文鮮明先生のみ言集
訓教経(上)


密使と祖国

一九七〇年二月十六日
韓国・統一産業寄宿舎の講堂 『文鮮明先生み言選集第二十九巻


 人類歴史の発展において、新しい歴史は現実に安住しては成すことができないということを私たちは知っています。既存世界の思潮や風潮に合わせた立場では、新しい革命運動が起きないからです。

 したがって、既存世界の思潮や風潮を完全に否定した立場で、新しい未来に対する望みをもって実績を備えてこそ、新しい発展について語ることができます。歴史過程を探ってみるとき、このような事実は誰も否定することはできないのです。

◆復帰摂理歴史と天の密使

 今日この堕落した世界の歴史発展がそうであるように、神様の摂理路程も同様です。この摂理路程は、サタン世界と方向が同じで内容が通じる立場ではなく、方向も内容もすべて反対です。こういう立場から見るとき、新しい基点と、新しい体制を備えて影響を及ぼし得る環境を再建するのは、どれだけ難しいことでしょうか。

 歴史を経て、影響を及ぼすことのできるある一基準を成すまでには、表すことができない内的な闘争の時期があります。その内的な闘争が、時代的なすべての要人と、国家の為政者たちの前に影響を及ぼすことのできる基盤をもつようになるとき、その国家全体を新しい分野で革新することができます。もし狭い範囲に影響を及ぼすようになるならば、一つの村ができるでしょうし、一つの家庭もできるでしょうし、さらには一つの個人もできることでしょう。

 復帰摂理について見るとき、今まで神様がこのような革新運動を悪の世界に提示しましたが、その影響が社会と国家にすぐに及んだことはありませんでした。いつも個人がまずその影響を受け、そのあとに家庭を糾合する運動をして、今まで歴史を発展させてきました。これが今日摂理史において、個人が歩んでいかなければならない伝統的な路程です。

 このように個人を通じて家庭から氏族、宗族、民族、国家、世界基準まで達した宗教世界を見てみると、どんな宗教でも闘争の歴史をつづってきたということを知ることができます。

 そのような歴史をつづってくるのに、公然と現れて戦ったのではなく、自分自身を隠しながら環境に追われたり、または制約された環境を抜け出すことができない立場で発展的な要因を利用できないまま、一つの公的な姿勢を備えてきました。

 このような事実を考えるとき、責任を担った摂理的な責任者の立場は、いつも自由な体ではないのです。自分を表すことのできる立場になく、自己主張できる立場になく、自分の行動をむやみにできる立場にないというのです。

 自分本来のすべての行動の要件を隠して、その社会環境と対する人々の前に、現実の社会環境よりもより有益な与件を新しく提示しなければなりません。その人々と何としてでも関係を結んで、心が通じる立場に立って、自分の本心と連結させて発展してきたのが復帰摂理歴史路程です。

 過去の歴史的な先祖を顧みると、彼らはどんな時でも密使の立場、すなわち、自分の正体を現すことができずに隠す立場にいました。そういう環境で、自らの踏み台を開拓するために限りなく努力していった人々です。

 今日サタンがこの世界を占領して、数多くの主権国家をもっている舞台の前に、この国家と世界を洗いざらい天のものとして転覆させようというのが神様の復帰摂理であり、救いの摂理です。ですから、このような摂理の志をもった一つの姿が現れるたびに、いかなる国家、いかなる社会でも反対せざるを得ない立場に立つようになるのです。

 ですから、反対される立場に立った人、言い換えれば摂理に責任を負って立つ人は、いつも密使のような心情でした。そのような人は神様から怨 讐の国家に派遣された密使、すなわちその国の主権に責任をもち、その主権が向かうことのできる運命を勝負づける密使の使命をしてきたというのです。

 ローマに入っていったキリスト教も、やはりそういう歴史過程をたどってきました。個人的な密使の行動が、家庭的範囲、氏族的範囲、民族的範囲として提示されるようになるとき、これがその社会において新しい革命ののろしになり、新しい国家を成し遂げ得たのを、歴史を通じて知ることができます。

 今まで宗教自体が発展するためには、その背後に密使の責任が大きかったことを知ることができます。怨讐の国家に派遣された密使の使命を成し遂げるために、そこに天の側の氏族を残していった人々は、その時代において天の前に責任を全うした人であり、そうでない人々は天の前に責任を全うできなかった人だというのです。

◆密使の苦衷

 私たちも神様の復帰摂理の全体的な責任を担った立場で、やはり同様の運命の道を歩んできました。またそういう責任を提示して、その全体に責任を負った先生自身も同様でした。大韓民国という基台の上に生まれて、同じ倍逹民族(注:上古時代の韓国の称)として生まれましたが、この国、この民族の信任を受ける立場で出発することができませんでした。正に孤独な立場で、自らの内的なすべての事情を隠して社会活動をしてきたのです。

 天が作戦を立てて展開していくにおいて、苦衷となる環境を克服し、自分の踏み台を発展させられないならば、祖国の運命を分ける大きな責任を完遂することができないのです。それゆえ祖国のための大きな使命に臨むたびに、密使の使命を帯びた自分個人の態度と行動が深刻であらざるを得ないのです。

 例えば、一つの国にスパイが派遣されるためには、まずスパイ生活をするための訓練を受けなければなりません。では、訓練を受けるときに、まず何を習得しなければならないのでしょうか。そこでのすべての風習を習得しなければなりません。そこでの言葉と生活方式を身につけなければなりません。彼らがそこでの生活にどれくらい良く適応するかによって、自分の生死の問題が左右される運命がかかっているのです。

 ですから、生活環境からすべての専門的な分野まで、吸収できる自分をどうやってつくるかということが、スパイ訓練の原理となっています。言葉や生活習慣で、少しでもぎこちなかったり、おかしいと見られる面があってはいけません。平凡で普遍的な環境を、そのまま自分の生活の中で表現化して暮らさなければならないのです。

 自分たちの風習があり、生活習慣があり、社会的な制度があるために、そのようなことが我知らずある環境で現れることもあります。それにもかかわらず、これらすべてのものを取り除いて、他の国の人、または他の地方の人として行動するということが、どれだけ難しいでしょうか。二重三重の神経を遣わなければなりません。一度行動するとき、また一言話すにおいても、必ず二度、三番考えて注意してしなければならないのが、スパイの立場です。

 もし、その行動や口調が人より少し違うとか、生活習慣が少し違うというときは、それが自分の正体がばれる一つの糸口になります。このように、自分が生きてきた生活環境と違う所で生きなければならないのが、スパイの生活です。そういう生活をしようとすれば、内的な面においてどれほど苦衷が大きいでしょうか。またそのような生活に染まるためには、どれほど多くの訓練をしなければならないでしょうか。こういう生活を、私たちもしてきたのです。

 今日地方にいる先生に従う責任者は、今は少し良い立場にいますが、昔の草創期にはそれこそスパイのようで、特命を受けた密使のような立場で生活をしなければなりませんでした。では、そういう生活をするためにはどうすればいいでしょうか。自己主張をし、その地方の全体に適用しようという態度をもってはならないのです。

 こういう環境ですべての犠牲の代価をみな支払い、今に及んでは、大韓民国の為政者にも認められる基盤を立てるようになりました。このような基盤を立てるまで、皆さん自身はよく知らないでしょうが、全体に責任を負った先生には限りない苦衷がありました。中央で全体に責任を負った先生は、密使の使命の基準を超えることができない生活の枠の中で、戦いを展開してきたのです。

 今や、この国を神様のみ旨の前に立てなければならず、神様が願われる祖国の主権を取り戻さなければなりません。新しい人類の祖国の主権を取り戻さなければなりません。こういう意味で私たちの責任遂行を前にして、冷徹に批判してみると、今まで私たちがつづってきた生活態度は、どのような意味の生活であったかを反省してみざるを得ません。

◆祖国の主権回復のためにもつべき信念

 天の密使としての使命を担いましたか、それとも特使の使命を担いましたか。悪の世界だということを忘れてしまって、その国全体を代表した特使の任務に責任を負うかのように、今まで私たちが勝手に行動してきたがゆえに、ここで言うに言えない犠牲の代価を支払ったのです。

 これから大韓民国の全地域を中心として、アジアまで及ぶことのできる摂理のみ旨を発展させていくために、どうればいいでしょうか。これもまた、表すことができない密使の使命を帯びた責任の道を経なくてはならないのです。今後進んでいく道において、このように極めて難しい問題が横たわっているということを私たちは知らなければなりません。

 ではどのように備えて、どのように解決するのでしょうか。私自身がその社会で生活し得る人格をどのように備えるのでしょうか。ある一つの新しい使命を担ったことが問題ではなく、その使命の目的をどのように達成するかが問題なのです。ここに解決点があります。ですから、どんなに大きい使命と責任を引き受けたとしても、その責任の遂行が前後左右に及んで効果的な結果を結べないときは、使命を担った人たちも批判を受けなければならないのです。

 それで皆さんが今、み旨を中心として覚悟しなければならないこととは、「神様から密使の特命を受けている私の体だ」ということです。それゆえ、自分自身が行動一つ間違うことによってその環境に及ぼす影響は、自分一人だけに限られることでなく、祖国という広大で途方もない内容に連結するという事実を知らなければなりません。

 今日私たち責任者、すなわち核心の要員であり、精鋭の要員だと言える人たちの中で、果たして祖国の主権回復のための天の特使の使命を成すために召命を受けて、担った責任を現地で果たす一存在だと自認できる人たちが、どれくらいいるでしょうか。

◆密使が果たすべき責任と、取るべき生活態度

 皆さんが一地域に責任を負った人ならば、地域自体が今後祖国に代わることのできる一つの母体となれるという信念をもたなければなりません。また、三千里半島にある地域がみななくなって自分の地域一つだけ残っても、ここで国の代わりに祖国の主権回復のための一つの基盤をつくるという信念をもたなければなりません。永遠の世界を成し遂げるために、ここから新しい基盤を立てて、三千里全域に及ぶ栄光の起源をつくるという信念をもって進まなければならないというのです。

 そのためには、密使の使命時代を経なければなりません。密使の使命が完結されるとき、言い換えればその環境で証されて、その環境が自分を信奉し、自分を信じて、自分と相談できる立場に立つようになるとき、初めて天に代わる特使の使命を果たすことができるというのです。しかし、その環境が自分を信じない立場で、自分の権威と自分の国家ならば国家の権威を先立たせて、その環境に出れば出るほど反発が加重されて、排斥の矢が飛んでくることでしょう。

 ですから、皆さんが今後どのような心をもって地域に行かなければならないでしょうか。新しい密使の使命を受けるためにここに召命されたという事実を知って、内的に深く誓わなければなりません。そうして自分の地域に行って、密使の使命を完結しなければなりません。環境を開拓して、自分が絶対的な権限を成し遂げるようになるとき、そこで地域の人たちと共に初めて天の特使の使命を果たすことができるのです。今まで責任者たちが密使の使命時代を忘れて、特使の使命を成そうとしたので、私たちが発展するにおいて多くの迫害を受けてきたのです。

 皆さんを指導している先生も、今も密使のような心をもっています。国家ならば国家の権力の前に信奉される基盤をどのように切り開くのでしょうか。そういう時になってこそ、特使の使命を果たすことができるのです。

 その基盤を切り開くことができず、密使の使命の段階を経ないで行動していては、必ず破綻するようになります。自分の生命はもちろん、自分のすべての前後関係と国家の運命がここに横たわり、全体の前に惨事の結果を避けられないという事実を、いつも念頭において行動しなければならないのです。

 密使の使命を担う過程においては、特使の使命よりもより厳粛で二重三重に心の中で誓いながら、自分の正体がその環境に露出しないように努力しなければならないのです。
 それで彼らの前に利益を与えることのできる一つの条件を提示することによって、彼らが自分の前に順応できる基盤をつくらなければなりません。直接的な作戦よりも、間接的な作戦を起こさなければならないのです。すなわち、個体を検討して連結する戦いをしなければならないというのです。そういう作戦を展開したのちには、彼らを自分と共に生死を分かつことのできる基準まで引き上げなければなりません。そういう立場で自分の信ずるところを打ち明けて、共同の目的を達成することが密使として果たさなければならない責任なのです。

 皆さんは、この民族が私たちを信任しているその基準に満足するのでなく、ここで神様がまだ明かすことができない内的な心情の事情が多いことを知って、これを発展させ、展開しなければならないのです。こういう密使の使命分野を、まだ経ていない私たち自身であるということを忘れてはなりません。

 私たちは、スパイの生活をするように、その環境で一言であっても同化されてはなりません。行動するにおいても同化されてはなりません。時をおいてその環境で、またその部落ならば部落、地域ならば地域など、全体の前に何かを残してあげることができ、利益となる多くの問題を提示する人として認められなければならないのです。密使として責任を負わなければならない使命分野以上の基準を立てなければなりません。そのような立場で命令し、決意し、約束して、新しい運動を展開しなければならないのです。

 では、密使はどのような態度を取らなければならないでしょうか。自分の生死が問題ではありません。密使はいつも生死の脅しを受けており、死がいつもその前をふさいでいます。ですから生死の境界線で死を踏んで越えた立場にいる、神様の代身なのです。三十八度線を越えてみた人は、その気分を知っているかどうか知りませんが、密使は国境線を越えるのと同じような冒険の世界で、死の足場を踏みつけることのできる確固たる生活態度を取らなければならないのです。

 同様に、今日私たちが新しいみ言を伝えるにおいて、み言一つだけを伝えてはなりません。まず人間的な面で手本となり、生活的な面で手本となり、行動的なすべての面で手本とならなければなりません。すなわち、その村で上下関係やすべてに、彼らの前に手本とならなければならないのです。どのような面でも、彼らより劣ってはならないのです。

 彼らが「あの人は我々の村に本当に必要な人だ」と言って、自分が離れようとするとき、すべての部落が一致団結してそのまま住んでくれることを願う基盤をつくらなければなりません。そういう基盤をつくらずには、私たちの立場で目的を成就するということは、大変難しいことなのです。

 皆さんは、そのような生活をしてみましたか。自分が生まれた民族の前で、二年、三年、十年の歳月を一日のように、そういう生活をしてみたかというのです。密使の使命を完遂することで、責任がみな終わるのではありません。その民族や国家において、祖国の目的を達成させるために特命を受けて派遣された人がいるならば、その使命を十年、二十年かかっても達成できないのです。

 また自分の一代においてその使命を果たすことができず、代身者を立てて使命を譲っていかなければならない人もいることでしょう。ですから、このような特命を中心として、いつも気をもみながら、それこそ生きた祭物のような立場で自分の責任を遂行しなければなりません。その責任を展開することができ、収拾することのできる一人の責任者にならずに、密使としての目的を成し遂げるということは不可能だということを知らなければなりません。

 このような観点から見るとき、皆さんは、生活態度や他のすべての面で変わらなければならないのです。

 その部落において誰も責任を負えないことを、当然自分の責任だと思って負うことができなければなりません。その部落に代わって打たれることがあれば、自分が乗り出して打たれるのが、密使として責任を完遂できる一番早い道です。部落のために打たれても死なずに立つとき、部落が全部屈服するようになるのです。

◆祖国の主権回復を迎えるための私たちの姿勢

 今日天のために行く人たちは、派遣された密使です。個々人において大きい小さい、広い狭い、高い低いの差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体は、密使の生活を離れてはならないのです。ここには、いつも生死の脅威が介在しています。まかり間違えば永遠な生命の問題が左右される、こういう立場に置かれるようになるのです。

 それゆえ永遠な生命を支えることができ、永遠な生命を保護してくれる私たちの祖国を探すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ密使の生活をすることができないのです。その祖国の栄光を見つめる心をもって、祖国の恨みを解いたときに、全万民が喜ぶということを考えなければなりません。そして新しい歴史を創建して祖国の主権復帰の一日を迎えるその時に、自らの功労が表れることを考えながら、現在の立場を無視することができなければなりません。

 そのような心が先立たなくては、密使の使命を遂行することができないというのです。言い換えれば、祖国の主権復帰のための望みが現実の望みより千倍、万倍強まる心になってこそ、今日の生命を取り替える恨みがあっても、それを克服して密使の使命を遂行することができるのです。

 万一そのように責任をもちながら不意の事故で犠牲になっても、その場には新しい責任者を再び派遣することができるのです。彼は既に死んだとはいえ、彼の友人になることができ、彼の味方になることのできる人々が生じることでしょう。彼が模範になる立場で生きてきたので、たとえ彼が犠牲になったとしても、そこには彼の味方になることのできる人々が残るのです。

 こういう人たちが残っている限り、神様はその基台の上に代身者を送ることができるのです。しかしそうできない立場で死ぬようになるときには、そこで彼がどんなに苦労したとしても、それで終わるのです。

 こういう立場で皆さんが、これから新しい時代を迎えて、いかなる姿勢を備えなければならないでしょうか。祖国の主権復帰のための信念が、何よりも高く胸の中に燃えなければなりません。

 言い換えれば、六千年間神様が待ち焦がれた祖国を建設する騎手となって、先駆けて立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、この途方もない使命に責任を負った自負心を感じなければなりません。過ぎ去った多くの人たちが手にすることを望みましたが、もとうとしてももつことができなかった、一つしかなく、この一時しかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければならないのです。

 ですから食べて、寝て、行って、来るすべての生活が、祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に派遣された密使として凛々しく、格好良く、「この使命を遂行する」と言って立ち上がってくれることを神様がどれほど待ち焦がれていらっしゃるでしょうか。私たちは国家の足場を備え、全体の内容を提示して、一度も繰り広げることができなかった天のみ旨、祖国を立てることができるという志を立てなければなりません。今までそのみ旨を一度も立てられなかったというのです。

 しかし今は、そういう祖国を建てることができます。その祖国には主権があって、その祖国には国土があって、その祖国には国民がいます。また、そこには単一民族の血統が因縁となっていて、他の民族がもつことのできない歴史があります。このような祖国のために、私たちは密使の使命を遂行しなければならないのです。

 そういう使命を自分自ら早い日時内に完遂すればするほど、祖国の主権復帰の基台が自分によってますます近づくのです。今日、苦労の代価を支払うことが、祖国の主権復帰の一日を近くに迎えることのできる基台になるのです。

 このような事実を考えながら、皆さんは生きて密使の使命を完遂するという決意をしていかなければなりません。そうでなければ、神様が私たちにもたらすことのできる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることができないのです。

◆密使は時を待つことを知らなければ

 今回皆さんが知らなければならないことは、「密使と祖国」という信念です。「密使と祖国」というこの信念をもって戻らなければなりません。一つの村に責任を負えば、その村を早く復帰するために、その村の有志を訪ねなければなりません。それで、どのように影響を及ぼしますか。その人に、今までのどんな友人よりもより貴い友人にならなくては、彼を動かすことができません。その村のために誰よりも心配する立場に立たなければ、その村の責任者を動かせないのです。

 その村の風習を守ることにおいても、その村の誰よりも一番よく知って守らなければなりません。そうでなくては、その村を動かせないのです。けれども一つの境界線を越えることのできる機会が来れば、その時には特使の使命を果たさなければなりません。それこそ権威を備えて道理を問いただしながら、善し悪しを判断して、正しいことを彼らの前に認識させる使命を果たさなければなりません。

 今日私たちがこういう生活ができなかったので、私たちが過ごしてきた過程に副作用が多かったのです。副作用が多かったにもかかわらず、今日このように発展することができたのは、神様が密使の使命を代行してくださったためだという事実を知らなければなりません。

 自分一人の過ちによって霊界が動員されて協助するようになれば、絶対良い結果をもたらしてくれません。神様が協助すれば、必ずサタン世界に蕩減の内容が残るようになるのです。神様が協助することが、今日摂理の途上に現れた恩恵の歴史だということを皆さんは知らなければなりません。

 ですから皆さんがこの重大な責任を果たせないときは、皆さんの代わりに神様が何倍もの蕩減条件を立てて、皆さんをして密使の使命を完結し、その環境を収拾するようにするために、祭物の役事を成しているという事実を忘れてはなりません。

 現在の皆さんを見れば、自分という観念が先んじています。それは密使が取るべき立場ではありません。密使は、自分が現れないかと、恐れて用心しなければならないのです。私の計画が一〇〇パーセント現れることのできる環境にならなかったにもかかわらず、計画が現れることを恐れない人には生命の脅しが迫るのです。

 こういう問題について考えると、皆さんに付与されたことが祖国のための密使の使命ではなく、自分が成功するための使命だと思っているならば、皆さんは滅びるのです。このような観念を皆さんが感じて、皆さんの血に、皆さんの肉に刻まなければなりません。先生は、現れることを嫌います。なぜですか。まだ越えなければならない峠が幾重にも重なり残っていて、歴史上で最後の峠を越えることができずに死んだ先祖がいることを知っているからです。

 黙って自分自ら心的基盤に深い根を下ろして、春を待たなければなりません。春が来れば一斉に生い茂って育つことのできる根深い生の価値のために、また自らの力量をみ旨に導入させるために、何よりも時間を投入し、努力を投入しなければなりません。

 そうせずに自身が現れることを望むことは、あたかも根がない木と同じです。根がなく植えられた木は、そのまま枯れてしまうのです。このような問題を中心として、皆さんは再度自分を分析し、批判しなければならないのです。

◆密使が行くべき道

 あなた方が責任者として仕事をするようになるとき、責任者の権限をもってむやみに「ああしろこうしろ」と言えば、多くの人の批判を受けるようになるのです。そのような批判の矢をどのようにして避けるのでしょうか。これが、ある役職を受け持っている責任者においては、一番先に超越しなければならない重大な問題なのです。その瞬間にも密使の使命を果たさなければならないのです。言い換えれば、その時には自分の正体を現さず、もみ消さなければならないのです。

 ですから自分が関係していて、対している環境において、不快でも、相手に不快な印象を与えてはいけません。その人が、いつ怨 讐になるか分かりません。怨讐になり得る人とは親しくしなければなりません。親しくなるためには、お金が問題ではありません。お金と私の生命を替えることができますか。何をくれるといっても、生命と替えることができないのです。生命を保護するための囲いをつくらなければなりません。

 そのためには、楽に座って人に使いをさせながら、私を表に出しては絶対にいけません。密使の使命、それ自体が重要です。本然の生活態度でその環境に一〇〇パーセント適応して、一〇〇パーセント以上の姿を備えて、彼らの前に中心的な態度を見せることができるかどうかが問題です。そうしようとするならば、食べることにおいても人より良く食べてはなりなせん。着ることにおいても人より良く着てはなりません。住むことにおいても人より良く住んではならないというのです。
 

 皆さんは、その村の人たちがみな外的にうらやむほどに良く暮らしては、その環境に適応することができないのです。特権階級とは連結されるかもしれませんが、どん底から全体が皆さんに順応はしないのです。怨讐は上下高低を問わずどこでも現れるので、特権階級とだけ連結してはいけません。全体が怨讐であるので全体に適応することのできる立場に立って、防備態勢を備えることのできる生活態度を取らなければならないのです。

 自分のために生きることは、その時は良いようですが、滅びるのです。しかし密使の使命を果たすことは滅びるようですが、必ず天の主権が彼と共に成すために滅びることがないのです。密使が行く道は、天の主権の直接的な命令を受けて行く道ですが、そのような行動圏を外れるようになるときにはサタンの支配を受けるようになります。このようにサタンの支配を受けるようになるときには、神様が願われる祖国の権威をもって現れることができないのです。

 世の中でもそうです。一般的な国や、その国民の前においても同様です。良く暮らす位置を中心として、自らの権威の意識と自己主張を表に出す立場に立つようになれば、必ずその周囲から打たれるようになります。けれども自分を現さないで彼らのために歩調を合わせて、純利的な環境で彼らの前に利益をもたらすことのできる何かを残してあげるようになれば、「来るな」と言ってもついてくるようになるのです。密使が行かなければならない道が、正にこのような道です。

 その国とその村の風習を中心として、私がそこに何の利益を与えるのでしょうか。どのように利益を与えることのできる私となるのでしょうか。またその村の責任者の前に、私が何をもって利益を与えることができるのでしょうか。そのような部落を指導している責任者の前に一番近い者として、利益を与えることができる、ある形態を備えて現れなければならないというのです。

◆新しい命令によって新しく決意せよ
 今日、私たちはこのような道を切り開いてきています。先生が今まで指導する目的も、そこにあります。何でも、この国に対して利益を与えることのできる者になりなさいというのです。ですから私たちが必ず利益を与えることができて、利益になると彼らが認める立場にさえ立つようになれば、彼らを私たちが取ることができるようになるのです。

 そして、私たちが本当に間違えば頭を下げなければならず、また良くしても頭を上げずに黙っていなければならないのです。このようになれば、彼らは自然に私たちの味方になることでしょう。村でも同様です。その村に善良な人がいれば、誰が何といっても、村人たちはその人の肩をもつのです。村の人たちが彼を認めて、肩入れをしてくれるのです。

 このように、すべての人々が私たちの味方になることのできる環境を、どのように収拾し得るかという問題は、私たちが密使の立場を中心に、環境をどのように改善させていくかにかかっています。ですから、そのような生活態度が絶対的に必要だということを知らなければなりません。

 今や皆さんは、新しい密使なのです。神様から新しい命令を受けて、新しい世界の前に立った皆さんです。これから皆さんは深刻でなければなりません。威信をもって村の人たちに対してはなりません。皆さんの生死の問題が掛かっており、今までの世界の問題が掛かっているのです。

 ですから、深刻な心で新しい運命と共に私の基盤を固めて、密使の任務を全うしなければなりません。サタン世界に、崩れることのない基盤を固めるために、自分の身の振り方に気をつけなければならないのです。それにもかかわらず、昔のままの習慣で、新しい命令などしようがしまいが私のしたいとおりにするという心では、神様のみ旨を成し遂げることはできません。

 新しい服と古い服は違います。新しい命令と昔の命令は違うのです。新しい現在の視点と過去の視点はお互いに違うのです。過去の段階と現在の段階とは大きく違うのです。これが発展的な段階だというのです。新しい自覚と新しい気分と新しい決意で、新しい環境の基盤を備えずには、新しいみ旨を成し遂げることができないのです。

 摂理の段階も、一段階、二段階、三段階というように段階的に上がっていきます。それゆえ皆さんは次の段階に上がっていくために、自ら実践することができるという心をもたなければなりません。そうして実践したことが環境に適応するようになるとき、どのように成果として収め得る個体になるかということが問題になるのです。

 こういう問題を見てみると、皆さんはまだよく知らずにいます。十年前に入るときの心も現在の心も、先生に対し神様に対することにおいて同じだというのです。今の心がその時の心より劣るようになれば、押し出されるようになるのです。

 今まで神様が復帰してこられた過程には、天の秩序や礼儀礼法など、すべてが加重されてきています。加重されたこういう時代圏に自分が立っているにもかかわらず、昔世間知らずだった時の心よりもっと劣る心をもっていいでしょうか。部落での密使の使命と、道での密使の使命は違います。事情が違うというのです。また、一つの国の主権を中心として密使の責任を成すときにも違うのです。過去のような能力をもっては成せないというのです。

 ですから、新しい命令と新しい指示があるときには、その命令に従って自分の生命を投入し、再出発をしなければなりません。過去にしたその基盤をもっては成せません。再投入をしなければならないのです。皆さんは昔は失敗して追い出された立場でしたが、今は歓迎される立場にいます。これから特使の使命を遂行するようになれば、そこから神様のみ旨の横的な進展を見ることができるのです。そうでなければ、私たちは発展することができません。

 このような受難の道、退屈な道を内的に苦労していくのが密使の生活です。そのような生活は、誰もができるのではありません。天気が晴れても心配し、曇っても心配し、雨が降り、雪が降って季節が変わっても心配だというのです。

 村の犬の吠え声一つにも、自分の生死の問題を中心として考えなければなりません。もしも自分の家の玄関を尋ねる人がいれば、その一人のために自分の生命を張る生活をしなければならないのです。汗を求める生活をしなければなりません。このようにすべての問題を、自分の生死の問題と結びつけた立場で考えなければならないのです。

◆密使の内的生活

 それが、特使や密使の使命に責任を負った人たちの内的な生活です。誰も体験できない内的な生活なのです。他の見方をすれば、死刑を宣告された死刑囚が、死の時がいつ来るか分からずにすべての触覚を鋭く逆立てて、外から聞こえてくる声が、ひょっとして刑を執行するために自分を呼ぶ声ではないかと、脅威を感じながら生きるのと同じです。ただ東西南北に行動できるだけで、それ自体は一つの監獄生活と同じだということを皆さんは知らなければなりません。

 先生はこのような使命を中心として、今まで流れてきた日々を一時も忘れることができません。どこに行くときにも、目的地を言わないのが習慣になりました。気を遣うようになるのです。なぜでしょうか。怨 讐がいつもねらっているためです。

 このような闘いの歴史を経て、世界が認めることのできる現在の立場まで引き上げておきました。これはただできたのではありません。ここには数多くの事情があり、生死の峠を越えながら闘ってきた基台があったためです。すべてを天ものとして譲り、譲ったものが積みに積まれて今の実績に至ったのです。このような事実を知るようになるとき、皆さんの責任と使命は重いのです。

 今まで六千年の復帰摂理歴史では、数多くの事情とともに先知先烈たちが犠牲になっていきました。このように血の祭壇を連結させてきたものを、この瞬間に恨みを晴らすことができるのでしょうか。それとも、恨みをもっと積もらせるのでしょうか。このような問題を扱っている深刻な立場に、私たちがいるのです。ですから、神様が同情することのできる心の姿勢、神様が同情することのできる生活姿勢、神様が同情することのできる公平で義理固い姿勢を備えなければならないということを、皆さんは知らなければなりません。

 密使は、いつも祖国のために生きる人です。本然の主権者が神様であられるので、「お父様、これからこのようにしていてください」という生活、それ自体とならなければなりません。私たちはこれからどうなるか分からない立場にあるので、私が死んでも父と共に死に、追い込まれても父と共に追い込まれ、追われても父と共に追われ、戦っても父と共に戦うという心が、密使の生活圏内から離れてはならないのです。

 秘密があれば、心を整理してその主権者の前に報告しなければならない責任を負っている人が、密使です。それゆえ、そのような心をもっていくところにおいて、死の道を十峠越えたとするならば、十峠以上の実を結ばなければなりません。実を結ぶことができないときは、神様の前に裏切り者になるのです。

 北朝鮮で教育を受けて韓国に下りてきたスパイたちが、韓国の実情を見てもなぜ自首できないのでしょうか。その背後には他人には分からない密使の生活の中で、今自分が生きている韓国の生活より何百倍も熾烈な難しい峠を克服して越えたものがあるために、環境的な現実は問題とならないのです。それで彼らは自首しないで、再び北に越えていくのです。

 神様は、どのような方でしょうか。神様は密使の大王です。祖国の主権復帰のために、サタン世界に現れる密使の大王であり、総司令官です。では、そういう神様がこの地に対して「私が神様であり、私が教える真理はこれだ」と、六千年の間に一度でも主張したことがあったでしょうか。なかったのです。

 けれども神様は、私たちの澄んだ良心を通じて指示し、因縁を結ぶために苦労してこられました。私たちの心の土台を広めて、一致化することのできる自由な世界へ導き出してきたのが六千年の復帰摂理歴史です。

 このようなことにすべて責任を負ってこの地に来られる神様の息子に、密使の使命を外的、内的に連結させなければならない使命があるために、外的にぶつかる怨 讐のような環境の難しさは、内的な面において神様と一致することのできる刺激的な内容になるのです。

 難しい環境が分立させるのでなく、むしろ密接な内容で一つになるようにするのです。それゆえ、そういう所には必ず神様が現れ祝福して、神様が共に戦ってくださるという事実を認めざるを得ないのです。

◆祖国の主権復帰の責任を遂行する自分になれ

 皆さんがこのようなことを実感して、責任を遂行するために誓いを立て、新しい旗手になると固く誓って立ち上がるとき、大韓民国は私たちの懐に入ることでしょう。

 それゆえ、きらきら輝く目つきをもったなら、その目つきは栄光の祖国を直視する目つきと化さなければなりません。才能と力があるならば、これを祖国の主権復帰のために使うことのできる勇士となって、皆さん自身が堂々とした姿で祖国の主権復帰のために、聖別された責任者の代身をするという信念を感じながら行くことができなければなりません。

 皆さんは祖国を立てて、祖国を輝かせて、祖国と共に生き、祖国の中で死ぬことのできる自分にならなければなりません。今まで天の前に誰も責任を負うことができなかったし、一時に一度しかできない、この厳粛な責任をおろそかにしてはなりません。一度聞いて十通りを考えて、一度聞いたことをもって十通り以上と比較しながら出ていかなければなりません。

 天の運勢をここに表すためには、自分が千回恥をかいたとしてもそれを気にせず、または百回の死の道があるとしても、それを気にしないで行くという信念をもって出ていくようになるとき、神様が皆さんの行く道を守ってくださるのです。なぜなら、先生が今まで歩んできた生活の中で、どのような時にも神様は私を捨てなかったことを体験したので、皆さんも神様が保護してくださるに間違いないというのです。

 それゆえ、祖国の主権復帰のための一つの主体的な使命者として、自分が引き受けた一つの道(注:韓国行政区の一つ)であれば道、一つの部落ならば部落で、この責任を遂行する人は自分しかいないという信念をもって、絶対に退いてはなりません。ここで裏切り者となってはいけません。天命にかなう責任を果たすことができなくてもいけません。責任の裏道にいては、この道を越えていくことができないのです。

 寝ることができなくてもしなければならず、食べることができなくてもしなければならず、追われながらもしなければならず、死ぬとしても決定を下して死ななければなりません。皆さんが、このような決定的な使命を成し遂げると新たに決心して立つようになるとき、皆さんの行く道は当然開かれるのです。

 しかしそうでなくなるときは、先生が皆さんを前面に立てて信じて見つめた希望の世界、光明の世界がかえって闇の世界となるのです。先生はこのような問題を心配しています。それで皆さんの前に、この時間に残してあげようとするのが「密使と祖国」という問題です。

 神様が、この国を訪ねてきたその目的を達成して、すべての民族が国を挙げて御自身の名前を称賛しながら栄光の一日を万世に誇ることのできる時とはいつでしょうか。この使命を失わず、これを求めることが私の生涯の目的だと誓いながら行くことのできる皆さんとなる時に、皆さんの将来に祖国の主権復帰の希望の日が迫ることでしょう。そうできないときは、皆さんの前に受難の道が来るようになります。また、皆さんが責任を負えないことによって、その結果がこの民族の前に引き渡されるようになるということを知らなければなりません。

 密使は、その姿が良いからなるのではありません。また、能力があるからなるのではありません。密使の使命は、神様と心情が一致した立場に立って、その国の風俗を正しく立てると同時に、絶対的に忠誠を立てて、その環境を収拾しなければならないのです。

 これをする日には、天の主権者である神様の直接的な命令を受けた代行者の立場に立つことができるのです。そのようになれば、神様が責任を負わざるを得ないというのです。

 皆さんが密使の責任を負うようになれば、そのことは必ず成し遂げられるということを先生は、長年の体験を通して知っています。皆さんもこのような生活をしていくことを願うので、きょう「密使と祖国」という題目で少しの間お話ししました。

















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