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 二 王権即位式以後、どのように生きていかなければならないか


  1.神様と直接連結された息子、娘の時代

 きょうは「神様王権即位式」をしてから最初の出発の日です。今話したこのみ言のとおりにすれば、すべてのものが整理されるのです。
 今、皆さんが愛する夫や妻、愛する父母、このようなものを求めて神様を愛するとしても、そのようなものは神様が放棄されたものです。放棄されたものなのです! 自分が愛する地のものは、汚くて醜いものであるということを知らなければなりません。
 これを放棄することができない私自身が、どれほど邪悪な存在かというのです。刀で自分の首を刺したとしても解決できない、悲しい立場にいるという事実を知らなければなりません。否定することのできない事実です。
 死のうと生きようと、父なる神様のために生きなければなりません。父のために生きなければなりません。すべて蕩減過程を経てきて、真の父母のために生きるという言葉も必要ありません。真の父母も必要ないというのです。
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 自分の父母よりも、自分の誰よりも、もっている何ものよりも、神様をもっと愛さなければなりません。それが第一です。その次には、真の父母と一つになった生活圏を拡大し、天が放棄した世界を再び地上に取り戻して、神様が主人の立場で共に生活することができる環境をもたなければなりません。それが一生涯の願いであるということをはっきりと知らなければなりません。
 今までのみ旨の道において皆さんは、自分の息子、娘、また自分がもっているものを前に立て、み旨の道と比較しながら、どれほど天秤にかけてきたことでしょうか。許すことができない罪であるということを知らなければなりません。はっきりと知らなければなりません。
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 先生のために生きなければなりませんか、神様のために生きなければなりませんか。救援が必要な時には、地上に真の父母が必要です。真の父母を通さなければ救援できません。救援があって、それから「神様王権即位式」をしたのですが、すべてを知り、既に世界的にそれを宣布した時は、先生よりも神様が必要です。それが直接の根です。先生のために生きる何十倍、何百倍をしなければならないでしょうか。先生をつかんで祈祷する自分自身も恥ずかしいのです。そうでなければならないのではないですか。
 それで、皆さん自身が、皆さんの家門と皆さんの新しい国と新しい世界を再創造しなければなりません。先生のみ言をもってすれば、間違いないのですから。先生のみ言を行うことができなければ、復帰してくることも本当に難しいはずです。
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 それを思うとき、立って歩くことも恥ずかしく、はいつくばって生きることも恥ずかしいのです。涙なくしては、自分の生涯の峠、人生の道の峠を越えることができない自分自身であるということを知らなければなりません。何を見て、何を嗅いで、何を聞いて、何を言って、何を手に取って生きるのかということが問題です。子女となった姿を清く整備し、解放された子女として堕落していない本然の父に侍り、子女とその国の忠臣とその世界の聖人とその天宙の聖子の道理を、私自身が完成してさしあげようという願いの一念をもたなければなりません。
 万民がそのようになるならば、神様が皆さんをもっと誇るのです。堕落したアダムより立派だというのです。「何も知らない世界において、そのようにすることができるのか」と言ってです。それゆえに、間違いなく神様の皇族圏内に、神様の直系の息子、娘圏内に同参することは必然的な道です。間違いない道です。もう一度決意して誓う人は、手を挙げてください。両手を挙げなさい。そのように生きなければなりません。
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 神様の息子、娘であることに間違いないという道を行きなさい。血を抜き、骨髄を絞り出したとしても、神様に似ているということは間違いない事実だということを、神様が証し、宇宙が証し、私が証することができる位置に行かなければなりません。そのようになれば、神様の直系子女の名分を備え、天道と天国の王権世界の伝統をすべて再整備して立てることができるのです。
 蕩減時代を越えて、今皆さんが祝福を受けたのちの残りの生涯期間において、先生の十分の一だけしても、先生が苦労して切なかったその世界をすべて知って行うことができます。
 ですから、それくらいに易しいということです。先生は知らなかったので、この道を探し出そうと身もだえしてきたのですが、皆さんはすべて知っているではありませんか。身もだえするものがないではありませんか。ただ一つ残ったものは、息子の責任と娘の責任です。お父様の血筋を受けた伝統の家門とその血筋の国、そしてその世界を立てて誇ることが、生きている私たちの一生涯の使命です。一族の一生涯の使命であり、氏族と民族と国家の使命だったのです! アーメンです。私も、もう荷物をすべて下ろさなければなりません。
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 皆さんもそうです。今からは、先生を探す必要はありません。先生をすべて知ったので、今からは、天のお父様に、先生よりも何百倍以上の根源的な位置で侍らなければなりません。
 先生は、堕落した世界で蕩減復帰の道を開拓するために苦労してきましたが、皆さんは、その開拓するところで苦労する代わりに、神様の前にそれ以上の孝子となり、天国の忠臣となり、天国の聖人、聖子の道理を果たさなければなりません。
 そのようにすれば、失ってしまった世界を探して復帰した神様の喜びが増すのだということを知り、そのように進んでいかなければなりません。それを新たに決意したとみなします。
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 そこには真の父母もいません。メシヤもいないのであり、釈迦もいないのであり、孔子もいないのであり、誰もいません。本然の位置に戻っていき、一つになった一体的基準で神様の心情と一致することによって、神様が悲しめば私が悲しく、神様が苦痛を受ければ私が苦痛を受ける、そのような一体となった位置で、子女であることに間違いないという公認を受け、自ら「そのような子女になった」と言うことができるその位置を訪ねていくまでは、自分自身をつかんで闘わなければなりません。
 「この怨讐! 神様が捨てなければならない型を残した者、お前の行動、お前の生活を許すことはできない」と言って、無慈悲な立場から……。堕落していない血筋を通して本然の神様に直接父母として侍ることができる本然の位置を失ってしまったことを恨みながら、何が何でも私自身が軸を立て、城を築いて上がっていき、その本然の位置に接ぎ木しなければなりません。これが、私たちの一生涯の願いです。
 今、すべての人類とすべての被造万物は、堕落圏に入ってくることによって、恨に満ちた勝利の道を開拓するためにすべて嘆息しています。人間がまずそのようになってこそ、世の中のすべてのものが解決され、解放圏が天宙に成されるということをはっきりと知らなければなりません。
 目覚めて父母様を仰ぎ、何かを要求してはなりません。見て、知って、聞いて、五官を通して感じていながら何を願うというのですか。世の中のものを願ってはなりません。
 ほかに願うことはありません。本然の神様に直接連結され、血筋が汚されないで生まれた息子であることを認識し、その父に最初に侍ることが最高の願いです。これが総結論です。摂理史と創造史の総結論です。そのように生きようと決意しなさい。手を挙げてください。そのように生きなければなりません。消え去っていく話ではありません。
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 先生は、食べるものを探し求めていきましたか、み旨を探し求めていきましたか。食べるものに従っていきますか、み旨に従っていきますか。み旨は見えますか、見えませんか。神様は見えますか。愛は見えますか。生命は見えますか。血統は見えますか。良心は見えますか。見えません。見えないので、考えない人には分かりません。
 きょう、即位式を行うことによって、国が変わりました。今から、み旨の道のために心配しなければなりません。神様は、今までみ旨の先頭に立つことができずに恨を抱いています。御自分がしたいとおりにできなかったという恨が染み込んでいます。神様がしたいとおりにできるように、後援部隊になりなさいというのです。
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 新しい日を迎えれば、自分が着ていた服を脱いで、新しい服を着なければなりません。そのような考えはしないでしょう? 三〇〇〇年を出発する時は、入浴も十回はして、古くなった垢を落とさなければなりません。一度に十年ずつとすれば、二千年ならば二百回です。百年ずつとすれば、二十回です。二十回入浴して蕩減しようと思わなければなりません。しかし、どうやって入浴を二十回することができますか。ですから、その代わりにバケツで二十回頭を洗い、体を洗い、このようにして思いつくところはすべて洗い尽くさなければなりません。一番きれいに洗うべきところは生殖器です。
 生殖器が最も貴いのです。そのように貴いものを、今まで隣近所の乞食のふろしき包みほどにも思わなかったのです。町内全体の歴史から未来までを買っても余りある金銀財宝が入っているというのに、それを乞食のふろしき包みほどにも思わず、けったり、転がしたり、肥だめに落としたり、ありとあらゆることをしてきたのです。恥ずかしく思わなければなりません。














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