コ 為に生きるところに完全なる統一圏が形成される

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 神様は独裁者ではありません。神様も人間のために投入しました。神様が人間の前にいるのは、人間のためにいるのです。ですから千年万年、神様について行こうとするのです。為に生きる天理の宇宙の存在世界の前に、自らが存在位置を維持するためには、為に存在しなければなりません。為に生きることにおいて、東洋と西洋にも通じ、古今にも通じることができるのです。

 それはなぜかというと、神様は今も昔も、東洋でも西洋でも、皆同じ愛を持っているので、東洋と西洋も克服でき、過去も現在も未来も克服できるのです。それは何のことかというと、過去も現在も未来も克服できるので、いつでも発展することができるし、東洋と西洋を克服するので、東洋と西洋を統一することができるということです。これは愛でのみ可能なのです。

 皆さんの心は神様の代わりをするものなので、心は体のためにいつでも投入しなければなりません。体のためにいつも投入しますか、しませんか? それは、どんなに疲れることでしょうか? 少し私が体の願いをなそうとすれば、心がすぐにサインを出すのです。そうなると、だめなのです。心はいつも私のために投入しようとするのですが、投入しても、それが返ってこなければ、心は悲しいのです。

 ですから、授けようとしても授けることができず、受けようとしても受けることができなくなる時は、不幸なのです。本当に幸せな人とは、愛を中心としていつでも、昼でも夜でも、授けたい時に授け、受けたい時に受けることのできる人なのです。

 それでは、統一教会の原理が「為に生きる」という原理だとしても、統一できる理論を「統一原理」からどのようにして探し出すのかということです。為になる道以外には、統一できません。

 それでは男性と女性が、自分のみを主張するようになったとすれば、誰が一番よいものを先に取ろうとしますか? 男性が先に取りたいと思うし、女性が先に取りたいと思うのです。それは、そうでしょう。それから、夫婦だけでいる時に、神様の前に向かい合って、神様の愛を受けようとする時、女性が先に受けたいと思いますか、男性が先に受けたいと思いますか? それが問題なのです。貴いものを自分が先に手に入れようとすれば大変です。自己主張してしまえば、全部が破壊してしまうのです。神様も為に存在する方なので、個人のために生きるような人には相対できません。分かりますか? 神様のように全体の、自分よりも大きいもののために生きなければなりません。天地の道理がそうなっているのです。

 それゆえ、男性と女性が、「ああ、女性は、私よりも体が小さい。腕も小さく、すべての面で不足だから、私が先にしなければならない」と言って、互いに、「あなたは何ですか!」と言うようになったら、問題が起こるのです。自己主張すれば問題が起こるのです。

 男性は女性に、「私が先に神様の愛を占領しようとするのは、あなたのためです」と言わなければなりません。分かりますか? 「私が先にするのは、私のためではなくあなたのためだ」と言うのです。そうすれば、あらゆることが解決します。また女性が、「私が先にするのは、あなたのためです。私の大切なあなたのためです」と言う時は、男性も「オーケー」、女性も「オーケー」なのです。神様も互いに為に生きているのを見た時、「私をつかみなさい。私もオーケーだ」と、言うのです。そこで全体が完成するのです。

 しかし、自己主張する時には、自己破壊、相対破壊、神様破壊、完全に分離するのです。そこでは、統一的理論は発掘できないということを知らなければなりません。分かりますか? 簡単な言葉ですが、重要なことなのです。私たちが理想を探していく最後の段階で、神様の愛と縦的な統一を求めるために、その縦的基準が「さあ、来なさい」と引っ張ることのできるような業をさせるように互いに為に生きなければなりません。為に生きるところにのみ完全な統一圏が始まるのです。     (一九八九・一・六)











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