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  4.自然と調和して趣味的に生きる生活

 今後、食糧問題を解決することができなければなりません。飢えて死んでいくアフリカ人、アジア人、インド、中国をどのようにしますか。大陸で大国になるのですか。大国になり、食べて生きていくものがなければどのようになりますか。お金を食べて生きるのですか、水を飲んで生きるのですか。お金をもっていって「何かをつくってください」と言えば、すべてつくってくれますが、食べるものはもらえません。ヨーロッパも食糧が不足し、アメリカもロシアも不足する時が来るのです。
 最近では科学的な農場を経営することによって、みかんのようなものを植えても十分食べて暮らしていくことができます。商売をして食べて暮らし、息子、娘を大学に送ることもできます。食べて生きることが問題ではありません。就職しようと苦労する必要はありません。生きることができないようになった時は、南米に来れば、先生が土地を分け与えるなり、御飯を食べさせてあげるなりするつもりです。御飯を食べさせてあげることができなければ、川と山があります。一日に二匹は魚を釣ることができます。大きいのが二匹ならば、釣ってもすべて食べきれません。五人家族でも、食べきることはできません。
 それからまた、果実が無尽蔵です。あらゆる果実があります。みなパパイヤは好きでしょう? 果実がどれほど多いか分かりません。すべて取って食べるようになっています。ですから、アマゾン川流域の現地人は、フォークとナイフをもって御飯を食べに出掛けるのです。朝、昼、晩にです。すべてあります。
 そして、一生懸命農業をすれば、うまくいくようになっているので、「神様、祝福してください。収穫が良くできるようにしてください」と祈る必要はありません。祈る必要がどこにありますか。一生懸命にすればいいのです。朝早く出ていっても、夜遅くに戻ってくるのです。月の友達となり、朝、日が昇れば、その友達となるのです。月の友達、日の友達、常に明るい場所で生きようとすれば、この世で貧しく暮らそうとしても、豊かに生きるようになっているのです。
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 それは何といいますか。動物間において一番の怨讐となり、植物においても怨讐となるものを何というのですか。天敵というのです。生き物には天敵がいます。生まれてから見たことがなくても、その天敵を恐れるのです。
 先日私が、鄭壽源氏の家の犬が虎を見てどうだったという文社長の話をしたでしょう? その犬が虎を見たことがあるでしょうか、声でも聞いてみたことがあるでしょうか。虎の絵を見せて「ウォー!」とほえると、ただしっぽを巻いてきゃんきゃんと板の間に入っていって、出てこなかったというのです。天敵というものは、それほど恐ろしいものなのです。鶏がいくら飛んだり何かしたりしても、天敵である青大将の前に行けば、身動きができずに、ただそのままじっとしているのです。逃げることもできないのです。立っていることもできません。すべて、そのようにして捕って食べるのではありませんか。天敵がいるのです。
 それでは、神様の前における天敵とは何ですか。神様の前に天敵がいますか。愛の世界には天敵はいません。天敵がいないので、それを支配することはできません。ですから、サタンを殺すことはできないのです。天敵がいないようにつくられた世界において、天敵だといって神様が法で裁いて殺したとするならば、神様が引っ掛かるのです。それゆえに、今まで何千万年もの間、神様は怨讐を愛する立場で歩んでこられたのです。天敵がいません。天敵がいないので、昼も夜も常に育ててあげなければならず、愛さなければならないのです。
 それでは、真の父母の前に天敵がいますか。(いません)。同じです。ですから、このようにしても愚かな人、あのようにしても愚かな人です。八十年の生涯を生きてくる間、いつ思いどおりにしたことがありますか。一度も思いどおりにすることができなかったのです。今から思いどおりにしてみなければなりません。
 金潤相氏は、様々な鳥の種類を知っておき、今から巣をつくって、そのような鳥たちが暮らすことができる環境をいろいろな所につくらなければなりません。そこに来る数十種類の鳥たちの巣をつくって、同じ餌を与えれば訪ねてくるようになるのです。ですから、れんぎょうのような木を植えるとか……。雀は生まれつき遊ぶことが好きです。季節に従って花があり、葉があるので、そのような特別な木を中心として、鳥たちが来るようにするのです。そこには、やな(注:川にしかける魚を獲るわな)のようなものをぐるっと巡らして家をつくっておき、餌を与えて常に訪ねてくるようにするのです。
 そのようにして、そこで毎日のように与えれば、そこに来て棲んでは巣立ちをし、棲んでは巣立ちをし、このようにして、ここで育った鳥が向こうの村に行って子を産めば、そののち、その村全体が一つの家庭になります。
 鐘を鳴らせば、何の鳥を呼んでいるのかということを分からせる教育をしなければなりません。「かんかん」と鳴らせば、これは何であり、「かんかんかん、かんかんかん」と鳴らせば、これはまた何であり、そのようにして、飛んでくれば必ず餌があるようにしておいて与えるのです。そのような訓練をさせなければなりません。そのようにすれば、見物するために世界の人が来るでしょうか、来ないでしょうか。観光公園をつくらなければなりません。
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 裏山の陰になった所には動物がいます。すべての動物は、穴を掘ったり、陰になった所を探したりして隠れることを考えるのです。樹木があり、陰になった所には動物がいます。きつねから、うさぎから、様々な動物がいるでしょう? それを育てることができるようにするのです。餌を捕って私たちが与えるのです。ピラニアのようなものなど、食べない魚がたくさんいるではありませんか。そのようなものをたくさん捕まえて「かんかんかん」とたたいてから与え、友達になるようにするのです。
 その次には生肉をあげるのです。このようにすれば行ったり来たりするので、鐘が鳴れば、朝、昼、晩に食べられる生活環境が自動的につくられるのです。農場で土地を掘って水がすーっと流れるようにして、その村の獣たちがいる所に通しておき、良い水が流れるようにして、うさぎや鹿やおおかみなどが夜中に来て水を飲むことができるようにするのです。このようにしておけば、その周辺には豊かな山林と自然ができると同時に、魚たちが集まってくるのです。
 彼らが食べて生きることができる主人です。食物連鎖を中心として、生きることができるすべてのものが準備されており、そのようなすべての魚や動物が集まってくるので、これをすべて趣味として管理しなければなりません。趣味生活です。趣味公園をつくらなければなりません。
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 何でも必要です。へびまでも必要です。アナコンダが来れば、うさぎも分けてあげるのです。その群れが来れば、いつでも集まることができるようにするのです。鐘さえたたけば、そこにいるすべてのへびたちが集まってくるようにするのです。
 このようになれば、どれほどの名勝地となるでしょうか。人間を中心として何かを立派につくりあげた世界以上によくできあがるのです。環境条件の良い自然をそのままにしておき、源焦根源的な動物と植物たちを中心として、和合して喜びを感じることができるような世界的な観光地をつくろうというのです。
 そして、植物園も世界的なものをつくり、動物園も数百種類、数千種類のものをつくらなければなりません。魚は三千六百種類になるので、三千六百種類の養殖場をつくらなければなりません。そのようにすれば、「来るな」と言っても世界から訪れてくるのです。そのようなたくさんの種類を見ようとして来るのです。
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 鹿のような獣も育て、魚も育て、それから自然に人工を代入して穀物もつくるのです。それは、いかに素晴らしいことでしょう! 神様が創造されたものは何であってもすべて再生させ、それを見つめながら神様のことを思い、自然と調和をつくり出し、このすべてのものが互いに助け合って生きながら、趣味をもって暮らしたのちに霊界に行くのです。このようにすることによって、都市集中の世界をすべて分散することができるのです。
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 生きることがすべて喜びです。趣味というものは、環境的条件を示すものであり、喜びは、主体と対象の愛の理想に根を下ろすことができるものです。独りでおもしろいですか。おもしろいならば、狂ったことになります。愛の相対がいなければなりません。
 神様は、未来の理想的宇宙よりももっと大きい愛の相対のために、燃料として供給するための立場に万物を立てたのです。それゆえに、愛の圏内の因縁をもっていないものはありません。ですから、万物を愛さなければなりません。
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 主体と対象があるところから芸術という美しさや、貴さや、価値が存続し、そこから喜びを感じるのです。それで、趣味産業は外的です。家庭は、趣味家庭ではありません。喜びの家庭にならなければなりません。
 喜びといって、アメリカに来て暮らすことではありません。みなアメリカを好みますが、それは違います。アメリカの天地より、もっと好むことができる家庭に私たちの父母が住んでいるのです。鼻唄を歌うというでしょう? そこで鼻唄だけを歌うでしょうか。
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 六十歳を越えれば、下野して故郷の農村に帰り、土を耕して霊界に行く準備しなければならないのですが……。霊界に行く準備が忙しいのです。
 ですから、精誠を尽くし、先生のように農村に埋もれて、農村を指導することができる責任を果たさなければなりません。そのようにして、趣味産業、趣味生活を終えて霊界に行ってこそ高い霊界に行くことができ、情緒的な人となって霊界の舞台を活用することができる皆さんになるのです。
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 故郷に定着する時は……。定着してどのようになるのですか。天地のすべてのものが故郷になり、天地のすべてのものがそこに連結されているので、背負っていく必要はなく、置いていかなければなりません。それを置いて霊界に行けば、それを連結させることができるのです。
 世界のものをここに移してくることができ、また私がそこに行けば、自分の家も引っ張ってくることができ、私のものになるのです。背負っていく必要はありますか、ありませんか。















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