四、先生の教示

 では神様との出会い方について、先生はどのように言われているのか。
 そのためには、まず、@「神の歴史を知らなければならない。神を理解するには、これまで神の歩んでこられた道を知る必要がある。……そして我々が発見しなければならないのは、神が幸せな神であったか、ずっと不幸な神であったかということである。また、神の真の心情と行動をも発見しなければならない。もし神が不幸な悲しい神であるなら………その理由を知らなくてはいけない。神が最も不幸であった時を知らなくてはならな い。その悲しみはずっと以前に始まったものなのか、それとも最近なのか。今、神は不幸だというなら、以前は幸福だったのだろうか。そうなら何が神を不幸に変えさせたのか。
このことを知るのが問題の中心である。これらについて皆さんが勉強しているものが、原理である。
 旧約時代を通して、常に神は失敗と悲しみの神であった。このことは新約時代においてもあてはまる。……また、堕落が生じた時のアダムとエバの状況を想像し理解することができるようになってきている。皆さんは堕落の結果神が感じた同様の悲しみと、それを乗り越えて勝ち取った喜びの両方を実感する必要がある。そのことで神がかつて感じた悲しみの段階と、その試練を乗り越えた喜びの段階を比べることができる。ノアの家族やアブラハムの時のことを同じように感ずる必要がある。ヤコブ、エサウ、モーセの状況をも実感することができなければいけない。知るだけでは不充分である。もし自分が神と親密になりたいのなら、神と同じような悲しみをも経験していくべきである。そうすれば、神は身近な存在となる。そしてすへてを犠牲にしても戦いたいと思うほど、根底から生まれ変わっていくようになる。」

A「神においてどうにもこうにもすることができないところがあるということを、わかる人がいない。神御自身において悲しみの境地に落とされた瞬間の体験というものは、表現し尽くし得ない。その悲しみの境地、その悲惨なる境地、そういう境地を越えなければならない。」(一九六五・一・二十八)

B「神の事情と心情を自分自身において体験し得る人、これが六千年長い歴史を通して、神が今まで求めてきた本当の子女なのである。」

C「考えてこらん。どこで天の父と会うかというんだね。いずこに天の父を迎えるや。君の住んでいる部屋の中で? それは間違い。数多くの聖人たちの一生の目的を、部屋の中でもって果たしたものはいない。道端や、あるいは十字架上などが、神が本当に愛する子女と会うべき最高の場所である。イエス様も、そういうところで神に対した。誰もが欲するところではない。誰もがみんな慕うところではない。誰もいない、たった一人のところ、そこが一番、神の心の真中に記憶され、息子として神に会うことができる急所である。だから伝道に行くにも絶対二人で行かないんだね。伝道に出た時、友達や兄弟姉妹と訪問するのをいやがるぐらいでなければならないというんだね。」(一九六七・七・六)

D「神の愛が、そう簡単にわからないようになっておる。」(一九六七・六・十二)

E「常に誰もいない最も困難な所で神と出会うことを期待しなさい。」   

F「神の心情のわからない人は神の分身のような立場に立たなければならない。中心人物だったら、自分の愛する者を怨讐にわけてやってがまんし得るような心構えを持たなければならない。そのように我々は神の心情をたどっていかなければならない。」(一九六九・二・四)

G「神に近よる道は、誰よりも誰よりも神のために自分を忘れて苦労することである。」

H「与える時は真を与えなさい。真なるものを与えな古い。……一番貴重なものを与え、……死も覚悟して行かなければならないのが統一教会の道である。皆さんが、このことをなして人のために伝道してごらんなさい。天が共にある道を知る 一番早い道はそれしかない。」

I「神様は今地獄を解放するために、下の方で寝たり起きたりしているのだろう。皆は高い玉座におられる神様に向って祈りをするけれど、それより自分の手先、足先に語りかける神様に対して、同情をもってそれを助けて懐しい自分の親にしたいという心で働くならば、その人は高い神様そのものを自然とつかむようになるだろう。」(一九六七・六・三十)

J「この罪悪世界において、神に至る道はたった一つしかない。それは、何ものをもいとわず、罪の代価として犠牲になることである。自ら進んで、天のために犠牲になろうとする者にしか神は現われることができない。」

K「開拓伝道をすると、生きた神がいつも一緒に我々の囲りで守っていることを体験するよ。」(一九七〇・十・十三)

L「神は生きている神であることを知らなければならない。神は我々と共に働いておられることを知らなければならない。我々が神としっかり一つになっていれば、何も恐ろしいことはない。問題は皆さん自身にある。皆さんの前に何百人もの人がいるとして、その人々の救いを如何にして成すかを日夜考えるならば、神は皆さんを通して働き、皆さんの計画は成功に導かれるであろう。だから、神から助けを得ようと一生懸命になるのでなく、神に対して、『どうか人々があなた方を受け入れるように導いて下さい』と祈り求めなさい。そして、もしあなた方が強く神と一つになって前進するならば、使命を実行することは簡単であり、全州の人々があなたのところに引きつけられてくるようになるであろう。
我々は原理を通して、完全なるプラスのあるところに完全なるマイナスがつくられることを学んだ。
 先生は、牢屋にいる時は、一言も話をしなくても多くの人々を伝道することができた。
 迫害の中で、全霊界が動員されて、先生を守り、証しをし、多くの人々を先生のもとに導いてきた。先生に対して、かくも助けて下さった神は、同じようにあなた方をも助けて下さる方である。しかし、信仰がなければ、神は皆さんを証し、皆さんに働くことができない。
 だから、話をする時は、神と共に話し、食べる時も寝る時も常に神と共に、どこにいても神と共にいること。このようになるならば、皆さんは神の臨在と神の心情を感じることができるようになるであろう。即ち、あなた方の心情が神の心情と同じようになることができる。
 完全なプラスのあるところに完全なるマイナスが創造される。伝道して街に行けば、ひとりでに神を求める人々に出会うことができる。このような経験を多く持てば、神を否定することができないであろう。統一教会の食口達は、このような経験を多く持たなければならない。もし、あなた方が一生懸命祈って、導きを受け入れる備えが出来ているならば、神はあなた方の中に臨在し、あなた方を通して働くであろう。これがゆえに、我々の団体は恐るべきものとなるのである。」(一九七四・一・一〉

M「神は生きておられる。その神は我と共に生きようとされている。ゆえに我は何事も成せる。」(一九八五・二・二十五)

N「我々は神の愛を受けずしては蘇えることはできない。」  (一九六七・七・十)

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