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  4.神様王権即位式は誰がしてさしあげるのか

 神様は、今まで、天地を造られた王の位置にはいらっしゃいましたが、堕落した父母によってその権限を失ってしまいました。サタンによって失ってしまったので、今まで王権行事を一度もできなかったのです。それで、今メシヤを通して真の父母が来て、偽りの父母によって失脚した神様の本来の王の位置を、初めて……。神様を推戴することは、真の父母がすることであって、神様がされるのではないのです。真の父母でなければ、それを復帰する人がいないというのです。そして、神様が天地を創造された本然の基準の王権を占領されたのちに、家庭を収拾して氏族、民族、国家、世界、地上の王権時代が訪れるということを知らなければなりません。
 人間とサタンが一つになって、神様の王権をひっくり返して打ち込んだというのです。ところが、真の父母が来て、サタンを除去してしまい、神様の摂理に完成の基準、天上世界と地上世界の地獄を撤廃して堕落がなかった位置に立ち、神様を王権の位置に立てて即位させてさしあげるのです。
 それから、二〇〇三年から二〇一〇年までの七年過程を経て、地上の王権を完全に処理するのです。摂理の観がそのようになっています。
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 真の父母が成し遂げたすべての道の前には、今までの蕩減路程はすべてありません。地上・天上天国の解放圏が展開することによって、真の父母を中心として天使長を追放し、本然の神様を王の位置に即位させてさしあげるのですが、誰が即位させてさしあげるのかといえば、神様一人ではすることができません。偽りの父母が殺したので、蕩減原則において、真の父母をお迎えしてその場に立ててさしあげなければ、永遠に神様が王位に上がっていくことはできないのです。
 これは、とてつもないことです。人間が神様を王の位置に即位させるのです。救世主であり、真の父母として、すべての天国の伝統を立てることができる新しい愛と生命と血筋を成し、地上と天上を祝福したという権限を成したので可能なのです。
 神様の祝福圏内に立った人々は、神様直系の血統的関係を結んだので、サタンとは関係がありません。その解放圏によって初めて、偽りの父母と天使長が一つになってひっくり返して打ち込んだものを、真の父母がサタンを除去してしまい、地獄と楽園を撤廃してしまって天国だけが残されたその上で、天国の中心である神様を探し立てるのが、今回の「神様王権即位式」だというのです。
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 真の御父母様が神様の即位式をしてさしあげるのです。真の父母だけでするのではなく、入籍した祝福家庭を中心として(即位式を)してさしあげるのです。神様は国を失ってしまいました。国がないのです。
 それでは、皆さんは入籍したのですが、どこに入籍しましたか。先生の名前の上に入籍したということを知らなければなりません。国もありません。先生は、天国の主権と地の主管がどうだということを知っています。天国の民は、天国に行くことができる祝福を受けた血筋が一つになっていなければなりません。それをすべてつくっておきました。
 彼らの血の値以上、その国民以上、その国の主管以上の出発の基地が神様の創造した地球星です。この地球星の上にすべての津液を集中させて国連の国を建設することができる基地です。
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 先生が王権即位式をするのですが、先生が即位するのではありません。神様が即位されるのです。人間の先祖が偽りの先祖になることによって、王権からすべてをひっくり返して地獄がつくられたので、これを統一教会の祝福家庭と先生が一つになって神様を真の王の上にお迎えし、その方が権限をもって、家庭理想、国家理想、天宙理想を身代わりできるよう、再び真の父母の前に相続してあげなければなりません。
 それゆえに、これをするためのものが総生畜献納です。自分に属したものはあり得ないというのです。ですから、所有圏をもった人はすべて引っ掛かるのです。着る服も自分のものではありません。私のものという名前をつけたものが恥ずかしいということを知らなければなりません。すべてのものが、絶対的な神様が主人となった位置にあってこそ、王権が維持されるはずですが、愛まで失ってしまい、血筋まで失ってしまったその方が、どのように即位するのですか。
 それをすべて反対以上の立場で収拾して、世界万国が協助する立場でそのことを成してさしあげなければなりません。そのようになれば、神様が全体、全般、全権、全能の行事を行うために、サタン世界の地獄でも何でも、サタンでもその手先でも、一瞬ですべて整理してしまいます。
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 先生が神様の即位式をしてさしあげなければなりません。人間がそのようなことを考えること自体が、どれほど不敬なことですか。どれほど罪を犯しましたか。その場が恐ろしいのです。良いものではありません。その式が恐ろしいのです。全天宙が見つめるのに、地上の責任者としてその場に、四方に影を残しておいては、そのことをすることはできないのではないかというのです。監獄に入っているほうがかえって楽でしょう。
 この四十日期間は、本当に深刻なのです。過去を反省しなければならず、過去に教えた内容の中に過ったことがあれば、それをすべて埋めなければなりません。私が埋めてあげなくても神様が埋めてあげなければなりません。そうでなくては、その場に行けないのです。先生は、そのように考えるのですが、皆さんはどうですか。今まで生きてきた習慣そのままで、その場に参加しようとする人がどれほど多いでしょうか。自分たちによって天地に影が生じるのです。
 責任者たちはなおさら問題が大きいのです。引っ掛かれば、全体が日陰になります。影が濃くなって雲の世界になれば、夜のようになります。そのようになれば、神様が離れるのです。
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 神様も何に絶対服従されるのかといえば、知識でもなく、お金でもなく、権力でもなく、真の愛だというのです。男性もそうではありませんか。真の愛に服従するでしょう。女性もそうです。いくら優秀でもそうなのです。
 神様も絶対的なお方ですが、真の愛を主体として侍ってこそすべての面において絶対なのであって、真の愛でなければ半分にしかなりません。真の愛の前には、神様もどうしようもありません。
 それゆえに、神様が思いどおりにはできないのです。思いどおりにできるのならば、なぜ世の中を思いのままにすることができないのですか。愛の道を通して、すべてのものを統治することができるのに、愛の相対を探し出すことができなかった神様は、千年、万年思いのままにすることができない立場にいらっしゃるというのです。
 真の愛で絶対権限を行使されるはずですが、真の愛がないためにできないというのです。真の愛の原則的な主体的人格者として、行くべき道があるのですが、真の愛がないために、もつこともできません。出発もできなかったのです。
 それで、神様は、堕落以後今に至るまで、囹圄(注:牢屋)に閉じ込められているのです。何の話か分かりますか。絶対的神様が無力な神様になったのです。無力なだけでなく、嘆息されているというのです。そうではありませんか。失ってしまったその愛を探し出すことができなければ、かわいそうな存在としていらっしゃり、嘆息して恨の歴史が展開されるのです。その恨を解こうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。真の愛のために恨を抱かれたので、私たちは、真の愛をもって恨を解いてさしあげなければなりません。
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 神様を私の前に立てて即位させてさしあげ、「この位置から動かないでください」と言い、闘ってきたすべての恨を代わりに相続して生きていかなければならない時が来るというのです。世の中がすべて変わるのです。朝と夜が違います。夕焼けを朝だと思って夜中を迎えるようになるので、自分勝手に考えたというのです。天理の循環度に従って、上下、前後、左右、朝ならば朝、夕方ならば夕方、順理に合うように考えなければ脱落するのです。
 悪とは何か知っていますか。右に行くべきものが左に行き、上に行くべきものが下に行けば悪になるのです。悪の主人が別にいて、天の主人が別にいるということを知らなければなりません。はっきりと知っていながら、どうにかこうにか越えていこうとします。
 今、家庭を見ても、責任者という者が、教会にも出てこない者を祝福に推薦をしました! この者たち、自分の息子、娘を餌にして蕩減しなければなりません。無責任に男性と女性を推薦して、他人の一生と天が採択して育てた息子、娘を蹂躙して歴史に汚点を残すそのような群れになり、功績を積まずに食い物にするという者は盗賊になります。
 ここもそうです。何の責任者だと胸を張って私の前に現れるなというのです。私は、今そのようになっています。天国を守らなければならない責任があり、保護しなければならない責任があります。憎らしいものは、見向きもされずにつばを吐かれ、足でけ飛ばされなければなりません。そうではありませんか。昆虫世界もそうです。自分と合わないものは、闘ってかみ殺してしまいます。自分と同じ種でも、血筋が違えば取って食べるのです。
















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