(五) 復帰の公式路程

三、七年路程

@「神は七千年の歴史を願って、今まで辛抱してきたのであるから、我々は最初の七年期間に蕩減せすしては、神の前に立つ資格がない。六千年の歴史をいかに七年間に縮小して蕩減し、これを心情的に受け継ぐことができるか。これは容易なことだと思う? 若い時に精一杯やってもやりきれないような復帰の路程が残っている。勉強するのも、何になるのも、すべてこのためにやる。先生がここまで来るには、どのくらいの蕩減の価を払ったか、どのくらい真剣だったかわからない。牢屋が問題ではない、拷問が問題ではない、首が飛ぶのが問題ではない。一度に時来たるその時を願って、黙々と何十年と全生命をかけてきた。その真剣さは神を感動させ、神が同情せざるを得ない。だから先生は黙っていても、世界中の霊能者は先生のために動き出している。世界の津々浦々で、先生の成功のために、霊界を総動員している。(一九六九・二・四)

A「復帰とは、まさにすべての鍵となる言葉であり、それは実に、実に困難なる業である。そこにおいては、条件なしに段階を跳び越えたジャンプというものは許されず、厳密な公式に従って一歩一歩踏みしめながら、しかもその一歩一歩に全生命を込めて上がっていく以外にない。その途上に、もし自分という意識のある者は、そこに立ち止まることも、前に進むこともできず、そこで消えていかざるを得ないのである。

 聖書的史観によると、創造から再創造の完成までは、七千年であると言われているが、この全七千年が、一人の人によって七年間の路程の中に実体化された。そしてそのためには一人の人、文先生の四十年間の人生は、七千年の負債を全部返し尽くさんがために歩み抜かれなければならなかった。もし原理というものを、先生がただ口で語って発表しただけだったとすれば、神も、サタンもそういう原理を原理として認めたはずがない。

 公式に従って具体的に負債を払いきらなければならないのだから、そのためには、先生が自分から戦いを挑み、その背いに一つ一つ着実に勝利していく以外に道がなかったのである。サタンもそうして実証された原理に対しては、何も言う条件がない。

 こうして語る前にすべて具体的に生活され、すでに実体化された原理だから、この一人の人によってすでに実体的に深し出された復帰の道を、君たちはただ一歩一歩歩んでいけばいいのである。

 先生は実体基準ですでに四十年閏歩んで、その上で今、七年路程を歩むことを教えているのだから、あなたたちにはわずか七年間でいいにもかかわらず、この上もっと易しい道を与えてほしいなどという者がいるとすれば、それこそ盗人根性にも等しいものである。

 神はこの復帰の道を七千年生きてこられた。神の復帰歴史の七千年である。キリスト教は人類のために七百年の歴史で貢献してきた。その土台の上に、キリスト教徒は七十年でこの路程を歩むが、統一教会は七年間で完了する。クリスチャンは同じ栄誉、特典を得るために七十年の期間を費す。七十年の犠牲と蕩減の道を歩んだあげくに結婚しても、その結婚は意味をなさない。しかし、君たちの場合、七年間という青年期のある期間を通して天国圏に入ることができるのである。

 全七年路程において、三年半は夫と妻の立場で歩むが、純潔を保たなければならない。神と真の御父母枝の目的に対し、完全に捧げていかなければならない。そしてその頂点に達した時は、天国へと進行するのである。それが原理である。本来は、蘇生期から完成期まで全期間を歩むのに二十一年間かかる。先生自身も二十一年間歩んできたし、統一教会の全歴史は二十一年路程を通過してきた。しかし先生は、君たちに特別な摂理路程を組んだ。二十一年路程をたった七年で歩む路程である。激しい七年路程の働きを通して、君たちはこの段階よりトップの位置まで運成できるようになる。それは祝福である。ある意味では大きな値引きだと言える。また君たちは、先生の電車に無賃乗車しているとも言える。

 君たちが行く必要のある路程はこの七年コースである。この路程を完遂して欲しい、無事修了して欲しいと先生は願っている。君たちは七年間で全摂理路程を歩む立場に立つ。七年間は蘇生、長成、完成の三区分に別れる。

 この期間に自分の事を考えるような、自己中心的な者がいるとすれば、その者は七年路程を歩めない。堕落性本性とは何か。それは自己中心主義、利己主義で、自分のみを貴重に思うことである。この堕落性本性の中に安住する者は誰でも、七年路程のどの領域をも歩むことができない。たとえ七年路程を歩んだとしても、そこから何ら益として得るものがないだろう。だから無私なる、公的生活をしなければならない。それは最前線においても、伝道においてもそうしなければならないのである。その生活を通過すると次の段階へと移行するのである。

 長成期に移行し、真の父母の位置にまで到達するのである。真の父母は、すでにこの道を君たちのために開いて下さっているのである。歴史上、今までこの橋を渡った人は真の父母様以外にいない。君たちのために基台を造成して下さったのである。高速道路を建設して下さったので、その御跡を歩むことによって、同じ高峰に達成できるのである。これが理由で、たとえ祝福を受けたとしても、その後三年間は別離の路程をいかなければならない。 一心不乱に自分を犠牲として捧げていくのである。」(一九七八二・二)

B「君たちの場合は、先生ほどの苦労をしなくてもすむ。先生がすべてに先を歩んだからである。先生の歩んだ道に従って歩めばよいのである。しかし先生の場合は、誰一人教えてくれる者もなく、自分で切り開いて行かねばならなかったのである。わかる? 安易な道を歩んでいたのでは、決して先生の道に従ってくることはできない。安易に思える道を自分なりに考えて歩んだとしても、結局は後戻りして再び元に帰ってこざるを得なくなるのである。

 世間の人々は君たちが統一教会に入って、先生に従っているのを馬鹿にするだろう。『なぜそんな馬鹿なことをするのか』と笑うだろう。しかし君たちは、この道を歩むことが必要であることを知っている。なぜかうまく説明することはできないけれども、心の中の何かが、『この道を歩むことが最善なのだ』と君たちに命令しているはずである。それは君たちの本心で、この道が究極的に神様の愛を追求して行く道であることを知っているからである。先生の場合は、この道を歩むに際して、目に見えない神様に従ってきたが、君たちの場合は、目に見える先生に従って行けばいいのである。我々は神様の愛に向かって歩んでいる。だからこの道を歩むならば、何か気持ちが良いものを感じ、歩まない時は気持ちが悪い感じがするのである。それは本心がそのように働くからなのである。」(           )

C「あなたたちは、先生が歩んだと同じ路程を歩まなければならない。先生は、この道を三十年以上歩んできたが、あなたたちもまた、安易な道ではなく、苦労の道を歩まなければならないのである。なぜなら、まだ蕩減条件を充分に立てていないからである。
 では、その蕩減条件を充分に立てているかどうかを証明するのは誰かというと、それはサタンなのである。だから、サタン世界に出ていって、サタンから蕩減条件が充分であることを証明するサインをもらってきて、それを神様に見せるのである。サタンが認めてこそ初めて、神様も認めることができるのである。こういうことから神には何の力もないかのように見える時があるのである。神は、何よりも人間自身が努力して、サタンに勝利してくるのを待っておられるのである。

 あなたたちが先生についてきたいと思うなら、安易な道を選ぶべきだろうか、それとも苦労の道を選ぶべきだろうか。苦労して、神様と先生を愛するのと同じくらい、そしてサタンに認められるくらい、サタン世界を愛さなければならないのである。そのようにして初めて、神様からも『神様を愛した』と認められるのである。しかしあなたたちが、神様と先生以上に世界の人々を愛したとしても、神様も先生も決して不平は言わない。神様御自身がそうなるようにあなたたちを導いておられるのだから。」(一九七七・四・十八)

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