ス 歴史に忘れ去ることのできない誇り

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 先生がこれから一つの話をします。先生は学生のころ、自炊をしていました。ちょうど皆さんの年ごろにです。故郷を離れて、ソウルで学生として勉強していた時、一番最初の休みの時には、とても故郷が懐かしくなるのです。分かりますか? 故郷が懐かしくて、休みになれば、飛んで帰りたいのです。しかし先生は故郷には帰りませんでした。一人で自炊をしながら、何をしていたのでしょうか? 他の人々は故郷に帰ったけれども、私は実践時代の準備をするために忙しかったのです。

 また、おばさんたちが準備してくれる御飯も私は食べませんでした。なぜかというと、私の行く道においては、女性なしに一人で生きていかなければならないことを知っていたからです。ですから、私にできないことは何もないのです。服もつくれるし、帽子もつくれるし、できないことは何もありません。男が一度決心して、それを実践に移す時は、独り暮らしをしながらも、全部できなければならないのです。

 私が天地の前に決意をして、もしも死んだとすれば、後で神様が「お前は死んでしまったが、何でもできる男だった。最後まではできなかったが、お前はよくやった」という言葉を聞くためです。何のことか分かりますか?

 勉強しながら自炊をしていた時、ソウルはとても寒かったのです。また、零下一七度や二二度というように上がり下がりしていた時でした。井戸から水を汲もうとして、つるべを取ると、ブリキのつるべが手にぴったりとくっついたのです。また、夜は火を焚かない部屋で寝るのです。部屋は小さなオンドル部屋でした。そこに、ねんねこがあったのですが、そのねんねこの模様が一夜にして体に判を押したようについたのです。

 また、勉強をしていて、あまりにも寒いので電球を入れて寝たら、皮膚が軟らかくなって傷になったのです。これらのことを私はいつまでも忘れられません。一生涯、そのことは忘れないでしょう。

 そして、また監獄生活をした特別な期間を私は忘れることができません。それは、誰にも話すことはないでしょう。しかし、いつもそのことを考えるのです。忘れることができないのです。自分が勝利者となった時、そのような条件で神様の前に誇ることができ、そのような条件で祈祷したことや約束が、今日成し遂げられることを願いながら、誰にも話さないのです。そのような世界を知らなければなりません。ですから、ここに来た人々が皆家に帰ったあとでも、先生にはまだ成すべきこと、準備すべきことがたくさんあるのです。私の行く道は忙しいのです。一生をそのように生きてきたのです。

 そのようにして、皆さんのお父さんやお母さんを祝福してあげたのです。八道江山(韓半島を意味する)の皆さんのお父さんやお母さんを集めて面倒を見て、おじいさんおばあさんが泣きわめきながら反対する中で全部の結婚式をしてあげたのです。祝福家庭としてつくり上げたその内容と、その背後の歴史はどれほど悲惨だったことでしょうか? 皆さんには分からないのです。

 このような負債は、本当にありがたい天の恩賜なのです。このことを摂理史から見た時、神様が今まで韓国の民を訪ねてこられた民族的な福を、私たちにすべてお任せになられたのです。それだけでなく世界的な福の基盤として、世界に分けてあげるための福であったことを知らなければなりません。ですから皆さんが世界を考え、民族を考えることは当然なことなのです。分かりますか? そのような歴史が必要なのです。そうなれば、それを子供たちに遺言できるのです。(一九八四・七・一九)












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