ケ 自由の備えるべき三大原則

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 自由とは、原理を離れた自由はないのです。既に、そのような観点から全部分析して、先生がそのような規定を下したのです。原理を離れた自由はありません。御飯を食べなくてはならない時に、御飯を食べなかったならば、それは、自由ではありません。お腹がすくし、副作用が起こります。御飯を食べなければ、自ら破壊するのです。ですから、原理原則を離れた自由はないのです。

 このように見た時、この宇宙は運動し、全体が自由なのです。地球が一日に一回りすること自体が、最大の自由なのです。そして月は、一か月に一回りし、地球は三百六十五日で太陽系を一回りすることが自由なのです。そこで、「ああ、私は嫌だ」と言えば、存在価値を失ってしまうのです。ですから、すべてのことにおいて、原理原則を離れた自由はないということが理論的であり、理にかなっているのです。分かりますか? (はい)。みんなそうなっているのです。

 それでは、先生には自由があるでしょうか? それは、先生も同じです。原理を離れた世界で自由を追求するということは、破綻をもたらすのです。先生が年を取れば、年寄りとして守らなければならない自由の法度があるのです。年寄りが若い娘に対して恋愛するとすれば、それは理にかなっているでしょうか? 世の中の人々が皆笑うだろうし、唾を吐くことでしょう。すべてのことは、原理に合わなければならないのです。

 また、自由には責任が伴うのです。皆さんが行動した後に、悪い結果が残されているようではだめです。良い責任的立場で歩まなくてはなりません。自分が行動した後において、全体が見ても、その行動に尊敬できなくてはならないのです。ですから、自分が行動した後においては、善の実績が残されていなければなりません。それが、三大原則です。そうですか、そうではありませんか? (そうです)。「それでは何が自由なのか?」と言うような人は、とんでもありません。家庭に帰って、「私は、お父さんお母さんの支配など受けたくない。私の思いどおりにするのが自由だ」という主張はできないことです。

 ご覧なさい。木に例えれば、大きな幹と小さな枝があって、小さな枝が「私は大きい幹とは関係ない」と言ったとしても、大きな幹がなければ、自分を保護し、自分の位置を決定することはできないのです。この宇宙の中で自分は東にいるのか、西にいるのか? これは、自分一人だけで決定できるでしょうか? 東西南北の四方に調和していなければなりません。東側に枝があれば、必ず西側にも枝がなくてはならないし、南側にも、北側にも枝がなくてはなりません。

 そして、竹のように根を張らなくてはなりません。そのような位置でこそ、自由が保障されるというのです。そうでなければ、東側の枝がいくら偉いといっても、まっすぐな木になることはできません。曲がってしまうのです。木が育つのも自由ですが、木の目的があるのです。ですから、原理原則を離れた自由はありえず、責任を避けるような自由はありえないのです。必ず、行動して善なる実績を備えなければならないのです。(一九八八・一○・一六)











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