シ 私たちが蕩減の道を行かなければならない理由

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 もし、堕落しない本然の世界が成し遂げられていたならば、統一教会に対して、ただ頭から反対するだけではなく、全面的に歓迎したことでしょう。ところがサタン世界になったので、私たちが再創造しなければならないのです。再創造するためには、反対の力を凌駕しなければならないのです。そして、それ自体を構成できる力の余裕を持たなければなりません。力の余裕がなくては、創造ができないのです。ですから、今まで否定された反対の力を除去させるために、蕩減の道が必要であると統一教会ではいうのです。人類は堕落してしまったのです。女性たちは何のことか分かりますか?

 再創造するためには、本来、本性的に投入した力よりも、もっと投入しなければならないのです。建物を修理しようとすれば、新しくつくることよりももっとかかるということと同じです。ですから、創造よりも、修理することのほうが手間がかかるように、創造の時に投入したより以上にかかる蕩減という条件を払わなければならないのです。そのような概念が分かりますか? 蕩減の概念は、再創造のためのものです。ですから私たちには、再創造のための蕩減が必要なのです。

 さあ、それでは今朝、皆さんは蕩減を歓迎しますか、しませんか? (歓迎します)。なぜですか? それは、再創造されて本然の人になるためですね。復帰されるためです。本然の人が現れた時には、本然のみ旨の道を行く人が出てくるのです。皆さんは本然の人ですか? 堕落した族属(血統関係の一族)です。ですから、皆さんは蕩減を通して再創造されなければならないのです。

 私たちには、蕩減の道が必要なのです。皆さんは、この世を救うために蕩減の道を行かなければなりません。イエス様ですら、いくら神様の本然の息子として生まれたとしても、この世を救うためには蕩減の道を行かなければならなかったのです。この世が完成されていなかったので、人々が皆反対する中を、イエス様自身も蕩減の道を行かざるをえなかったし、責任を持たざるをえなかったのです。

 先生は、皆さんをなぜ苦労させるのでしょうか? それは蕩減の道を行かなければならないからです。先生自身も一生涯、蕩減の道を行こうとするのです。しかし、嫌々行くのではありません。志願して行かなければならないのです。このことをよく知らなければなりません。監獄へも、願って行かなければなりません。蕩減のために行かなければなりません。不平を言えば蕩減にならないのです。皆さん、理解できますか?

 今からが始まりです。今に、「反対に歩け」と言うかもしれません。「世が悪であるから、皆さんは反対に歩きなさい」と言うかもしれません。今は世の中が反対になっているので、悪い人と共に行けば悪くなるから、私たちは反対に行かなければならないのです。そうすれば、善なる人になれるのです。それが、理論的なのです。(一九八四・七・八)












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