八、僕の僕から王の王まで

・七年路程の終末的意義

 七年路程に対しては、自分白身が具体的に歩んで勝利すべきものとして、骨の髄まで実感しながら、神の前に、『これから出発する七年路程において二度とアダムとエバの如くなることなく、アダムとエバの完成する道までも歩んで、七年以内に必ず終了します』と神と対決するような真剣なる祈りをもって決意すべきである。

 聖書にも、『七年間の患難の時が来たらん』と書かれ、『その時には生き残る者は少ないであろう』とも預言されている。この言葉は成約の時にも実に真ではないか。なぜなら、事実真に神を知り神への献身を決意した者のみ、七年路程を勝利的に通過して生き残ることができるんだから。

 しかし君たちがかかる出発の決意をなして一つの方向を定めるや、まず環境からの反対やさまざまな障害、あらゆる苦難が一挙に襲いかかるような状況となり、サタンが君たちの行くべき道を破壊せんとしていることを知るだろう。

 そして自分の一番大切にしているものが次々と、何も残るものがないくらいことことく奪い去られ、一切の事情環境がまさに最低の所まで追いつめられていく。神は君たちを最低の所まで陥れることにより、僕の基準まで一旦下らせるために、サタンを用いるからである。そこでその最低の事情環境を消化し主管していくことができなければ、そこを通過できないことになる。

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