ス 一番近い先生は自分の心である

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 皆さんには、この救援摂理がどれほど大変なことなのかということが分からないのです。どれほど大変なことなのかが分からないのです。その道は、友人も助けることのできない道なのです。先生が歩んで来た道は、友人も助けることができません。助けてもらってはいけないのです。妻も助けることができません。父母も助けることができません。それが、父母の位置であり、アダムの位置なのです。

 その時は、誰もいないのです。先生もいなければ、誰もいないのです。いるのは霊界の天使だけです。本来は天使たちの救援を受けるようになっているのですが、堕落した天使圏なので、その天使圏の救援も受けてはだめだというのです。それは、利用しようとするからです。利用しようとするのです。誰も信じられないのです。神様さえも、正常に相対してくれないのです。神様も試験をして、パスしなければ、相対できなくなっているのです。

 人間が神様に背いたので、神様も人間を信じるためには、どうすることもできないことがあるのです。エデンの園で、自由に信じることのできる環境を見捨てた人間なので、不信のこのサタン世界において、信じられる息子を探し出すという事実を考えられない神様なのです。そうですね? (はい)。

 神様が信じることのできる立場に立つためには、どんな試験でもすべて経なければならないのです。先生が今日の立場に立つためには、ありとあらゆる試験をすべて経てきたのです。私がその試験の話をしないので、皆さんは分からないのです。その内容が分からないのです。その話を私はしないのです。そんな話を残したくないのです。

 エデンの園にそのような話が残ってはだめなのです。本来の世界には、そのようなものがあってはならないのです。それは先生だけが知っていて、すべて消化して、後代の人たちには良い話だけを残してあげたいのが先生の考えなのです。悪いものはすべて私から始まって、すべて蕩減して、皆さんの時代には、良いものだけ残していこうとしているのです。ですから、できれば監獄の話などは残さないようにしていたいのです。監獄の話などをすれば、慟哭する人がとてもたくさん出るのです。そのような話をするようになれば、もちろん情緒的面で衝撃も受け、もう一度決心するだろうけれども、それではだめなのです。そうやって決心するより、順理的、原則的に決心しなければだめだというのです。

 このような衝撃的な立場で決心することよりも、真理に立脚した、真実に立脚した立場で決心しなければなりません。誰かに強要されてではなく、自分がしたくてしなければならないのです。そういうものなのです。真実に出合えば心は動くのです。

 ですから、自分の一番近い先生は誰かというと、自分の心なのです。一番親しい友人よりも貴いものが自分の心であり、お父さんお母さんよりも貴いものが自分の心なのです。だから心に聞いてみるのです。その心には、神様が入っておられるのです。その声を聞く方法を知らなければなりません。心の声を聞く方法を知らないといけないのです。その立場にまで入らなければならないのです。

 仏教では、「自性を明るくしなければならない」という言葉があり、「天上天下、唯我独尊」と釈迦牟尼は言ったのですが、それは何のことかというと、私が私に聞いてみると、私の中に神様が入っていることが分かるということなのです。そうなれば、できないことがないのです。

 ですから、自分の心を明るくしなければなりません。心を明るくしなければならないのです。心は先生よりも優れているのです。心は永遠なる私の主人なのです。ですから、よこしまな心を持ってはならないというのです。公理に属した、公的な位置に立つ心を持たなければならないのです。(一九八四・七・一〇)











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