文鮮明先生の教育哲学
(全面表示) 戻る INDEXへ
 世界平和と統一に関する文鮮明先生のビジョンと実践 3

五 祝福家庭の子女教育、これが重要だ

 子女たちを教育する時にも、どのようにすればみ旨に対する使命を全うする人として教育することができるかということを考え、赤ん坊に乳を飲ませる時にも、このようなことを考えながら飲ませなければなりません。(一二−三四、一九六三・一・二五)

 祝福家庭は、家法をつくらなければなりません。そして、子女たちの教育基準と家庭の規範をつくらなければなりません。そのようにしないで、もし父母が誤って子女たちの追及を受ければ、返す言葉がないというのです。(二一−八七、一九六八・一一・三)

 父母になれば、どのようなことをしてでも、息子、娘に統一教会の正道を行かせなければなりません。そのようにしなければなりません。そして、自分自身も正道を行かなければなりません。自分が先に歩んでから子供に教えなければならないのです。子供を教育するためには、まず自分がそのように歩まなければなりません。そのようにしたのちに子供を教育しなければならないのであって、自分はしないで教育しようとするのは、天道から外れたことです。(二三−三二一、一九六九・六・八)

 皆さんには、祝福を受ける前に生んだ息子、娘である霊の息子、娘と、祝福を受けてから生んだ息子、娘がいるでしょう。まさしく蘇生、長成、完成と同じ形態をなしているのですが、この息子、娘たちをどのように教育するのか、ということが何よりも複雑な問題だと思います。皆さんがこの問題を模範的に解決しなければ、今後既成祝福を受ける数多くの家庭と彼らの息子、娘の前に、相当な影響を及ぽすのではないでしょうか。この問題は、皆さんが果たすべき重要な責任だと思っています。そのような立場で考えてみるとき、皆さんは、皆さんの息子、娘が教会生活を忠実にするようにしてあげなければなりません。(三一―二六六、一九七〇・六・四)

 今後、子女教育を正しく行わなければならないことはもちろんであり、早く祝福を受けさせなければなりません。皆さんの家庭の三代が祝福を受ければ、一つに結ぶことができます。皆さんが死ぬ前に、三代が祝福を受けなければなりません。そのようにして越えていかなければなりません。(三一−二八二、一九七〇・六・四)

 皆さんを中心として家庭的に新しい体制を備え、祭物的立場でより次元の高い出発をしなければならないというこのような時に、昔、皆さんが一人でいた時よりも、家庭をもった今のほうがみ旨の前にプラスとなっているのか、いないのかということを反省してみなければなりません。もし妻が、「み旨であろうと何であろうとすべてほうり出して、私だけを愛しながら生きてください」と言えば、その口を引き裂いてしまわなければなりません。

 そのような妻は、原理的に厳格に教育しなければなりません。「私たちは、先生を中心としてこれを行うために出会ったのだ」と言いながら、原理的な立場から、目から血のような涙があふれるほど妻を教育しなければなりません。しかし、夫が威信を失ってしまい、引っ張り回されていて話すことができないでいます。皆さんが教育しなければなりません。妻を教育して、より優れた立場を模索していかなければなりません。これを模索するために、今回、家庭的な活動を強化しようと思います。そのような時代が訪れてくるというのです。(三三−六二、一九七〇・八・一一)

 今、私が考えると、祖父と祖母、父と母、そして私の三代を通して神様に忠誠を尽くす基盤をもつことができなかったことが恨です。祖父、父、孫の三代が共に集まり、孫が父を呼べば「何だ」、おじいさんを呼べば「何だ」と答えて、「神様のみ旨のために、一緒に秘密会議をしましょう」と話せば、「うん、うん、そうしよう」と言うことができる先祖たちをもったとすれば、どれほど幸福でしょうか。皆さんは、それをよく考えなければなりません。今から皆さんは、息子、娘にそのような教育をしなければなりません。(三六−七九、一九七〇・一一・・一五)

 昔、名門の家では、子供を教育する時に、「朝は、できるだけむやみに話さないようにしなさい」と教えました。「朝は、できるだけ先に話さないで聞きなさい」と教えたのです。このような態度は、信仰生活でも必要です。(四〇−七二、一九七一・一・二四)

 皆さんは、皆さんの妻を、「あー、この娘は、神様の三大麦を受けるにおいて、世界にまたといない娘として愛を受けた人であり、世界にまたといない妻として愛を受ける人であり、今後世界の誰よりも母としての愛を受ける人だ」と思わなければなりません。それゆえに、皆さんは、子女教育をどのようにしなければならないのでしょうか。子供たちが、「私のお父さんとお母さんは世界で一番だ。神様以外には、私たちのお父さんとお母さんよりも偉大な人はいない」と誇ることができる教育を行わなければなりません。それが統一家庭の教育法です。神様が「そうだ」と言うことができ、皆さんの子孫が「そうだ」と言うことができれば、それが公認されるのです。

 私の子供たちを見れば、「神様の次には、私たちのお父さんだ」と言います。皆さんも、そのような思想を子女たちに教育しなければなりません。先生は、皆さんの家庭においてはおじいさんでしょう? 皆さんは子女たちに、「私はおじいさんの愛を受けたので、私もおじいさんと同じだ」という教育をしていますか。皆さんの息子、娘にそのような教育をしていますか。

 子供に、「先生は、神様の愛を受けてあのようになられたのだが、その神様の愛を受けられた先生があなたのおじいさんだ。この父は、そのおじいさんから誰よりも愛を受けたのであり、おじいさんと一つになっているので、世界中の誰にも負けない一番の父だ。だから、この父があなたを愛するにおいては、世界で一番だ」と教育していますか。自分の子供を愛するにおいては一番でしょう? そのような思想を注入してあげなければなりません。これが千年、万年継続しなければなりません。その血統が汚されることなく千年、万年継続すれば、あの世の先祖も、この地の子孫も、千倍、万倍福を受けるのです。(四七−二I九、一九七一 ・八・二八)

 私たち祝福家庭と祝福家庭の息子、娘たち、そしてその息子、娘の息子、娘たち、すなわち三代がどのように先生と共に生きることができるか、ということが大きな問題です。三代が功臣になれば、・天下にいない天上世界の功臣になる、ということを考えてみましたか。それゆえに、自分の息子、娘を抱いて、今からそのような思想を入れるために、教育して精誠を尽くさなければなりません。(五一−二六九、一九七一・一一・二八)

 「私が、統一教会の誰よりも精誠を尽くし、誰よりももっと立派に息子、娘を教育し、神様が記憶せざるを得ない立場に立って、もし先生がほかの考えをすれば、神様が命令してでも姻戚を結ぱざるを得ない家庭的基盤を築かなければならない」と言って、夜でも昼でも、生涯を捧げて夫婦が】体となり、その夫婦と子女が一体とならなければなりません。このように神様が記憶することができることをなしてきた家庭があるのか、ということを考えてみると、ありません。ないというのです。(五一−二七四、一九七一・一一・二八)

 堕落がなかった家庭とは、男性と女性が完全に神様の息子、娘として愛を受ける人々のことです。神様と完全に一つになった人々です。そのような男性と女性が、愛を中心として完全に一つにならなければなりません。その夫婦は、父母としてだけの目的があるのではありません。子女のために教育が必要です。なぜかというと、四方を備えなければならないからです。(五三−六八、一九七二・二・九)

 祝福家庭は、その息子にも、祝福を受けた家庭がどれほど貴いものなのかということを教えてあげなければなりません。時折、先生も、お母様に気合を入れます。教育する時があります。そのような時は、目玉が飛び出すほどに厳格です。このように厳格だとは思わなかったというふうにです。お母様も、教育を受ける時は涙を流さなければなりません。しかし、そのような時に子供たちが入ってくれば、そのような気配がないようにしようと約束しました。父と母が二人で話しながら涙を流すようなことは絶対に子供に見せないというのです。

 いくら話をしていても、子供たちが入ってくれば、すぐに話題を変えなければなりません。「おい、入ってきなさい……」。そのようにしなければなりません。そのようにすれば、「私たちのお父さんとお母さんは、けんかをしないお父さんとお母さんだ」と言うのです。そのようなことを教えてあげなければなりません。それゆえに、息子、娘は偉大な先生です。何も物心がついていないように見えますが、恐ろしい師と同じように思わなければなりません。良いものは見せても、悪いものを見せてはいけません。悪いものは見せてはいけないだけでなく、してもいけません。(五六−五三、一九七二.五・一〇)

 皆さんは、教育する時に、「国のためよりも世界のために生きる人になりなさい」と教えなければなりません。私、統一教会の文先生は、「国の忠臣になるのではなく、世界のために聖人の道理を果たしなさい」と教えてあげます。聖人の道理は、国を治める法があるので、聖人の道理だけではなく、天国に入っていって王子の道理を果たしなさいと教えるのです。王子の道理、天国の王子となることができる道理を教えてあげるのです。(一四八−一二四、一九八六・一〇・五)

 走っていきながら、子供に対して、「私が死んだとしても、あなたは、私のリレーのバトンを持って走らなければならない。私がこのように苦労するのは、世界を生かすためなのだ。そうすれば、そのような世界が訪れてくるのだ。それが神様の願いであり、真の御父母様の願いであり、あなたの父の願いであり、あなたの母の願いである。そして、あなたの願いであることに間違いなく、天下の人たちが永遠不変、万世に褒めたたえることのできる願いであることに間違いないので、この道を行かなければならない」という教育をすることができる真なる父と母にならなければなりません。死んでいきながらでも、このことを残していかなければならないという事実を知らなければなりません。(一四八−一二九、一九八六・一〇・五)

 私は、二世教育において、「あなた方は、あなた方の父母の言葉を絶対に聞いてはいけません」と言いました。聞いてはいけないというのです。今まで韓国で暮らした習慣性をすべて忘れてしまいなさいというのです。忘れてしまわなければなりません。統一教会から始まるのです。統一教会から伝統を受け継ぎ、習慣化しなければなりません。先生を中心として、神様を中心として習慣化しなければならないのであって、自分の父母を中心として習慣化してはいけません。(一四八−二一二、一九八六一〇・九)

 変わるような怪しいその家庭の垣根において、私だけは、娘として、息子として、革命的な旗手として天から派遣されているのだということを知って、父母にそのように対し、兄弟にそのように対し、上下・前後・左右を備えた永遠の真なる要素をもって父母に対さなければなりません。対応的な立場に立つのではなく、教育して相対的立場で育てて、「あなたのすべてのことに従っていこう」と言わせることができるように、「あなたの言葉ならば、絶対的に信じよう」と言わせることができるようにしなければなりません。そのような統一教会の教会人にならなければなりません。そのような息子となり、娘とならなければなりません。夫となり、妻とならなければなりません。舅、姑となり、嫁とならなければなりません。そのようにすれば、真なる家庭が現れます。真なる家庭をもってこそ、幸福な個人になるのです。(一六九―八五、一九八七・一〇・二五)

 祝福を受けた人々が息子、娘を教育しようとすれば、原理をもって教育しなければなりません。生んだからといって喜び、かわいいとぎゅっと抱き締めて、個人の情で喜んではいけません。天をお迎えして喜ばなければなりません。層層侍下(注:父母、祖父母など、仕えるべき目上の人がすべて健在している立場)です。一方的ではありません。東西南北に層層侍下で侍っているのです。(一九六−二八九、一九九〇・一・二)

 昔、韓国では、女性が自分の子供の教育に過度に熱心でした。韓国人は、息子、娘に大変な関心をもちます。人に負けることを嫌って、「勉強をさせなければいけない」と言って、家を売り、田を売り、それでも良いというのです。自分の心と体までも犠牲にして子女教育をします。それは、天理に通じ得るのです。ですから、そのような韓国の民には希望があると思います。(二四五−二一四、一九九三・三・七)

 神様と真の父母に侍って代表的な家庭となり、中心家庭となって、家庭では孝子、孝女、国では忠臣烈女、世界では聖人、天地では聖子の道理という、天が願われたすべてのことを私たちの家庭においては完成しようというのです。父母としての子女教育と、国家では民の教育と、世界では、天地ではその天国の一族、家庭の一員として合格者となることができるようにしようというのです。(家庭宣誓二)(二六〇−一八九、一九九四・五・八)

 子女教育の徹底化です! 日曜日の朝の敬礼式に息子、娘を参席させていますか。させなければなりません。毎日、真の御父母様の写真を見ながら、「このような悪いことがありました。あとで調査してみると、お父様が正しかったです」と言いながら報告するようになるとき、より一層、正しい報告を捧げなければならないということを悟るようになるのです。それゆえに、徹底的に参席させて教育していきなさいというのです。

 絶対信仰、絶対行動、絶対報告することができる一日一日の生活をしながら、内的に成長し得るように教育することによって、子孫たちが立派になるのです。日本を守り、日本を指導して余りある息子、娘がそこから出てくるのです。それ以外の方法はありません。(三〇五−八九、一九九八・三・二九)


六 父母が模範を見せなさい

 兄弟は、父母がお互いに愛するのを模範としなければなりません。父と母がお互いに愛しているではありませんか。母の代わりとしての娘であり、父の代わりとしての息子なので、父と母が愛し合う愛の伝統を模範としなさいというのです。しかし、今までのサタン世界にはそのような父母がいなかったので、真の父母を中心として孝行する道理を模範としなさいと教育しなければなりません。統一教会における先生の家庭と皆さんの家庭、先生と皆さん個人をおいて見るとき、皆さんの息子、娘も、先生に対する皆さんの心を学ぶのです。子供は、父母の心情を学ぶのです。

 子供たちが、「私たちの父母は、どれほど困難なことがあってもそれを実行される。時間を超越されている。また、環境を超越されている。疲れを超越されている」と言うことができる父母にならなければなりません。また、子供たちが、父母の命令であればどのような環境であっても動くことができる伝統を家庭に立てなければなりません。そのようにして子供たちに、「この道は、父母が歩んだ道なので行かなければならない。すべての条件から見るとき、実行することができることではないか」と言わせなければなりません。また、夫婦が父母のために生きるのを見て、その子供たちがそれを手本にするようにさせなければなりません。そのようにして、子孫たちを教育することができる基準を立てなければなりません。(三〇−八七、一九七〇・三・一七)

 天の教育をしなければならない時は、まず皆さんが模範とならなければなりません。先に孝子とならなければなりません。皆さん自身がまず天の法度に従って孝子、孝女となってこそ、そこから天の伝統的な「孝」の因縁が成立するのです。

 そのような立場で皆さんは、天国のために、み旨の前に忠臣となることができる道理を皆さんの息子、娘に教えなければなりません。大韓民国ならば大韓民国のために息子、娘が泣く時は、「あなた方は国のない民なのだ。あなた方が暮らしているこの大韓民国は、あなた方の本当の国ではなく、再び迎えるべき国があるのだ」と、手を握って涙を浮かべながら教えることができる父母にならなければなりません。懐に抱いた赤ん坊の呼吸を感じるがごとくに、天の憂いを共に感じながら涙を流すことができる立場で教育しなければなりません。そのようにすれば、恨を残した父母として、教育の幅が広がるのです。(三〇−一一二、一九七〇・三・一七)

 教会よりも国のために生きることができる愛国者として子供を育てなければなりません。そのようにするためには、父母が模範を見せなければなりません。模範を見せながら教育する父母が正しい父母です。愛で正しく教育したのちに、「しなさい」と言ってこそ、正しい父母だというのです。皆さんがそのような生活をするようになれば、神様は、皆さんから離れようとしても離れることができません。また、そのような人には、何か分からない強い力があり、すべての人の視線を自動的に引くようになります。その人には関心をもたざるを得ないというのです。(三四−三1、一九七〇・八・二九)

 私が私の子供を呼んで教育する時は、「私の願いがこうなので、あなたはこのように行かなければならない」と言い、夫が死ぬ時は妻に、妻が死ぬ時は夫に、父母が死ぬ時はその子供に、このような遺言をしなければなりません。「私が良心的に見るとき恥ずかしくなく、愛する息子に宇宙で最も良い贈り物を与えたいと思うので、私が歩んだこの道を継承してくれ」と言うことが最高の遺言です。それが遺産の中の遺産だということを知らなければなりません。「そのようにすれば世界があなたのものになり、神様と宇宙があなたの所有になる」というのです。これがどれほど驚くべき事実でしょうか。(一二五−一〇六、一九八三・三・一三)

 妻が見るときに、恥ずかしくない夫とならなければなりません。妻が神様の特使です。息子、娘が天の特使です。私を監視し、私を教育して、正しい道を歩ませるための一番の側近者としての特使だというのです。子供の前に恥ずかしくない父とならなければなりません。その天の特使たちを養うにおいて、盗んだものをもってきて食べさせてはなりません。詐欺を働いて天に侍ることができますか。先祖に侍ることができますか。そのようにして皆さんがあの世に行けば、すぐに先祖が審判します。神様は審判しません。先祖が審判し、結局は世界的公判廷まで引き出すのです。先祖たちがそこで報告して公判廷に引き出さなければ、その先祖たちが善なる者となることができません。そのような統治法を背後におき、未来に希望の基盤を決定づけなければならず、またそのような日々を迎えていかなければならないこの生涯の路程というものは深刻だというのです。(一六三−三三、一九八七・四・一八)

 父母は、どのようにしなければならないのでしょうか。父母の教えは、どのようなものでなければならないのでしょうか。本当の師とは、学問を教える師よりも、愛を教えることができる立場に立った師です。父母は、愛を中心として血筋が連結された一体圏内にいることはもちろんですが、子供に対して愛を中心として教育しなければなりません。それゆえに、「兄弟間においてはこうでなければならず、夫婦関係はこうでなければならず、あるいは一家を率いるにおいてはこうでなければならない」ということを教育しなければなりません。すべての面において、「家和万事成(注:家庭がむつまじければ万事うまくいく)」と言うことができるように、愛をもって教育し、「愛の主人になりなさい」と教えなければなりません。これが父母の役目ではないかというのです。(一九八−六三、一九九〇・一・二一)

 息子、娘たちに、「夫婦とはこのように暮らすものだ」という模範を見せなければなりません。「お父さんとお母さんは、あのように仲良く暮らしている。だから、私も早く結婚してあのように暮らしてみたい」と言わせるようにならなければなりません。すべて学んでこそ実践するのです。父母が教育するのです。父母にかかっているのです。(二六〇−二九六、一九九四・五・一九)

 皆さんが家庭で先生に侍る時、子女たちが教育を受けることができるように、すべて見せてあげなければなりません。「このお方は、これこれこのような歴史的な受難の道を経てこられたので、私たちがこのように侍ることによって、先生の代を継承したすべての祝福が私たちの家庭に訪れてくるのだ」と言うのです。水源地のパイプの大小に従って水が配給されるのと同じように、そのようにしなさいというのです。(二八三−七七、一九九七・四・八)

 父母は、子供のために生命を分け与えました。また子供は、父母から受けたので、返してさしあげなければなりません。真なる父母の前においては、孝子という言葉は必要ありません。一つになれば永遠に一つになるのが孝子です。真なる王の前に、忠臣という言葉や教育の材料は必要ありません。一つになれば終わりです。神様の前にいかなる聖子の道理も、何だかんだというものは、すべて必要ありません。一つになればよいのです。愛を中心として一つになればよいのです。(三〇一−一一九、一九九九・四・二五)


七 子女の前でけんかをしてはいけない

 夫婦が一つにならないところには、自由もありません。平和もありません。ですから、皆さんが平和を思い描こうとすれば、心と体が絶対的に一つにならなければなりません。これが、文総裁の教育の第一条です。今まで聖賢たちは、世の中がすべて悪く、自分たちは優れていると思ったのですが、そうではありません。第一条が誤ったのです。父と母、夫婦同士が一つにならなければ、天下がつばを吐くというのです。夫婦同士一つになり、一代と三代が一つになれば、天下が訪れてくるのです。(二四三−一六九、一九九三・一・三)

 皆さんに息子、娘がいれば、その息子、娘に父と母が言い争っている姿を見せてはいけません。絶対にそれを見せてはいけません。約束するのです。先生の家庭、お父様とお母様も同じです。今まで子供たちが成長してきましたが、「私たちのお父さんとお母さんは絶対にけんかをしない。私たちのお父さんとお母さんは、この世で一番のお父さんとお母さんだ」と言うのです。いかなる国の王よりも、誰よりも希望峰の主人公だと言うことができるように教育しなければなりません。息子がいれば、「私はお父さんのようになる」と言い、娘がいれば、「私はお母さんのようになる。お母さんのような女性になる」と言うことができるようにならなければなりません。それが教育です。(九〇−一二三、一九七六・一〇・二一)

 息子、娘たちが、「お父さんとお母さんがけんかするのを一生の間見ることができずに生きた」と言うようにならなければなりません。暮らしてみれば、ありとあらゆることがあります。そうではありませんか。小言も言わなければならないのです。うまくいかないこともあるでしょう? そうかといって、それをしつこく追及してけんかをし、手を出してはいけません。そのような時は、話をして教育していたとしても、子供たちが入ってくればすぐにストップしなければなりません。元の状態に戻らなければなりません。どれほど父が残念に思っても、赤い顔で息子に対してはいけません。これが先生の哲学です。それで、私の子供たちは、常に平和でむつまじいお父さんとお母さんだと思うのです。母の中で一番であり、父の中で一番だと思うのです。ですから、父と母は第二の神様です。「神様を所有したいか、父と母を所有したいか」と聞いたとき、「父と母を所有したい」と言うことを神様も喜ぱれます。それが貴いことです。教育の中で最も貴いことです。

 彼らの情緒的な標準、情緒的な方向は、父母を標準として準備されなければなりません。「私も、あの父と同じような夫となって、あの母と同じような妻を迎えよう。迎えることができなければ、育ててでもそのようにしよう」、このような教育をするのです。心情的教育は、そこからしなければなりません。ですから、けんかをすることは神様を追い出してしまうことであり、それから夫と妻を追い出してしまい、父母を追い出してしまうことです。それから子供まで追い出してしまうことです。破綻が起きるのです。(一六五−九四、一九八七・五・二〇)

 皆さんは、息子、娘を愛さなければなりません。人の父母になるということは簡単ではありません。生むということは簡単ではありません。それを知らなければなりません。天地を通して生むのです。真なる愛の因縁に従って天地の運勢と連結され得る愛の法度に連結され、横的な愛に一致し、縦的な愛に一致して天地が合同する、そのような立場にいる夫婦の愛を中心として因縁をもった立場で子供を生んであげなければならないのですが、そのような立場で子供を生むことができなかったのならば、悔い改めなければなりません。子供の過ちを見れば、その過ちをしかる前に、自分自身が悔い改める心で子供に教育することができなければなりません。父母の役割を果たすということは大変なことです。いい加減に生きてはいけません。

 先生が、お母様と暮らしながら腹が立ったことがあったでしょうか、なかったでしょうか。先生の性急な性格でこぶしを振り上げて、「この女!」と、そのようにしたいと思った時があったでしょうか、なかったでしょうか。自分一人では、いくらでもそのようにするでしょう。そのような時は、神様を思うのです。先祖から、真の父母の行く道はこうでなければならない、真の父の行くべき道はこうでなければならないとして……。その代わり、ずれていくようになる時は、涙がすっと出るように教育するのです。妻を教育しなければならない責任が夫にあります。それゆえに、私が手を振り上げて「この女」と言うことはできませんでした。「この女」という言葉は、一度も言ってみることができませんでした。愛を媒介として対さなければならないのに、サタン的な素性、サタン的な性質を媒介として妻に対そうとすることは、天地の原則に背くことです。それを知らなければなりません。(一六八−二一七、一九八七・九・二〇)


八 青少年教育は誰もができるわけではない

 今日、十代の青少年が問題となっていますが、なぜそのようになったのでしょうか。父母の愛の懐を離れたからです。家庭から、おなかの中からひっくり返ったので、世の中は言うまでもありません。それでは、今日のこの青少年問題を中心として、誰が秩序を正すのでしょうか。統一教会がしなければなりません。ところで、この青少年問題をお金で解決しようとすれば、どれくらいあげなければならないでしょうか。大学に通うには、数十万ウォン以上のお金がかかります。もし先生が、大学以上に行くそのような教育を行った代価としてお金をもらうとすれば、統一教会は裕福になるでしょう。そのようになれば、お金をあげて自分の生命を得た結果になります。

 過去のキリスト教徒や仏教徒たちは、生命を捧げてもこのような思想を得ることができませんでしたが、統一教会の人々はそのような恩徳を受けたので、皆さんはその恩徳に報いなければなりません。また、恩徳を受けようとすれば、ふろしきでも準備しなければなりません。嫁いでいくのに、をまとって嫁ぐ人がいますか。今、宝石箱を相続しなければならないというのに、むしろや袋のようなスカートをはいていって相続することができますか。それは失礼になるのです。準備しなければなりません。(二四−二七三、一九六九・八・二四)

 世界で一番の問題は、神側から見れば共産党です。その次には、宗教が終末を迎えてばらぱらに分かれたことです。それで、統一教会を立てました。その次には、青少年の淪落の問題です。サタンによって糞まみれとなり、糞のにおいを漂わせているのをすべて洗い、白い服を着せて天国の宮殿に入っていくことができる正しい人として教育しなければなりません。(一二七−三三、一九八三・五・一)

 アメリカの若者たちに国があるでしょうか。世界があるでしょうか。家庭もなく、「私だけが一番だ」と言っているのですが、これは滅ぶようになっています。学者世界においても滅ぶと考えており、軍に関係している人々、軍を指導してきた人々も滅ぶと考えています。これが現実です。それで、教育しています。すべて滅ぶしかありません。一つ一つ見つめるとき、手をこまねいているだけで、なすすべがありません。最近では、「レバレンド・ムーンだけが希望だ」と言っています。それが現実的事実ではないかというのです。

 どのようにして青少年の淪落問題を防ぎ、麻薬問題を防ぐのでしょうか。どのようにして防ぐのですか。国の指導者たちをつかまえて、分科委員を通して、教育制度から、社会浄化運動から法令を新たに制定していかなければなりません。そのようなことをすることができますか。国会にすることができ、大統領にすることができますか。誰にすることができますか。

 アメリカがそうなのですから、世界はすべてそうです。アメリカもそのようになっているので、世界は近いうちにすべてそのようになるはずですが、そのようになった時に、レバレンド・ムーンがそれをなすために、それができる人々をもっているのでしょうか。一人ではできません。アメリカにいますか。日本にいますか、韓国にいますか。統一教会の教会員たちをじっと比較してみるとき、一般の人々が落胆するのです。だからといって、社会にいる人々をつかまえてレバレンド・ムーンの行く道に歩調を合わさせるには、この人々を連れてきたところで、再び数十年教育しなければならないのです。ですから、数十年かかるというのです。この不幸の道をどのように補うのかということが、当面の問題となります。(一四六−八六、一九八六・六・六)

 蒔いたとおりに収めるのです。エデンの園で淫乱によって蒔かれたものが、終末時代になると、淫乱によって収穫される世界的混乱時代が到来します。十代の青少年がどうして木陰に入っていき、恥ずかしいことも知らずに地獄に直行する淫乱の行為を犯すのでしょうか。今、終わりまで来て、何かの道義的教育や軍事力、あるいは経済力をもってそれを是正することができるのでしょうか。その限界性を誰が越えるのでしょうか。(一九五−九八、一九八九・一一・五)

 アメリカという国は複雑です。アダムとエバが堕落した、その本性的実を結んだ青少年の淪落行為がアメリカ社会に氾濫しています。しかし、淪落したその社会を収拾する方法がありません。軍事力や政治的力でもできず、教育の力でも是正する道がないという難しい社会環境になっています。それゆえに、末梢神経の刺激に従っていって死亡世界である地獄に向かうという、サタンの喜ぶ現世となってしまいました。このようなアメリカを救うことができる方案がないというのです。このような環境において、統一教会だけがその処方便をもっています。(二〇七−三二一、一九九〇・一一・一一)

 青少年たちを正しく教育しなければなりません。アダムとエバが青少年の時に堕落したので、私たちは、青少年に火をつけてしまわなければなりません。道義的信念とそのような生活的必要条件に適合し、社会の進展と発展の道義的面に適合することができる人格基準を形成しておかなければなりません。(三〇九−三二五、一九九〇・一一・三〇)

 共産世界と民主世界を接ぎ木するにおいては、自分たちの力ではできないようになっています。文総裁が必要です。なぜでしょうか。淪落問題ゆえです。アメリカの青少年が淪落に陥っています。二世たちがサタン世界に追い込まれています。しかし、今、二世たちが先生の救済圏内に入ってきました。共産世界が私たちに反対する時も、ソ連の二世たちは、先生の側に立ったのではありませんか。きちっと正すのです。それで、今、二世たちを連れてきて教育するのです。既に始まっています。今年の七月になれば、三千人の教育を終え、ソ連の有名大学の総長や学長をしている人々が旗を掲げ、ラッパを吹きながら文パーティー・クラブになろうという運動まで起こっています。ソ連でも、民主世界は比較にもならないほど有名になりました。(二一五−一二四、一九九一・二・六)

 世界の人類は、男性と女性に区分されます。幼い子供たちは、最初は息子、娘として育ち、その次には一人の人間として考えるようになります。それが基本的な教育形態です。家族の構成体としてその人々を考え、愛すれば、本然の天地に入っていくことができます。私は、そのような環境をもってみることができませんでした。それで、死ぬことができません。原理観がそうです。

 フリーセックスによって、家族のすべてのものが破壊されていきます。フリーセックスは亡国の種です。神様の創造理想を完全に破壊しようとするものです。知っているように、サタンは、悪の勢力を構築するために、このすべてのことを引き起こしています。レバレンド・ムーンがアメリカに来て、そこで皆さんを呼び出して教育しているのは、サタン的な世界が使用することができないように、淫乱的思想をハンマーでたたいて壊すことです。それは、私たちが正しく武装されているということを意味します。強力な理論的なみ言と真理をもって敵対するのです。(二一六−一〇七、一九九一・三・九)

 十代とは何でしょうか。アダムとエバが十六歳で堕落したので、十代を越えて二十代になる人は神様が責任をおもちになるのです。アダムとエバが責任を全うすることができませんでした。この世界の淫乱の青少年たちは、どのように責任をもつのでしょうか。天が責任をもち、二世を一度に追い込んで教化する時が来なければなりません。アダムとエバがいちじくの木の葉でそのとがの部分を覆ったのと同じように、青少年たちは本の下で堕落しています。そのように蒔いたので、そのようになるのです。

 それでは、これを誰が清算するのでしょうか。文総裁でなければできません。真の父母の名によって、真の母のみ旨を中心として、真の子女教育と真の家庭教育と真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界、真の神様の教育を中心としてこそ、地上天国、天上天国の理念を完成することができるのです。(二三二−二〇六、一九九二・七・六)

 今、家庭が一番問題です。国の力、経済やいかなる文化の力、教育の力、いかなる宗教の力も、家庭の破綻と青少年の淪落には手をつけることができません。それは、真の父母の特権です。神様も干渉できず、サタンも、フリーセックスによって堕落してしまったこの環境を転換させることができません。神様は、エデンにおいて手をつけることができなかったように、この世の中に手をつけることができないのです。誰が手をつけることができるのでしょうか。手をつけることができる主人は、真の父母だけです。偽りの父母が植えつけた破壊的で、すべての真の愛の道を破綻させてしまったその悪なるものを誰が蕩減するのかというと、天の全体、全般、全能の権限をもった真の父母だけが、メスをもって手術することができるのです。ほかの誰もできないというのです。(二八三−二二九、一九九七・四・一三)

 先生がこの青少年問題、家庭問題を解決しなければなりません。今、世界的に、いかなる政府や経済力や教育や芸術やいかなる力をもってしても、手をつけることができない青少年の淪落、家庭破綻が起こっているのですが、これは、先生がしなければならない特権です。世界がすべてそのようになっています。完全にそのようになっているのです。

 皆さん、考えてみてください。天地においてどれほど特権的立場に立っているか分かりません。この地上で審判することができる立場にいるのであり、教育においても、愛を中心とした父母の立場を代理しているのが私たち統一教会の立場だということを考えてみなさいというのです。(二九二−三〇一、一九九八・四・二七)

 今からは、中学、高校に入っていって教育しなければなりません。原理教育をしなければなりません。帰れば、すぐにそれを計画しなければなりません。子孫たちももちろんですが、自分の友人たちにそれを伝授し、定着して▽生の間歩んでいくためには、思想を注入しなければなりません。神様のみ旨から見るときこうだということ、天法がどうだということ、天理がこのようになっているので私たちもこのように行かなければならないということを教えなければなりません。何よりも重要な教育なので、学校で教えることができるようにするのです。今はプログラムすることが可能なのです。

 創造原理と堕落論、歴史的同時性を中心として、韓国で再臨するということを話し、真の父母を中心とした祝福がなぜ祝福なのかということを話すのです。それだけを話すのであれば、五、六時間あればできます。その次には本をあげるのです。先生にあげると同時に訓読会をしてもらうのです。学校で本を十二冊ずつ買って備えておくようにさせれば、万年教育をすることができるのです。

 「青年連合」があるでしょう? 婦人会と青年が一つになって、中学、高校の学生たちを教育するのです。兄と母の代わりです。母の代わりとなる女性を動員し、兄の代わりとなるカインを動員するのです。カインと母が問題でした。エバとカインが問題ではないですか。それを蕩減するために、カインの立場である「青年連合」と母の立場である婦人会が責任をもつのです。(二九五−七二、一九九八・八・一七)

 今まで純潔教育をしてきたので、今からは本当の教育を行わなければなりません。純潔教育は、この地上で生きる時に純潔を守って生きなければならないということを教えることであって、永生問題とは関係を結ぶことができていません。祝福を受けて永生問題と因縁を結ぶためには、必ず原理の骨子の思想を注入しなければなりません。それで、小学校から中学、高校、青年、父兄まで教育して祝福を受けさせるのです。その次には教育する必要はありません。学課、学制にするのです。小学校の学課から、中学、高校、大学の博士コースまで、学課を中心として原理の骨子の思想を表現することができるように教育しなければなりません。(二九五−七四、一九九八・八・一七)

 今まで、皆さんに純潔運動を指示してきましたが、大学や高校を問わず、私たちしか人がいません。自他がそれを公認しているのです。純潔教育を行うことができる資格者がいません。ですから、世界史的な召命的責任が私たちにかかっているということを知らなければなりません。過ぎ去る過程で青少年を教育するという、そのような考えではありません。私たちの血族を正し、私たちの国を正して、私たちの天国を建設することができる伝統的な道に入っているのだということを知らなければなりません。(二九五−一〇三、一九九八・八・一七)

 青少年教育は、先生の特許権です。誰も、青少年を指導することができません。教育することができません。その次に、堕落したこれらの家庭を救う道理がありません。それは、先生の特許です。特許権を侵犯すれば、法に引っ掛かるでしょう? どのような特許でしょうか。愛の特許です。真の愛を中心とした真の父母の特許権、真の家庭の特許権、真の血統の特許権です。千年、万年、純潔を守ることができる血統圏をもたせるのです。これが、先生のもっている特許権です。特許権をもっているので、先生のサインさえあれば、どこでも通じるというのです。(二九九―二三三、一九九九・一・一七)

 青少年の淪落と家庭破綻をどのようにして防止するのでしょうか。レバレンド・ムーンの教えを受けて、レバレンド・ムーンに従っていかなければなりません。それは、世の中がすべて知っています。すべての国家の為政者が知っており、教育者も知っており、宗教指導者も知っており、テロ集団、マフィアまでも知っているということを知らなければなりません。それは、私たちの専売特許です。それは大変なことです。その真理は、原子爆弾よりももっと強力な力をもっています。(三〇七−一一九、一九九八・一一・七)

















SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送