セ 心に同化する生活

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 愛する心は、いつでも犠牲になろうとするのです。譲歩しようとするのです。与えても、また与えようとするのです。例えば、私にお金が約一〇〇億あって、全部道端で分けてあげたとします。それでも心は、安らかではないのです。世界の人類を助けてあげられなかったからです。お金がもっとあれば、もっと分けてあげたいのです。きりがないのです。ですから、神様の心は測量できないのです。神様の心がそうだというのです。神様の心はどれだけ大きいことでしょうか、どれだけ深いことでしょうか? ですから、自分を誇ることはできないというのです。自分を誇れないのです。いくら、立派なことをしたとしても、心に聞くと、「もっとしなければならない」と答えるのです。

 世の中の人々は、少しでも分かってもらうことを願うのです。分かってもらうことを願い、称賛してもらうことを願うのです。しかし心はそうではないのです。心はそうではありません。人々は、分かってもらうことを願うのですが、それを分かってもらう日には、それで終わりなのです。おしまいになるのです。もし、それが好きになれば、第二段階として高い次元に上がる時に障害が多いのです。なぜ障害が多いかというと、心が願う道は十字架の道なので、たびたび称賛を受けていると、その位置がよくなるのです。尊敬されていると、気持ちがよいので十字架を背負わないようになるのです。第二段階の心の道を行こうとすれば、十字架を背負わなければならないので、それが難しい道になるのです。体が願う道ではないので、行けないのです。

 ですから、先生は三十歳近くになる時まで、本当にひもじい生活をしたのです。いつも、ひもじい生活をしたのです。お腹のすかない日はなかったのです。そのような生活をしたのです。お腹のすいた人々に同情しながらも、私はお腹のすいた時間をほめたたえなければなりませんでした。それは、深刻なことなのです。お腹のすいた時は、深刻なのです。一番深刻なのです。御飯がなくて食べないのではないのです。わざわざその道を行くのです。責任を果たせない人は、思いのままに御飯を食べられないというのです。私が準備する、あらゆる課題を成す前には、睡眠も取ることができないのです。そういうわけなので、何らかの違う考えをする余地がないのです。それでも心は、「もっとせよ」と迫るのです。

 そうです。私たちは、昼寝ができないのです。いくら疲れていても昼寝ができません。昨日も、一、二時間は寝たでしょうか? お母様は「疲れるので少し休むようにしてください」と言うのですが、心が許さないのです。「年を取ったので、休む時が来たのです」と言うけれども、寝ることができないのです。私は年を取っているけれども、私がする仕事は若い人よりも、もっと多いのです。以前よりも、もっと大きい問題がたくさん起きているのに、それを誰かに任せることができないというのです。今の仕事を全部、誰かに任せられないのです。私が全部、指示するのです。それも、ただ単に指示するのではありません。霊的な何かを得て指示するのです。

 ですから、仕事をする過程で、心が私を通して教えてくれるのです。心がさっと分かるのです。その人を見れば、その人がどういう人かということがいっぺんに分かるのです。既に、それが分かるというのです。自分にとって一番近い先生は誰かというと、自分の心なのです。ですから、心を苦しめてはならないというのです。心を悲しませてはならないというのです。それは、先生を悲しませることであり、天宙の主人を悲しませることになるのです。心が私の一生の主人なのです。心を悲しくさせることは、私の一生の主人を悲しくさせることなのです。心が喜ぶことのできる道を行かなければなりません。

 ですから、私は、中学校時代には、学校の掃除を全部したのです。私が先頭に立って全校を愛したい心があったので、全校を代表して、私は掃除をしようと思ったのです。そうなると、他人が手助けすることもよくないのです。一人でしたいのです。一人できれいに掃除しようとするのです。それで、他の人が掃除した所を、もう一度するようになったのです。そのように、何回かしていると、友達が皆、「それなら、お前一人でやれ」と言うのです。ですから、自然に一人でするようになるのです。

 その時間は、心と楽しむ時間なのです。この世的にみると悲しい立場みたいですが、心と友達となる時間なのです。それで、すべて掃除して座って瞑想でもすれば、深い祈祷の場に入れるのです。他の人には分からない深い世界に入れるのです。そのようなことが必要なのです。

 皆さんが劇場に行くようになると、幕がよければ、よい劇場だというのですが、そう言わないでください。その幕がよいからといって、どうなのですか、劇がよいかどうかが分かりますか? その劇がどれだけよいのかという問題は、その劇を中心として、人々がどれだけ一つになっているのかということで決まるのです。心と同化して版図を広げる生活をいかにしているのかということが、問題なのです。(一九八四・七・一〇)











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