@「我々統一教会は今までの生活主義を打倒しなければならない。今までの言語(真理)問題を打倒しなければならない。今までの人格問題を打倒しなければならない。今までの血統問題、家族問題、親子関係、………心情問題もみな打倒」しなければならない。
 
 そしてそれらをA「打ち切って新しい起源となる交叉点を確立し、そこにおいて新しい転換点から新しい新生の世界の出発をなそうというのが統一主義である」。
 
 では我々は、B「原理を習うことによって新しい世界観を持ったか、新しい国家観を持ったか、生活観を持ったか、これを自分ながら反問してみなければならない。いっそういう観を持ったか。自分がわからないものを勝利するということは絶対あり得ない。はっきりわかってなしてから勝利がある。では、いつそうなったか。七つのうち、一つか三つか四つか、いくつそうなったか。これを全部そうなったという確信を決定する基準を我々は一心に求めなければならない」。
 
 C「自分自体において、そういう交叉する時がいつあったか。交叉して新しい方向に転換して出発する起点を作ったか。」 (一九七〇・一・二十二)

 そこで、今回は生活基準と自己主管ということについて、先生の御言を中心としながら考えてみよう。

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