男性訪韓修練会
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良心は真の愛の羅針盤である

 地上において準備しなければならないことは、第二の生命の保持のためにすべてを投入して、完成圏まで到達しなければならない絶対的使命が、この地上生活の期間だということです。それを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。本当ですか? それは、理論的に通らない話ではないのです。夢の中で空中を飛び、時間圏を無限に走り回るのも大切です。そういう世界があるのです。第三段階、一世、二世、三世の飛躍、完成圏の人格は、第二の生活圏内で完成していかないとすれば、第三の世界ではめちゃくちゃになってしまいます。

 ですから、この世界において、文先生の教えによる「真の愛のすべてを注入して、投入の完成体となり、神様の友達にならなければならないのが人間の本来の道であり、それが真の自分である」ということが、はっきりと分かりました。それが、今まで関係あるのに関係ないような姿をしてきたのは、みんな失った立場になったからです。ですから関係を持つことによって、探すことによって神様に帰ることができるのです。先生の教えによって、そうなるということが分かった場合には、先生に対して感謝しますか? (はい)。本当ですか? (はい)。感謝ばかりでなく親不孝者であった者が、親孝行をしますか? (はい)。

 先生の国には忠臣、聖人がいるし、先生がいるので神の国なのですが、神の聖地まで到達しなければならないので、第二の愛の理想郷に向かって準備するのです。その時には、テストを受ける自信のある者でなければなりません。日本の地震ではないのです。ほかに天国の民、天国の家族の主人、主人になれる道はありません。それを願わないで、反対のことを行ってきていたので、ここに来て教育を受けているのですね? (はい)。

 さあ、人間として、男にとって女にとって一番貴いところはどこですか? それは神様が創造する時、精誠を尽くしたところなのです。神様が精誠を尽くしてつくったところです。そこに生命がつながるように、そこに愛が爆発させられるように、血統、歴史がつながるようにと、神様は天下すべての目標に向かった羅針盤という良心を入れたのです。ですから良心は、「高い者になれ、広い者になれ、深い者になれ、一番になれ、一番になれ」と毎日、その方向を忘れないように教えているのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。ですから、それに一歩でも外れたら、「そこに行くな! こっちに行け」と、良心が言うのです。そのような良心の命令を、何千回も受けていたにもかかわらず、それに従っていかないのが堕落した人間なのです。

 もし堕落しなかった場合には、真の愛をつなぐ極点が、そのところだったのです。間違いないですね? (はい)。神様と共に、結婚することによって天宙すべての親をつなぐ、愛の道、愛のパイプだったのです。

 永生する神様であり、その神様の生命を相続したのだから、我々は自動的に理論的に、永生の立場に立つべきです。そうでしょう? 神の愛の相対者が、自分の愛の相対に臨時の男女を願うでしょうか? それは無限に、永遠に、唯一、不変の相対者であるべきなのです。それと同じように、神様は永遠、唯一、不変、絶対なのですから、その愛の相対として、自分よりも何千倍も高い価値の者を願うのです。神様は永遠の生命体の相対が、臨時の相対などとは、絶対に思いも願いもしないのです。それは当然のことです。

 そうなると人間は永遠に、理論的にも公認できるような自覚ある主体圏に立つことができるのです。これは大変なことです。ですから、自分の血統が後孫に新しい世界をつくっていくのです。堕落の世界ではないのです。平和の世界、統一の世界、すべて一体世界をつくっていくのです。統一です。それは間違いのないことです。

 それで、良心を羅針盤として、神様の何億倍の愛の相対圏に飛躍して、最高の宇宙一つも残さないで、自分の所有権に収めたいという欲望が自分を引っ張りだこにして、神の最高の希望の頂点に立つようになるのです。ですから神様は、自分が黙っていても探してくるようになるのです。いやー本当にそうなれば、大変なことです。素晴らしいことです。日本語で素晴らしい以上のことを何と言うのですか? それは、超ー! 素晴らしいと言うのですね。(笑い)一つやってみましょう。超ー! 素晴らしい。(超ー! 素晴らしい)。十二時になっても気持ちが悪くないし、寝ぼけることは一切ありませんね? (はい)。気持ちが新、新、新鮮なのです。

 それでは、永生すべきですか、不永生すべきですか? (永生です)。公定的な結論ですか、臨時的な結論ですか? 既に決まっている結論です。疑う余地はありません! 絶対なる主体の神様の相対として永遠に永生するのです。泣きながら永生するのではなく、どんな隅っこでも、真の愛に満たされて喜びあふれる世界なのです。

 そして六十兆以上の細胞が踊り歌うのです。あなたたちは歌を歌いますか? 喜びの時には、歌を歌うでしょう。「月がー、出た、出ーた」と。(笑い)そういう歌を歌いながら、騒がしくして部落中で、「いやー、いい晩だ。記念すべき一夜だ」と、たたえるのですね。

 神様と人間は、一度もそのように笑いながら踊ったことがないのです。アダムとエバが堕落したために、エデンの園から追放したので、相対のいない寂しい何千万年の歴史を通過してきた主体のお父様であったのです。真の愛の主人のお父様が、その愛を抱えながらサタンにいじめられ、讒訴されて、恥に耐えられながら、人間の後をついてさまよってきたのです。そのことをはっきりと分かった場合には、頭を抱えて万年泣き続けても、それを晴らすことができないほどに、ありがたい神様なのです。ですから、自分の何よりも貴く思って、この世の何よりも価値あるものとして、永遠の主体として侍って侍っていく生涯を持つことが、堕落した人間として望むべきことなのです。

 そのように一体圏となった場合には、アダムとエバのそのところが、愛の始まった故郷なのです。愛の宮殿をつくる出発の家なのです。愛の宮殿をつくるとすれば、そのところにつくらなければならないのです。神様と人間が、最初に一つになる愛の出発基点なのです。愛の本宮なのです。愛の王権が、そこからつながるのです。そのようなアダムの家庭と君たちの家庭が同じかというと、君たちは本宮ではなく、同じ種であっても別宮なのです。君たちの夫婦関係による一族の基台は、本宮の相対圏の別宮なのです。

 神様の住まわれる所が本宮であった場合に、君たちは神様がいつも訪問する子供たちとして、東や西にたくさん広がった王宮なのです。分かりましたか? (はい)。王宮になっているということを忘れてはなりません。君たちの家族は、過去、現在、未来を統合した代表的な基盤に立っているのです。そのような家庭であり、そのような家族なのです。それは、お母さんお父さんを中心として、現在とつながれるのです。五十億人類の家庭を代表した立場が、自分の家庭なのです。お母さんお父さんは、五十億の家庭の中心の王様なのです。みんなそうです。自分のお母さんは、女王様です。愛を中心とした絶対的な中心の家庭なのです。神様を最高の中心として、分家したと同じ立場なのです。そんなに貴重なものなのです。

 あなたたちは、自分の奥さんの部屋に行く時には「女王様に会いにいきます」と言って、恐れながら、「すみません。あなたが私を救ってくださるので、ありがたいことです」という心情いっぱいで訪問するのですか、めちゃくちゃな立場で走っていくのですか?(笑い)なぜ笑いますか! 笑う人は、堕落観念の汚れた分野があるということです。神聖なことなのです。それは神聖です。聖なることだから、それを侵すことはできないのです。


四大心情圏と三大王権と皇族圏の復帰

 一家においては、全世界の家庭を代表した王様として願っているのが、お父さんお母さんなのです。ですから、あなたたちの家はどうあるべきかというと、「自分のお父さんお母さんが、王様女王様になれば、自分は王子になれるのでいいな」という欲望があるのです。その欲望を完成したその場面が何か分からないままに生きているのです。ですから、お父さんお母さんに対して、現在の家庭を代表した王様女王様みたいに侍らなければならないのです。それが親孝行の道です。

 それを拡大して、大きくしたものが忠臣の道です。親孝行を完成しない者は、忠臣の道につなぐことができないのです。忠臣として完成した場合には、聖人の道も完成するのです。愛を中心として、みんな完成の目標が決まっているのです。堕落世界であっても、聖人が来た場合に教えることは、そのように神様に仕えることであるというのです。それを忘れてはなりません。

 そうなると、おじいさんは何かというと、過去を象徴する天国を代表した特権大使なのです。日本が第二次大戦で、いよいよ駄目だということになった時、全権大使が特権を持って決めていったのです。全権大使とは、そのような特権を持つのです。ですから、おじいさんおばあさんは何かというと、過去を代表しているのです。過去は霊界とつながり、霊界は永遠の天国につながるのだから、おじいさんおばあさんは天国から地上に完成の因縁を相続するための全権大使として来られた方なのです。だから、神様みたいに侍らなければならないのです。一家族がそろって、父母と共に、後孫と共に、祖父母の命令に絶対服従する家庭は、永遠の歴史とともに、現在の歴史とともに、神様が降臨して自由自在に往来する地上天上につながるというのです。

 ですから、祖父母様には全権大使として、神様みたいに侍らなければならないということが王族の規則になっているのです。王家の規則になっているのです。そのように侍って一つになった家庭は、天国のどこでも通過するのです。天国は、そのような愛の理想圏の王権を代表し、勝利した者たちが家族そろって入っていく所ですから、地上生活において、父母様に対しては五十億の家庭を代表した王様のように侍り、天国を代表したおじいさんにも王様のように侍って、二代王国であるお母さんとお父さんの王国と、祖父母の王国、霊界王国と地上王国の二つを相続するのが後孫たちなのです。

 今まで神様は、堕落によって三代をつなぐことができずにいたのです。神様を一代とすればアダムは二代であり、三代に王権を着手できずに分割されてしまったために、孫を迎えられなかったことが堕落圏の恨みなのです。ですから、孫は父母の愛を受けるとともに、祖父母の愛も受けるのです。

 お父さんお母さんは、祖父母からの愛だけを受けたので、一代きりなのです。しかし孫は二代の愛を受けた立場に立つので、地上天国と天上天国の両方を相続する素晴らしい王子様、王女様なのです。そのような希望を持って孫を見つめ、親も、祖父母も、心身一体となって、心を込めて育てることによって、地上天国完成、天上天国完成が家族を中心として出発するようになるのです。分かりましたか? (はい)。これが王族圏になるのです。王族も皇族も同じです。

 これが家庭に対して、神様が許された特権の王権なのです。ですから人は誰でも、「自分のおじいさんが王様になればいいなあ。自分の父親が王様になればいいなあ。自分も王子様になるといいなあ」という欲望があるのです。それは、家庭基準で完成されるようになっていたのですが、悪の父母によって完全に失って、分からなくなってしまっていたのです。それを真の父母によって教えられて、再び復帰するようになったのですから、君たちは王族、皇族のセンターであり、宇宙中心の立場だということを自覚しなければなりません。これは大変なことです。

 ですから、家庭宣誓の「我々の家庭は真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を復帰することを誓います」という、それは宝典なのです。テキストブックです。それを家庭で完成しなければ、天国に行くことができないという公式的内容の宣誓なのです。ですから、心身一体、夫婦一体、子女一体にならなかった場合には、家庭宣誓を唱えることができません。家庭宣誓は堕落関係を超越した基準だからです。真の父母によって、真の愛によって、心身一体、夫婦一体、子女一体となるべきなのに、堕落のために心身分裂、夫婦分裂、子供分裂、兄さんが弟を殺すような恐ろしいことが起こったのです。それらをみんな消化した基準に立たなければ、天の国に入り、神様の前に家族として、その存在圏と相対圏を結ぶことができないのです。

 ですから平面的に見た場合には、堕落したサタン的家庭から復帰されたアダム、堕落した天使長の血統の因縁を超えた本当の完成圏のアダム家庭であり、そのアダム家庭を中心として誓うのが、家庭宣誓なのです。アダム家庭完成によるアダム圏を、別個の組織体制にするために宣布したのが、今年四十年の峠を越えて発表した家庭宣誓なのです。そのような家庭宣誓によって、「世界平和統一家庭連合」がつくらされました。それが完成圏です。復帰路程において、山を登ってきたのですが、これから永遠の平地をつなぐのです。そして個人完成、家庭完成、氏族完成、民族、世界完成という、永遠の地上天国が展開するのです。ですから、真の愛を中心として、みんなが唱えていくのです。

 あなたたちはもう、先生みたいに争いをしなくていいのです。先生みたいに生涯を通した迫害はないのです。歓迎ばかりです。原理原則を中心として一位になるかならないかによって、上と下が決まるのであって、迫害はないのです。熱心に投入した場合には、自分の所有権として、永遠の国につなぐようになっているのです。

 先生は蕩減の道をつないできました。そのために四十年の生涯をかけてきました。四十歳で世界統一の王になるべき者が、八十代でその方向を固めて、お母様と後孫に全部残していかなければならないのです。八十歳近くになったので、整備していかなければならないのです。そういう歳になったのです。それで、アメリカ、韓国を整備しているのです。未来に対して準備しない者は大変なことになります。


自分は父母の愛の同参者である

 一番貴いところ、神様が精誠を尽くしたところはどこですか? (生殖器です)。それが愛の本宮であるということは理論的にも否定できないので、納得しなければならないという結論になりましたか、なりませんでしたか? (なりました)。愛の本宮を持っていますか、持っていないですか? (持っています)。それを汚しますか、正しく保ちますか? (正しく保ちます)。間違いないですね。(はい)。それでこそ頼もしい男です。愛の本宮の地は、愛の本宮とともに生命の本宮なのです。間違いないですね? (はい)。

 アダムとエバが夫婦になるのは、愛の激戦の真っただ中です。愛の激戦の真っただ中はどこですか? それは、もう説明しなくても分かりますね。夫婦関係をする激戦の真っただ中で、自分たちの生命がつながるのです。血統がつながるのです。血統は、子供の種があるところに成り立つのであって、子供の種のないところには血統という名前はつながらないのです。そのような男と女の愛によって血がうず巻く中で、そこに種として植えられたのが血統を相続する子供たちです。これが親と子供の関係です。分かりましたか? (はい)。ですから自分というものは、貴いものであり、真の愛をつなぐ親たちの愛に同参した立場です。

 自分というものは父母の愛の同参者であり、中心者であり、実なので、父母と切り離すことは永遠にできません。自分とは、お母さんの愛と生命と血と、お父さんの愛と生命と血の二つの人格が合併した代表なのです。ですから、お父さんとお母さんは、二人の人格を合わせた子供のために生命も献げなければならないのです。死の境地に立った場合に、親たるものは子供を死なせて自分が生き残るということは天法に違反するのです。動物世界でも、子供を守るためには、親は生命も献げるのです。人間は万物の霊長たる天宙を代表した者であるから、生命圏を保持するために、自分の子供のために親として生命を献げることは当然しなければならないことです。そんなにも貴い自分なのですから、お母さんよりも偉くなければならないし、お父さんよりも偉くなければならないのです。

 結実の実が素晴らしかった場合には、人々がそれを求めて、どんなに金を払ってでも買っていくのと同じように、子供に対しては自分より以上に素晴らしい実になってもらいたいというのが親の希望なのです。ですから、親に優る相対者が子供なのです。旦那さんの分身は子供であるということが分かりましたか?(はい)。

 では親不孝を絶対にやるべきですか、そうではないですか? 親不孝を絶対にやるべきですか? (やりません)。はっきりと言ってください。死んでもやるべきではありません! このように家庭倫理は徹底した一つのすきもないような、完璧なものであったということは、実に恐れ入ることです。「いやー、素晴らしい神様。いやー、こんなにも立派な神様であった」と、思わざるを得ないのです。そして親に感謝しなければならないのです。寝ついた子供を見ながら、万年の後孫のことを祈りながら親が涙を流したと同じように、年を取った父母は子供が永遠の世界に入る宝物になってくれるようにと願いながら涙を流さなければならないのです。親は子供の未来のために、後孫は永遠のために生きるのです。そのようにして、両方の世界を平均にして、父母を中心として両方の天国が永存して発展していくのです。素晴らしい話です。

 自分とは、両親の愛に同参した者です。ですから真剣になって涙をもって親に忠告すれば、どんな親も聞かざるを得ないというのが公式なのです。そういう子供を持った親は、幸福なる親です。それに感嘆して、「愛一つしかない親孝行者だ」と、すべてのお父さんお母さんが言わざるを得ないのです。そのような王家の平面的相続圏が万国に満たされていくのです。それが神様の創造の願いだったのです。いやー、大変なことが分かりました。

 そのような子供を生むのも、生殖器からです。血統も生殖器からであり、血統の本宮、良心も、そこから始まるのです。良心の無限完成をなす本宮が、その基盤にあったのです。それが堕落のために転覆して、めちゃくちゃになってしまって、こんなに多くの内容を破壊したのだから、その罪を許すには、神様は何千万年かかっても復帰しなければならないのです。それはたやすいことではないのです。そのために真の父母を求めて、神様は何千万年も苦労し、再創造の道をさまよってきたということを思う時に、申し訳なく思わなければなりません。

 例のない親不孝行者であることを悟り、不忠臣の不誠心の話にもならない罪を犯した者であることを思った場合に、謙遜なる姿勢で、神様に教えられたように投入して投入して、忘れて、また投入して、朝に夕に投入して、目が覚めると、また投入して生涯を終えるという者でなければ、神様の同情を受けることができないのです。

 そのようなことを、自分の一家がなした場合には、その一家は滅びると思いますか、栄えると思いますか? (栄えます)。栄えるのですか? 本当ですか? (はい)。本当だと思いますか、本当ではないと思いますか? どんなに反対される最中であっても、本当であるという自覚を持つようになりますか、持たないようになりますか? (持つようになります)。持つようになるということは、皆さんが新しい家庭につくり変えることは問題ないという結論になりました。各自がそういう使命を持ったということを、忘れてはなりません。

 日本に帰って、「そんな家庭をつくり上げることができるだろうか」と言っては駄目です。今の世界はすべてができるのです。説明できれば、みんな人間の力でつくることができるような時代になりました。そうですか、そうではないですか? (そうです)そうだとはっきり分かった以上は、それは成さざるを得ないのです。成すようになっているので、成さない者は落っこってしまうのです。それで、落第生になりたいですか、及第生になりたいですか? (及第生です)。及第生ですか、落第生ですか? (及第生です)。間違いなく、及第生になるという自覚をした者は手を挙げてください! (はい!)。いやー、日本は地震だというのに、うれしい爆発的なことが起きました。


貴重なる本郷の地

 それで、朝起きた場合には、そんなに貴重な本郷の地に向けて挨拶すべきですか、挨拶すべきではないですか? (挨拶すべきです)。挨拶して滅びると思いますか、栄えると思いますか? (栄えると思います)。妻をもらった場合には、共に挨拶し合いなさい。「おはようございます」と。妻は自分の旦那さんの本郷の地に向かって「おはようございます」。皆さんは奥さんの本郷の地に向かって「おはようございます」と。妻がいない場合は、自分の下に向かって「おはようございます」。「不信の世の中にあって、雑多なサタン権限下の地獄の拡張された世界で過ごす中にあって、朝誓ったとおりに夕べには帰ってきてください。おはようございます」という挨拶をするのです。

 挨拶して悪いことと思いますか、いいと思いますか? (いいと思います)。それは、挨拶をしないということですか、するということですか? (します)。本当ですか? (はい)。先生はしないのに、君たちはするのですか? (笑い)先生がしなくても、君たちが挨拶をすれば、先生より成功するし幸福な者になるのだから、それは先生も願う愛の相対であり、先生に優る立場に立つことができるという結論になるのです。ありがたいことです。分かりましたか? (はい)。挨拶しなさいよ。

 あなたたちは、自分の一尺以内のところに肥料工場があることを知っていますか? 一尺以内の肥料工場です。大便工場ではないのです。それを知っていますか、知らないのですか? それも知らないのですか? 今の先生の質問によって、大便工場があるということが分かりましたね? (はい)。十メートル先で大便をしている人がいても大変なのに、自分の一尺以内に大便工場があるとすれば、気持ちがいいですか、悪いですか? (いいです)。本当は気持ちが悪いのですね。(笑い)

 大便を目の前にして、逃げない者はいないのです。十メートル先、二十メートル先、三十メートル先ではなく、自分の一尺以内にあることが分かったとすれば、それは逃げないですか、逃げるべきですか? もし、これを除いてしまうとすると、死んでしまうということになるのです。大変です。しかしその臭いをかいでも、一つになっていれば、それが分からなくなるようになっているのです。

 それでは、朝御飯は何の材料ですか? 昼御飯など、一日の三食は何の材料ですか? 肥料、大便をつくる原料なのです。(笑い)それは大便の原料です。それを食べておいしいと言っているのです。(笑い)それは大変なことですが、その前段階では、大変いいことになるのです。ですから善悪は、表裏関係であるという論理も成立するのです。

 みんな、文先生がいろんなことを話しするので、大変知識が広くなりましたね。それで、ここに来て良かったですか、悪かったですか?(良かったです)。先生は悪かったのです。なぜかというと、このようなことを教えるのは大変だからです。女性はコップに水を持ってきてくれたりして同情もするのですが、そのように同情する男は一人もいないのです。辛いことです。こういう話をしても、コップに水を入れて持ってくることをしないのですね。(笑い)

 これから何に向かって挨拶をしなければならないかということが、分かりましたね? (はい)。天下の何よりも貴いもの、それを無視して乱すような男は、天罰を受けるのです。地震などでもって埋められてしまわなければならないのです。「どこどこへ行きなさい」と神様が誘って整備してしまうのです。分かりましたか? (はい)。男は奥さんの言うことを聞きなさい。それは神様と共に行くことなのです。悪いことはできなくなるのです。

 もう絶対に動じない綱として、重い重りも付くようになりました。いくら流れが早くても、重りがもっと重ければ、魚は網にかかるのです。分かりましたか? (はい)。自信満々でやりなさい。分かりましたか? (はい)。分かりましたか? (はい)。分かった者は手を挙げてください。(はい)。いやー、ありがとう! 完全に、教育されましたね。不満ですか、感謝ですか? (感謝です)。先生が生涯かけて得た宝の箱をみんなに、ただで伝授するのですから、それをありがたく思えない者は滅亡するのです。神様が分からない人です。そのような者の乗る飛行機は空中で落ちてしまうのです。

 君たちは、もう文先生を信じるようになりましたね? (はい)。先生も君たちを信じるようになりました。いい結論です。共に万歳をしなければならない境地です。万人共々の喜びの境地です。天も地もみんな、そこに同調して喜ぶのです。統一環境、統一世界になるのです。


良心絶対主義

 それで問題は、私自身の渋柿の根っこを切ってしまったとしても、いまだ甘柿に接ぎ木されていないとしたら、どうしますか? 接ぎ木される親がいた場合には、その方の命令に絶対服従しますか、服従しないですか? (服従します)。服従しなければならないということになりましたが、その真の愛を接ぎ木する本体は、地上において誰ですか? それが真の親なのです。真の親以外にいないのです。先生がこういう内容を知っているのは、実証基台として神様の相対圏を正して勝利した男だからです。ですから、真の親にならざるを得ない名前を持つようになったのです。皆さんは、それを喜んで迎えますか、反対の心で迎えますか? (喜んで迎えます)。本当ですか? (はい)。いやー、みんなそうなれば、美人の反対の美男子になってしまいました。

 そうなれば、神様に優るような立場にまで我々は上がっていかなければならないのです。それには肉身を分別して、良心の命令に絶対服従すれば、すべてが可能です。たった一つ神様につながる道は、良心の命令を絶対視して一つになることによって、堕落の生殖器をそこまで引き上げて、神様と共になるような基準につなぐということです。堕落して長成期完成級で汚したその部分を元に正して、愛の完成基準まで引っ張り上げていかなければなりません。それは何を中心としてかというと、良心を中心としてです。

 ですから、良心を絶対視するような宣言をしなければならないのです。あなたたちは良心をたくさん泣かせてきましたね。良心は、「自分は、どんな難しいことがあっても心身一体化して、神様の相対の理想の価値あるものになって、神様を喜ばせるためにつくられた」ということを知っているのです。それで良心は、一瞬も休まず君たちを戒めてきたのに、それに服従せず、一体にならなくて、めちゃくちゃな自分として現在の位置にとどまっているということをはっきりと知らなければならないのです。良心を尊重して、絶対視する運動をしないといけません。

 この歴史を見た時、人間たるすべてのものは世界に影響を及ぼして、世界を指導してきました。それで、頭のいい者が天下を治めてきました。中世においても、フランス革命以降は力を中心として植民地拡大運動をしてきました。サタンは頭を中心として、力を中心として、独裁者を中心として、植民地開発、弱小国家略奪ということをやってきました。しかし、力の道は長く続かないのです。それは元がはっきりしないからです。人間は永遠の出発点に立つことができないからです。どんなに大きなことを言ったとしても、一〇〇年未満で消えていくのです。ですから、いくら人間を尊重したとしても、歴史の出発点に置くことはできないし、歴史の終わりにしか置くことができないのです。それで、神本主義から落ちてきた人本主義の時代は短くなってくるのです。

 その元がはっきりとしていないのです。哲学的にも、その論法の出発と終結がはっきりしないので、みんなが「実質的に公認できるものは物しかない。物が宇宙の始めだ!」と言って出てきた物本主義が、共産主義なのです。唯物史観の物本主義なのです。神本主義が人本主義に落ちて、物本主義に落ちて、頭から体まで占領したサタンは、手足まで下りていくのです。それで共産圏の労働者や農民は、手足を中心とした世界支配を唱えてきたのです。

 それがみんな、神本主義、人本主義、物本主義を一つにする統一主義、神主義、頭翼思想によって完全にまとめられてしまったのです。民主主義は唯心主義であり、共産主義は唯物主義です。それにキリスト教は神本主義なのですが、みんな元がはっきりしていないから、人本主義が生まれたのです。今や神の起源がはっきり分かったので、人本主義から神本主義につなぐというのです。物本主義、人本主義、神本主義に分割することはよくないのです。この三つを一つに合わせて主張できるのが神主義であり、頭翼思想なのです。

 物もみな愛の極点に向かって発展するようになっているのです。原子の世界も植物を通して、昆虫を通して、みんな食べられていくことによって人間の生殖器、愛の器官の中で神様と共に住み、心身一体、男完成、女完成を成して、愛の理想の極致に向けてみんな発展していくのです。ですから、あなたたちの良心も、神様の愛の父母として完成していくというのです。もし堕落しなかったならば、父母が完成して人類の出発点になるべきだったのに、それを失って、それを求めるべき立場になったということは悲しいことです。

 ですから物も愛で、精神も愛で、心身一体の愛によって、三本主義が完了する絶対主義の愛の世界になって、統一世界にならざるを得ないのです。だから、みんなが主張してきたけれども、最後に残ったのは良心主義だけなのです。分かりましたか? (はい)。ですから今、統一教会で主張するのが「良心絶対主義」です。今までサタンは、頭から足まで占領してきて、自分が神様として万民に侍られてきたのですが、今やすべてを神様に取られてしまうので、自ら神様を追い出すことによって、人類が神様に侍ることをできないように宣布したのが、唯物史観なのです。これは、サタンの魔法的な哲学なのです。悪辣なサタンの哲学です。神様が降りてきて復帰するのだから、神様に譲った場合には、神様がいることが分かって万民が共に崇拝するようになるので、「神はいない。絶対神はいない!」「物が大切であり、精神は物の副産物である!」と言ってきたのですが、そういう論法は通じないのです。だから統一です。心身分割ではなく、真の愛による物と精神の一体です。

 すべての万物は、自分の横的なる人格完成の素材なのです。みんな愛を求めて、互いに食べられないと、その道は行けないのです。ですから弱肉強食という論法は、宇宙存亡の原則を無視する結論です。

 君たちも毎日、何かを取って食べているでしょう? 何かを殺して食べているのですね。牛肉を食べるのは、みんな牛を殺して消化していく泥棒なのです。もし裁判にかけるとすれば、一番悪いものが人間です。なぜかというと、みんな許しもなしに、乗っ取って食べてしまうからです。ですから、よく挨拶してから食べなければなりません。食物は言っているのです。「ワー! 悪魔の実体に食べられるのは嫌だー!」と。しかし愛の実体には、「早く、早く、食べてください」と言うのです。消化されて、愛の極致に入って、そこで元素が解放されるのです。あなたたちも愛を求めて生命を投入するのですね。

 神様の愛を占領するためには、万物も愛の境地に至るために消化される段階を何回も越えていくことと同じように、万物の霊長として神様の愛を占領するためには、生命を献げていくこと以外に、その道がないのです。ですから、放棄して、放棄して、投入して、忘れて三回生命を投入して、よみがえってもまた投入するという立場に立つことによってこそ、神様の側に帰っていくことができるのです。

 それで聖書に、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」という逆説の論法があるのは、サタン圏を乗り越えるのは、大変なことだからです。それは、生きたままでは乗り越えられません。死を覚悟しないと乗り越えることができないのです。しかし、それを乗り越えないで、そのまま平安にとどまっていた場合には、よみがえりの永遠の生命を得ることができないのです。「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」という逆説論法も、このような原理的な立場で言ったことだと、はっきりと分かるようになりましたね。

 それで今日まで、良心者だけが世界を支配したことがないのです。農民と労働者が世界を唱えて今までやってきたのです。また、力ある独裁者が世界を支配してきたのです。頭の良い者が霊界とつながって悪辣な方法で、サタンの支配下で世界を神様から奪ってきたのです。首、胸、手足まで取って、そこで自ら「神がいない」と言うことによって、神様を迎えることのできないようにした方便の哲学が、マルクスの経済哲学理論なのです。ですから最後に残った良心者が、世界を支配しなければならないという時代になったので、良心絶対権限を教えなければならないのです。それが、この時間なのです。そういう内容を教えてもらいたいですか、もらいたくないですか? (もらいたいです)。教えてもらいたい者は手を挙げて立ってください。


良心解放の宣言

 良心世界支配時代を願うのであれば、先生の願う子供に一致しなければなりません。そのような立場に立ち返らなければならないのです。それによって、真の自分をすべて探すことができたならば、解放の王子、王女になるのです。それで、失った理想的な家庭を転換して、理想的な国を求めていくのです。家庭がたくさんあれば氏族になり、氏族がたくさんあれば民族になるのですが、家庭が基本なのです。

 ですから、理想的な家庭をつくらなければなりません。今の世界は家庭が問題なのです。神様がそのような家庭を復帰してくるにあたって、サタンは文先生が家庭を四十年間訪ねてきているのを知ってめちゃくちゃにしたのです。それがフリーセックス、ホモセクシアル、レスビアン、麻薬などです。

 さあ、水沢里において良心解放の宣言をいたします。どうですか? 「ハハー、かしこまりました」ということをやりましょうか、やめましょうか? (やります)。先生は一人で、君たちは五〇〇〇名に近い数だから、先生の声は聞こえないで、君たちの叫ぶ声ばかりが大きく聞こえた場合には、君たちは先生に勝ったことになります。それで日本に帰った場合には、日本が天国のチャンピオンになるということが、なきにしもあるということになるのです。先生に負けないように頑張りなさい! 分かりましたか? (はい)。

 先生のするとおりに、表示するとおりにやってください。大人であっても、みんな子供みたいにならなければ天国に入れないということが分かった以上は、子供になって叫んだとしても罪ではありません。真の父母である人がそんなことをすれば、それ以上に醜い姿をしてもいいということです。一番、二番、三番とありますが、一番だけ唱えましょうか、二番までやりましょうか、三番までやりましょうか? (三番までです)。

 日本には、こんなことのできる修練所が必要ですか、必要ではないですか? (必要です)。有志がいた場合には、修練所をつくって、このように五〇〇〇名を集めるのです。そういう一人が、一〇人、一〇〇人になった場合には、日本は滅亡しますか、復興しますか? (復興します)。人は死んだ場合に、どんなに金を持っていても、火葬場までしか持っていくことはできないのです。

 この数千名の人々が、たとえ一家を犠牲にしても、このような修練所をつくって日本全国で復興の旗揚げをした場合には、その一家は、名門の一家になることに間違いないのです。そういう肚を持った人は断固として、このように修練所をつくってもいいのです。先生も、平気でこんなことをやってきたのですから、その親に負けるような子供であっては駄目です。親以上に優る実績を残す決意を固めて、日本に帰ってもらいたいのです。分かりましたか?(はい)。そういう男が、この四五〇〇名の中に一人もいなければ、日本はぺちゃんこです。

 良心解放を行うには、良心活動の舞台、天下につながる舞台、そのような教育所が必要だということは、もっともな話です。違うと言う者は手を挙げてみなさい。誰もいないですね。分かりましたか? (はい)。


良心は両親に優る

 第一! (第一!)。良心は! (良心は!)。両親に優るー! (両親に優るー!)。前の良心は何ですか? それは心の良心です。後の両親は、親の両親です。親は、自分と共に永遠には生きられないのです。分かりますか? 結婚して分かれていって、共に住むことができない親がいくらでもいるのです。しかし良心は、永遠に自分とくっ付いていて、親よりも先に自分を愛し守って、神様の懐に抱かれることを願うのです。親が子供を養育して、立派な夫婦として、自分の後継者として、愛の後継者となれるように願うのと同じように、良心は自分を守って神様に抱擁されながら、天地すべてを相続できるような親孝行者をつくりたいと思っているのです。

 そのような良心と内容の因縁を持った自分なのに、最も尊敬する親にも優る存在であったことを否認してきたのです。ですから、めちゃくちゃに引っ張りだこにしてきた者は、後悔どころではなく悔い改めなければなりません。神様の前にひれ伏して、晩年の恥ずかしさを消してもらわなければならないのです。そして絶対必要な親を、この瞬間に発見してもらいたいのです。

 もう一回だけです。三回以上はしません。蘇生、長成、完成です。分かりましたか?(はい)。先生よりも大きな声で唱えてください。第一! (第一!)。良心は! (良心は!)。両親に優るー! (両親に優るー!)。分かりましたか? こんな表情をするのは、よく分かるように、心に深く記憶するためであるということを忘れてはなりません。

 では第三回目です。第一! (第一!)。良心は! (良心は!)。両親に優るー! (両親に優るー!)。万歳ー!! (万歳ー!!)。両親によって人間は生まれるのです。生まれてからは、教育されていくのです。学校に行くのです。しかし、生涯すべての内容の大元が自分にあったということを分からなかったのです。


良心は先生に優る

 ですから二番目は、第二! (第二!)。良心は! (良心は!)。先生に優るー! (先生に優るー!)。優るー! (優るー!)。今、何と言いましたか? (良心は先生に優る)。本当です。「良心を教育しよう」というような文部省の法令が、世界各国から出たことを見たことがありますか、聞いたことがありますか? ないのですね。

 良心には、先生は要りません。自分の一生涯、自分のやるべきことをすべて知っているのです。良心は、自分の生きてきた歴史を知らないことがないのです。ちゃんとコンピュータに刻み込んでいるのです。良心に記憶されたならば、すぐ霊界にも記憶されるのです。もし、それが本当であれば大変なことです。本当なのですよ。ですから、相対的にコンピュータが生まれてきたのです。昔は、そんなことなど夢にも思わなかったのですが、天国が近づいてきたので相対的に、空想ではなく目前に現れてくるのです。

 それで、人工衛星と宇宙旅行の時代になったのです。座ったままで霊界に行ったり来たりする時代なのです。空間を克服する時代につながる相対的世界が目前に迫ってきたのは、そういう時代になりつつあるからです。どこでも話が通じるのです。霊能者たちは座っていても、電話をしなくても通じるのです。もし質問すれば答えてくれる時代なのです。今やテレビを通して、いつでもいかなる所でも、時間圏を凌駕して会議もできるようになりました。教育もそういう時代になったのです。先生は本格的に通信教育を、世界で第一番目にやろうとしているのです。勉強できなかった人々を解放してあげなければならないのです。そして学位をあげることを、世界的に今、準備をしているのです。

 ですから良心には、先生は要りません。そういう貴重な良心をめちゃくちゃにして、引っ張りだこにして、無力なものとして扱ってきたことを恥ずかしく思わなければなりません。そして、それをもとがえして尊重しなければなりません。分かりましたか? (はい)。

 第二!! (第二!!)。良心は!! (良心は!!)。先生に優るー!! (先生に優るー!!)。もう、壁みたいな道(中央のアボニム・ロード)が見えなくなったですね。分かりましたか? (はい)。もう一回、力を尽くして、生涯に叫び声が記録されるようにすべきです。そうすることによって、失われた先生が復活してくるのです。

 第二!! (第二!!)。良心は!! (良心は!!)。先生に優るー!! (先生に優るー!!)。これで、立派な子供になりました。これこそ統一です。三回やったのですか、二回やったのですか? (三回やりました)。みんなよく知っていますね。


良心は神様に優る

 それでは、第三番目です。みんな手を挙げてください。第三!! (第三!!)。良心は!! (良心は!!)。神様に優るー!! (神様に優るー!!)。これは、恐ろしい宣言です。良心は何ですか? (神様に優る)。神様に優るから、今から神様は要らないということになりました。自分は神様の代わりのものです。愛の相対圏として、自分よりも何千億倍にも高まることを願った相対存在であるとすれば、神様に優らなければならないのは理論的な結論です。分かりましたか? (はい)。一家を治めていく、一国を治めていくことができる良心の命令の無限の共鳴圏に入れば、いくらでも可能圏に入ることができるのです。

 先生は四十年間、戦いの真っただ中で、二十世紀の混乱の難しい立場でやってきたのです。それで、日本の首相やアメリカの大統領が問題ではないのです。どんな国の大統領以上に難しい立場を乗り越えて、無事通行でここまで来れたのは、良心が神様に優るという本体があったからであるということを今、直告(注・事実をありのままに告げること)してあげます。分かりましたか? (はい)。

 それで、人間は誕生して、教育を受けて、主人になりたいのです。日本人として生まれた場合には、良い教育を受けて、立派な学校を卒業して、立派に出世して総理にもなりたいのです。公的な代表者になることは、日本人としてみな願うことなのです。分かりましたか? (はい)。ですから、そんなにも貴重な良心を無視してきた、悪辣な肉身を、ぺちゃんこにさせるのです。ぺちゃんこです。(ぺちゃんこ)。それを、日本に帰って実行しないといけません。先生は信じてもいいですね? (はい!)。そういう決意をする者は、もう一回手を挙げてください。(はい!!)。下ろしてください。

 第三!! (第三!!)。本当は、両手も両足も挙げたいのですが、そんなことはできないから片足でも挙げたらいいですね。分かりましたか? (はい)。

 第三!! (第三!!)。良心は!! (良心は!!)。神様に優るー!! (神様に優るー!!)。大変なことが分かりました。

 これを三大主体思想というのです。絶対に人間として、このことによらなければ三大圏がめちゃくちゃになるのです。金日成の主体思想は、何もないのですが、これは絶対的な神様が呼びかけた三大主体思想であることを記憶してもらいたいのです。分かりましたか? (はい)。朝に夕に、この公式に従って生活すれば、それは軌道に乗って走る電車みたいに、脱線しないで天国に直行します。それが分かった場合には、宗教は要りません。すべて理論的なのです。肉身を完全に主管するのです。分かりましたか? これで二回やったのですか? (はい)。

 さあ、最後です。目を見開いて、もう一時になったのですね。先生は気違いみたいになっているのです。あなたたち美男子に惚れてしまって、気違いみたいになったので、気違いみたいにどなってみましょう。先生は面子も何もないのです。気違いみたいになって、神様が驚いて眠っていた目を開いて見るようにです。分かりましたか? (はい!)。

 第三ー!!! (第三ー!!!)。良心はー!!! (良心はー!!!)。神様に優るー!!! (神様に優るー!!!)。優るー!!!(優るー!!!)。万歳ー!!! (万歳ー!!!)。万歳ー!!! (万歳ー!!!)。万歳ー!!! (万歳ー!!!)。

 これで、水沢里の良心宣言が終わりました。(拍手)第一は!第二は!第三は!みんな良心に祈念して、そのとおりに実行せざるを得なくなりました。(拍手)「はーい」と答えるのですよ!(はーい!)。はーい!! (はーい!!)。ありがとう! もう完璧に教育されてしまいましたね。(笑い)完全に完璧です。(拍手)ありがとう。

 それで、真の自分を完全に回復しました。探し出しましたか、分かりましたか? (はい)。それで毎朝起きた場合には、それを唱えなければなりません。それで難しいことがあれば、すぐに瞑想しながら良心に聞けば、方向が見えてくるのです。そのような訓練をしなければなりません。共鳴圏に入れば霊界からの電話も、良心を高めていけば放送のように聞けるようになります。真の父母と絶対信仰、絶対心情一体圏をなすことによって、エバによって砕かれて落ちたものが、それ以上の心情圏で上昇して元の所に帰っていくということは、理論的なのです。分かりましたか? (はい)。

 さあ、もう時間ですから、きょうはこれでおしまいにしましょう。(拍手)

















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