5 勝利者の新歌 


● 何ひとつ希望が見えない時代に、勝利を確信してうたわれました

 文鮮明先生が作詞された歌のうち最も古いもので、一九四七年に作られました。
そのころ、先生は平壤(ピョンヤン)で「聖書を深く心情的に語る青年」として知られ始めていました。多くの人が集まるにつれて中傷や追害も激しさを増し、その急先鋒となったのは、教会の教職にある人々でした。この迫害の最中にこの歌は作詞されています。先生は二十八歳でいらっしゃいました。 

 噂は噂を呼び、ねたみによる投書もあり、ついに「社会を騒がす者」の名で、共産党政権下の平壌警察が先生を拘束したのは、それから一年後の一九四八年のことです。これが筆舌に尽くしがたい「生きながらの死刑」と形容される興南収容所の苦役へとつながっていくのです。先生の原詞を、参考のため直訳してみましょう。


ホザナの新しい栄光を われらは奉り
栄光の新生命主に 喜び侍って
約束の大きい栄光を われらは捜し
幸福の自由の園 新しい歌をうたおう


 この歌は題も「新歌」であり、韓国語の歌詞には四番までの間に「新……」という言葉が十回以上も使われています。
 
 「信仰者は常に新しい心が生じてこそ発展する」「新しい心を持ちなさい。信仰はいつも楽しくなければならないし、感謝しなければならない」と、『御旨の道』にあります。古いものや既成の概念に縛られていては、信仰は炎となって燃え上がりません。

 「あなたがたは、……古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、……神にかたどって造られた新しき人を着るべきである」というパウロの言葉のように、常に新しい人として、曇りのない本心で主に出会いたいものです。

 故柳光烈先生(前文化部長、歴史編墓委員会委員長)が持っている資料には、1曲は韓国に古くからあるメロディー(それは非常に郷土的なリズム)を土台として、創作編曲したものである」と記されていますが、この歌の原曲は金元弼(キムウォンピル)先生がうたってくださったところによると、日本の「朧月夜(おぼろづきよ)」で、「春風そよ吹く」というところから始まるようです。もっともリズムは変化しているので随分違った感じですが、原曲が日本から入って、地方歌や愛郷歌のように、民謡的にうたい継がれていったものではないでしょうか。日本のメロディーがこの歌の土台になったとは、意外でもあり、一層身近に感じられます。

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