文鮮明先生のみ言集
訓教経(下)


故 郷

一九八九年二月十二日
韓国本部教会 『文鮮明先生み言選集百八十七巻』


 きょう、皆さんにお話しするみ言の題目は「故郷」です。

◆故郷に対する回想

 人は大抵、年が若い時には故郷を離れたがるものです。それは、先生も同じでした。幼いころから物心がついて考えたことなど、すべての過去のことを思い出してみれば、咸 鏡道がどのようになっていて、平 安南道がどのようになっていて、黄海道がどのようになっていて、それから江 原道から慶 尚南北道、全羅南北道、忠 清 南北道がどのようになっているのかということが気になったのです。それは皆さんも、みな同じだったことでしょう。それで、二十代を前後して全国を歩き回ったことも回想されます。

 その時に感じたすべてのもの、懇切に願えば願うほど、相対的立場にある国が幸福で平安であったならば、それほど印象的なものではなかったことでしょう。しかし、貧しく暮らす村々を経ながら、あるいは山野に行き来しながら感じたことは、「この哀れな民族」ということでした。そのような思い出は今も忘れられません。

 そうして、私はこの民族の中の一人として生まれ、外国の勢力に支配を受けながら自分の心中と生活環境を誇ることができない悲惨な姿、そのすべての内的な苦衷が大きければ大きいほど、民族を眺めたとき、その衝撃的であきれ返るほどの事実を忘れることができなかったことが、今思い出されるのです。

 さらに進んで、韓国がどうだというとき、日本がどうで、中国がどうで、世界がどうだとしながらさらに広げて考えるようになるとき、外国に出てみるようになれば、一遍に自分の国と比較されるのです。皆さんも、みなそうでしょう。

 我が国と豊かな国を比較して見るとき、その差が大きければ大きいほど、その比較される環境で格差を感じると同時に、そこにおいて歓迎されず隔離され、自分自ら苦衷を慰労する環境となれず四方からそのような苦衷に取り囲まれるのです。そのような心的苦痛を与えたすべての環境的与件は、改めて国の不足を嘆かせ、将来このような不足な国をどうすれば良い国に導いていけるのかという問題について考えるとき、それ自らが解決することができない、導くには不足な自分と環境とを思うときに、そこから来る苦衷は到底言葉で言い表すことができません。

 このような立場からその範囲を広げて考えてみましょう。私たちの人生が単なる七十年の人生として終わるならばどうか分かりませんが、私たちの人生というものは永遠の問題を中心として生きているのです。

 それでは霊界があって、皆さんが死後に霊界に行くようになれば何を考えるでしょうか。その世界は広大な世界です。皆さんはよく知らないでしょうが、広大無辺なる世界です。そのような世界に入っていき、すぐに感じるようになることは、「私が暮らしていた故郷の地よりも私が暮らしていた世界、地球星がどうで、こうで」ということです。

 皆さんは、民族間の差別や背後の文化的な格差だとか、相いれない生活様相などに悩まされながら暮らしているこの地において、自分を主張し、すべてのことを収拾したいと思い、自分の主張と自分の価値を残したいと思うのです。それらのものが過去に過ぎ去るのではなく、その世界に行っても鮮やかによみがえるのです。

 その世界が自分で測定できず、自分の考えの中に自由に吸収することができない膨大な世界であればあるほど、より一層懐かしくなるものが故郷の地、あるいは地球星での生活ではないかというの
です。

 それでは皆さんが霊界に行き、永遠の世界を歩んでいく生活をするようになるとき、いつになればそれを忘れるようになるのでしょうか。皆さんは、どのように思いますか。何日ぐらいかかると思いますか。何年ぐらいたてば忘れると思いますか。

 その世界に行って出会う人は、自分には見慣れない人々です。そのような不慣れな環境に私がもし一人で立ったとしたなら、気持ちはどうですか。皆さん、一度考えてみてください。そこにおいて何かを思うようになるとき、自分に懐かしい人々、過ぎし日の、心の中から抜き去ることができない情緒的な関係を結んだすべての因縁から、抜け出すことができないのです。

 自分が霊界に入っていき、その世界において思うことは「お母さん、お父さんはどうなり、おじいさん、おばあさんはどうなっただろうか」と、そのようなことなのです。

◆宗教人たちが追求する故郷

 宗教を信じる人々がこの世の人々と異なっている点とは何かといえば、彼らは一生の間、霊界を標準として生きているということです。宗教というものは、神様と出会って生活しようとするところから始まるのです。

 各宗教団体の教祖たちが残していった経典の内容は、人間の暮らしを紹介したものではありません。それは永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様ならば神様がいらっしゃるところと神様が住まれるところを中心として、私たちがそこと関係を結ぶことができる内容を教えてくれたものです。

 そして、宗教生活をするその生活が深刻であればあるほど、人生の問題を全部捨てて越えていけばいくほど、神様、あるいは主のために、すべてのものを投入するのです。宗教の目的のために愛する父母と愛する故郷、そして愛する祖国と人生の路程を経ていくべきこの地球星を捧げたということができる宗教人がいますか。世界の人類のためにすべての精誠を捧げ、自分の思いや活動の目的も、この一つの目的のために投入したとするとき、その人が霊界に行くようになれば、どうなると思いますか。「ああ、行きたくない」と言うと思いますか。

 深く広いその世界の環境が、私たち人間世界と異なれば異なるほど、そこに対する関心はどれほど大きいことでしょうか。「どうだろうか。どうだろうか」としながら、しきりと気になるのです。
 まだ結婚していない若者が、「嫁に行ったら、婿に行ったらどうなるだろうか」と思うのと同じように、欽慕の心情をもって第二の故郷をもちながら生きる人々が、宗教人ではないのかというのです。

 そのような所のために涙を流し、生涯を投入し、すべての精誠を尽くすところにおいて、この世からはむち打たれ、冷遇されるとすれば、それは深刻な立場です。そのような深刻な立場において、この世のすべてのことを知り、それと比較した結果、自分が行く道がより価値ある道であるとすれば、「私がぶつかる外的なすべての反対現象は、私をして後世における希望の基準をもたらしめるのではないか」と考えるようになるのです。

 宗教人たちの中でも、平坦な宗教生活をする人もいるし、困難な宗教生活をする人がいるし、平凡な生活をする人がいる一方で、深刻な立場で宗教生活をする人もいて、その宗教に帰依しながらも自分の利益のために生きようとする人がいるかと思えば、自分の永遠なる生命と本質的な価値のために生きようとする人など、様々な人々がいます。そのような千態万状の生涯路程における困難は、その基準に従って千態万状の系列や階級、あるいは方向があるのではないかというのです。

◆心と体がとどまることができる故郷

 私たち人間は、心と体をもっています。それでは、皆さんの心の故郷と体の故郷は違いますか。同じでなければなりません。それでは、永遠なる私の心の故郷がどこであり、また、永遠なる私の体がとどまることができる所とはどこでしょうか。これは深刻な問題なのです。

 人間が価値の問題を論じるとき、私たちはよく「あの人は立派な人だ」と言います。しかしながら、その人が自分の故郷でだけ暮らしていては、故郷というものが分かりません。また、国にだけ住んでいてはその国の貴重さを知らないのです。アジアを経て、世界を経て、遠くに離れれば離れるほど、離れた距離に比例して、また、故国を離れた時間が長ければ長いほどその時間に比例して、故郷は消えてなくなるのではなく、より一層懇切なものとなるのです。

 このようなことを見るとき、人は一箇所に定着して生きるのですが、定着した基地を中心として東西南北に拡大し、因縁をつくりながら生きようとすることも、人間の生涯を成していく一つの要因ではなかろうかというのです。

 それでは、皆さんの心と体を中心として本当に故郷で生きてみたのでしょうか。これが問題です。故郷とはどのような所でしょうか。生まれてから学ぶことのできるものの中で八〇パーセント以上を教えてくれた教材が残っている所です。そこには、父母がいらっしゃるのです。

 お父さん、お母さんというものは、言葉は簡単です。お父さん、お母さんは誰にでもいるお父さん、お母さんですが、そのお父さん、お母さんに対する立場によって千態万状の価値基準が設定されるのです。私が悲しいときのお父さん、お母さんは私にとって慰労のお父さん、お母さんです。うれしいときのお父さん、お母さんはその喜びをより一層刺激してくれるお父さん、お母さんとなるのです。

 息子、娘が喜ぶ姿を見て悲しむ父母はいません。そのようなことを見るとき、悲しいときに共に同伴者となり、うれしいときに共に同伴者となって、私の物心がつく時まで、生活する一切の面倒を見てくれる主体者としての私の同伴者が父母なのです。

 すなわち、私が寂しいとき寂しさを慰労し、困難なときは困難なことを慰労してくれ、病気になれば病気になったことを心配し、慰労してくれながら、私が育って物心がつく時まで、私の心身を中心とした同伴者であったというのです。その同伴者が変化してしまえば、困るのです。同伴者として永遠に変わることがない立場に立っているのが、父母です。

 それゆえ、その変わらない父母を中心として、その父母にひもをつけておいて、私が遠くに行ったとしても再び戻ってきたいのです。また、良い所があれば、そこにお連れしたいのです。世界中、どんなに遠い所に行ったとしてもその中で良い所があれば、その良い所に自分だけ行きたいと思うのではなく、父母と共にそれを分かち合いたいというのです。

 どうしてそうなのでしょうか。父母は、変わることのない私の心と体の同伴者であるからです。私が寂しいとき、寂しさの中にいる私を慰労してくれる最大の同伴者が父母であり、私がうれしいとき、その喜びを共にたたえることのできる最大の同伴者が父母であるためです。人間は、変わることがない同伴者がいる所を中心として生きたいと思うのです。

 それでは、故郷には誰がいるのでしょうか。父母がいます。また、父母の上にはおじいさん、おばあさんがいます。おじいさん、おばあさんとお父さん、お母さんは違います。どちらが近いかと問われれば、分別がつかない時にはお父さん、お母さんのほうが近いと思うのですが、長い歴史をおいて、私たちのお父さん、お母さんは誰の保護を受けたのかと考えてみるときには、どうですか。私がお父さん、お母さんを変わることのない主体者として恋い慕うのと同様に、お父さん、お母さんもそうであるというのです。

 このように見るとき、人間の中心的先祖はどのようなお方でしょうか。私たちの先祖がいるのですが、その中で一番中心に立つ者が誰かというとき、それは私たち人間の根本となる先祖ではないのかというのです。その先祖に先祖がいたとすれば、そのお方はその先祖が父母として仕えた方ではないでしょうか。そのお方こそ、人間を創造された神様であり、私たちの父であられるのです。

 そのお方を通して、私たちの父母の心を永遠に引きつけることができ、私たちのおじいさん、おばあさんの心を永遠に引きつけることができ、数多くの先祖たちの心を引きつけることができるのであり、引きつけるだけでなく、それが一つに束ねられるのです。

◆故郷に対する懐かしさと「郷心」

 人はどんなに遠くに離れたとしても、根本を離れることはできません。変わることのない心情的、情緒的な根本を離れることができないようになっているのが私たち人間です。なぜならば、人間の根がそこから広がっていったからです。根を越えられる存在はいないので、故郷に対する懐かしさと「郷心」は、誰もがみなもっているのです。

 故郷は良い悪いを超えて、忘れられない所です。どこか海外に出るとか、遠い世界へと離れれば離れるほど、そこにいるとき雨が降れば、雨が降るという現象は同じなのですが、その雨に対する私の心は故郷との距離によって違ってくるのです。また、環境の与件によってもそれは異なってくるのです。皆さんが友達と会うとか、愛する人と同伴してそこにおいて暮らすとしても、故郷を離れた時には自分の妻も自分と同じ心情で故郷を慕い、感じてくれることを願うのです。また、自分の妻だけでなく、息子、娘も故郷に連れていき、心の深いところに大切にしまい込んである追憶を分かち合いたいと思うのです。

 このように見るとき、故郷というものは私の人生における重要な教育材料を八〇パーセント以上供給してくれる所であるために、私たち人間から故郷との因縁を断ち切ってしまうものは何もないではないかというのです。

 幼稚園時代、小学校時代、その次に中学高校時代、その次に大学、その次に社会に出ていき出世して成功したというとき、故郷を離れ遠くに行けば行くほど故郷と離れていくようですが、人々の心の中で一番忘れられないのが、幼稚園時代であるというのです。小学校に通ったときよりも、お母さん、お父さんの手に引かれながら幼稚園に行き、先生と歌を歌い、踊りを踊ったことが、物心がついたのちに回想すれば、より強く残っているというのです。中学校よりも小学校、高等学校よりも中学校、大学よりも高等学校がより思い出されるのです。そうであったのが、大学院だとか、博士コースに行くようになれば、だんだんと離れていくのです。

 それはどうしてでしょうか。幼い時には、家庭を中心としてお母さん、お父さんと兄弟だけを考えていたのが、大学を出て、どんどん大きくなっていきながら分別がつけば、どのようになるかというと、「私は何々にならなければならない」ということを中心として、外に向かって出ていこうとするのです。そのように外に出ていくようになれば、一つの中心との間の距離はだんだん遠くなるのです。

 しかしながら、故郷というものがあるために、どんなに出世したとしても、いくら博士になって成功したとしても、どこに行こうとするのですか。「ああ、私の妻と息子、娘のところに」と言うでしょうが、息子、娘を率いてどこに行くのですか。「錦衣還郷(故郷に錦を飾る)」という言葉があるように、故郷に行こうとするのです。人は、故郷を離れれば離れるほど寂しいものです。寂しくなるのです。

◆故郷に対する情緒

 このように私たちが人生を生きていく中において、皆さんはどのような環境の中にあるのかというのです。人が年を取れば、十代にはどうで、二十代にはどうだったというようになるのです。故郷でどうだったということ、故郷の何という山はどうで、何という山はどうだったということが回想されるのです。幼かったときそこを巡り歩きながら過ごしたこと、山に登って野生の花を摘み、あるいは山菜を摘んだりした、このような様々に感じた事実は心の中から取り去ってしまうことはできないのです。

 また、幼かったとき、自分の家の近くに栗の木があったとか、あるいはアカシアの木があったとすれば、その記憶がよみがえってくるのです。アカシアの木は、とげがたくさんある木なのですが、季節になると花が咲くのです。そのアカシアの花が咲くようになれば、その香りがどんなにかぐわしいか知れません。その香りは実に高尚な香りなのです。

 そのアカシアの木を、ただ眺めているだけではないのです。行くや否や、登っていくのです。かささぎは大概、その巣をアカシアの木にたくさん作ります。かささぎは利口な鳥です。アカシアの木は普通の木と違って実に丈夫なのです。それで、かささぎが巣を作るのですが、それも一番高い所に作るのです。

 皆さん、かささぎが鳴けば良い知らせがあるという言葉があるでしょう? 朝、「クワッ、クワッ、クワッ」と鳴けば、それが良くて、何がどうだこうだと言うでしょう? また、かささぎは気候について分かるのです。今年は雨が、どこにたくさん降るだろうということが分かるというのです。かささぎが巣の出入口をつけるのを見て、「あー、今年はどういった風が吹くな」ということを知ることができるというのです。そうして、「今年は台風が吹くので農作業が駄目だな」と分かるというのです。かささぎは、風が吹かない方に巣の出入口をつけるからです。

 そして、ひなを愛するその動物たちの母性愛、父性愛というものは大変なものです。ある時はそれを思うと痛々しいくらいなのです。普通の鳥たちを見れば、卵がかえるときに対面するのですが、会ってから数カ月しかたっていないとしても、その母性愛には差がありません。先生は幼かったとき鳥たちをたくさん捕まえてみたから、それをよく知っているのです。母性愛というものはつがいで暮らす鳩のような鳥だけでなく、どんな鳥であっても、みな同じなのです。

 特にかささぎのような鳥は、人が巣を降ろそうと登っていけば、来てつつくのです。それで、そのまま木に登っていけば問題となるのです。よく見てみると、巣を木の上に結い、その次には泥をくわえてきて繕い、わらくずをもってきてそこに置くのです。それを見れば、本当にひなを愛する心情が分かるのです。どこからか綿のようなもの、ふかふかしたものをもってきて巣を作るのですが、それは、人間が作った居間よりも優れているのです。

 そのようにして巣を作っておいて、雌がそこに入って卵を産むのです。かささぎの卵は本当にきれいです。薄く青みがかっているのですが、そこにひびが入ってひなが生まれるのです。先生はそれに関心があって毎日のように登っていきました。そうすると、一番最初はかささぎたちが大騒ぎするのです。しかし、毎日のように登ってきたとしても何の異常もないので、それからは、登っていくとかささぎたちも「クワッ、クワッ」とあいさつするのです。「また来たな、よく見ていきな」と言うのです。

 このようにして、登ったり降りたりしながら先生はずっと見守ってきたのですが、卵からかえってから鳥が育つのは本当に早いのです。そうして鳥に情が移っていったのです。そうすると、かささぎがひなを産んで出ていくようになると、どんなに悲しいか知れません。そのかささぎのひなたちがすっかり大きくなって飛んでいく時には涙が出てくるのです。それを見て、「私もかなり情が深いのだなあ」ということを感じました。そのようなアカシアの木、刺がはえていて見た目は良くない木ですが、自分が因縁をもったことは、一生の間忘れることはできません。

 また、小川がありました。先生が故郷にいたころ、そこに棲んでいる魚という魚はみな捕まえてみました。そこにはどじょうがいて、うなぎがいて、かにがいて、とても多くの淡水魚がいたのですが、それを全部捕まえるのです。

 それらを捕まえて放しておく大きな池があればいいのですが、なかったのです。近ごろは家でも魚を育てたりするでしょう? そんなことができる池があればどんなに良かっただろうかと思ったのです。全部捕まえてそこで育ててみれば楽しいのに、池がないのでそんなことができますか。

 それで、そのころは物心もついていなかったので、穴を掘って水たまりを作り、捕まえた魚をそこに入れておいたのです。そのころは、魚は水の中にいれば生きると思っていたのです。ところが、一晩すると全部死んでいたのです。それを見て、「真心を込めてお前を生かそうとしたのに、何で死んだのか」と言ったのです。その事情も知らずにです。

 それを見れば、先生は情的な人です。死んだ魚を見て、「お前のお母さんが泣くだろうなあ」と言ったのです。そう言いながら魚を見て泣くのです。「僕が泣いてあげるよ」と言いながら一人で泣くのです。そのようにしながら過ごしたすべてのことが思い出されるのです。成長するときにおいて、情緒的な多くの教材を残してくれる所が故郷です。

 山を眺めるときも、忘れられないすべての情緒的な網が張られています。また、小川を見るときもそうです。小川があればそこにも様々な魚が棲んでいて、多くの虫たちが棲んでいるのです。それらのものを学びの材料として活用しながら、自分が大きくなるときにおける知識を授けてもらうのです。故郷の山河にあるすべての動植物をはじめとする、自然界に関したものを教材とするのです。そのように、自分の内的な人間が育つ際の豊 饒性を身につけるための多くの材料を残してくれる所が故郷ではないかというのです。

◆故郷は心情の博物館

 ですから、人は誰でも故郷の山河を懐かしむのです。そうではありませんか。先生は自然が本当に好きでした。山に行き、座って昼寝をするのです。大きな木に寄り掛かり、自然の中で昼寝をするのです。そうしながら、山菜も採って食べたりして、こうしたすべてのことが忘れられません。

 そうしたことを見るとき、故郷は私たちが情緒的な人間として育つことができるよう、基本的な教材として私に提供されたものであると、このように考えるのです。

 皆さん、昔小学校に通っていたころ、机に穴が開いていたならば、それを今でも思い出すでしょう? どこがどうなっていて、どこがどうだということが思い出されるのと同様に、その山河にある木はすべて同じ木であっても、その木々の姿が自分の印象の中に残っているのです。それらのものが自分のすべての情緒的な面における追憶として残り、記憶に残る一つの教材として残された博物館であったのです。

 また、小さいころは他の村の子供たちとけんかしたりするでしょう? それで、鼻血が出ればお母さん、お父さんを探して行くでしょう? ところがお母さん、お父さんは、「こいつめ、なんでけんかをして、また鼻血を出して帰ってくるのか」としかるのです。

 母は息子が外でけんかをして殴られて帰ってくると、しかりつけるでしょう? そうしたことは大きくなって子供を育ててみれば、その心情を理解することができるのです。その時には「お母さんはなんであんなふうにするのか。鼻血が出ているのに、反対にしかりつけてくる」と思ったのですが、物心がついてみると、その時の母親をつかんで「母さんありがとう」と言うことができたなら、母親はどう思っただろうかと考えるのです。

 このように見てみると、そのすべての材料の中で一番忘れられない材料とは何でしょうか。それは情緒的な面のものです。

 うちの母親を思うと本当に哀れです。日帝の時代に田舎でたくさんの息子、娘を抱えて生活しようとすれば、近ごろのように金を出して買える安物のナイロンのようなものでもありますか。服などは全部木綿で作るのです。綿を植えて種を取り、機で織って服を作るのです。

 母の機織りは手際が良かったのです。普通の人の二倍以上を織りました。普通の人は布地四十尺を織ろうとすれば、一日に五尺ずつ織っても八日かかるのですが、母は一日半もあれば織ってしまうのです。忙しい時は一日に一疋(=二反)織るときもありました。

 そうして、母がたくさんの布地を織ると足が腫れて、それを先生に見せてくれました。その時、「足、痛くない、母さん? 一日中していたからどんなに痛いだろう?」と言うと、母は、「痛いもんか。それをしなくてどうやって生きるんだ」と言うのです。そうして、その足を見せて、「これ、見てみな」と言うので触ってみると、足がすっとへこんでいったのが忘れられません。そうしながらも、子供たちのためにそれをなんとも思わずに苦労したその母の姿、そのようなことが忘れられないのです。

 ですから、どこかに行けば行くほど、一番懐かしいのは母親です。その次に、自分が遊んだ兄弟たち、姉妹たちです。先生には二歳年上の姉がいました。その姉は、誰よりも先生のことを愛してくれました。私が何かなくて騒ぐと、自分のものをくれるのです。嫁入り前の時はそうではないですか。嫁に行く前にはみんな、小さなふろしき包みを持っていたのです。

 母に向かって、「何々が必要だ」と言っても、母がいつでもそれを準備できますか。そうすると、その姉は自分のふろしき包みをくまなく探って、私を呼んで「ほらほら、ここにある、ここにある」と、そのようにした思い出が浮かんでくるのです。そのようなすべてのものが情緒的な面において絡まり合って忘れることができないのです。小さかったときの、そのすべての印象がどんなに刺激的か知れません。

 ゆえに、自分の人格の素養を備えるにおいて、情緒的な面や生活的な面をそこで教わるのです。
 韓国人は、服のことについて他の所に行って教わりますか。故郷で全部教わるのではないですか。どのように着て、何が良いとか悪いとかいうものを、全部教わるのです。その次に、生活するすべてのこと、どのように生活するのかを、全部教わるのです。このようなことを見ると、そのすべてのことが、情緒的背景が、深い因縁と歴史をもっているために、それらを忘れてしまうことはできないのです。

 情が交流しながら、自分の一家のことを思い、子女を思う父母の愛がそこに残っているため、「私の心はそこから離れられない因縁をもっているのだ」というときには、母親がどんなに恋しいか知れません。

 それゆえに、故郷は自分の忘れられない教材であり、心情の中に残された博物館のようなものです。それで、故郷が忘れられないのです。

 また、故郷は自分が育っていくときの八〇パーセントの原資材を供給してくれる所です。自分の人格を中心として原資材を供給してもらうことにおいて、心情的分野を中心としては、どんな有名な大学の博士になったとしても、故郷以上に心情的材料を供給してくれる所はありません。

 なぜそうかといえば、故郷には父母がいて、おじいさんがいて、お姉さんがいるのですが、その人たちとの情緒的関係は永遠に従っていこうとするものだからです。一時ではないのです。死ぬ時までその心を抱いていくのです。

 自分の家族は、死んだのちにおいても忘れられないのです。一生の間、その胸に溶けてなくなるごとくに抱いていくのです。それは自分の一族も同じです。それゆえに、情緒的な面で、悠久なる因縁を中心として誰もが暮らす所であるために、故郷は貴いものなのです。その「貴い」ということは、変わることのない愛を中心として言う言葉です。

 先生が故郷を離れ、ソウルに来たとすれば、ソウルは異郷です。そこでは平 安道定 州の地が故郷の地となるのです。外国に出るようになると、どうなりますか。ソウルが故郷になるのです。また、外国に出ていけば、京畿道の人でも慶 尚道の人でも全羅道の人でも、みな自分の同胞となるのです。

 「同胞」と言えば、自分の国の人ということです。「自分の国」と言うときには母、父、兄、姉の年輩の人がすべて入るのです。誰もがお母さん、お父さんのことが好きなように、同胞に会えば風習も同じであり、生活環境も同じであるので、故郷で暮らすのと同じように感じるのです。どの地域の人であっても、困難なことがあれば、自分がお兄さんやお姉さんを助けてあげる心情で、助けてあげるようになるのです。

◆霊界と故郷

 それでは、皆さんが霊界に行くとすれば、どこを懐かしがるでしょうか。霊界に行けば、何千年前に生きた霊人たちとも会います。いつの時代の人かと聞いてみれば、「あなた方には分からない」と答えるのです。何千年前の人のことが、どうして分かりますか。そして、「どこの地域ですか」と聞いてみると、アジア地域だとかいうことは彼らは知っているのです。

 霊界も同じです。霊界に行っている人たちに故郷があるというときには、霊界が故郷ですか、地球星が故郷ですか。霊界に住みながらも故郷がどこかと聞けば、地球星のどこだと答えるというのです。なぜそうなのですか。地球星が自分の故郷とどれほど離れていますか。部落でいえば、数百万個の中の一つにしかならないのに、それを全部包括している地球星が自分の故郷であると答えるのです。なぜ? 自分の国を愛しているからです。

 国を愛することは、お母さん、お父さんを愛することであり、兄弟を愛することであり、自分の姓氏を愛することです。皆さんが自分の宗族(姓と本貫が同じ結縁集団)に出会うと、みんなうれしいでしょう? 金海金氏ならば、金海金氏がどんなに多くても、どこか異郷の地に行って金海金氏同士が出会えば、一人は殺人強盗で、もう一人は何かの強盗であったとしても、互いに信じ合うのです。それが理解できますか。それはどうしてですか。情緒的な距離が同位圏に立っているためです。

 それゆえに、霊界に行って誇ることとは何でしょうか。ほかにはありません。皆さんが霊界に行ったとき、神様が「お前、地上で何をしてきた」と問えば、「私はお金をたくさん使ってきました」と答えるのですか。どれくらい人を慕いながら生きたのか、ということが問題となるのです。それが重要なのです。

 十人の子供をもった父母がいるとすれば、その十人の子供たちが東西四方に散らばり生活しているその国は、父母にとって近いですか、遠いですか。どこであろうと、父母の心の中では近いというのです。ソ連にいるとすれば、ソ連が共産党の主体国であり、北韓にいるとすれば、北韓が共産党の主権国であるとしても、そこは遠くないのです。

 それゆえに、環境的国家の状況や文化の背景、あるいは社会的体制が相反する立場にあるとしても、父母の心はそれを克服、超越し、統一的感情で動くということを知ることができます。この世的に見れば、怨 讐視すべき環境にいるとしても、自分の息子がその地に埋まるようになるときには、その国は怨讐の国ではありません。息子がそこで世話になって生きたというときには、たとえ共産国家であるとしても憎くはないというのです。

 同じように、父母の心情をもって世界人類のために生きる人には、その人類が行って住むところが良いというのです。そうすれば、将来、自分が霊界に行くとき、そのすべての人々が自分に向かって子供が父母を慈しむように「ああ、あなた!」と、このように歓迎するのではないかというのです。

 霊界は時空を超越しています。「誰々に会いたい」と思えば、現れるのです。ただそれには精神統一が必要です。心と体のテレパシーが合わなくてはなりません。電波でいうと、電波が合えばラジオから音が出てくるのと同じです。そのように姿勢を整えれば、「誰かに会いたい」と思えばすぐに現れるのです。

 どのような姿で? 親しければ親しい姿をして、怨 讐であれば怨讐の姿で現れるのです。自分が一番忘れられない姿で現れるのです。そのような世界であるがゆえに、父母の心情をもって、慕わしい心情をもって、因縁を結んだ人々を中心として世界のすべての人々のために生きたというとき、霊界に行ったすべてのその愛情を受けた人々はみな、自分を擁護し、歓迎するというのです。そこには国家がありません。国家は一つです。ここには英国、フランス、イタリア、ドイツなどがありますが、そこは一つです。すべてなくなり、最後には情緒的な追憶だけが残るのです。

◆霊界での侍りの中心

 故郷には、自分のことを永遠に忘れられずに主体の立場から思う父母がいて、兄がいるのです。弟がどこか別の所に行ったからといって、兄が弟を忘れてしまいますか。「愛する弟はどこに行ったのか」と言うでしょう。また、姉さんがどこかに行ったとしても忘れてしまわないのです。

 情緒的な追憶の内縁というものは、それを克服する力がありません。ゆえに、人は愛から生まれ、愛を中心として生きるようになっています。このような結論を出すことができます。生まれてのちのすべての追憶の感情を振り返ってみるようになるとき、人は愛を中心として生きる人が幸福な人です。したがって、霊界に行くとき高い位置に生きたい人は、その誰よりも他の人のために涙をたくさん流す人とならなければなりません。父母の心情で、父母の体で。

 自分が裕福に暮らしているといって、心安らかに思ってはいけないというのです。山のてっぺんから見下ろして、「あれは我々のビルだ」と言って誇るなというのです。そのビルが目をむいて「お前たちがビルを建てるとき、国民を搾取し国を欺瞞し、自分勝手にして建てたものではないか!」と言うというのです。

 このように見るとき、先生は国と世界のためにこの道を歩んできました。過ぎ去りし先生の歴史がそうであるように、皆さんもそうでなければなりません。もらった人、負債を負った人は僕となるのです。主人にはなれません。負債を負う人は、主人になれないというのです。

 それゆえに、今でもそうですが、どこに行こうが、先生はその地域の一番高い所を探していきます。行って祈祷するのです。「この地域で生きて死んでいったすべての霊人たちが、この地域をどんなに愛しているでしょうか。私がここに来ましたので、愛していた善霊たちがいるからには、愛したいその心の前に架け橋となってあげよう」と祈祷するのです。

 そのようなとき、自分よりも愛の高さが低いのに「愛してあげたいから協助してくれ」と、このようにして協助してくれますか。協助できないのです。しかしながら、高い位置に立って「善なる霊たちよ、私が高い愛の心をもってこの地域を祝福しようとするので協助してくれ」と祈れば、役事するというのです。福を祈れば、その福を祈ったことがその地に植え付けられるのです。

 本性の手を広げ、「私の懐で今晩はゆっくり休みなさい」と言えるおじいさんの心、お母さん、お父さんの心、神様がいれば神様の心をもって深刻に寝床に入り、涙をぽろぽろと流すようになるとき、そこで生きて死んでいった善なる霊たちが見るときに、涙を流すでしょうか、流さないでしょうか。その地の山水は、それが分かるというのです。変わることのない山や変わることのない自然は、知っているというのです。地は、地の主人がどのような人であるかが分かるというのです。「私がこの地の上でお前が願った、歴史上のどんな人よりも父母の心情をもって第一歩を踏んだので、悲しかった過去の歴史を忘れ、私と共にきょうから新たなる世界に出発すべし!」と言えば、「アーメン」と言うことでしょう。天国は、そのような人たちが行くところです。

 それではあの世に行って、「霊界において歴史始まって以来、褒めたたえ侍ることができる人が現れた」となることができる、ナンバーワンの人とは誰でしょうか。死んでいった霊人たち、先祖たちのために、彼らの恨を解いてあげようとし、この地上の現在の曲折の責任を負って解いてあげようとし、将来、後代の後孫たちの前に恨めしいものを残さないために、自分の時代に愛を中心として清算してしまおうという人です。

 たとえ、東西南北に追われ、休むこともできず、夜寝ることもできずに追われてきたとしても、そのような方が、あの世では侍ることの中心になるということは、間違いありません。

 霊界に行き、誰かが大声を張り上げれば、既に分かるというのです。「あれはどういう声なのだなあ」と分かるのです。皆さんが愛の和音を備えた主人公となって、そのような功労をもった人となって、大声を張り上げれば雲の群れのように押し寄せてくるのです。そのような世界が、皆さんの前にある永遠なる生涯路程に待っているということを知らなければなりません。私たちは、無限なる世界を旅行しながら、神様の人格を探し求めていかなければならないのです。

◆愛の幸福

 皆さん、星の国に行きたくありませんか。数千億個にもなる星の国が私たちの活動舞台です。それでは、何をもてばそのような世界に行っても戻ってくることができるのでしょうか。神様を愛することです。その心情の母体のようなものを中心とすれば、拡大されてのち、戻ってきても疲れないのです。行ったとしても、戻ってくることを思えば疲れないというのです。

 愛する妻と子供たちを食べさせるために、お金を稼ごうと千里の道へと出発したとき、困難なことは無限にあるのですが、愛する妻と子供たちのことを思えば越えていけるのと同じように、どんなに無限なる世界へと活動舞台が広がったとしても、疲れずに自由自在に行った来たりすることができるのです。

 人生というものがそうではありませんか。寝て起きて、行って来て、良かったり悪かったりすることではありませんか。それでは、何を中心として寝て起きて、何を中心として行って来て、何を中心として良かったり悪かったりするのですか。女性たちが烈女になろうとすれば、寝て起きることが夫を中心としなければなりません。行ったり来たりすることも、何を中心とするのですか。夫です。その次に、良かったり悪かったりすることも何を中心とするのですか。自分中心ではありません。夫を中心としてです。それが幸福な人です。反対に、与えようとしても与えることができず、受けようとしても受けることができない人は、不幸な人です。

 何を中心として与えたり受けたりしたいですか。パンですか、餅ですか。友達同士において喜ぶものとは何ですか。顔ですか。手ですか。情であって、愛です。不幸な人は、与えようとしても与えることができず、受けようとしても受けることができないのです。

 しかし、夫が死んだそのような妻の立場に立っても、愛をもって高く大きなものを与えることができるときには、夫があの世に行っても復活させることができ、引き上げることができるのです。そのような妻となる道を歩んでいくならば、どんなにか幸福でしょうか。また、夫の立場からも、たとえ妻を失って寂しいとしても、それを越えて妻以上の大きな本然の心情をもって永遠なる基盤をつくり、その世界に行き、かわいそうな妻を解放させることができる夫がいるとすれば、その夫はどんなに堂々として立派でしょうか。そうすることができるのは、お金ではありません。権力でもありません。知識でもありません。ただひとえに、本質的に流れ出る父母の愛、本質的に流れ出る同胞愛、すべて愛です。

 皆さん、忠孝烈が儒教思想の核心ですが、忠の中心とは何ですか。その思想の本質は何ですか。愛です。君臣間の引き裂くことができない愛が、一体を成すのです。孝子とは何ですか。父子間にそのような愛がなくてはなりません。例えば、父母が年老いてしまい、子供は若いとしましょう。年を考えれば四十年、あるいは六十年の差があって相対化できないような遠い距離にあるのですが、子供が母を訪ねていき、そのしわくちゃな母の顔にとても若い子供の顔がくっつくのを見るとき、美しいですか、美しくありませんか。美しいというのです。

◆本郷を訪ねていこうとすれば

 「故郷」がきょうのみ言の題目ですが、私たちが永遠に安息し暮らすことができ、幸福の基盤を無限なる世界に拡大してもまた、無限なる世界に縮小させることができる力の母体である愛の王宮があるとすれば、誰でもそこに行って住みたくなるのです。そのような世界で生活したいというのです。そのような本郷の地、本郷の故郷をもちたいと思うでしょう?

 それでは、一方向性の世界に行き定着しようとするのですか、四方性の世界の故郷に行き定着するのでしょうか。それが、皆さんの人生に残った課題なのです。私たちの心の本来の心情的度量というものは無限です。球形体を東西南北、前後左右に拡大し、宇宙までも接することができる素質をもっているのです。そのように無限に拡大しようとするのが私たちの本性であるにもかかわらず、皆さんがそのような愛の本性の前にどれくらい協助してあげるのかというのです。深刻な問題です。

 東に西に、南に北に、前後左右に伸びたいと思う本性の愛の心情圏が私の本性であるにもかかわらず、私自身が力を与えて伸びていくことができる援助者となっているのか、それとも反対者となっているのかというのです。援助者となるときには、宇宙全体が私の故郷となるというのです。それでは、故郷を思うように祖国の地を思ってみたことがあるでしょうか。外国に行っているので、その立場を越えることを先生は発見しました。

 ですから、イエス様が「怨 讐を愛せよ」と言われたことは、イスラエル版図圏内で語られたものではありません。天上世界の道理を知り、大宇宙圏内の故郷を思う心をもってみるとき、部落で争ったことを許すことは問題ではないというのです。

 ゆえに、心情を中心として風霜をたくさん経験した人は、不幸な人ではありません。霊界が分かってみれば、そうなのです。貧乏だからといって不幸なのではありません。子供一人のために億千万金、どんな地をあげても買うことができない宝物の価値として、ひと月の自分の月謝を出す父母のその期待は天地が同和するというのです。貧乏が不幸なことではありません。そのような根気ある父母の子孫を通して、そのような母たちの系統を継いだその後代の中から、世界を愛することができる聖子が生まれたというのです。

 私たちは、故郷を訪ねていかなければなりません。肉的な故郷は自分が生まれた所ですが、霊的な故郷はあの世の世界です。肉的な故郷は横的な故郷ですが、霊的な故郷は縦的な故郷です。皆さんは横的な故郷をたどって世界を愛していってこそ、縦的な故郷を愛することができるのです。

 この地球で生きることは、横的な愛をなす訓練と同じです。「私は韓国人ですが、万民と結婚することができる」と、このように考えるとき、五色人類を自分の姉妹のように愛し、自分の妻のように愛したい心情がわくのです。それは、天の心情ではないですか。

 きょうの題目が「故郷」と言うからには、忘れてはならないことは、肉の故郷は自分が生まれた所ですが、霊の故郷もあるということです。それではこの霊が「霊的な故郷を捨てて肉的故郷に行こう」と、そのようには言わないのです。自分をすべて忘れてしまい、母、父、兄弟をすべて忘れてしまっても、「神様を愛せよ」と言うのです。

 心の故郷の福地を探し求めていくべき人生の行路の前に、落伍者とならないためにも、故郷を越え、この国を越えて、人類を越えて愛したのち、神様とあの世にいる先祖たちと将来の後孫を抱き愛していかなければなりません。そのような道を行く人々は、高い天の故郷において主人の位置にとどまるのです。それが天理原則です。

 皆さんも横的な人生行路を経て、縦的な天上世界の本郷の父を訪ねていき、その永遠なる父の家で幸福になることができる息子、娘となることを願います。それが故郷を訪ね求めていくすべての人々の希望の基地となることでしょう。

















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