪っていって、何千年もの間に子供を殖やしていったのです。そして、本来の約束されていた元の旦那さんを怨讐視して、子供も、女も、みんなぶっかけるようにさせたのです。これが悪魔の世界です。堕落は、自分を尊重する自覚の発見から出発するのです。

 宇宙の初めの神様とは、どういう方なのでしょうか? それは誰も知らないのですね。神様がどういう方なのか知りたいでしょう? 科学者は、宇宙は力で構成されていると言うのですが、宇宙は力によって構成される前に、父母の愛が結び合っているのです。

 人は、まず目が合わなければなりません。目は、ウインクなどの作用を通して合うのです。それから話が合うのです。「あの男の子の話を聞いても気持ちが悪くない。素晴らしい」となり、近寄ってみると鼻が好きになり、五感がみんな作用した後に一つになるのです。そうですか、そうではないですか? 大宇宙は力によって、いっぺんに始まったのではありません。力がある前に、作用を論じなければならないのです。

 作用というものは、ひとりでに始まるものではないのです。必ず相対関係が必要なのです。宇宙は相対理想の組み合わせになっているからです。相対の組み合わせになっているのです。ペアシステムになっているのです。これはあす、詳細に話すことです。相対がいなければ、宇宙力という天運の保護を受けられないのです。分かりますか? (はい)。

 いやー、不思議なことです。相対がいなければ、宇宙力が、天運が追い出してしまうのです。「病気になったら、なぜ痛いのですか」と、お医者さんに聞いてみると「病気になったから痛いのです」と言うのです。そんな答えはありません。簡単なことです。この体全部は、相対的にバランスがとれて、平均的になっているのです。つり合っているのです。

 つり合っていた場合には、何も感じなくなるのです。一つになっている場合には、感じなくなるのです。そんなことはないと言っても、相対と一つになったら感じないようになっているのです。痛さも感じないし、何の不満も感じないのです。しかし、相対が崩れた場合には大変です。全体は平均がとれているので、宇宙力と相対関係によって天運が保護するのですが、一方が切れて片寄ってしまった場合には、天運が早く掃除するようになるので、その追い出す力によって痛さを感じるのです。分かりましたか? (はい)。こういうことは、誰もみんな知らない話です。

 なぜ、目がみんな二つになっているのか、それが分からなかったのです。二つになりたいから、そうなったのでしょうか? 宇宙の法則に一致する共同の公式なのです。二つになったものを保護するのです。鼻も一つなのに、大きい穴が二つあるのです。どうせこの穴から入って一つになるのですから、そんなめちゃくちゃで面倒なことはする必要がないのに、なぜでしょうか? 天運に保護されるためには、公式に合わなければならないのです。耳も一つでいいのに、なぜ二つになったのでしょうか?

 宇宙はみんな双々(ペア)の組み合わせです。ペアシステムになっているのです。鉱物世界も、プラス電気とマイナス電気です。分子を見れば、プラスイオンとマイナスイオンが運動するのです。そのケースから外れた場合には、除外されるのです。分かりますか? 植物世界もオシベとメシベで、動物は雄と雌なのです。では、人間は何ですか? (男と女です)。同じです。それはなぜでしょうか? 公式によって保護されるためなのです。ですから、あなたたちも共に生きてきた奥さんが死んでしまったら、もうみっともない男になるのです。強い将軍みたいだった男がみっともない顔をして、「ワー、ワー」と裸になって転び回っても、誰も叱る者はいないのです。なぜ転がるのですか、なぜ胸が裂けるほど痛いのですか? それは理想世界の主体と客体、絶対の愛の相対圏では宇宙すべてが保護していたのに、その相対が欠けたのだから、宇宙のすべてが除外して押し出すからです。その押し出す力によって、胸が裂けるほどに痛いのです。そういうことなのです。

 悲しいのも、そうなのです。なぜ悲しいのかというと、心身一体になれなくて、宇宙の除外する力によって悲しいのです。心身一体は、絶対なる創造理想の要件になっているのです。それは否認できないのです。男たる者は、絶対に女が必要ですね? (はい)。絶対にです。絶対といっても、何人も何千人も必要ではないのです。たった一人です。先祖と同じようにです。


永遠に変わらない神の愛

 神様は専門家だから人類の先祖に、男一人と女一人をつくったのです。それは絶対に一つになるようにです。愛は絶対に一つずつです。そのように、愛という概念が先にあるのです。愛という観念があるのです。これは、今日の哲学、思想、歴史の二大潮流として、世界の頂点における大変な問題なのです。ですから、歴史を見た場合には、事由(思惟)と実際(現実)ということが哲学的問題なのです。どっちが先かと言うのですが、どっちが先という問題ではないのです。プラス・マイナスが一つになるという観念が分からなかったのです。宇宙存在の基本的公式を知った場合には、先とか後の問題ではないのです。考え(思惟)と実際(現実)は相対的になっているというのが宇宙公式なのです。それで戦ってきたのです。

 共産党は観念か実体かと言う時、「見えないものが後で、見えるものが先だ」と言うのですが、見えないものも見えるものも同じなのです。一つです。

 あなたたちは愛を見たことがありますか、触ったことがありますか? 触ったこともないのですね。生命はどうですか? 生命体は見ることも触ることもできるのですが、生命自体は見ることも触ることもできないのです。では、血統はどうですか? 卵子と精子は目で見えますか? 砂みたいに、ざらざらしていますか? それは、見えないのです。凹凸を合わせて愛し合う時に、それは見ることができないのです。触ることもできないのです。触ることができれば、もうめちゃくちゃになってしまうのです。

 良心も見たことはないし、触ったこともないでしょう? それに、神様も見たことはないし、触ったこともないのに、なぜ「神がいない」と言うのですか? 見たこともないし、触ったこともないのに、みんな「神様はいる」と言うのですか? 神様を見たこともないし、触ったこともないのに、「神様はいない。しかし愛はある。生命はある。血統、良心はある」と言うのですか? そんな話はありません。神様は一体どこにいるかというと、愛の根っこにいるということは間違いないのです。愛の先祖は神様なのです。分かりましたか? (はい)。

 生命の先祖、根っこは神様です。血統の根っこは神様です。良心の根っこは神様です!! そうではないと言う者は手を挙げてみなさい。それは、馬鹿、野郎です。馬鹿は死ななければ直らないのです。馬鹿野郎ということは、悪いことではないのです。八番目の旦那さんのことで、統一教会では理想的な再臨主のことをいうのです。

 日本はエバ国家だから、一郎、二郎、三郎、四郎、五郎と、十一郎もあるのです。百郎、千郎、万郎、億万郎もあるのです。また、女の子はみんな「子」がつくのです。日本の女は何を願うかというと、子供を産みたいのです。それで女はみんな、「何子、何子、何子」と言うのです。この前の修練会の時、手を挙げさせてみると、三分の二の人はみんな「子」がついていたのです。「子、子、子」です。子供がいても、夫がいても、女の長、「長、長」と言うのではなく、「子、子」です。これは女の本性です。言葉というものも、名前というものも、みんな表徴であり、名前も言葉もみんな心身の本源に通じるように語りたいのですから、自動的に、結果的に、重要なものを掴んで語るようになるのです。

 ここには共産党にいた者もいるのですね。共産党は先生の大怨讐だったのです。彼らはよく言うのです。それで、先生がいつもぶっかけるのです。「思惟とか実在とか、観念とか実在とか、そんなことを言うものではない。そんなことはあり得ない。君たちの言うことは馬鹿な話だ」と。それで、彼らに聞くのです。「あなたたちは目玉を持っていますか、目玉はどこにあるのですか? そこにあるではないですか」と。みんなは目玉を知っていますね? (はい)。

 では、歴史上において、目玉の先祖は一体、誰だったのでしょうか? それが問題です。目玉の先祖は一体、誰ですか? けだものでも何でもいいのです。このごろでは、夫婦が子供を産む時、こういうことを言っているのです。何百万もの相対が出会うことなのに、「いやー、生殖器で愛し合って子供を産む」と。

 では、そこに目玉があると思いますか、ないと思いますか? 口があると思いますか? 口が合わさって、キスすると思いますか、しないと思いますか? 何が恥ずかしいのですか! 君たちは女がいたらキスしたいのでしょう? (笑い)みんな同じです。このことは、レベルが違っても、みんな同じです。だから、永遠に風化しないで存続するのです。愛があって永続するのです。愛は永遠なのです。

 それでは、永遠なる愛を願いますか、永遠の反対の不永遠の愛を願いますか? (永遠の愛です)。それは、なくならないということです。なくならないものは、変わらないものであり、変わらないし、なくならないものが宝なのです。ダイヤモンドは、宝石です。宝石は、なくなっては駄目なのです。それで硬くて崩壊しないし、永続するのだから、宝になるのです。金は、場合によって型が変わります。二十四金などがそうです。しかし、色においては誰も占領することができないのです。過去、現在、未来においても変わらない本性を持っているのです。真珠にしてもそうです。日本の真珠は有名です。和合のハーモナイズです。それを見た場合には、心が柔和になるというのです。しかし、真珠自体はもろいのです。このように、変わらないものを中心として宝物になるのです。

 宝物のような人間になるには、変わる者になることですか、変わらない者になることですか? おじさん? (変わらない者です)。知っているのですね。そう真剣になって、ムッとした顔をしないでください。変わらない者です。そうした場合に、目玉からずーっと見た場合、すべてが相対的になっているのです。目玉も二つになっているのです。また三層になっているのです。目玉は何を象徴するかというと、神を象徴するのです。鼻は人間のアダムとエバを象徴するように、天地をつなぐのです。上は神様を象徴するのです。天地をつなぐのです。だから、二つが一つに、夫婦が一つにならなければならないのです。

 口は万物を象徴します。歯は四つの八倍で、四掛ける八イコール三十二本になっているのです。すべての万物を象徴するのです。それで、万物が横的になっているのです。分かりますか? (はい)。耳は東西南北を象徴するのです。これは情報機関です。回る時には、目玉のために全部が回るのです。神様のために天宙が回るのです。だから神様は三層で、蘇生、長成、完成の三段階になっているのです。一つ、二つ、三つ。みんな三段階になっているのです。


神様の愛と人間の愛の決着する一点

 人間はすべての層を構成し、形を総合した「小宇宙」と言ってもいいのです。人間には、すべてが入っているのです。心臓には動物が入っているのです。肺には万物が入っているのです。人間の中には、すべて入っていないものがないのです。ですから、人間を中心として分解して展開したものが被造物なのです。三段階の鉱物、植物、動物です。みんな鉱物要素、元素要素、気の要素を持っているのです。また人間は愛において全世界、全被造物を代表して包容できる愛を持っているので、動物も植物もみんなその愛を求めて、高く発展していこうとするのです。

 人間の体に入ることによって、愛の本家に帰ることができるのです。万物の霊長の愛の接触点、天宙を創造した神の愛の接触点にみんな帰りたいのです。愛のために生まれてきたのですから、最高を願うのです。万物は人間の愛の器官のほうに、良心は神様の愛のほうに、心身が一体になって良心の愛の起点も肉身の愛の起点も一つにならなければならないのです。神様の愛と人間の愛が一点に決着しない以上は、神の愛の理想にも人間の理想にも、統一と平和の時代は来ないのです。この一点に決着させる道をつくらなければ、神様も人間も喜ぶ道はあり得ません。

 このように被造物を一つにさせる、その結論から言った場合に、アダムとエバは一体何かというと、「見える神様である」と言うのです。分かりますか? (はい)。アダムとエバは何ですか? (見える神様です)。こんなに心身紛争する悪者にならなかった場合には、アダムとエバが完成したとすれば、神様の体になるのです。そして神様はアダムとエバの心になるのです。心の根っこに入るのです。神様が入るのですから、心は知らないことがないのです。みんな分かっているのです。教わることも、聞くこともないのです。聖書にも、アダムの名づけるとおりにすべてがなったとあるのは、そのことを言っているのです。

 そうなると、アダムとエバの結婚式、肉身の結婚式は良心の結婚式なのです。結婚する時には、旦那さんも奥さんも、心を尽くして愛してもらいたいと願うのです。神様の代わりに愛してもらいたいのです。良心的か不良心的かというと、神様のようにです。今までは、神様を別にしてきたのです。自分と共に神様がいるということを知らなかったのです。良心も知らないし、愛も知らなかったのですが、その根っこはみんな自分の近い所にあるのです。すべて一つになったら感じないようにです。なぜ一つになったら感じないかということが問題です。

 もし、愛が三〇パーセントあることを自分が感じたとすれば、一〇〇パーセントの愛の相対が生まれた場合に、三〇パーセント差し引いた、七〇パーセントの愛の刺激だけを受けることはできないのです。神様は、そんな不理想な立場の存在はつくりません。ですから、一つになった場合には、完全に零以下の立場、自分でも夢にも感じない立場に立つことによって一〇〇の愛の相対者があった場合には、一〇〇の愛がぶつかって、「ワー!!」と爆発的な刺激がくるのです。本当に正しい話でしょうか? それが信じられないならば、手を挙げてください。

 みんな手を挙げてください。右の手をずーっと左のほうにつけてください。ぎゅーっとつけてください。何を感じますか? (鼓動です)。心臓ですか、鼓動ですか? 鼓動が聞こえるのであり、心臓が聞こえるのではないのです。(笑い)大変です。そんなでたらめなことをやって、通じるのではありません。初めて鼓動の音は分かりましたが、鼓動を一日に何回聞いたことがありますか? 急いでばかりいて、一年間も知らないのですね。

 鼓動を聴診器で聞いてみると大変です。爆弾の破裂するように「コン!コン!コン!」と大変です。あなたたちも、こうやった場合には(先生が胸に手を当てる)すぐに分かるのです。こうやると、すぐに分かるのに、なぜ感じないのですか? (一つになっているからです)。目をぱちぱちと、一日に何千回まばたきをしますか? 一日に一回でも数えたことがありますか? それを三時間数えたら気違いになるのです。(笑い)その回数が分かったとすれば、大変なことです。分からないから感謝なのです。分かりましたか? (はい)。一つになっているから、感じないのです。

 そこで問題は、愛も生命も血統も良心も分からなくなったということです。神様も分からなくなったのです。その相対なる男の前に、女たるものはみんな出動です。「愛、生命、良心、血統、ワー!」と。そして、神様がその真ん中に入るのです。すべて宇宙構成と同じように、真ん丸になるのです。作用も同じです。宇宙構成がみんなそうなっているのです。

 それで、神様はどこにいるのですか? 自分と一番深い、最も秘密のところと一つになっているから分からないのです。いないのではないのです。良心に反対する者には、みんな「この野郎!」と、神様は命令を送っているのです。自分がやるのではないのです。分かりますか? (はい)。

 このように見た時、神様が遠くなったのですか、近くなったのですか? (近くなりました)。アダムの結婚式は、神様の結婚式です。父であり、親であるということは、自分と一体圏でつながっているのです。それを知らないから、でたらめにやっているのです。そういうことが分かった場合には、良心を避けていくことはできないのです。真の愛を避けていくことはできないのです。真の生命、真の血統を避けていくことはできないのです。正々堂々と天の掟に従って完璧な男、完璧なる女、完璧な理想体として、神様の前に堂々と立ち得るようにならなければなりません。

 愛という概念があっても、愛を得るには凹凸が一つにならなければ、愛を占領することはできません。では、概念が始めでしょうか、実体が始めでしょうか? 概念が始めなのです。凹凸というものは実体であり、実際です。それが始めではないのです。凹凸になっているのは、愛のためです。愛の観念が一つになることによって、その愛が自分のものになるのです。分かりますか? (はい)。

 愛の概念が良心の中に入って、それが男、女の凹凸の肉身になって、一つになるのです。愛の一体圏の相対になるのです。そうなることによって、神様の前に一つになって、神様の愛の肉体みたいに、神様の愛となって一つになるのです。だから、神の愛は自分の愛、自分の愛は神の愛となり、愛で一体になって、神は私のもの、私は神のものになるのです。しかし共産党は、自分のものは自分のもの、君のものも自分のものと考えるのです。


家庭は天国の基地である

 ここで、問題提言です。宇宙の初めにおいて、真なるもの、貴いものは、見えるものか見えないものかというのです。愛は貴いですか、貴くないですか? (貴いです)。生命は貴いですか、貴くないですか? (貴いです)。それでは、血統とか良心は貴いですか、貴くないですか? (貴いです)。神様は尊いですか、尊くないですか? (尊いです)。これらは、みんな見えないのです。このように見た場合、神様が環境をつくられる時、太陽と水と空気をつくりました。愛というものも、空気も見えないのです。しかし、空気がなかったならば大変です。貴重なものは、目に見えないのです。分かりますか? (はい)。

 もし、神様が見えるようだったならばどうしますか? アメリカの神様にまかせるのですか、日本の神様にまかせるのですか? (日本の神様です)。(笑い)そうなると、世界各国共々に、神様を中心として戦争するのですか、しないのですか? (します)。大変なことです。神様は利口な王様だから、そのようなことはしません。もし身体を解剖して、そこに神様を隠すとすれば、その足を切って持っていく者がいますか、いませんか? (います)。大変です。隠すところがないのです。

 貴いものを隠すところは見えないのです。分かりますか? 今、何と言いましたか? 貴いものを隠すところは、見えるところですか、見えないところですか? (見えないところです)。尊い神様を人間として納めるべきところは一体どこですか? 見えるところですか、見えないところですか? (見えないところです)。当然、見えないところに神様はいなければならないのです。

 では、貴いものは古いボロ布に包みますか、錦の布に包みますか? きれいな甲板の上に置きますか、汚い所に置きますか? 汚ければ汚いほど安全だというのです。ですから、先生もこんな着物を着ているのです。でなければ、文先生がどこに行っても、みんなが一つ所に集まって大変なことになるのです。先生の行く先々で大変です。みんながぞろぞろ、ぞろぞろとついてきて、それはもう大変なことです。だから、知られないようにボロを着て、このようにして、「ワー、ワー、ワー」と叱り飛ばすのです。

 それでは、目の先祖は見えるものですか、見えないものですか? それらは、別個のものではないのです。みんな相対的になっているのです。良心は縦的で、肉身は横的につながっているのです。縦横が交差しなければ、存在物が生まれてこないのです。前後左右が立体圏になるには、上下関係が父子関係、東西関係が夫婦関係、前後関係が兄弟関係で、これらが一つになって球体を成すのです。そして球体の中心は愛なのです。親の愛、夫婦の愛、それから神様の愛、神様の子供の愛、兄弟の愛です。

 それらの愛が、全部ばらばらの決着点にあったのですが本来一つであり、一つだから球体を成して、その面を足せば十二面です。それは、どこに合わせても合うのです。九十度で合うのです。ですから、そこにくっつければ、お母さんの愛、お父さんの愛、おじいさんの愛、おばあさんの愛、孫の愛、孫娘の愛、嫁さんの愛、みんなが一点にとどまるのです。ここに神様は住みたいのです。この中心を握って、神様のおられる上座に行けば、全体が引っ張られてくるのです。これが家庭というものです。家庭は宇宙の国の元です。家庭は天国の基地です。出発点です。地上天国、天上天国の出発点です。その愛の一体圏は、自由の出発点です。分かりましたか? (はい)。

 自由は、どこかほかにあるのではないのです。愛なくして、自由はあり得ません。男と女が裸になったとすれば、大変なことです。あなたたちは女の前で裸になる自信がありますか? みんな、女が見ていると大変なのです。色気のある女はどうなるか知りません。先生は関係したことがないのです。皆さんはどうか知りません。

 統一教会の素晴らしいところは、大学生が食口になっても、たくさんの男女が共に住んでいても、男女関係が悪いという噂のないことです。そのように書かれた新聞を見たことがありますか、ないですか? (ないです)。そうだとすれば、日本は統一教会に賞を授けるべきです。国民全体がです。今や「めちゃくちゃになって、十二歳から性教育をしなければならない。未来は性の世界が来る」と言うのですが、そんなことはありません! 文先生がいるのです。それを撲滅させる王者が文先生です。


愛の神秘境の内容をすべて知っている神様

 それで、目に見えるものと見えないものが一つであるように、神様と人間は一つにならなければなりません。それは、真の愛によってです。分かりましたか? (はい)。目玉を見れば、目玉というのは物です。その目玉が生まれる時に、目玉自体は何も知らないのです。概念というものはないのです。考えがないのです。そう見た場合に、目玉が生まれる時、目玉は太陽があったことを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか? 目玉自体は太陽があることを分かっていたのですか、分からなかったのですか? (分かっていました)。

 そうだとすれば、太陽が生まれてくるのを見ていたというのですか? それが問題です。分かっていたと言う者は、馬鹿者です。物がどうして分かるというのですか、私の語るのが分かるというのですか? 分からないのです。しかし、目が生じた時、太陽が見えるようになっていたのです。分かりますか? 目玉が太陽を見たいという思いを持っていたということになるのです。目玉が生まれるに先立って、そういう思いがあったということは否認できません。それは、神でも何でもないのです。目玉が、太陽を見たいという思いを持っていたのです。太陽を見る前に思っていたというのです。そういう思いを持っていたので、そういうふうに見るようになったというのが理論的です。目玉自体は、そんな要求をすることができないのです。知らないのです。それが見えるようになっていたということは、太陽があるということを、先に知っていた者がいたということを否定できません。分かりましたか? (はい)。

 それから、目玉は、空気には塵が飛び交うということを分かっていたでしょうか、分からなかったでしょうか? 空気があって、風が吹いて、ゴミがぶつかり合うということを分かっていたでしょうか、分からなかったでしょうか? (分かっていました)。

 この睫は、なぜあるのでしょうか? 空気の中のゴミが飛んで、目の中に入るのが分かっていたのでしょうか、分からなかったのでしょうか? (分かっていました)。分かっていたのです。睫をここに配置したのは何をするためかというと、目を守るためです。目自体はそれを知らなかったのですが、そのようなことを知ってくっつけられたのが睫です。それは否定できません。既にそれを分かっていた者がいて、目を保護するために、そこに睫をつけたのです。これを、目玉の中につけたらどうでしょうか? (笑い)「自由にそうなったのだ。自動的にそうなったのだ」など、そんな馬鹿な理論はないのです。分かりましたか? (はい)。

 誰も知らないのに、宇宙的な博学的な知識、膨大な知識を持っている者がいて、すべてが配置されているのです。世界に愛の医者が何百万人いると思いますか? どんなにたくさんいても、愛の神秘境を研究しても、また研究しているのです。すべてが物だけではないのです。分かりますか? (はい)。このように神秘境の内容を、分かっている者がいたのだから、その名前は「神様」以外にはないというのです。

 そればかりではなく、また目玉自体が空気にふれた場合には、輻射熱によって水分が蒸発するようになっているのです。大変なことです。目玉に水がなかった場合には、目をぱちぱちしているうちに火がついて、大変なことになるのです。ですから涙腺という水道装置があるのです。それは、目玉が分かって付けたのでしょうか、分からないところで自動的に付いていたのでしょうか? (分からないところです)。分からないうちに、そういう装置がなされていたのです。それは、そのことを分かっていた者が、絶対に必要なことを分かっていた者が、そういう配置をしなければ目玉自体ではそんなことができないのです。このことを文先生が指摘したことによって、共産党は完全に屈伏したのです。彼らが唱えてきた「精神は物の副産物である」ということは、間違っています。訂正論理を認めざるを得ないというのです。

 では、眉毛はなぜこうなったのでしょうか? こうなって、こうなっていたら(先生が両手の人差し指で時計の二時五十分の形をつくられる)もっといいのですね。(笑い)汗が目の中に入るのを防ぐために、長い睫でこうやってはじけばいいのに、大変です。この睫がパッパッと動けば、その先を通って、汗は移行して流れるようになっているのです。

 眉毛は、自分で目玉を保護するためにここにくっついたのでしょうか? そんな馬鹿な理論はないのです。ここの溝(ほほと上唇の間)は誰が彫ったのですか? 汗がみんな流れて、こっち(口)に入るのを知っていたからです。みんな流れていって、こうなった場合には、(汗がほほを伝って口に流れ入るようなしぐさをされる)前もって知っているのです。そう考えると、首にしても、手にしても、みんな神秘的です。人間は、こんなにも貴い神秘中の神秘の王宮を中心として生まれたのであり、神がいないとか、自然的に生まれたとか、そんな馬鹿な論理は二十世紀以降、二十一世紀のコンピュータの時代には通じません。

 そうなると、「神様はいない」と言う者が馬鹿ですか、「神様はいる」と言う者が馬鹿ですか? (いないと言う者です)。いないと言う者が馬鹿です。馬鹿は死ななきゃ直らないのですね。(笑い)利口な文先生は、共産党打倒を天宙に宣言したのです。夜も昼も、春夏秋冬を超えて、永遠を超えて宣言して共産党をやっつけてしまいました。(拍手)

 民主主義の右翼と共産主義の左翼の動機を、みんなは知らないのです。それをみんなが知った場合には、安心して神に頼って、永遠の軌道に乗って、神の国を中心として、神の保護の前に立って、朝の挨拶、昼の挨拶、夜の挨拶をして、自由に世界を回ることができるのです。そういう無限解放の主体の人間になるか、無限閉鎖の無相対的な者になるか? どちらになりたいですか? 無限主体的な人間になりたくない者は手を挙げてください? 誰もいないですね。人間は尊いものです。みんな分かったようですね。分かりましたか? (はい)。大変なことが分かりましたね。

 神様はいるのです。先生の話を聞いても、まだ神様はいないと言う者は手を挙げてみなさい。この野郎! 日本刀で切ってしまいます。神様にすれば、「いやー素晴らしい男だ、よくもやった」と言うのであって、悪いことをやったとは言わないのです。ですから、自信を持ってこの道をたどってきたのが文先生です。誰かに習ったものではないのです。戦って勝利した基台を紹介しているのです。勝利の実物を相続してあげるのです。教えるのではなく相続してあげるのです。一〇〇パーセント、そのようになってもらいたいから、枝を加え、実を加えるように、こぶを付けるようにして相続するのです。

 相続させる先生は、自分が主管してきたものよりも、小さくなることは願わないのです。優る者であれば、間違いなく相続するのです。ここに集まった者は、優る者に違いないと思って、先生は熱心に教えてあげるのです。「ありがとう」と言わなければなりませんね。(拍手)

 それでは、あす、また続きを話すことを約束して、今晩はこれでおしまいにしましょう。(拍手)ありがとう。ありがとう。(拍手)




















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