3、男女関係

・神の子女としての実感

 我々が統一教会に入って信仰していく場合にも、最初の出発点は何かというと、神に対して子供であるという実感、神の愛を中心とした子女の立場を復帰することである。神より愛される自分であり、この偉大なる神の御言を誇りとして、天宙にそれを称え得るような心情になっていない自分であったとしたら、それは神の子として神の娘として立つことはできない。神の権威を中心として、その基盤が立ったことを、自分が自然に感じるような権威を持たなければならない。堂々とサタンの本拠地へ天の息子としての権威をもって、自信満々、いかなることがあろうとも立ち向かっていける基準、それがあるかどうか。アダム・エバを犯したそのサタンを屈伏し得る過程を通過しなければならない。そうでなければ、祝福の基準は立たない。

 いかなることにも、そこに蕩減という一つのことがあるというんだね。それは、あなたたちの復活の祭物期間だよ。だから、『蕩減条件、ありがとうございました』というんだね。その内容はいかにして立てるか。

 聖書にもあるでしょう。全世界をもうけても自分の命を現したら何になるか。どんな代価を払っても、命を買い戻すことはできない。だから我々はそれを願う、命を願う。

 だから男女関係において恋愛は許されない。寂しい?(「いいえ」)。ほんとのことを言いなさい、『はい、寂しいです』と。寂しい?(「いいえ」)。教えなくても、本心によって恐れているからわかるんだよ。こういう内的価値がはつきりわかった場合には、自分が過去において、この手で、ああいう手紙を書いた、サタンの手先になって、自分の手が動いたこと、これはたまらないほどくやしい! 何遍泣いても泣ききれない。この身でもって、その時は思いもつかなかったけれども、こういうことをなしてきた。サタンの汚れた血によって汚されたこの肉体。これを清算するために、自分の肉体を切って処分してしまいたい。しかし、そうして死んでしまうわけにはいかないから、それを清算するための条件が必要である。サタンに使われたこの手、この体、みんな一遍に飛ばしてしまって、神の愛によって始まった肉体はいずこにありや。汚れ果てた関係を保っていこうというのはもってのほかである。こういう心情を体恤した?

 神にとってエバは未来の奥さんである。なぜなら、アダムは神と一体となるのであるから神自身である。だから神は、自分の奥さんをサタンによって犯された。 そのように神を蹂躙してきた者を、今まで始末していない。神は悲しみのうちにも、創造理想を取り戻す希望を抱いて我慢してきた。それを思う時、あなたたちもまた、自分のために神の奥さんを奪ってきて、いい気になって自分の子供たちまでみんな、父なる神を何とも思わないようにすることはできないだろう。しかし、これが今の堕落世界であり、サタンと神との関係である。そういう基準において、サタンは私たちの、神の怨讐である。心のなたたちも、本来ならば堕落世界にあった。だから、どうせ復帰の道をたどらねばならないならば、一遍に終えてしまう。何事をやっても私は天辺にいたい、そういう燃え上がる心と訓練と力とで、本然の自身を発見していかなくてはならない。

 我々が、統一原理によって教えられたのは心情圏である。この心情の基準は、堕落圏の先祖の基準を準えている。だからこれをわかって、もしも堕落した場合には、長成期完成基準において堕落させたサタンよりもこわい。サタンが彼を呪う。だから彼らには救いの道がない。そういう、恐ろしい恐ろしい最後の道があることを知らなければならない。それは真の父母をわきにして、天の神様をわきにして、直接、堕落の愛を増し加えることである。先祖の堕落は、まだそういう歴史が始まっていない圏内にあって犯された。しかし、これは歴史の限界を超した結果になって、サタンより以上に悪いことになる。そういう背後関係があったこと、今初めてわかったんだろう。

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