セ 真なる孝子、忠臣、聖人、聖子の道

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 皆さんはこれからどんな人にならなければならないのかというと、忠臣にならなければなりません。忠臣というのはどんな人でしょうか? 王様のために精誠を尽くす人が忠臣でしょうか? 違います。王様のために生きるとともに、国民のために生きる人が忠臣であるということを知らなければなりません。では、孝子とはどんな人でしょうか? 父母のためだけに精誠を尽くす人ではありません。父母のために生きるように、兄弟のためにも精誠を尽くす人が孝子なのです。

 その次に、聖人とはどんな人でしょうか? 歴史的な聖人とは世界人類のために今まで犠牲になって死んでいった人です。そして神の息子聖子とは、神様を中心として、世界のために生きようとした人です。世界の人々に対して、神様に対するように生きる人が聖子なのです。聖子は、聖人とは違うのです。

 私は聖子の道を行こうとするのです。先生は、神様を愛することは当然であり、同じように人類も愛するのです。怨讐であるアメリカまでも愛するのです。分かりますか? そうすれば、神様が見た時、「私の息子である」と言うことができるのです。どこかの国の息子ではありません。大韓民国で生まれても、大韓民国の息子ではありません。神様が「私の息子である」と言える人は、神様のために生きるように、人類のために生きる人なのです。そのような人が神様の息子なのです。神様はご自分を忘れて人類のために生きておられる方なので、私たちも自分を忘れて、人類のために生きれば真なる孝子になるのです。分かりますか? そのような定義を正確に知らなければなりません。私たちは、孝子の道から忠臣の道、聖子の道を探し求めていくのです。聖人の道を探していくのではありません。

 ですから、皆さんの家庭の中で、国の忠臣の立場に立つとすれば、忠臣であると君主から指名される人はどのような人かというと、君主のために生き、国民全体のために生きる人なのです。そのようになると、奸臣は既に伝統が違うのです。自分のために生きる人は奸臣なのです。逆賊なのです。環境がその人を容赦しないのです。

 そのような内容を中心とした孝子の道理を立てて、忠臣の道理を立てて、聖子の道理を立てていけば、その国が、地上天国となり、このような国に生きた人がそっくりそのまま天上天国に行くのです。そのように移行していくことが神様の創造理想だったのです。(一九八四・七・一七)












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