天一国時代の祈祷
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第二章 摂理的中心人物たちの祈祷

第一節 モーセの祈祷

 いかなる豪華絢爛な立場でも、選ばれた民であるという思いを忘れなかったモーセ、すなわちアブラハムの祝福とヤコブの祝福を忘れずに、一貫して民族の遺業を相続しようという意志を固めてきたモーセにおいて、祝福は当然のことだったのです。モーセは豪華絢爛なパロの宮中で、王女の息子として天下を手にすることができる環境にいたとしても、彼の心は違いました。

 そのような生活の中でも、祖国のために人知れず祈っていたモーセでした。良い服を着るたびに、塗炭の苦しみの中に倒れていく民族を心配したモーセでした。彼は良い服を着て民族を眺めるとき、より一層胸が痛かったというのです。「いっそ私がおまえたちと同じ立場にあって、同じ服を着ていたならば気が楽なのに…」と考えたモーセでした。すべてが豪華絢爛な環境で彼らを眺めるたびに、胸にくぎ打たれたのです。

 彼は「神様! あのかわいそうな民族のために私が先頭に立ちます」と数十年間、人知れず祈祷しました。一途な心で神様の心情の骨髄に通じうる祈祷をしました。そのような動機があったので、神様はモーセを選んだのです。自由で豊かで豪華な環境の中でも、天に対して真心を込め、民族のために生きることにおいてイスラエル民族のだれにも比較できないほどの忠誠の心情を、モーセはもっていたのです。(一〇−三三七、一九六〇・一一・二七)

 昔のノアやアブラハムだけでなく、曲折や事情も知らずに選ばれた者たちも、やはり無念な路程を歩みました。神様のために生きようという一念で歩んだヤコブも、ハランに向かって行くとき、石の枕をして涙あふれる路程をたどりました。モーセも同じです。豪華燦爛な外的なすべてのものを備えたパロの宮中は、彼を幸せにし満足させることはできなかったのです。彼が置かれた所は、怨讐の場所でした。それゆえ、一片丹心で天の前にひざまずき、人知れず涙を流しながら、祈祷を絶やすことのなかったモーセであったということを、皆さんは知らなければなりません。(一一−二五、一九六〇・一二・一一)

 モーセは、イスラエル民族が祝福された民族であり、アブラハム、イサク、ヤコブの血族であることを知っていました。それで、イスラエル民族が怨讐サタンにもてあそばれてはならないと考えました。モーセは豪華なパロの宮中でも、カナン復帰の一日が来ることを切に待ちこがれたということを知らなければなりません。

 彼は自分の国を恋しがりながら、祈祷を絶やすことがありませんでした。そのようなモーセを知らなければなりません。パロの宮中の豪華な生活の中でも、イスラエル民族が大きな苦難と苦痛を強いられているということを感じれば感じるほど、イスラエル民族の生活と自分の豪華な生活との差が大きければ大きいほど、イスラエル民族を愛さなければならないという思いが強まったモーセでした。

 ミデヤン荒野で四十年間、羊飼いとしての生活をしながら、羊の群れを追うたびに、彼の心はパロの治めるエジプトで呻吟しているイスラエル民族を忘れませんでした。また、羊の群れを呼び集めて羊小屋に追い込むたびに、その羊の群れがイスラエル民族のように思われました。そのような境地でモーセは「生きておられる神よ! イスラエルを捨てないでくださいませ」と祈祷したのです。(一三−一七八、一九六四・三・一五)

 モーセの祈祷は、自分一身の栄華のためのものではありませんでした。モーセは、神様が自分をこの地に送られたのは、自らのために送ったのではなく、民族と世界のために送られたのだということをだれよりもよく知っていたのです。これから世界的なカナンの福地を眺めながら進んでいく私たちも、このようなモーセの心情を受け継がなければならない、選ばれたイスラエルの民であるということを自覚しなければなりません。(二−二六四、一九五七・六・一六)

 パロの宮中で王女の息子として育ったモーセは、個人的に何一つうらやむことのない幸福な環境でも、心の中では、「ここは私のいるべき所ではなく、私が住むべき所でもな! 私が享受すべき福地ではない。この地も天が祝福なさったイスラエル民族が住むべき所ではない」と考えました。カナン七族が占領したその地を、パロの宮中で四十年間、目を閉じても開けても恋しく思いながら、「お父様、イスラエル民族にカナンの地を主管せよと言われた約束が成されるようにしてくださいませ」と言って祈祷したという事実を皆さんは知らなければなりません。そのような心がエジプトで苦役を強いられていた六十万のイスラエル民族以上であったために、イスラエル民族はモーセを指導者として立てたのです。(八−二四、一九五四・一〇・二五)

 ミデヤン荒野で生活したモーセは、パロの宮中で豪華に暮らしたことを恥ずかしく感じ、パロ王の娘が自分のためにすべての願いを聞き入れてくれるという自由な環境で暮らした過去の富裕栄華をすべて忘れました。そして、羊飼いの服を着て、羊の群れを追い回す無名の牧童の身分でしたが、その羊の群れを眺めながら、神様がアブラハムに約束なさったカナンの地を恋しく思いました。

 今はたとえ羊の群れを追い回すとしても、いつかは羊の群れを追うように、イスラエル民族を率いてカナンの地に入っていこうという思いを忘れなかったモーセでした。ソドムとゴモラの人々が知らない中で彼らのために切に求めたアブラハムのように、モーセは食べても食べられなくても、寝ても覚めても民族のために心配して精誠を尽くしてイスラエル民族のために祈祷しました。(一−一四一、一九五六・七・一)

 神様を裏切る民族を見つめるモーセの心情は、いっそ自分が死んでしまったほうが楽だったはずです。しかしモーセは、先祖たちの時から今まで神様が祝福してくださった歴史的なイスラエル民族であると考えました。そして、自分の子孫たちとも永遠に共におられる神様であるということを考えるとき、モーセは逃げることはできなかったのです。

 モーセはイスラエル民族をほうり出すことはできませんでした。そのような指導者の立場に立っていたモーセのつらさというものは、だれにも想像できないものでした。それでモーセはシナイ山に登って、四十日間の祈祷をしました。民族と一体にならなければ、カナンの地に入っていくことができなかったからです。(一五−二〇、一九六五・一・三一)


第二節 イエス様の祈祷

一 イエス様の祈祷内容

 神様は四千年間準備して送ったイエス様がどのようになることを願われたでしょうか。十字架にかけられるイエス様ではなく栄光のイエス様になることを願われました。イエス様が祈祷なさった目的も、そのような神様のみ旨を成し遂げてさしあげるためのものでした。(七−三一四、一九五九・一〇・一八)

 イエス様はよくぞ言ったものです。神様は私の父である! 実にこのようなことを語った人はイエス様が初めてです。イエス様が祈祷した内容も、「父よ、どうか、この杯をわたしかち取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」(マルコ一四・36)と言いました。これは人を中心とした考え方ではありません。神様を中心とした考え方です。このような考え方で、真の人生の目的を模索した代表的なかたがイエス・キリストでした。(四一−二三四、一九七一・二・一八)

 有史以来、堕落した世界を復帰してこられた神様の前に、天宙的な因縁を中心として、血の汗を流し、命をかけて身もだえしてこられたイエス様と同じ立場に立つことができなければ、神様の息子、娘にはなれません。イエス様も十字架にかかって亡くなりましたが、復活することができたので神様の息子として決定されたのです。イエス様は祈祷するとき、皆さんのように自分を中心とした祈祷はしなかったのです。(一七−一二九、一九六六・一二・一一)

 イエス様の最後の祈祷は何でしたか? イエス様も人間であるゆえに、「アバ、父よ、できることなら、わたしの思いのままにさせてください」と言うこともできました。しかし、イエス様はそのように祈祷しませんでした。俗的な人間性を踏み越えて「わたしの思いではなく、父のみこころのままになさってください」(マルコ一四・36)と言って、神様の意に従ったのです。(二四−二一、一九六九・六・二二)

 イエス様は、自分の喜びや幸福のための祈祷はしませんでした。ゲッセマネの園で祈祷するとき、「アバ、父よ、どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」(マルコ一四・36)と言いました。父の思いとは何でしょうか。万民の死と苦痛に責任を負いなさいというものでした。イエス様が犠牲になっても、万民に幸福を与えようとなさったのが神様の願いでした。(三四−一三七、一九七。・八・三〇)

 聖人となりうる内容とは何ですか? 世界のために生きることです。イエス様はなぜ聖人ですか? イエス様はユダヤの民によって追い込まれました。ローマ兵たちに無念に殺されたので、彼らはイエス様の怨讐でした。また、イエス様には国と世界を愛さなければならない何の理由もありませんでした。むしろ、イエス様は怨恨に満ちて復讐するために歯ぎしりしなけれぱならないほどだったのです。

 しかし、イエス様は死んでいきながらも、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・34)と祈祷したのです。その祈祷は、その場を中心としてしたものではありません。未来を中心としてしたものです。(三四−三三九、一九七〇・九・二〇)

 十字架を前にしたゲッセマネの園でのイエス様の三度の祈祷は、いかなる祈祷よりも深刻な祈祷でした。神様はその場を注視せざるをえませんでした。人類の願いを訴えるその場は、神様が注視せざるをえなかったのです。

 ですから、だれであれ、その願いを成し遂げるためには、イエス様と共に死の場にまで行かなければなりません。神様の願われるとおりしてくださることを願い、その願いを成し遂げようとするのが、生きたキリスト教の姿ではないかというのです。(三五−三四、一九七〇・九・二七)

 ゲッセマネの園を訪ねられたイエス様は、どれほど深刻だったでしょうか。「父よ!」と呼んだ祈祷は、血と汗と涙の祈祷でした。わけもなく血と汗と涙を流すのではありません。イスラエルを救うために、血と汗と涙の出る祈祷をなさったのです。ところが、そのようなイエス様の心情を知らずに、ペテロ、ヨハネ、ヤコブは眠っていたのですから、どれほどあきれるようなことだったでしょうか。(一九−三二六、一九六八・三・二九)

 イエス様がこの地上に来たとき、イスラエル民族はどれほど謀略を図り、裏切ったことでしょうか。イエス様はそのような謀略と裏切りを受けることよりも、十字架にかかって死ねば後代の信者たちに途方もない困難の道が残るようになるという事実について、もっと悲しみました。それで、ゲッセマネの園で三度の祈祷をなさったのです。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタイ二六・39)とです。(一四−五三、一九六四・五・三)

 イエス様は「神様が彼らに希望をもち、私をイスラエルの地に送り、私は三年余りの間、彼らのために生き、彼らのために戦った。彼らのために戦った目的は、彼らを救おうとするためであって、罰を与えようということではなかった。もし私がここで彼らを呪ったならば、彼らの子孫たちまでもすべて地獄に行くだけでなく、今までの復帰歴史がすべて崩れるだろう」と考えました。

 それで三回の祈祷をしたのです。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・39)と血に染まった訴えをしたのです。そのようなイエス様の心情をだれが知っていたでしょうか。(一四−五八、一九六四・五・三)

 神様が四千年間、所願成就の一日のために、イスラエル民族を通じて準備していたすべてのことが水泡に帰してしまったので、血のにじむ復帰の道を歩んでこられたのです。神様はイスラエル民族に災いを下して一掃しても余りあるものでしたが、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・34)と言って祈祷したイエス様のその祈祷の条件があったので、その民族を一掃してしまうことができなかったのです。

 そのようにイエス様が死んでいきながらも、哀切で懇切なる祈祷を捧げたのはなぜでしょうか。イエス様の死によって、今もなお残っている地上天国の理念を失うようになれば、神様が願われ、精誠を尽くしてこられた四千年の歴史の功績が崩れるということを知っていたからです。イエス様はそのような歴史的な心情をもって神様の前に祈祷したのです。(一五−三三五、一九六五・一二・七)

 ゲッセマネの園での三度の祈祷は何のためだったのでしょうか。自分が十字架にかかって死んでいけば、イスラエルの子孫たちが十字架の道を行かなければならないということを知っていたので、そのような祈祷をしたのです。イエス様によってイスラエル民族は救いを受けなけれぱならないのですが、そうすることができずに、イエス様が十字架にかかって死ぬようになることでイスラエル民族の子孫たちも十字架の道を行かなければならないということを知っていたのです。それゆえ、イエス様がその子孫たちの怨恨を地上で蕩減復帰させるためにこの地に再び来ざるをえないのです。(一四−六四、一九六四・五・三)

 ゲッセマネの園でのイエス様の祈祷は深刻でした。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタイ二六・39)と祈祷しました。それは無条件でした。神様は愛の主体であるゆえに、神様から愛を受けようとするイエス様は無条件に従ったのです。神様が要求することがあるならば、何でもすべてなしてさしあげようとしたのです。

 そのようにイエス様が祈祷なさったのは、神様の前にそっくり差し上げれば、そっくり受けるようになっているからです。自分の思いどおりにするより、お父様の思いどおりにすることによって、勝利の立場に立つことができるので、イエス様はそのように祈祷をなさったのです。イエス様は神様のすべてのものをもって、再び生まれることができるという希望を抱いて亡くなったので、地獄世界を脱皮して復活したのです。(二八−一七二、一九七〇・一・一一)

 メシヤは命をかけて使命を果たさなければなりません。それで、イエス様も十字架を前にして「神様のみこころのままになさってください!」と最後の祈祷をしたのです。だれであれ、最後の祈祷はそのようにしなければなりません。命をかけてしなければなりません。み旨の前でそのような信念を貫徹しなければなりません。死んでも戻ることはできません。イエス様もそうであり、先生もそうです。命を失ったとしても前進だけがあるのであり、後退は許されません。先生の生涯がそうなのです。(二二二−三三三、一九九一・一一・七)


二 怨讐を愛したイエス様の祈祷

 イエス様が自分を十字架にかけたローマの軍兵たちを見ながら「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と祈祷しました。その祈祷の中にイエス様自身を中心とした思いがあったでしょうか、なかったでしょうか? 今日のキリスト教徒たちがそのような立場にあったとすれば「神様、彼らを審判してください!」と祈ったでしょうが、イエス様はそうではありませんでした。ですから、今日のキリスト教は滅びるという論理がここから出てくるのです。

 なぜイエス様はそうされたのでしょうか? 神様が人間世界のために投入しては忘れ、投入しては忘れてしまったという事実を知って、息子として死を越えてでもそのような道を残さなければなりませんでした。それゆえにそうしたのです。そのようにイエス様が怨讐に恵みを祈ってあげることによって、神様はイエス様を最上の位置に立てることができたのです。そのような摂理的な基盤の上で、キリスト教国家を中心として第二次大戦直後に世界の統一圏が築かれたという事実を否定することはできません。それをキリスト教は忘却しています。(二三〇−二三二、一九九二・五・一〇)

 だれも信じられないことを信じるということは偉大なことです。だれも信じられないことを信じて、それを行うために命をかけて出ていく人がいるならば、偉大な人だと言わざるをえないのです。イエス様がそうでした。イエス様は死を目前にしていたにもかかわらず、「私の思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と祈りました。だれでも裸にされてむちで打たれるようなれば、「ああ、痛っ、痛い…!」と言うのであって、「父よ、痛いですか?」とそのように言うでしょうか? それでもイエス様は、「父よ、私の思いのままにではなく、みこころのままになさってください!」と祈ったのです。それは「私は大丈夫です。お父様が痛いでしょう?」ということだったのです。次元が違いました。(四四−二五三、一九七一・五・二三)

 神様は追い込まれ、むちで打たれ、虐待され、あざ笑われたイエス様を眺めるとき、同情せざるをえませんでした。イエス様がゲッセマネの園で「父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください!」と祈祷しましたが、それは人類のための祈りでした。しかし、一旦決定してからは、すべてを受け入れました。今日でも立派な将軍ならば、死に臨んでは小銃に撃たれて死ぬのではなく、原子爆弾にあたって死のうとするでしょう。

 イエス様は、民族的な呪いや嘲弄が大きなものだとは考えませんでした。「おまえたちが私の行くべき天倫の道を混乱させたり、ふさいだりはできない」という心で、イエス様は父の心情を感じて戦いました。先生はそのように思います。だれかの話を聞いて話しているのではありません。探ってみたらそうだったというのです。(二〇−二一六、一九六八・六・九)

 アダムとエバは欲心によって堕落しましたが、イエス様は死を前にしても神様を裏切ることはありませんでした。ゲッセマネの園で十字架にかかる前に三度の祈りまで捧げました。「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」(マルコ一四・36)と祈祷したのです。そのように祈祷したのは人間の意を中心としたものではなく、父のみ旨を中心としたものでした。そのようにして始まったのがイエス様の死の道でした。そこでイエス様は堕落した人間始祖以上の基準を立てたのです(二一−三八、一九六八・九・一)

 イエス様は宇宙的な使命をもってこの地に来ましたが、生涯苦難の道を行かれました。しかし悲しみのために祈祷するのではなく、お父様を心配し心を痛めたのです。人間たちの無知に耐え難い思いをされたイエス様だったのです。イエス様は神様に代わって苦労しようと乗り出したので、死のうが生きようがお父様のみ旨だけを中心として生きました。イエス様は神様が知っていてくださろうがくださるまいが、地上の人間が知ってくれようがくれまいが関係なくみ旨のために生きました。(一−二〇、一九五六・一二・二三)

 イエス様が十字架上で救いの基準を立てることができたのは、神様と全人類のために死ぬことができるという愛の心があったからです。その当時、イエス様は「父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と祈りました。

 そのように死の峠を越えて、お父様のみ心のままに生きることを願われたイエス様だったので、神様の愛を人間たちに連結させることができたのです。それほどイエス様の路程には驚くべき愛が内包されていたという事実を私たちは知らなければなりません。(二−一一、一九五七・一・六)

 イエス様は十字架につけられて亡くなる瞬間まで、すべてを神様に捧げました。神様から与えられた使命が地上に残るように、死ぬ瞬間までお父様のみ旨を実現しようという心情に徹していたのです。イエス様は怨讐たちまでも救わなければならないという責任を感じながら、彼らのために祈祷したという事実を皆さんは知らなければなりません。(二−一〇一、一九五七・三・六)

 イエス様は人間たちのために、死の峠を越えていきながらも、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と祈祷しました。その道は今まで他の人たちがだれも行けなかったイエス様だけの独自の道です。(二−二三二、一九五七・六・二)

 イエス様が最後に天に向かって祈祷するとき、「父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と祈りました。それは人間世界のすべてを超越した祈祷でした。イエス様ご自身の死が悔しいのではなく、お父様がもっと苦労され、もっと痛々しくもっと悔しいであろうと考えたのです。

 イエス様は万民を救わなければならないという神様のみ旨があるということを知っていたので、死の道を行くことができたという事実を知らなければならないのです。イエス様は十字架の死を控えて、全人類を救うためのみ旨を中心として神様の心情と通じることができたので、死の道を行ったというのです。

 イエス様は眠さも忘れて夜を明かし祈祷するときも、お父様が共にあられることを感謝する心で祈祷しました。三十余年の生涯を歩む間に、迫害が押し迫り、困難な十字架が横たわった立場でも、そのすべてを越えることができる心情をもって生きました。それゆえ、サタンが侵犯できなかったのです。(七−五四、一九五九・七・一二)

 イエス様が「お父様!」と言えば、お父様も「よし!」と言われました。イエス様が「お父様!」と言ったその一言に、神様は億千万人の祈祷の世界を超越した心情を感じました。「お父様!」、「よし!」といった、そのような因縁は神様の創造目的を中心としたものでした。何もどうすることもできず、いかなるものも否定できず、いかなる条件でもふさごうにもふさぐことのできない因縁でした。皆さんもそのような場に入っていってみたことがありますか?

 皆さんがそのような場に入っていって祈祷すれば、夜が問題ではないのです。ご飯を食べたのか食べなかったのか、寝たのか寝なかったのかを忘れてしまうのです。そのような認識を超越するようになります。人間の認識を超越するのが愛の世界です。イエス様がゲッセマネの園で祈祷した時間も、他の人たちには分からない幸福の時間でした。「お父様!」と言って呼んだその瞬間は、イエス様のすべてが心情世界に同化されていった瞬間でした。(七−五七、一九五九・七・一二)

 イエス様の祈祷は世の中のだれも分からなかった次元のものでした。イエス様は万民が理解することができなかった次元で祈祷し訴えました。イエス様がゲッセマネの園で血の涙を流しながら祈祷したその場は、神様とサタンが対立していた場であり、そのように祈祷した時間は人間のすべての苦痛と悲しみだけでなく、死の境地までも超越した瞬間であったという事実を知らなければなりません。そのような境地でイエス様に一つの心情が通じました。「天上と地上のいかなるものも、私の心を通じているこの心情だけは侵すことはできない」という基準が立っていたのです。(七−八一、一九五九・七・一九)

 イエス様がゲッセマネの園で、内的には神様の苦痛、外的には聖徒たちの苦痛を考えながら祈祷した心情を知らなければなりません。そこでイエス様が「お父様…!」と言ったのは神様の創造の心情、イエス様ご自身が責任をまっとうすることができなかった心情、そして未来を心配して心を痛められる神様を考えながら叫んだ呼び掛けであったということを知らなければなりません。

 イエス様が「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください」と言って祈祷したのは、自らが苦痛から逃れようとするものではなく、創造目的が成就するか否かが自らにかかっていたからです。それで、その難関を避けて創造目的を果たすことができるようにしてくださいという祈祷だったのです。(一二−二五、一九六二・七・一五)

 イエス様はゲッセマネの園で夜を明かして祈祷しました。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と言って祈祷しました。それは「この地上にあなたが私を送られたのはお父様の基準を立てるためであり、私が生まれたのは息子の基準を立てるためでした。しかし、お父様の基準を立てていない立場でこのように挫折するわけにはいきません」という意味でした。それがイエス様の心情であったことを知らなければなりません。天地が崩れるようなことがあったとしても、お父様のみ旨に背くことはできなかったのです。(八−二五二、一九六〇・一・一七)

 だれであれ、「神様、私が地獄に行ってお父様の苦痛を体恤できるようにしてくださいませ!」と言って心からわき上がる心情で祈祷する人がいるならば、その人は地獄へは行きません。しかし、「ああ、神様! 地獄は嫌ですので天国に送ってください,ませ!」という人は地獄に行きます。地獄に行くのです。

 イエス様は十字架上で「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と言って祈祷しました。そのように祈祷したのは、四千年間イスラエル民族を救うために地獄の苦痛にあわれた神様の心情を考えるとき、イエス様ご自身も十字架の道を避けられないと感じたからです。(七−一六二、一九五九・八・三〇)

 先生は、イエス様がゲッセマネの園で「わが父よ、もしできることでしたらどうか。この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と言って祈祷したのは、キリスト教の解釈どおりだとは考えません。それはイエス様ご自身のための祈祷ではありませんでした。

 イエス様がそのように祈祷したのは、数多くの人間たちもそのような運命に処するようになることを知っていたからです。それで、先生はイエス様を認めるようになりました。先生がそれを知って初めて「さもありなん…!」と考えました。もしイエス様がそのように祈祷しなければメシヤになりうる資格はなかったでしょう。

 では、イエス様が「すべてが終った」(ヨハネ一九・30)と言ったのはどのような意味でしょうか。世界を征服したという意味だったでしょうか? 先生はそれをこのように考えます。イエス様が自分を十字架にかけたローマの軍兵たちを見ながら、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と祈祷したその瞬間に世界を占領できる基準が立てられたと考えるのです。それで、イエス様は「すべてが終った」と言ったのです。(一七−二六、一九六六・一一・六)

 イエス様が十字架にかかって亡くなった瞬間に、怨讐のために祈った基準があったので、殺人の罪を犯した罪人たちも赦されうる道が開けました。そして、イエス様が強盗を楽園に連れていった基準があったので、僕の立場にある人間たちも楽園に行くことができる道が開けたのです。(一三−七七、一九六三・一〇・一九)

 イエス様が到達した最高の境地とはいかなる立場だったでしょうか。死の立場でも怨讐のために祈祷した境地です。どうしてイエス様はそのような境地にまで到達しなければならなかったのでしょうか。サタンを完全に征服するためでした。サタンを完全に征服しようとするならば、サタンが讒訴しうる条件に引っかかってはなりません。それで、イエス様はそのような境地にまで行かざるをえなかったのです。いかなる不幸な立場でもサタンの条件に引っかかってはなりません。イエス様がサタンに何らの条件も奪われなかったので、サタンと関係のない立場に立つことができたのです。(一七−二七、一九六六・一一・六)


三 神様に対するイエス様の孝心

 イエス様は三十余年の生涯にどのような祈祷をしましたか? 「神様、私はこのように暮らしていますが心配なさらないでください! 私はこのように暮らすのが王宮で暮らすよりもよいのです。私はこのようにかんながけをして暮らすのが、王宮で贅沢に暮らすよりもよいのです」と言って祈祷しました。そのように悲惨な立場でもイエス様は自らを送られた神様の願いを知っていたので、「落胆なさらないでくださいませ!」と神様を慰労したのです。(一四−六〇、一九六四・五・三)

 祈祷しながら「お父様…!」というときには、口だけのお父様になってはいけません。骨髄から刺激を感じうる立場でお父様を呼ばなければなりません。それで、すべての環境を消化させて感情的な屈曲をすべて吸収できる能力を備えなければならないのです。そのような皆さん自身を発見しなければなりません。(七六−二九、一九七五・一・一九)

 イエス様は神様の祝福を受けることができる新郎と新婦の因縁を恋しがり望んでいました。そして、小羊の婚宴を中心として十四万四千の群れと共に歓喜の歌を歌いながら、すべての栄光をお父様に返すことを願いました。それがイエス様の念願でした。

 しかし、イエス様はイスラエル民族の不信によってそのような願いを実現することができず、ゴルゴダで十字架にかかって亡くなりました。イエス様がゲッセマネの園で十字架を前にして血の汗を流して祈祷したのは、神様の切実なる、悲痛なる心情を代弁した祈祷でした。その祈祷はイエス様ご自身のためのものではありませんでした。イスラエル民族とサタン、そして三弟子たちのための祈りでした。(四−二六一、一九五八・二・二三)

 皆さんが祈祷するとき、安らかな立場で祈祷をすれば恵みを受けることはできません。神様に代わることのできる路程を歩まなければなりません。イエス様がイスラエル民族に追い込まれて裏切られるたびに、どのように祈ったのか分かりますか? 「お父様、私に恵みを下さり、楽に暮らせるようにしてくださいませ」という祈祷はしませんでした。

 そのたびにイエス様は、「お父様、悔しいです。あなたは歴史路程において、どれほどこのような路程を通過せざるをえなかったでしょうか」と言って祈祷しました。それで、「私の流す涙はお父様に代わる涙だ!」と考えて祈祷したというのです。(九−一二〇六、一九六〇・五・二二)

 愛する弟子たちから裏切られ、ただ一人で全責任を担っていかなければならなかったイエス様を考えてごらんなさい! もしイエス様が人間たちに対して嘆き、恨もうと考えたならば、地を叩きながら泣きに泣いても三十年の生涯の恨みをすべて解くことはできず、それだけでなくその間の苦衷に対する補償を受ける道もなかったのです。

 イエス様は、人類がサタンの統治下で苦痛を受けるのを心配する哀れみの心情で十字架にかかって亡くなる場でも、裏切った民族、裏切った弟子、裏切った人類のために祈りました。四千年の人類歴史上にはなかったことでした。それは天上と地上の垣根を壊すための祈祷だったということを知らなければなりません。(一−二七一、一九五六・一二・二)

 イエス様は歴史的なすべての犯罪史を清算し、新しい歴史の起源を築くための責任を担い、神様の国を築かなければならないイスラエル民族のために、「怨讐たちの罪を私に担わせてくださいませ!」という祈祷をしながらみ旨を果たそうとなさいました。イエス様がそのように祈祷しながら果たそうとしたみ旨は、今日まで引き続き全世界的に展開しています。

 今日にも韓国の教会を代表して、「神様、私に世の中のすべての罪を担わせてくださり、生命をすべて捧げてサタンと戦うことができるようにしてくださいませ!」と祈って進み出る息子、娘がいるならば、摂理歴史の基準はこの民族を通して立てられるでしょう。(二−八九、一九五七・三・三)

 イエス様は、十字架上で民族のために祈祷し、自分は死んでも責任を完遂するという心をもっただけでなく、死を超越して神様のみ旨を心配したので復活することができました。そのように復活したイエス様に対してサタンは讒訴することはできませんでした。皆さんもそのような人格体になれば、サタンは讒訴することはできません。(二−一四一、一九五七・三・一七)

 何のためにイエス様がゲッセマネの園で、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と祈ったのでしょうか。神様の悲しみと人間の悲しみに対して、だれが責任を負うのかを心配したからであり、イエス様が十字架にかかって死ねば、数多くの聖徒たちも死の道を行かなければならないということを心配したからです。(二−二〇八、一九五七・五・二六)

 聖書では「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ五・44)とあります。そのようにイエス様が主張したことは、私たちが立てなければならない法度であり、永遠なるお父様の民族が誇らなければならない伝統です。その道理は当時にだけ限定されたものではなく、人類を復帰させるのに必要な天倫の法度です。(四−一一〇、一九五八・三・一六)

 イエス様がゲッセマネの園で祈祷するとき、三弟子たちは一晩も夜を明かすことができずに眠っていたのをご覧になったにもかかわらず、どうして叱ることができなかったのでしょうか。それは四千年間、神様を裏切ってきた人間たちが多かったのですが、叱責することもできず、審判することもできなかった神様の心情を知っていたからです。イエス様のそのような心情を体恤することができなければなりません。それで、皆さんもゲッセマネの園で祈祷したイエス様の心情で祈祷しなければなりません!

 ゴルゴダ以上の犠牲になってもしかたのない人間たちであるにもかかわらず、自分たちが苦労したことが少しでもあれば、「ああ、神様! この苦労をお受けくださいませ!」と祈祷し、自分たちに少しでも何か事情やつらさがあれば、「神様、私の事情を引き受けてくださり、私を慰労してくださいませ!」と言って祈るのです。ですから、神様の心情と人間たちの心情は相克的であるという事実が分かります。(四−一二二、一九五八・三・二三)

 神様は人間たちに、「死ぬほど聖書のみ言だけを読みなさい」とは言われませんでした。イエス様も、「死ぬほど私のみ言だけを聞きなさい!」と言ったのではなく、「休まずに祈祷しなさい」と言われました。イエス様は三年の公生涯路程で多くのみ言を語って逝かれました。しかし、イエス様のみ言をつかんで生きなさいとは言われませんでした。イエス様の実体をつかんで心配してくれることを願いました。(七−五二、一九五九・七・一二)

 イエス様は逝きました。イエス様は成すべきことをすべて成しえずに逝かれました。では、だれが残されたみ旨に責任を負うのでしょうか。だれがその真理を引き継いで人間たちに教えてくれるのか、開拓しなければならない人間の心の畑をだれが開拓するのか、立てるべき生命の基準をだれが立てるのか、永遠なる愛をだれが因縁づけてくれるのだろうか。そのような問題ゆえに、今でもイエス様はもどかしい思いを抱きながら神様の右側で祈祷しなければならない運命にあるという事実を知らなければなりません。(七−一九四、一九五九・九・六)死の道を行かなければならないということを心配したからです。(二−二〇八、一九五七・五・二六)

 聖書では「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイ五・44)とあります。そのようにイエス様が主張したことは、私たちが立てなければならない法度であり、永遠なるお父様の民族が誇らなければならない伝統です。その道理は当時にだけ限定されたものではなく、人類を復帰させるのに必要な天倫の法度です。(四−一一〇、一九五八・三・一六)

 イエス様がゲッセマネの園で祈祷するとき、三弟子たちは一晩も夜を明かすことができずに眠っていたのをご覧になったにもかかわらず、どうして叱ることができなかったのでしょうか。それは四千年間、神様を裏切ってきた人間たちが多かったのですが、叱責することもできず、審判することもできなかった神様の心情を知っていたからです。イエス様のそのような心情を体恤することができなければなりません。それで、皆さんもゲッセマネの園で祈祷したイエス様の心情で祈祷しなければなりません!

 ゴルゴダ以上の犠牲になってもしかたのない人間たちであるにもかかわらず、自分たちが苦労したことが少しでもあれば、「ああ、神様! この苦労をお受けくださいませ!」と祈祷し、自分たちに少しでも何か事情やつらさがあれば、「神様、私の事情を引き受けてくださり、私を慰労してくださいませ!」と言って祈るのです。ですから、神様の心情と人間たちの心情は相克的であるという事実が分かります。(四−一二二、一九五八・三・二三)

 神様は人間たちに、「死ぬほど聖書のみ言だけを読みなさい」とは言われませんでした。イエス様も、「死ぬほど私のみ言だけを聞きなさい!」と言ったのではなく、「休まずに祈祷しなさい」と言われました。イエス様は三年の公生涯路程で多くのみ言を語って逝かれました。しかし、イエス様のみ言をつかんで生きなさいとは言われませんでした。イエス様の実体をつかんで心配してくれることを願いました。(七−五二、一九五九・七・一二)

 イエス様は逝きました。イエス様は成すべきことをすべて成しえずに逝かれました。では、だれが残されたみ旨に責任を負うのでしょうか。だれがその真理を引き継いで人間たちに教えてくれるのか、開拓しなければならない人間の心の畑をだれが開拓するのか、立てるべき生命の基準をだれが立てるのか、永遠なる愛をだれが因縁づけてくれるのだろうか。そのような問題ゆえに、今でもイエス様はもどかしい思いを抱きながら神様の右側で祈祷しなければならない運命にあるという事実を知らなければなりません。(七−一九四、一九五九・九・六)


第三節 真のご父母様の祈祷

一 先生の祈祷は違う

 皆さんの祈祷と先生の祈祷は違います。根本的に違うのです。先生が「お父様」と言うのと、皆さんが「お父様」と言うのは違います。私の知っている原理の価値と、皆さんの知っているものとは天地の差です。私の知っている先生という私自身の価値と、皆さんの知っている先生の価値も天地の差なのです。(七一−一四四、一九七四・四・二九)

 皆さんが祈祷する内容と、先生が祈祷する内容は違います。皆さんの祈祷は漠然としていますが、先生の祈祷はそうではないのです。先生が切実な感情で「お父様!」と言うようになるときは、それは言葉では簡単ですが、そこには億千万年の事情が込められているのです。(五一−一九八、一九七一・一一・二一)

 先生は、今まで家を離れて三十年以上の歳月を過ごしてきましたが、「神様、福を下さい。保護してください!」という祈祷は一度もしませんでした。妻子を捨てて七年間の旅人の路程を経てきましたが、妻子のためには一言の祈祷もしませんでした。(四〇−五七、一九七一・一・一六)

 私が北の両親と決別をして離れたあとは、神様の前に、「私の両親に福をお与えくださいませ!」という祈祷は一度もしなかった人です。私が祈祷すれば、死んだのか、生きているのか、すぐに分かりますが、今まで知ろうともしなかった人なのです。(四七−一八六、一九七万八・二八)

 お金がないからといって、神様の前にお金をくれと言ったことは一度もありませんでした。自分がすべきことは、皆しなければならないでしょう。死ぬときまで責任を果たそうとするのであって、神様に頼りません。だれでも自分の責任をまっとうしなければ神様は助けてはくれません。百を期待しておられるのに、八十ほどやっておいて、いくら祈祷したとしても助けてはくださいません。百二十ほどすれば、祈祷はしなくても助けてくれるのです。(三〇−七四、一九九九・五・一八)

 先生の生涯の願いは何でしょうか。今まで先生が祈祷する目的は、統一教会を世界的に発展させようというところにはありません。そのような祈祷は一度もしませんでした。今でも統一教会に一元化させようという考えはありません。統一教会を通じて、どのように世界を救ってあげるかというのが問題です。世話になろうという立場ではありません。(五〇−二四四、一九七一・一一・七)

 先生は、私の息子や娘たちのために一度も祈祷しませんでした。今でもそのような祈祷をする時間があれば、世界のために祈祷します。世界のために祈祷するのです。それで世界のみ旨がなされれば、私の息子、娘がいちばん初めに勝利の立場に同参することができるのです。それゆえ、神様も今まで、息子、娘の世話をしなかったのです。彼らを犠牲にしたのです。しかし、神様の栄光の日に自動的に同参することができます。それが天道です。(五七−二八二、一九七二・六・四)

 今まで、先生は自分のための祈祷というものをしたことがありません。「私のために何々をしてください!」というような祈祷はせず、神様のみ旨を中心として世界のために祈祷しました。今でもそうです。家庭の暮らしには関心ありません。それは天がすべて責任を負ってくれます。(七三−六〇、一九七四・七・二九)

 私は、自分の子供たちのために祈祷はしないのです。「私の息子、娘に福を下さい!」という祈祷はしないのです。先生が祈祷をするなら、「この時代の他の人々よりも神様の前にもっと忠誠を尽くした息子、娘たちがいたら、彼らを祝福してくださいませ。もし、この時代において、だれよりも大きな祝福を受けるべき人がいるならば、その人を祝福してくださいませ。私もその祝福の恵沢によって生きることができるようにしてくださいませ」というような祈祷をするのです。そうすれば滅びないのです。(一五四−三二、一九六四・三・二九)

 ここで語っている人は、今まで皆さんのために血の汗を流してきました。だれが何と言おうと天地の前に誓うことができます。あらゆる精誠をすべて傾けて、皆さんのために今まで戦ってきました。皆さんの行くべき道に責任を担った者として、すべてを準備してきたのです。先生が道端で出会ったような因縁でもって、皆さんに接すると思いますか? 先生は祈祷するときにも、「四十年の生涯、私に接してこられたお父様!」という心情で祈ります。一つの生命をお父様の前に立てるか、立てられないかという決戦の岐路で責任を感じながら祈祷するのです。世の中の人々のように、ある題目を定めて説教を準備する人ではありません。そのときに必要なお父様のみ言を語ろうとするのです。そのような基準が立たなければ、苦闘して涙を流しながら祈祷するのです。皆さんの行く道を心配しながら祈祷するのです。(一一−一三〇、一九六一・三・二六)

 礼拝のときには、すべての食口のために祈祷します。食口たちの苦痛を感じるからです。そのようなときは、たった五分でも祈祷してあげなければなりません。(一一−二二一、一九六一・九・一六)

 私は、統一教会をどのようにしてくれという、そのような祈祷はしません。常に世界的な問題を掲げておいて、談判祈祷をしたのであって、私の息子、娘をどのようにしてくれ、統一教会の食口が苦労しているのでどのようにしてくれ、とは祈りません。私が統一教会の皆さんに苦労させているのに、苦労させておきながらも、「神様、福を下さい」とは言わないのです。ぎゃあぎゃあと泣き叫んでも苦労をさせていくので、神様がサタン世界に与えることができなかった福を下さるのです。(四四−二四八、一九七一・五・二三)

 私が神様の前に祈祷するとき、「ああ、神様! 私を無条件にお助けください!」という祈祷は絶対にしません。そのようなつまらない祈祷をする人ではありません。むしろ祈祷をしないのならしないのであって、そのような祈祷はしないのです。「あなたが私を祝福なさることによって、あなたが利益となるなら祝福してくださり、損をするようならばほうっておいてください」と言って祈祷するのです。そのような思想をもったゆえに、全部が滅びる世の中で残って、成功することが可能だったのです。(九七−三一、一九七八・二・一九)

 先生も若い青春時代に、この道を早く通過しなければならないと考えました。それで「今よりも十倍、百倍の困難が加わったとしても、早く行くことのできる道に私を送ってくださいませ」と祈祷したのであって、「私を易しい道へ送ってくださいませ」という祈祷はしたことがありません。そして「それがあなたの願うことであり、私が願うことであり、人類の願うことではないでしょうか。その道を行くのに私は弱者ではありません」と祈祷したのです。(九七−一三三、一九七八・三・四)

 先生はアラスカに来て休んでいると思っていたでしょう? 釣りが目的ではありません。釣りに関しては、私は知らないことがありません。五大洋を連結させるのです。険しい波に出合うたびに、困難な国境を突破していく宣教師たちのことを考えるのです。皆さんのために考えて祈祷してあげるのです。皆良い相手です。相手のために祈祷するのです。(二三五−三一三、一九九二・一〇・二五)

 アメリカが反対して、朴普煕とフレーザーが戦ったときも、私が、「神様! 私をお助けください!」と祈祷しなかったのです。「彼らと私が一つになるようにしてください」。このような祈祷はしましたが、「私をお助けください」というような祈祷はしなかったのです。私の責任なのです。(一一一−一四一、一九八・二・八)


二 宇宙の秘密を探すための祈祷

 先生が学生時代に祈祷をするときには、のどか詰まるような祈祷をたくさんしました。しかし、だれもそのように祈祷をする理由を知りませんでした。二十歳前後の青年が、のどを詰まらせながら祈祷するのを見た人々は、「あの青年はなぜあのように祈祷するのだろう?」と言って変に感じていましたが、その祈祷には人の知らない心情が宿っていました。(二二−一二〇、一九六九・二・一)

 レバレンド・ムーンは、宇宙の隠された秘密を探し出すために、一日に十七時間までも祈祷しました。通常、十二時間は祈祷しました。ですから、膝にたこができました。(一八九−六三、一九八九・三・一二)

 宇宙の秘密をたどって探すための先生の背後の歴史には、涙の乾く日がなかったのです。そのような生活をしたので、外に行くこともできませんでした。常に一生懸命に祈祷をしました。一日に十七時間までも涙を流しながら祈祷しました。毎日、祈祷で流した涙の跡が残りました。木でできた床が全部濡れて、いくら乾かそうとしても乾かなかったのです。先生の涙が皆さんを讒訴する時が来るでしょう。(一九〇−二三五、一九八九・六・一九)

 先生が誠を尽くすときは、一日に十七時間ずつ祈祷しました。これはすべてそのときにできたたこなのです。このごろはそのような祈祷はしません。祈祷の解放を迎えました。何であれ、知ろうとすることがあってこそ祈祷をするのです。すべて知ったので、これから私がすることしか残っていません。ですから、やることが忙しいのであって、祈祷するのに忙しいでしょうか。(二二〇−四一、一九九一・一〇・一三)

 先生の祈祷は、普通聞けば、とても深くて何を言っているのかよく分かりません。霊界の一つの波長には数多くの周波数が入っているのです。そのような感情を表現しようとするので、普通は容易に分からないのです。私はその境地に入って聞くと実感がわきますが、皆さんは何を言っているのか分からないのです。ですから、それを書いて一度、二度、三度だけでなく、しきりに読めば読むほど、だんだん味が出てくるのです。み言もそうです。(二二六−三四五、一九九二・二・九)

 先生の祈祷の内容は本当に感動的です。それを本来の声そのままで聞き取ることができなければ不幸なのです。先生も今、第三者の立場に立って聞くとき、その祈祷を先生がしたとは思えません。その叫び声が、二十年過ぎた今になっても先生を感動させます。ですから、だれでも感動するのです。それを聞いてみれば、だれもが「ああ!」と言って感動するのです。そのような感動はお金を出して買うことができるものではありません。国を与えても、世界を与えても取り替えることはできないのです。皆が貴重に感じうる一つの宝物なのです。(一九〇−二三五、一九八九・六・一九)

 先生の祈祷には、先生も感嘆します。立派な祈祷なのです。このように言うと、自画自賛することになってしまいますが…。先生はそうなのです。先生は、説教の題目を定めて研究したことはないのです。なぜなら、縦的世界があるからです。まっすぐ垂直になれば水が流れるように流れるのです。水道の蛇口を開けば水が流れるように、聴衆を見ればその時々に必要なみ言が出てくるのです。(二四七−三二、一九九三・四・二一)

 先生の祈祷は名文です。先生も今それを見れば、我知らずそこに引き込まれていくのです。これは詩的な内容をもった流暢な祈祷です。先生が自分を自慢しているようで申し訳ないのですが、そうだからそのように話すのです。嘘をついているわけではありません。世界のどこに出しても良いのです。世界の知識人たちにこれを読ませても、百パーセント公認することができるのです。(二五〇−二七三、一九九三・一〇・一五)


三 涙の跡が乾かなかった祈祷

 私はあるとき、このような祈祷をしました。「お父様! 私はあなたから父母の情を感じるので、あなたの子女としてくださいませ!」という祈祷をしたのです。皆さん、このような祈祷をしてみたことがありますか? 六千年間、息子、娘を恋しく思ってこられた心で「そうか、私の息子、娘よ!」と言われ、体面も忘れ、泣いて良いのか、喜んで良いのか分からず身もだえしながら、抱き締めて喜ぶそのお父様に、皆さんはお仕えしたことがありますか? (九−二六、一九六〇・四・三)

 東洋が夜になって休む時間ならば、西洋は昼です。東洋の人々が夜になって休む時間に、西洋の人々の中には神様に祈祷する人々がいるはずであり、神様を中心として闘争する人々もいるのです。このような地球を眺める神様は二十四時間、一瞬でも休むことができるでしょうか。

 神様を除いては世の中の何事も解決することができないと見るとき、一から千万の事まで干渉し、善の決定を下さなければならない立場にあられるのが神様です。ですから、神様は極めてかわいそうなかたではないでしょうか。(三一−三九、一九七〇・四・一二)

 統一教会の文先生は大変な星の下に生まれました。寝て起きてもひざまずいて祈祷しなければならないのです。そうではないですか? この時間にも世界に散らばっている統一教会員たちの中で、恵みを受けようとして祈祷している群れがいるのです。韓国は夜ですが、アメリカは昼なのです。ですから、アメリカでは血の汗を流して祈祷しているのではないかというのです。

 それで、韓国にいる先生について祈祷しているときに、神様が私に代わってすべてを処理してくださることができるでしょうか? 「今や、彼らも疲れて寝なければならないだろうに、そうしているのではないだろうか」という思いが先生から消えないので、外国の食口たちは先生に会いたくて大騒ぎなのです。そのように見たがり、会いたがらなければならないのです。(四六−五三、一九七一・七・一八)

 この頃、私は十二時に寝れば二時には起きたりもします。それでも昼、活動すれば疲れを知りません。頭が痛いのも忘れてしまいます。しかし、車に乗れば自分も知らないうちに寝入ってしまうことがあります。そのようなときがあります。その時間には神様に申し訳ないと祈りながら寝るのです。

 そのような立場で神様が私を愛して共にあられるのを感じます。あるときは、なにげなく寝ている途中で驚いて目覚めるときがあります。そのときは運動をします。先生は特別な運動をします。疲れたときには面白い運動をします。そのように運動まで研究してこのようなことをしているのです。今後、皆さんにもその運動を教えてあげましょう。(四三−一三、一九七一・四・二五)

 先生は疲れてだるいのですが、うとうとしません。お手洗いに行って十五分だけ運動して出てくれば、眠気が逃げ出していきます。そのような訓練をしなくては、祈祷ができません。十二時間、十七時間まで祈祷したのです。先生は十二時間の祈祷は普通です。朝昼晩にです。談判祈祷をするのです。(二六三−三二、一九九四・八・一六)

 神様の愛を体恤しなければなりません。では、皆さんは神様の愛を体恤したことがありますか? それで一週間慟哭しうるそのような経験をしてみましたか? 腸がひっくり返り、細胞がひっくり返らなければならないのです。そのように新しい体恤をするようになると、どこへ行こうが飛ぶような気持ちになるのです。世界が新しくなるのです。ですから、かつては体を中心として考えて暮らしていたのが、完全に体はなくなり、心の世界を中心として暮らすようになります。

 そのようになると、どこに向かっていく道が良い道か、悪い道かが分かります。しきりに行けば行くほどに足が重くなり、行きたくなくなります。しかし、良い道はどんなに困難な道であったとしても、出向くときには大変でも、足がささっと行くのです。そのような経験をしたことがありますか? それが天に向かっていく信仰の道です。

 そのような立場に立とうとするならば、徹夜しながら祈祷もしなければならず、身もだえもしなければならず、慟哭もしなければならず、孤独な立場も越えていかなければならず、死亡の線も越えなければなりません。八十になり、百歳になると、次第に気力が衰え、流す汗はなくなりますが、涙は深くなるのです。そのような生活をしなければならないのです。次第に汗は乾いていきますが、涙は深まっていかねばならないのです。(二五四−三〇一、一九九四・二・一六)

 先生の心は、み旨を中心として異義がありません。私の一生の七十三年間、監獄に行こうがどこに行こうが、変わることはありません。拷問され血を吐き、気絶して倒れたとしても、「私があなたの前に定めた思いは変わりありません。むしろ、あなたが変わるかと思って心配します」という祈祷をしたとしても、監獄で我慢できないから私を助けてくれという臆病者のような祈祷は一度もしませんでした。(二三三−三三、一九九二・七・二〇)

 祈祷するときに、神様のみ旨は何であり、神様の事情は何であり、神様の心情はどうであるのかを知らなければなりません。それで神様が最も悲しまれること一つをつかんで、一生泣きながら祈祷してみなさい。そうすれば天国に行きます。他の何かをどうのこうのと祈ってみたところで、すべて必要ありません。神様が最も悔しいこと、最も悲しいこと、最も喜ばれることが何であるのかを知らなければなりません。

 聖書を見ると、神様にはうれしいことはありませんでした。悲しみだけでした。人間たちから裏切られ追われてきたのですから、うれしいときがあったでしょうか。それを解決すれば良いのです。友人も相手の悲しみを知って心情が通じてこそ本当の友人です。孝子も、だれでもなれるものではありません。忠臣も同じです。それを知らなければなりません。六千年間神様が歩んでこられた路程がどのようであったのかを知らなければならないのです。(九−二三三、一九六〇・五・二九)

 先生には、いまだに皆さんを引っ張っていかなければならない道が残っています。皆さんと共に世界と戦い、神様の胸に刻まれた怨恨を解いてさしあげなければなりません。そのような立場に立つ者が何人になるでしょうか。これが問題です。ここで話している先生は、見た目には何もない人のようですが人と違ったものをもっている人です。

 先生は祈祷するとき、ほかの祈祷をしません。「お父様!」と言えば、天地が揺れ動くのです。その「お父様」という言葉の中には、曲折が込められています。皆さんの知らない曲折がたくさんあります。お父様の前に孝子としてこの世に責任をもとうというのに、涙なしに祈祷ができますか? まだ恨の多い復帰の道が残っているからそうするのです。(一四−三二〇、一九六五・一・一〇)

 先生は、「お父様、私の一生の苦労は過ぎ去っていくものですが、一片丹心にあなたを愛し、忠誠を尽くそうという熱い情熱だけは残るようにしてくださいませ! そのようにしてくださるのならば死の道もいとわず進んでいきます」と言って祈祷したことがありますか? (一六−二五九、一九六六・六・一九)

 皆さんは自分を中心として考えるよりも、国を考え、世界を考えなければなりません。他の人を自分の代わりに苦労させる立場に立たせようとするのは愚かな考えです。先生も復帰路程を歩んできながら、蕩減復帰の原則を知ってからは、苦労の場に私を送ってくださいと祈祷しました。(一六−三〇六、一九六六・七・三一)

 私がお父様に仕えているとき、お父様はいかなる苦痛を味わうような立場に立っておられても、私を横にさせようとなさるということを知りました。かつて私を訪ねてこられた神様は、今でも祈祷するときには訪ねてこられます。まさにこれが統一教会の財産です。(一六−三四三、一九六六・一〇・一四)

 先生は「地上にいる人間たちよ! 自分たちの子どもを恋しがって泣く前に、天を恋しがって泣きなさい。自分自身のことで悔しいと胸を打つ前に、天の悔しさを考えて胸を打ちなさい。地上の何かに狂う前に神様に狂った者となりなさい!」と言って祈祷したことがあります。(七−二九四、一九五九・一〇・一一)

 私が祈祷するときには涙が限りなく流れます。どうしてでしょうか。私が受けたように、受けてこられた神様をよく知っているからです。この道を父母が理解せず、兄弟も理解せず、妻と子も理解しませんでした。ですから、弱いと言えば極めて弱く、愚かだと言えば極めて愚かな私を宇宙よりももっと信じようとなさる神様を考えるとき、身の置き所のなさを感じるのです。霊界と通じる人たちが先生について祈祷するようになると、慟哭するしかないというのです。(九三−六四、一九七七・五・一)

 祈祷をするときは、背中が曲がって、膝にたこができるほどしなければなりません。先生の膝には、昔祈祷してできたたこが、いまだに残っています。祈祷は床の上でしなければなりません。涙も流さなければなりません。先生は祈祷しながら流した涙の跡が乾かないほどに祈祷しました。(二五−三三三、一九六九・一〇・一二)

 先生は床の上に伏して祈祷するときには涙の跡が乾きませんでした。ここにたこができたのです。今でもたこの跡が残っています。今ではそのような祈祷はしませんが、以前は伏して祈祷してここにたこができたのです。「精魂込めた塔が崩れるか」という言葉があるでしょう。神様のために精魂込めなければなりません。神様が恋しくて狂うほどの境地まで至らなければならないのです。神様がおられるところが地であれば、一日に千度も行き来したいという思いになるほどにならなければなりません。

 しかし、神様がおられるところが地上ではないので、しかたなく先生を送られたのです。そのような何かがあるので、皆さんが先生を愛さなければならないようになっているのです。わけもなくそのように情がわくでしょうか。冬に涙を流しながら祈祷するとき、綿入りのパジとチョゴリがすべて涙で濡れてしまうことがありました。どれはどの思いだったのか考えてごらんなさい。刀を刺し立てて談判祈祷をしたのは一度や二度ではありませんでした。(六〇−二一一、一九七二・八・一七)

 先生は祈祷をするとき、しばしばこのような祈祷をします。霊人たちに対して、「あなたたちの要求はこれでしょう? あなたたちの先祖の願いはこれこれこういうことでしょう? その目的を達成したいのではないですか。それなら皆集まってきて勝敗を決定しましょう! 私に勝ったならば成し遂げてあげましょう!」と祈祷をします。(一五―八四、一九六五・九・二九)

 六千年間神様が完遂できなかった救いの目的をすべて完遂することができるだろうか。今までの先生の戦いはそのためでした。あるときはこのような祈祷をしました。「神様1六千年の摂理路程において、私たちの先祖は、あらゆる罪を犯してあなたを裏切ってきました。ぜひとも六千年を六日間として蕩減できるように、そのすべての荷を私に担わせてくださいませ」と言って祈祷しました。また「三十二億の人類と、今まで霊界に行ったすべての先祖の代わりに、すべてのサタンは私に向かって機関銃を撃て!」という祈祷をしました。そのようにして条件を立てるほかに道はなかったのです。(一五−一一九、一九六五・一〇・三)

 だれであれ、自分の側の人たちだけを愛し、反対する人たちをすべて嫌うというのではいけません。多くの人々が私にあらゆる非難と誹膀を浴びせましたが、そうかと言って、私は彼らが滅びるようにしてくれとは祈りません。そのような祈祷はする必要もないのです。(二四−七五、一九六九・六・二九)


四 逆境の中で行う祈祷

 私は一生の間、この道を歩んできながら、迫害され、監獄に閉じ込められて、血を吐き、あらゆる辱めを受けました。しかし「神様、私を生かしてください。私を別の道へと送ってくださいませ」という祈祷は一度もせず、そのような祈祷は考えたこともない人なのです。(八七−一八九、一九七六・六・二)

 私が監獄にいたときに、あるときは十二時間、あるいは二十四時間祈祷しなければならない問題がありました。そのときには考えで戦いました。ある事実について戦うのではなく、考えで熾烈な戦いをしたのです。いつでもそのように戦うところでは、考えの一切を自分の思いどおりにすることはできません。その戦いを解決するまでは、どんなに良いことがあっても喜ぶことはできません。(四三−一一八、一九七一・四・二五)

 あるとき、私が祈祷するとき「お父様!」と言って、数千数万回呼びたくて涙を流したことかあります。「お父様!」と数千数万回呼びたくてです。そのようなことをして今日の統一教会が始まったのです。それを皆さんは知らなければなりません。ですから、深刻なのです。道端で酒でも飲みながら鼻歌を歌うようなものではないのです。深刻なのです。(四六−一七二、一九七一・八・一)

 先生が監獄に入ってむちで打たれて、血を吐いて倒れるときも、私自身を心配するような祈祷はしませんでした。「お父様、私は昔の預言者たちやイエス様とは違います」と言ってこらえました。「神様、私を救ってください!」という、つまらなくて男らしくない、意気地のない祈祷はしませんでした。ただ神様のための祈祷をし、そのほかには祈りませんでした。(一六−二四一、一九六六・六・一九)

 先生は、興南での監獄生活、ソウルで日帝時代に監獄に入ったこと、ダンベリー刑務所に行った事実を忘れることができません。先生はダンベリー刑務所に入ったときも「ああ! ダンベリーに入ったので、私をお助けくださいませ」という祈祷は一度もしませんでした。(一三四−二五五、一九八五・七・二〇)

 先生は監獄に入ったときも、「神様、私を監獄から解放してください!」という祈祷はしませんでした。「私がここに入ったのはあなたの解放のためです」というような報告はしました。神様を解放してさしあげるために、そのような路程を通過しなければなりませんでした。「お金も必要ありません。自ら解決いたします」と言ったのです。神様が、「統一教会は私が築いてあげたのではなく、レバレンド・ムーン、あなたが成し遂げたのだ」と言ってこそ、人間の責任分担が完成しうるからです。(二三五−二四二、一九九二・九・二〇)

 私が欲心をもったら、ここまで来たでしょうか。サタンがほうっておかなかったでしょう。神様は守ってくれることができなかったはずです。私は数多くの監獄暮らしをしましたが、一度として監獄から出して欲しいという祈祷はしませんでした。「神様、この息子は生きています。心配なさらないでください。私が行けばこうこうこのようにしますので、見ていてください。あなたが協力しなくてもやります」。そのように祈祷して出てきてみると、すでに神様が全部準備しておかれていたのです。そのように祈祷して出てきてみると、神様は私がしようと思っていたことのためにすべて準備しておかれたのです。(二三六−二三七、一九九二・一一・八)

 先生は、興南の監獄から出てきたときは、何ももたない旅人のようでした。平壌から南に下りてくるまでの約三か月間は乞食をしました。あるときは、言葉で表現することができないほど食べたいときもありました。そのような放浪の生活をしました。そうかといって「神様、きょう食べるものがないので、何か食べるものを下さい」という祈祷は絶対にしませんでした。かえって神様を慰めて寝ることもありました。(三五−一九〇、一九七〇・一〇・一三)

 先生は監獄に何回行っても、監獄から出してくれという祈祷は一度もしませんでした。今でも日本の問題があっても、「神様、私のこれを助けてください」という祈祷はしません。私が責任を負うと考えるのです。(二四四−一八九、一九九三・二・七)

 先生は監獄に入ったとき、「神様、愛する息子をこのように監獄に入れてもいいのですか」というような祈祷はしませんでした。笑いながら、「神様、このレバレンド・ムーンは監獄から出て行く時を待つという希望があります」と言うのです。その過程を通過すればどのようになるでしょうか。跳躍です、跳躍。そのようになるのです。ですから、監獄から出てきたときに跳躍するのです。(二五七−一四九、一九九四・三・一四)

 先生が監獄に入っていくとき、「神様、監獄に入ったので助けてください」というような祈祷は一度もしませんでした。拷問を受けて吐き出した血を見て涙を流しながら、親のことを考えるようなことはありませんでした。妻や子どものことも考えませんでした。悲しい神様のみ手をつかんで慰めるのに忙しかったというのです。

 そうしながら、「絶対にこの息子のことを心配なさらないでください。私は生きています。アダムが神様を信じられずに堕落したその恨の峠を越え行くことができる息子となろうと思いますので、私に協助しないでくださいませ」と言ったのです。そのようにして戦ってきた道です。歴史を語るならば、伝統を語るならば、そのようなあきれかえるような道を歩んできた人なのです。(二六〇−二六五、一九九四・五・一九)

 先生は興南収容所のとても激しい労働の中でも、疲れることなく、倒れませんでした。倒れるわけにはいきませんでした。体が病気になったとしても行かざるをえない路程の歴史を担った人なのです。私はそのような立場でも、「神様、私に同情しないでくださいませ。私を愛するなら、民族を愛してくださり、私を貴くお思いになるなら、世界を貴く思ってください。共産圏の魔手の鉄条網の中に私が入っていますが、私のことを心配なさらず周囲にいる彼らを救ってくださいませ」というように祈祷した男なのです。その祈祷は、うわべだけの祈祷ではありません。涙と鼻水を流しながら、このような祈りを捧げたことが一度や二度ではないのです。この偉大な伝統を受け継ぐことができる人々を天は今でも呼んでいます。(六四−二八四、一九七二・一一・一二)

 監獄で血を吐くような拷問に遭っても、「神様、私をお助けください!」という祈祷はしませんでした。「神様、私の愛する民族を私以上に愛してください。世界を私以上に愛し、私のためには同情する必要はありません。もしこの者が死んだとしても、臆病者としては死にません」と言って祈祷しました。(六五−九三、一九七二・一一・一三)

 私は監獄に入って拷問を受けて血を吐くそのような立場にあっても、「神様、このような立場を私から過ぎ去らせてくださいませ」という祈祷は一度もしたことはありません。そのときにはかえって、「お父様、このミスター・ムーンという者は、昔のだれそれとは違います」と言いました。血を吐いて気絶することがあっても、決して死にませんでした。その血は、いくらでも再び補充することができます。

 ですから、「神様、私がこのような立場にあるからといって、残念に思わないでくださり、かえって私を愛してくださるなら、これよりももっと力強く伸びていくことができる信念を下さいませ。民族と世界のために死ぬ覚悟をしている立場でございますので、臆病者ではなく堂々と血を流しながらお父様を慰め、倒れることのできる男となさしめてくださいませ」と祈祷しました。自分のために祈るような祈祷は必要ないのです。(三九−六〇、一九七一・一・九)

 今まで神様が文総裁を信じてきたのは、個人、家庭、氏族、さらには世界を克服するところにおいてI方通行だったからです。変わることはありません。拷問を受けて倒れる立場でも、その一念は変わることかありません。「神様、心配なさらないでください。私は生きています」と言ったのです。私がアメリカのダンベリーの刑務所に入っていき祈祷するときも、「神様、私を救ってください」とは祈祷しませんでした。

 今まで一生の間、私が苦痛を受けながら、私を助けてほしいとは一言も祈祷をしなかったのです。「私の代わりに大韓民国に暮らす六千万の人々を保護し、アジア人の三十億を保護し、世界の五十億の人類を保護してくださいませ! そのためには、私がまず南北統一をしなければなりません。それが何よりも重要です」と言ったのです。(一七五−二六七、一九八八・四・二四)

 五十歳になるまで、「どうして私にこのような苦労をさせるのでしょうか」という祈祷はしたことかありません。それを皆さんは伝統で見習わなければなりません。先生はむち打たれ気絶し、生死の境界線を何度も行き来する立場でも、そのような考えは夢にも思わなかったのです。「当然だ。打て! いかに死の勢力が大きいのか? 使徒パウロを捕え、ペテロとヤコブ、そしてヨハネを滅ぼした死、その恨みの根拠地が踏まれるように打て! 殴れ! 私は死の障壁の前で退くような男ではない」と言ってこらえました。今までそうしながら戦ってきたのです。(二七―二五五、一九六九・一二・一四)


五 神様のみ旨と願いを中心とした祈祷

 蕩減復帰の原則においては、先生も例外ではありません。私が蕩減復帰の路程を通過するまでは、神様の前に現れようとは考えませんでした。祭物の過程を通過できない人は、後援が必要ありません。祭物が同情を受けるようになると、真の祭物にはなれないのではないですか。そのような意味で、先生が監獄に入っていくとき、「神よ、私を保護してくださいませ」という、そのようなつまらない祈祷はしませんでした。

 今でもそうすれば、祭物の意に反します。きれいに犠牲になり、きれいに血を流さなければなりません。もし同情を願う祭司長になっては、神様をぽうとくすることになるというのです。私はいかに困難なことがあっても、「神様!」と言うことはできないのです。「神様、私は私自身に責任を負います。同情は必要ありません」という思想をもっている男です。(六三−三五一、一九七二・一〇・二二)

 私は復帰路程をすべて知って、「神様、あなたが行かなければならない道はこの道ではありませんか? これはこのようになるべきではありませんか?」と言って祈祷します。つまらなく過ぎたことに対して祈祷しません。私は神様が共にあられるこの道を守って行くつもりです。

 いかにしてこの時代に十年、百年、あるいは千年後になされることと因縁を結ぶことができるかというのが問題です。そして、いかにしてそのときのために血の汗を流す苦労の条件を立てるかというのが問題なのです。

 今まで先生はその問題を模索してきました。そのような先生が「行こう!」というのに反対する人は滅びます。滅びるか、滅びないかは見ていなさいというのです。(三一−三二六、一九七〇・六・七)

 たくさんの祈祷生活をして霊的に高い見識を備えて生きる人に、我知らず悲しみが訪れてくるときがあります。それを分析してみると、そのとき神様が悲しい立場におられるということが分かります。そして、我知らず心にあふれるほどの喜びを感じることあるのですが、そのようなときは神様がうれしい立場におられるということが分かるのです。(三二−二一九、一九七〇・七・一九)

 蕩減時代に戦っていくときには、神様の前で祈祷はしません。皆さんはそれを知らなければなりません。今後困難な時が来るでしょう。とても深刻な時が来るはずです。そのような時が来たときに祈祷する考えをしてはならないというのです。そのような時であるほど、世界のために戦いなさいというのです。(三三−一〇七、一九七〇・八・九)

 今まで私は皆さんに何をしてあげるべきかを心配してきました。先生は皆さんに借りをつくらないようにしようと思っています。今も皆さんに何でも与えることのできる姿勢を備えることができるように、というのが先生の祈祷題目です。祈祷するたびに、借りをつくる人になってはならないと念を押すのです。(三三−一〇九、一九七〇・八・九)

 私は監獄でも神様を愛し、追われながら山の斜面で岩にすがって号泣しながらも神様を愛する道を歩んできました。しかし、世の中のだれもが好み、うらやむような大きな宮殿では神様を愛してみることはできませんでした。それが私の抱いている悲しい恨です。

 そうかと言って、私がそのみ旨を成せなかったわけではありません。間違いなく、私が死んでもそのみ旨は実現するという信念をもっています。そのような心で国のために生き、世界のために生き、神様にしがみついて祈祷する人が、韓国人の中から現れることを祈りました。

 そして、韓国が新しい世界のために、神様のために、神様を愛して、また神様の愛を保有する世界の中心になることを祈祷したのです。(三三−一一五、一九七〇・八・九)

 先生は夢にも、「ああ、お父様! もう進めません」と言って祈祷したことはありません。いかなることであれ、ぶつかればぶつかったように処理して来ました。そのように復帰してきました。「神様も無情だなあ!」と言って恨んでみたこともありません。今まで死ぬような目に遭っても、私の心と体が一つになって天を恨むことはありませんでした。(一二−三三五、一九六三・八・一一)

 今、先生は血を吐いて、床に五本の指の印を押しておきたいと思います。この手は以前だれかと争いながら大きな傷を負ったときも、最後の勝利に導くかたは神様であるという事実を知っていました。

 先生は、天のお父様が私を生かしてくださり、また、私に希望をかけておられるという事実をよく知っています。それで「死を数千回覚悟してきましたから、心配なさらないでくださいませ!」と言って心の底から祈りを捧げています。(一六−二四三、一九六六・六・一九)

 むちで打たれ、血を吐き、肉が裂けるような立場にあっても「この血は歴史を裏切った先祖の血です。いまだ私には行くべき道が残っていますので、担うべき十字架があればもっと担わせてくださいませ!」と言って祈っていた私です。(一七−二九八、一九六七・二・一五)

 先生は監獄でむちで打たれたり拷問されたりするような立場にあっても祈祷しませんでした。そのような状況ではどんなに祈祷しても無駄なのです。なぜなら、心的な姿勢が問題だからです。先生は自分自身よりも世界をより愛するので、先生を通じて神様が世界を愛するのです。私は監獄にいるたびにそのような忠誠の基準を立てようと努力して、そのように自分を治めてきました。(一七−三四三、一九六七・五・一〇)

 神様はやっただけ埋めてくれます。私が受けられなければ、私の息子、娘が受けるのです。ですから、皆さんに千年万年について祈祷しなさいと言うのです。今、先生は千年以降のことについて祈祷しています。万年以降に世の中がどのようになるべきだという祈祷を深刻にしています。

 教祖を中心として、信徒たちがそのような祈祷を深刻にしておけば、その祈祷の基準が天上に残っている限りは、統一教会が滅びることはありません。皆が滅びろと言ったとしても絶対に滅びません。統一教会が滅びろと祈祷する人々がどれほど多いですか! そうでしょう? そして今後の時代がどのような時代であるかを予測しながら、その時代の責任者としてふさわしい人になるために努力しなければなりません。ですから神様のように投入しては忘れ、投入しては忘れてしまうのです。その道しかありません。知ってみると、その道だけがすべてを解決する秘法だったというのです。(二一二−二七一、一九九五・八・二八)

 監獄でも孝子は孝子の役割を果たさなければなりません。監獄に入っても忠臣は忠臣の役割を果たさなければならないのです。それで、「神様、心配しないでくださいませ! 私が共産世界のどん底を通ってモスクワまで貫通させます」と祈祷しました。モスクワまで共産世界のどん底をすべて貫いてしまわなければならないと考えました。ですから、神様は信じてくださるのです。神様が信じてくださるので、滅びることなく、死ななかったのです。(一〇六−七〇、一九七九・一二・九)

 み旨の道を歩むとき、愛を骨として行く人は天地が保護することでしょう。一人でどこかにいるからといって落胆してはなりません。監獄にいるからといって敗者ではありません。私が監獄に入ったからといって、「お父様、あなたの愛する息子が監獄に入ったので、恨みを晴らしてください」とは言いませんでした。

 むしろ、「いまだ神様の愛の壁がまだ崩れていないので、私の監獄の道が残っているということが分かりました。私の心と体を、棒でもって、紅海を分けたモーセの杖として用いて打ってくださいませ。私の肉がそげ、骨が折れても行かなければなりません。私はまだ死んでいません」と祈祷しました。(一八〇−一一九、一九八八・八・七)

 死亡の線を越えていこうと覚悟した男が死なないで、前幕にいることを感謝することができなければならないのに、悲嘆と悲哀に陥って、福を受けようとして祈祷するでしょうか。私は統一教会のためには祈祷をしません。息子、娘のためにも祈祷しません。名前は呼んであげています。一日に三回ずつです。「万民を記憶なさるお父様、この息子、娘たちとの愛の波動を通じて、一つのわらくずが波に乗って海辺に達するように、人間世界の汚いすべてのものが地獄の縁へと流れていきますように!」と言って祈祷します。

 私は統一教会のためには祈祷をしない人です。統一教会が果たすべき南北統一のために祈祷します。では、だれがいちばん先に行くのでしょうか。正々堂々と戦って勝ち、三十八度線を越えて先生の故郷にある先生の両親の墓に行って、「先生に代わってやって来ました」と言って報告することのできる人たちが何人ほどになるのかというのです。そのようなことを考えるのです。(一八〇−一一九、一九八八・八・七)

 私は監獄の道を歩みながらも祈祷した人です。私が監獄に入っていけば天が会わせてくれると約束された人がいるのを知っていたので、希望を抱いて行った男です。豆ご飯を前にしても感謝の涙を流して民族のために祈祷しました。受難の道に追い込まれるような立場でも民族を忘れたことはなく、世界の人類を忘れたことはありません。(六四−二八四、一九七二・一一・一二)

 先生は監獄に入っていっても普段よりも三倍以上祈祷した人です。仕事をするときも、楽な仕事を探し歩いた人ではありません。いちばん難しい仕事をしようとしました。他の人たちと同じ

 ご飯を食べて、いちばん難しいことをしようと考えたのです。「もしも怨讐たちが謀ってこのような所に再び連れてきて打ち込むようなことがあればどうすべきだろう? そのようになる前に訓練して、自信がもてるように準備しなければならない」と考えました。(六八−七五、一九七三・七・二三)

 今まで皆さんが民族を愛し、世界を愛するために、一日でも夜を明かしながら心を痛めたことがあっただろうかと考えてごらんなさい! そのようなことがなかったとすれば、膝をついて悔い改めなければなりません。先祖から譲り受けた堕落圏を抜け出すためには、悔い改めなければならないのです。「過去には、私はそのように暮らしましたが、残りの人生だけでも光り輝くように終わりを結びます。今まで果たせなかった忠誠を、残りの人生で尽くしていきます」と言って夜を明かしながら祈祷しなければなりません。

 今から、「私は死んだとしても、世界を生かしてくださいませ!」と祈祷するならば、その人の墓は廃虚にはならないでしょう。どんなに顔に醜いしわがあったとしても、平和を象徴するしわとして現れるはずであり、歩く姿勢が気がかりであったとしても、その道は希望の道になるでしょう。今まで自分白身だけを中心として生きてきた過去を清算して、少しでも善の礎をつくっておいてから逝こう、という考えをもって、休まないで努力しなければなりません。(六五−九三、一九七二・一一・二三)

 先生の主義はそうです。私が公的な仕事をするところにおいては、借りをつくってでもしなければならないというのです。いかなることであれ、公的なことはできないという考えは抱きません。借りをつくったとしても、しなければならないと考えてしていくと、いつもすべて解決します。祈祷する必要もありません。だれであれ、自分に忙しい仕事があれば、神様の前で祈祷するよりも、自らの責任であると思わなければなりません。そのようにして神様にまで心配させないようにしようと考えなければならないのです。それが孝の心であり、忠の心なのです。(五九−二四〇、一九七二・七・二三)

 先生がしきりに祈祷するときには、生死をかけて祈祷しました。ある食口を立てなければならないと定めて徹夜祈祷をするようになれば、その人は家に行って夜眠れません。その人がおぱさんであれば、朝、市場に出かけたところ、教会に来ました。市場に何か買い物に出かけたのですが、足は本部教会の先生のところに向かい、「おおっ!」ということになったのです。だれの力で来たのでしょうか? 霊界の天使たちが引っ張って来たのです。そのようなことが起きました。(六〇−二二九、一九七二・八・一七)

 皆さんが「神様、サタンを赦してくださいませ!」という祈祷を一度でもしてみたことがありますか? そうすると、神様の気分が直ちに分かります。神様の気分を知らなければ、二重生活をするようになります。つまり、一軒の家の中で二つの愛の道が生じれば、その家は破綻します。同様に、神様がサタンを赦すことができるならば、宇宙自体が破綻します。平和の本宮が生じないというのです。すべての愛は絶対的です。(四八−二三五、一九七一・九・一九)

 神様がいるのか、いないのかという問題について探究しました。神様の実存を知るようになると、人生の根本的な問題を解決できるものとして信じて掘り下げたのです。そうこうしていたら、統一教会の教祖になりました。

 この服がどれほど多くの涙に濡れ、腕や足にはどれだけ多くのたこができたかしれません。平均して十二時間以上は祈祷しなければなりませんでした。そのようにすることなくしては、ご飯を食べることができず、その問題が解けなければ眠ることもできませんでした。(二〇一−三四四、一九九〇・四・三。)

 実際のところ、私も神様を呼ぶことを好みませんでした。呼ばずにはいられなくなったので呼ぶのです。むやみに神様を呼ぶ人ではありません。調べてみて、祈祷してみて、裂いてみて、味わってみて、投げてみて、持ち上げてみて、分析してみて、そのかたでなければならないという結論が出たので神様を呼ぶのです。

 私だからと言って、最初から宗教指導者になろうと心に決めて出てきたのではありません。ところで、いかにして神様を好むようになったのでしょうか? 神様は絶対的に善なるかたなので好むようになりました。そのような結論になったのです。(四一−一四一、一九七一・二・一四)

 神様はおられます。間違いありません。私は神様がいるのか、いないのかという問題に決着をつけるために一生を捧げました。今でも祈祷するとき、「神様、私と決着をつけましょう」と言って、神様が応じなければ激しくののしるのです。「この神様め、死ね!」と言ってです。

 いつもひざまずいて祈祷するのは大変ではないですか? 大変なときには、ぐるぐる回りながら祈祷するのです。そのようにぐるぐる回りながら祈祷したとしても神様はよく教えてくださったというのです。(二〇三−三四八、一九九〇・六・二八)


六 真のご父母様の三大祈祷

 先生は、神様の前に基金を下さいという話をしたことは一度もありません。お金をくれという祈祷は、今まで一回もしたことかありません。お金をくれという祈祷は絶対にしません。

 私は今でもそうです。工場を建てても、「神様、私たちの工場で金もうけさせてください」というような祈祷はしません。この工場から民族を生かすことができ、民族の誇りとなる指導者が出てくることを願うのであって、お金については話もしないのです。(一七二−一二五、一九八八・一・九)

 自分たちが責任を果たすことができず、神様に助けてほしいと言うのですか。私はそのような祈祷は絶対にしません。「神様、私が死にそうなので、お金をちょっと助けてください」とは言わないのです。お金のための祈祷は夢にも思わないのです。(一六六−一八八、一九八七・六・五)

 今まで経済問題では絶対に祈祷をしませんでした。私には、お金をくれというような祈祷はできません。祈祷は原則的な祈祷をすべきであって、祈祷をむやみにしたら蕩減を受けます。災いを受けます。私たちのような人は、絶対に欲張ったような祈祷はしません。

 先生の祈祷は公式化されています。たくさんの祈祷はしません。サッと目をつぶって、スッとやれば、すでに天が共にあることが分かります。ですから、ただみ旨のために走るばかりです。祈祷するよりも走るのです。考えることよりも実践するのです。(一六六−一九二、一九八七・六・五)

 文先生はお金をくれという祈祷はしません。出世しようと祈祷しませんでした。三大目標とは何ですか? 第一が何かというと、「宇宙主管を願う前に自己主管完成せよ」です。その次に第二は、「絶対的信仰をもて」です。第三は「絶対的愛をもて」です。それが三大目標です。サタンが嘘でだましたとしても、私は絶対的な信仰をもって事実を確認するまで行きます。ですから、「サタン、おまえも最後には私を正道の道に案内しなければならない!」という信仰です。(一三九−六三、一九八六・一二六)

 先生は二十四時間祈祷します。どこに行こうが目標を中心に二十四時間祈祷するのです。食事をしながらも、呼吸をしながらも祈祷するのです。それは私自身のためではありません。人類のため、神様のための祈祷です。

 そのような一念を中心として精誠を尽くしながら、四方に一回転すると円形になります。その円形の圏内は天が主管することができるので、その圏内の良心的な人たちは必ず引っ張られてくるようになります。彼らは、我知らず引っ張られてくるようになるというのです。そのようにいつも精誠を尽くさなければなりません。

 かつて先生が教会を指導するとき、ソウルのおよそ五百名に及ぶ食口たちの名前を必ず呼びながら祈祷しました。その五百名の名前を呼ぶだけで約四十分かかりました。その時間に笑顔で現れたり、心配ごとのある表情で現れたりもしました。

 ですから、だれにどのようなことがあるのかが分かりました。だれであれ電話して呼び出すように言って、「あなたはこのようなことがあるのではないか? 言いなさい!」と言うと、「どうしてご存じですか?」と言いながら驚くのです。どうして分かったのかですって? そのようにして見て分かるのです。だれそれが来るようにと、精誠を尽くせば、引っ張られてきたのです。(二○七−二四九、一九九〇・一一・一一)

 文総裁は松の本の根が抜けるほどにつかんで祈祷し、「岩が転がるか転がらないか試してみよう」といって、力いっぱいつかんで祈祷するのです。そうして岩が転がっていき、ひとしきりドンドンというときは、どれほど気分が良かったことかしれません。祈祷を終えて走って下りてきても気分が良かったのです。(二一二−三九、一九九一・一・一)

 先生は祈祷するにあたり、「一万年後の統一教会はこうでなければなりません」と祈っています。千年ではありません。「一万年後はこうでなければなりません。一万年まで伝統を受け継いで、神様を私よりも愛する人が、一世紀、一世紀と世紀を重ねるごとに出てくるようにしてください」と言うのです。だれよりも素晴らしい人ですか? 先生よりも素晴らしい人です。

 そのように、「私よりも素晴らしい愛の火の塊が出てきて、万有の存在が、彼が口ずさむ愛の歌を聞くことができるようにしてください。そのような愛のボスが出てきて統一教会を久しく光り輝かせてくださいませ」というような祈祷は、すてきな祈祷ですか、すてきでない祈祷ですか? すてきな祈祷だと言わざるをえません。それゆえ、いかなる聖者も統一教会を飲み込んでしまうことはできません。

 祈祷をするにおいては、のらりくらりとはしませんでした。祈祷を何度ずつしますか? 一度やったらいいのです。その次には祈祷しないで待ちます。男が一度約束すればそれでよいのであり、しきりに念を押しますか? 文総裁の特徴がそれです。一度祈祷すればしません。

 それからは祈祷をしないで応答を待つのです。十年遊んだとしても、その心をきっちりと抱いて、「ある日、海王星から木星、金星を通って地球星に訪ねてくるだろう。現在の韓国で見るならば、全羅南道の木浦くらいに訪ねてくるだろう」というように考えるのです。(二一二−四〇、一九九一・一・一)

 先生の祈祷する内容は簡単です。神様を中心とした真の父母、真の父母を中心とした家庭、家庭を中心とした子女、子女を中心とした氏族の関係を回復することを願う内容が中心となっています。(一九−一五、一九六七・一一・二)

 先生が今まで祈祷してきた内容は三つあります。一つは信仰に関してです。「神様の前に私が出るようになるときには、世の中の人が信じることのできないことを私は信じなければならない! 神様を中心とした言葉は、どのような言葉であれ信じられないものはない! 父や母まで裂いて祭祀を捧げなさいという神様の命令があるならば、それも実践するつもりだ! そのような人倫道徳に外れた命令をなさる神様の曲折がどれほど大きいだろうか。そうすることで、世界が救われる条件になるならば、やらなければならない! 歴史にない親不孝の名前を残したとしても、そうしなければならない。しかし、神様の前にはそれが親不孝ではないだろう」と考えたのです。「いちばん信じられない言葉を私に語ってくださいませ、神様!」と祈ったのです。そうしてペテロ以上の信仰のために祈祷しました。

 その次は何でしょうか。知恵のために祈祷しました。事理を判断する明確な主体性をもたなくては、指導者になることはできません。それで、「ソロモンの知恵を上回る知恵を下さいませ!」と言って祈祷しました。さらにその次は何でしょうか。愛のために祈祷しました。「イエス様ができなかった愛を私がしなければならない」と考えたのです。数多くの民族であっても、私が愛を抱いて現れるようになるときは、反対する人はいないというのです。だれでもその愛に引かれていくのです。「終りの日」は、愛が乾いた時代なので、新しい運動を展開するためには愛が何よりも必要だというのです。

 この三つが、先生が今まで祈祷した内容です。それを祈祷してみると、いつそうなったのか、すべて成就したというのです。だれでも信じられることをした人ではありません。世界の人々が信じられないという人になってしまいました。それは悪い意味ではありません。不思議な神秘に包まれた謎かけのようなことをすることのできる人になったというのです。(七七−六二、一九七五・三・三〇)

 先生が六年以上祈祷した内容は、信仰と愛と知恵でした。信仰は神様も信じることができないことを信じようとする信仰であり、愛はすべての人が喜ぶ愛であり、知恵はソロモンの知恵も比較することのできない知恵です。(一二−七八、一九六二・一〇・二八)

 先生は夜寝て起きれば、再びそのまま寝ないで必ず祈祷をしてから寝ます。どのようにしてでも、神様が同情することのできる立場に立たなければなりません。(一八−一三四、一九六七・五・三〇)

 長い間、憤りを抱いていてはいけません。憤りを抱いていたら、自分のために祈祷してくれる人がいたとしても、その祈祷が反発するようになります。(一六−三二九、一九六六・七・三一)

 三年間、私は経済的な問題を中心に冒険しています。そのように私が冒険するのは、大韓民国のだれそれの欲望を満たすためではありません。統一教会の威信を立てなければならないからです。しかし、私はその結果については知りません。神様が願われる以上にその威信が立てられることを願う、そのような信仰だけをもっています。

 そのように成されたか、成されていないかについては知りません。その代わり、だれよりもたくさん精誠を尽くしています。そうかと言って、「神様、私はお金がないのでお金を出してくださいませ!」という祈祷はこれっぽっちもしません。そのような祈祷はしなくても、神様は成してくださいます。そのような心を抱いています。(四六−九〇、一九七一・七・二五)


七 未来のための祈祷

 先生が精誠を尽くして祈祷するその中には、「この祈祷は、千年万年なされませんように」という内容もあります。神様がその祈祷を千年万年記憶なさり、成し遂げてくださるならば、その間は、統一教会は滅びないというのです。ですから、千年万年かけて神様が成してくださる祈祷をしなさいというのです。万年の間、神様が、「それを成し遂げてあげなければならないなあ」と言って引っ張っていかれたなら、その間は、統一教会は滅びません。(一五九−三三二七、一九六八・八・一八)

 先生は「お父様! 数千年後にもこの祈祷が成し遂げられず、神様の心の中に記憶されるようにしてくださいませ」という祈祷もします。成し遂げられるか心配なのです。すべて成し遂げられたら天変なのです。今、すべて成し遂げられたならば、今後、私たちの息子、娘たちが祈祷することがなくなります。そのように祈祷する必要がなくなれば、どのようになりますか。希望がなくなります。

 それゆえ、「千年万年これだけは成し遂げられないようにしてくださいませ」と祈祷するのです。千年万年、少しずつ成し遂げられていくならば、統一教会は滅びずに、千年万年残るのです。他の人たちとは考えが違うのです。そうだと思われるでしょう? 祈祷をして「よし、こいつ」といって、ひっくり返るほどどっと成してくださったら、「ああ、私の神様、ありがとうございます」と言うかもしれませんが、そこには永遠なる生命はありえません。(六〇−一八六、一九七二・八・一八)

 先生は「神様、この祈祷だけは千年万年後にかなえてくださいませ」というような祈祷をしているのです。そうすることで、統一教会は千年万年と続くことができます。祈祷して早く成し遂げられるのではと恐れます。そのようになれば、私一代で終わってしまうのです。しかし、その祈祷が私一代でなされなければ子孫まで続くのです。(六八−五九、一九七三・七・一三)

 神様に対して借りをつくってはなりません。ですから、私は祈祷しないのです。とても忙しいときに、いろいろと複雑な問題で祈祷する何かがあったならば、祈祷する代わりに遊んで回るのです。十年後、二十年後のことを準備するためには祈祷します。しかし、当面の問題をもっては祈祷しないのです。(六八−七二、一九七三・七・二三)

 私は「神様、お助けください」とは言いません。絶対にそのような祈祷はしません。死ぬほどに努力しておいてから祈祷すべきだと考えます。無駄な祈祷はするなというのです。祈祷をしません。私の行く道が分かっているので、私のすべての力を尽くして努力します。「汗を流してもだめなら、血を流してやりなさい! それでだめだったら死ぬまでやりなさい!」というのです。

 そうして死ぬまで努力してもできなかったらどうなりますか。それが成されるか、成されないかは神様に委ねるので、神様が責任をもたれます。祈祷とは何の祈祷ですか。ぴんぴんして目が生きているのに、ひざまずいて祈祷しますか? 祈祷する時間に出ていって働くほうがましです。土地を耕すとかするのです。神様はそのような人が悲運の立場で死ぬようになったり、滅びるような立場に立ったりすれば、神様が雷のように救ってくれるのです。そのようにしてみなさい、滅びるかどうか。(六八−六一、一九七三・七・二三)

 先生は今まで十年、二十年、四十年と祈祷してきましたが、いまだに祈祷する題目があります。数千年後の統一教会のために精誠を尽くしているのです。その時が来るまで統一教会は滅びません。(二〇六−二八七、一九九〇・一〇・一四)

 統一教会を自分たちの国と民族の前に連結させるために、数多くの兄弟姉妹たちが血を流し、夜も寝ないでいるという事実を知らなければなりません。私はそれを知っている人です。またそれを命令した人なので、昼も夜も借りをつくらないように踏ん張って暮らすのです。十二時が過ぎるころになると先生は、「彼らが祈祷する時間になったな」と言いながら、眠らないで彼らに借りをつくらないように努力するので、統一教会は発展するのです。

 私は生涯、食口たちの血を吸い取ることはありませんでした。詐欺を働きませんでした。すべて私が世話をするのです。統一教会は、私が死んだとしても、それをすべて返すまでは発展するのです。千年万年、統一教会の行く道のために祈祷する先生なのです。今、このときのために祈祷するのではありません。この時代に私が残していく基準の祈祷を子孫たちが引き継いでいけば発展しないはずがありません。(二三一−六五、一九九二・五・三一)

 神様と天使世界が残念がる以上に、私が残念に思わなければならないというのが先生の考えです。世界に対してそのように考えるのです。そのように世界に対して考えるのですが、統一教会に対して考えないのです。世界のために生き、神様のみ旨の世界のために生きるのです。

 ですから、レバレンド・ムーンがみ旨を成就できないで死ぬ日には、統一教会がなくなるとは考えません。神様が生きておられるならば、その恨を解いてくださらずにはいられないので、統一教会はもっと発展するものと考えるのです。私の志を成し遂げてくださらなければならない神様がおられるので、そのみ旨が成就するときまでは統一教会は滅びないという観念を抱いています。(九三−九三、一九七七・五・一五)

 自分が未来のために祈祷していて死んだしても落胆してはならないというのです。その祈祷が千年延びるようになれば統一教会は千年滅びないのであり、二千年延びるならば二千年間、統一教会は滅びないというのです。五千年間、私の祈祷が成就されなければ、五千年間、統一教会は発展するのであり、後退はしないというのです。私が祈祷するのはそれなのです。私が生きている間に成就しないように祈祷しているというのです。「神様、私の一代では成就しないようにしてくださいませ」と言いながら祈祷しているというのです。

 それでは、いつ成就しなければならないのでしょうか。「暗い世界の終わりの日に、統一教会がなくなるそのときになったならば、その愛のみ旨を成就してくださいませ!」と祈祷しているのです。それは狂った人でしょう? そのように暮らしてみると、一生がただただ浪人の群れのように、村の犬にほえられ、指さされながら歩き回ってみると、今になって私は福を受けました。私は、耳が遠くて目がよく見えない立場で死ぬこともできずに生きてみると、天下に思いがけなかった人たちが従ってきているというのです。私は乞食だと思っていたのに、天下に黄金の風呂敷がこのように積まれているとは知らなかったというのです。(一〇五−二五六、一九七九・一〇・二六)

 皆さんが祈祷するとき、「ああ、神様、何かを成し遂げてくださったので喜ばしいです」と言って祈祷するでしょう? しかし、祈祷するとき、「神様、千年後にも私が祈祷することが成就しないで、万年後にも成就しないで、数十万年後にも成就しないとしても祈祷しますので覚えておいてくださいませ!」と言うことのできる人がいるならば、その人は偉大な人になるでしょう。数万年後のために今から一生をかけて精誠を尽くして準備するというのです。(一○五−二九一、一九七九・一〇・二八)

 春になれば自然に花が咲くのと同じように、冬を過ぎた人の前には、必ず花が咲くことのできる与件が宇宙を通じて与えられるのです。ですから、長い間祈祷がかなえられなかったと、ため息をついてはならないというのです。そのように祈祷が成されない期間が長くなればなるほどに大きな福が来るのです。しかし、千年万年について祈祷するようになると、それは成就するのです。(一八〇―一〇七、一九八八・八・七)

 先生の祈祷の中に、「お父様、私が精誠を尽くして祈祷することを千年万年後に成し遂げてくださいませ」という祈祷があります。先生が精誠を尽くすことが私の一代に成されずに、それが天の前に届いて記憶され、万年後に成就しうるお父様の心情的一念が残ることを願うという祈祷をしています。

 これは何の活かというと、統一教会が万年たっても滅びないようにするために祈祷するというのです。万年後に成就しうる天の同情的な事情が残っていたならば、それがすべて成就するまで統一教会は滅びない立場に立つので、そのような祈祷を捧げているのです。祈祷をして、それが今成就するのではないかと恐れる祈祷をしています。皆さんはそれを知らないのです。皆さんはすぐに成就する祈祷をするでしょう? 十年精誠を尽くしても不足で、生涯精誠を尽くしても不足なので、自分の息子、娘だけでなく、ひいては三代、四代、十代を経て、引き続き精誠を尽くすことのできる一つの目的を中心としていくならば、その一族は世界を支配する一族になります。このようなことを考えるべきですが、この統一教会の群れは三年もしないで、十年もしないで、「み旨がどうして成就しないのだろう? これはやりきれない」と言うのです。

 先生は今まで五十歳を越えるまで、み旨のために働いてきたのです。考えようによっては運命の致すところですが、先生はこのように生きなければ粉々になるのです。不幸な自らの身の上を嘆くのです。私の定めがこのようになっているので、運命の道を避けて行くことができないと考えるのです。(五〇−三一九、一九七一・一一・八)

 アブラハムがソドム城に対して祈祷したのと同じように、「神様、少し待ってください」と言うことができなければなりません。そうすれば、神様は涙を流しながら、「おい、こいつ、もっと一生懸命にやりなさい。おい、もう少し範囲を広げてひたすら求めなさい」と言われるでしょう。

 そのような人がいるならば、神様もサタンの前に威信を立てて、「うん、おまえのことを汲んで、

 この滅びる世界を十年でも数十年でも待ってみよう」と言われるでしょう。

 神様が喜ばれうるそのような人に一人でもお会いにならなければならないのではないですか? そのような人が終末の審判の後に現れうる真の人の姿であるというとき、統一教会のメンバーはそのような人を夢見て行こうという群れです。

 ですから、昼も夜も、「歳月よ、歳月よ、どんどん過ぎよ。青春時代は過ぎて老年時代よ、来い。私が死ぬまでこの道を行って、最後まで行けなければ千年の事情を抱いて祈祷するでしょうが、この祈祷が成就するまでは、世界を心配しないでください!」と祈祷する人がいるならば、‘その人は審判を千年まで延長させることのできる人になるでしょう。(六一−一〇一、一九七二・八・二七)

 先生は昔、幼い頃に転げ回りながら、歌いながら祈祷したのです、歌う祈祷。いつも座って祈祷するよりも、このように天と同化する時間をもつのです。そのような時間が祈祷の時間だったのです。

 だれであれ言葉による祈祷よりは歌の祈祷が感動的であり、そのような歌による祈祷を通して神秘的境地に入る体験ができます。神様をお呼びするとき、深く通じるときには、「天のお父様…♪」というのが歌になるというのです。(二七〇−一七、一九九五・五・三)

 先生が祈祷するときは、いつも詩的な祈祷をたくさんするのです。あなたがつくられた万宇宙が美しいと言いながら祈祷するようになると、神様が喜ばれたものです。そしてまたあるときは、神様の前で私が雄弁を振るうのです。そのようなときは、子供が自分のお父さんとお母さんに茶目っ気たっぷりに振る舞いたい気持ちと同じなのです。(一〇六−一三九、一九七九・一二・二四)

 先生は戦争祈祷もしました。岩を砕く祈祷をするのです。この綿入りズボンがすべて濡れてしまうほどに祈祷したのです。それほど汗が出るほどに生命をかけて祈祷したのです。そのような祈祷を何年か繰り返しました。それが嫌ではありませんでした。面白く感じました。味があるのです。だんだん深く入っていくので、他人が知らない霊的世界の深い所まで体験することができたのです。(二七〇−三八、一九九五・五・三)

 先生は祈祷する時間がなければ、横になって祈祷するのです。我を忘れて仕事をしてみたら、祈祷する時間もないのです。そうすると、しかたなく横たわって祈祷するのです。「神様、横になりました」と言うと、「うん、うん」と言われるようになっているのです。くたびれて座る気力もないのです。そうだというのです。すると様式も越えていくのです。(九八−二九三、一九七八・八・六)


八 祈祷中に忘れられない人々

 強盗がいましたが、ある朝、世の中でしていた行動を監房に入ってきてもするので、私が言葉で正しました。その不遜なことについて前後を問い詰めて攻撃しました。ところが、そのようにしてからは祈祷をしても祈祷がふさがってしまったのです。世の中にそのような地獄はないというのです。そのおよそ一分以内のその時間ゆえに、一週間以上も苦痛を受けたことを忘れることができません。

 光をもっていた人がその光を失ったときのその悲惨さが、皆さんには分かるでしょうか。真っ暗な天地に一つしかないろうそくの明かりまで消えたら、どれほど気がふさがるでしょうか。まさにそれです。漆黒のような暗闇の中で囚われて、自分自身の気力まですべて弱まっていくのを見るとき、ご飯が問題ですか、ご飯が? そのような立場でご飯を食べることができますか?

 朝、三時間、四時間、あるいは五時間待って、ようやく食べられるご飯であるにもかかわらず、ご飯が何ですか? それで、「もう監房でも何でも構わない」と言ってひれ伏して祈祷するのです。看守たちが来て騒ぐなら騒げと…。その光を失ったときのその地獄のような生活は今でも忘れられません。(七一−一五〇、一九七四・四・二九)

 私は監獄から出てからは母親には会えませんでした。両親には会えなかったのです。平壌から故郷までは二十八里です。すぐに立ち寄ることのできる距離なのです。では、どうして行けなかったのでしょうか。先生と信仰で因縁をもった人々をすべて探して回ったからです。彼らをすべて探さなければなりませんでした。私はその人たちのために監獄に入ったので、彼らの墓まで訪ねていって、「あなたたちは背いて離れていったけれども、私は離れない」と言いました。

 私がアメリカに出発するとき、皆さんに、「一月十八日が何の日か祈祷して探ってみなさい」と話したことがあるでしょう。その日が何の日か分かるかというのです。その日は先生にとって最も悲しかった日です。お金がなくて悲しかった日ではありません。人がいなくて悲しかった日でもありません。先生の一生において忘れることのできない日です。

 その日が何の日かというと、私が神様の前で彼らのために祝福の祈祷をしてあげた日です。しかし、彼らは皆、裏切ってしまったのです。彼らが先生に背いてしまったとしても、先生は万丈の手紙を書いて三度も連絡をしました。ところが、彼らはその最後の手紙までも送り返してぎたのです。先生は送り返してきたその手紙を持って、北から出てきました。

 慶尚北道の永川に入っていくと橋があります。その橋で一月十八日にその手紙を破ってしまいました。そのような日がありました。その内容が何か皆さんは知らないでしょう。ですから、先生は韓国の地に下りてきて、だれも知りえないこの道を再び行かなければなりませんでした。(四五−一四二、一九七一・六・二四)

 いちばん難しいのが霊的責任者の立場です。ですから、祈祷しなければならず、食口たちと夜を徹しながら議論しなければなりません。真理を討論して夜を明かすそのようなところには発展があります。村々の反対を受けようともです。

 今でも先生はどこに行こうが一九六〇年代のような気分に戻れば、そのような風が吹きます。私がぴたりと行ってやるようになると、その環境が直ちに違ってくるのです。そのような何かがあります。皆さんもそのような基準を立てるためには祈祷しなさいというのです。霊的な実力が必要なのです。ですから、祈祷をたくさんしなければなりません。

 祈祷の時間をたくさんもつことができなかったとしても、私の心情はいつも神様に向けられていなければならないのです。常にそのように生活するようになれば、祈祷の時間をたくさんもたなくても構わないのです。見るものも神様を中心として見て、感じるのも神様を中心として感じて、話すのも神様を中心として語れば良いのです。そうすれば、説教の準備はしなくても説教の題目はいくらでもあり、説教の内容もいくらでもあるのです。(七〇−一七四、一九七四・二・九)

 先生は一九四九年十二月十七日から二十一日までのことは、生涯忘れることができません。毎年その日になれば、私一人で神様の前で祈祷します。そのときはどのような期間だったでしょうか。北韓の共産統治下の監獄にいたときだったのですが、六・二五動乱が起こるいちばんの峠に向かうときでした。そのときに共産党の人たちは、監獄にいる人々を殺すように言いました。

 そのとき、何を配給したのかというと、監獄に入っている人々にはトウモロコシご飯と、燕麦という咸境道にある麦ご飯のようなものと、それから豆粕のようなものです。それは殺すこともできずに食べさせていたものでした。ところで、十二月十七日から二十一日までの期間は、どのような時でしたか? 皆さん、そばがあるでしょう? そのそばも三分の二しかひいていないのです。半分ほどしかひいていないのです。そのようなものを配給して、それで食事を解決していました。

 それを最初の日に食べたのですが、体が腫れるのです。そば飯を食べさえすれば腫れるのです。ところが、だれもがおなかがすいているので、ただぐいと飲み込んでしまい、皆、病気になったのです。先生はそれをあらかじめ知っていました。それで他の人たちよりも三倍もゆっくり食べたのです。すべて一つ一つ皮をむいて食べたのです。そのようにそばを一粒ずつむきながら食べたそのときのことが生涯忘れられません。(六八−八〇、一九七五・五・四)

 先生が監獄から出てくるときに、私の後ろには四人が従ってきました。「先生についていきます」と言うのです。妻も子どももすべて捨ててです。その中に文家の人が一人いました。ですから、文家の中でカインが万人生じた形となりました。ところがその人が家族に連絡をしに行っている間に、私たちは南に下ってくることになり、はぐれてしまいました。彼はカインなので北に残り、私はアベルなので南に下ってくるようになったのです。

 私が北に行けば、その人を探してくるつもりです。死んでいればその墓を尋ねていき、碑石を一つ建ててあげなければというのが先生の思いです。「あなたの精誠が途絶えなかったとすれば、今後私たちが会う日が来るだろう」と思っています。先生は父と母のためには祈祷しませんが、今でも彼のためには祈祷しています。これはすべて偶然ではありません。(六〇−二三六、一九七二・八・一七)

 避難しているときのことで、一つ忘れられないことがあります。そのときは、私が北の監獄から出てきたばかりで、髪の毛も短く、暮らし向きも良くありませんでした。つむぎのズボンと上着が真っ黒だったので、いちばん上の部分ははがしてしまい、国防色に染められた内側を外に出すようにして、ひっくり返して着ていました。つむぎの上着は二か月間も着ていたので、あぶら垢が付き、雨が降るとその滴がささっと流れていくのです。そのように哀れな乞食のようになって釜山に到着しました。

 そのときの釜山の道は一本道だったので、国中の人たちに会うことができました。一週間ほど行き来するだけで、すべて会うことができたのです。そのようにして釜山に到着して、ひっそりと寂しい思いをしているとき、その一本道を歩いていて、故郷の友人といえば友人と言える万人の人と会ったのですが、その人が一万ウォンを私にくれました。

 ところが気分の悪いことがありました。私は、「返してあげよう。そのときになれば数千倍にして返してあげよう」と考えているのに、その数年後に、その人の妻がこの統一教会を尋ねてきました。そのときは統一教会の文先生になるとは思いませんでした。自分の故郷の知り合いの人だと思っていたのに、過ぎてみると統一教会の文先生になっていたというのです。自分たちより上を行っていたというのです。

 すると、その妻が来て、「かつてうちの夫が文先生をこれくらい助けてあげたから、今は私たちを助けてくれないと」と言うのです。それで、私は非常に気分を害しました。私はあなたたちの子どもたちに手厚く報いようという心を抱いて、祈祷しながら、もう一度会えることを願っていたのに、このように邪悪に現れるのかと思いました。どれほど気分が悪かったかしれません。いっそそのまま死んだなら福となりうるのではないかというのです。その人にとってはそうだったのです。

 ですから、私は会ってもあげませんでした。そのとき、一万ウォンをもらったので、その利子まで計算して早くあげて追い払ってしまいなさいと言いました。そうしてから、どれほど気分が悪かったかしれません。私が一生の間、恋しがり、善であると賛美しうるその基準、避難していた時期にいちばん刺激的だった標的がばっさりへし祈られたのですから、どれほど気分が悪かったかしれません。(四九−七三、一九七一・一〇・三)

 皆さんが良い家を見れば、最も苦労した人にそれ以上に良い家を作ってやろうと思わなければなりません。私がそれ以上良い家で暮らそうと考えてはなりません。あるいは、通り過ぎる良い車を見れば、神様のために苦労した人をそれ以上良い車に乗せてあげようという心をもたなければなりません。そのような思想をもつべきだというのです。

 そのように悪なる世界のすべてのものよりも、より価値あるもので立てようという恋しさに徹して生きようというのが、統一教会の伝統的な思想であることを知らなければなりません。自分か良い家を建てて豊かな暮らしをしていると自慢するためではなく、内外において暮らしに窮することのない基盤を築いておいて、安息の基盤を整えようというのが皆さんを指導している師の行く道であるということを知らなければなりません。そのように自分のすることを果たしつつあるというのです。

 統一教会の文先生は、野望を抱いてそう言うのではありません。文先生は百度千度滅びても構わないというのです。しかし先生は、神様の希望は滅びてはならないので、私も滅びることができないというのです。このような思想をもった人がいないことを知っているので、先生は死のうにも死ぬことができないと心に誓う生涯路程を走っているのです。それを皆さんは知らなければなりません。神様の前に借りをつくらず、皆さんの前に借りをつくらないために昼夜祈祷している人であることを知らなければなりません。(五一−四七、一九七一・一一・四)

 神様は先生を愛されているようです。ですから西洋の霊通人たちも統一教会の文先生を証して、東洋の霊通人たちも先生を証しているわけです。先生はそのような人です。先生は公的な立場で借りをつくるまいとするのです。神様の同情を受けることのできることをなすのです。

 空腹なときに食膳のご飯を見て、「ああ、おなかがすいた」と言ってぱくぱく食べてはならないというのです。そのようなときであるほど慎重でなければなりません。そのようなときであるほど、私よりも苦労した人を考えて、彼のために祈祷してあげて、祝福してあげることができなければならないのです。そうすれば、神様はその数百倍の祝福をしてくださり、私の子どもまで食べさせてくださるというのです。(六八−七八、一九七三・七・二三)

 他人が精誠を尽くした物は、精誠で受け取らなければなりません。何であれ、受け取る人は、与えた人が精誠を尽くした以上の精誠を尽くして代価を支払った後に受け取らなければなりません。先生もそのような物はむやみに扱わないのです。

 その人が精誠を尽くして千里万里の道を遠いとは思わずに訪ねてきて、くれたリンゴなのに、直ちにリンゴを取って食べることはできないのです。十ウォンの物のように扱うことはできず、百ウォンの物のように扱うことはできないのです。必ずそれを食べるときには、その人の精誠に違わないように、神様の愛によって祈祷してあげてから食べなければなりません。(六八−六九、一九七三・七・二三)

 かつて何とかという医師がいたでしょう? 頭をぼうず刈りにした人がいたでしょう? その人は千日祈祷をして統一教会を訪ねてきた人です。先生はそのような人に対して、「おお! 私が統一教会の文先生だ!」と言って、威張って現れるようなことはしませんでした。彼が功を尽くしたすべてのことを歓迎する意味で、全面的に迎えてあげたのです。

 そのときまで彼が築いてきた道の価値ほどに接してあげなければならない責任が先生にはあるのです。神様にとっても、この地上の人間に対して、その人が苦労した分、接してあげなければならない責任があるのです。(六〇−二九五、一九七二・八・一八)

 先生は一言を失敗して三週間祈祷したことがあります。言葉一つを過って三週間、昼に夜に祈祷をして清算しました。言葉一つを過ったからです。

 人間始祖が犯した一瞬の失敗に,よって、六千年の歴史がすべて巻き込まれたではないですか。またアブラハムが一度失敗したことで、人類の歴史が台なしになりました。それと同じです。責任者の一言の失敗がそのように恐ろしいということを私はよく知っています。それゆえ、原則から外れることは、死んでもできません。(五六−五六、一九七二・五・一○)

 この数年間に私の心に衝撃を与えた人が何人かいます。ぽんと飛び出してくる言葉が、「こいつ…!」このような心が発動するようになります。これが私の心だったのか、これが神様の心だったのか?

 今でも何度か祈祷してみればすべて分かります。神様の心ならば、直ちに分かるというのです。先生が祈祷しようとすれば真っ暗になるのです。名前まで忘れ、顔まで忘れてしまうのです。一度か二度祈祷してみると、「ああ、この人は長くないな」ということが直ちに分かります。

 私は今までそのような戦いをしながら、怨讐の名前を呼んで、「神様、この怨讐を解決してくださいませ」という祈祷をしたことかありません。その人が最後になって来るまでは、私がその息子、娘を呼んで菓子でも買って送ろうとしたのです。

 世の中でも死刑囚が刑場に出るようになるときは、しっかり食べさせてあげるでしょう? 世の中でもそうではないかというのです。同じように祭祀のやり方がそうだというのです。神様に祭祀を捧げるときに、そのような人に最高の贈り物を与えることのできる大きな度量がなくては滅びるのです。(四六−四五、一九七一・七・一八)

 私白身も私を恐れます。あるときは、一言口にしたらそれがそのまま実現します。またあるときは、先生が祈祷しようと思っていたのとは反対の言葉が出るときがあります。そのようなときは、歯をくいしばって祈祷をしません。祈祷すれば、そのようになるのにどうしますか? 皆さんが知らないそのような何かがあるので、私が先生の立場に立っているのです。(三三−一一三、一九七〇・八・九)






























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