訪韓修練会御言集(女性)
(全面表示) 戻る INDEXへ


 真の父母と重生

 1993年12月20日 韓国・済州研修院

神の創造の全体的目的

 真の父母と重生という問題ですが、真の父母という名前は、いつから始まったと思いますか? 一九九三年ですか? 統一教会の発表では、そういうふうになっているかもしれません。統一教会を中心として真の父母という名前は、統一教会によって(始まったの)ではなく、先生によって始まったのです。言葉の発表はそうですが、言葉の内容は創造の前からあったのです。

 神の創造の全体的目的はどこにあったのかというと、万物を創造して、万物の霊長たる主人の人間をつくって、人間と神が愛を中心として一体となることによって、神の完成がなるのです。きのうも話したように、個人完成、夫婦完成、神完成です。女は半分で、男も半分です。旦那さんはなぜ必要かというと、半分なる者が完全な者になるには、女には男がいなければ、完全にはなれません。何を中心として完全かというと、愛を中心としてです。理想とか、幸福とか、善とか、美とか、すべてのものは、愛を除いてしまえばみな、めちゃくちゃになるのです。

 愛を中心として善と言うのです。その善の中には、美も含まれているし、必ず愛も含んでいるのです。だから、善いことを言えば美しいのです。かわいいのです。みな愛を中心としていう話です。女の幸福というのは、愛がなければ幸福ではありません。男もそうです。幸福というのは、愛を中心としていうのです。だから、すべての創造物は愛によって始まり、愛の目的のために存在しているのです。その愛をなすには、一人ではできません。相対的存在になっているのです。相対的です。なぜ相対的になっているのかというと、愛のレベルがみな、違うからです。それが公式として作用するのです。

 それは、一番低級なもの、中級なもの、それから植物も愛を中心としてみな、おしべ・めしべの相対関係です。それから動物は雄・雌です。なぜ雄・雌になったかというと、それぞれに愛を中心として一つとなるためです。それが標準になっているのです。最低のものからだんだんと一番最高なものまでです。一番最高なものは何かというと、一番最高な神様は見えないのです。その見えないお方の相対となるためです。だから人間というものは、全部が愛を求めているのです。

 それで、きのうも話したように、水中時代、地中(空中)時代、それから愛中時代へとだんだんだんだん上がっていくのです。昆虫もみな、三世界を通過するのですから、人間は万物の霊長として、三中世界を通過せざるを得ないのです。だから最後には、愛を中心として復活できるようなすべての準備を、地上生活でしなければならないのです。死ぬということは、地中時代から霊的愛の世界に移行する現象です。さなぎが殻を脱いで、蛾になって空中を飛ぶように、昔の殻を脱がないといけないのです。殻を中心として見ると、ちょうど死ぬのと同じです。殻を破壊させなければなりません。肉身の生活が、ちょうどそれと同じです。肉身の世界を破壊して、見えない神様に似た霊人体となるのです。人間として、さなぎが蛾になると同じようにして、生まれる場面です。だから霊人体は、死ぬ時に肉身から出ていくのです。

 それで霊人体があるのは、無限の霊界とつなぐためです。その霊界は、愛を中心としているのです。空気が愛だと思えばいいのです。空気自体が愛の空気です。だから、愛を吸えるような全体的呼吸が必要です。細胞全体で呼吸すればいいのです。細胞全体が愛を中心として呼吸して、神様と同じように永遠に生きるのです。神様が愛を中心として呼吸しているというのです。だから、無形である神の性相・形状と、(すなわち)無形実体の内的性相・形状が愛を中心として一つとなると(神の)形状も性相も人間と同じようになるのです。人間自体も、心身が一体となるには愛がなければなりません。愛を中心に一体となるようになっているのです。神様もそういうふうになっているからです。神様の性相の中にも形状・性相があると原理は教えているのです。すべてが愛を中心として成長し、愛を中心として一つになるのです。愛を中心として一つになって、永遠の世界に飛んでいくのです。

 そのためには、神様に似たものでなければならないというのです。だから、人間は神様から生まれてきたというのです。それから、神様とアダム・エバが完成すれば、神様は縦的親、アダム・エバは横的親です。それがなされないというと、人間と神様が一つになる道がないのです。愛の主人は人間ではありません。生命の本体は人間ではありません。血統の本体は人間から始まっているのではなく、神からすべてが始まっているのだから、神とつながる道がなかった場合には、人間と神の関係とか、関係を結んで良いとか悪いとか、神の創造理想、神様のみ旨とはいったい何かと尋ねた場合に、一般の神学者は「それは易しくて難しい言葉です」と言うのですが、易しくて難しいという答えはないのです。易しいのは易しいのであり、難しいのは難しいのであって、易しくて難しいと言うのは暴言です。

 統一教会は、はっきりしているのです。み旨の道は創造理想を完成することです。神が創造した理想を完成することです。創造理想完成とはいったい何かというと、万物を対象にした小宇宙になっている万物の霊長である人間自体の完成です。人間自体の完成は個人だけではなく、家庭的完成をいうのです。四位基台の完成です。四位基台は、男、女の完成とともに、神様の完成がなされるのです。これが宇宙の最後の秘密でありました。

 神様と人間とは、何ですか? 神様と人間が共に完成する場面、それは結婚して初夜の愛の関係を結ぶことにより、神様も「これだ」、人間も「これだ」と、すべてが完成するのです。そのようにして宇宙を完成させ、宇宙を出発させ、宇宙を引っ張っていく基台が愛なのです。真の愛、宇宙の本然の愛なのです。

 だから、あなたたちも子供の時から、愛によって生まれて、父母の愛のもとに保護されて、それから旦那さんと愛を掲げながら、子供をつくっていく愛の連続です。それなのに、世の中が相対的愛の環境的相対基盤が合わないと問題なのです。それは堕落したために肉身が愛と反発し合って、肉身が良心を反対の方向へ引っ張っていくのだから、良心の願いの反対に行くのだから、良心の苦しみが自分から離れることができないのです。だから問題は、肉身を分別して完全に聖別しておけば、良心は良心なりに南北を指し、北極と南極が合った場合には、磁石みたいに、ちゃーんと方向を永遠に指し、永遠にほうっておいても、方向を一定して永遠につなぐのです。

 愛の関係を結んだとするならば、男と女の愛は東西を中心にして永遠に結ばれ、神様は南北を中心として縦的に、永遠に結ばれるのです。その二つの力が一つに合わないというと、運動ができません。宇宙の運動は、球体以外ではなされません。横的に引っ張っていった場合には、運動できないのです。これでは循環運動が不可能です。運動は中心に引っ張ろうとする遠心力によって、縦横が連結することで、釣り合いの運動がなされるのです。だから神を中心として、人間を中心とした共同的運動をするには、愛が中心になるのです。その愛が相対の場合は、逆に拡大するような力の釣り合いによって運動が始まるのです。分かりましたか? (はい)。

 だから、結婚の初夜の愛の関係を結ぶということは重大な事件です。男が初めて完成し、女が初めて完成するのです。旦那さんは、自分を完成してくれるお方です。それを知らないのです。旦那さんも旦那さんです。それを知らないでは済まないのです。その由来をはっきり究明して、自分との関係を、肯定的な結論として、公式化された結論を得たとするならば、人間は脱線することができません。みな列車が軌道を走らなければならないのと同じように、万民共々に自分の愛の軌道によって、永遠に自分の世界で、自分の理想の成果が違っていても、個人真理一体の目的に直行するようになっているのです。


愛の基準

 このことを語る前に、四大心情圏を語ってあげればよかったですね。分かりますか? (はい)。旦那さんは自分を完成させてくれる人です。女は半分です。旦那さんがいなかった場合には、完成されません。何によってかというと、旦那さんの愛によって完成するのです。いかなる者も、自分の完成を願わない者はいないのです。それは最高の完成を願うのだから、何によってそうなるかというと、金でもなければ、知識でもなければ、権力でもありません。それらは、何の関係もありません。女として金があるとか、知識があるとか、その人が何々の課長とか、局長とかいう、そんなものは、愛には関係がないのです。アダムとエバには局長もいなかったのです。アダムとエバは、ただ良心と神様を知ればすべて分かるようになっていたのです。堕落したから分からないのです。先生は普通の人と違って、ずーっと見れば分かるのです。

 良心には教育が必要ないと同じように、人間にも教育は必要ないのです。霊界では、博士などは、一週間以内にそれ以上になれます。だから、教育は必要ではないのです。言葉が通じなくても、良心がすぐに通じます。良心で考え、良心で聞くのです。口で言うのは、第二次的です。そうなっているのです。だから、天に近いのです。それから、何千年も昔の先祖であっても、自分の上か下かがすぐに分かるのです。愛の心情圏を地上で成し得たその基準を中心として、向こうに止まっているのだから、自分より高いという場合、何を標準にしてそれを決めるかというと、知識ではないのです。お金ではないのです。権力ではないのです。愛を中心として、その全部が決まるのです。愛の位がどんなに高いかということです。分かりましたか? (はい)。

 それが、自分の家庭的完成基準で完成した場合、家庭的基準の所に留まるのです。神様みたいに天宙を愛するには、より大きいものを愛しなさいというのです。個人より家庭を愛し、家庭を愛するには投入しないといけないのです。犠牲にならないといけないのです。愛の道は投入し、投入することによって、相対が大きくなる要求を求めていく道です。相対が大きくなることによって、自分が喜びを感じ、愛の喜びを体恤することができるのです。自分自体内では刺激を受けないのです。

 神がなぜ人間を創造したかというと、自体内で一つになったのでは刺激を受けないからです。刺激を受けるために相対をつくったのです。相対をつくったことによって、目も笑うし、鼻も笑うし、口も笑うし、耳も笑うし、肉体も笑うというのです。そうでしょう? だから、愛の相対という立場は、目も疲れないのです。それから、口もそうです。口は一日中しゃべっても、夜通しささやき語っても疲れを知りません。耳は愛の相対者が休まなくても、素晴らしく聞こえるのです。手はそれでみな、つかむために一つになっているというのです。相対によって、そういう全体、五感というものが一遍に、四〇〇億以上の細胞が刺激を受けるのです。だから、興奮するし、興奮して、興奮して、涙が出ます。喜んだ場合には涙が出ます。悲しい時も涙が出ます。これは不思議なことです。だから、天地は最低と最高のものが一つになっていくのです。分かりましたか? (はい)。

 きのうも話したように、立派な最高の所に汚いものがついているのです。君たちも本当にうれしい時には、涙が出ますね。そうですか、そうではないですか? (そうです)。悲しい時も涙、本当にうれしい時も涙です。そして、うれしい時は最高であり、悲しい時は最低です。それは話すこともできません。だから、堕落しなかったら涙を流すようなことはないかというと、あるのです。ナイフで切れば切れるのです。堕落しなければ切れないということはないのです。同じことです。

 だから、愛の基準が損なってしまった時には、みんな同じです。人間世界に真の愛が神様の創造したと同じようになったとするならば、これはもう、人間社会では苦労しても、苦労しても、それを面白く思うのです。愛する者と汗を流し、苦労しながら、そういうふうに苦労のあとに夫婦が共に愛する時は、深く骨肉から交わるのです。骨髄からつながるというのです。苦労しないのは、中間の肉だけです。苦労しながら死ぬような中でも、共に愛しながら一つになるというと、骨髄が刺激を感じるのです。そういうことを体験した者は、安らかなことを願わないのです。

 統一教会の宣教でいえば、統一教会の宣教に行った場合、そこには誰もいないのです。誰もいないから父母様が、直接教えてくれるのです。あすやるべきことを祈る時に幻の中でみな、教えてくれます。そして、そのとおりになるのです。そのとおりになるから、宣教師の生活はみすぼらしいのです。普通から見ると、誰があんなことをやって生きているのか、不思議なのです。一般の人だったら、もう風呂敷を包んで帰って消えるべきなのに、誰も見ていないし、誰も援助してくれなくても、ただ一人で寂しい生活を続けることが、なぜか分からないのです。

 それはなぜかというと、内心においては天と共に生活しているというのです。だから、そういう者たちが故郷に帰っていったらみな、切れてしまうのです。前線ではないからです。切れてしまうと、その暗黒さは話にもならないのです。いくら良いものを食べて、いくら良い所に住んでも、それは幸福ではないのです。いくら人の上の立場に立っても、そこにはスリルがないのです。神がすべてを教えてくれるのです。

 それで、宣教に行った場合に、大きな川などには、ワニがいくらでもいるのです。そういう中で、神が霊界と交信して「こっちから何メートル、何分以内に渡らなければやられる。あなたの水泳は平時はこうだから、一・五倍のスピードで」と教えてもらって渡るのです。ビザの問題で、どこかに出向して帰って来れなくなるという場合にもみな、コーチしているのです。聖書の内容の教えなど何でもないことです。神様が直接、教えてくれるのです。分かりましたか? (はい)。そういう生活をすると、環境が難しいということはないのです。自分の一身の霊的世界をつなげば大きくなっていくのです。

 だから、苦労するのが悪いのではないのです。苦労の生活をして、宇宙や世界に徹するような相対的な心を持ち続けると、神様と直接に通じるのです。深い根を持つ幹は土に埋もれているのです。そういう深い根とつながって埋もれるような立場になっても、それは不幸ではないというのです。安全な土をかぶっていた場合には、外的な被害に遭っても倒れないのです。分かりますか? だから、幹から見た場合に根っこは真っ暗で大変です。

 根っこの生活と幹の生活、それから枝の生活、葉っぱの生活は違うのです。葉っぱは、「幹の生活は何でああいうふうに黒くなって、動きもじーっとしていて、これはもう大変だ」と思い、自分自体は動いて、こういうふうに日ごとに大きくなるから素晴らしいと思うのですが、そうはいきません。それが最後になった場合には、枝がいいか、葉っぱがいいか? 枝がいいことが分からないので、そう言うのです。その小さい小枝がいいか、幹がいいかということは、その幹になってみないと、枝になってみないと分からないのです。


愛の完成のために投入して忘れる

 愛を中心にして、不幸なことはないのです。愛は苦労も消化します。死ぬことも消化します。愛する者のためには生命を消されても、それは悲しくないというのです。それ以上の忍耐の力があるというのです。だから、愛を得ることはすべての完成の内容を持っているから、お金もいらないし、知識もいらないし、愛を求めていくのです。結婚する時は、その愛と一つになるように、内外共に総和して一つとなるようになるから問題はないのです。動物は既に、自分の問題は解決しているのです。

 南洋から帰ってくるつばめを見た場合に、つばめは食べ物の袋を抱えて帰ってきますか、どうですか? たった二羽で鳴きながら来るのです。何千マイルを渡り鳥として、そのように行動するのです。渡り鳥は何かというと、愛を中心として最も素晴らしい後孫を残したいというのです。鮭なんかもそうです。なぜ海にすんだものが真水に入りますか? 環境が違う両方を通行することによって、完全なものになるのです。男も女も、両方を通過することによって、主体・客体、プラス・マイナスの違う境地を愛で占領することによって完成するのです。環境が違うのが悪いのではありません。必ず塩水の魚は、真水の境界線に来なければならないのです。だから、アラスカは寒流と暖流が交差するのです。それはプラス・マイナスです。そういう所には、必ず産卵のために魚が集まってきます。田舎に行くと、蟹なんかもそうです。

 日本の水田にも蟹がたくさんいましたが、今は農薬を使うのでいなくなってしまったのだけれど、蟹もそうです。春になると、ずーっと小さいものが川を上がっていきます。水田で大きくなって、秋になって下がってきてどこに行くかというと、海水と淡水が交わる所に行って塩抜きをしないといけないのです。真水の魚は塩水、海水を味わわないとプラス・マイナスの接触点にならないということです。分かりますか? 鶏にも無精卵というのがあるのです。無精卵というのは、子供にならないものです。男というプラスと和合することによって、生命がその中間に起こるのです。男、女の愛の通い合う中心で生命が始まるのと同じです。相対関係で、水もそういうことをやっているのです。だから、淡水が必要であり、海水が必要なのです。こんなことは、常識的に分からないといけないのです。

 愛のためにすべてが始まったとした場合、君たちが女になったことも恨みに思わないのです。「いやー!」とうらやましく思うのです。「いやー! 愛のために生まれた」と。だから、愛の完成は一人ではできません。愛の完成のために結婚するのです。分かりましたか? 自分の完成のためです。離婚は自分を破壊するのです。一つになったのを裂いてしまうのだから、裂いた紙をいくらくっつけてもつきません。それは破壊物であって、完全なものではありません。離婚した女にとって、「心がすっきりする。結婚する前より幸福だ」と言う女は一人もいません。みな傷ついているのです。それを埋める道はありません。だから離婚した女は、男を再び追おうとするという恐ろしいことになるのです。

 自分の旦那さんが前の旦那さんよりも悪かった場合に、殺すこともできないし、自分が死ぬこともできないのです。自分の旦那さんが、前の旦那さんよりもよいという保証はないのです。それは自分のやり方によって、良い悪いは決まるのです。いくら悪い人でも自分が良いことをやれば、良い人になるのです。だから、そういうすべての解決をなすために、神様は投入ということを教えたのです。投入して忘れて、投入して忘れていけば、もっと素晴らしい愛の相対を得るようになっているのです。間違いないのです。

 だから、神様が一〇〇を持っていて、一〇〇を投入した場合には、一〇〇の愛の相対しか生まれてきません。無限の相対を願うのだったら、無限に、無限に投入して、忘れて、また投入したいところに、無限に、無限の相対を得ることができるというのが理論的です。投入しても、何回かして止まれば、それ以上にはなりません。だから、それが無限に通じるには、一から三六〇回るのです。三六〇回が終わったら、また一から回るのです。回るのに、同じく回るのではなく、大きくなって、大きく回るのです。分かりましたか? (はい)。そうなれば、何のために生まれたのか、人間はなぜ生まれたのかという質問になるのです。それは愛のために生まれたというのです。

 世の中に一番幸福な男と女がいたとすれば、一番標準な男と女がいたとすれば、そのようなモデルケースになるために、生まれてきたという話になるのです。そのモデルケースは何かといった場合、それを知らないのです。それは、今から先生の言うのがモデルケースです。心には、なぜ厄介な体が必要かというと、それは心身がなければ平行であり、統一圏を持たないというと平面が生まれてこないのです。平らな、整地工作をして、そこに家を建てるのです。平らな所に建てるのであって、横になっている所に建物を建てることはできません。だから、人間自体も平地が必要です。そこで一つにならなければなりません。

 主体がこうなって、女はこういうふうにつくのです。(先生がしぐさされる)それで球体を願うのです。だから男の性格は上がろうという性格であり、女の性格は地につこうという性格です。それで、女は尻が大きいのです。女は座っても、クッションがあって、石に座っても痛くないのです。クッションがいいのです。男はずーっと座っていると、肩が重くて大変です。尻があまり大きくないから痛いのです。「男はこういう活動をして、力もこうやれ」と言うのです。だから、男は上向きです。男には「胸を張れー!」と言うのであって、女は「胸を張れー!」ではなく「尻を張れー!」です。(笑い)尻が張れば近くなるのです。(先生がしぐさをされる)(笑い)反対に、男はこうやって、女はこうやって回るのです。分かりましたか? (はい)。そういう別個体の行動が、別個の方向に行くのではなく、結局は回って一つになるのです。

 だから、それは「神秘」と言えるし、「不思議」と言えるのです。愛は分からなくて、こんなものだと方々回って、相手が分からなくても夫婦生活をしてみれば、これは離れては生きられないというのです。だから、男が必要です。女の前に絶対真理は何かというと、女自体が絶対真理にはなりません。愛を除いたら真理ではないのです。だから、もっと刺激的相対的な真理というものは、女の前に、男一人以外にはありません。一人です。二人ではないのです。(笑い)主体・客体です。主体が一人でなかったらどうしますか? 大変です。男一人です。主体です。

 女は東西南北、四方があるのです。だから獣の世界は雄を中心として、たくさんの雌が連れられていくのです。鹿なんかは五十二匹まで子供を産ませるのです。動物なんか優性を保つためにそういうふうにやっているのです。中心は一つだけど、相対は時期、時期に変わるのです。相対は切ってしまっていいのです。枝は切ってしまえば、早く大きくなるのです。柱は下の枝を切った場合に、立派な柱になるのです。

 愛のために生まれてきたということは、気持ち悪いですか、気持ち良いですか? (気持ち良いです)。今、あなたたちが気持ち良いと言うのは、人間を中心とした堕落した圏内の愛の大地の上で答えることであって、真の愛の大地圏で答えることではありません。堕落した社会での愛は、自分を中心としての愛をいっているのです。すべてを自分に引き付けようとするのです。自分から犠牲になり、自分から放棄して拡大していこうということはないのです。神様から、そういう力をもらって、もっと投入すれば、たくさん投入すれば、たくさんの群れが生まれてくるのです。それが生まれてきた場合には、主体として相対関係で自分を保護して、包んで安全圏にしてくれるのです。たくさんの人を持った指導者になるのです。二重、三重に、永遠に、安全地帯に中心者が包まれていくのです。

 たまねぎも大きくなった場合には、被せ、被せ、被せ、被せて、それに被せるとたくさんの殻に包まれて大きく、安全に立派なものになるのです。だから、父母という、家庭という殻を被せてくれるのです。家庭が中心になった場合には、氏族という殻です。国はもっと大きな殻です。その自分は、もっと、もっと中核に立って、内的な比重が重くなって、価値がもっと高くなって相対圏で平衡を保っていくのです。

 だから、男と女、二人が合った場合には、それは二人共に利益になるから、一つになるのです。その関係から見た場合に、現在より良くなるために、関係を持っていくのです。あらゆる分野の関係は、あらゆる分野の一体圏を願っていくのです。そうすれば、すべての者に尊敬されて、すべての者の相対圏で喜び、いろいろな種類を喜びに感じて、一遍に何百もの刺激を受けることができるのです。(先生がしぐさされる)(笑い)ストップ、ストップです。(笑い)死んだのではないのです。みな止まるのです。止まって見るのです。息が止まっても、すべての細胞は止まっていないのです。そこから跳躍の準備です。「いやーっ! いよーっ!」とね。(笑い)こういうことを言い出したら、限りがない、限りがないのです。

 先生の話が分かりますか? 人は何のために生まれますか? (愛のためです)。みな愛のためです。よくも、そうなっているのです。子供を生むのは愛の延長のためです。旦那さんを得るのは愛の延長のためです。そして、旦那さんの愛を得た場合には、父母となって離れるのです。愛は一つの道です。子供を生んだ場合には、別の世界が横的に拡大するのです。子供から横的に別れていくのです。第二の夫婦が生まれてくるのです。子供は大きくなって、父母についていくより、別れていくのです。だから、愛は神のほうに、段階的に上がるようになっているのです。それを否定することはできないのです。先生も、君たち以上に苦悶した男です。


神人愛の一体圏を求めて

 何が良いか悪いかを決めて、発表して、自分と関係を持たなければ大変です。一方のみではなく、東西南北を比べてみないと駄目です。御飯ばかりが良いのではないのです。世界にはたくさんの料理があるのです。中国料理、フランス料理、イタリア料理、日本料理、韓国料理、各国によってみな違うのです。それらをみな味わってみて、「これが自分の体に良いから、誰が何と言っても仕方がない」と。日本にいても西洋料理を食べるようになるのです。それは心がそれに引かれていくからです。そうではないですか? (そうです)。決めるのは自分が決めるのです。食べるのは自分が食べるのです。愛するのも自分が愛するのです。誰かが愛するのではないのです。だから、真剣な愛は、真剣なる立場で、絶対一つしかない道なのです。それを見ても、自分の絶対的統一圏を認めないということ、絶対に一つになる愛に関係を持つことはできません。だから、心身一体は絶対要求なのです。

 これが一つにならなければなりません。単位と同じです。数や単位を組み合わせて、公式になるのです。単位が間違った場合には、その公式が間違ってきます。この単位が間違った場合には、過程が間違ってきます。この単位の男と女を組み合わせて、公式になるのです。神様まで合わせていくのです。だから、結婚は自分の完成のため、結婚は神様を占領のためです。神様の実体です。外的な神様ではないのです。内的な神様とともに、良心と愛と一つになった神全体を占領したいのです。人間の欲望は、最高の欲望を持っているのです。神様を袋に入れて担いでいけるような大きさを持っているのです。それが堕落したので、それが困難になったのであって、本来だったら、神様から出発して神様に帰るのです。分かりましたか? (はい)。

 子供たちは、父母から生まれたので、父母に帰るのです。結婚するのです。分かりますか? (はい)。原因と結果が一つにならなければ、完成というものがないのです。原因と結果が一つになることによって、大きく回っている環境を抱擁して回って、すべて因縁でもって関係を結ぶことができるのです。たくさんの人類を知り合いながら、帰っていくのです。そうすると、いろいろな国の人々、いろいろな文化と交流していくのです。霊界はそういうような集合、連帯の世界なのです。そこに適応するには地上に住みながら、世界、人種、あらゆる国との関係を持って体験したことがあれば、向こうの世界(霊界)において、主体世界において、すぐに相対になれるのです。相対圏で一つになることができるのです。分かりましたか? (はい)。

 結婚をなぜするかというと、自分完成とともに宇宙占領、神様の愛まで占領したいのです。こういう問題になるのです。アダム・エバに神様が言うには、アダムとエバが結婚して、その次の朝に呼びかけて訓示するには、「君たちは、愛を中心として絶対に一つにならなければならない」と。そうすると、アダムとエバは「お父さんは、そういう愛を中心として絶対に一つになっていますか?」と質問します。すると神様は、「私はそういうことはないのだ」。そんな気持ち悪いことはないのです。

 先に父が成し得て、子供に訓示しないというと、それは主体がないことであり、主体がなければ、客体もなくなってしまうのです。それで神様は、「もちろん、あなたは知らない深い分野に、既に愛の主人としていたのであり、結婚して愛の関係を持つことは、神自体が初めに体験しており、君たちは二次的になっているのです」と言うのです。だから、神様に訓示し得る立場であり、神様自体も愛には絶対服従するというのです。平和的に今日の理論的出発が生まれてくるのです。分かりましたか? (はい)。

 愛を絶対的に感じて屈伏したとするならば、愛の本郷地が神だとすれば、神の本郷地はどこですか? そこで、愛が初めか、神が初めかということが問題になるのです。人間が初めですか、愛が初めですか? (愛です)。人間が男、女に分かれたのは、愛の完成のためです。見えない構想があって、こういうようになるのが愛であり、男、女が一つになっているのが愛です。神の無形実体が、性相・形状で一つになっているのが愛というのです。見えない世界では統一されているのです。それが見えるものとして、分化して、大きくなって再び、見える相対圏と見えない神様と同じような立場になるのです。

 見えない神様は良心の立場であり、見える立場は肉身です。これが縦横に一つになるので、人間は縦的自分、横的自分というのです。これを定着させておかないと、理想的出発をする理論的理想郷の結論を得ることはできません。出発点が二つであったら、目的とするところも二つになるのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。先生が一番苦労したことは、神人愛の一体圏をどういうふうに求めるかということです。これは重大な質問です。宇宙の根本問題の原因のはっきりした出発点を究明しないというと、過程が矛盾していくのです。それが一つになっていないのに、過程が一つになることはできません。

 運動して、こう回っていくのです。(先生が手先を回転させるようなしぐさをされる)鉄砲の弾も、こういかないのです。こう回っていきながら、宇宙も回るのです。そういうふうに電気も、電気の送電を見れば、電気もこう回りながらいくのです。そうすることによって、抵抗を少なくするのです。直線では抵抗があるのです。回るには、錐がこういう直線で「キー」と回りながら刺さるのと同じように、思わないといけないのです。だから、二人が同時に上下でもって、こういうふうに授受しながら、周辺を回りながらいくのです。ですから、送電線では表面は真鍮、銅だけど、中には鋼鉄が入っているのです。ここは電気は通らずに回っているだけです。分かりましたか? (はい)。

 出発点が相対関係で授受しながら移行する、そのようなペース、周波が異なれば、めちゃくちゃになるのです。だから、原因の出発は統一なるものを発見して、それが二性性相でもって運動するような基準に結び得てないというと、結果と原因が一体になる道は永遠にありません。神の愛と人間の愛はどういう関係かということは、大変なことです。

 だから、宗教と哲学がどう違うかというと、宗教というものは、神から始まるのです。大概、教祖たちは霊的に神様からの命令によって、教典とか、真理の内容とか教えられるのです。哲学というものは、人間が神を探していくものです。宗教は、神が人間を探してくる道です。それは堕落したからであって、堕落しなかったならば哲学も宗教もいらないのです。既に神も分かっているのです。自分の中にある神と共に生きているのです。宗教はいらないのです。分かりますか? (はい)。だから、完成した地上人においては、宗教はいらないし、哲学はいりません。人間自体が哲学完成体、宗教完成体になるのです。

 その完成の最も重要な要因は、天的な根本的な基本的な元の愛であり、元の愛の主人は神様です。人間は神様の相対的存在です。何を中心としてかというと、真の愛を中心としてです。だから、人間は愛を絶対的に必要とするのだから、それを絶対必要として占領した場合には、神自体もその愛の中で住みたいというのです。いくら大きい有名な旦那さんでも、愛する女の懐に住みたいのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。子供たちもみな、お母さんの懐が必要なのです。


人間は愛のために生まれた

 大きい男は愛の懐が必要なのです。分かりますか? 奥さんというのは、愛する旦那さんのお母さんと同じです。そうなると、これは別れることはできません。お母さんを好きになった場合には、女で自分に近いのは、お母さんです。お母さんの次に継続して、お母さんになるのが妻です。お母さんの代わりです。だから奥さんは、お母さん以上に愛さないといけないのです。奥さんは自分のため、お父さん以上に愛さないといけないのです。そういうことが理論的に分かるようになったとすれば、自分が移動した場合には、宇宙が移動するのです。分かりましたか? (はい)。

 そういう意味で、人間はなぜ生まれたのかというと、愛のために生まれたのであり、男も女もこの答えには何の不満もありません。「それで良い」と言うのです。愛を見たことはないし、触ったことはないが、それでも良いというのです。本当ですか? 考えてもそれ以外にないのです。分かりましたか? (はい)。

 真の父母というのは、こういうような全体の愛を総合し、宇宙に定着、安着した者をいうのです。そういう男と女は共に、宇宙と共に、神様と共に同じ場所で、神様が笑うと、同じくアダムとエバも笑うのです。「わーっ!」と一つになって中心を中心として、アダムとエバが笑うのです。アダムとエバが横的になって、神様はこうなって、一つになって、「あーっ」と、です。神様が中に入って、アダムとエバは袋みたいに被せるのです。中心がこう下がって縮まった場合には、(先生が両手でもってしぐさされる)これは十分中に入るし、男と女は周囲でもって縮めていくのです。円心を中心に、円形を中心として縮まっていくのだから、自動的に細胞は円形にならざるを得ないというのです。角があった場合には削られていくのです。均一的になるのです。

 だから、あなたたちも、いい人がこうやった場合には、こういうふうになるのです。(先生が上体をゆするしぐさされる)こういうふうにね。(笑い)こういうふうに、こういうふうに、(先生が両手で抱き込むようなしぐさをされる)それは削られるものがないように真ん丸くなって、一つになるようにです。だから背中を出して相対的に、これがこうなったのに、これがこうなったら駄目です。これは相対的に平均で、こうなった場合には、(先生が両手を左右に大きく広げられる)向こうから回って全部を捨てないといけないのです。そういうでたらめをやったら駄目です。先生はそういうのに敏感です。

 それで、韓国の舞踊団も先生がつくったのです。それは、西洋の舞踊団的にです。西洋舞踊団で有名なのは何ですか? (オペラです)。オペラは歌です。「UBA」を知っていますか? アメリカの「UBA」です。薫淑様を知っていますか? (はい)。薫淑様は何をやっているのですか? (バレエです)。バレエというのは、神を称えるものです。だから大衆は分かりません。そういう意味で、韓国は両方とも幅が広いのです。日本は着物を着て足を伸ばすことはできないのです。こういうふうにして、こういうふうに(先生が踊りのしぐさをされる)(笑い)「月が出た出た。月がー」なんてね。だから、韓国の舞踊には及びません。ジャンプができないのです。

 そういうように自然の中で、すべてが先生になっているのです。芸術品を見ればみな、自然から取り入れているのです。テーブルの足なんかもみな、こういうふうに自然にあるものを取ってきたのです。神様は芸術の王様です。

 真の人間というのは、どこから出発すべきかというと、今から出発すべきではなかったというのです。全知全能なる神様の直前から出発すべきだったのです。分かりましたか? (はい)。

 だから君たちは、偽物として生まれたので、ハンダ付けして臨時に使う以外にはないのです。大変です。それが恨みだから、何とか甘柿に接ぎ木して三代以上過ぎないと、本当の実としては使えません。接ぎ木する以外にはないのです。それで接ぎ木して、甘柿の実を得ることはできるのです。神の倉庫に入って、神の御膳の近くに上がることができるのです。甘柿でないものは、本当は御膳に上がることはできないというのです。純粋な種類ではなく雑種であり、雑種には異物が含まれているのです。堕落したために、サタンの血統と神の血統が混血しているのです。それを何代かで清めないといけないのです。分かりましたか? (はい)。

 人は何のために生まれたのですか? (愛のためです)。愛は何によって得られるのですか? (夫です)。旦那さん、夫、どんな旦那ですか? 一段、二段と、段階をつくってくれた名前を持ったものが旦那さんですか? (笑い)梯子の踏み台と同じです。(笑い)本当です。こういうふうにすると、旦那さんの説明がつくのです。文先生は、済州島で四〇〇〇名余りの女性の前で、初めて語った言葉が、「旦那さん」であったと、そのように、先生はたくさんの言葉をつくっているのです。英語もたくさんの言葉をつくったし、日本語も、韓国語もです。言葉がないのです。

 そういうふうに、人間は愛によって生まれるべきだということです。分かりましたか? (はい)。その愛の元なる男と女が出発するように始められたのが、神様の創造です。だから、創造の前から真の父母という観念はありました。存在するすべてのものは相対的関係を持ち、それなりに夫婦関係の内容を持っているのだから、創造の前からあったと言っても、理論的に矛盾はしていません。分かりましたか? そう考えた時、これが宇宙の根本であり、出発の動機であり、それに従わなければならないということに気づかなければ、自分は中途半端になってしまうのです。だから本然の根につきたいのですか、枝につきたいのですか? 本然の根につけば、葉先、幹の根、幹の枝、すべてのものについたと同じ価値があるのです。本然の根につくのが理想的だというのです。分かりましたか?(はい)。

 それで、真の父母という問題は、宇宙存在、出発する前からあったというのです。環境には相対的存在があり、相対的存在は必ず、それなりに次元は低いのだけど授受作用するために一つになるのです。一つになることによって、両方ともマイナスにはなりません。大きくなって、立体的にふくれていくのです。だから運動を続けていくのです。君たちが市場に出るとしても、毎日、出るたびに一円ずつ損をするとしたら、毎日継続するかというと、しないのです。十円でもいいから、いつでも出たり入ったりすれば、少しでももうけた場合には大きくなることによって、それは栄光と天国に通じるのです。

 神様を占領する道は大きくなることによって成されるのです。だから、大きく、良いことは蕩減を余計にしなければならないから、「犠牲になれ、奉仕せよ」と言うのです。こういうことをみんな知った場合には、説明がいりません。それで自分を守って、脱線せずに自分を安全地帯に導いて引っ張っていくことができるのです。分かりますか? (はい)。だから、真理を知ることにより、良心の元の知識を蓄えることができ、良心は神様と一つになるようになっているのです。良心は神様の真理の相対と一つになるようになっているのだから、それを蓄えておけば、すべての主体に適応して、すべてと一つになる動機をつくるのだから、どこへ行っても利益を残すようになるというのです。何の話か、分かりましたか? (はい)。


キリスト教の歴史を通して求めてきた新郎新婦の遭遇

 先生は、いつでも会って話をする時間はありません。これが初めであり、最後かもしれません。一度別れたら、もう十年会えないかもしれません。十年、二十年、三十年かかっても会えないことがあるのです。その時は、先生は既に霊界に行っているのです。

 これが生涯において初めであり、終わりであるそういうような切迫した緊張圏に立っているのに、座って鼾をかきながら寝るような者たち! (笑い)横に座っているそういう者を見て、放っておくのは、それはもっと悪いのです。寝る者よりもっと悪いのは、座って分かっていて、それを目を覚ましてあげないのがもっと悪いのです。もっと悪い女にならないように、警告します。分かりましたか? (はい)。

 これが大元です。小さいものから大きいものへ、人間と神様がみな、このケースに引っ掛かっているのです。神様も共に大きくなりたいから、投入して、投入して、忘れるのです。なぜかというと愛の大きい無限の愛の袋で包囲されるために、投入して、投入して忘れるのです。

 完全な真空圏になった場合には、すべての高気圧は上下左右に、一遍に「ふわーっ」と入ってくるのです。分かりますか? 先に入ってくるのが悪いのではないのです。それは、こういうふうに入って来た場合には、来たものがすーっとここを中心にして、全部がまとまって立体をつくります。「トネイドー」を知っていますか? 旋風です。英語では「トネイドー」と言うのです。こうなって、家も何でもみな、巻き上がるのです。無限に爆発的な力が生じてきます。分かりますか? 力が生じてきます。奉仕、奉仕して、絶対真空圏に立った場合には、無限の力が「ぱあー!」と最高に出てくるのです。だから、神様に奉仕するというと、台風が吹き寄せるのも、斜めから来ないで垂直に近く来るのです。垂直に近くなって、「びゅー!」と来るのです。爆弾投下みたいに爆発してしまうのです。強ければ強いほど迫力があるし、破壊力があるので強いのです。そういうふうな刺激、最高の刺激があるのです。

 だから、時には旦那さんと分かれても、真空圏と高気圧圏が必要です。そうすると、毎晩、夢で会うようになるのです。夢の中で、抱擁して愛した場合には、堕落した世界の愛よりも、もっと刺激的です。その基準を超えるということです。これから特別に、先生はそういうようなことを教育するのです。堕落のために四大心情圏を破壊したのだから、蕩減復帰は、エバがなしてきたと同じような所で、一八〇度転覆するのです。

 それで四大心情圏を女が体恤しないというと、宇宙の転換点を正すことができないというのです。堕落の瞬間に、四大心情圏、四大心情を失ってしまいました。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情を一遍に崩壊してしまったことを、いつ女として体恤するかという蕩減復帰です。同じように体恤することです。その時が、キリスト教を中心として歴史を通して一点を求めてきた、新郎新婦の遭遇です。会い合うという遭遇の時です。その時に女たる者はみな、神の娘として、妹として、奥さんとして、お母さんとしての心情を爆発的に体恤しないというと、変わらないのです。

 そのような大元が、再び生まれてこなければならないのです。そういう体恤をした場合には、「旦那さん」と言えば、旦那さんは遠い所にいるのではないのです。もう既に、自分の中に入っているのです。それは主体だからです。そういうような愛の本郷地を求めていくのが、人間の生来の生涯の生活です。真の父母の観念が分かりましたか? 宇宙の根本的な基本姿勢となっているのです。

 あなたたちは何から出発しましたか? 真の父母ですか、偽りの父母ですか? (偽りの父母です)。偽りの父母という、血統が違っていたのです。エバが堕落して、君たちみたいな生まれるべきでない者が、故障した者が生まれてきてしまったのです。完成は一つもありません。だから、霊界は空いているのです。分かりましたか? 霊界、神様の創造した天国は、今まで一人も入っていないのです。真の父母が最初に入るのであって、神様と人間が愛の関係で、主体・客体の関係で一つとなった基準が、創造の本然の目的なのです。

 そういうような血統的因縁、愛の因縁を、生命の結合体と血統を伝授した者が、家庭、氏族、民族、それから天国の世界を主管することができるのです。堕落は反対です。血統的に過ったのだから、神様も血統的に、生きた者を殺さないで、そのまま一つ一つを転覆して消化していくために、何千万年もかかったのです。それで、神様の真の父母ということを体恤する根拠がないのです。相対がないのです。その相対たるべき者が長成(期)完成(級)基準でサタンと一体となって、なくなってしまったのです。良心一つでは、何にもなりません。良心も、それは長成(期)完成(級)基準で堕落したのだから、堕落した愛よりも弱いのです。だから、肉身がサタンの基準になって、肉身が良心を引っ張りだこにしているのです。これをはっきり知らないといけないのです。

 それを抑圧、却下させるのです。宗教者の目的は、主にそれを成すためです。それで宗教は、肉身の願うすべてを拒否しているのです。寝ることを克服しなければなりません。サタンは食べてよく寝ます。怠け者は食べてはよく寝るのです。良いものを食べても寝ながら消化してしまうのです。それから、食べ比べて良いものを食べるのです。きょうより、あすはもっと良いものを食べるのです。どんなことをやっても、泥棒しても良いものを食べるのです。だから食うもの、寝るもの、遊ぶものが怨讐になっているのです。

 それから情的問題です。原理原則を破って、誰でも乗っかって一つになろうとするのがサタンの性格です。君たちもそういう思いをしたのでしょう? そこに美男子がいた場合には、心で慕いながら、「あの美男子を夫にすればいいな」と、夢で抱えながら、そういうふうになって恋煩いに引っ掛かってしまうのです。そんなになるのです。男もそうです。そんなものはヤクザな世界です。複雑に交わる曲線を通過したそれが愛というものです。

 エデンの園にはアダムとエバの二人しかいないので、そんなことはないのです。それが伝統になった場合には、さーっと絶対愛によって、自分の相対者が、生まれると共に分かるようになるというのです。寝ながらも、共に生きるのです。目をつぶってからでも共にです。アダムとエバはそうなるのです。堕落しなかったら、寝ながらも共に話が出来るし、夢を見るのも、二人で見るのです。だから、因縁も関係も一体になっているのです。

 堕落圏に立っているから雑多な思いを持つようになるのであって、堕落しなかったとするならば、唯一の思いでふた心はないのです。毒蛇は二つの話をします。舌が二つです。堕落した人間は、蛇の後孫を象徴するふた心を持っているのです。うそをよく言うのです。蛇は舌が二つです。毒蛇の特徴です。それで人を殺すのです。噛まれた場合には死んでしまうのです。

 あなたたちはふた心を持っていますか、ひと心を持っていますか? 二つです。心身が紛争するからです。きょうはここで、あすは家へと、自分の利益になると思ったら、いつでもそーっと出ていくのです。だから、芸者なんかみなそうです。愛を中心とした自分の価値が分からないので、金が必要になったら、何でもやって売ってしまうのです。豚よりも悪いのです。そういう者で、統一原理を分かる者は絶対生まれてきません。

 真の父母の名というものは、宇宙の根本から出発しているのです。神様は愛を中心として、神人一体圏を考えながら創造を始めておられるのです。大きく高いものをつくるには、小さいものをたくさん加えて、大きいものをつくろうとするのだから、愛の相対の要素をみな集めて、大きい男女を神様の相対になるように投入しているのです。宇宙のすべての存在を投入して、神の相対をつくるのです。そのような相対は、神の無形実相が実体実相として現れた宇宙なのです。

 名前は何と言いますか? (森です)。盛り蕎麦? (笑い)これも、森さんです。あなたは黙っていなさい。教育されて使われるのは、神聖な者になるのです。黙っていてよ。(笑い)これも森さんです。一遍、触って分析すれば性格が出てくるのです。そのように、すべての宇宙は、神に属しているのです。分野が低くても、神のある段階にいるのです。その様相がみな、二性性相を持っているのです。自分の性相と自分の性質を分け合って生まれてくるのと同じです。そういうふうになっているのだから、みな大きいものへ大きいものへ上がろうとするのです。

 小さい小さい川で、浅っぽい川で泳いでいると、深い所へ、深い所へ、深い所へ、大きい所へと、こうなるのです。みな、あなたたちの欲望もそうです。最初に生まれた子供の時は小さいおもちゃですが、女の子も男の子も夫婦になると、一つの国を願うのです。そこから、どんどんと大きくなっていくのです。日本の奥さんや旦那さんよりは、西洋の奥さんや旦那さんのほうが、となるのです。(笑い)そうなるから、女としては生きた男の旦那さんが必要となるのです。それで最高の王様みたいなものになろうと思うのです。だんだん大きくなるのです。最高の所まで行くと、欲望の最高の絶頂は、神を占領して、神を最も愛する秘密の宝のバッグに入れて抱えていきたいのです。


停止は滅亡と地獄に通じる、発展は繁栄と天国に通じる

 良心は神の愛を占領するような構造になっているのです。元になっているのです。先生が多年の苦労で、真理は何かを分かってみた場合に、がっかりしたのは「真理は空中のどこかにある」と思っていたのにみな、自分の座布団の下に入っていたのです。自分も知らなかったのですが、神様はどこにいるかというと、愛の最も深い良心の寝る所に神様がいるのです。分かりましたか? これは、「人の人」です。こういう「の」の字があるのです。人すなわち神です。それは一体ではないのです。相対関係の組み合わせが分からなかったのです。

 お釈迦さんが「天上天下唯我独尊」と言ったのも、自分の中に神様がいると思ったからです。それは解明されていません。垂直の決着点に良心の基盤があるから、その決着点に止まる主体・客体観念を発見できなかったのです。だから、仏教も出発時から、世界終着点の中心に立つことはできないのです。根本がはっきりしていないので、結果もはっきりしていないのです。しかし、統一教会は根本がはっきりしているし、結果もはっきりしているのです。だから、この思想は誰が何と言っても、世界を統一せざるを得ないようになっているのです。

 多方面の実験を経て先生は、良い頭を持っているのです。本当です。そういうふうに実験して、自分が成してみて、世界が反対しても堂々と成功しているのです。それは、原理の内容が、教えが正しいから、その結果はどこでも成功するのです。サタンの世界で原理を知る者は、どの世界でも完成者になるようになるのです。

 そこで、各国の人々がどういうかと言うと、「統一教会には立派な青年がたくさんいます。いやー、文先生は幸福です。ああいう者たちが統一教会に入って先生を援助するから」と言うのです。先生によって相対としてつくられたということを知らないのです。日本もそうでしょう。「勝共さんでなければ、日本は救えない」と、みな言っているのです。なぜかというと、「それは話もうまいし、説得力もあり、金には一銭も工作はしないし、正直である。そして奉仕的だ。そういう人は、日本中一億二千万の中に一人もいない。いくら探しても、統一教会以外にはいない」と言うのです。

 また、学者たちも統一教会の学生と付き合った場合には、「自分の孫より立派であり、孫嫁や孫婿と比較した場合に、自分の娘というのは、孫娘は勝手な者です」と。私たちは、神様みたいに投入して忘れて、投入して忘れて、高尚な相対理想を求めて、きょうの苦難を忘れて、あすへの希望に向けて進んでいくのです。だから、停止しません。停止すると、とたんに死亡と地獄に通じます。停止した瞬間に、そこから下がっていくので、滅亡と地獄に通じるのです。発展というのは、繁栄と天国に通じます。それが宇宙の真理です。だから先生の生活は、毎日一つでもプラスさせることです。プラスさせる人は停止しないのです。普通の人が山に登った場合に、「ああ、上がった」と座り込むのですが、先生は必ず三歩ないし、十歩数えて座るのです。

 そういう習慣が大切です。きのうよりきょうへと新しいものを神様は願うのです。分かりましたか? (はい)。きのうのように、三日以上も同じものであったら、神様は嫌うのです。回れません。回っても、新しい者を組んで回るから発展します。大きいものに向けて運動する理論になるのです。停止は、滅亡と地獄に通じるのです。繁栄は? (天国です)。プラスさせるのは、大きくなることは、繁栄と天国に通じるのです。君たちもそうです。

 統一教会に入った時には、統一原理を聞いて興奮して、御飯を食べることも寝ることできないで、「教会、教会、教会」と言った者が、十年たった場合には、ぺちゃんこになってしまっているのです。それは地獄の地獄で、再び立ち上がることができません。そういう者は、いくら統一原理以上であっても、真の真理に反対した者は蕩減しなければ、再び真理に立つことができないのが宇宙の原則です。一度落ちた場合には、再び帰るためには何十年の蕩減の生活が必要です。統一教会に入る時は堂々と立って入ったのですが、出ていってから再び入る時は、這ってでも入ることができません。恐ろしい所です。

 こういうことがみな、生活に必要な内容になるのです。真の父母が分かりましたか? (はい)。真の父母という名はどこでも必要です。鉱物世界でも、その観念を中心として愛につながって生きているのです。植物世界もその観念と共に、おしべとめしべがまとまって生きていこうというのです。昆虫世界も、動物世界も、人間世界も、人間を中心としているのです。人間が王様です。そういう観点から見た場合に、人間というのは、男と女は小宇宙というのです。愛を中心として、小宇宙というのです。それで、どこでも人間は通じないところはないのです。君たちも霊的にそういう願いが出てきた場合には、みな話せるのです。水中の魚とも語ることができます。神様は、それができないと大変です。みな通じるのです。愛は偉大なものです。そういう尊いものを失っているのです。

 だから霊界に入れば、それが一〇〇パーセント活用できるのです。見たい者を呼べば、すぐに現れるのです。何億マイルでも一瞬に飛ぶのです。愛の速度を超えるものは何もないし、愛の速度を止めるものはありません。分かりましたか? (はい)。だから、真の愛の道は直短距離(最短距離)を通じるのです。直短距離です。上から下に行くのも直短距離は水平以外にはないのです。ちょうど九十度の一点しかありません。それが最高の直短距離です。上下をそのようにつなぐ直短距離が真の愛の行く道だとすれば、平面的直短距離は、アダムとエバです。その直短距離も九十度だったから、九と十と、横的に一つになっているのです。これが元です。それが一つになって、大きくなっていくのです。家庭、氏族、民族、国家です。それが大きくなるというと、相対的に平衡を取るのです。

 だから、そういう意味において、男と女は平衡をたどり平等です。これが横的に一つになるには、愛を中心として平等になるのです。ですから、女というのは土です。男は永遠に近いのです。分かりますか? こういうふうにして、螺旋で発展していく無限の世界です。たくさんつなげて、縄をなうのと同じです。大きな縄と同じようになって、どんどんどんどんと回れば回るほど、宇宙の理想は個人から天宙までつながって、どこにでも通じるようになるのです。だから膨大な霊界も自分の活動舞台になり、遮るものは何一つもありません。

 そういう永遠の大宇宙旅行のために、理想の相対が必要であるというのです。一人では寂しいのです。宇宙旅行です。あそこは飛行機もいりません。何百倍のジャンボ以上のスピードを持つ車が、ちゃんと自分の命令によって可能です。夫婦が一双になって、神様みたいに、神様と共に生きるのです。(一部割愛)


善の全権時代へ

 これからは、旦那さんを再教育するのです。だから今、「女性連合」をつくるのです。旦那さんたちを再教育するのです。女の組織を強力な組織にするのです。奥さんとしては一か月に一回ずつ、旦那さんの報告をしないといけないのです。どこへ行ってきたか調査して、他の女と関係があった場合には、どこかにやってしまうのです。部落の女の最高司令官が、「男ちょっと来い。この天使長の輩!」と。(笑い)それを切ってしまうのです。それが必要ではないですか、要らないものは切ってしまうのです。自分の奥さんが相談して切るのに、誰が不平言いますか。そこまで教育して、男が願うような境地まで詰め込む内容を持っているのです。立派な旦那さんで、酒も飲まないで自分ばかりを愛してくれる旦那さんを願いますか? でたらめに凸凹の道を歩いてきて、ぼろみたいな穴ぼこを流れてくる愛の子供を持ちたいですか、どうですか?

 みんな女は、だまされているのです。全部うそです。出張すれば、そんなことは一〇〇パーセントがやります。それを知っていますか? 知っている、知らない? 旦那さんはうそっぱちのサタンです。エバがだまして誘惑したと同じです。それはもう、何千代も続いた罪の塊になっているから、そういうことは平気です。分かりましたか? (はい)。そういうものをみんな綺麗にしたくないですか? (したいです)。だから、先生の言うとおりにやりなさい(はい)。

 それで、今度帰れば、反対する者に「何が悪いですか、統一教会の文先生の何が悪いですか、誰が悪いと言いましたか? 行きましょう!」と言うのです。そして「話しなさい!」と。それで、三人ぐらいで連れていきます。「ああ、私が悪い」と言えば、「どこから聞いた?」「新聞社です」。では「新聞社に行きましょう」「その、主筆とか、局長、編集局長の所に行きましょう」。そこで、「誰から聞いた? それを紹介してください」と三人ぐらいで問い詰めた場合にはみな、逃げていくのです。分かりましたか? 今度帰ったら、先生が女の口を開くのです。今までは黙っているしかなかったのです。神様は黙っていたのです。長子権が立ってないから、父母権、王権ができなかったからです。今はそういう時代を越えているのです。

 全体、全般に、善の全権時代に入るのです。三者から統一教会が指さされて、何を言われても従っていてはいけないのです。それを戒めて教育しないといけないのです。みな悪いからそういうことをしないようにするのです。女の将軍になるように、五万人の将軍になるように、先生が指示して、日本に派遣致しました。口を止めていてはいけないのです。分かりましたか? (はい)。それで君たちは番頭さんとして、自分の地域を守ることも必要です。自分の子供がめちゃくちゃになってしまうのです。自分の一家がめちゃくちゃになっていくのです。自分の舅さんにもその話をするのです。旦那さんから引き詰めて、それから舅さんを連れて、「お父さんを証しなさい。お母さんを証しなさい」と言って紹介します。

 (先生に対する)悪いうわさが世界まで、広がったので、先生はそのカラーを脱ぐのに一生涯かかったのです。神様もそうです。アダム・エバが堕落した責任は神様も同じです。その責任を先生が持っているのです。だから、神様が先生を愛するのです。神様に似ているから先生を必要とするのです。

 先生が日本にいた時も、日本の女に、「私は君を愛します」と手を取ってキスした人は一人もいないのです。むしろ、女のほうが先生の所に入ってきて「救ってください」と言ったのです。そういう女を、妹として教育して、将来は立派な奥さんになるようにしてあげたのです。涙を流しながら、振り返りながら「すみません」と言ったことが、今も忘れられません。その女の子は今どこに住んでいるだろうね? だから、あなたたちに何を言っても、先生は堂々としているのです。あの美人のお母様はさておいてもね。(笑い)お母様に対する先生の使命はまだ完成していないのです。一つ、二つ、まだ残っているのです。お母様はそれをよく知っているのです。だから、真の父母の伝統をはっきり知らないというと、こういう複雑な世界において、それを治めていくことはできません。

 真の父母が必要ですか、必要ではないですか? (必要です)。なぜ必要ですか、なぜですか? (真の愛ゆえです)。いいえ。堕落したのだから、堕落から始めないといけないのです。堕落して偽りの血統を受け継いだのだから、真の愛とは関係ない立場に立っているので、真の愛を再び接ぎ木して、接触させて、再び自分たちが甘柿になるために、真の父母が絶対必要です。真の父母が立たなかった場合には、渋柿の枝から甘柿は永遠に結ばれることはできないから、甘柿になるために真の父母が必要なのです。こういうふうな説明をしないといけないのです。絶対必要ですか? 絶対の反対は何ですか? 何、不絶対ですか? (笑い)それが一番良いのです。何か反語を探すことに考える必要はないのです。不絶対です。(笑い)それは絶対必要なことです。いなかったら大変です。分かりましたか? (はい)。


過って生まれたのだから再び生まれなければならない

図−1
図−2
(先生が黒板に図―1を書かれる)これが八段階です。分かりましたか? これも、これも、これもです。これがこれです。八段階です。一、二、三、四、五、六、七、八段階です。これは蘇生、長成、完成です。これは旧約時代、新約時代、成約時代です。これは六〇〇〇年の六〇〇〇年です。これは歴史的に過ったすべてを綺麗にして、平面的にも綺麗にしないといけないのです。だから、ここ(A)にいる五十二億というものは、みなこっち(B)から生まれて生まれて、こういうふうになっているのです。分かりましたか? 蕩減復帰です。過って生まれたのだから、再び生まれなければ、正しく生まれなければならないのです。

 だから、こういうふう(C)に生まれていった者が、こういうふう(D)に逆のほうに生まれるために、母の腹に戻っていかなければならないのです。分かりますか? 重生のために再び生まれるためです。そうなるというと、ここ(E)で家庭を中心として、家庭と氏族をつなぐには梯子が必要です。ここで絶対必要なのは氏族メシヤです。(先生が黒板に図―2を書かれる)その一六〇か国の中心が再臨の父母です。真の父母です(A)。こっちから、蘇生、長成、完成です。国を中心として、これが氏族のメシヤです(B)。氏族メシヤと家庭的四位基台が整うことによって入籍ができます。分かりましたか?

 それと同じように、この基準によって家族はみな、氏族のお母さんの腹の中に戻っていかなければならないのです。女と子供です。神様を失ったのは、女とカイン・アベルです。分かりますか? アダム家庭を失っているのだから、それを探さなければならないのです。それで、再び腹の中に入ってしまわなければなりません。

 全世界の女はお母様の分身になるのです。分かりましたか? (はい)。それはナイロンの細い線をずーっと、つないだのと同じです。電気をつければ、そのナイロンを通して電気がつきます。そういう一体圏をつくりなさいというのです。それはなぜかというと、お母様の心情を体恤しなければならないからです。分かりますか? お母さんが寂しくなった場合には、自分も何となく寂しく感じないといけないのです。一体にならなければなりません。

 だから、「お母様の分身になりなさいー」と言うのです。全世界の女は一人のエバだというのです。分かりましたか? (はい)。全世界の男は、堕落した復帰時代に入った天使長だというのです。分かりましたか? (はい)。エバの相対基準は、再臨の主、完成されたアダム基準です。アダムと関係しないで、反対の方向へ行った者が、再び帰ってきて、アダムと関係するようになるのです。君たちは今、そういう立場に立っているのです。分かりましたか? (はい)。

 そうなるというと、真の父は二人ではないのです。分かりますか? 女はみな真のお母さんの腹とつながった糸みたいに、電線でつながって電気がつくのと同じように、その腹の中に子供をはらんで、家庭的な父母は、家庭でのカイン・アベルを中心として、氏族的なメシヤのお母さんの腹に入るのです。氏族的なメシヤのお母さんの腹を通して、民族的なお母さんの腹、それで先生を中心として、一六〇か国のお母様までつなぐのです。それは民族から、国家、世界、天宙まで、三段階をつなぐようになっているのです。蘇生、長成、完成です。ここだけをつないでおけば、すぐに神とつながるのです。一六〇か国です。分かりましたか? (はい)。

 全世界に同じようなペースでもって氏族メシヤを送っているから、家族メシヤはアダム家庭であり、氏族メシヤはアダム家庭です。それは、先祖をなくした、統一教会の祝福をされた者たちです。それはアダム家庭と同じです。アダム家庭で先祖をなくしたので、先祖復帰が氏族メシヤです。それから故郷復帰です。故郷を失ったので、神の基地がなくなってしまったのです。

 それで、再び故郷が生まれることによって、神と同じく同居する時代に復帰していくのです。家庭から氏族、国家を通して、世界へつなぐ道ができるのです。だから生まれ変わるには、逆の方向に向かって、逆に戻っていって、真のお母さんの腹の中にみな入ったような立場に立つのです。「うわー、そんな話がなぜか?」と言うと、天国という所は真の父母の愛を中心として、真の子供の種を結実させた者たちが、地上で王権に侍り、王族として生きた者が、最初の天国に入って王族になるのです。王族の兄弟をたくさん重ねた場合には国になるので、国民が増えていくのです。分かりましたか? そうなっているのです。

 だから、王族圏の心情を体恤しなかった者は、理想の神様の本郷の国に入る資格はありません。これは何人としても、否定できません。神様の考えは、それ以上のことを考えるのですが、それが最高の考えであれば、そうならざるを得ないのです。だからアダムとエバは、神様の万能の王子と王女であったということを忘れてはなりません。分かりましたか? (はい)。 分かりましたか? (はい!)。

 だから、その女が天使長と――。イギリスの王権は天使長と女がぺちゃんこになるのです。日本の男は、天使長の女とぺちゃんこになっているのです。もう、おしまいです。東洋の宮殿を代表して日本、西洋の宮殿を代表してイギリスになっているのです。日本がプラスである時は、東洋が中心であるから、イギリスを消化していかなければならないのです。そういう立場です。そうすれば、イギリスの中にはらんでいたアイルランドの旧教とスコットランドの新教が、このカイン・アベルを一つにして、それを生んで、一つの国をつくらなければならないのです。それが一つの国になっていないから今、紛争しているのです。

 それと同じように、エバはカイン・アベルを生んで、自分の子供と一つにするように、一族をしないというと、エバ国家を天国につなぐ道はありません。だから交差結婚をするのです。アダム国家はマイナスです。ちょうど、そうなるのです。だから、お母様も国に帰って、カイン・アベルを生んで一つにしなければならないので、韓国の四十か所の大学を中心として戦っているのです。カインとアベル、カープと共産党を一つにしなければなりません。今、もう一つになっているのです。

 それで南のカイン・アベルが一つになった場合には、北の本当の赤、こちらのだんだらの赤と向こうの真っ赤な赤を一つにすることによって、母がそれを生んで一つにすれば、イギリスの天使長、こちらはカイン圏の韓国の天使長、向こう(北)は堕落天使長です。それはいらないのです。分かりますか? (はい)。南北の青年がお母様と一つになって、先生と一つになって、一体となった場合には、彼らは堕落した天使長と天使の立場でみな後について行かなければ、おしまいです。だから韓国の国会は先生が整理するのです。それは、自動屈伏という内容でもってなすのです。血を流すような、打つようなことはしないのです。自動屈伏させないというと、サタンの反発を生むなどして、どこかにつながるのです。分かりましたか? (はい)。

 逆に過って生まれたのだから、蕩減は反対の方向へ行くのです。生まれるのも反対の方向にこういうふうに生んできたので、(図―1(A)参照)これは、サタン圏を全部勝利した後で、サタンがいないのです。だから「逆に帰れーっ!」と。そういうふうに再び生んだものが(図―1(F)参照)、地上天国です(図―1(G)参照)。分かりましたか? (はい)。そういうふうにして、真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。


真の父母と重生

 これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか? 分かりましたか? (はい! )。

 全世界がここに入ってきて、それからどうなるかというと、真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになるのです。そのような期間を通過しながら、お母様の腹の中に入った子供たちが、真の父の子供の種が真っ赤だったとするならば、愛の関係を繰り返すことによって、色が染められていって、ピンクからだんだん深まっていくのです。ピンクからでもそうなったとすれば、真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木したという、つないだということになるのです。分かりますか? こっちは本物で、こっちは偽物で、(先生がしぐさされる)兄さんと弟と同じです。分かりましたか? そういうふうに一つとなった状況をもって、それはずーっとこれを回って、母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです。

 国家的お母様の腹、氏族的メシヤのお母様、家族的メシヤ、復帰された一六〇の家族メシヤの基台に行って再び生むことになるのだから、サタンの血統とは全然関係がないのです。別個の天的本来の真の父母から出発した子女の立場に立つのだから、天上、地上天国に、お母様と真の父母によって、入ることができるのです。

 女は真のお母様に対して、(真のお母様が)お姉さんだとすれば妹であり、それから男は将来どうなるかというと、真の完成した第一代のアダムとすれば、それにハンダ付けして、復帰されたアダムとしてつくってあげることによって、第二番目の妹と第二番目のアダムは、その時に祝福を受けて、自分の相対を得ることができます。まずもって、お母様の腹から、女、子供を生まなければなりません。

 そのようにして生んだあと、生まれたあとに、それは、先生から見た場合には本妻と妾と同じです。分かりますか? その妾にはみな、たくさんの男が必要です。先生を襲撃したら大変だからです。それで、自分の旦那さんは絶対に女と一つになるのです。女が命令するのです。女が子供までも絶対命令することによって、天使長の立場に入るのです。分かりましたか? (はい)。天使長の立場に帰った者を、お母様とお父様が認定していくのです。それで、アダムには体があるのです。

 あなたたちの旦那さんをどういうふうに創造するかというと、(先生が黒板に図―3と4を書かれる)十六歳の時のアベルとカインのように(図―3の(A))です。このアダムが蘇生、長成から二十代へ、三段階を上がるには、これは長男と長女が上がるようになっているのです。分かりますか? 次男は上がることができないようになっているのです。それで、次男がここへ上がるには、長男の立場を蕩減復帰しないというと、上がることができないのです。蕩減復帰は次男の立場からやるのだから、長男の立場ではないのです。
図−4        図−5

 だから長男の立場を得るには、次男として、アベルがサタンの世界に出ていくのです。八段階です。それは個人、家庭、氏族、民族の八段階です。このようにして、アベルが次男としてサタン世界に出て、迫害を受けて自動屈伏して、長男として全体の支持を受けて、「君たちの言うとおりにする」と言って、故郷に帰ってくるのです。長男として帰ってくるのです。次男として行った者が、勝利して長男として帰ってくるのです。

 そうなると、サタンは、あとについて来て、次男の立場に立つので、長男のカインが次男の座、アベルが長男の座に立つのです。だから、ここに来て(図―4の(A))押して上げることによって、こっち(B)に上がるのです。分かりましたか? (はい)。このことを繰り返します。分かりますか? 八段階です。こういうふうに上がっていくのです。分かりましたか? (はい)。このようにした場合には、この圏内はサタンに勝利したために長子圏が復帰されているのです。長子圏です。

 これを誰がやったのかというと、アダム完成実体なるアダムが成しました。これは十六歳の時のアダムの体に、勝利したアダム全体の体をつないだような立場になるのです。この圏内に五十二億の子孫が、サタン圏にあったものがみな、アダム圏のほうにまとまるようになりました。分かりましたか? こっちから、こういうふうに回って、こういうふうに来ているのです。(先生が図―3・4の全体を円で囲まれる)こっちから、こういうふうに来ても、サタンは反対することができないのです。

 だから、再臨の主、アダム完成実体を打とうとして、サタンが八段階の攻撃して、次子圏を長子圏として打って蕩減復帰したので、長子圏でもって堕落しなかったアダムとエバ、長男、長女が上がっていくことができるのです。そこに上がった場合には、いくら下がっていっても、サタンは移行することができません。分かりますか? 自由圏です。だから個人からの八段階に、神様が離れていったけれど、先生が戦って勝利して、神様をお連れしたので、どこへ行っても自由自在に、先生と共に地上世界から地上家庭まで、どこに行っても同居するようになります。


天の地上天国顕現

 そうなったならば、世界の万民は接ぎ木だけすればいいのです。分かりますか? 接ぎ木は何かというと、完成したアダムの体を、渋柿に接ぎ木させてやるのです。本当は茎を切って、根っこを切って、こういうふうに接ぎ木するのです。こうやったとするならば、枝でもいいのです。これが三年ぐらいたった場合には、神様はこの根の力を吸収して(サタンのもので)大きくなりたいとは思わないのです。三年たった場合には、この接ぎ木された木から新しい芽が起こってくるのです。芽を出して、こういう芽が生えてきても、これを切ってしまうのです。サタンの因縁でもって、その力を補給してきた悪魔のものを受肉したくないというのです。分かりますか?

 そうして、これを肥料として、肥料として早く処理しなければならないのです。それであなたたちが、以前に結婚していて再婚したとするならば、前の旦那さんのものを再び結婚した男に見せたら大変です。姿もその表情も指すものではないのです。神様も同じです。

 エバが、再び結婚した立場に立って接ぎ木された場合には、接ぎ木は過去の因縁の茎の上に残しておくことはないのです。だから新しい根っこで切ってしまって、これを腐るようにして、みんな肥料として処理してしまうのです。分かりましたか? そういう接ぎ木をいうのです。接ぎ木は、臨時的であって、大きくなった昔の接ぎ木は何十分の一であっても、そのままにしておけば、全部が一〇〇パーセント、サタンの株につながるので、それは嫌だと言うのです。分かりましたか? 神様の接ぎ木は違うのです。

 こういうふうにして接ぎ木して、あなたたちの旦那さんを完成したアダムとエバがかわいそうにと思って、本当は元はアダムの体につなぐのに、十六歳の良心基準が第二の神の相対であり、絶対的なる良心が神の立場であった者が、堕落してこうなったのだから、完成したアダムが完成基準で、長成(期)完成級から完成期まですべてサタン権限を残してしまったのだから、アダムの上に再びつないでやったので、何千年、何千万年の歴史を通してたくさん生んだサタンの体であったのが、接ぎ木されることによって、アダムの体の延長として子供を生んだような立場の価値を認められることになるのです。

 接ぎ木されて、同じような完成した第二のアダムと、完成した第二の奥さんで、お母様とお父様の第二のアダム、第二のエバとして、そうして、その二人を組んで兄さんの後に弟が、兄さんは真の父母の後に兄弟の夫婦として天に入ることができます。蕩減復帰はこんなに複雑です。こうすれば、サタンは、それについて入ることができません。分かりますか? (はい)。

 血統的純潔で接ぎ木して、本然のアダムの体、完成したアダムの体を残してやったのだから、それを乗っ取ろうとすることはできません。個人から八段階を勝利したその基準にはみなアダム完成権限があるのだから、それに再び侵入することはできないのです。分かりましたか? そういうふうにして、女も、男も、子供もみな完全に勝利することによって、それが一体となることによって、天の地上天国が顕現するようになります。分かりましたか? 中にはこういうふうに、再びお母様の腹に入って、こういうふうになるのが(先生がしぐさされる)「真の父母と重生」という話です。分かりましたか? 真の父母と重生です。分かりましたか? (はい!)。覚えておきなさい。分かりましたか? 重要なことです。(はい!)。お母様の分身であるということが、はっきり分かりましたか? (はい!)。

 これが地上天国です。新しく生まれてくるのであって、サタンとは全然関係がないのです。これは、みんな男を失った者が、天使長と一つとなってきたことをみんな切ってしまってどうするかというと、再び完成したアダムが勝利を接ぎ木してやることによって、第二のアダムとして、第二のお母様のエバとして立っている相対と組んで、堕落しなかった姿で、長男と次男の夫婦が天国に共に入ることができるのです。

 こんなに復帰が複雑なのに、キリスト教を信じていて救われるというのですか? 分かりましたか?(はい)。

 「真の父母と重生」が分かりましたね?(はい)。蕩減復帰によって、こういうふうにならざるを得ないのです(図―1(D)参照)。こういうふうに生まれた場合には(図―1(F)(G)参照)、地上天国です。ここはサタンとは全然関係ないということです。だから、真の父母が絶対的に必要なので、そこに生まれた者は絶対的に神に属することができるということが分かりました。

 それから、第二の旦那さんをいかにもらうかということです。妾の女が再び結婚するには、妾の男が必要です。二番目の男と同じです。それをもらうことで同じ立場で一つになって、長子と次子のカップルとして、神の国に入ることができるのです。分かりましたか?(はい)。


本当の純潔の祝福家庭となるには

 これは話しておかないと、君たちが今からの地上で解決する、直接解決する問題です。問題の言葉です。先生が成し得たすべてを君たちは、こういうふうな戦いの反対、サタンの反対圏内ではなく、歓迎圏内で氏族を中心として回復するようになっているのです。統一教会の真の父母と全世界の女たちが兄弟として、こういうことをなすようになっているのです。それが統一教会で、統一教会の世界本部で、先生を中心に、お母様を中心として、こういう運動がなされていることを忘れてはなりません。

 父母様は絶対必要ですか?(はい)。どのくらい必要か考えているだろうね。「いやー、重生。第二の祝福家庭」。これは原理にないことです。原理タイプに合うようにして、ハンダ付けをして神の国に入るのです。あなたたちは三代を通過しないと、本当の純潔の祝福家庭にはなりません。同じ過去、蘇生、長成、完成期だから、第一次先祖失敗、第二次先祖、第三次先祖の四十年間を迫害したという基準が残っているから、第三代までは忠誠を尽くさなければならないのです。家庭的に、長男においては天使長家庭として忠誠を三代尽くさなければなりません。分かりましたか?(はい)。

 アダム家庭蕩減、イエス様家庭蕩減、再臨の家庭蕩減、三代の忠誠を尽くさないといけないのです。分かりましたか?(はい)。向こうの後ろに立っている者、分かりましたか?(はい)。

 こんなおとぎ話みたいなことを、現実に成していくということです。だから、こういう内容を知らないと、先生が分かりません。先生がいかに必要かということは、こういう内容を知ることによって、いかに必要かということが分かるのです。絶対的か、相対的か、それは君たちが決めるようにするのです。相対的ならば相対の立場に立っても、地獄には行かないのです。中間で待っていながら、何千万年も訓練していくのです。

 そういうふうにやりたいか、積極的に先生の言うように、「ぴゅー!」と、先生と歩調を合わせて一体となっていくか? それは自由です。中間に立って見ながらやるのと、どっちですか? 直接ですか、間接ですか? (直接です)。直接ですか、間接ですか? (直接です!)。直接ですか、間接ですか? 直接を願う者は、手を挙げてみなさい? (はい!)。みんな、欲望ばかりだ。(笑い)ただ、そういうように手を挙げただけで通過すればいいのだね。(笑い)そうはいきません。

 蕩減の過程が残っているのです。イエス様が言うように、「誰よりも愛せ」「自分の十字架を担って、誰よりも私を愛さなければ、私の弟子になることはできない」と、はっきり言っているように、自分の十字架は、各自が蕩減があるのです。先祖が違うと同じようにです。それは歴史的連帯罪とか、自分の直接つくった罪とか、歴史的罪があるのだから、みんなそのレベルが違うことによって蕩減量が違ってきます。分かりましたか? 分かりましたか? (はい)。それを総合的に摂理総決算するには、一六〇軒を早くすることによって、総決算になります。分かりましたか? (はい)。

 第一先祖、第二先祖、第三心情先祖をつないで、自分の子孫たちにも同じ立場で祝福して、それを平面に立たせた場合には、数千代が入籍して大移動が起こるのです。日本人は、エバ国家になっていても、そうなった場合、アフリカに大移動していくのです。それが、統一世界です。全世界に散らばるのです。それで、全世界に先生が早く混じっていくのです。孤独にならないようにです。分かりましたか? (はい)。

 日本人が世界的に混じっていくのです。韓国人も散らばっているのです。韓国人の男も、女も韓国の政治体制の不均衡のためにみな世界に行っているのです。帰ってくればチャンピオンです。だから今から、日本の女を送ります。日本の女を送った場合には、韓国の男を送ります。父母の代わりです。分かりましたか? (はい)。

 日本の男女、家庭的な父母家庭になるのです。未来において、将来、総理になった場合には、男一人が総理にはなりません。それはカイン・アベルと父母が一つになって総理になるのです。夫が総理になった場合には、副総理は奥さんです。それから重要な部署はみな子供たちが治めるのです。そこには暴力とか詐欺は通じません。原理原則を中心としてやっていくのです。そうなると、その家庭には、総理家庭として侍るようになるのです。分かりましたか? (はい)。腐敗した組織体制、政治体制はなくなります。謀略、戦略、戦術でもって、やりくりする国家のように、サタン的手腕でもって悪辣な者が上に行ったり、下に行ったりする、そんなことはできません。原則的な世界に向かっていくのだから、そういう時代になってきます。

 それで、未来にどうなるか分からないのだから、家庭を中心に転覆しなければならないのです。世界が原理的に分かるようになっている統一教会の人たちは幸福です。こういう混乱なる世界を泳いで、自由に花園、彼岸に向けていくらでも泳いでいくことができます。分かりましたか? (はい)。先生に感謝しますか? (はい)。反対したら、「謝感」です。感謝の反対は謝感です。(笑い)君たちは、感謝というが、先生から反対見たら、謝感です。感謝してるの? (はい)。どのくらい? それは表示できません。何千万年の功労が、こんなにたやすく得られるのです。だから、真の父母の心は、いかに投入して、投入して、投入して、無限に投入して、自分の夫を求めてきたという、神様の親の心情で感謝する以外には何もありません。分かりましたか? (はい)。そういうふうに心にとめて、もう時間も過ぎましたね。













SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送