八、僕の僕から王の王まで

・涙の基台

 堕落による度史の糸のもつれは、それを解いて再創造することなどとてもできそうには思えないほど複雑なものとなり、神でさえどこから手をつけて摂理するかとまどうだろうと思えるほどである。

 しかし今、一人の孤独なる人が、歴史の背後にある秘密のすべてを見い出し、それを公式化し、体系化したのみならず、その原理を自ら生活しながらここまで運動を発展させてきたのだから、神としても注目せざるをえないはずである。

 ここまで来る道において、先生はいくら泣いても泣いても止めることができずに、いく日もいく日も泣きくらしたことがあった。ある時はあまり泣いたので、目が熟しすぎのカボチャの中味のようにグチャグチャになってしまい、太陽の光も目にしみて見ることができなくて、目をつぶって過ごしたことがあった。

 涙によって開拓されたこの教会の基台である。あなたたちは何も知らない。第一先生は語らなかったのだから。なぜなら自分自身の歩んだかかる苦闘の四十年路程は、二度と誰にも味わってもらいたくないし、息子や娘たちにはできるだけ易しい道を残してあげたいのが、親としての先生の気持ちである。知ればあなたたちもそういう道を行かなければならないのだから。

 誰でも深い祈りや霊的な体験を通して、先生の語られざる体験の一部でも霊的に知りうるならば、先生の通ってきた身悶えするような苦難の道を、一瞬でもかい間見ることができることだろう。

 今あなたたちは、この地上で受けるのが当然であるかのように祝福を受けているが、それは今の時の時代的恵沢として、霊界における何千年、何万年分の内容を最短の期間で体験しうるからに他ならない。

 先生はモーセという人の立場にはいつも同情を禁じえない。モーセが四十日四十夜の断食祈祷末に十戒を受けて、自分の民の所に下りてきた時、破らはなんと金の小牛を造って偶像としてこれを拝し、その周りで騒ぎ戯れていたというのである。

 『よくもそんなことが・・・・・・。どうしてそんなにも神を裏切ることができるのか・・・・・・』とそのあまりの心情的蹂躙に対して、憤激のあまりに石坂を地に叩きつけて壊してしまったモーセであった。

 そういうモーセに対して先生が同情せずにいられないのは、それとまったく同じような事情と心情を幾たびと味わってきたからである。山に行ったモーセは、民のために神の真理を勝ち得んとして、どんなに苦労したことであろうか。

 先生も生来、非常に強烈な火の如き気性を持っているゆえ、そのような信じられないような裏切りを受けたりすると、そのありうべからざる背信に対して、直ちに心情的に切って捨てて、顔をそむけたくなってしまう。それは先生にとって最も厳しい修練の一つであった。

 先生は一つの堅い信条を持っている。それは『天宙主管の前に自己を主管せよ』ということであり、これは先生が自らの弱さを克服し、激情を制しようとした結果得た信念である。

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