五、最後に

@「神を、口で愛するのではなく、心情で、心で愛しなさい。神は無形であるから、無形の心情圏に立ち帰らなければ愛することができない。」    (一九七〇・七・三)

A「堕落した人間にとって絶対なる善なる神の前に自信を持って立つものが世の中にいると思うの? それはいないよ。だから自信もつな。み恵みを慕うまごころ以外には何もいりません。今、神が自分に何かを注いで下さるというような、慕わしい思いに打たれる境地が必要だというんだね。『お父様……』。静かな部屋の中で呼びかけると、お父様の声が部屋いっぱいになってしまう。そういう思いに打たれる境地が必要だよ。『お父様!』と呼びかけると、空気すべてがお父様の肌みたいに感じられる。そういう体験するの?
 出発する時は『お父様、この子供は今日一日また行きます。神の権威と神のメンツと威信を立たしめるために今日は歩みますから、どうかそこなわない道に導いて下さい……』。それが幼子の心だよね。
 神を中心として立った場合には心配するな。あなたたちもそういう境地に入れば同じようなことがたくさん起こるよ。幼い自分においては、十分な備えはないし、話をしなければならないし、生命を救ってやらなければならないし。そうした場合には、腹の底から悲しみがわき上ってくる。そういう立場に立って、『神様、どうすればいいのでしょうか…』。すると神様が話す。そういうのを体験するんだよ。……涙がいっぱいにあふれて、誰かがそっと涙を流せば、みんなの目から涙が流れる。……だから、あなた方は伝道にいった場合に、道を歩きながら自分もたまらず電柱をかかえて涙ぐむような路程が一日
に何回もなければならないよ。そうなった場合には伝道に対して天が先祖たちが応援してくれるよ。」(一九七四・二・七)

B「統一教会の食口は涙の切れる生活であってはいけない。一週間、誰も自分を相手にしなくとも、自分で信仰生活ができなければならない。神様と向かい会った時、胸が裂ける程の悲しみを感する。こんな私を頼りにせざるを得ない神様は何とかわいそうか。辛い歴史を担当してきた神様の心情を私たちは慰めなければならない。神様には昼も夜もない。何千年も続けて失敗を繰り返しながら後退できす、ずっと摂理を続けてこられた神様はいかにかわいそうか。
 涙が切れている統一教会の兄姉は食口ではない! 目がはれて太陽を見ることができぬほど泣き続けたことがあるか! 本当の孝行息子なら娘なら、一言の言葉で神を泣かせる。
 また神の一言でわき上る涙を押えることができない。いつ自分の感動的一言で神が泣いたことがあったか! 神と抱きあって一体となって感謝しあったことがあったか!
 世界の誰一人わからなくとも、神と私との間にあったその内容は、詮にも否定できない事実として存在している。それがなければ霊界に行っても惨めだよ。心情が問題だ。子としては、やってもやっても、もっとやりたくて、そしてもっと深し求めるような心情だよ。
 神のためにやりたくてやりたくて、それが永遠に続くような心情だよ。こんな神様を自分の父として迎えるのが統一教会の食口だ。」(一九七〇・十・十三)

C「ああ、神様に会いたい。ああ、先生に夢で会いたい。それで真心を尽くす。それしかないね。万民のために血を流す。朝早くから足を引きずり回して、そうして神様の一番近いところに行く。ああ、先生に会いたくてたまらない。寝るのも忘れて、先生と泣くような心情圏でなければならない。」(一九七四・五・十)

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