文鮮明先生の教育哲学
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 世界平和と統一に関する文鮮明先生のビジョンと実践 3

第六章 教育、摂理的目標と課題

一 祝福家庭が通過すべき教育課程

 今後、統一教会自体において、子女たちに原理の道を教える責任があります。それから、皆さんの家庭が中心なので、家庭の中心として、サタン的な世界のいかなる息子、娘よりも立派な息子、娘をもち、自分が暮らしている周辺の家庭に、「本当に、あの家の息子、娘は立派だ。祝福されて生んだので違う」と言わせなければなりません。皆さんの家庭自体にとっても良いことですが、そのような言葉を残すことによって、周辺の信じない家庭の前に模範になるというのです。また、そのように生まれた息子、娘は、今後、教会で教育して世界的な人物に育てようと思っているのです。それが先生の計画だということを、皆さんは考えてみましたか。(一〇一・二〇二、一九七八・一〇・三〇)

 今はもう、すべての人が「原理」を知らなければならないようになっています。「原理」を知ることによって、方向を探し出すことができ、神様を知るようになっているのです。神様を知らなければ、方向が分からないのです。絶対価値の基盤が分からないというのです。教育の重点時代とは何かというと、原理教育のことです。それゆえに、誰もが原理講義をすることができるように準備しなければなりません。(二一七−七八、一九九一・四・一六)

 第一は、教育の徹底化です。ですから、三日教育、七日教育、二十一日教育、四十日教育を受けなければなりません。六ヵ月間で七十一日間の教育を受けなさいというのです。三日修練、七日修練、二十一日修練、四十日修練を、誰もが受けなければなりません。六ヵ月以内でこのような教育を受けなかった人は、統一教会の食口に願われる基準にはなれません。み言が分からなければ、統一教会のみ旨が分からないで引っ張られていくので、とても苦労をするのです。希望に満ちあふれて未来を見つめながら行かなければならないのに、全く分からない青盲(注:目はあいていながら、物の見えない眼病)となって引っ張り回されるので、心的な苦悶がどれほど多く、嘆きがどれほど多いでしょうか。最悪です。

 それゆえに、統一教会は、いかなることがあったとしても、六ヵ月以内で七十一日間の教育をするのが鉄則です。そのようにしなければ、統一教会の食口の真の基準になることはできないのです。(二六一−二四三、一九九四・六・一九)

 人間の堕落によって破壊されたものを早く復帰して、ここから、昔絶滅した種を再び世界に拡張しなければなりません。鳥も、千五百種がいます。昆虫博物館を造らなければなりません。それを造っておけば、ここは摂理の中で登場した場所なので、世界の人々が、万民の息子、娘の教育場所として訪問するのです。神様が、つくったものを見て喜ばれた、その事実を見て喜ぶことができる環境をつくるために、ジャルジンを開発するのです。ジャルジンは、エデンだということです。多くの人々が、その場所を通して「再臨主が来る」と言いました。ですからパンタナールは、世界の聖地になるのです。(二九四1 現在、先生は、ジャルジンで教育を行っています。そのジャルジンで何をするのでしょうか。祝福された家庭は、縦的には上がってきましたが、横的基準に立つことができていないので、今からは横的基準において神様と共に生きることができる家庭を築かなければなりません。そのために、世界平和に向かう理想家庭教育センターを造って、祝福された家庭を新たに教育しなければなりません。神様の絶対栄光となった家庭に同参することができる内容を、再び訓練させなければならないのです。それが、ジャルジンの家庭訓練です。(二九四−三一九、一九九八・八・九)

 教会は、特殊環境の教育を行っています。そのような時は過ぎ去ります。地上天国になろうとすれば、公開された教育内容を探し出さなければなりません。その代わり、その徹底した思想を中心として、社会と一体化させるための組織編成をしなければなりません。知っているだけではいけません。行動することができる体制をつくっておかなければなりません。軍隊に行けば三年間服役するのと同じように、その知っているものを何年かの間実践しなければなりません。七年路程が残っています。再び、そのとおりに経なければなりません。法によって通過しなければなりません。それを経ることができなかった人は、出世することができません。すべてふさがれてしまうのです。(二九五−七六、一九九八・八・一七)

 ジャルジンで行う教育は、天国を完全にフリーパスし得る家庭をつくるための教育です。ジャルジンに家庭教育の訓練所ができて、ここから理想家庭が出発するのです。天国に直行するのです。そこには家庭が入っていかなければなりません。ですから、四位基台の四人が来て教育を受けなければなりません。父母だけではありません。家庭が来なければならないというのです。これをしなければ、入籍だろうと何だろうと、真の意味で先生に従っていくことはできません。そこから転がり落ちるのです。祝福されたとしても、ここでこの教育を受けなければなりません。家庭が天国に入っていけるチケットを与える場所です。(二九七−七一、一九九八・一一・一五)

 サタンがついてこないように整備し得る家庭の四位基台教育が、ジャルジンの教育です。そこを通らなければなりません。国籍を失ってしまった家庭になるのです。ベツレヘムに戸籍(登録)を行うために行ってイエス様を馬小屋で生むという、それ以上に悲惨なことも起きるかもしれません。その道を訪ねていかなければなりません。適当にしてはいけないというのです。(二九七−八七、一九九八・一一・二〇)

 今、「三十六家庭」から「三徳六千万家庭」まで、すべて集まりました。集まって教育を受け、四十日が過ぎればどのようになるのでしょうか。古い先輩家庭を見て模範とするのです。それで、証をするのです。妻も証し、夫も証するのです。結婚してどのように生きたのか、自分が生きてきた生活をすべて証するのです。心と体に引っ掛かっているものをすべてありのままに話さなければなりません。それが家庭教育です。根本的な家庭教育だというのです。誤った内容は、根を抜きとってしまわなければなりません。隠しては、絶対に霊界に入っていくことができません。

 これが、神様が入っていくことのできる宇宙的な天国直行行路を築くことです。神様御自身は、宇宙的な直行行路を開拓することができませんでした。罪を誰が犯したのでしょうか。偽りの父母が犯したので、犯した罪を蕩減するために真の父母が来なくては、神様を解放することができません。真の父母がすべてのことを起こして教育することによって、それが可能になります。神様が先頭に立つことはできません。天国に入っていく時までは、神様が先頭に立つことはできないというのです。その神様に侍り、先生を中心として蕩減しなければなりません。蕩減されたサタン側の世界の家庭、祝福された家庭を天側に吸収しておき、その家庭には、今回祝福された皆さんの先祖を任命するのです。天使長世界に属する霊界の多くの先祖を天使長の代わりにカイン世界の家庭として配置しておくのです。

 皆さんの家庭は、神様と真の御父母様と国家的メシヤ、氏族的メシヤ、家庭的メシヤを中心として一つの垣根になったのです。左側の世界から先生が四十年間上がっていって勝利して、神様をお連れして下りてきたのです。真の父母が立つ場所がここです。それゆえに「世界平和統□、それから何ですか。「理想家庭」、それから何ですか。「教育本部」です。世界平和統一理想家庭教育本部、歴史始まって以来、初めてここに神様が君臨されたというのです。(二九七ー二八二、一九九八・一二・二二)

 祝福は様々な所で受けましたが、天国に入っていく時のスタートラインというものは一点です。それが南米のジャルジン修練所です。それゆえに、世界平和理想家庭教育本部だというのです。天国に入っていく理想家庭です。それゆえに家庭的教育です。ですから、万人で来てはいけないのです。夫婦だけで来るのでもありません。本来は、息子、娘、四位基台を中心として教育を受けなければなりません。(二九九−二〇五、一九九九・二・一六)

 ジャルジンの世界平和理想家庭教育本部から天国の出発が起こります。そこで教育を受けて、この場所を経て天国に行かなければなりません。西洋からもここに来て、東洋からも来て、家庭的に、超民族的に結婚した家庭が、個人、家庭、氏族、民族へずっと上がっていくのです。ここを経なくては、この柱を垂直に上がっていくことはできません。南北が分かれました。南北が分かれたことを、ここで一つになるようにさせるのです。東洋と西洋が、家庭を中心として、統一的焦点起源に合わせなければならず、根源起源に合わせなければならず、勝利起源に合わせなければなりません。オリンピック大会の出発点がいくら遠いといっても、同じ出発点です。出発をどこかで勝手にしません。終着点も同様です。ここから出発して、本国である韓国に入っていって統一がなされなければなりません。これをすべてなして、あとでこの中で出会うのです。

 それで皆さんは、国の前に所有権を転換しなければならず、国も、国連の前に所有権を転換しなければなりません。国連は、神様の前に所有権を転換して、神様に帰っていかなければなりません。教育も、先生は小学校、中学校、高校を、アメリカにも造り、東洋にもすべて造ったのです。思想的基準の最高に上がっていったのであり、それから教育的面でも最高に上がっていったのであり、新聞社、銀行までも最高に上がっていきました。ですから今は、国連が行くべき道を指導しなければなりません。(三〇三−一三七、一九九九・八・八)

 今からは、天情の伝統の教育と実践が必要です。天の情、今までの世の中のものではありません。霊界を知ることによって天情を中心とした新しい伝統を知って、それを教育し、実践しなければならないというのです。それで、天情の伝統の教育と実践です。実践でも実績でもどのような言葉でもよいのです。(三一〇−一九八、一九九九・六・一四)


二 女性と教育

 家庭堂は、国家のあらゆる党に所属している人々を連れてきて教育する所です。統一堂は、母堂なので、母が息子、娘であるカイン、アベルをつかんで教育しなければならないのです。国はどのように行くべきであり、家庭はどのように行くべきかということを教育しなければなりません。南北統一は、家庭から出発するのです。サタンは、党を中心として闘う群れをつくりましたが、私たちは、闘う群れを連れてきて統一の群れをつくろうというのです。(二四二−六七、一九九二・一二・二七)

 今まで四十年間、お母様が先生の後ろに従ってきましたが、今は先頭に立っていかなければならないのと同じように、今は、皆さんが先頭に立っていかなければなりません。ですから、女性たちを中心として「世界平和女性連合」を創設したでしょう? 統一堂とは何かというと、母として息子、娘を教育することができる家です。それゆえに、これを村ごとに、どこでもすべてつくらなければなりません。母を中心として、息子、娘を教育して何をしなければならないのでしょうか。母と息子、娘が一つになって家庭の主人となる男性たち、天使長であったこの男性たちをアダムの立場に立て、アダムとなったその人々が、天使長となったこの世の国の者たちを教育しなければならないのです。

 それで、家庭堂という言葉が出てきました。家庭堂は、国の党を消化しなければなりません。天側のアダムが生まれたので、アダムは天使長を消化しなければなりません。彼らを消化するための教育場所が家庭堂です。政府では私が党をつくったといって大騒ぎしていますが、闘う党をつくるのではありません。群れをつくる党ではなく、一つにする堂です。

 統一堂は、のちには家庭堂になるのです。これは「世界平和統一堂」ですが、のちには家庭堂になるというのです。ここに何が入っていかなければならないのでしょうか。母が入っていって一つにならなければなりません。母が、息子、娘を教育して一つにして、家庭堂に来て父を教育しなければなりません。今まで、父は浮ついて遊び歩く人でした。これを教育しなければなりません。息子、娘が教育するのです。統一堂で母が息子、娘を教育し、その母と息子、娘が一つになって父を教育しなければなりません。そこが家庭堂だというのです。(二四三−一五三、一九九三・一・三)

 全世界的に、女性たちは天に帰っていくために、本然のメシヤである完成したアダムに出会って、神様と一つになったアダムのみ旨を中心として、新しい家庭の倫理と道徳の教育を受けなければなりません。堕落する時は、エバを中心として息子、娘が怨讐として分かれていきましたが、帰っていく時は、完全に統一されて、氏族的メシヤに従って天に帰っていかなければなりません。それが蕩減復帰です。(二四四−三八、一九九三・一・二九)

 「世界平和統一堂」とは何でしょうか。女性たちが、氏族的メシヤと一つになって息子、娘を呼んで教育するところです。母と息子、娘が一つになって、夫を救ってあげるようになるとき、統一堂が始まるのです。家庭堂が出てこなければなりません。「党」というものは党派のことをいいますが、ここでは統一です。統一されたことをいうのです。概念が異なります。

 それゆえに、母から息子まで、天が育てて復帰される時までは、平和統一堂で教育し、完全に一つになったのちには、夫を立てて家庭堂に帰っていくのです。ここでの「堂」は家です。家庭の主人となって……。この家庭の主人は、サタン側の世界の国と社会を占領した党に対抗して闘わなければなりません。二股に分けられるのです。

 堂は、母と息子、娘が氏族的メシヤと一つになってつくる教育場所です。ここで母と息子、娘が一つになって、自分の父、夫を復帰したのちには家庭が成立するので、家庭を代表したその男性がサタン側の世界の堕落した天使長たちを復帰しなければならないのです。それは復帰されるようになっています。家庭が消化されれば復帰されるのです。

 聖霊の願いとは何でしょうか。新郎を迎えて家庭を築くことです。それゆえに、氏族的メシヤ、新郎を迎えて家庭生活をし得る基盤を新たに築くことができるように教育しなければなりません。誰が教育をしなければならないのでしょうか。新婦がするのではありません。アダムが主体になるので、家庭を築くにおいては、アダムが妻を教育し、息子、娘を教育しなければならないのです。(二四四−四三、一九九三・一・二九)

 アダムが十六歳のころに落ちたので、そこで連結されます。成長して父になるでしょう? 父の枝を切って再び接ぎ木しなければなりません。完成アダムの位置まで……。それはすなわち、母と子女、エバとカインが一つになることを意味します。その教育をすることによって、その父が夫人を神様のように侍り、絶対従順しなければなりません。妻と子女は、アダムの前に従順にしなければなりません。このように堕落した世の中から男性を引き抜くことをしなければなりません。今は、女性が世の中全体を揺るがす時です。男性を天使長の世界から引き抜いて教え、その力をコントロールしなければなりません。(二四四−三三四、一九九三・三・一)

 超教育堂の「堂」は、「家」という意味の「堂」です。政党ではありません。各国で教育することができるものを強化しなければなりません。超教育堂です。書堂のように教育する家を始めなさいというのです。それをつくりなさいというのです。(三一〇−一九六、一九九九・六・一四)

 超教育堂は、韓国でいえば、与党と野党を中心として思想的な武装をさせ、南北総選挙に対して備える教育をするための堂のことをいいます。そのような教育のための堂をつくらなければなりません。政党ではなく家です。与党と野党を一つにする運動をしなければなりません。(三一〇−一九九、一九九九・六・一四)


三 訓読会と全人類教育

 父と母が、一日に一冊ずつ先生の説教集を読みながら、「本当に内容が良い」と言わなければなりません。息子、娘の教育材料です。「読んでみなさい。立派になることができる道があり、希望に満ちあふれたみ言がある。私がこれを贈り物としてあげるので、時間さえあれば見なさい」と言わなければなりません。教育材料です。(二七三−一七七、一九九五・一〇・二二)

 先生のみ言は、先生が語ったものではありません。天が先生を通して語られたみ言です。そのみ言は、皆さんがいつ、どこで聞いたとしても、心が動き始めます。それが違います。先生一人ではありません。縦横を合わせたその位置で語ろうとしたので、心も体も共鳴体となります。震動が起こります。体が震動しても心が一つになることができるので震動し、心が感動を受ければ、体に一大革命的変化が起こります。そのような力があります。それは、文総裁の言葉ではありません。

 訓読会の「読」は、言偏に「売る」という字です。売らなければなりません。もっていれば大変なことになります。売らないであげなさいというのです。物を積んでおいて腐らせてしまえば罰を受けます。それで、「み言を売りなさい」と言うのです。み言を売りなさいということは、お金をもらって売るよりももっと貴いことが起きます。売らなくても分けてあげなさい、これが訓読会の本然の意味です。(二八九−二九五、一九九八・二・一)

 「訓読」の「訓」は、言偏に「川」という字です。水は、すべての生命の要素です。緑地帯をつくり、流れるすべての雲をつくり、深い所に入っていき、高い所に流れていきながら世界を標準化させます。水は標準化させます。「読」とは何かというと、み言を中心として売りなさいという意味です。売らなければ、取り入れて使わなければなりません。水は、流れて大きな川となり、海を成してこの宇宙を生成させる、そのような力があるのと同じように、このみ言にはそのような内容があることを知らなければなりません。(二九〇−一五四、一九九八・二・一八)

 訓読会をすることができる人がいれば、誰でも来てしなさいというのです。政治を行う人もしなさいというのです。聞いて心に感動を受け、自分の行路を正すことができる教えがあるとすれば、それに自信があるならばしなさいというのです。することができなければ、後退しなさいというのです。今は、やらざるを得ません。面まで、統まで撃破することができる運動を始めました。世界的です。韓国を信仰の祖国にしているのですが、その祖国の領土にいる本国人たちが誰よりも訓読会のチャンピオンにならなければならないので、このような挙国的なことをするのです。(二九〇−一五八、一九九八・二・一八)

 今から教育は、訓読会だけすれば、すべて終わります。御飯を食べるたびに、家族、一族が集まって絶えず訓読会をしなさいというのです。先生が一生懸命にしているではありませんか。先生は、時間さえあれば訓読会をします。そのようにすれば、どんどん成長します。大豆もやしに水を与えるとよく育つように、我知らずどんどん成長するというのです。(二九〇−二一七、一九九八・二・二七)

 今後、父母は、祝福家庭の子供たちを率いてこのようにしなければなりません。おじいさんから父と母が感動を受け、その次に父母から自分たち夫婦が感動を受ければ、息子、娘たちが感動を受けざるを得ません。今、そのように杭を打ち込むのです。これが訓読会です。(二九〇―二二〇、一九九八・二・二七)

 訓読会の「訓」は、言偏に「川」ですが、川は水です。水は流れていくものです。水は流れてこそ生きます。「訓」とは、み言の水を象徴しているので、動いてこそ生きるのであって、そのままでいれば腐ります。訓読会というのは水です。み言の水を固定させれば死にます。統一教会のみ言は、聞いて固定させれば、そこですべて腐ります。「読」は、言偏に「売る」です。み言をあげるか、売らなければなりません。訓読会にそのような意味があります。定着してはいけないのであり、これを分け与えるか、売らなければいけないというのです。(二九一−八八、一九九八・三・五)

 訓読会を通して教育する道しかありません。皆さんは、原理をすべて知らないでしょう? そこの本にあることも知らないではないですか。ですから、それを何回も読んで、一時間見たものを三十分の間で重要なものを発表することができるように、番号を付けていきながらするのです。いくらでもすることができます。百分もすることができます。このようにして、訓読会を通して心霊教育ができるようにしなさいというのです。本が先生です。勉強しなければなりません。本だけ読みなさいというのではありません。(二九一−四二、一九九八・三・六)

 皆さんには、地上における訓読会が絶対的に必要です。ここに合わせて着地しなければなりません。既に霊界は、それをしています。霊界は、一週間以内ですべてのものが定着することができます。ですから、地上ですべきことがどれほど忙しいか、ということを知らなければなりません。訓読会を通して家庭が定着し得る時代に入ってきました。それで、訓読会が重要だというのです。これは、霊界にいる自分の先祖を解放し、今後自分の子孫を解放するためのプログラムです。過去と現在と未来が一つです。

 そして、今後、皆さんの父母がおじいさんの立場になれば、皆さんと皆さんの二世たちを中心として三代になります。三代を中心として地上に橋を架けて越えていくのです。それゆえに、今は二世たちが全体の責任者になります。二世たちは正道を行かなければなりません。祝福家庭の二世たちが祝福されれば、本当に自分たちの父母が誤ったことを越え、訓読会をするにおいてすべての精誠を尽くさなければなりません。(二九一−二三七、一九九八・三・一五)

 み言は、そのまま流れていくみ言ではありません。公判廷の証言書です。憲法の条文と同じです。ここに一致したのか、しなかったのか、絶対的・相対的自体を確定づけるのか、できないのかという審判過程を通過するのです。はばかることなく訓読会でみ言を聞きたがらなければならず、訓読会をしたいと思わなければなりません。自分の解放圏ができるのです。そこに引っ掛かるものがあれば、どれほど恐ろしいでしょうか。訓読会が御飯を食べることよりも楽しく、遊ぶことよりもおもしろくなければなりません。(二九二−七三、一九九八・三・二八)

 訓読会を重要視しなければなりません。御飯を食べることよりも重要視しなさいというのです。おもしろみ、趣味を感じなければなりません。「私は今どこに向かい、どのように生きているのか」と考えるとき、何点になるのかというのです。すべて点数をつけなければなりません。自分は、自分自身がよく知っています。御飯を食べることよりももっと楽しく、今生きることよりも現実的でなければなりません。御飯を食べることは忘れてしまっても、訓読会をすることを忘れてはなりません。

 一日に、朝だけしなければなりませんか、昼も晩もすべてしなければなりませんか。晩にまた御飯を食べる時間があれば、四度しなければなりません。朝起きてして、昼食の時に御飯を食べてしなさいというのです。夕御飯を食べてして、寝る前にもう一度しなさいというのです。そのようにすれば、霊的な生命が成長します。そのようにしなければ、真っ暗で、雨の降る日のようであり、霧がかかったように重苦しいのです。祈祷する時間よりも、訓読会の時間をより一層重要視しなければなりません。なぜでしょうか。これは完成することです。真の御父母様が完成させる時間だというのです。(二九五−二七四、一九九八・九・八)

 訓読会の「訓」という字は、言偏に「川」という字が合わさっています。川の水が流れるのと同じです。水は、動けば動くほど水蒸気となって万字宙に緑地帯をつくり、すべての動物が生き得る栄養素をはぐくんでいます。そのような事実を考えるとき、問題は、雨が降って雲がかかるというこのような循環運動をしなくなれば、自然は砂漠地帯となるということです。それゆえに、統一教会の訓読会は、川の水が休まず流れるように休むことができません。

 「読」における「売」は、売るということです。良いものを売るのです。分け与えてあげなければなりません。それゆえに、今後、村々で競演大会を開くのです。どれくらいしたのかという問題、そこに国家的ならば国家的に表彰をし、個人的な家庭に対する表彰をし、それから教会ならば教会、社会ならば社会で表彰をし、それからすべての国で、それから世界で表彰をする訓読会時代を開くのです。(二九六−二一七、一九九八・一一・一〇)

 今、統班撃破時代が訪れてきました。祝福家庭は、みな統班にいるので、完全に訓読会をすることによって統班撃破を成功することができる時が来ました。根まで引き抜く時が来ました。それを自分の家でするのですか、見物するのですか。それを自分の家ですることができる資格を与えるために、このことをしているのだということを知らなければなりません。帰っていけば、ただそのまま座って暮らすことができるようになっていません。「ふろしき包みをまとめなさい」と言ったでしょう? ふろしき包みをまとめて何をするのでしょうか。ふろしき包みをまとめ、それを担いで行商をしようというのではありません。大移動が起こらなければなりません。訓読会の精誠を尽くしたその涙のあととともに、霊界のどこに行こうと、真の御父母様の伝統に従って子供が相続を受けたので、真の御父母様が協助し、霊界が協助することのできる版図を全世界の村々ごと、家々に扶植しなければなりません。植えつけなければならないというのです。(二九六−二三五、一九九八・一一・一〇)

 訓読会が恐ろしいのは、五十年前、先生が一番の生死の境で語ったものだからです。このみ言を中心として万人で語った、天下が張り裂けていくそのような心をもって語ったみ言なので、これは、天の心情、霊界が協助すること、感じたことが生きています。永遠に時間圏を超越し、きのうであると同時にきょうのみ言なので、訓読会に入っていけば、私のような人は、み言を語った当時のそのような境地に引き込まれていきます。その境地に入っていくというのです。それが必要です。

 朝、太陽が昇れば、変化無双であっても常にその光であり、その世界であって、その力があるので、この宇宙が太陽の光の恵沢を永遠に感謝します。それと同じように、訓読会を中心として、永遠の天が生きていて、永遠の世界の因縁が時間と空間を超越して継続し得る感動的因縁をどこで結ぶのかというのです。生死圏です。死のうとする者は生きるのです。死ぬことは私の事柄であり、生かすことは神様の事柄です。そのような深刻な立場に入っていかなければなりません。そうでない人々は、使うことができない人々です。流れていくというのです。通り過ぎてしまうのです。根がなければなりません。(二九六−三二九、一九九八・一一・一八)

 今は、本をもって伝道する時です。訓読会をするようになれば、教師が必要なく、牧師が必要ありません。昼夜それを訓読すれば、天国家庭になるのです。(二九七−一一八、一九九八・一一・一九)

 訓読会を何度もして感動を受ける時、「私もあのように感動を受けるようにします。このようなことを模範として、それ以上にしなければなりません」と決意しなければなりません。ですから、何回すればよいでしょうか。百回した人よりも、千回した人の感動がもっと大きいのです。お母様もそうです。先生が原稿をすべて書けば、先生がどこに行こうと三回あるいは五回、ある時は七回、十回まで読みます。読めば、そのみ言の中に完全にすっぽりはまります。み言の中にすっぽりはまるという話が分かりますか。

 それでお母様にも、私が「あなたもこのように、先生以上にしなさい」と言うと、「本当にそうなるのですか」と言ったのです。やってみると、精誠を尽くして五回読み、十回読んでみると、感動を受けるのです。その次には、夜を明かしながら読めばもっと感動を受けます。これを読みながら涙を流せば、聴衆が一度に涙を流すというのです。ですから、皆さんがどこに行こうと講演材料となり得る素晴らしい内容なので、これを勧告するのです。(三〇一−一八一、一九九九・四・二六)

 誰よりも訓読会を一生懸命にする人が先生です。先生のみ言を聞くということは、天が苦労した公義の位置に立つことになるのです。感謝しなければなりません。しかし、それを皆さんは感じることができません。常に自分たちが負債感を感じながら、帽子をかぶって日光を遮らなければならないのであって、日光の前で帽子を脱ぐ立場ではありません。

 それで、三億六千万双の祝福が終わったといった時、国家的メシヤをすべて配置したのですが、皆さんがどのように教育するのかというのです。「教育するな」と言いました。「あなた方は、私が語ったみ言を知り、私が歩んできた道を知っているので、それをそのまま直接紹介することができる時間として訓読会をしなさい」と言いました。訓読会でできると思いましたか。韓国も、訓読会を中心として講義大会をする時、本当にこのようなことが起こるとは思わなかったというのです。新しい文化世界の創建です。訓読会をするということは、そのよすな意味があります。(三〇一−二九三、一九九九・五・五)

 伝統を伝授するために訓読会を始めています。訓読会のみ言は、過ぎ去る言葉ではありません。皆さんが地上で定着するためのすべての実践教材だ、ということを知らなければなりません。伝統を相続しなければなりません。伝統を知って実践しなければならないというのです。その伝統は、夜でも昼でも受け継がなければなりません。その伝統を受け継がせる訓読会が教育です。伝統を教育する場所なので、それを知れば、先生と天が苦労したその道に拍子を合わせて行動し、自分自身の国と家庭を設定しなければなりません。これは非常に重大なことです。誰も干渉してくれません。皆さん自身が中心にならなくては、霊界も協助し得る時代が過ぎ去るということを知らなければなりません。

 真の御父母様が立てた伝統、真の御父母様のみ旨を完成することができる伝統、その伝統を教育するのが訓読会です。訓読会でその伝統を学んだのちは、実践しなければなりません。それが浮いているのです。ですから皆さんの生活基盤に根を張って、その木が成長しなければならないという事実を知らなければなりません。

 先生は、どれほど忙しくても、訓読会を一日も欠かしたことがありません。きのうも、朝忙しくて晩にするといって、夜の十二時が過ぎるまで訓読会をしてきました。疲れたことが問題ではありません。呼吸をすることと同じです。私たちの背後には霊界が陣を張り、先祖たちが囲っているのですが、彼らの前に、自分の家庭が地上の責任を果たし得る家庭的伝統の標本とならなければなりません。その家庭で伝統の標本となるために、伝統を教えてあげて、実践するにおいて、霊界の祝福された家庭の先頭に立たなければならないのです。先頭に立たなければ、逆に皆さんが蕩減を受けるというのです。(三〇二−二七八、一九九九・六・二六)

 訓読会をすることは、私が逝く準備をすることです。千年、万年、歴史が私を抜きにしていくことができるのか、それが可能かというテストです。あなた方が「三億六千万双の祝福家庭の教育をどのようにするか」と言った時、私は笑いました。皆さんが教育するのですか。十年もたたずにふろしき包みをまとめて、すべて逝くでしょう。先生は、み言を残してあげてから逝くというのです。(三〇三−七九、一九九九・八・八)

 今まで、人性教育というものがありませんでした。技術教育しか甦りませんでした。技術教育は、人間の価値と連結される内容や、神様の心性と関係し得る内容を完全に抜いてしまいました。唯物論的見地での技術教育となっています。ですから、技術教育も、必ず神様の創造理想と連結され得る内容を中心として、神様の創造模型に従っていける立場の技術に連結させなければなりません。そのようにせずに技術教育をするようになれば、神様を否定する結果になります。そのような全般的なすべての問題を考えながら組んでおかなければなりません。人性教育を技術教育に取り入れるのです。それから、宗教教育が入っていかなければなりません。

 文学と思想、技術という三面をおいて見るとき、人性教育は、唯物論的教育になっています。物質的根源が精神に先立っているというのです。このような論理をもっているのですが、哲学と人性教育が一つとなって、技術教育と科学世界が連結されなければなりません。これをどのように連合させるのかが問題です。

 創造原理の内容、すべての存在はペアシステムになっているので、主体と対象の関係が愛を中心として連結されているということ、そのような内容が入っていってこそ、技術教育も相対的な面の一分野なので、神様を連結させていくことができるのです。これを分けておいてはいけません。

 若い人々を訓読会と修練セミナーを通して教育するのです。現在、民主世界と共産世界の脱イデオロギー時代において、それを新たに復活させることができるのは、「神主義」であることに間違いありません。「神主義」とは「頭翼思想」です。それが実際に事実なのか、そうでないかを検討するための訓読会です。それを認定するための修練会です。(三一五―一三四、二〇〇〇・一・二八)

 訓読会は、妻たちが一生懸命にしなければなりません。訓読会をすることによって、女性たちがサタン側の世界を制圧し、すべてのものを統治することができるのです。民主世界と共産世界を越えて、超国家的に、人々を息子、娘の立場で教育することができる立場に立つのです。お父様が新郎として出会わせて祝福してあげたその立場にいるので、それ自体がすなわち教材です。家庭の伝統、真の愛を中心として、真の息子、娘を生んで育てなさいというのです。その息子、娘を生むにおいて、カイン世界の息子、娘を接ぎ木してあげなさいというのです。それで、位置を変えておけば、サタンは離れます。(三一五−二三〇、二〇〇〇・二・三)

 神様は人類の真の父母です。神様は人類の真の師です。神様は人類の真の主人です。皆さんの家庭の伝統は、天から始めなければならないのです。皆さんが父母となったのは神様の代わりとしてなので、愛の道理を教えなければならず、愛の家庭や国の理想を教える師とならなければならず、その主人となり得る資格者を養育しなければなりません。今まで学校で教育をしてきましたが、それは教育ではありません。技術教育だというのです。本性教育は家庭でしなければならない、ということを知らなければなりません。そのようにしてこそ、本然の血統を相続することができるのです。

 父と母に似た継代を千年、万年血筋を通して残さなければならないという厳粛な使命があるのです。運命ではありません。これは宿命的な責任です。父と母、父母を替えることはできません。兄弟を替えることはできません。エデンの園で妻を替えることができますか。できません。このような原則を知ることによって、家庭の伝統を天の前に立てて、真の父母の実、真の師の実、愛を中心として血統を清めることをいいます。その次には、真の主人の位置、千年、万年同じ血統の主人の位置を残さなければなりません。これが重要だということを知らなければなりません。

 そのことを考え、今後、み言を愛すれば研究してみてください。皆さんが、多方面にわたって質問した内容に答えられないものがないという、そのような境地にまで行くようになれば、逃げることができません。喜んで従っていくようになっています。そのようにすれば、私が行く天国、私が指示した方向において神様が共にいらっしゃったのならば、皆さんにも共にいてくださるのです。私が艱難と迫害の中で滅び得る立場から生きて出てこれるように補助した神様がいらっしゃるので、その神様は、皆さんを補助し、皆さんの家庭を億千万世栄え得る主人の位置に立てて、皆さんの子孫と国を越えて統一天下の世界まで補助されるのだということを知って、深刻に研究してくれるよう願います。ですから、訓読会をしなければなりません。良いことがあれば、血統を分けた親戚にすべて教えてあげなければなりません。(三一六−一七一〜一七二、二〇〇〇・二・一一)


四 祝福家庭が育てるべき未来世界

 今後は、一つの地球村ではなく、地球家庭時代に入っていきます。それゆえに、思想的基調をいかにつくるか、ということが最も重要な問題です。私たちが超国家的な教育制度をつくらなければならないのですが、そのようにしようとすれば、思想的基調が、超国家的なそのような内容がそこに連結されなければなりません。そこに万民を兄弟のごとく、すべての家庭を一つの親戚のごとく思うことができる、そのような思想が必要です。そのようにしなくては、前進していく過程において相当に困難が伴うのです。出発を正しくしなければならないというのです。中間に行って正せば支障が多いというのです。(二六三−二九〇、一九九四・一〇・二七)

 神様を中心として白人と黒人と黄色人種が一つになるように、アベル的な神様の代理を中心として、諸民族が共に暮らせるコンドミニアムを造って生活を統一する、このようなことをしなければなりません。そのようにすれば、御飯も共に作って食べ、子女教育も共にし、四つの家庭が一つの家庭のようにして暮らすのです。それを訓練して合格してこそ、今後、未来の新しい天国家庭の新しい中心家庭として認定されるのです。

 五十億人類がすべて一箇所に、韓国の地に入ってくるようになれば、足を踏み入れることもできません。それで、十二の国を策定しました。このような訓練を行う所としてです。十二の国を定めるのは、三十六家庭、七十二家庭のように、七十二の国、百二十四家庭、いくらでもそのように便利な教育的版図をつくっていくためです。(三六八−三一七、一九九五・一・一)

 蕩減復帰は、どのようにしなければならないのでしょうか。堕落によって血統を汚したので、血統を復帰しなければなりません。血統を復帰し、その次には所有権を復帰しなければなりません。所有権を復帰しなければ、心情圏を復帰することはできません。アダム一族が暮らせる基盤がありません。息子、娘を生んでも、食べるものが問題になります。その次には、神様について教育をすることが問題です。イスラエル民族と同様です。カナン復帰路程において、イスラエル民族がカナン七族を前にしてカナンに入城したのち、食べるものと教育が問題になったのです。

 そのような過程として、先日話したように、アダム国家、エバ国家、アベル国家、天使長国家の四大国家が一箇所で暮らさなければなりません。一つの兄弟だというのです。それゆえに、コンドミニアム・システムを中心として、今後四大国家、アダム家庭で一つになることができなかった四大の代表的柱を再び立てて、一つになった家庭において超民族・超国家的な教育と生活を共にすることによって、兄弟の因縁をつくり出すのです。それが、今からしなければならないことです。(二六九−一三、一九九五・四・六)

 この世界は、腐敗や不正、そして戦争や罪悪と無関係であり、人類は、地球環境に対する公害要因を除去し、万物に対して真なる主人として愛し、保護しながら生きるようになっています。その世界において生活のための活動と作業は、他のために生きて愛する心情を土合とした喜びの奉仕であり、実践です。したがって、構成員の生活程度は標準化されます。教育は、あらゆる文明の利器を活用して受けるのですが、知識教育、体育、枝術教育はもちろんであり、祝福家庭を土台とした心情教育と規範教育を優先することによって、天道に従う選民を育てる教育となります。

 私たちは、真の御父母様のこのような伝統を実践によってまねし、また地と万物と人と神様を愛してこられた真の御父母様の生活をまねて、そのとおりに生きてこそ、理想的な国のモデルをつくることができます。新しい希望農場は、まさしくその実践のための訓練場です。投入して、また投入しながら、地と水と自然を愛し、万国の人々が一つ所で一つになり、一つの兄弟となって、神様の国を創建する実践道場です。ここで成果を収めて万民に見せてあげることによって、人類が皮膚の色と文化と国家を超越して、いかにして愛の共同体を築くのかを教育するのです。(新しい希望農場宣言文の要旨)(二六九−一五五、一九九五・四・一七)

 先生が青春時代に願った国の着地運動を、全世界に拡張しなければならない、ということを知らなければなりません。皆さんがその体制を知って実現できる環境をつくりました。皆さんに教育して伝授してあげるのです。開拓者としてさすらい……。先生ゆえに涙でその地に対し、墓の中に入っていっても天が記憶することができる位置、基盤を伝授してあげるのです。(二七六−二七六、一九九六・二・二四)

 今後、各国に何を組織しなければならないでしょうか。建築するにおいてコンドミニアム・システム建築、四家庭が一つになって暮らすことができる、そのようなシステムで訓練しなければならないというのです。お金を稼いで、食べるのも共に食べ、息子の教育も共にして、一つの家族のように暮らさなければなりません。共に暮らすことができず、和合することができなければ、霊界に行って制限された環境に追い出されます。共に和合することができません。(二七八−三二七、一九九六・六・二三)

 教育を強化しなければなりません。核心要員の基地をつくらなければなりません。人脈を掌握しなければなりません。そのようにしなければ、国家を動かすことはできません。人脈さえ掌握すれば、それを料理することができる環境条件はすべてつくっておきました。そこに大学まで造りました。中学、高校も造ったのです。

 新聞社と大学が大きな航空母艦です。その国の文化圏を動かし得る主体的な力量を培養することができる道です。現在よりも次元の高い、新しい世界に通じることができます。教育内容さえあれば、学識層はもちろん、国民全体が口を開けて歓迎し得るようになっているというのです。そのような内容を、すべてもっているではありませんか。何を心配するのかというのです。教育しなければなりませんか、してはなりませんか。伝道して教育するのではありません。そのような次元に越えてきました。(二八七−二二七、一九九七・一〇・四)

 今まで、統一教会を滅ぼそうとしたのが共産党です。言論で蹂躙して統一教会を滅ぼそうとしたのであり、大権を滅ぼそうとしました。それから教育を通して反対し、統一教会が定着できないようにするために世界的な反対をしてきました。

 しかし、このような状況で定着し、共産世界と民主主義を教育し、教育したその基盤を中心として今、どこに向かっていくのでしょうか。政治世界を越えて経済世界を連結させました。ここで経済とは、市場経済を掌握し得る組織を世界的に準備してきたという意味です。それを強調しなければなりません。

 超国家的、超世界的な環境でこのような準備をしてきたので、本格的な産業復興を中心とした教育体制を整えたのです。今は、精神的教育時代を過ぎて、産業的な教育体制に入ってきています。そのような内容を総合して、そこに背後組織と現実的な内容を結びつけて報告しなければなりません。(二九〇−二三四、一九九八・三・一)

 宣教師の責任とは何でしょうか。何をしなければならないのでしょうか。伝道する時は過ぎ去りました。家庭祝福をすべてなして万国が一体化されたというのに、何の伝道をするのですか。今からは家庭です。今は、家庭完成のために動けばよいのです。それゆえに、教育しなければなりません。宣教師たちがすべきことは、(任地国に)行って各国家的メシヤが一つになって児童教育機関をつくり、六大国家の子供たちを中心として各国で幼稚園から小学校、中学、高校を造るのです。そのように尽くせば、その国は、二十年後には私たちの後ろに従ってきます。それで、教育しなさいと送ったところ、教育は全くしないで、ほかのことばかりしました。

 六カ国に宣教師たちが入っており、大使館があります。六カ国ならば、その国にある様々な国の大使館を完全に一つにして学校を造って、すべて教育することができます。大使館全体の子供たちを教育し得る立場になれば、十年か二十年後には自然に私たちの世界になります。簡単なことです。いかにして多くの国の大使館に住んでいる子供たちをワン・ウェイ・コースで教育するか、ということが問題です。私たちがワン・ウェイ・コースで教育すれば、六カ国の子供たちが、小学校、中学、高校……。十年、二十年後には、その子供たちがすべて皆さんの後ろに従ってくるようになるのです。

 そのように徹底的に教育し、社会的に奉仕させることができるようにしなければなりません。国家は家庭を延長したものです。そのようにして、国家教育の伝統を立てなければならないのが母の責任です。

 一つの国家に百八十カ国の大使館が入っています。何の苦労をすることもなく、子供の時から完全に占領し得る方法があるというのに、そのようにしてみたことがありません。

 大使館に行って息子、娘を育ててあげれば、大使館員が集まって食べさせてくれるようになっています。そのようになれば、何でもすることができます。そのように教育すればよいのです。子供たちのお父さんとお母さんが大使館の重要なメンバーなのです。今後、何年後には、大統領候補になる人々が集まっているというのです。

 大使館に行って、翻訳した本を用いて幼稚園から教育します。自分自身の息子、娘のようにするのです。(三〇一―二六九、一九九九・五・二)

 「天宙兄弟主義の共同生活体験の拡大」が必要です。自分一家庭だけで暮らすべきではありません。四位基台ならば四位基台の四家庭、四カ国の家庭がコンドミニアムのような所で三年以上共に生活するのです。息子、娘も、自分の息子、娘ではありません。全体を自分の息子、娘のように愛し、神様が願われる兄弟家庭のような制度をつくって体験し得るようにしなければなりません。今から、共同生活を準備しなさいというのです。(三一〇−二〇〇、一九九九・六・一四)

















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