文鮮明先生のみ言集
訓教経(下)


模範生活

一九八四年五月四日
アメリカ・ニューヨークのイースト・ガーデン 『文鮮明先生み言選集第百三十一巻』


◆一 生活の模範

 皆さんは、模範的な生活をしなければなりません。

◆ 1 主食

 食事を作る人を見てみると、必要以上に作っては、さっと捨ててしまいますが、それではいけません。食べる量に合わせて、作らなければなりません。二人いれば、二人が食べる分だけ作って、残さないように準備しなさい。浪費が多いのです。また、いつでも食べています。可能な限り、御飯も食べる時間にだけ食べ、それ以外は食べないようにしなければなりません。飲み物は仕方がありませんが、それ以外のものは、そのようにしなければなりません。そのようにして、少しでも節約しながら外国を援助し、周囲の人々を助ける運動を、生活化していかなければなりません。それが必要です。

◆ 2 副食

 主食の次は副食です。韓国ではおかずに当たるのですが、デザートも副食に入り、果物も入ります。

 浪費してはいけません。皆さんは副食にする物を買ってきて、冷蔵庫に入れて、いつとはなしに出し入れしていますが、それではいけないのです。食べるべき時にだけ食べなければなりません。食べる時以外に食べる習慣は、捨てなければなりません。それは健康にも悪いのです。

 また、りんごや何かを食べる時に、道を歩きながら食べることを、先生は好みません。動物でさえ、歩きながら食べることはありません。一つの場所で、全部食べてからその場を離れるのであって、歩きながら食べる動物がどこにいますか。まして万物の霊長である人間が、そのようにしていいでしょうか。鷲が飛びながら食べますか、鳥が飛びながら食べますか。

 ところが西欧社会では、人込みの中でもそのように食べているのです。東洋社会では、そうではありません。食べる時に食べて、それ以外の時は、おなかがすいても食べないのです。このような訓練をすることは、健康にも良く、長寿の秘訣なのです。

 朝食も、おいしく食べるのです。昼食もおいしく食べて、夕食もおいしく食べるのです。二十四時間食べていれば、おいしく食べる時がありますか。何がおいしいのかというのです。習慣的にそうしていれば、健康にも極めて悪いのです。こういうことを、先生が教えてあげなければならないのです。

 先生は、デザートや、果物などを出されても食べません。わざと食べないのです。ですから、みなしわしわになれば持っていって、また別の物を持ってくるのです。それでも、見ることはあっても、食べないのです。私は、そのようにしています。バナナも真っ黒になるので、仕方なく持っていきます。そのような時に先生は、アフリカの人たちが飢えて死ぬことを考えるのです。それなのに、どうしてそれをつまんで食べることができるでしょうか。そのようなことを考えるのです。そのような生活が、皆さんにも必要なのです。

 御飯を食べる時に食べて、おなかがいっぱいで果物を食べたくない時には、出されても食べるなというのです。次の時に食べなさい。そして水も、のどが渇いた時に飲むのです。皆さんは飲み物があれば、いつでも取り出して飲んでいます。すべてを水で補充して、しきりに飲んでは小便をするので、また水を使うことになるのです。

 ですから、どれほど国家的に損害になっていることか。そうしてお手洗いに行って、一日に何十回と水を流し、捨てているのです。国民全体が一日に二、三回もよけいに行くので、それだけでもどれほどのお金になるのか、どれほど国家的な損害となっていることか、それを考えないのです。

 こういうことを話していいか分かりませんが、先生は小便をしても、できるだけ水を流さないようにしています。二、三度したあとで、流すようにしています。アフリカの人や、かわいそうな人のことを考えて、国民が一人でも節約して、一日に一ドルずつ集めたとしても、相当な額になるのです。それはすごいことなのです。

 それで、お母様にしかられる時があります。小便をして、なぜ水を流さないのかと。わざと水を流さないで出てきたのに、「ああ、忘れたよ」と答えるのです。一度して、もう一度してから二度目に水を流します。そうかといって、便器が悪くなるものでもありません。

 それを一日に三回ずつでもすれば、何リットルになるのかを一度考えてみなさい。何倍にもなる、すごいことなのです。そのように考えるのです。小便をしたあとに水を流さないからといって、それを謗るよりも、このような建設的な考え方をしなければなりません。朝、小便をしたならば、夕方に水を流してもいいではないかと考えるのです。その代わりに、何日かに一回体をよけいに洗えばいいのです。こうすれば、国家的資源がどれほど節約されるでしょうか。貧しい国よりも世界の豊かな国が、そういうことを奨励すべきではないでしょうか。

 それで先生は、毎日のように入浴するのに賛成しません。それは健康にも良くありません。三日に一回ずつ体を洗うのを原則としています。汗を流したときはやむを得ませんが、毎日ではどれほど多くの水を消耗するでしょうか。それでもいいのですか。良くありません。健康にも悪いのです。

 すると「ああ、先生は野蛮人だ」と言うでしょうが、そう言われてもいいのです。そのように見るならば、エデンの園での神様や、アダムとエバも野蛮人でした。昔、最近のようなお手洗いがありましたか。ちり紙がありましたか。何もなかったのです。ですから、そういうことを感謝して、みなそうしなければなりません。そのようにしてでも、この世界を生かさなければならないのです。

 そのように考えることによって、皆さんが世界のことを、常に考えることのできる人となるので、生活的なことを中心として、こういう思想的な観念をもつことが必要だということを知らなければなりません。

 そのように、あらゆる面で模範とならなければなりません。模範となるべきです。十分に食べて、豊かに暮らすことが模範ではないというのです。それを節制するようにし、どうしても必要な時に、適切に消耗することが模範的生活であるということを、知らなければなりません。

 先生は聖日には主に正装をしますが、服を着るときも、できるだけネクタイをしないで過ごそうとしています。家にいるときは、できるだけ上着を着ないで、セーターのようなものを簡単に着るようにしています。

 ネクタイの値段がどれほどになるのか考えてみなさい。その上、ピンまで合わせれば、それらがどれほどの値になるのかというのです。ネクタイをしなくても世界のことを考えながら一生を生きた人と、ネクタイをしながら世界のことを考えることができずに生きた人が霊界に行けば、どちらが神様の近くに行けるのかを考えてみなさい。

 それで、しまってある古い靴を先生が取り出しては、はたいて履くというような生活をしています。かといって、「先生は悪い人である」と言う人がいるでしょうか。統一教会員たちが、「まあ、それは先生が間違っています」と言えば、そのような統一教会は滅びるのです。このように、世界を考えて生きる生活が貴いのです。

 それで副食は、食事の時にだけ食べなさいというのです。しかし、いつもそうしなさいというのではありません。どうしてもそれが食べたいときは、食べてもかまいません。そうかといって、それが罪になるのではありません。しかし、できるだけそのようにすることが健康にも良く、また習慣にしてしまえば本当に楽だというのです。

 また、精神的に見ても、りんご一個もらって食べようと、みなが冷蔵庫を開いて中を見たり、コーラを一杯飲もうと、行ったり来たりすれば、精神的消耗がどれだけ多いと思いますか。食事の時にだけ食べる習慣が必要なのです。

 男性がそのように食べれば、女性が指導をして健全な方向に導いていくのです。女性がそうであれば、男性が指導をしてあげ、男性がそうであれば女性が指導をして、健全な生活規範を立てるのが良いというのです。

◆ 3 飲料水

 その次には飲料水です。世界で飲料水の種類が一番多い所は、米国です。一日に何本飲むのかということも決めなければなりません。できるだけ決めておかなければなりません。今からは、飲料水を飲むときに、先生のみ言を一度聞いた人は「一度、世界を新たに考えてから飲む」と、こう考えなければなりません。それらは、できるだけ節約しなければなりません。

 お金が流れてしまうということをよく考えなさい。そのようなことを考える必要があるのです。そのようなことを、皆さんが考えなければなりません。そうして世界を考え、後代を考え、未来を考えながら生きていく人は、国が記憶し、世の中が自然に記憶し、天が記憶する人であって、すべてが忘れてしまうような人ではないということを知るべきです。

 そのような観点から見ると、先生の指示は、正しい指示なのです。したがって、水が悪いのなら、水の代わりに飲む飲料水を一つ選んで、それを飲まなければなりません。それは、水の代わりに飲むのです。

◆ 4 環境改善

 皆さんの生活環境を改善しなければなりません。家の中と外を整頓しなければなりません。服を掛けるのも、原理的に掛けなければなりません。男性の服は右側、女性の服は左側です。分かりましたか。服を入れるときは、男性の服は上に入れて、女性の服は下に入れるのです。それが原理的です。そのような訓練が必要です。そうすべきなのです。男性の服をすべて下に入れて、女性の服だけ上に入れるようになれば、それは原理に背くことになるのです。

 服を脱ぐときも、ズボンを先に脱いでから上の服を脱いで、ズボンの上に置くべきであって、上の服を先に置くべきではないのです。そのような訓練をしなければなりません。そのような原理的生活によって、環境を整理できなければなりません。男性の靴は右側、女性の靴は左側、また男性の靴は上に、女性の靴は下に、それらをすべて原理的に整理できなければならないのです。

 女性は服を着るとき、何から先に着るのですか。上から先に着ますか、下から先に着ますか。女性は下から着るのが原則です。原理が下から着るようになっているのです。男性も、もちろんそうです。しかし、男性は時々上の服から先に着てもかまいません。

 なぜでしょうか。男性は本来出っ張っているのです。ですから、着てもその形態が見えるのです。ところが女性は、本来、隠すようになっているのです。それが原理的なのです。皆さんは、そのようなことを知って、生活から整理しなければなりません。原理が生活哲学であるということを知らなければなりません。

 ですから、そのような原理的な基準を中心として、主体、対象という概念を中心に常に考えながら、皆さんが宇宙の秩序に歩調を合わせることのできる生活方式を取るべきだというのです。

 物の種類が二つあるとすれば、どのようなものを右側に置くでしょうか。主体的で値段の高いものを右側に置いて、安いものを左側に置かなければなりません。その次に、大小二つのものを置くときは、大きなものを右側に置いて、小さなものを左側に置かなければなりません。それが原理的です。それは、訓練されなければならないことです。

 これを見ると、中央には大きなものを置かなければならず、周囲には小さなものをいくつか置いて、調和がとれるようにしなければなりません。それで美術作品のようなものも、そのような基準から、すべて均衡がとれていなければならないと見るのです。すべてが、そのようになっているのです。

 それゆえ、木も中心の一つを高くすることによって、それは大きくても、それ以外の多くのものの均衡がとれるようになるのです。すべてがそのようになっています。そのようなことを、すべて自然法とともに、原理法に適用し得る考え方をもたなければなりません。

 女性は服を着るとき、濃い色を上に着て、淡い色の服を下に着るでしょう? 真っ赤な服を上に着ませんか。それらはみな自然の理致なのです。その時、足はどうしますか。足はそこでまた、相対的関係を考えなければなりません。下に淡いものを着れば、足は少し濃くして、すべて調和できるように考えるのです。

◆ 5 住宅問題

◆◆@ 電 気

 夜寝るとき、明かりをつけたまま寝る人がいるのですが、それではいけません。明かりがないと寝れなかったり、真っ暗だと寝れないというのであれば仕方がありませんが、病的な習慣であるとすれば寝るなというのです。そのような人は夜寝ずに、昼に寝なさい。人は夜寝るようになっているのであって、昼寝るのはすべて病気です。

 住宅があれば、住んでいる家の電気の管理をしっかりしなければなりません。それで先生は、出る時に電気を確認して、あかあかとついていれば、消してから出るのです。そのような習慣をつけるべきです。部屋を出ても、思い出したなら戻って消してくるのです。特に外出する時は、それが絶対に必要です。

◆◆A 水 道

 人々が顔を洗うとき、水道を開きっ放しにするでしょう。歯を磨いて、洗顔して、小便をして、また手を洗うときまで、そのまま水を流しっ放しの人がたくさんいます。顔を洗うときに水を出し、便器に座って事を終えるまで水を出しっ放しにする人がいるのです。

 髭を剃るときもさっと使い、すぐに水を止めなさい。そのような習慣をつけなければなりません。皆さんはどうですか。いかに皆さんが浪費をしていることか。生活する中で、いかに浪費をしながら暮らしているのかを考えなさいというのです。

◆◆B 電 話

 次は電話です。電話がかかってくれば、一日中受話器をつかんで、一時間でも二時間でも話す人がいるでしょう? いつか、私がベルベディアにいるとき、電話料金が四千八百ドルにもなりました。それで「誰が電話したんだ」と怒ったのです。するとそれが、一千八百ドルに下がったのです。そのように消費が大きかったのです。無駄な電話をかける必要はありません。

 皆さんはどう思いますか。毎日のように男が座って、「アイラブユー。きょうはどうなの」と言いながら電話をするでしょう。それは必要ありません。「アイラブユー」は一カ月に一回だけでも十分です。一カ月間、朝夕に「アイラブユー」と言いながら、気持ちが変わってしまうよりもいいのです。

 何が必要でしょうか。御飯を食べながらもただ、「アイラブユー」と言う、偽りの愛が必要ですか、真実な愛が必要ですか。電話をかけない時は、一日に百回言ってもかまいません。電話をかけて、無駄な話をするからそう言うのです。電話をかけない時は、何百回言ってもいいのです。

◆◆C 家 具

 家具を見ると、管理だけ上手にすれば、一年十二カ月、何年使ってもきれいなはずなのに、一カ月にも満たず、一年にも満たないで、ぼろ布のようにしてしまうことがあります。机もいい加減に使うので壊れてしまうのです。それらをみな貴く思わなければなりません。貴ければ、愛さなければなりません。

 家具のようなものは、一生涯管理したとしても、きれいでなければなりません。そう思いませんか。そのような考えをしなければならないのです。家具を愛すべきだというのです。家具も、一番最初に作られた状態を保つのです。傷をつけられれば喜ぶでしょうか。皆さんも、老いていくのがうれしいですか。老いてしわしわになるのがうれしいですか。

 ですから先生はできるだけ、一箇所に置いたなら、その場に置いて使うのです。それがちょうどバランスがとれているので、移動するのは嫌いなのですが、大体の女性はそういうことが好きではないでしょう。移動させて、持ち上げて壊したりもします。

 一般的に女性は、きちっと調和がとれるようにして、芸術品として鑑賞するよりは、それを眺めながらおもちゃのように思うのです。その置いた物を、一つの芸術品とは見ずに、おもちゃとして見るのです。おもちゃのように思うでしょう? それは間違っているのです。

◆◆D 備 品

 備品といえば写真とか、アクセサリーのようなものですが、おもちゃなどもみな入るでしょう?
 女性をよく見ると、頭まで備品をつけています。ネックレスなども、全部備品なのです。

 まず、構造に対しての合わせ方を知らなければなりません。それが、高い物だけをそうするのではありません。自分の姿を見て、自分がどんなタイプだから、こんなタイプにしたいということをすべて見て、それが似合わなければなりません。その次に、すべてを管理しなければなりません。

◆◆E 美 化

 そして、美化について考えなければなりません。そのすべてが一つとなっていると考えられるし、すべてが調和して「一つの芸術的な部屋だ」と考えて、「そういう中で私が生活する」という考えが必要なのです。

◆ 6 衣 類

 その次には、着る物です。これが問題です。皆さんもすてきに着ることを好むでしょう。「衣類」というと、男性の洋服のボタンが取れていてはいけません。傾いていてはいけないのです。ある人には四つ付いていて、ある人には三つしか付いていない、そのようではいけません。その時は一つを切り取ってでも、ボタンを三つに合わせなければならないのです。女性は、それを知らなければなりません。夫が服を着るとき、そのような管理をしてあげることができなければならないのです。

 流行は、商売人たちが作り出していることを知らなければなりません。流行にだまされて買う人が多いのです。皆さんはファッションを追いかけるより、中道を行くべきです。他の人たちは上がったり下がったりしますが、私たちはそのまま進めば、平均的に損害を被ることはありません。他の人がパーマをかけたならば、私たちは少々かけ、誰かがカットしたなら、髪の毛を少し手入れする、そのようなことが必要なのです。

 流行は、三年周期で繰り返します。何年か過ぎれば、それがまた戻ってくるのです。ですから先生が衣服を買う時は、できるだけセールシーズンに買います。お金のない人も生活できて、お金がある人も生活できるのですが、お金のない人も格好良く生活できるのが、セールを利用する道です。

 セールシーズンを利用すれば、いつも流行の服を着ることができるという話です。一年分準備しておけば、夏になれば春の物をセールして売るので、季節は過ぎてしまいますが、約一年過ぎれば春物の服をいつでも安く着ることができるのです。いつでも流行の服を着ることができるというのです。それがとても良い節約法なのです。

 二年分を買うとしても、その季節の値段の三分の一の値段で、二年分を買い置きすることができるというようになるのです。そのようにすれば、普通の人の一年分のお金で、二年分準備しても余るというのです。

 先生はニューヨーク地域の家具屋、衣類屋、ある品物の商店などすべてに精通しています。私は品物を安く買います。安く買える所をすべて知っています。ですから「レバレンド・ムーンは、安物だけを買い回っている」と言いますが、安くてもすてきなものを買うのです。

 ある時、お母様のコートを買ったのですが、本来四百ドルから五百ドル近いものが、セールで七十何ドルでした。その服の色が、とてもすてきだったので買ってあげたのですが、最初はあまり良く見えなかったのに、着てみると次第にすてきに見えるのです。そういうものを選ばなければなりません。四季を問わず飽きないもの、着れば着るほど好ましく思う品物を選ばなければならないのです。そのように着始めたのが、今やいつもそれを着て出掛けているのです。ネクタイも同じです。一つで春夏秋冬、四季を問わずに結ぶことのできるネクタイを選ばなければなりません。

◆◆@ 服の着方、着用法

 皆さんが外出する時は、必ず右足から出なければなりません。帰ってきた時は、左足から入るのです。そのように定めようというのです。そのようなことが必要なのです。今後原理的に、そのような規範を作らなければなりません。皆さんは、そのように見ることができなければなりません。すべてが一つの対になって、どのように調和をとるかを考えなければなりません。

 皆さんが服を着るのも、着用法に合わせて着る習慣をつけなければなりません。それで、ぐるぐると回って原理的な見方で、すべてを処理していくことができなければなりません。

◆◆A 形 態

 服の形態をよく備えなければなりません。非常に太っている人は、長めの物を着なければなりません。太っている人はいかにすべきかというと、色合いの濃い物を着なければなりません。淡い物を着ると、よけいに太って見えます。そういうことを考えることができなければなりません。形態が必要だというのです。

 太っている人たちは、おなかが出ていて、歩くのも大変なのです。そのようなときは、どのようにカバーするのかを考えなければなりません。ですから、そのようなことも考えて、服を着るときは、できる限り色の濃い服を着なければならないというのです。

 また、太った女性はできるだけ、髪の毛で頭を大きくしてはいけません。頭を小さくして、靴を履くのもできるだけ幅の狭いもの、狭く見えるものを履きなさい。頭も大きく、履き物も大きければ、熊のようです。事実なのです。それでも、一つでもちょっと小さい部分があれば、他人が見るときも、その部分を見て、「ああ、だけど足は小さい」という同情でも受けるのです。

 太った人はネックレスをしたとしても、大きいものをしてはいけません。できるだけ小さくて、細いものをしなければなりません。イヤリングをするときも、小さなものをしなさい。それらをすべて考えなければならないのです。

 そして歩くときは、できるだけまっすぐ歩かなければなりません。そうでなければ、愚かに見えるのです。女性はできるだけ、小足で歩かなければなりません。特に太った人は、そうすべきです。

◆◆B 端 正

 端正な服装をしなければなりません。ボタンのある服を着るとき、普通ボタンが三つ付いていますが、三つすべてをかけないでいれば、それは完全に落第の評価を受けるのです。一つをちゃんとかけて、二つ開けておけば、「ああ、あの人はそれで二つをかけないでいたんだな」と考えるのです。それは既に見る人が、端正に見えるようにそうしているんだと思って見るのですが、三個すべてのボタンをかけないでいたとすれば、それは落第なのです。あとでうまく整頓できず、そのすべてが散らばってしまうのです。

 そしてシャツのようなものも、ボタン三つを全部かけないでいれば落第なのです。それらはみな必要なことなのです。また、女性は華麗な服を着て座るときは、必ず整えてから座らなければなりません。すべてが端正でなければなりません。

◆◆C 調 和

 特に女性は服を着るとき、色合いをよく合わせなければなりません。調和が必要なのです。

◆◆D ネクタイ

 男性にとってネクタイは、とても重要なのです。ネクタイの結び方もいろいろあります。先生はいつも、ネクタイをピンで止めています。それを止めていれば、いつでも固定しているのです。一日たっても、しっかり固定しています。ワイシャツに刺すピンがあるでしょう。ピンで固定すると、ネクタイが行ったり来たりしないのです。そして男性は、歩くときもまっすぐ歩かなければなりません。

◆◆E 装身具

 男性も装身具が必要であり、女性も装身具が必要です。それらも端正でなければなりません。

◆◆F 履き物

 その次に、男性も女性も履き物が重要です。履き物は、服に合わせて履かなければなりません。東洋では、大抵靴を脱いで家の中に入ります。ですから、人を何で評価するでしょうか。履き物を見て評価します。体があれだけ大きいから、普通サイズよりこれぐらい大きいだろう。普通サイズより大きいとき、「これはどうである」と言いながら評価するのです。

 履き物をさっとひっくり返してみて、どれだけ長く履いたかを見て、この人がいかなる行動をするのか、どのように歩くのかという性稟までを、みな知ることができるのです。履き物の擦り減り方によって、すべて分かるのです。それを見て、「この人は教育を受けることができなかった人だ」と、直ちに評価するのです。それで、履き物が擦り減るとしても、両側が同じに擦り減らなければなりません。

 ですから履き物を見て、歩くことやあらゆることを評価するのです。東洋の人は、人に会えば履き物をどのように履いたのかをすぐ見るのです。足に対する関心が多いのです。足がどのような形をしているのかというのです。それで人々が見合いをするとき、大抵手と足をまず見るのです。顔、手、足を見るのです。目、鼻、耳、口、手、足を見て、その次には、話しながら笑う表情を見て、すべてを判断するというのです。

 ですから中国のような所で、足を小さくするのも、みなそのような意味があるのです。足が小さければ、貴族であると考えていたのです。手が小さく、足が小さければ、貴く暮らし、貴い人になれるというのです。先生は足が小さいのです。体は大きいのに、反比例して足がとても小さいのです。手も小さいのです。その代わりに厚いのです。それらを見て、直ちに判断できるのです。

 それで、女性はこういう人が理想のタイプで、男性はこういう人が理想のタイプだというのを平均的に見ると、そのようなタイプをさっとつかむことができます。

 それらを見ると、履き物も端正に履かなければなりません。西洋のハイヒールを見て、「どうしてハイヒールを履いたのだろう」と言えば、「まっすぐに歩こうとしてだろう」と考えるのです。女性も歩くときは、まっすぐに歩かなければなりません。気がゆるんで、少し過っても大変なことになるのです。常に、一歩でも用心をしなければなりません。

◆◆G 帽 子

 その次には帽子です。女性も帽子をかぶるでしょう? それはすべて釣り合いをとるためなのです。色に合わせてかぶるのです。その次には、服を着るにも、すべて原理的に着なければなりません。

◆◆H 備えるもの

 物を備えるときには、常にそれらが分かるように置かなければなりません。それで先生は、机をきれいに片づけておくのです。そうすれば、一カ月が過ぎても、誰が手をつけたのか直ちに分かるのです。このごろでは、そのような習慣のすべてに、少し寛大になりましたが、そのような整備が必要だというのです。

 私は「あの日本が、なぜ祝福を受けるのか」と思いましたが、それは環境をきれいにし、良く整えているためだというのです。悪い霊人は悪くするようにし、良い霊人たちはきちんと整理して、神聖にするようにするのです。ですから、良い霊がたくさん来て助けてくれるために、日本があのように早く発展したではないかと、このように見るのです。それで私たちは、そのような面のすべてを、今後生活化していかなければなりません。

◆◆I 保 管

 いかに長く保管するかということです。それが必要です。

◆ 7 体を端正に

◆◆@ 頭

 男性も女性たちのように、頭を整えなければなりません。化粧することもそうですし、髪型も自分が見て、右分けがいいか、左分けがいいかを知らなければなりません。左分けがいいというのです。右側を大きくするのがいいのです。これを皆さんはよく考えなければなりません。

◆◆A 顔

 顔は生まれつきのものですが、その表情をどうするかは、すべて皆さんが習慣的に調整しなければなりません。歯が内側に曲がっている人は、極力笑わないようしなさい。なぜでしょうか。女性がそうであれば、毒蛇のように見えるからです。ですからそのような女性は、絶対に口を開けて笑うなというのです。できるだけ口を開けないで笑いなさい。

 また、歯が出ている人は話を多くします。いつも口が開いていておしゃべりをするので、いつでも閉じたり開いたりするのです。そういう人は、できるだけ口を閉じる訓練をしなければなりません。自分の体を管理できなければなりません。すべてをよくわきまえて行動しなければなりません。

 笑うことも同様です。人々の中には、笑うとき口を開けてからすぼめながら笑う人もおり、口をすぼめてから大きく開けて笑う人もいます。よく見てごらんなさい。自分の顔を見て、よく似合った笑い方を研究しなさいというのです。

 女性は、大きく「あっはは」と笑ってはいけません。女性は花です。花。花が咲く時は、音もなく咲くのであって、「パッ」と音をたてて咲きますか。静かに咲くのです。

 こういう訓練をするようになれば、パッと見れば、既にその人がどのような種類の人か、教養のある人か、そうでないかがすぐ分かるのです。

◆◆B 手足の爪

 先生が西洋にいるとき、一番怖いのが女性の前に行くことでした。爪を見るだけで危険を感じたのです。先生は常に爪を短くしています。それが必要です。少し伸びただけで手足の爪を切ってしまいます。手足の爪を切ることが趣味なのです。手の爪を伸ばしている女性は、仕事をしようとしない女性です。そうではないですか。そんな爪でどうしてタイプを打つことができるでしょうか。仕事をする女性に、どうしてそれが必要なのかというのです。

 また、それを伸ばすのにどれほどの時間がかかるでしょうか。そういうものは必要ありません。一度もしたことがないと恨みになるのであれば、一、二回伸ばしてみるのはかまいませんが、先生はそれを願いません。愛する妻が手を差し出しても、どうやってそれを握って引っ張ることができるでしょうか。ですから、手足の爪を切ることが重要だというのです。

◆◆C 歩くこと

 そして歩くときは、端正に歩かなければなりません。バランスのとれた歩き方をしなければなりません。バランスのとれた歩き方をしているかどうか、いつも考えなければなりません。安全な歩き方をしなければなりません。

 そして背中が曲がっていてはいけません。頭からまっすぐに立たなければなりません。ですから、座るときもいつもまっすぐに座る練習をしなければなりません。また、座るときは椅子に深く腰掛けなければなりません。そうすれば自然にまっすぐになるのです。それができなければ、腰が曲がるようになるのです。それで、歩き方が重要だというのです。

◆◆D 座り方

 女性がどこかに行って座るとき、寄りかかってはいけません。東洋では、女性が寄りかかって座ることは絶対にできません。女性はおしりが大きいので、座れば自然と楽になるでしょう。しかし、座るときに寄りかかって座ると、赤ん坊に支障が起きるのです。妊娠すれば大変なことになるのです。

◆◆E 言 葉

 東洋の思想では、女性の言葉が垣根を越えるようになれば、その家は滅びてしまうといいます。女性は、言葉数が少ないのです。本来そのようになっています。ところが、言葉が垣根を越えるようになれば、原則から外れるために、その女性と一緒に暮らせば滅びる、という話なのです。

 そして先生は、女性の話し声を聞けばすぐに分かるのです。その人がどのように生き、苦労しながら暮らすのか、幸福に暮らすのか、愛されて暮らすのか、それらが分かります。それで、女性の声が重要なのです。

◆◆F 寝ること

 皆さんの眠るマナーはどうでしょうか。横になって寝る人もいるでしょう。しっかりと眠らなければなりません。安らかに眠らなければならないのです。

 いびきをかいたとしても、体の大きい男性がいびきをかくのであって、女性がそのようにいびきをかくものではありません。女性は、いびきをかいたとしても、「スー、スー」と小さくかくべきなのです。女性が大きないびきをかくのは困ります。そういうとき、首がうなだれるほど、いびきが大きくなるのです。ですから、できるだけ枕を深くあてるのです。

 女性が男性の寝ているところに入っていくときは、横からさっと入らなければなりません。横から後ろ向きに入るのです。夫が先に寝ているのに、妻が「わあっ」と言いながら入れば、問題になるのです。そっと横から入らなければなりません。それが必要です。

◆◆G 健 康

 次に健康です。健康が何よりも一番重要なのです。いくら具合が悪くても、また風邪をひいていたとしても、健康な気分を保たなければなりません。他の人に分からないようにするというような心が必要なのです。少しだけ風邪をひいても、それを顔に出し、少しだけ困難なことがあるといって表情に表す人がいるのですが、そうしてはなりません。健康な表情をしなさいというのです。

 特に女性がそのようにすれば、そのような女性と一緒に暮らす男性は、随分慰められるのです。男性に心配事があっても、「どうしてそんなに心配されるのですか」と言って慰労することのできる、常に健康な表情が必要なのです。

◆二 教会生活

◆ 1 祈祷生活

 祈祷生活が必要です。私たちの信仰生活は副業ではなく、本業であるということを知らなければなりません。

◆ 2 集 会

 集会に参加することは絶対に必要なのです。なぜかといえば、水に例えれば、常に水平のバランスを保つことができるというのです。水平を保つことが絶対に必要なのです。それゆえ、集会に参加することは、絶対に必要なことなのです。

◆ 3 学 習

 常に学ばなければなりません。霊的に学ばなければならず、その次には教育と知識が必要なのです。分からないでいては駄目なのです。特に信仰生活をする人は、霊的な知識と肉的な知識がどれだけ満ちているかということを、常に鑑定しなければなりません。その場合、霊的な知識が常に優先していなければならないということを知らなければなりません。

 また信仰生活をするにおいて、夢のようなものがあり、意味のある夢、暗示、啓示があるのです。皆さんは、それが私といかに関係し、このようなタイプの夢や、幻想のようなものが、どのように影響を及ぼしているのかを全部統計的にかいつまんで、自分の出した統計に合うものに従って、すべて習得していかなければなりません。それは、人によって異なるのです。

◆ 4 伝 道

 伝道は必ずしなければならないのです。赤ん坊を生んで育てたことのない人は、円満にはならないのです。たくさん伝道して、多くの人に対するならば、やがて円満になります。そして、伝道するときは霊界が多くの協助をしてくるのです。そうして、その人に対して私が精誠を尽くせば、その人の性稟を一〇〇パーセント知ることができるのです。

 そのような人を数十名続けて育ててみれば、人は似たり寄ったりなので、すぐに知ることができるのです。人を完全に知ることができるようになるというのです。あの人を私が伝道しようとすれば、どのぐらい時間が必要かということを推測できるようになるのです。

 それでイエス様も、独特な十二弟子を選びました。伝道を十二人以上すれば、精通して理解できるようになるのです。それは絶対に必要なのです。

◆ 5 奉 仕

 その次には奉仕です。「ため」に生きる人にならなければなりません。愛して、「ため」に生きることができなければならないのです。

◆ 6 蕩 減

 蕩減の道を行かなければなりません。特別に定めてそのような祈祷をするとか、常に一年のうちに何度かずつ、自分自身の蕩減の道を行くという期間を設けて、特別祈祷をしなければなりません。それをしてみなければなりません。それをすれば、皆さんにどんなことが起きるでしょうか。信仰者がそれをしてみれば、自然に悲しいこと、困難が訪れることを蕩減してしまうのです。ですから、私がまずあの人の仕事を責任をもってやるということが、いかに貴いか知れないというのです。

◆ 7 和 睦

 その次には、いつも睦まじくなければなりません。教会に行っても、心配するようなことがあれば、いくらでも自分が責任を負わなければならないのです。教会のすべてのことや、教会生活で多くの食口たちに困難なことがあれば、自分が責任をもって睦まじくしなければならない、という気持ちが絶対に必要なのです。聖書にも、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ四・九)とあるのです。

◆ 8 体験生活

 体験が必要です。神秘的な体験、霊的な体験が必要なのです。祈祷中に先生を見たり、幻想の中で先生を見たり、夢の中で先生と出会うという現象がしばしば起きるのです。それが短いものではなく、すーっと霊的世界に入っていき、霊的楽園にも入ってみるという現象が起きるのです。そのような体験が必要だというのです。

 そうするには、常に縦的な考えをしなければなりません。皆さんがそのよう(縦的)に考えたならば、今後何かをしようと道を出発するとしても、すぐに良くないということが分かるようになるのです。それを区別しながら進まなければならないのです。そのような体験が必要なのです。

◆ 9 霊界と現実

 霊界でなされることは、現実に現れるというのです。それを皆さんは体験しなければなりません。自分の人生でもそうであり、この社会でもそうであり、それを感知しなければなりません。信仰生活が深まれば、ますます広範囲でそれを感じるようになるのです。

 ですから、あるときは神様が悲しんでいらっしゃる境地に入っていくようになると、我知らずその悲しみを現実の中で自然に体 恤するのです。それで、現実が共鳴体であるというのです。

◆三 社会生活

 私たちは、社会生活をしなければなりません。

◆ 1 時 間

 私たちは、時間圏内で生きています。時間の観念が徹底していなければなりません。時間生活、約束を守るとか、会社の時間を守るとか、学校での時間を守るとか、これらのことをすべて徹底しなければなりません。

◆ 2 尊敬と交流

 出会うすべての人々を尊敬することができ、その次には交流の仕方を知らなければなりません。何か良い交流をしなければならないというのです。常にそのような観念が必要なのです。二人のうち、先に相手を尊敬した人が支配する者となります。

◆ 3 外交と発展

 その次は、外交と発展です。これは自分が出世するためには、必ず必要なのです。そのためには祭日や誕生日の時に、こういうあらゆることを、うまくこなさなければならないのです。会社の責任を負った人は、皆が外交的な舞台へ拡大させていくことができなければなりません。

 外交とは何かといえば、相手側を私に順応できるようにすることなのです。それには言葉と精誠と表示がなければなりません。

◆ 4 職業と姿勢

 仕事をする上での責任として、態度が悪くてはいけません。職業とは何かといえば、第二の自分となるのです。職業とは、仕事とは、第二の私をつくるものであるため、態度のいかんによってその日のすべての生産、働いたすべての実績が左右されるということを知らなければなりません。ですから、態度を良くすることが必要です。

 その職業を、生きている人のように考えてみれば、私の態度が悪くなるときは、職業に対して失礼をし、負債を負うという考え方をしなければなりません。職業は神聖なものである、という考えをしなければなりません。私の第二の生命です。私の延長を、それによって表すものなのです。

◆ 5 主従関係

 いつでも、この大きな社会は、主従関係になっています。そこに、誰が良い影響を与えるのかということが問題なのです。社長が職員に良い影響を与える立場であれば、良い社長になるのであり、職員が社長に良い影響を与えれば、良い社員になるのです。それを知らなければなりません。主従関係を円満にしていかなければなりません。不平は必要ないのです。

◆ 6 社会と私の利点

 私たちの職場が会社であるならば、会社と私の利点が介在するようになります。会社に負債を負う者が多いのです。絶対に会社に負債を負う者となってはなりません。損害だけ負わせたならば、それ



















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