2、愛の時代

@「これから以降は、最前線での勝利と十二名の霊の子女が復帰できなければ、祝福を受ける資格は持てない。去年までは、先生自身が蕩減を払って、それにより多くの人に祝福を与えてきた。先生は『神よ、私に蕩減を負わせて下さい。私に彼らの責任をとらせて下さい。私はそれを自分の肩に背負って参ります』と祈って今まで来た。しかし今からは君たちが背負っていくのである。今までは、その故にたった三人の霊の子女で良かったけれど、今からは十二名の霊の子女が必要とされる。

 十二名の霊の子女を得ることのできない人の中には、教会を去る人が出てくるかも知れない。残念なことであるが、鉄則を曲げることはできない。妥脇は許されない。我々はあくまでも原理に従わなければならない。だから祝福は君たち次第である。教会に三年いたからと言って、それが祝福を受ける資格にはならない。どういう責任を完遂したかによって、資格が与えられる。すでに祝福を与えられた者であっても、責任を遂行していない者は一度戻ってでも、完遂する条件を立てなければならない。

 この基準を越えた者を、先生は神の国へと移す。旧約時代と新約時代を蕩減復帰し、自分自身に関してアダム復帰をして、祝福圏へと移行するのである。君たちが小さなレバレンド・ムーンであるということは、まさに先生がこのようになしてきたことを、君たちもなしているからである。このような意味なのである。

 このように旧約時代、新約時代と勝利して入る新しい成約時代は、愛の時代である。故に結婚を奨励する時代である。今までの宗教の世界では、そこまで到達しなかったために、結婚をむしろ思いとどまらせてきた。しかし、そのレベルまで到達した時、結婚は奨励されるのである。

 成約時代圏まで来た時、君たちは祝福を受けることができる。神が自分に最高の花嫁を選んで下さるのである。君たちの人生は、明確に神によって形づくられているのだから、神は皆さんの人生を設定しておられるのである。神はアダムを創造して『アダムよ、行って好きなように女性を嫁にとりなさい』とは言われなかった。神はすでにアダムのために妻を準備しておられたのである。それと同じように、自分好みで女性を嫁にする立場にはない。神がその人を与えて下さるのである。それが創造原理である。創世記に『神はアダムを創造され、その妻エバも創造された』とあるが、それと同じである。すると、男性にとって十五億の女性は何ら関知するところではない。ある意味では堕落した天使長のようで、敵である。もし君たちが『堕落した天使長よ、私を誘惑しようと巧みに近寄ってきても、私は絶対揺ぎません。動じません』ときっぱりと堅固に神側に立つならば、神は『息子よ、私は誇らしく思う。さあ、ついてきなさい。一緒に天国に行きましょう』と言う。

 しかし誰かが『神様、ここにもっと素晴らしい女性がいます。私はあの女性のところに行きたい』と申し出たら、神は『お前は何を言うか、お前に最高にふさわしい妻を造ったではないか』と言う。それが原理である。

 このように神が授けて下さった夫、妻を最前線あるいは伝道で一生懸命に働き、尽くし、努力した以上に愛するのである。そして祝福の後、窮極の目的である神の愛を相続するために蘇生、長成、完成級の段階を経るのである。これは我々の絶対的な義務である。十字架にかかって死ぬのではなく、生き残って憶えられ、神の窮極の目的に達して、神の愛を相続するのである。天国にゴールインするのである。はっきりわかりました? 蕩減を完全に払い終えた時、歴史上で負債を完全に返済した人となるのである。そうすると、神の愛の世界にたどりつき、神の愛の中で信頼されるにふさわしい、神の愛の相続者になるのである。」(一九七八・一・二)

A「では、神様はこれまで何をしてこられたのだろうか。神様は人間を創造本然の位置と状態に復帰しようとしてこられたのである。そのため、神様は宗教を立てられ、これを通して、個人的レベルから世界的レベルに至るまで、人間を復帰しようとしてこられたのである。原理が説明しているように、復帰は一人の人間から始まる。神様は一人の男を立てて、一人の女を復帰し、これによって一つの家庭を復帰する。そうしてそれを世界的規模に拡大するのである。この一人の完全な男性、これがメシヤなのである。

 メシヤの存在が必要とされる理由は何であろうか。メシヤが来られる目的は、人間の間の不完全な愛を完全な愛へと完成することである。堕落によって愛はサタンに奪われてしまった。そこで神様はメシヤを通して、このサタンに奪われてしまった愛を取り戻し、純化し、聖なる愛へと高めようとされるのである。このためには、サタンの下に置かれている人間を復帰し、神様の真の愛を受けることのできる人間を造ることである。これがメシヤの使命なのである。

 したがって、復帰された人間は、神様の愛を受ける資格を持つためには、愛の水準をより高い水準にまで引き上げなければならない。復帰された人間の使命は、サタン世界における愛よりも高い水準の愛を神様の前に示すことである。神様とメシヤは、サタン世界にいる人間を、前のままで愛することができない。神様がメシヤを送られた時、もし堕落世界にいる人間がそのままで復帰されるのであれば、世界の復帰は極めて短時間でなされ、長い復帰歴史は必要なかったであろう。

 宗教の役割は人々を教え、彼らがサタン世界におけるよりも高い水準の愛をもって生きるように導くことである。だから、宗教者の役割は、サタン世界における愛よりも高い水準の愛を示すことである。神様を知った私たちが、サタン世界よりも高い水準の愛を身をもって示すときに、神様の愛が始まるのである。だから聖書には、『あなたがたは誰よりも私を愛しなさい。父よりも母よりも兄弟姉妹よりも、誰よりも私を愛しなさい。さもなければ、あなた方は私にふさわしくない』と書いてあるのである。これが正に、統一原理の核心でもある。

 我々はこのサタン世界の誰よりも、神様に対してより高い水準の愛を示すことのできる者にならねばならない。なぜなら、そうすることによって、神様の愛を受けることのできる者となるからである。だから男も女もすべての人間は、神様とメシヤを最高に愛することによって、人間として完成することができるのである。この理由により、統一教会ではこの道を歩まんとする者は、神様とメシヤを愛するためにすべての愛を注ぐ七年間の路程を歩むことになっているのである。

 統一教会に入教後、三年ないし三年半この道を歩むことによって初めて祝福を受ける資格ができるという規則になっている。そして実際には、家庭を持つまでの準備期間として、さらに三年半歩むことにより、合計七年間の路程を歩むことになっている。これは天からの大いなる恵みの期間である。個人から家庭、社会、民族、国家、世界へとすべてのレベルにおいて、三年路程が必要である。

 入教後三年半経って祝福されたら、今度は共に夫婦として残りの三年半を歩む。この期間はちょうどアダム・エバが堕落したのを乗り越える期間である。完成するために二人でこの期間を乗り越えなければならないのである。だから子供を持つのは、普通、祝福されてから三年半経った後ということになる。これまでの祝福家庭は、三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭から今日まで、皆この路程を通過してきた。先人達がこのような条件を立ててきたおかげで、今回祝福された七十四双の場合は、七ヵ月の聖別期間を経て、子供をもつことが許されるようになった。

 統一教会の目標は単純明快である。我々が統一教会のメンバーになるのは、主に出会い、神様の愛を実現することである。神様の願いを知り、それを実現しようと努力する者は、神様からの祝福を得る資格ができるのである。

 神のための仕事をすることによって、あなたたちが将来、妻または夫にふさわしい人間となるように訓練されるのである。君たちが神様の願いをはたすために街頭に出て行くのは、いわば将来の妻や夫のためでもあるのである。エデンの園において、もしアダムが男として一生懸命にその責任を果たしたならば、エバはそれほど苦労しなくても共に祝福されたであろうし、また反対に、もしエバがアダムの分まで努力したならば、アダムはそれほど動かなくても祝福されることができたはずなのである。

 堕落とは何か。簡単に言えば、神様を無視して、自分勝手の道を歩んだことである。神様の願う方向とは何かを知らずに、一生懸命働いても、神様から祝福を受けることはできない。君たらが神様の頗いを知って、そのために働くことは、つまり将来の配偶者や子供を幸せにするための貯金をし、道を直くすることになるのである。このように神様を中心として働くということが、サタン世界から脱却するために何よりも大切なことなのである。先生は朝早く目が覚めるとすぐ、君たちの仕事のために外に出かける。『もっと家で時を過こしたら良いのに』と言われることもあるが、先生はいつも外にばかり目を向けている。それはなぜかというと、先生は親の立場であり君たちは子供の立場にいるから、親として先生は一生懸命働くことによって、子たる皆さんも親に習って頑張ってくれるように願うからである。そしてまた、先生が頑張ることによって、弟子たる君たちにできるだけ多くのものを相続してもらいたいと思うからである。

 先生は独身時代には、北韓で拷問されたり、牢獄に入れられたり、あらゆる苦労をしたが、そのような時でも先生は 希望を捨てずにいた。自分が苦労することにより、自分が築く基台の上に、将来自分に与えられる妻や子供は、それほど苦労しなくても幸せになれる。そういう希望を持って苦難に耐えたのです。いかなる苦しさ、いかなる困難の中にあつても、先生はそれによって将来の妻のため、家庭のために、今、蕩減条件を払っているのだと考えて、常に希望をもって耐えた。君たちも今、周じような立場にいる。将来の妻や夫、家庭を幸せにするために蕩減を支払っているのである。

 君たちは三段階の蕩減の道を歩まねばならない。独身時代には最も困難な苦労の道を歩みなさい。その苦労を通して、蕩減条件を立ててこそ初めて祝福を受け、結婚することができるのである。配偶者を得てからは、独身時代ほど苦しくはなくても、また別の意味での蕩減復帰の道を歩まねばならない。そして第三段階としては、子供を持ってから、また、新しい復帰の道を歩むことになるのである。

 神様はこれまでずっと誰よりも苦しんでこられた。それは一なるアダムを得るためであった。だから君たちは、神様に祝福されるアダム、エバとして結婚するまで、最も困難な苦労の道を歩み、迫害を耐え忍ばなければならない。苦労を通してこそ、真に人格を磨き、愛を深めることができるのである。このような苦労の道を通過して夫婦になってこそ、真に神様の願う理想家産を築くことができるのである。

 君たちが本当に神様のため、世のため、人のために自らを犠牲にして尽くすならば、神様は君たちの苦労を決して忘れることなく、君たちに色々な形で恵みを返すだろうし、さらには君たちの子孫たちに恵みがもたらされるのである。だから君たちは独身の間に、将来の家庭と子孫のためにすべての蕩減を払ってしまう覚悟で、神様に対して『一層困難な苦労を与えて下さい』と要求するくらいでなければならない。蕩減をはたしておかなければ、結婚してからもサタンから借金を払うように要求されることになる。サタンが門口で待っていることになる。そのような者となってはならない。

 独身時代に完全に蕩減条件を支払っておけば、祝福されてから相対者をサタンから守ることができます。蕩減をはたして神様の愛で一体となった夫婦には、サタンは指一本触れることはできないからである。そのような家庭こそ、真にサタンから解放され、自由を享受することができるのである。そのような夫婦は世界中どこへ行ってもサタンの譲訴を免れるとができるのである。

 君たちは統一教会に雇われて教会のために勧いているのではない。それどころか、先生が苦労して築いた土台の上に、大きな恵みを受けるために歩んでいるのである。先生はそう思うけれども、どうか? あなたたちは自分が将来、天国に生きるために歩んでいるのである。だからあなたたちは、自分自身をその目的のために雇っているようなものである。

 もし不満があるとしたら、それは自分に対する不満であるべきである。決して他人のせいにしてはならない。アダムは堕落した時、『それはエバが悪かったからだ』と責任を転嫁した。そのように責任を他に転嫁するような者となってはならない。不満があるならば、自分をこそ責めるべきである。他に対して不平不満を言う者は、天国への丘を越えることはできない。

 先生にしても、もし神様に不平不義を述べるとすればいくらでもある。『神様、あなたはなぜ私にアメリカヘ来るようにと命じられたのですか。アメリカでは、歓迎もされないし、生命を狙う者さえもいます。なぜこのようなことをせよと命じられるのですか。あなたは本当に私の事を思って下さっているのですか』等々、いくらでも神様に対して不平を言うことができる。しかし先生は、決して神様に不平を言ったことはない。だから神様も先生に感謝し、受け入れて下さるのである。

 先生は神様に対して、『どうか、もうしばらく待って下さい、必ず勝利しますから』と頼むだけである。君たちも神様や先生に対して、このような態度を示してほしいのである。わかる? 君たちはどちらを取るの? 不平不満の道なの?(「従順です!」)。では従順によって完成することがなぜ必要か。それは、真に神様の愛を受けることのできる人間となるためである。そうすることによって、万物を真に解放する力が神から与えられるのである。

 統一教会の人生哲学はこうである。『私は万物に影響を与え、世界に影響を与え、神様に影響を与えるものとなります』。」(一九六七・六・十七)

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