男性訪韓修練会
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家庭における女性の使命

 今からは家庭においての女たちが問題です。サタンを中心として、天使長を中心として、アベルの女とカインの女が戦うのです。そこで、アベルは姉さんではないのです。妹なのです。しかしサタン圏で生まれた順番からして、姉さんは絶対的に妹を主管することができるので、これが問題です。原理原則によって主管されるような立場に立った妹が、自動的に姉さんを屈伏させて、姉さんの立場を復帰しなければならないのです。女もカイン・アベルと同じような立場で、復帰していかなければならないのです。

 そのような異なった姉妹関係の基台が家庭なのです。ですから家庭において、正妻とか妾がいた場合には、喧嘩して大変な問題になるのです。男性がもし妾をつくった場合には、本妻は黙っているでしょうか? 「殺してしまえ」とか、「死ぬんだ」とか言って、家中が大変なことになってしまうのです。ですから復帰路程は、正妻一人ではできないのです。妾と一つにならなければ帰る道がないのです。なぜかというと、堕落したために、神様の前に二流の子女が生まれてきたからです。

 カイン側のお母さんと子供と、それらを復帰していくアベル側のお母さんと子供という、二流の子女が立つようになったのです。もし堕落しなかったならば、一流だけなのです。堕落の結果、二流になってしまったのです。ですから神様は、これを収拾しなければならないのです。そこで、いかに二流を一流にするかというと、サタン的な長子を中心として一流にすれば、サタン的なものになってしまうのです。これを蕩減復帰していかなければならないのです。神側の妹がアベルです。その妹を中心に立てて、姉が一つになることによって、神様が本来創造した絶対主体の立場の氏族圏が生まれるのであり、サタン側の長女のほうを立てた場合には大変です。

 女性も、カイン・アベルの長子権復帰と同じように、姉と妹が家庭内において一人の旦那さんとの関係で喧嘩するようになったのだから、それを一つにしなければならないのです。その重要な女の家庭的使命をなして、外的カイン・アベル復帰とともに内的問題の復帰をしていくのです。最後は姉妹関係を超えて、エバ個人の問題まで解決しなければならないのが、家庭における女たちの使命なのです。

 この個人的エバの問題を解決することによって、すべての蕩減の峠を越えることができるのです。そのことが、歴史上に今まで展開してきたのです。そして、外的なものがカイン・アベルの長子権復帰なのです。弟が兄さんになり、兄さんが弟になるのです。そのように、二流を一流にするのです。女性も、妹が姉さんになり、姉さんが妹になって、一流になって帰ってくるのです。そのように家庭的問題を解決した場合に、次に個人的エバ自体の問題が引っかかってくるのです。

 長子権復帰はカイン・アベルの問題です。家庭的問題として、こういう絡み合いの兄弟圏の紛争が神の前に残っているのです。堕落した正妻圏の親子と、妾のほうの立場に立つ親子がいるのです。(図ー13、二九一ページを参照)そこで復帰の道は、妾を通して、第二番目を通してやらなければならないのです。ですから末の世になると、こういう問題が交差するので、神様は離婚を許さざるを得ないのです。離婚を許すことによって、少ない被害で神様に帰る道がたやすくなるというのです。そのような公式によって、神様は離婚を許さざるを得ないのです。

 それで、姉さんと妹を見た場合に、妾は男の世界と関係しやすいので、正妻を中心として回っていくのです。末の時代になると、男はみんな一人以上の女を持って大変な問題を起こすのです。一人の人が何百人とも関係するようになるのです。ですから、正妻も嫌がって「あなたがそんなことをするなら私もー」と、いうことになるのです。それで、金持ちの正妻なんかに燕の群れという言葉が生まれたのです。若い男を中心とした売春行為です。そのように、公娼街の男に金を渡して、「あなたがそうするのだから、私も男遊びをします」と、本当にそのようなことをするのです。そのことは、精誠を尽くしていけば、かえって神様のほうに必ず帰っていく開拓の道の方便であるともいえるのです。ですから、「罪多きところには恵みが多い」という聖書の言葉があるのです。

 末の時期は、悪いことばかりではないというのです。悪い者も末の時期には同じく救われる道もあるのです。妾が正妻を救うことができるというのです。ですから妾は、男を相手にしやすい環境になっているのです。それで正妻が神様に帰るには、妾を通して自分の主体者を紹介してもらうようになれば、完全に長子権、長女権を復帰することができるのです。だから家庭的にも男女関係が乱れていくようになるのです。切り替えする時には仕方がないのです。それで、その切り替えの時に、悪なる女も天のほうに帰れば、天の祝福を受けられるのです。反対に天のほうにいても信仰生活が悪かった場合にはサタンのほうに連れていかれて、悪なる女の立場に立つのです。ですから、「謙遜で素直な人になりなさい」と言うのです。

 このように家庭を中心として、歴史創世以来、子供をまとめてきたのです。それで家庭の外的な世界をまとめた後は、今から家庭的に内的なお母さんたちの収拾をしなければならないのです。お母さんが二人いては駄目です。一つになって、堕落した女の蕩減を逆に引っ繰り返さなければならないのです。そのことをみんなが分かることによって、完全に世界から家庭、個人まで超えていくのです。女によって堕落したのですから、女が重要な責任を持たなければならない時代になりました。

 それで末の世には、女性全盛時代が来るのです。女たちが男の妾をいくらでも持っていいという時代になったのです。堕落した時のことを考えれば、エバが二人の男を迎えたのですから、末の時期にも一人の男だけでは足りないのです。日本もそうです。女はいろんなことをやっているのです。ホテルなどを使って売春をする女もたくさんいるのです。この乱れた女たちをいかに収拾するかというと、この原理原則を知って、二流を一流にまとめて天の理想に帰る道を教えるのです。それは、全体から見ても否定できないものであり、自分たちが間違っていたことを知った場合には、それを正して回れ右をして帰るのです。

 これが蕩減路程なのです。世界的蕩減路程、家庭的に女が過ったことの蕩減路程、個人的女の蕩減路程なのです。男として、これを勝利的に超えていかなければ、本来の第二のアダムの立場に立つことはできないのです。夫婦になることができないのです。


ヤコブ家庭を中心とする摂理

 これ(先生が図―15を板書される)は個人個人の家庭を持つための世界全体の争いだったのです。今や、女たちの姉妹関係の戦いをいかに収拾するかということです。一人の男を中心として、神様一人を中心として、これを収拾しなければなりません。

 これを蕩減するために、神様が初めて四〇〇〇年目に着手する時、ヤコブを中心として蕩減復帰しなければならなかったのです。そして争ってはいけないのです。(先生が図ー15の@の中央に「×」印を入れる)争うようになっていないのです。それでヤコブは七年の契約をして、(図ー15のAを参照)ラケルをめとるようになったのです。いよいよ結婚の日を迎えて、ヤコブは男として有頂天の喜びと興奮の真っ最中に、結婚の初夜のいよいよ出発の時に、思いもよらないことが起きたのです。

 ユダヤの結婚式は、韓国の結婚式のようなのです。結婚の初夜には二本のろうそくをつけて、奥さんになる人が真っ白に化粧して、ほほに赤い丸を付けて部屋に入っていくのです。それでもし美人ではなく、気持ち悪いブスさんであったら、男は逃げていくのです。(笑い)

 ヤコブは、一夜明けて見た時に自分の妻がラケルではなく、姉さんのレアだったのです。あなたたちも、それを考えてみてください。これ以上の大変なことはないのです。「ワー、七年間の苦労はどこへ行ったのか」と、死んでしまいたいほど、気絶しそうになったのです。

 ここで問題は、なぜ神様が四〇〇〇年目に摂理を着手される時に、レアを加えることを許したのかということです。神様はすべてが分かっていたのに、なぜラバンのすることをそのまま放っておいたかということも問題なのです。しかし、それは仕方がないことなのです。神様が復帰を着手するに当たっては、堕落したエバを完全に復帰して、神様のすべてを相続して、奉仕する立場のエバが立たなければならないのです。そのような堕落した立場のエバがいなければ、妹のラケルもいないのです。

 堕落したエバの立場で、姉さんとして妹に侍るような女がいなければ、ラケル自体が神様に帰っても、母親として子供を持つことができないのです。原理的堕落論の観点から、二流系を現場で一流系にまとめていかなければならないのです。二流の女を持った神様の立場を蕩減しなければならないのです。それを蕩減しなければ、堕落の実際の現場を知っているので、神様は「そんなことはできない」と言われるのです。それで、仕方なしにそうせざるを得なかったのです。

 それで、どうなったかというと、姉のレアはまるっきりサタンの女として、男と女をすべて自分のほうにまとめてしまうのです。自分の身近な僕の女の二人と組んで、三人で十人の子供を生んだのです。一方ラケルは、一人で二人の子供を生んだのです。これらがみんな怨讐になっているのです。怨讐になって、そのまま永遠に残っていくのです。これを、いつかは解決しなければならないのです。このような内的な女の世界の絡み合いがあったということを、今まで人類は誰も知りませんでした。先生によって解決されたので、これらが一つになることができるのです。一つになった場合には、問題はないのです。

 このようにして、こっち(妾)が姉の立場で、こっち(正妻)が妹の立場で、絶対的に命令に服従していった場合には、(図―15のAを参照)二流が一流になって、これが長子権、これが正妻圏になって、これ(レア)が逆に妾の立場に立って慕っていけば、天に帰ることができるのです。天に帰って共に住むとき、妾は要らないかというと、そうではないのです。簡単に妾と言っても妹の立場であり、それが完全に一流の相対圏に立てば、堕落しなかった正式の女として、神様に向かうことができるのです。

 こういう絡み合いが、あなたたちの家庭にもあるのです。ですから家庭において、女がサタンによって堕落したのですから妾の立場が問題なのです。正妻と妾の立場です。みんなの家庭もそうでしょう。お父さんは天使長ですから、たくさんの女と関係するのです。そうすることによって、神様の愛の基台を破壊し、家庭をめちゃくちゃにするのです。家庭を守るのではなく、家庭をめちゃくちゃにするのです。嘘をついて、家庭を崩してしまうのです。それは、まるっきりサタンなのです。自分のお父さんであっても、そのような悪いことをするのはサタンの実体です。そうなると、子供も親を嫌って、絶対に親の後について行かないのです。そして、お母さんは毎日泣きずるのです。日本にも、そういう家庭がたくさんあるでしょう。

 天に背いて理想家庭を破壊する者は、滅亡の地獄に落ちていくのです。間違いないことです。ですからサタンを淫行の神と言うのです。それで、巫女たちはみんな品行がよくなく、男女関係が乱れていたのです。サタン的な女とサタン的な男は、男女関係が乱れていたのです。天的理想の家族愛の基盤を完全に崩壊しようとしているので、それにつながる者はすべてサタンと共に地獄に行くのです。これを解放しなければならないのです。神様の道は二流系をまとめて一流系にしていくのですから、逆説的論理を使わざるを得ないのです。妹を中心として姉さんを屈伏させて、妹が姉さんになって、姉さんが妹になるのですから、天地開闢時代が来るのです。

 すべてが反対になるのです。お父さんが子供になり、子供がお父さんになるのです。孫がおじいさんになり、おじいさんが孫になるのです。回れ右をするので、そうなるのです。先祖が孫の王様のための使用人になるのです。天地開闢という話があるように、理解できない時代がやってくるのです。お父さんが自分の子供に、おじいさんが自分の孫に毎朝、最敬礼をしなければならないのです。それをしないと、神の国へ入れないのです。回れ右をしないと、神の国へ入ることができないのです。おじいさんは孫の立場に、お母さんお父さんは、子供の立場に立つのです。白髪のおじいさんたちは、自分の孫に誰よりも奉仕しなければならないのです。そういう時代が来るのです。


蕩減復帰のイスラエル歴史

 神様は既成の家庭を祝福するよりも、汚れのない純潔な男と女を祝福したいのです。そのような、純潔な家庭は完成のほうです。男女関係をして結婚したのは中間のほうです。既成家庭の場合は堕落のほうです。それで、人間の三層を見ることができるのです。堕落した家庭と、イエス様との約束に従って新婦として新郎を待つような男女と、それから純潔な男女です。統一教会では、その三段階の先祖をまとめたのです。アダム家庭は自分なりに結婚した家庭です。

 ノア家庭は二番目です。イエス様の家庭を縦的にみた場合、横的なノア家庭は世界的に二番目であり、相対的に対比的に立つのです。ノア家庭は約束を守って地の条件は立たせたのですが、天の目的を果たすことができず、結婚理想世界はなせなかったのです。それで初めて着手したのが、ヤコブ家庭なのです。ヤコブ家庭から正式に蕩減復帰の歴史がつながったのです。

 こういう過ったことを正してきたのが、イスラエルの歴史です。十支派の北朝と二支派の南朝です。これがイスラエルの国とユダヤの国です。ユダヤとイスラエルの二つの国に分かれて争ってきたのです。旧約聖書の預言書を中心として、対峙国としてカイン・アベルのように戦っているのです。それを一つにしなければならないのです。

 ヤコブの血統を引き継いだ後孫が、なぜ兄弟で分裂したかというと、それは、お母さんたちのゆえです。

 お母さんたちが一つにならなかったのですから、子供たちが一つになれないのです。両親が一つにならなかったのですから、我々も心身紛争しているのです。それと同じことです。これを、どんなことがあっても正さなければならないのが、人間の最高の使命なのです。絶対になさなければならないのです。

 人生を遊び暮らして霊界に行けば、大変なことになるのです。霊界には、蕩減復帰という言葉がないのです。一方きりで終わるのです。家庭によって蕩減復帰は終着するのです。

 ですから、蕩減復帰時代に生きることのできる人生路程が、いかに貴重であることかしれません。どんなに苦労しても、七十年精誠しても、一生です。失敗すれば永遠無限につながるのです。遊び半分ではないのです。先生は遊び半分の男ではないのです。真剣な戦いをやってきたのです。あなたたちも真剣になっていますか? (はい)。

 真剣になっていなければ、このような蕩減の道を越えることは絶対にできません。生命をかけないといけません。ですから、死なんとする者は生きるし、サタンの圏内でそのまま生きたいという者は死ぬのです。地獄に行って永遠の生命の価値がなくなり、死亡圏に陥るのです。生きんとする者は死ぬし、死なんとする者は生きるのです。聖書は、こういう逆説的な論法を結論として教えているのです。ですから末の時期には、自分の最も愛する家族が怨讐になるのです。それを包容した場合には、この堕落圏内を逃れる道がないのです。それをけ飛ばして、それを押し込んで、堕落圏を抜け出る決死的な戦いをすることによってのみ救済されるのです。

 ですから、あなたたちの最も愛する者が、あなたの生命を永遠に引き取ってしまうのです。「学校に行って勉強をする」と言っても、勉強も何もないのです。金を愛する者は、金が自分の首を引っ張るのです。勉強して知識を愛する者は、知識が自分の首を取るようになるのです。権力をむさぼり、それを願う者は、それが自分の首を取るのです。女性に引かれていく者は、女性にやられるのです。分かりましたか? (はい)。それで、すべてを切ってしまうのです。だから「独身生活をしなさい。出家をしなさい」と、神様は教えてくれているのです。

 それで統一教会は、全部が統一できる基準をなし得たので「故郷に帰りなさい」と言うのです。これは、何千万年も人間が願ってきた希望の宣言なのです。福音の宣言なのです。それで故郷に帰るには、結婚して帰りなさいと言うのです。子供と共に帰りなさいと言うのです。統一教会の祝福家庭は、子供を抱えて帰るのです。「ワー、金がないから困ります」と言って、金のために回れ右をした場合には、全部サタンの側にやられてしまうのです。どんな難しいことがあっても、昆虫も生きているし、魚も生きているのですから、万物の霊長たる人間は、自分で開拓して堂々と生きていけるような権威を持たなければ、神様の創造に対しての反目になるのです。

 小さな昆虫も雄雌が共に生きているのに、魚も子供を連れても雄雌共に生きているのに、万物の霊長たる人間が、何ですか! 山に行けば食べ物もたくさんあるし、海に行けば食べ物がたくさんあるのです。けだものもたくさんいるし、昆虫もたくさんいるし、鳥もたくさんいるし、魚もたくさんいるのに、なぜ人間が生きられないのですか! ですから先生は、みんなに魚釣りを教えてきたのです。

 釣り針を作ることなど問題ありません。田舎に行けば、女たちはみんな縫い針を持っているのです。おばあさんが縫い針の使いものにならないものを持っていた場合には、「おばあさん一つ下さい」と言えば、みんなくれるのです。それで糸がなければ、ナイロンの足袋を解けば立派な糸になるのです。それで、いくら魚を釣っても切れないのです。ナイロンの糸は二倍以上の魚を引っかけても、一日中でも釣れるのです。ですから糸も針も問題ないのです。使いものにならない針があった場合は、ローソクを借りて、ローソクを灯して針が赤くなったところを、ペンチなんかで曲げれば、針も作れるのです。

 それで糸を結ぶ所をつくるには、中間にローソクの火を当てて、赤くなったそこをペンチでもってたたくと、これが広くなるのです。そこでその下に糸を巻けば抜けないのです。また餌は、どこにでもみみずがいるし、肉であれば何でも餌になります。そうして、釣り竿は要りません。この手一本で大丈夫です。このようにして、一日に十人、二十人でも食べさせることができるのです。魚を取って補給することができるのです。

 アフリカの低開発国家で、お母さんが五人の子供を連れて餓死していく姿を見た場合、なぜ死ななければならないのでしょうか? もし、お母さんが釣りの方法を知っていれば、五人の子供を食べさせることなど問題ないのです。川には魚が無尽蔵です。今回ブラジル行った時、いやー、魚の多いこと多いこと、先生は目が回ってしまったほどです。それは話にもなりません。いろいろな魚がいて、投げ網をした時には、網を引き上げることができないほどでした。それをみんなアフリカへ回したとすれば、村中の百軒の子供を皆、食べさせても余りあるのです。それなのに、なぜ餓死するのでしょうか? それは、部落の先祖たちが、先輩たちが教えてあげなかったからです。ですから、統一教会のメンバーは釣りとハンティングを覚えておきなさい。(はい)。

 今や、鉄砲はどこでも買えます。それを持って、鹿なんかを追っていくのです。鹿は山奥の低地の静まった所で水を飲むのです。どんなに遠くに住んでいても、いくつもの峠を越えて水を飲みに来るのです。ぞろぞろと朝の挨拶に来るのです。それで鹿を一頭取れば、一か月は食べて生きられるのです。

 先生は、こういうことをみんなに教えてあげるのです。アフリカの部落に行っても女たちを集めて、釣り針の作り方、釣りの方法を教えてあげるのです。「そんなことは知らないし、できません」と言っていても、魚を捕って子供たちに食べさせるので、みんな有名になります。「あー、統一教会は素晴らしい。西洋の宣教師は、自分たちの家にあったものをみんな取っていったけれど、統一教会の人々は餓死しようとしている者を生かしてくれる」と。それで、「救世主が来られた。メシヤだー」と証しできるのです。

 メシヤは、日本では食堂の親父ですね。(笑い)なぜ笑うのですか、そうでしょう? 肉体を救済する食堂の親父なのです。霊肉共の食堂の親父が必要なのです。先生はそういうことやっているのです。霊的な親です。何か食べさせて、弱った者を元気づけるのです。そうすると、日本を越えて勝利を誓うようになるのです。霊的な食べ物を食べて元気づけられると、そうならざるを得ないということは当然のことです。ですから、霊肉共の食堂の親父なのです。そうすることで、実感的になるのです。大変なことになりました。


北朝と南朝を一つにするエリヤの使命

 そのようにして、北朝十支派はレアの派閥の系列になるのです。ユダの二支派の国家が、それと戦ったのです。家庭の統一ができないので、国家的紛争圏に拡大したのです。国家を治めるのは父母なのです。国家的な父母が来られて、これらを一つにさせなければならないのです。神様はそれを知っていて、エリヤという預言者を立てて警告してきたのです。「北朝と南朝は兄弟であり、同じ親の子供である。互いに血を見て争うような歴史的な紛争の元になる不安をつくってはならない。共に相談して、一つになることを誓いましょう、やりましょう」と言うと、みんな「それはそうだ」と喜んで答えたのです。

 そのように決めて、「我々はほかの神を信じることはない。真の神を信じる先祖を持っていたのだから、真の神が我々の先祖を助け、我々に先祖をつないでくれたのだから、その神につながらなければならない。異邦人の神と関係を持っては駄目だ」と言ったのですが、北朝イスラエルはバアル神とアシュラの偶像を崇拝する邪教国家になってしまったのです。それで、いつも争ったのです。

 それで、「試しに、神様に祈ってみましょう。あなたたちの侍っているバアルの神、アシュラという偶像崇拝の神が本当の神かどうか、今から祭壇をつくって祭物に水をかけましょう。その祭壇に天から火を降ろして祭物を焼いてしまう力を持っているほうが、本当の神です」と言うと、北朝も南朝も「それに従いましょう。そうしましょう」となったのです。

 そこで、北のほうにはたくさんの人々がいて、偶像崇拝の祭司たちと共に八五〇人集まって、エリヤ一人に対決したのです。それで当然、八五〇人が祈れば、自分の信奉する神のほうが奇跡を起こして、祭壇全体を燃やしてしまうに違いないと思ったのですが、いくら祈ってもそんな現象は何一つ起こりません。そこで、「あなたの神はそれができないのだから、私が一人で祈る番です」と、八五〇人対一人で、神様に祈ると天から火が降りてきて、八五〇人の祭司と共に祭壇の祭物をみんな焼いてしまったのです。

 そこで北朝も南朝も共々に、万歳をすれば本当の神様になるべきなのに、「今まで習慣的に侍って、生命をかけて信奉してきた祭司たちを殺した。ワー、この野郎!」と。長老をはじめとして、全部が競ってエリヤを捕まえて殺そうとしたのです。それでエリヤは山に逃げていったのです。神様の命令どおりにやったので一つになると思ったのに、一つになれないで、こういう死の境地に追われて、自分の生命を神に献げなければならないという非常な立場で、「神様、こういう結果になったのですから、私の生命を取ってください」と祈ったのです。

 そこで、神様の意志は何かというと、「いまだに七〇〇〇名のバアルとかアシュラの偶像の神に服さない者が残っている。どんなことがあっても、再びこれを一つにしなければならない」というのです。蕩減復帰はプラス・マイナスの兄弟圏をなさなければ、神の立つ中心がないから、絶対的要求として命令したのです。エリヤはそんな公式も何も知らないので、ただ祈ったのですが、君たちは公式を知っているのですね。分かりましたか? (はい)。これは先生の作り話だと思いますか? もともと原則としてあったことだと思いますか? (原則としてあったことです)。

 それで、これらを一つにすることができれば、イエス様が来られる時が近いというのです。このカイン・アベルを一つにしなければ、再び国家的メシヤとして来られるお父様を殺してしまうことになるのです。大変なことです。エバが堕落してアダムを殺したことを、再び神のほうにもとがえしてあげ、その権限を神共に一体とするためにアダムとして来られた方を殺してしまったらどうなりますか! 神様が直接働いて再創造する道を、平面的に復帰していかなければならないと大変なことになるのです。

 それで神様は、「メシヤが来られる前に、再びエリヤを送る」と言ったのです。このような内容をイスラエル民族は知らないのです。先生によって、みんな知ることができれば神様がエリヤを送るのも当然であり、イエス様の前に、イスラエル民族がユダヤ教を信じて一体になるのも当然だと思うのですが、当時はエリヤ自体も分からないことだったのです。堕落して何も分からなくなった先祖から生まれた後孫だから、根本と結末がはっきりしないのです。あなたたちも同じです。

 先生は、完成した真の父の立場です。堕落圏のアダムの先祖とは違うのだから神様と相談して、「すべては愛の関係を結ぶことである」ということを明白に分かるようにしたのです。それで、出発がはっきりしているし、過程がはっきりしているし、結果もはっきりしているので、終末にはどのようにして神様に帰ることができるかということを教えることができるのです。ですから、そういうことを教えることのできる人こそ、真の親でなければならないということはもっともな話であるというのです。偽りと無知によって堕落したので、これを文明のルーツの立場から復帰するということは、もっともな話なのです。ですから、真の父母はどのくらい必要ですか? (絶対に必要です)。

 あなたたちは、「良心は神に優る」と言うのですが、そのようになったら、真の父母は要りますか、要りませんか? 神様の相対圏に入ったならば、必要ないのです。君たちが真の父母になるのです。真の父母が必要なのは、自分も真の父母を相続して、二代目の真の父母となり、三代目の真の父母になるためです。そうなれば、サタンと真の父母は永遠に関係がないので、あなたたちも完全勝利なのです。完全に神様と地上で永生が伴うので、希望の世界は言うに及ばないのです。分かりますか? (はい)。これは重要な話なのです。


「真の父母と成約時代」の宣布

 イエス様が来られた時にユダヤ教徒とイスラエル民族は、なぜイエス様を殺すようになったのかというと、それはエリヤが来なかったからです。メシヤが来られる前にエリヤが来て、メシヤの行く道を正すというマラキの預言があったからです。それでイエス様より先に、エリヤを探し出さなければならなかったのです。なぜそういうような内容を神様は預言させたのかというと、人間が神様をだましたからです。ですから蕩減復帰によって、神様は人間をだまさなければならなかったのです。

 悪いことをした者は、ただでは祝福されないのです。相続されないのです。試験にパスすることによってのみ相続することができるのです。ただでは相続できないのです。悪いことをした以上の内容の試験にパスした場合に、相続し得る道が開けるのです。無知によって堕落した者は無知の条件でもって蕩減復帰しなければならないのです。こういうことを知らなければ、いくら聖書を読んでも神様を知ることができないので、聖書を信じるとともに否定しなければならない立場に立つのです。肯定圏をいかに探し出すかというと、人間が神様を否定したので蕩減復帰の原則によって、人間は神様に否定されるような立場に立たされることによって、その穴が埋められていくのです。それが蕩減復帰なのです。

 先生も、これまで神様にたくさんの試験を受けてきました。啓示では、「ワー、君、文鮮明はこのようになる。大変なことになる。必ず高い所に上げる」と約束されたのに、必ず牢屋に入れられたのです。しかし、それは間違いではないのです。先生は牢屋に入って、それで死んでしまうのではなく、必ず跳躍、飛躍していくので、統一教会も必ず発展するのです。先生はダンベリーから出て七年目に、「真の父母と成約時代」を超国家的にアメリカ国会で宣言したのです。これ以上の勝利はないのです。(拍手)ですから、迫害は悪いことではないのです。迫害の後には、必ず祝福されるのです。

 若い時にむさぼり食って遊んだ者は、老人になって乞食の従兄弟のようになるのです。若い時に苦労する者は、老年になって楽するようになるのです。登り坂があった場合には、必ず下り坂があるのです。世の中は、そうなっているのです。平地があまり続く所では病気になるのです。住む所がないからです。山には、休む所があるのです。岩によりかかって寝ることもできるし、洞穴があれば、そこで寝ることもできるのです。平地に行ったら蛇ばかりです。みんな恐ろしいものが、その穴の中に入っているのです。ですから蕩減が必要なのです。蕩減を通過した場合には、峠の上の高原地が現れるのです。永遠の高原地は、理想郷になるかも知れないのです。

 ですから、自分が必ず偉くなろうとすれば、それに相応して、偉い人にならないようにと引っかける者を乗り越えることによって、その引っかけた者の世界を指導することができるようになるのです。全世界が文先生に反対しても、それを乗り越えているので、文先生はその世界を神様の立場で指導する道が開かれていくのです。文先生がここまでやって来れたのは、自分一人の力ではないのです。神様と共にやってきたからです。今でもまだ行かなければならない道があるのです。

 きょう、そのような先生に対して、自ら模範的な社会、国家をつくりますという計画を持ったアベルの国が、「文先生以外に頼れる方はいません。国を挙げて歓迎いたします」という答えをしてきました。皆さんは、それをやりましょうか、やらないでいましょうか? (やります)。日本人に血と汗と死ぬような苦労をさせても、世界が望むような国をつくりましょうか、日本人は見物人として後ろのほうにおいて、何もさせないようにして、それを黒人にだけさせましょうか? (日本人がやります)。黒人にさせた場合に、その黒人が神様の王子になるのです。王様になるのです。

 それで、先生はきょう、会議で「私は韓国人ではない。天国の王子である。全体を平安にするため最も素晴らしい国をつくるのである。私を頼ってはならない」と言ってきました。先生は、これから南アメリカに行って、ブルドーザーの運転手になるのです。開発の先頭をきって、朝の五時から十二時まで働き続けて、若い者がみんな逃げるような仕事もしなければならないのです。大変なことです。八十歳に近いおじいさんが、そんな死ぬような恐ろしいことを平気で言うのは、大変なことです。

 そんなことを先生がやれると思いますか? どうですか? 先生が老人みたいに見えますか、青年みたいですか? (青年みたいです)。目と言葉はそうですが、髪や顔はみんな老人に間違いないのです。気を失って倒れても、一人では起きられないことがいくらでもあるのです。しかし、先生が現場で倒れることによって、統一の勇士たちは先生の後について全世界で奮起して、先生が生きてやるより以上のことのなされる道がなきにしもあると思うのです。死ぬ時は、きっぱりとしなければなりません。

 それで平和という問題は、どこでも大問題なのです。両方の目が戦いますか? もし戦ったら大変です。口も三ミリ片寄った場合には話しにくいのです。振動数が違えば、大変なのです。相対関係が合うことによって、相応の平和の境が合うことによって、正式な振動によって自由に言葉が語れるのです。耳もそうです。左右が違った場合には、苦しみが生じるのです。宇宙がそうなっているので否定できないのです。


神様の心中の悩みは人間の救援である

 メシヤが来られる前にいかに北朝と南朝を一つにするかという、神様の心中の悩みを知る者は世の中に一人もいませんでした。エリヤ自体も、そのことを知らなかったのです。ただ神様は命令する方であると思っていたのです。もし、文先生みたいに明白な解説ができたとすれば、イスラエル民族が一つになれるように教育するのは当然なのです。知らなかったのです。それは堕落の後孫として生まれてきたからです。その元を探って乗り越える者が一人もいないので、歴史は回り回って連綿として今までつながってきたのです。自分を中心として解決できるかというと、それもできない後孫の道が続いてきたのです。ですから、それを知った場合には、もう休めないし、疲れないのです。

 さて、金を持って何をするというのですか? 人間を救うのが神様の目的なのです。神様には、金なんか要りません。救援の目的を最も大切にするのです。そうですか、そうではないですか? 知識を持って何をするというのですか? 知識は要らないのです。子供を生んで罪のないいい親になれば、それでいいのです。習う必要はないのです。先生は習って、こういうことが分かったのではないのです。神様と一つになることによって、すべてが分かったのです。祈ると、すべて前後がはっきりとするのです。それを判定して、判決を下すという問題ではないのです。

 あなたたちの家では、お父さんを中心として、お母さんが喧嘩をしますか、しませんか? 喧嘩をしない父母を持った人は手を挙げてみなさい。口喧嘩はしたでしょう? 布団の中でも喧嘩するのです。子供には恥ずかしいから、口にも出さないで、顔にも表さないで、喧嘩もしない夫婦がいるでしょうか、いないでしょうか? それはいないのです。

 それで問題は、みんな旦那さんと奥さんの愛の問題なのです。親と子の関係も愛の問題です。兄弟関係も、「お母さん、私を愛してください。姉さんだけを愛して、私のことは何でも無視して困ります」と言うのです。困る(小丸)と言うのだから、半分は堕落圏です。百丸になったらいいのです。今から、統一教会は困るという言葉を使ってはなりません。百丸です。(笑い)困るを使うと、日本人は半分にしかならないのです。ですから、エバ国家です。困るというのは、男女の愛の動機によってそうなったのです。それは否定できません。男と女を中心とした愛の問題を完璧に解決していけば、紛争も差別もないのです。ぶつぶつ不平を言うこともないのです。本当か嘘か、やってみなさい。文先生の話を信じることができるかできないか、やってみなさい。

 それで平和の境に立つか、統一の一体圏の家族になるか、それを試してみれば文先生はそれほど悪くないというのです。「絶対に信じたい。追っかけて行こう。つかんで行こう」とするその時に、もし先生が霊界に行っていたとしたらどうしますか? 地上には、長くはいられないのです。今、先生は準備をしているのです。いつまで生きられるか予想して生きているのです。日本人は、「早く文先生が亡くなればいいな」と思うのでしょう、そうでしょう? (いいえ)。「先生が亡くなればいいな」と思っていた者が、この場に来て、二日間先生の話を聞いてみて、今でも亡くなればいいと思いますか、亡くなったら困ると思いますか、どっちですか? (困ります)。それは、小丸か百丸か、大変な革命が起こりました。

 こういう素晴らしい内容を人類五十億の前に、先生が四十日間ラジオとテレビで放送した場合には、世界の三分の二以上の人々が回るのは間違いないことです。そう思いますか? (はい)。大変なことです。それを四十年間も邪魔してきたのです! 四十代に天下の王者として立つべき者が、それに向けて八十代で準備をしなければならない悲惨な立場に立っているのです。そのようになってしまった相対のエバとは一体何かというと、世界と国を売った者たちです。

 韓国をはじめとして、世界中のすべての国々も反対してきましたが、反対した者はみんな統一教会によって、サタン以外は統一されるのです。不思議なことです。統一教会を撲滅させるために戦った者たち、右翼・左翼が一つになって、「ワー、統一教会除去運動」と、やっているのです。よくもサタンはすべてを知っているのです。アメリカと日本とフランスとドイツで共に、文先生打倒運動をしているのです。それで、どうなるかというと、負けそうな現状が目前になってくるとイギリスなどは利口なもので、十三年間の法廷闘争をみんな下ろして、統一教会に裁判費用の弁償をして後退していったのです。

 日本はどうですか? 利口ではないですね。霊界では教えているのに、日本語の基準が低いので、天宙的な高い理想郷のことを分からないのです。

 先生の大叔父さんは、愛国者として死んだのですが、どこで死んだのか誰も知らなかったのです。しかし、夢で孫に現れて「私はこういう住所の地に埋められている」と、その住所を霊界から教えてくれたのです。それで、その言葉を記録して手紙を出したところ、返事もきたのです。それで、そこに行って、おじいさんのお骨を取り出して、今はソウルの北のほうに埋められているのです。

 地上において功労のある者は、地上に関係を持って、横的に自分の後孫につなぐ道があるのです。しかし、それをなすのは愛なのです。国を愛する愛の因縁で、自分の血を流し、生命を献げるような極致において感謝された者は、地上でも解かれる道ができるのです。地上で完成したアダム家庭は、いつでも地上に降りてきて後孫を指導することができるという話です。

 そのような愛国者の後孫が文先生なのです。これは、世界が反対するとしても変わりません。四年前に国家から愛国者の家族の勲章をもらったのです。それで先生の家の教えは、「万民に御飯を食べさせてあげなさい」ということです。「通りすがりの乞食とか、貧しい人々が、自分の家の門前で一泊の宿を願ったり、食べ物を願ったならば、絶対にそのまま帰してはいけない。食べさせて、泊めてあげなさい」というのです。ですから、先生の家には別棟があって、そこにはいつも十人、二十人のお客さんが泊まっていたのです。

 そういうことを教えられて育った先生ですから、今では世界の人々を食べさせているのです。そして、その人々が帰る時には、「この一家が栄えますように」と、みんな涙して帰るのです。あまりにも自分の生涯で忘れられない待遇をされたので、自分の住所をちゃんと記入して、「私は今、乞食のような生活をしているが、いつか時が来た場合には、あなたに驚くほどの幸運を与えることでしょう」という手紙を残していった人もいるのです。


残された天使長の立場の使命

 奉仕して犠牲になれば先祖の中心に立つという鉄則は、一家の教訓のとおり、一族においても変わらないのです。先生は学生時代から今までそうやってきたのです。「統一教会は、みんな幼虫がさなぎになって、それでおしまいだ。蝶になれない失敗の男だ」と言われてきたのですが、そのような人の言うことを聞いて、人の後をついて行くような先生ではありません。「私の手で天下を統一する。神様を解放する。南北統一は私の手によって、世界統一は私の話によって成す」と言った時、そのことを誰が信じましたか?

 今から五十年前は牢屋に追い込まれて、今にも死にそうな姿で出てきたのに、その後も堂々と語り続けている先生なのです。それで、「いつまでも気違いが直っていない。万年気違いだ。希望なき者だ」と思われてきたのですが、今では統一教会の教祖として、日本の素晴らしい人たちを前にして堂々と語り続けていく人になろうとは、誰も夢にも思わないことです。

 君たちは先生の弟子ですか? (はい)。本当ですか? (はい)。これが二日前だったら大変です。気持ち悪くて、憎悪一発で切り込んでくるような立場だったのですが、今は、そういう憎しみが一身にあふれてこないことを感じた場合には、既に変わった皆さんを発見せざるを得ません。そうですか? そうだと言う者は手を挙げてください。(はい!)。ありがとう。

 その手をみんな記念として、残しておきたいものです。こんなことは日本の歴史にないことです。二日間で顔も知らない者たちが、反発心、憎悪を超えて、みんな一つになって、統一と平和のために手を広げて「万歳、統一」と。一つになったその手は素晴らしいのです。その手を博物館に永遠の記念に残しておいても恥ずかしくないというのです。そのために喜んで血を流して死んでいった場合には、それを見て、「そんな人間がいたのか」と、大変革の大革命を来たらすこともできるのです。今は普通の人間が必要なのですか、特別な人間が必要なのですか? (特別な人間です)。

 かつてエリヤは、メシヤの来られる前に統一の道を約束して火の車に乗って昇天したので、再び火の車に乗って降臨してくるものと思ってイスラエル民族のユダヤ教徒は待っていたのですが、いまだに現れません。永遠に現れません。彼らは、完成は地上でなされることを知らなかったのです。

 文先生は、それを知ったのです。旧約時代に失敗したことを蕩減するのがイエス様と洗礼ヨハネだったのです。天使長が堕落したために、復帰された天使長がアダムの前に立つのです。イエス様はアダムであり、復帰された天使長の立場が洗礼ヨハネなのです。洗礼ヨハネは罪を隠すような悪魔の天使長ではなく、罪の背後をすべて明らかにして、それを国家と国民に教えてあげて、アダム圏のイエス様につなぐようにする天使長の使命を持って現れるべきなのです。天使が堕落したために蕩減復帰の立場で、そういう条件を立てざるを得ないのです。

 ですから、イエス様は完成していないのです。堕落したアダムと同じなのです。国家的基準の勝利基台は持っているのですが、世界基準になっていないのです。それは、ちょうど完成した真の父母の前における未完成なる天使長の立場です。これは、旧約時代にエリヤとイエス様が失敗したことを蕩減復帰するために、洗礼ヨハネの代わりにイエス様が再臨の主の来られる前に、天使長として雲に乗って来るという話です。

 ですから、イエス様は雲に乗って絶対に来ますか、来ませんか? (来ません)。クリスチャンは、絶対に来ると言うのです。ここに集まった者たちはどうですか? (絶対に来ません)。先生が「絶対に来る」と言ったら、どうしますか? (絶対に来ません)。何億万年たっても来ないのです。先生が利口ですか、 クリスチャンのほうが利口ですか? (先生です)。不利口な者はサタンに属し、利口な者は神様に属するのです。なぜかというと、全知全能で何一つ知らないことのないのが神様ですから、はっきりと知っているに違いない神様は滅びることはないという結論になります。ぼやけていたら駄目です。十二時近くなるので眠っているのではないのですか? (目を開けています)。

 おじいさんたちは目の前を迷いの夢が行ったり来たりしているのです。おじいさんたちは先生を芳しく思わないのだけど、若い青年として先生をはっきり歓迎し、喜ぶという話です。そうですか? (はい)。「そう」は何ですか? (牛です)。牛ですね。正義に正しく奉仕して、犠牲になることです。ですから牛を尊奉しなければならないということは、正しいことです。牛より以上に犠牲になりますか、牛より以下の犠牲になりますか? どうですか? (牛より以上です)。牛に優るのです。それには奉仕し、犠牲になることで、牛の王様になるのです。祭物の王様になるのです。そのように、神様を直接に迎え入れる祭壇にならなければならないという話です。分かりましたか? (はい)。


ヨセフとマリヤの心境

 家庭の不和を、誰が責任をもって統一させるのでしょうか? 歴史は、このことを願っているのです。歴史は生きているのです。死んではいないのです。分かりますか? (はい)。いつかは、それをある家庭が収拾しないと、何万年も繰り返しながら、だんだんだんだん小さくなって、影も形もなくなって、方向転換も分からないような者になって消えていくのです。歴史上で、そういうことを知りたくて、たくさんの先祖たちがもみ合ってきたのですが、みんな失敗者として流れていったのです。

 あなたたちも同じような公式を行くべきなのです。文先生の教えによって、その公式の綱を持つようになったのに、それを離すのですか、離さないのですか? その縄を離すのですか、離さないのですか? (離しません)。では、手が折れた場合はどうしますか、両手がみんな折れた場合はどうしますか? 足では握ることができないのです。(笑い)首が抜けたらどうしますか? そうなると、胴体に巻いてでも頑張りますか? 胴体です。胴体に巻いてでも頑張るのです。それがみんな切れてしまったらどうしますか? 切れたら、おしまいだと思うのですね。しかし、その後ろに神様がちゃんと持っているのです。心配することはありません。そういうことがいくらでもあるのです。

 先生の歴史は奇跡の連続です。その話をすれば、みんな逃げていくような内容をたくさん持っているのですが、先生は、そんなことは言わないのです。分かりましたか? (はい)。

 それを理論的に正してあげて、万民に消化させなければなりません。奇跡は一瞬になすことであって、永遠には通じません。しかし真理は永遠に通じながら、いくらでも奇跡を起こすことができるのです。奇跡を行うといって、威張ってはなりません。真理を持った場合には連綿として、万年を通じていくらでも奇跡を起こすことができるのです。ですから真理を求めなければならないのです。

 霊的現象は幻になって消えていくのです。そのような幻みたいな世界のことを、みんなに分かるように、理論的に体系をまとめたということは大変なことなのです。

 それで、この原理の本を見て日本のある人が、今から三十年も前のことですが、「二億五千万ドルを上げますから、この本を売ってください」と言ってきたのです。それで、「何をするのですか」と聞くと、「この本の内容は、天下を治めても余りあるからー」と言うのです。あなたたちも、二億五千万ドル出しますか? それ以上でも出す肚がありますか、ないですか? (あります)。あるのですか、ないのですか? その十分の一でも出してみなさいと言えば、みんな逃げていくのでしょうか。一万ドルすらできないと言って、後ろにさがって横に流れてしまうような顔をした者がたくさんいます。ですから日本がぺちゃんこになるのです。先生が何回も言っているように、大変です。文先生の警告は決して生易しいものではありません。

 先生の言ったとおりになっていくのだから、恐ろしいのです。先生が手を着けた場合には、歴史上に大変なことが起こるのですから、それもできないのです。分かりましたか? (はい)。めちゃくちゃに取り扱うことができないのです。おじさんも分かりましたか? (はい、分かりました)。あなたも声を出して、「はい」と聞こえるようにしないといけません。半分寝ている人もです。(分かりました)。(笑い)こういう話もしないと、先生も眠くなるのです。

 このような家庭の紛争をいかに正すか? 歴史的神の恨みを誰が解いてくれるかということを、歴史を通して整備しなければならない運命が残っているのです。ですから、それを正すために、歴史上にイエス様の家庭が現れるのです。イエス様のお父さんは誰ですか? (ザカリヤです)。誰から聞いたのですか? そんなことを言えば、みんな殺されるのです。もし五十年前に、そんなことを言った場合には殺されるのです。聖霊によって身ごもったとあるのですから、お父さんがいるはずはないので「何という馬鹿なことを言うのか、歴史的事実を破壊する悪辣な悪魔の異端者だ!」と言われるのです。これは大変なことです。「本当に、イエス様のお父さんはザカリヤですか?」と聞いてみなさい。祈祷して聞いてみたくないですか? (聞いてみたいです)。

 もし四十年間祈祷しても、それを教えてもらえなかったらどうしますか? 始めたことが大変なことになるのです。その時は、文先生に言われたから一〇〇パーセント信じたけれど、四十年間祈祷しても答えが得られなかったら、死ぬこともできないし、帰っていくのも大変です。そういうふうになるのです。ですから祈祷しなくてもいいです。文先生以上に真剣になって、この問題を解決した人はいないのです。イエス様に会って、また多くの問題のきっかけをつくった人たちにみんな会って、そこで談判をして決めなければ、このような結論は出すことができないのです。

 これがザカリヤです(先生が図―16を板書される)。家庭的地上定着で紛争をしたのですから、国家的定着の家庭において、これを解決しなければならないというのは、もっともな話です。それで、同じように正妻の立場に立ったのがエリサベツであり、妾の立場に立ったのがマリヤです。そして、エリサベツの子供が洗礼ヨハネです。こっちがイエス様です。(図―16の洗礼ヨハネとイエスを参照)エリサベツとマリヤは、お母さんたちを中心として従姉妹関係です。ですからマリヤは、エリサベツの家に三か月も行って住んだというのです。聖書にも、行ったり来たりしていたという内容が記載してあるのです。

 そういう因縁の家庭的背後を見てみるとき、姉妹でもって紛争すべきでしょうか? エリサベツは、妹のマリヤを旦那さんに抱擁してやるように案内してあげたのです。こんなことはあり得ないのです。なぜ、こんな非法的なことをやらざるを得ないかというと、元に帰っていくには、非法的な堕落の血統的愛の基盤の上にあるので、正法の伝統的な道では戻っていくことができないのです。非法的でなければ戻っていく道がないのです。

 そもそも、非法の出発をしたのですから、その非法の起点に行って、そこから正法の道に戻っていかなければならないので、非法の要素を見せざるを得ないというのです。ですから、「罪多きところでは恵みも多い」という聖書の言葉も逆でありながら真なのです。

 こういうふうになって、(図―16のエリサベツとマリヤを参照)ここは反対しましたか、歓迎しましたか? (反対しました)。これを一つにするのです。それでイエス様に反発するのです。その当時、娘が男女関係で子供を孕んだ場合には、石打ちの刑にされるのです。分かりますか? (はい)。もしマリヤが、姉さんの旦那さんを乗っ取ってそうなった場合には、直ちに殺されるのです。イエス様も殺されるのです。

 それで、何回も自分の生命を救ってくれた旦那さんのヨセフを、マリヤが信じられないとしても不思議ではなかったのです。もし、その内容を家族に明らかにした場合には、石打ちにされて生命がなくなるのです。「生命を守ってあげた恩人の旦那さんに対して隠しごとは必要ない」と言っても、それだけは言うことができないのです。夫婦喧嘩はナイフで水を切ったのと同じようなもので、喧嘩しても後に残らないようになるのだから、いつその秘密を言ってしまうかも知れないのです。それが分かった場合には、一族が大変なのです。ザカリヤも法律を犯した場合には、大変なことになってしまうのです。ですから、それを防備するために、生命をかけてマリヤは「聖霊によって身ごもった」と言う以外にはなかったのです。

 それで、イエス様のためにマリヤとヨセフはいつも争ったのです。聖書を見れば、十二歳の時イエス様は父母と共にエルサレムの記念祭に行ったとあります。そこでお母さんは、イエス様が信仰的な面でもって祭司長と語り合う光景を見て、「あなたは偉いと思うだろうが、私はそうは思わない」と言って、喧嘩して帰ってしまいました。イエス様をそのままにして帰っていったのです。

 子供を聖殿に残して帰ってきたので、三日後に、部落の人に「子供を連れて行ったのに、どうしましたか?」と聞かれたのです。それでイエス様のことが噂になって、私生児であるということで、部落中でみんながあざ笑ったのです。そして夫婦喧嘩する時には、いつもイエス様のそういう噂をされたのです。

 ですから、そのような環境に押し込められたマリヤの心境は、どんなに辛かったことでしょうか。大変なことです。ヨセフに、「父親は誰なのか?」と聞かれるたびに、それを教えることはできないのです。分かりますか? それを話した場合には一族がめちゃくちゃになるので、口を開くことができないのです。

 イエス様が聖殿で祭司長たちと語っているところを見て、「なぜ、今までここに座っていたのか? なぜこんなに長く、ここにいたのか?」と父母が言った時、イエス様が言うには、「私が父の御殿にいることを知らなかったのか?」と。それは、反発の言葉なのです。


イエス様の結婚問題

 それから、またイエス様がカナの遠縁の親戚の結婚式に行った時、その日イエス様は何も食べていなかったので、イエス様が昼食を食べようとすると、そこにいたお母さんが、酒がみんな切れてしまったという話を聞いて、イエス様が死者を生かしてあげたり、何でもできることを知っていたので、「貧しい親戚の家で葡萄酒がなくなったので、あなたは何でもできるのだから何とか解決できないか」と言ったのです。そこで、イエス様は水を汲んでくるように言って、葡萄酒を作ったのですが、その時イエス様は、「女よ。あなたと私とは何のかかわりがあるか」と言ったのです。

 このことを、聖書は「イエス様は、この世的な愛情ではなくて、天的な心情で言った言葉である」というのですが、馬鹿なことを言ってはなりません! 三十三歳にもなって、結婚もさせてもらえずに出家したイエス様なのです。それはマリヤも知っているのです。分かりますか? カナの結婚式は、親戚の貧しい二十代の青年の結婚式なのです。そのような結婚の祝いの場で、親戚の者を重要視して自分の子供をでたらめに扱ったお母さんなのですから、イエス様が「何のかかわりがあって、こんなことを言うのか」と言ったのは、反発の言葉なのです。そういう内容を、聖書ではまるっきり反対に解釈しているのです。理解できますか? イエス様は三回も結婚させてくれるようにと言ったのです。

 これは、聖書で最も大事なことです。イエス様はなぜ三十三歳になっても結婚できなかったのでしょうか? 結婚すればよかったのに、結婚すれば家庭ができて、イエス様の子供が残ったはずなのです。王家が残れば、ローマの宮廷も、ローマの法王もいらないのです。イエス様が結婚して子供を残した場合には、イエス様の直系ができるのです。イエス様は万能の王なので、ローマ法王なんか要りません。イエス様の後継がローマ法王庁を維持して、イエス様の血統を直系関係でもって横的に展開して、王族圏の一族として世界をみんな治めるべきだったのです。それを知らないイエス様ではなかったのです。

 なぜイエス様が結婚できなかったかというと、結婚するには、蕩減原則に合う道を立てないといけないのです。先生もそうです。お母様が美人だからといっても、それだけでは駄目なのです。蕩減原則に合ったので、結婚できたのです。それをなし得なかった場合には、結婚できないのです。そうでしょう。天下をなだめる平安の父、定着の母になるのです。宇宙の母は、でたらめな女ではできないのです。恋愛で出会うような者ではいけないのです。

 なぜ、イエス様は結婚できなかったのでしょうか? これは大変なことです。今日、こういう関係を見た場合に、(図ー16のエリサベツと洗礼ヨハネ、マリヤとイエスを参照、三三三ページ)親と子はプラス・マイナスとして一つになったのだけれど、マリヤとエリサベツがプラス・マイナスとして一つになっていないのです。これが一つになっていないので問題になったのです。これをいかにして一つにするかというのです。イエス様が結婚することを洗礼ヨハネとエリサベツが歓迎した場合には、家庭的に二代の親子関係の問題が解決するのです。この問題を解決して二流を一流にさせていく道を、国家的定着圏の王権で成立させなければならないのです。

 なぜ、それが一つになれなかったかというと、問題はイエス様の結婚問題になるのです。イエス様も三十代で、洗礼ヨハネも三十代なのです。洗礼ヨハネはイエス様が結婚した後に結婚しないと、神様が許さないのです。イエス様が摂理的長男で、洗礼ヨハネは弟になるのです。分かりましたか? (はい)。逆行することはできないのです。兄さんをさておいて、弟が先に結婚することはできないのです。しかし、洗礼ヨハネは結婚を待ってあげられなかったので、ヘロデヤの誘いにのって首で蕩減されて死んでいったのです。

 なぜ、そのような悲惨なる立場になったかというと、蕩減復帰においてなすべき使命に一致しなかったからです。洗礼ヨハネが死んでしまったために、相対関係としてプラス・マイナスが立たないから当然、イエス様も宇宙力から追い出されることになって十字架という運命の道を、理論的結論として迎えなければならない立場になったのです。これが、公式からみた判断です。

 それで、もしイエス様が結婚したとすれば、天国を中心として、天と地、プラスとマイナスが一つになるのです。そうなると、宇宙力と天運が保護するようになるのです。みんな、こういう公式になっているのです。

 しかし、イエス様が妻を得るには、そのための原理原則が必要なのです。それで、イエス様はアベルの立場です。(図―16を参照、三三三ページ)分かりますか? 洗礼ヨハネはカインの立場であり、天使長のカインの立場です。天使長はアダムの何を取っていったかというと、妹を取っていきました。エバはアダムの妹です。それを天使長が取っていったのだから、同じように蕩減復帰は、洗礼ヨハネの妹をイエス様が復帰してこなければならないのです。

 それがなされないと、イエス様は結婚できないのです。イエス様はかわいそうです。悲惨な立場です。女性がたくさんいても、一人の女性も迎えることができずに、国家を超えて世界を代表したお父様となるべき方が十字架に付けられていったのです。

 こういったことは、誰も知らないことです。これは、蕩減復帰だけにしか残されていない公式です。分かりますか? (はい)。マリヤが反対するのですから、イエス様は一つになれないのです。みんなが反対するのです。どこでも反対されるのです。エリサベツとマリヤが一つになって生命をかけた場合には、ザカリヤも、エリサベツも、ヨハネも、この結婚を許すことができるのです。なぜかというと、洗礼ヨハネの妹はイエス様の何ですか? 何の兄弟かというと、異母兄弟なのです。ですから、その時代のイスラエルの法律では許されないことです。

 もしそうなった場合には、ヤコブ家庭すべてが治まって、(図―16を参照、三三三ページ)こちら(マリヤとイエス)が正統の子孫として歴史を相続するようになるのです。そうして、これ(洗礼ヨハネ)は弟という立場に立って兄さんに従っていけば、家庭紛争から世界的に発展したすべての女の世界の絡み合いが、国家的基準のザカリヤ家庭の完成によって無事通行できるのです。


再臨主の家庭圏と日本の選択

 それから再臨時代の先生も、第二次大戦後にキリスト教が歓迎した場合には、聖進様のお母さんとは離婚しないのです。英米仏の不信のために、連合国家が先生を追い出したために、先生は独りぼっちになったのです。エバとカイン・アベルをみんなサタンが取っていってしまったのだから、妻もなければ子供もいないのです。一族もいないので仕方なく独りぼっちになりました。一族はみんな怨讐の共産主義者に連れていかれて、迫害を受けて消えていった者がたくさんいるのです。その共産主義者を愛さなければならないのが、神様と先生の心情です。これは、誰も知らないことです。自分を殺そうとしてきた怨讐を、本当に愛したので問題が引っ繰り返ったのです。

 先生の家庭には、このような話が残っています。聖進様のお母さんと今のお母さんは、互いに見たこともなければ会ったこともないのです。何十年も前に先生を脅迫して離婚していったので、何の関係もないのです。しかし、今は関係がないからといっても、すべて関係がないと言うことはできないのです。聖進様は先生の子供なのです。天倫の関係からして、子供がお父さんを訪ねてきた場合に、追い返すことはできないのです。聖進様は、いつでも先生の所に来ることができるのです。

 そうなると、お母さんと子供は共に住むことができるのですから、聖進様と共に先生の所に来れば、追い返すことはできないのです。そうすると、今のお母様の子供と絡み合いになるのです。分かりますか? 今のお母様の偉いところは、そのようなことのないようにと、いろいろな背後を整理してきていることです。

 ですから、いくら悪心の女であっても、今のお母様に対して「あの女は滅亡しなければならない」と、本心で言うことはできないのです。自動的に霊界に行くとしても、自動的に屈伏して祝福されれば、「何十倍もの恵沢が二番目のお母さんにもありますように」と祈ってあげることによって、一流の世界的家庭圏がとどまっていくのです。

 それで、サタンはいつも長男を中心として、長女を中心として、母子を中心として、いつもぶっかけ合うのです。そういう関係ですから、いつも先生の直系の長男と長女が引っかかりやすい危ない場に立つのです。大変なことです。これらを、お母さんが一つにしないといけないのです。

 先生が南北統一をした場合には、英米仏の連合国家勝利圏が天下を統一するのです。エバ国家の新婦理想国家はキリスト教文化圏です。ですから新婦として先生を迎えた場合には、一族一家が国と共に南北統一を指導できるようになるのです。それで、その国家を中心として各国が相対的な立場でもって、神様の願われる平面的な勝利の平和統一の世界に向かうようになっていたのです。

 そこで四十年間、焼け野原となっていた日本とドイツ、それにアメリカを加えて、英米仏の代わりに日独伊の怨讐圏を抱えて、英米仏が勝利した以上の忠誠を尽くす国をつくらなければ、神の皇族圏を相続する国に帰ることができないのです。それで、日本をエバ国家に選択せざるを得なかったのです。それに、ドイツとアメリカが世界三大国家として、世界的な経済圏を動かすようになったのはなぜかというと、エバ国家とカイン・アベル国家が復帰されたならば、連合国家が失った勝利圏をここに再び祝福されたという基準になるのです。そして、その祝福経済圏は日本とか、ドイツとか、アメリカのためではないのです。それは神様と全世界のためです。

 それで、日本は天的な立場で蕩減復帰しながら、イギリスの代わりをしてきたのです。イギリスを自動的に姉妹として引っ張っていくだけの文化的背景は日本にはないのです。キリスト教文化圏には負けるのです。しかし、日本が真の父母の思想に立つことによって、イギリス文化圏に優る立場に立てるのです。

 それで、十六万人と三十二万人を総動員して、二千万人を超えれば、蘇生、長成です。それが三千万人に向かう時には、先生の言うとおりに準備できるような世界になるのです。

 歴史上のカイン・アベルの問題は、先生によって収拾されたのです。お母さんたちの間違いを、先生の家庭によって、正妻と妾を迎えた家庭で整理して、世界的峠を越えるようになりました。そして兄弟の絡み合いを和合して、一つの方向にまとめるようになったのです。ですから、真の父母と成約時代の安着ということは、恐ろしい話です。それが安着したので、次に真の父母の勝利圏を相続してあげるのです。それは、世界的個人圏、世界的家庭圏、世界的氏族、世界的民族、国家、世界、宇宙的天国圏、宇宙的神様の勝利圏なのです。

 今まで神様は、真の神になったことがないのです。いつも堕落の境界を往来して涙で生きてきた神様なのです。かわいそうな神様です。時には耐えることのできないような神様だったのです。真の神様にはなっていないのです。子供を持っていないので、親にもなれず、さまようその心は誰も知らなかったのです。

 しかし、先生を迎えることによって、真の父母としての先生夫婦を迎えることによって、真の神様の立場に立ち返ったのです。真の父母を迎えたので、真の神様になったのです。息子は父母の神様なのです。それは理論的です。失敗の神を勝利の真の神につくりあげたのは、神自体ではないのです。それは、文先生以外にいないということです。

 ですから、霊界で祈祷すれば、「文先生は神様に優るようなことをなし得た人である」と教えてくれるのです。それで祈祷すれば、痛哭して腸が切れるような祈祷を一週間も続けるのです。あなたたちは何も知らないのです。耳がぺちゃんこで、目もみんな見えなくなっているのです。それで、聞こえるように、見えるようにして、先生の話のように絶対心情一体の父子関係をなせば、先生と同じ共鳴圏に立って、解放的自分と解放的な宇宙を迎えることができるのです。分かりますか? それを願いますか? (はい)。


最後にエバの蕩減すべきこと

 歴史上で誰も聞いたことのなかった大変な話を皆さんは聞いているのです。それで家庭を収拾するには、このことを学んで、男なりに女なりに、子供なりに行くべき道を知ることです。ですから、家庭を勝利した立場に、再び引き上げるのです。今は最後に残ったエバ一個人の犯した内容を、すべて蕩減しなければならないし、正していかなければならないのです。それは大変なことです。思えば悲しくなることです。誰も知らない世界を、一体誰が収拾するのですか? もし先生がいなかったら大変です。

 エバは「平和」と言うのです。エバは何をするかというと、エバは女という一個人に帰って、蕩減復帰をするのです。女が子供の蕩減、家庭の蕩減をしなければならないのです。聖霊を中心として、お母さんを中心としてするのです。それでアメリカの国会はアベルになって、UN(国連)は民主世界の国会なのです。このカイン・アベルを平面的に治めていかなければならなかったのですが、日本の国にはお母様の基盤がなかったのです。それで昨年(一九九四年)お母様の日本の国会講演で日本列島とつないだのです。それによって、第二次大戦後に新婦文化圏の実体のお母様と実体の再臨の主は会ったことがないし、いまだ一つになっていなかったのですが、今や、それが横的に完全に一つになったのです。お母様を中心としてカイン・アベルが一つになったので、その上に再臨の主が立つのです。

 第二次大戦後に新婦文化圏がカイン・アベルを包容できなかったことを、四十年間の蕩減を勝利することによって再び勝利圏をなし得たのです。そして、実体のお父様がお母様を中心として一つになったのですから、当然、南北統一の国に帰らなければならないのです。

 そのような時代になったのですから、これまでは金日成主席がサタン的再臨の王、赤の王として、五十年間世界を悪辣に指導してきたのですが、先生が失ったものをすべてもとがえして勝利的立場から四十年を終えた時から、ちょうど七十日目に、霊界に呼ばれて行ったのです。また、先生が父母主義を唱えた七十日目を中心として、ゴルバチョフ元大統領を通して共産主義も滅びていくのです。不思議にも神様の経綸は数理的になっているのです。

 二世は先生のほうにつくようになったので、今や北韓は誰よりも先生を頼りとしているのです。本当かどうか調べてみてください。朝総連も文先生を尊敬するようになりました。それらは、みんな先生を殺そうとしていたのです。このように、カイン・アベルが一つになっているのです。

 それで日本の母を中心として、再びこれらを生んでいくのです。そして先生が日本と一つになった場合には、日本の国を中心として天使長を復帰することができるのです。

 それで、エバは何をしたかというと、一番目に神様の長男のアダムをだましたのです。二番目に、神様であるお父さんをだましました。堕落させて、愛の非公式な道に引きずっていって、約婚者の立場にあったアダムを否定してしまったのです。だましてしまったのです。貞操を奪ってしまいました。それから、神様の願われた戒めをみんな破ってしまいました。「取って食べれば絶対に死ぬ」という戒めを破ってしまったのです。ですから個人的にもエバが行ったことを蕩減復帰しなければ、神の下に帰ることはできないのです。過ちを犯した基準を蕩減復帰するには、もし三角形の穴が開いた場合には、その反対の側から三角の穴をくっつけなければ、元の穴が開かなかった姿に帰ることはできないのです。

 ですから、旧約聖書の中の蕩減原則は、目には目を、歯には歯を、となるのです。目を汚された者は、汚した者の目を汚すことによって蕩減復帰するのです。歯を折られた者は、逆に相手の歯を折ってしまうことによって蕩減復帰するのです。分かりますか? (はい)。もし手を切られたとすれば、相手の手を切ることによって蕩減復帰するのです。相手が行った反対の立場を取らなければ、蕩減復帰はできないのです。

 このような原則があるので、堕落したそのとおりに、逆のほうを傷つけるのです。堕落によって傷つけられたので、逆に相手を傷つけることによって蕩減復帰がなされるのです。分かりましたか? (はい)。

 このように、だまされてアダムの顔と神様の顔を傷つけられたのですから、サタンの顔を傷つけることによって、蕩減復帰をするのです。逆のほうを通って蕩減していくのです。こういう内容があるので、歴史を通して神のほうの摂理圏内に、このような現象を再びもとがえしていかないと、神様の摂理の復帰の門を開くことができないのです。


イサク家庭のリベカの立場

 それで、神様はヤコブの家庭を中心として着手してきました。ヤコブの家庭を中心として、アブラハム、イサク、ヤコブを、三代で一人と見るのです。最後には三番目を中心として、アダム、イエス様、再臨の主の完成と同じように、アブラハム、イサク、ヤコブなのです。アブラハムは、祭物失敗のために四〇〇年間後孫が異国の地で奴隷になるという預言を受けたのですが、実体祭物として、イサクを殺して祭物にする場でサタンを分別して、その代わりに雄羊を祭物として生き残ったのです。

 次に、イサクの家庭を中心とした問題になるのです。そこでは、分割運動をしなければなりません。それをするのがイサクの奥さん、リベカという女です。分かりますか? (はい)。生死を判決する中心の家庭は、二番目のイサク家庭です。それは、ノアに当たるし、イエス様に当たるのです。二番目はいつも中心点であり、神とサタンが争奪戦をしているのです。それで、いつでも二番目が問題なのです。

 それで、イサクの家庭のリベカがエバの立場に選ばれたのです。エバは何をしたのかというと、結果として、サタンのほうが長子権を持つようになったのです。ですから、その反対のことをしないといけないのです。エバが長男をだまし、神様をだまして長子権を奪ったのですから、弟を通して長子権を取り戻さないといけないのです。長子権を奪われたのですから、エバは弟が長男になるように反対のことをしないといけないのです。

 そういう観点を知って、イサクの家庭のリベカとそっくり一致しない場合には、蕩減復帰はできません。蕩減復帰の着手は、イサク家庭のリベカを中心として始まったのです。リベカを中心として、長男のエサウをだますのです。お父さんのイサクをだますのです。それから、長男エサウの祝福を次男が奪ってしまうのです。そんなことをしたのです。

 お母さんは、長男をだまし夫をだますのです。しかし、もしそのことが分かれば一家から追い出されるのであり、とどまる所がなくなるのです。父子が一体になれば、ぺちゃんこになるのです。それで何をしたのかというと、兄さんをだまし夫をだまして、弟のために祝福を奪ってしまったのです。そういう悪辣な者はいないのです。リベカとヤコブ以上に悪い者はいないというのですが、なぜそれが正義になったのかというと、蕩減復帰の内容をなすという観点から見た時に、そうしなければ神様の立つ場がなくなるからです。神様の蕩減復帰の条件として、そのようにせざるを得なかったということは、正当な立場として受け入れなければならないのです。そうしなければ、長子の蕩減復帰がなせないのです。神様に帰る道がないのです。

 そのようにして、ヤコブは故郷から逃げ出していって二十一年間も、レアとラケルの間でそういう問題を解決しなければならない運命になっているのです。そうしなければ大元で、この問題に引っかかるのです。これが失敗したので、ヤコブ家庭で、レア・ラケルの問題となり、その失敗が世界のカイン・アベルの問題につながるのです。

 それで、一番の起点である中心を担うお母さんの問題、エバの問題を解決しなければなりません。その解決の方策として、リベカは蕩減の方法として、ヤコブを中心として一家が反対する中で、長子権を復帰するようなことをしたのです。そしてヤコブはハランから故郷に帰る途中のヤボク川の側で、天使に会って相撲を取り、ここで天使長にアダムが負けたことを転覆して勝利しなければならないのです。ヤコブが霊的な天使を屈伏させないと、天使長の体の長男エサウを屈伏することができないのです。

 天使に負けて長子権を取られてしまったのですから、天使に勝利しないと、いったん長男に譲った長子権を次男のヤコブは持つことができないのです。それで公式のとおりに、ヤコブは天使と夜通し相撲を取ったのです。それで朝になると、天使は帰らないといけないので「離してくれ」と言っても、「そんなことはできない」と、ヤコブは離してあげないのです。腰の骨を折られても、かたわにされても離さないのです。死んでも離さないのです。それを見た天使が「どうすれば離してくれるか」と言った時、「祝福してくれなければならない」とヤコブが言うのです。それで天使が「君は私に勝った。イスラエルは勝利した」と言って、ヤコブを祝福したのです。聖書には「神と戦って勝った」とあるのですが、それも一理あることなのです。

 このように、天使長に負けたアダムの勝利圏を蕩減復帰しなければならないので、天使との戦いに勝利して祝福されることによって、エサウの祝福が転覆されてもヤコブは殺されないのです。皆さんも、そういう勝利の旗を持って帰るのです。分かりましたか? (はい)。

 そういう勝利の基盤の上で、ヤコブをエサウは歓迎するのです。もしも勝利できなかったらば、霊界が援助しないので大変なことになるのです。それで、霊肉で天使長の実体なる兄のエサウを屈伏して、弟が長子の権限を持って兄さんの立場に立ったことになるので、神様の血統が初めて地上に着陸することになり、血統を正した家庭がつながるのです。


ユダの家のタマルの立場

 しかし、このような勝利をしたとしても、天使を屈伏したとしても、根本的にはまだつながらないのです。ヤコブは四十代において家族と霊界、肉界と外的な勝利をしたのですが、お母さんの腹の中で、生まれる前の長子と次子を転覆しなければならないのです。それで、ヤコブの孫のユダの嫁に、タマルという女がいたのです。この女は、神様の祝福がいかに貴いかを知っていたので、生命をかけた戦いをしたのです。分かりますか? (はい)。生命をかけた英雄的な覚悟でもって、革命的なことをしたのです。タマルはエバの立場であり、本源のエバの立場に立つには、自分の旦那さんとお父さんをだまさなければならないのです。

 それでタマルという女は、長男の嫁として来たのですが、その長男が亡くなったのです。ユダヤの法としては、長男がなくなった場合には、その血統をつなぐために次男が兄さんの嫁をめとって、子供を生ませるようになっているのです。しかし次男は、タマルと夫婦関係を持たずに外に射精したために、神様の法に違反した者として霊界に連れていかれたのです。

 そうなると、タマルは大変です。旦那さんがいなくなり後孫を残せなければ、祝福の血統を受け継ぐことができないのです。しかし三番目の弟は旦那さんにするにはあまりにも幼いのです。それに女としても産期があるので、いつまでも子供を生めるわけではないのです。そのように考えてみた時、イスラエルの血統圏にヨセフを殺そうとした十人の兄弟がいたということを知って、タマルは三番目の夫を拒否して、舅をだまして関係を持つことにしたのです。

 それで、タマルは公娼街の女として、遊女の身なりをして、舅が働きにいく途中の道に待っていて、関係を持って子供を孕むのです。あなたたちの奥さんの中で、そのようなことのできる勇気のある女がいるでしょうか? タマルは神様の祝福を相続するという英雄的な行動をしたのです。

 祝福家庭の女性は、それ以上の貴いものの相続を得るようになっていることを考えてみた場合に、そのような勇気を持った女性にならなければならないことは言うに及びません。あなたたちの奥さんは、そういう女性になっていますか、いないですか? 周りに聞くことではありません。小さい目をもっと小さくつぶって、見えないようにして隠れてしまう人、どうですか? 子供ばかりを守って、み旨も何もやらないで妻にやらせる悪辣な者たちが、ここにはたくさん集まっているのです。恥ずかしいことです。

 祝福家庭は手を挙げてください。みんなそうですね。恐ろしいことです。イエス様みたいになって、こういう遠因的な女性を妻に持ったとすれば、その一家は氏族メシヤとして、一六〇軒も一瞬で復帰するような素晴らしい尊敬される家庭となり、イエス様以上の誇りある堂々たる家庭となるべきなのに、何ですか君たちは! 恥ずかしいことです。分かりましたか? (はい)。タマルのような英雄的な女性として、妻を育てていけるような男が必要だということです。この場を中心として、覚えておかなければなりません。

 それで、リベカがエサウとヤコブを孕んだ時、腹の中でふたごが戦ったのです。何回も戦うので、リベカは神の前に祈って「なぜ腹の中でふたごが、このように戦うのですか? これは何の意味ですか」と聞いたのです。神様は、はっきり教えているのです。「あなたの腹の中には二つの国がある。大きい国の者が小さい国の者に侍らなければならない」と。神様は長子権復帰をしなければならないと、啓示で答えているのです。

 そういう神様の答えから見るというと、先生の解説の内容は正しい結論なのです。それで、日本の中には、ふたごが戦っているのです。朝総連と民団です。それを一つにしなければ、世界的なエバの立場に立つことができません。不思議なことですが、エバとして選択されたならば、そうならざるを得ないのです。そのような公式的な運命を通過せざるを得ないのです。蕩減の条件に引っかかっているので、死んでもなしていかなければならない蕩減の道なのです。

 それでタマルの腹の中でも、エサウとヤコブがリベカの腹の中で戦ったのとそっくり同じように、ふたごが戦っているのです。そこで、タマルが神様に祈った時、神様はリベカに答えたと同じように「お前の腹の中には二つの国がある。大きい国の者が小さい者に侍らなければならない」と答えたのです。蕩減復帰は、長子権問題において弟が兄さんにならなければならないということなのです。

 それでタマルの腹の中から、ゼラが長男として生まれようとして先に手を出しました。そこで助産婦が、その手に赤い紐で印をつけたのです。そのまま出てくると思ったのに、長男は引っ込んでしまって、弟のペレツが兄さんを横に押し退けて生まれてきたのです。それでペレツという名前になったのです。人類歴史の出発は、胎中で過った長子権によって始まったので、歴史の怨讐が生まれたのです。ですから、これを蕩減復帰するために、兄さんが弟として、弟が兄さんとして生まれてくることによって、血統的には争わなくても、長子権がそのまま兄弟圏の権限で治まる正統な選民国家血統圏が整理されるのです。神様の正統なる血統圏が生まれてくるのです。

 それが選民として選ばれたイスラエルの民族なのです。選民国家なのです。選民国家とは、サタン世界に勝って選抜された国という意味です。そのように聖別された血統圏を正して、そこに着地して、氏族、民族、国家をつくって、二〇〇〇年まで待つのです。もし家庭が決まったならば、直ぐにでもメシヤを送ればいいのですが、メシヤは来ることができないのです。それは、サタン側が国を持っているからです。ですから国と同じような立場に立って、これを国家的兄弟圏で蕩減しなければ、サタンの国をなくすことができないのです。それで神様を中心とした選民の血統を中心として、国家的基準まで上がって、さらに兄弟圏の基準まで上がっていかなければならないのです。

 そういう立場で、二〇〇〇年後にイエス様が生まれるようになったのです。それは大変なことですが、国家的に家庭的メシヤ圏として、家庭的お母さんの勝利圏をなし得たからなのです。

 国家的勝利圏をなすには、二〇〇〇年間も聖別された選民圏の血統圏がいろいろと悪いことをしたために、外国の捕虜になったりして、行ったり来たりしたので、みんな清い血統ではなくなって、汚れているというのです。それを、国家的中心のエバが清めなければならないのです。そういう使命を持った者がマリヤなのです。

 マリヤは国家的エバの使命を持った立場に立っているので、エバがなし得なかった同じ蕩減条件を再びなさなければならないのです。エバが婚約したアダムをだましたことを蕩減復帰するために、マリヤは約婚していたヨセフをだますような立場に立つのです。そっくり同じなのです。ですからヨセフのお父さんは、長男のヨセフが嫁を迎えて、あすには新しい家庭を出発するというので幸福をむさぼっている最中に、その嫁の候補者が結婚式もしないうちに子供を孕んだというニュースを聞いた時、どうだったでしょうか? それは、びっくりするどころではありません。卒倒するような環境に追い込まれたのです。「こんなことはありえない」と、急いでヨセフの所に駆けていって、聞いてみたのです。「何だ! 人の噂のように嫁が子供を孕んだというのは、どういうことか?」と。それで「お母さん、お父さん、そんなに心配しなくてもいいです。みんな私がしっかりしないから、こんなことになったのであり、私がしっかりしますので心配ありません」と、お父さんに言うのです。

 アダムは、エバにだまされて死んでいったので、アダムであるヨセフが、死ぬべき女と子供を生かしてあげたのです。死の環境から復活したエバの立場でマリヤは完全に蕩減復帰基準をなし得たのです。ですから、その腹の中に孕んだイエス様はサタンの血統とは全く無関係であり、神様のみの氏族血統として、民族、国家基準まで上がってきたのですから、国を代表した王様にならざるを得ないのです。万国を治めて王の王になるべき中心者としてイエス様が生まれてくるのです。

 このような公式により、マリヤもエバとそっくり同じようにして、夫をだます立場に立つのです。そうすることによって、マリヤとイエス様は長子権を復帰するのです。蕩減がこんなに複雑でありながらも、この公式でもって摂理が解かれてきたということが初めて分かりました。これを否定できますか? (できません)。ですから、歴史は死んでいないのです。歴史を解決しなければ行く道がないのです。


エバ国家のなすべき使命

 今までは家庭的、国家的エバを成してきたのですが、これからは世界的なエバ国家が必要になってきました。それでイギリスを見ても、その腹の中には旧教のアイルランドとスコットランドが紛争しているのですが、それを消化していません。それと同じように、日本はエバ国家として選抜されているので、相反する朝総連と民団がいるのです。それを生み直さなければならないのです。サタンの子供を孕んだのですから、サタンの二代目の子供を生んで愛して統一させなければ、エバ国家の道はありません。日本がエバ国家になるために、民団と朝総連、南と北が別れているのです。

 そして、旦那さんを迎えなければなりません。エバが旦那さんを迎えることができなかったならば、二人の子供は腹の中において死ぬのです。北と南の父と腹の中の子供を統一しないといけないのです。イギリスもそっくり同じです。スコットランドとアイルランド、旧教と新教を統一しなければならないのに、その使命を果たせなかったのです。不思議な話です。そうなっているのです。日本は、「大嫌いな韓国人だ、朝総連だ」と、二世を認めないようにして、自然になくなるような処置をしてきました。それは許されません。日本は吹っ飛んでしまいます。恐ろしいことです。これは、先生の言葉ではないのです。気をつけなければなりません。(はい)。

 ですから、全面的に朝総連と民団を伝道することです。イスラエル民族がエジプトからカナンの地に帰ったのと同じように、日本列島から日本海を越えて、六十万人が韓国に帰らなければならないのです。その時には、民団だけを帰しては駄目です。日本と韓国の祝福家庭が共に一つになることによって、二つの国が一つになるのです。それで、先生は今から、大阪以南は韓国で教育しようと思っているのです。東京に行くよりも旅費も安いし、費用も三分の一に減るのです。また日本の地で教育するよりも、韓国の地では徹底して教育できるのです。そのことは、日本で教育すれば国家的汚点が残りやすいという話です。

 そのようにして何をするかというと、蕩減復帰をするのです。蕩減滅亡ではなく、神様の国にするのです。サタンのほうから、一挙に神様の子供になるのです。それを歓迎しますか? (はい)。

 皆さんは、本当に純粋な日本人でしょうか? あなたどうですか? それを願うのですか、願わないのですか? (願います)。本当ですか? 本心ではないかもしれないが、仕方なしにでも、嫌なこともしなければならない道なのです。おじさんも分かりましたか? (だんだんと分かってくる気がします)。だんだん分かる気になりましたか? それが分からなければ大変です。たとえ眼鏡を外してしまって目が見えなくても、決意を固めて、分かって帰らなければ大変です。先祖たちが首を何千万倍にも伸ばして待っているのです。日本と韓国の霊界は反発しているのですから、それを和合させるために姉妹関係、兄弟関係を地上で結んであげるのです。地上のことばかりではないのです。韓国の先祖と日本の先祖は、永遠に会うことができないのです。

 韓国は、外国から九三二回も侵略されているのです。そのうちの九十一パーセント以上が日本にやられているのです。韓国人たちは、歯をすすり、音を出さなくても許せない日本人なのですが、文先生の真の親の愛を分かることによって、兄弟になるのです。真の父母を中心として、知ってみれば兄弟だったのです。一つの根っこであり、分けることのできない兄弟だったのです。何千年も別れていた兄弟が今やっと一つになることによって、天下に新しい芽を植えて、それを理想的な家庭の花として咲かせたいのが神様のご理想なのです。

 それを歓迎しない場合は滅亡するのです。これは、脅迫でも何でもないのです。真理の宣言の声は辛く、耳に逆らうものであり、味が苦いのです。しかし甘味が出る喜びが潜んでいるのです。

 国家的なエバとしてマリヤがなし得た冒険を考えてみた場合には、死を覚悟してこそなし得るということです。当時は、もし乙女が子供を孕んだ場合には石打ちの刑なのです。そういう悪辣な環境の中にあって、ひやひやした親子の関係を抱えたマリヤの辛さを誰が知ることができるでしょうか。

 今や世界的な復帰路程において、国家的代表のエバではなく、個人的エバではなく、世界的なエバ圏が必要になってきました。それは理論的にも間違いのないことです。そこで日本がエバ国家になるには、同じように世界を代表して、マリヤのようにならなければならないのです。その公式に国が引っかかっているのです。こんなことになろうとは夢にも思わなかったことです。今まで喜んでいたのに、あすは帰るというのに、大変なことです。自分の首をかけて死刑場に行くか、復活するかという境地で決定していかなければならない深刻な話です。

 先生は歴史的な事実を教えてあげているのです。ありがたいことです。それで日本はどうなるかというと、日本の国家は滅びるでしょうか? 復活して栄えるのでしょうか? (栄えます)。栄えるのです。サタンの世界から国家全体が永遠に決別して、神の懐の真の世界に抱擁されるようになるのです。これ以上の福音はないのです。そう思いますか? (はい)。その味は苦い味ですか、甘い味ですか? (甘い味です)。本当のこと言って、「苦い味だ」と言っても、苦いか甘いかも分からないのです。めちゃくちゃな味なのです。そのような心境を先生も知りつつ、こういうことをはっきり教えているのです。そうしないと、「アダムの代表の男が国家的に教えるべきことなのに、なぜ教えなかったのか!」と、日本の国家から霊界に行って讒訴されるのです。

 先生は、はっきりと嫌でもどうでも、日本全体がどんなに反対しても、先生は、それを通告宣布せざるを得ないのです。皆さんは、そのような堂々たるアダムの代表的な存在を迎えたことを心強く思って、希望の基として受け入れていかなければならないのです。そういうことができますか、できないですか? (できます)。できると思う者は、足と両手を挙げて誓いましょう。誓いましょう! (はい)。誓いますか、誓わないですか? (誓います)。誓うのであれば、両手、両足を挙げて誓いましょう! (はい)。倒れるまで、そうしているのです。

 それは、永遠に忘れないようにです。では、下ろしてください。再び否定して第二の堕落圏を残す悲惨なことのないように、こういうことをやらざるを得なかった先生の心中をよく知ってください。(はい)。

 まだ、たくさん話したいことがあるのですが、これ以上続けた場合には、もう喉が詰まって、腸までみんな駄目になってしまうし、伸びてしまう恐れがあるので、それはもう歓迎どころではなく、皆さんが唾を吐いて逃げてしまう恐れもあるので、これ以上は語れないのです。分かりましたか? (はい)。

 これでもう十分ですね。歴史がはっきり分かったし、自分の家庭はどうあるべきか、正妻と妾の紛争について、父親はどういう父親であるべきか、兄さんはどういう兄さんであるべきか、分かりましたね。(はい)。フリーセックスをする者たちは征伐するのです。どう思いますか? 今まででたらめに生きてきましたが、今からは、でたらめに生きては駄目です。でたらめの反対です。みんな喜んで、そういう方向に行くという顔をしているので、先生もホッと安心するようになりました。分かりましたね? (はい)。ありがとう。(拍手)


2004.5.22 了

















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