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  5.宗教摂理の終結と家庭時代の定着

 宗教を中心とした既存の価値体系は、なぜ崩壊していきましたか。それは、宗教自体が本来の任務を忘れたまま、分裂と紛争がやむ暇がなく、それで現実に対する指導力を喪失したからです。既存の宗教が神様と人生と宇宙について明確に教えることができなかった結果、善と悪、義と不義の区別をはっきりさせることができず、特に神様が存在するかどうかということに対する質問に明快な答えを与えることができませんでした。
 宗教が無力化すると同時に、物質は、人間の前に手段ではなく目的と化したのであり、享楽が当然なこととなり、人間性は肉欲と物欲によって麻痺し、動物化したので、このような土壌の上に真なる愛と奉仕、そして義や神聖などの既存の価値観が引き続き存立することができないのです。なおかつ、現代社会の組織化、大型化、機械化の傾向は、非人間化、あるいは人間疎外の現象を加速化し、個人の矮小化、部品化の趨勢をあおりたてています。
 人間の創造本性がふさがれているこの状況と束縛の中で人類を解放する新しい価値観の出現は、私たちすべての絶対的要求と言わざるを得ません。新しい価値観は、現代の問題を消化し、現代人を説得することができる新しい宗教に根源を置かなければなりません。神様が人類の父母であられることを教育し、宇宙の始原が物質ではないということを糾明し、人間には霊性と人格があり、神様の相続者として宇宙を治める権限があるということを明らかにしなければなりません。
 また、創造本然の愛の理想を確認させ、森羅万象が二重目的の連体になっており、宇宙の大秩序の中では調和のみが存在するようになっていた太初の理想を明らかにするなどの役目を、新しい価値観は果たさなければなりません。
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 今、アメリカなどにおいて問題になっていることは、政教分離問題です。「政治と宗教は分立しなさい」と言うのです。ところで、このような点から見れば、狂った者たちだというのです。体と心を永遠に分立すれば、それは何ですか。それは人でもなく、犬畜生でもありません。
 一つの世界が近づいてくることによって、心を中心として体が一つにならなければなりません。宗教は心の側にあり、体は結局、思想側にあるのです。思想が中心となり、思想が心を収拾して導いていくことができるのではなく、神様の愛を中心とした理想をもった心が主体となって体を導いていかなければなりません。そのようになれば、体は、神様の愛に一〇〇パーセント一つになるようになっているのです。それで、このように見るとき外的な人間歴史を見ても、終わりの日になったというのです。
 摂理史的立場から見ても、四大宗教圏がすべて飽和状態です。これ以上行こうとしても行くことができません。今、キリスト教はキリスト教なりに争っています。これは反対です。外的な世界は、争えば争うほど糾合運動をしてきたのですが、糾合された外的な世界が争うようになれば、次第に下がっていくのです。
 それゆえに、今日、神様を第一として侍り、神様を中心として生活してきたそのような宗教が争っているので、世の中の人々よりも劣るまでに落ちているのです。それは何を意味しているのでしょうか。宗教摂理も、既に終末を迎えて新しい次元へ委譲することができる時代に入っていくのです。また、外的な世界もすべて定着化し、次第に崩壊していくのです。このようなことを御存じである、摂理を推進される神様が、宗教も崩壊させ、人類も崩壊させてしまうのでしょうか。そうではありません。
 それゆえに、これを処方するためには、新しい宗教と思想と、また宗教的背景を中心として、社会運動と連合させることができ、内的統合と外的統合運動をする団体がこの地上に現れなければならないという論理が形成されるのです。
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 イエス様は、左側の強盗と右側の強盗が死ぬ時に一緒に死んだでしょう? なぜ死んだのでしょうか。カイン・アベルが一つになることができなくて死にました。自由世界において、カトリックとプロテスタントが宗教的立場からイエス様を中心として争ってはいけません。一つになれば、死んだイエス様が死ななかった立場に上がってくるのです。ですから、宗教圏を中心として統一教会と一つになっていたならば、宗教圏は右翼であり、それから非宗教圏は左翼となるのですが、右翼と左翼が互いに争ったり、殺し合ったりしてはいけません。
 イエス様を中心として一つにならなければなりません。天と地が一つになり、東洋と西洋が一つになり、南側と北側の貧富の差が一つになり、文化的心情圏、み言圏、実体圏、心情圏が一つにならなければなりません。そのようにしておけば、イエス様の前で、右側の強盗と争う暇などありません。一、二、三の三位基台が一つになるのです。神様を中心として、アダムとエバが一つになるのではありませんか。天使長が擁護することができる四位基台です。それが現在の四大宗教圏です。アラブ圏と共産主義は、外的なサタン世界の宗教として、骨と肉と同じです。
 愛を中心として体がすべて一つになるので、聖餐、すなわち私の血を飲み、肉を食べなければ弟子になることができないというのです。血肉が一つにならなければなりません。イスラエルの十二部族と中東の十二部族に分派させたのは、イエス様が死ななければ、ユダヤの国であるイスラエルの国と中東が一つになって、それがアベルとなり、東洋の宗教圏と一つになって統一天下をなしていたはずだからです。
 心と体、霊肉中心の一体圏を成していれば、そこに王の王となっていたはずでしたが、死にました。体を失ってしまい、体のない霊に落ちたので、キリスト教は、霊的救援摂理を行ってくるにおいて肉的基準が残っているのです。それゆえに、これが反対に、ローマ帝国から蕩減して再び東洋へ回ってくるのです。摂理史からいえば、みなよく知っている内容のはずです。
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 宗教の中でも四大宗教、その四大宗教の中でも、心情的宗教を教えてくれたのはキリスト教しかありません。それ以外の宗教は、アダムの前に反対した男性、天使長型が現れたものです。アダムとエバを造られる前に天使長をつくられたのと同じように、孔子あるいは釈迦牟尼を中心とした、このような古い宗教がありました。そのような宗教が過去にたくさんあったのです。
 イスラム教は、イエス様が亡くなられてから七百年のうちに現れたものです。これは別動体です。イスラエル民族が祝福を喪失することによって、サタン圏が所有した宗教代表の内容を中心として権限を立ててきて、コーランと剣を中心として、力の制裁を通して宗教圏を拡大したものです。これは、神様の心情世界における、「ため」に生きて屈服させるという自然的な復帰路程とは対立するものです。それで、キリスト教と真っ向から衝突し、キリスト教文化圏が失敗して後退する立場に立つようになったのも、キリスト教が責任を果たすことができなかったからであり、それによって、歴史上にそのような現象が現れたのです。
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 今までの霊界には、イスラム教や仏教や儒教などの宗教や、哲学などといった、あらゆるものが自分勝手に存在しています。イエス様が真の父母の伝統をもってこられた新約時代の霊界一体圏、成約時代の霊・肉界一体圏を中心として統一だというのです。成約とは何かというと、このことです。結婚しなければなりません。男性、あるいは女性として生まれて地獄に行き、千年、万年ありとあらゆる恨を抱き、「自分がどのように生きるか」ということを考えることができなかったのに、自分が解放を受け、祝福を受け、家庭をもつことができるということは夢のような話です。ですから、万国を中心として、霊界と肉界に、統一的な祝福の門を大きく開け放ったのです。
 イスラム教圏、仏教圏は、すべて怨讐です。宗教の怨讐です。ですから、キリスト教を中心として、真の父母宗教の血統的基準の愛を中心として宣言を行うのです。「今こそすべての宗教は、真の父母の道理、父の道理を学び、長子の道理を学ばなければならない」と言うのです。イエス様が長子になります。長男となったので、「今までのキリスト教文化圏を学びなさい」と言うのです。
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 今まで、仏教などのすべての宗教が行ってきた形式的なすべてのことは、天国に通じることができません。天国の道理を受け継いでいくことができないので、今はもう霊界で、統一教会を中心として、新約時代の霊界を統一したキリスト教文化圏に一つになりなさいというのです。
 地上で霊肉を中心とした統一教会を中心として、霊界で一つになったすべてが地上に向かって統一されるのです。このようにして新しい家庭を編成し、新しい民族、新しい国家を編成するためには、アダムの身代わりとして家庭理想をもった真の父母一代を中心として、二代、三代、そして世界の万民がすべて再び祝福されて、その隊列に入っていかなければなりません。そのようになることによって、天地が一つの主流的思想圏内に方向を設定し、天国を越えて神様の御座の前に行き、愛を受けることができる公認された息子、娘になっていくことができるのです。
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 アダム家庭のカイン・アベルが怨讐になったのと同じように、世界的な版図では、旧教と新教が怨讐になったのです。これが堕落しなかったアダム圏内に入ってきて、完全に一つになるのです。イエス様が体を失ってしまうことによって、霊的な父母にはなりましたが、実体的な父母にはなることができなかったので、小羊の宴をするのです。それは何かというと、新しい主が来られて、真の父母圏を完成して宴をすることです。これがイエス様の時に成し遂げられていれば、ユダヤ教とイスラエルの国が一つになっていたはずであり、そのようになっていたならば、ローマは問題ありませんでした。
 そのようになっていたならば、神様を中心として個人、家庭、氏族、民族、国家だけではなく、地上から天上世界まで愛の鉄柱が打ち込まれていたはずです。ローマにはそのような中心がありませんでした。それゆえに、サタンの権力と武力を中心としていたその国とぶつかるならば、その大きな国もすべて砕け散っていたはずです。そして、カイン的なローマが屈服したならば、天下統一が成されていたはずです。
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 歴史は、時代とともに後退するのではなく、発展します。歴史の目的とは何でしょうか。神様の創造理想も歴史の目的に帰結し、救援摂理や、すべての宗教摂理や、人類歴史も、その歴史の目的に帰結するのですが、その歴史の目的とは何ですか。これが問題です。
 皆さんが「神様のみ旨」と言えば、それは歴史の目的、すなわち創造目的が完成されることですが、創造目的の完成とは何ですか。神様のみ旨は創造目的の完成だと、このようになるのですが、それならば、創造目的の完成とは何でしょうか。創造目的の完成とはみ旨の完成のことであり、み旨の完成とは何かというと、四位基台の完成です。四位基台の完成とは何かというと、真の家庭を完成することです。
 真の家庭とは何かというと、そこには真の父母がいなければならず、真の男性と真の女性がいなければならず、真の夫婦がいなければならず、真の子女がいなければなりません。これは理論的です。
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 成約時代とはどういうことを言うのですか。父母が父母として安着し、家庭が家庭として定着し、その家庭が天下の平和の世界、統一の世界になるとしても、反対するものがいません。障害物がないのです。今、文先生が闘って勝利したということは、家庭環境だけでなく、全世界、そして天地がすべて動員する中で定着したということです。それは素晴らしいことですか、素晴らしくないことですか。
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 成約時代は、家庭へ帰っていくことです。統一は個人からです。この峠を越えなければ、千年たっても、万年たっても天国に入っていくことはできません。長子権を復帰することはできません。自然屈服させなければなりません。強制屈服ではありません。説得屈服です。皆さんは自然屈服ですか、強制屈服ですか。説得されたので、自然屈服と言わなければならないでしょう?
 このようにして地上天国、天上天国の家庭的エデンで成されたことを、世界のすべての国が同一の立場で金型を取ることができるブループリント(青写真)があります。何千年を経たそのようなすべての勝利の覇権が、一時に家庭を中心として、真の父母の家庭をモデルとして金型を取ることができるブループリントがあるのです。それをすべて配布しなければなりません。
 それで取りさえすれば、どこでつくったとしても、カチャンと押し出せば同じ製品が出てくるのと同じように、全世界の五十億人類の家庭が家庭的に接ぎ木して、失ってしまった解放の国と天国へ帰っていくのです。
 この時が成約時代、約束を成す時代です。
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 到来する未来世界は、神様と人間と万物が調和を成す、真の家庭による愛の文化の世界です。真の愛によってお互いに「ため」に生きながら、和合、協力し、共に生きる共生・共栄・共義の世界です。未来の歴史は、「人類一兄弟姉妹」を念願する人類が、人種を超越した真の愛による真の家庭と、真の父母中心の真の家族理想で「世界が一つの家庭」の夢を実現する歴史でなければなりません。理想世界は、永遠・不変・絶対的な神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹としてために生きながら、仲むつまじく暮らす人間大家族の世界です。
 この世界を成し遂げるための神様の摂理を全体的に指導される方のことを、救世主、あるいはメシヤと呼びます。真の愛の回路がふさがった世界において、「ため」に生きる生活で手本を示されるこのお方は、人類理想の動機であり、目標です。
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 神様の復帰摂理が創世以後、何千万年という歴史を経てきたにもかかわらず、いまだその基準を立てることができていません。統一教会時代に先生が来て明らかにすることによって、初めてこれが可能になったのです。それゆえに、成約時代を発表し、真の父母を発表したのです。これは世界史的な事件です。事件というよりも、新しい世界を創建することができる一つの起源になるのです。
 真の父母という思想と、「成約時代」というその言葉自体がそうだというのです。成約時代とは、何の約束を成すことですか。神様が人間と共に創造したその約束を成すことです。復帰摂理時代や、救援摂理時代が成就することではありません。創造理想世界が成就することです。それゆえに、真の父母という名前は、人間よりも神様のほうが先に考えられたのです。真の父母の顕現というのは創造理想です。
 それで、太初に神様が創造されたのち、旧約時代を越え、新約時代を中心として越え、成約時代にはどのようになっていくのでしょうか。成約時代とは、神様と人間の一体圏を意味します。真の愛で一体圏を成して平等な価値の内容を共に連結する立場になるのです。神様だからといって縦的なだけではなく、人間だからといって横的なだけではありません。縦と横が一つになるのです。
















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