ソ 祝福子女たちも自分の責任分担を果たすこと

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 それから、学校を卒業して社会に出れば、社会の法律をよく守らなければなりません。交通の秩序は、交通運行においての責任分担を完遂することです。学校の法は、学校での生活を完成させるための責任分担です。それらを一つひとつ遂行していかなければならないのです。先生が小言を言った時、「ああ、あれ何だ。あれ、あれ」と言っていいでしょうか。

 皆さん、学校の先生たちの中で、勉強を厳しく教えてくれる先生は良い先生ですか? ただ、いいかげんに教えてくれる先生が良い先生ですか? (厳しく教えてくれる先生です)。ところが、厳しく教えてくれる先生を好きな学生は一人もいないのです。厳しく教えてくれる先生は良い先生なのに、そのような先生を好きになる学生はいないのです。みんな反対なのです。そうだからといって、二人が共に同じようになったならば、その学校は滅びてしまうというのです。反対作用をすることによって、学校も発展できるのです。若い人たちには、必ず制度が必要だということです。自由は必要ありません。分かりますか? そういうことなのです。

 大学も出ていない、社会の経験もない若い人の言葉のままに行動したならば、国を売り渡してしまうことになるのです。家に帰っても、学校にいても、まだまだ世の中を知らない皆さんなのです。全部、分からないのです。これからいろいろと習うことが多いので三十歳までは、自己主張してはいけないということです。

 先生も、そのように考えてきたのです。私は三十歳になるまで、お腹のすかない日はありませんでした。分かりますか? わざとそういう生活をしてきたのです。服は皆、古物屋で買って、臭いのするものを着ていたのです。なぜかというと、女性が慕ってついてこないようにするためです。そうでなくてもくっつくものが多いので、徹底してきたのです。

 また、一言もしゃべらずに暮らしてきたのです。私が口を開く時は、天下が動く時だと思っていたので、むやみに言葉をしゃべらなかったのです。その過程で、私の行く道はまだまだ準備することに忙しかったのです。

 祝福を受けた者たちは皆、私の世話になって遊んで暮らしてきたのですね。私の世話になって生きる人たちは、文先生に対して負債を負って暮らすのではなく、天地の前に、神様の前に、人類の前に負債を負って暮らしているということを知らなければなりません。世界の前に負債になり、人類の前に負債になり、神様の前に負債になって暮らしているという、考えを持たなければなりません。

 そして、「これは必ず、死ぬ前には返さないといけないものであり、自分の子供たちに返さなければならないし、自分の親戚に返していかなければならない」という、決意をしなければならないのです。

 私は、そのような考えを持って助けてあげているのです。それで世界が生きることができる土台となるのです。私が三十六家庭に話したことは、「私はあなた方の息子娘を一人ずつ連れてきて教育し、着させ、食べさせてあげたので、あなた方も、私の息子娘に対して、私がしたようにしなさい」ということです。そういうことなのです。借りをつくってはなりません。

 皆さんも、私に助けてもらった分を、他の人に対して助けてあげるようにしなさいというのです。先生が皆さんを教育してあげたので、その負債を返すために、一人でも教育して返さなければならないのです。それができない時には、その民族は滅びるのです。

 では、奨学金を受けている人たちは、責任分担があるのでしょうか、ないのでしょうか? 祝福家庭の息子娘として生まれた人たちには責任分担があるのでしょうか、ないのでしょうか? それは他の人たちより、もっと多いはずです。責任分担とは、このように重要なのです。責任分担を十分に全うしなければなりません。それを越えなければなりません。そうでなければ、全部が嫌になるのです。(一九八四・七・一○)










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