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  2.神様の王権には縦的、横的二つの王権がある

 神様は、人間に対して真の愛をもった縦的父母です。その縦的父母、垂直というものは一つしかないのです。絶対的です。二つあることはあり得ないのです。その一つの縦的父母だけをそのまま置いた時には倒れてしまいます。大変なことでしょう。
 したがって、横的父母を探し立てて連結しなければなりません。それを説明するとすれば、創造主は真の愛の縦的父母であり、創造された人は子女の立場であり、また神様の体となる横的父母の立場に立ちます。その内外が一つになることにより、内外の共鳴体となったところで授受作用をすれば、中心が生まれるのと同時に、その内外の共鳴圏の中心が植えられます。それが皆さんの生まれる生命の根源です。
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 神様が人類の先祖になるためには体が必要なので、アダムとエバという体を造られたのです。その体は、内的な心の体である霊人体と外的な肉身から成っているのですが、この二つが一つにならなければなりません。どのように一つになるのですか。心は縦的です。創造主である神様は、縦的な真の愛を中心とした真の父母だというのです。神様は、縦的な真の愛を中心とした真の父母であられ、アダムとエバは、横的な真の愛を中心とした真の父母です。
 創造主は縦的な真の父母であられ、創造主の体のようなアダムとエバは横的な真の父母であり、これが愛を中心として一つになるのです。
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 真の愛を中心として、創造主である神様が縦的な私のお父様です。心は何かといえば、縦的な私だというのです。体は何かといえば、横的な私です。
 体をもったアダムとエバが堕落しないで真の父母になり、そこで生まれた息子、娘は、この世界を築き上げることができる父母の血肉を受け継いで生まれたのです。
 ですから、真の愛を中心とした真の父母となり、縦的父母と横的父母の愛を中心として、生命と血肉が一体となって生まれたのです。それゆえに、心は、縦的な神様を身代わりして受け継いだものであり、体は、横的な父母である完成したアダムとエバ、理想的な夫婦を身代わりして受け継いだものです。ですから、心は縦的な私であり、体は横的な私だというのです。この二つが一つにならなければなりません。
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 縦的な父母とは、いったい誰ですか。真の愛を中心として見れば、創造主が縦的な父母になります。横的な愛は、その父母が真の父母になるために授け受けしたものです。
 真の愛を中心として、人間に与えられた責任分担五パーセントを完遂するようになれば、原理主管圏と直接主管圏を一体化させる力が生じるのも、そのような完全な愛のためです。
 ですから、神人一体です。これもまた愛の問題です。神様と人間は、何によって一つになるのですか。これもまた同じです。すべて同じです。
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 なぜ神様は、愛を中心として造らなければならないのですか。神様御自身が父母の位置に立った方であられるからです。天地です。人間は、地の神様として立ち、神様、創造主は、天の神様として、縦的な神様として立つのです。これが天地合徳です。「合徳」という言葉があるでしょう。このようにして、愛によって生きてみようというのです。神様も一人では孤独なのです。
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 アダムは誰ですか。アダムは、絶対創造主の体です。体として造られたのです。無形の実体では、実体の刺激の世界に対することができません。人間自体が無形で造られていたならば、他のものに対することができますか。
 それで、神様御自身がアダムの心に入ってアダムが成熟することを願われ、神様御自身がエバの心に入ってエバが成熟することを願われました。神様が成熟することを願われたその時に堕落したのです。堕落していなければ、私たちは、間違いなく神様の直系の血統を受けることができる息子、娘を生んでいたのです。神様の根になっているというのです。神様が愛の根だというのです。
 しかし、堕落したために、今日の人類歴史の創造理想世界において、神様の愛を基台にした根が生まれなかったのです。これが分かりませんでした。
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 神様、創造主は誰ですか。垂直に立っている私たちの縦的なお父様です。そして、堕落していない本性の父母は、横的な父母です。縦横が九〇度を備えて、天理の本源的な一つの起点において合徳したその場に、すべての面に一致し、上から見ても下から見ても、どこにでもすべて一致することができる、そのようなモデル型の規格を備えた位置にいる父母です。九〇度に合わせれば、すべて合うでしょう。下のものを上に合わせても合い、西側を東側に、東側を西側に、南側を北側に、北側を南側に、前後、左右を換えて合わせてもすべて合います。ここにはロスがありません。
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 神様は、真の愛を中心とした縦的な真の父母の位置にいらっしゃる方であり、創造主です。既成神学では、創造主は神聖であり、被造物は俗なるものだといいました。被造物を罪人扱いしました。
 しかし、それは間違った考えです。なぜ神様が創造されたのかといえば、愛ゆえにされたのです。神様が縦的な愛の主人ならば、縦的な愛だけでは一点にしかなりません。一点しかないものになるのです。縦的な神様の愛をもったその方が繁殖しても、長い一本の線にしかならないというのです。これをどのように横的に展開させるのですか。
 ですから、赤ん坊を生むのは、神様が生むのではありません。真の父母を通して生むのです。横的な真の愛の父母の位置に立ったその方が誰かといえば、今日の統一教会でいう真の父母です。神様の前に、縦的な愛を中心とした真の父母の前に九〇度を備えた横的な愛をもった方が真の父母なのです。
 それゆえに、二つの父母の愛が必要なのです。一人の方は創造主である父母であり、もう一人の方は被造物の、神様の対象として理想を描きながら造られた体的な父母です。それゆえに、神様は心的な父母の位置にいて、真の父母は体的な父母の位置にいます。このように縦的な愛と横的な愛を中心として生まれるべきものが人間でした。
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 神様は、絶対的な真の愛を中心とした縦的なお父様です。創造主が私のお父様であることを知りました。真の愛を中心とした縦的な真のお父様です。茎は一つしかありません。
 すべての人間たちは、真の愛を中心として、神様の愛、神様の生命、神様の血統を受け継ぎました。そのような縦的な血統を受け継ぐことができる立場に立てておいたものが人間なので、私たちの心は、神様の縦的な血統を受け継いだ縦的な私です。これが分からなかったというのです。
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 堕落していない人類の先祖は、何をつくろうとしたのですか。神様の愛の対象をつくろうとしたのです。愛の対象なのですが、何の対象ですか。縦的な主体である創造主の前に、横的な主体です。それで、東と西を結んでいくことができる横的な主体者になり、九〇度を合わせて中央線で定着しようとしたのです。
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 創造主は、縦的な真の愛を中心とした父母であり、アダムとエバは、真の愛を中心として、九〇度に合わせた位置に立った真の愛を中心とした横的な父母だというのです。この二つの父母は、どこに行って一つにならなければならないのですか。この中央で、これがぴたっとくっつくようになれば、宇宙はそこから永遠です。神様の愛を中心として九〇度に合わせたものを、誰がその角度を崩すでしょうか。
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 人間において、皆さんの心と体を完全に統一することができる本然の愛の基準とは何ですか。創造主としての縦的な神様の真の愛と、創造主の愛の対象として造られ、縦的な愛に九〇度を備えた横的な真の父母の愛と一つになり、そこから生命と愛を中心として出発した血統的な基準に連結していたならば、その息子、娘は天国に行くのです。地獄に行く心配もないというのです。行こうとしても行くことができないのです。純金が偽物になることはできません。純金は純金です。そのような血統的起源を正さなければ、復帰することはできません。根が変わるのです。本然の創造主は、縦的なお父様です。
 それから、アダムとエバが堕落しないで完成したならば、横的な父母として一つになり、愛を中心として一つになった血統を通して子女が生まれていたならば、その子女は、縦的な父母に似て、横的な父母に似た真の父母の愛の化身体となるのです。そのように生まれた息子、娘は、神様の代身であり、真の父母の代身だというのです。
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 私たち人間の先祖は誰ですか。神様は、私たちの心のお父様、縦的なお父様だというのです。創造主が私たちの縦的なお父様になり、そして、アダムが完成したとするならば、横的なお父様になるのです。それゆえに、二人の父の血筋を通じているというのです。
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 本来の縦的な創造主の愛と、創造された被造物が理想的な存在として成熟し、縦的な愛と九〇度に合わせることができるところにおいて、神様も「良い」と踊ろうとされ、人間始祖も「良い!  幸せだ!」と言い、このような良くて、幸福で、うれしくて、楽しい出発をしていたならば、そこには永遠の統一圏が成立していくのです。
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 真の愛の格位とは何ですか。縦的神様の愛と横的真の父母の愛ですが、これは内的な愛であり、これは外的な愛です。このような内的な愛と外的な愛の二つの愛を通して生まれた人間なので、私にも内的な私がいて、外的な私がいます。
 それで、内的な私がいつも私に命令します。創造主が、外的な私と同じアダムとエバに命令されるのです。私にも、そのような内的な私がいて、この外的な私である体に命令するのです。それは理論的です。今までそれが分かりませんでした。今まで宗教人は、これが分かりませんでした。
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 堕落していなければ、本来神様が私たちのお父様です。神様とは何のお父様なのかといえば、縦的なお父様です。創造主は、真の愛を中心として縦的な父母です。今までは、創造主が誰なのか分かりませんでした。そこに文総裁が現れて、そのことを明らかにすることによって、天上と地上が連結することができる公式的な整理が設定されたのです。
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 万物創造は、神様の愛の対象者をつくるという立場でされました。最近の既成神学では、創造主と被造物は相関関係を結ぶことができないといいます。
 創造主は神聖であり、被造物は俗なるものだといいます。俗なる人間と神様との愛は、どのような愛でしょうか。どうして「お父様」と言うことができますか。その主張に対してそのことを尋ねてみれば、その主張自体が矛盾です。それは、正しいことではありません! なぜ神様が人を造られたのですか。創造されたその出発の動機とは何かというと、愛の対象を探し出すためなのです。
 神様はお一人なので、縦的におけば一つにしかなりません。ですから、縦的においたとしても、これは何の存在意義もありません。横的な父母である真の父母を立て、横的な天地を中心として、この縦的基準に応じることができる対象圏を広げて世界国家に繁殖し、そこで横的な父母を通して生産するようになっているのです。神様は、どのような姿で生産できるのですか。なぜ夫婦が必要なのでしょうか。神様の息子、娘を、この天地いっぱいに満たすためなのです。

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