セ 歴史に残るものは実績と基盤である

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 歴史に残るものは何かというと、実力が残るのではなく実績が残るのです。準備が残るのではなく基盤が残るのです。分かりますか? これは、すべてに適用されることなのです。よく考えてください。学校へ行っても、どこへ行っても同じです。

 ですから、話をする時は、ただ単に話してはいけません。実績を話すのです。私たちが講義をするようになった時は、慟哭しながら感動を与えなければなりません。先生は、草創期には激しい迫害の渦中であっても、血と汗を流しながら説教をしました。そのように、喉が裂けるぐらい説教をして、集めた人々に感動を与えなければなりません。

 昨日よりも、きょうの迫害に疲れ果ててしまったとしても、これから行かなければならない道が残っているので、力を投入しなければなりません。力を投入して消耗戦をしなければならないのです。ですから、私はありったけの力をすべて注ぐのです。分かりますか? そうして、引っ張ってくるのです。なぜかというと、実績を残さなければならないからです。私が今、冒険の道を行くことも、監獄を訪ねて行くことも、何のためかというと、実績を残すためなのです。そのような望みを持って行くので、神様が間違いなく導いてくださるのです。

 今までの先生の生涯の生活哲学を通して得た結論として、そのことが、信じる以上に分かるのです。これから展開されることが分かるのです。例えば監獄へ行った時、そこの囚人たちと同じ立場の人間としてどのように対したらよいかということも、ちゃんと分かるのです。そこでどのような人と会うのかも皆分かるのです。

 このままでは世界が死んでしまうというので、互いに議論して生かす道が生まれることもあるし、私がそこに行くことによって、新しい世界的基盤を築くことのできる運動が起こるかもしれません。そのように、もっと大きい運動が起こることは、間違いないという夢を持っていくのです。分かりますか? 試練を怖がらないで、すべてを消化する度胸を持って、自分が行くことによって、善を残していこうと言いつつ歩む人は、絶対に失敗者にはなりません。たとえ死んでも、失敗者ではありません。このことをはっきりと知らなければなりません。(一九八四・七・一九)













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