コ 善なる生活の実例

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 日常の生活においても、すべてそうなのです。勉強することもそうです。「私が勉強することは、誰々に勝つために勉強するのだ」と言いながら勉強する学生たちもいるのです。そのような思いで勉強する人は、いつでも試験の後で先生に、「私は何点ですか?」と聞くのですが、勉強するのは試験の点数が目的ではありません。私が勉強するのは、誰々に勝つためであるというより、大韓民国で一番にならなければならないということでなければなりません。このような観点から勉強しなければなりません。

「リトル・エンジェルス学校で、私が一番になることよりも、大韓民国で一番にならなければならない」と言わなければなりません。それは、どうしてでしょうか? 神様の栄光のためにでしょうか? 統一教会の栄光のためにでしょうか、自分の先生の栄光のためにでしょうか? ただ熱心に勉強すれば、そこに価値があるというのですが、自分のために勉強して一○○点を取れば、自分も喜ぶし、お父さんお母さんも喜ぶだけです。しかし大韓民国のために、神様のために、全人類のために勉強したとすれば、神様の名において全人類が喜ぶというのです。分かりますか? このように違うのです。

 寝る時もそうです。多くの人々は、「ああ、疲れたから寝なくては」と言って寝るのですが、寝るのは誰のために寝るのでしょうか? 当然、自分たちのために寝るのですが、「私は、お父さんお母さんのため、大韓民国のために寝ます。もし私が病気になったら大変だからです。大韓民国の損害になり、世界の損害になるからです。ですから、私は大韓民国のために寝て、世界のために寝て、神様のために寝るのです」と言えば、そのような考えはいかに素晴らしいことでしょうか。

「神様、私は寝ます。私はあなたのために明日も仕事をしなくてはならないし、あなたのために熱心に戦わなければならないので寝ます。寝てもいいでしょうか?」と言えば、神様も「よし!」と言われるのです。すべてがそうなのです。寝る時も、そのように善と悪が交差しているのです。ですから、休む時もそうなのです。すべてをそのように考えれば、ありとあらゆることが善なる側に収拾されていくのです。例えば、皆さんがどこかへ行って、水を一口飲む時もそうです。とても喉が乾いて、何杯でも水を飲みたいほどに、喉が乾いていても「神様、私はあなたの代身としてこの水を飲みます」と言って飲むのです。そうすると、それは自分が喉が乾いて飲んでも、神様の代身として飲んだことになるのです。

 皆さんのような少年少女たちが、水を飲む時に「ああ、水、水、水、水」と言いながら互いに争うよりも、「神様の代身として水を飲む人は、もう少し待ってあげるべきだ」と言って、「その代わり、私はたくさん飲みますよ」と飲み干せば、それは天地のために飲むことになるのです。

 また、歌を歌うことにおいてもそうです。天を褒めたたえ、自然を褒めたたえ、大韓民国を褒めたたえるという思いを持って歌えば、その歌声に三千里半島が耳を澄ますのです。三千里半島がどうして耳を澄ますのかというと、この宇宙は電波や、言葉でいっぱいに満たされているからです。そうでしょう? 電波や言葉がいっぱいになっているというのです。一度ラジオを聴いてみてください。逃げ出せないほどに幾重にも、言葉で取り囲まれているのです。

 それと同じように、皆さんは山鳴りを知っているでしょう? 山鳴りは、「ウー、ウー、ウー」と鳴るでしょう。とても素晴らしい山鳴りなのですが、それを全部、聞いて語ってあげるのです。どうして山鳴りが生じるのかというと、それは簡単なことです。空気の波動により、既に行く道がなくなって塞がってしまうので、反射して逆戻りしながら、山鳴りとなって聞こえてくるのです。それは、物理的現象ですが、その内的な意義はどこにあるのかということをもう一度考えてみてください。山がささやいて、自然がささやいて、岩がささやいているのです。それは、どんなに神秘的なことでしょうか?

 皆さん、いろんな虫や蝉の声をじっと聴いてみてください。「ジー、ジー、ジー、ジー、ジー」と鳴くのですが、音律が高くなったり低くなったりして調和をとっているのです。また風が吹く時も、その音をよく聴いてみてください。風が「ヒュー、ヒュー」と吹く時は、低く聞こえてくるのです。そうですね? そのような考えを持ったことはないでしょう?

 こおろぎが鳴く時もそうです。明るい昼間に鳴く時と、夕方に鳴く時と、夜に鳴く時と、全部鳴き方が違うのです。よく聴いてみてください。すべてに調和を合わせることを知っているのです。宇宙は、そのような調和の音律の中で戯れながら生きているのです。その中で、中心は誰かというと、人間なのです。分かりますか? 女性たちが歌を歌うと、庭のがまがえるもその歌を聴くために、そっと出て来るのです。そしてふくろうも、かえるも、水の中にいるすべての魚たちも、その歌を聴こうとして出て来るのです。

 ですから、皆さんも音楽の練習をする時には、そのような考えを持たなければなりません。「ああ、私の歌声があの山を越えていくだろう」というように考えるのです。「あの山の向こうまで届かないといけないので、もう少し大きく歌ってみよう」と言って、「ああ!」と歌ってごらんなさい。

 遠い山々を眺めながら、あの山の向こうに何があるだろうかと考え、「友達がいて、私の一番愛する人がいて」と思いながら、心を集中すれば霊界と通じて、霊肉が合わさってそれが見えるようになるのです。霊界まで動員されるのです。ですから、この宇宙と関係を結んで善の生活をすれば、あらゆるものが協助してくるようになるのです。(一九七八・一〇・八)












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